日本のそば文化史
うん、そば文化始まりますって話ですね。
ちょっと気になるのはpart1ってついたところですね。
そば文化史はずっと続いて、最終的に時そばに行くわけですから。
はい。
もうこのシリーズそのものなんですけどね。
ああ、そういうことね。
急にここからまだ1から始まらないかと思ったよ。
なことない。
まじかと。
さすがにもう、台本上7話目まで来てますんでね。
ああ、そうね。
配信もっと増えてますけど。
増えてる。
前回までは、植物としての蕎麦がどんな特徴を持っていたかっていうのを見ていきました。
はい。
これによって、どんな厳しい環境でも育つと。
ある種無敵だねっていうことが分かってきましたよね。
そうだね。
当然ですけど、急耕作物、基金に耐えられる作物として徴用されてきたという歴史があります。
文献上、日本で最も最初に登場するのは、西暦でいうと722年。
722年。
何時代だ?
事故。
722年。
奈良時代ですね。
奈良か。
なんと立派な平城郷ですね。
あったね。
平安は奈久予なんで。
そう、奈久予だね。
今一瞬奈久予が出てきて、その前なんだっけ。
なんと立派な平城郷。
出てこないね、言葉に。
出てこないですか?
頭の中でこうつぶやいて思った。
722年、養老6年ですね。
養老6年。
養老6年。
大法律令より少し後。
大法律令はね。
食日本記という書籍に残されてるんですけども、元朝天皇の見事乗りです。
元朝天皇。
当時の天皇陛下のね。
天皇陛下ね。
が直見事乗りを発してるんですよ。こういうことをやりなさいよっていうメール出してます。
貴金に備えて万頭、遅い稲ですね。
万頭大麦小麦狂麦を植え備蓄せよ。
蕎麦を植えて備蓄せよと。
貴金が来ると基本的に米文化ですから、この時代。徐々にね。
米を植えろーって。水田だー稲坂ーって言ってる時代ですよ。
米取れないとやばいから、米が取れなかったら田んぼからどうせ水なかったりするわけじゃないですか。
どうせ貴金って言ったら日出りだったりするわけですね。暑いんで。
水が冷やがっちゃったらそこ畑でしょって。そこに麦とか植えたらどうよって。
それをちゃんと備蓄しときなさいよと。
備蓄をしようと。
っていうこと言ってるわけですね。
これね、一番最初が722年というだけで、数年に1回これ出てる。
数年に1回?
もう何度も何度も10年後とか5年後とかに参ったみことのりとかね。
偉い人から命令でね。麦植えろーとか蕎麦植えろーとかっていう指示が飛びまくってる。
っていうのもね、700年代800年代って結構貴金の貧困高いっすよ。
そうなんだ。
平均してね、1年半に1回貴金来る感じ。
1年半に1回?
普通に割ると1.5年に1回ってなるから。
マジで?そんな頻度?
そんな頻度。
ていうか、え?
え?って感じじゃん。
1.5年にっていうのは大祭りとかさ、ワールドカップの倍の速度で来るってことでしょ?
そうそうそうそう。
それ結構だよね。
そう、かなりのペースで貴金が来るんですよ。
まあこの当時はね、ちょっとした不作があると危機になっちゃったりするんで。
ほう。
っていうのもね、艦階設備があんまりないとかね。
あーそういうね。
たがやす能力も低くって、まだ鉄製の農具があんまり普及してない。
あーそこからか。
家畜の農耕利用も始まってない。
あ、そうなんだ。
基本人力。
へーそれは確かに効率が上がらないね。
だから片嵐って言って、どっかの田んぼがダメになっちゃったらそこ放置して他のとこに行くみたいなことをやってるわけですよ。
まだこの時代はね。
だからすぐ貴金が来るから備蓄をしとこうねって。
そういう時には水田よりも麦とか、麦系だよね、蕎麦も含めて。
こういうの強いから植えといた方がいいよって。
やりなさいよってことを指示として出してます。
あーそうなんだ。
もう律令制が出てきてるんで、いろんな地方の管理職に言うわけですよ。
それやらせろっつって。
でこれが800年代くらいまでは結構頻繁に出てるんですけど、
900年代に入るとですね、途端にその指示出なくなるんです。
あーそうなんだ。
温かくなる。
温かくなる?物理的に?
