1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #187 (s