そう、気温が温かくなって、そんなに貴金来なくなる。
へー。
6年に1回ぐらいになる大体。
あーだいぶ伸びたね。
あるんだけど6年に1回ぐらいだし、そもそも平均気温高くなって温かい時代になるんですくすく育ってくれる。
はいはいはい。
豊作が多いから備蓄できる。そういう状態になるんですね。
そうね。
だから800年代までは蕎麦を作っとけよみたいなのが文書で残ってるんですけど、
あえてずっとなくて次に登場するのは1230年とか50年とかその辺まで出ない。
だいぶ湧くね。
だいぶ湧く。そのぐらい豊作とかいらない。
へー。
1230年頃に山の中に行ったら地元の人が蕎麦をご馳走してくれたっていう文章が出てくるんですよ。
お坊さんが修行に入ったらくれたみたいなこと。野生の蕎麦って書いてあるんですけどね。
なわけねえだろ。野生なわけねえじゃんって話なんだけどね。
野生の蕎麦。
だけどほら1250年頃の人だから、かつて700年頃に蕎麦を植えていたなんてわからないわけですよ。500年前の話なんで。
確かに。
僕ら今ほんと3分とかで飛ばしましたけど500年経ってるんでこれ。
この間がね。
知らないわけですよ。だから書いてる人は野生の蕎麦を地元の山の中の民にご馳走になりましたって書いてるんだけど、野生なわけねえじゃんって。
ちなみに蕎麦と小麦ってどのぐらい違う時代か。
結構わからないぐらい昔に入ってきてはいる。
蕎麦よりも前。
蕎麦も陸糖、稲荷でも水糖じゃなくて陸糖の方ね。とか麦とかって大体似たぐらいの時期だっていう風に推測されてる。
じゃあ小麦は日本にはそもそもないから体に悪いとかっていうツイートを見かけたけど。
ありますよ。めっちゃ古い時代からありますよ。
あって食べてたよね。
縄文時代からありますよ。
縄文時代か。
小麦はあまり人気がなくて大麦が中心ですけどね。
別物ではないでしょ大麦も小麦も。
品種違いますけどね。
品種はね。全く違う生物ではないよね。
ではないですよ。
小麦は本当にだいぶ大昔から縄文時代から普通にあるんで。
じゃあどっからできたんだろうね。小麦は日本に昔なかったから体に悪いとか。
若干脱線しましょうか。小麦って基本的に脱穀するときに粉化してしまうわけですよね。
でこの粉食文化が日本にはなかなか根付かなかった。
だって米の方が優位じゃないですか生産効率もいいんで粒食粒食の方が主流になりました。
で調理技法とか食文化も粒食を中心に発達をしました。
だから粉になるものって基本的にめんどくさいんですよ。
めんどくさい。
調理しづらいんですよ。
まあそうか。
もう粉文化がないからこれどうしようか分からんみたいな。
めんどくせえとお粥にもなんねえしご飯も炊けねえしって。
麦飯にもなんねえじゃねえかうぜえってなってるんですよ。
確かにね。
だけど大麦っていうのは砕けないじゃないですか。
だからご飯と一緒に炊き込めるんですよ。
そばもできるんですよ。
小麦は全部粉になっちゃうからめんどくせえってなって人気がない。
だから日本では普及していなかった。
粉食の文化が出てくるまで小麦っていうのはあるんだけど
食べられてるんだけどめんどくささゆえにあまり人気がなかった。
そういうことね。
粉食文化が入ってくるのは本当鎌倉とか室町くらいで
江戸時代になってイシウスが普及してわーみたいな感じ。
そっからうどんとかそうめんとか冷麦切り麦がバーって出てくるみたいな。
そういう技法がね、加工法がね。
ちょうどいい頭出しになりましたね。
これ今回の後半と次回につながる話なんで
ちょっと頭の片隅に置いとくとわかりやすいと思いますね。
ということで一旦ぶっ飛んだのでもう一回戻ります。
1300年頃の話ですね。
蕎麦の技術が出てきた1250年頃から1350年頃。
1300年という年を挟んで前後50年の100年間。
これはやばい。
歴史を好きな人って絶対覚えておいたほうがいい。
1300年イベントって名前がついてるんですけど。
鴨の丁名の包状記でも知られている洋和の大基金というのがありますね。
これは平安時代の終わり頃1180年から1182年。
この基金をきっかけにそれまでの平安時代が終わって鎌倉にバーンって行くっていうそういうタイミングなんですけど、
これはね基本的に暑い方の基金なんですよ。
1180年頃だから。
そう。春が暖かくてその勢いでもう夏めっちゃ暑くて雨降んなくて陥伐だぜみたいな。
平和の方か。割とね。
これはすさまじい日本史上記録に残るほどの大基金なんだけどね。
ただ地域が限定されるんですよ。
日本国内でもね。
日本国内でもこの頃までの基金っていうのは基本間伐が多いんですね。
西日本は間伐に弱い。
東日本は間伐に不作なしって呼ばれていて。
で雨の降る年はあんまり豊作にならないよねっていう環境なんですって。
そのぐらい東と西で農業状況が違ったらしいんですよ。
間伐の時は機内近畿地方とか死ぬほど大変なことになってるんですけど。
関東はどうってことないみたいな。
この農業生産の格差があるから
源のよりともたい平家で戦った時に
藤川でバチンってやりますよね。
鳥が飛び立った音でビビって平家に逃げるみたいなエピソード残ってるじゃないですか。
あるんですよ。
この時の食糧事情でいくと圧倒的に鎌倉型の方がお腹いっぱいなんです。
そういうことか。
そういうのももちろんあったんじゃないかって言われてます。
その時代の食糧備蓄量は全部選挙変えるよね。
かなりね。
先生も伸びますからね。
ここから50年後ですよ。1230年から32年。
寒期の基金というのがあります。
寒期の基金。
寒期っていうのは年号ですからね。
50年後に基金がやってきます。
もう完全に鎌倉寺になってます。
源家ももうみんななくて、
食糧法上安時の時代ですね。
これはね、霊化です。
霊化。
死ぬほど寒い夏です。
死ぬほど寒い。
京都のクゲの日記ではね、
夏に雪が降ったという記録があちこちで見られるぐらいの異常低温の夏です。
雪が降った。
そう。
夏に。
6月とか7月にね。
京都に。
っていうぐらいの異常霊化なんですよ。
それは異常だね。
当然ですけど、これは日本本州全体的に霊化ですよね。
全国規模の危機になります。
まあそうだよね。
これで法上安時がもうやべやべって言って、
武士のやつらをまるで贅沢にするんじゃねえ。
もう無理な納税とかさせるんじゃねえとかっていう指示を
いろんな児童とかに指示飛ばすわけですね。
なんとか抑えたんですよ。
ギリギリね。
だいぶ日が行ったけど、なんとかやりくりしたんですね。
こう言ってるときに原稿が来るわけよ。
原稿。
モンゴル。
そういう時代なんですよ。
この後に昇華の起勤っていうのが1258年から60年、
まさに1258の大噴火のタイミングでやっぱり日本も大起勤が訪れるんですね。
これは日本がこうなってるだけじゃなくて、
当然中国大陸も同じように大起勤来てますから。
世界規模だからね。
モンゴル地方っていうのは今の中国という国土でいくと、
北の方にいる民族なんで南下政策を取りますよね。
当たり前ですけど。
取ってたね。
寒いから。
で、来るわけですよ。
南へ南へと。
それであそこまで、中国のだいぶ下の方まで下がってきてたもんね。
ペルシャ地方とかもね。
西は西であっちの方も南側も攻めていくっていうことをやってるわけですよね。
えらい時期なんですこれ。
そうね。
で、この昇華の起勤1258年の時には、
もう噴火によるエラゾルとかもあるんで、
もう大起勤になって日本全国が寒冷化して、
しかもちょっと天候悪くないじゃないですか。
噴火の影響で。
疫病はやっちゃうんですよ。
疫病。
もうやってられるか。
農業なんかやってられるかって言って農村を捨てて、
野党になったり山賊になったりする。
これ教科書的に悪党ですね。
がもうぶわーっと全国に登場しちゃう。
もう追われてね。
荒れてくどんどん。
で、これ荒れてくもんだからさ、
鎌倉幕府としてはもう治安維持にめちゃくちゃコストかかるわけですよ。
あっちの成敗せ、こっちの成敗しなきゃって言ってるんだけど、
各省縁の管理者である自党とかね、国首とかは、
自分ところも不作だからなんとかせにはいかん。
どんどんどんどん働かせないと同業生産できんじゃん。
だからどんどんどんどん益務を追わせるわけですよ。
働けーっつってこれやれ、あれやれって。
そしたらまた省円で働いてる農民たちがふざけるなーってなって、
また悪党が増えるっていうね。
悪循環だね。
これが後に田舎の武士の没効につながってくる一員なんですね。
へー、そうなの?
で、この人たちが独自に武装勢力を持って、
後に鎌倉幕府を倒すときの勢力の一つになっていくっていう感じなんですね。
気候変動ってなめたらあかんのですよ。
そうだね。
で、こんな環境だからさ、
米だけに頼ってる環境ってちょっと危ないじゃないですか。
だから平安時代のこと、奈良時代のことちょっと思い出して、
やっぱこれ麦とか蕎麦とか植えたほうがいいんじゃねって話になるわけですよね。
これが教科書的に有名な二毛作ですね。
それで二毛作がこのタイミング?
二毛作っていうのは鎌倉幕府が勝利したってことになってて、
教科書載ってるんですけど、もともと奈良時代からずっとやってるわけですよ。
これを定着しなかったんだけど、
もうこの後に及んではみんなやらんとやばいよねって言ってやらせる。
で、ついに二毛作が定着した。
っていうのは古い時代の奈良平安時代にやっていた二毛作っぽいものって全然定着しなかったんですよ。
定着やっぱしなかったんだ。
まずさっきも言ったけど小麦、食べづらいじゃないですか。
食べづらい。
だから日本人流食なんで、紛食文化ないし、そもそも薄とかないから。
薄はないよね。
石薄のぐるぐる巻くのもなければ、
叩きつぶす持ちつくようなやつも絵がついてなかったりするんでめっちゃ大変なんですよ。
ただの棒か。
かぐや姫とかで有名な月にいるウサギがついてるキネとウスって棒持ってないですよねあれ。
分かります?
トンカチで言ったら土の部分だけを持ってやってますよね。絵がついてない。あれなんですよ要は。
なんかすり鉢、当たり棒みたいな。棒みたいなやつ。
棒みたいなやつで持ちつくみたいな感じです。絵がついてないから力入らない。
本当についてるね。
槍じゃないけど槍みたいにつかないといけない。
あれ縦ギネっていう感じなんですけどね。絵がつくようになって横ギネっていうのが出てくるのはもう江戸期ぐらいにならないと出てこないですから。
そうなの?
だいぶ後なんですよ。
だいぶ機構的にはすごい単純そうなあれだけど。
絵がつかなかった。
なかなかつかなかったっぽい。
それは大変。
大変な状況なんで。平安期とかは浦削で小麦作っても大体数年に1回復活するじゃないですか。
そうするともう麦いいやってやんなくなって家畜の餌にしちゃったりするんですよ。取っとけって言ったのに。
取っとけって言ってたのに。
もう麦は家畜の食い物だみたいになっちゃった。だから小麦文化があんまり定着しなかった。
だしそもそも浦削だから田んぼから水が抜けてるわけじゃないですか。
灌溉設備があれば水を引き込むことはそこそこそれなりにできるんですけど、平安時代みたいに灌溉設備がない頃って水の再引き込みってかなり大変なんですよ。
しかも間伐で水不足だったりするんで。っていう状況だし、麦系って地面の力を吸い取って育つわけじゃないですか。土地痩せるっすよ。
麦のせいでね。
土地痩せてるのに水引き込めないから水のエネルギーを得られないみたいになると、もう翌年の田んぼが大変なんだ。
あーそっかそっか。
この時代にちょうど灌溉設備もそこそこ整い始めるんですよ。
水の灌溉設備ね。
そう土木工事をやるんで。全国に普及したとは言わないですけど、主に西日本を中心に水車を利用してね。
で小川から水を田んぼに引き込んだりとかそういったようなこともやられるようになるし、水が重要だってことはもうみんなよくわかってる。
ジトウもコクシもショウエンヌシもみんなわかってる。苗種もわかってる。
だから土地を持ってる領主あたりになると、ここの林は誰も入るな。なぜならばこの林が水源地だからじゃん。水源地確保する。
こういうことをやると二毛作やってもずっと回していけるようになるんですよ。
だからこれは麦作ったらいいねって言ってだんだん蕎麦とか麦とかが急行作物として二毛作の裏作の定番になっていくんですよね。
そこへ来てですね食品加工技術ですよ。
食品加工技術。
一般庶民ではなくて主に上流階級の話なんですけど徐々に嫌われていた粉食が広まり始めるんです。
このタイミングで。
もともと粉食粉もん文化がゼロだったわけではないんですよ。
日本料理の編成のときに大胸料理ってありましたね。
大胸料理。
20何種類並んでるところ。で右奥かなんかのところに糖菓子っていうのがあったんですよ。
糖菓子。
糖菓子は中国風のお菓子ですよね。あれもクッキーとかパンみたいな感じなんですよ今で言うとね。
あれって完全に小麦粉を練ってこねて焼いたりなんかしたものじゃないですか。
あれはなんでクゲだけが食べてるかっていうと超高級だからなんですよ。
粉にするのがめちゃくちゃ大変だからですねさっき言った通り。
そこのコストね。
基本的に晴れの食べ物って大変なものなんですよ。
確かにそれはそうだね。
日本人にとって粉もんっていうのは晴れの食事とイコールなんです。長い間。
で実はですね鎌倉時代というのはいろんな仏教が勃興していく中で日本と中国で交流をしていましたよね。
前週の道元とかねお茶でできた英才とかね。
してたね。
しましたね。英才の弟子筋に縁二っていたの覚えてます?
縁二。
昭一国師です。
昭一国師って言ってもらえば。
亡くなった後の名前が昭一国師ね。
亡くなった後の名前なの?
贈り名なんだよ。
天皇からもらった史上最強の贈り名昭一国師ね。生きていれば生前の名前は縁二弁縁という方なんですけど。
この方が中国行って帰ってきた時になんとですねウスの設計図持って帰ってくるんですよ。
ウスの設計図?
それもウスってあって今のイシウスですよ。ぐるぐる回るやつね。
あれがあると製粉めっちゃクオリティ上がるんですよ。
そうね。あれ回すだけでやったことあるけどかなり綺麗にいくよ。
しかも縁二が持ってきた設計図はこれ多分再現してないと思うんだけど水車式のね。
イシウス回す機械の設計図とか持って帰ってきたんですよね。
すごい機械化したね。
このくらいになってくると中国との貿易の関係で茶ウス、抹茶をひくためのウスが入ってくる。
抹茶用のウスってめっちゃ細かいってこと?
そうそうそう。あれが入ってくるんですよ。小型のウスがね。
それがあるってことは当然粉作れるようになるんで上流階級のごく一部特にお寺ですね。
全州の食文化が発達する精進料理の中で粉もん料理がちょっとずつ出てくる。
へえ。
これはどこの回で話したかもはや僕の記憶の彼方ですけど
硝煙の持ち主っていうのは大臣に集中していきましたよね。
ああお寺のでかいとこ。
これ多分日本酒かなのときにちょっと話したかもしれないですけど。
硝煙の話でしたかも。日本酒だね。
日本酒かな。硝煙を他から取られない、天皇家に持っていかれないようにするために別の権力のところに
この土地はあなたに持っててください。僕らはちょっとその下で税金を収めるんで守ってくださいねみたいなことをやったら
大臣にめちゃくちゃ土地集まっちゃったみたいな。で超でかいクゲとでかい寺院ができました。
その寺院がもともとは奈良仏教だったりとか新しい最澄のところなんだっけ、比叡山遠略寺ね。
比叡山。
天台宗とかああいうとこに行くわけですけどその後臨済宗にもグーッと集中していくんです。
なんで臨済宗かというと鎌倉幕府と臨済宗って政治的にも経済的にもかなりつながっていたからっていう話どこかでしたと思うんですけど
すっげえ雑に言いますよ。古代の政府は古代の奈良仏教と密接でした。
でその後平安の新しい仏教は奈良仏教と距離を置きたいから新しい空海と最澄の勢力とくっつくことで古い勢力と距離を置きました。
鎌倉時代になると鎌倉幕府は朝廷の権力から逃れたいので新しい新興勢力である仏教とくっつくことで既存の奈良仏教や密教とかと距離を置くようになりました。
その時に白羽の矢が立ったのが臨済宗、英才のね。
で鎌倉時代室町時代っていうのは幕府のお財布版とか金庫版みたいな貿易の担当やったのは臨済宗の総領だったり大臣だったりしたそういう背景があるんですね。
でその中の一人に省一国志がいてで中央からいろいろ文化持って帰ってくるわけですよ。
そうするとその界隈で食文化が発達していてなんとなく粉食文化が始まってきますよっていう流れ。
省略すると。
省略したよだいぶ。
ざくっといくね。
じゃあ農業技術が上がりました。
これによって二毛作ができるようになりました。
で食文化食品加工技術っていうのは政府とつながったりとか貿易のところで力を発揮した特定の宗派臨済宗が中国と直接やり取りすることによって文化とか物品ですね技術を輸入することができました。
結果それらがすべて集約された要は省園と技術と文化が集中した全州の中で粉食文化というのが発達しましたよというざっくりとこんな中ですか。
でっかいお寺の集まりができたからそこにいろんなものがいっぺんに集まって。
そうですそうです。
技術もすべてフルセットで噛み合わさるように発展したと。
ぐわっと集まってきた。
これからもうほんと精進料理の勃興のところ日本料理の編成も併せて聞いていただきたいところですね。
そうねめちゃくちゃ宗教の話がブワーって単語が入ってます。
だいぶ思い出すのに持ってかれた。
リソース持って帰っちゃいましたね。
これね2回3回聞いていただくとその戻ってそっちのシリーズ聞くとより深まるかもしれないですけど。
なるべくこの回だけでわかるようにはしていくつもりですけどね。
ちょっと覚えてればその時のリンクを貼っておく。
ぜひぜひ。
どれかどれかちゃんと調べてね。
やってみてください。
でですねなんでこのめんどくさいところを僕がこんなに細々と話をしたかというとですね。
もともと蕎麦とか麦とかっていうのはあくまでも急行作物なんですよ。
で浦作は基本的に納税しなくていいよ課税対象外だよっていう慣習が昔からあるんですよ。
そうなんだ。
米が税金じゃないですか。
そうだね。
浦作っていうのはもう本当貴金対策のために作りなさいよっていうのは古代からずっとやってきたことなんで鎌倉時代も当然それが続いている。
で貴金があるとね。
あと自当とか国資とかその権力者はその分まで取ろうとするわけですよ。
だからそれを昔からやってねえんだから取んじゃねえぞっていう命令を鎌倉幕府が出したりしてるの。
田麦課税禁止令みたいなのを出してね。
田んぼの麦に課税するなよっていう命令を将軍が守護自当に出すわけですよ。
やんなよっていうくらい。
これはもともとあったのをルール化しただけなんですけどね。
なんだけどそこそこ技術力が上がってくるとですね、
硝煙がのほうが裕福になってくる。
そうですよね。
だんだん河瀬みたいなのが、河瀬って当時言ってましたけど物流が出てきて、
3歳1、6歳1って市場が出てきて経済活動が活発になってくると、
だんだん硝煙もそこそこ税に金持つようになるわけじゃないですか。
この物流とか市場の成立によって麦とか蕎麦ですね、
課税対象外のものが商品化していくんですよ。
商品作物の流れの中ですね。
記録によるとですね、1320年頃にはもうすでに蕎麦の売買がなされていたということがわかってます。
蕎麦も売り買いしてたんだね。
そうなんです。買う人がいるんですよ。
どうやって食べたか全然わかんないですけどね。
この頃に蕎麦っていう想像がね、ちょっと今までの話全然出てこないからね。
麺じゃなくてもうほんとただの蕎麦という脱穀前の原蕎麦かなんかだと思うんですけど。
そういうのがお米とかと並んで売り買いがされる、そういう状態になってますね。
そうこうしてるうちにね、この大松園を所有している寺院とか久芸あたりがね、
いや、蕎麦年古でどうでしょうっていうことになるわけですよ。
お米ではなくて。
臨済市で言うとね。
ああいったところで蕎麦が食べられ始めるようになってくる。
で、蕎麦だけじゃないですよ。
もともと麦もありますから。
だし、中国っていうのは蕎麦よりも麦をメインにする方が早いですから。
策米とかね。
雲丼とかね。
そういうのがあるんで、もともと。
中国も疲労ございますんで。
北の方は麦文化が発展してますからね。
粉食文化は長いわけですよ、向こうの方が。歴史が。
だから先にイシュウス文化持ってるんですけどね。
で、そこからやっぱり貿易を通して小麦文化みたいな、小麦料理文化みたいなのを仕入れてくるわけですよ。
その文化自体もね。
そう。そうすると今まで策米って言うと餅みたいなパンみたいなやつだったのが、これ麺いけんじゃねってなって、
三和そうめん的なそうめんになったりとか。
で、麺って言っても、麺の作り方って手でよるとかね。
ビローンて伸ばすとかいろいろあるじゃないですか。
あるね。
切れるようになる。
切れるようになる。
切る。伸ばして平たくしたのを包丁で切るってことができるようになる。
よくテレビで見るやつ?
そう。今はほとんど切ってるじゃないですか、蕎麦でもうどんでも。
切ってるね。
あれね、きれいに切るためにはそれなりの調理技術とですね、
あと鉄製の包丁というものが必要なんですよ。
大きいまな板とか大きい綿棒とか。
まあそうね、平らなやつね。
んなもん普通ないんだこの時代。
ないんだ。
その調理技術が発展した特定のジャルの中でしか使えない高級器具なんです、あれ。
へえ。
あれがうわーって一気に広がるのは室町幕府の終わり頃、戦国時代から江戸初期にかけて一気に庶民に広がっていって、
庶民全体に全部広がったなーっていうのは1700年くらいなんですよ。
あー、だいぶ後だね、まだ。
結構かかるんですよ、まだ。
一種類数もまだまだ全然広がってないから、集約されたところで切麦文化っていうのが出てくる。
麦麺の切るやつね、切麦っていうのはね。
これが1300年から1400年頃だろうと言われていて、記録に残ってるのと厚麦、冷麦、うんどんっていうのが出てくる。
うんどんっていうのはうどんだね。
厚麦っていうのは茹でて熱いうちに器に盛って汁つけて食べるやつ。
冷麦、よく聞きますね。
冷麦ね。
茹でた後、冷やして洗ってそれを器に盛って冷たまま食べるもの。
これが冷麦。
で、うどん、うんどん、当時はうんどんって書いてますけど。
あれ、どういう字だよ。
うんどん、うんどんって。
ワンタンみたいなやつを文字って新しく作った言葉らしいんですけどね、漢字的には。
すごい字だね。
このうんどんっていうのは切れ麦の中でも熱い汁の中に入れて食べる。
いわゆるかけうどんみたいなスタイルね。
こういう切れ麦にはこういう3パターンがありますよみたいなのが1300年代から1400年代、室町の初期から中期くらいにかけてもうすでに広がっていたと。
麦の方がグルテンあるからめんし作りやすいだよ。
そうね、つなぎがね、考えなくていいからね。
これを見てたのが、ずっと両方同時に並行してやってたのが、そばの葉っぱを和物にして食べるよとか、そば飯にして食べるよとか、そばかきにして食べるよっていうのと、
切れ麦の文化を両方とも抱えて持ってたのは大寺院とかね、ああいうところなんですよ。
ついに今までは急行作物だからそばっていうのは上流階級は食べてこなかったですあんまり。
ここでついに上流階級がそば食を開始します。
庶民は相変わらずそば飯とか、砕けちゃった部分はそばかきにするとか、保存してとっておくとかそんな感じで、
生産者側の食文化と税金として受け取って調理する上流階級文化っていうふうにそば文化が二分していくっていう感じなんですね。
これが室町ルネッサンス、食のルネッサンスみたいな。
室町ルネッサンス。
ここからだんだんそば切りに変わっていって、お寺をスタート地点としてそば屋へと行く流れが時そばまでの途中なんですよ。
次回のところでね、このあ、チラッとそば切り出てくるかもっていう予感をさせるところから一気にそば切りが誕生してその後の発展までいきますから。
バサッといきますよ。
どうですか今日は。ちょっとテンション上げめでいきますよ。前回暗かったっつって。
ちょっと上がってきたね。
ちょっとね。
まあでも何週かさしてる話がちょいちょい出てくるんだったね。過去の歴史の部分ね。
そのあたりはかなり前回っていうか前のシリーズとかどっかで聞いた時よりもやっぱりよくわかりやすいよね。
逆にちょっと覚えてる分どう突っ込んでいいかわかんなくなる。
なるほど。そばの回から聞き始めていただいてるリスナーさんがいらっしゃったら、これ聞き終わった後でいいのでお米の回とか日本酒の回とかお寿司とかその辺の日本料理の変遷に関わるようなところを合わせて聞いていただくとめちゃくちゃ解像度が一気に上がると思います。
そうね。AIでポッドキャストリッスンで検索するとAIがこのラジオの音源を文字起こししてタイトル順に並べてくれてるじゃん。
これもう一歩進化させてもらって単語と単語をWikipediaのようにポッドキャスト内でつないでくれると非常にうちのラジオは助かるけどこれ人力であったら僕死んじゃうんで。
今ちょっと危惧してるんですけど今日の回この日本の蕎麦文化誌パートワンズはこれを聞いたリスナーさんのうち何割かがやって忘れてるちょっともう一回あの辺聞き直そうって思ってる可能性がある。
ディスコートで配信してますけど4名の方がねのうち何人がそれを思っているんだろうかと思いながら。
覚えてる方はねああはいはいみたいな感じでしょうけどね。
むしろあのこの回で出てたよってしっかり覚えてたら後でこうこそっと教えてほしいですね。
そうですね。
後でこう概要欄に貼るときにね僕全部探さなきゃいけなくなるんでね。
喋った僕もどこで喋ったか忘れてますからね。
聞いた記憶あるよ。あるよもちろん編集してるから。単語は覚えとるし流れも聞いた。
どこって言われるとうーんなんとなく検討はあるけど多分3、4箇所探さんといかんかなって感じではある。初期ちゃんとメモってないしその概要欄にですね。
覚えてる方がいたら教えてください。
はい。
そしてあのちょっとわかりにくいからもうちょっと解説してくれよっていう方いらっしゃったらまたコメントなりメッセージなりしてください。話数伸びます。
伸びるんだね。
でしょうね。
ああどっかで差し込んでいこうかね。
そうですね。
はいということで今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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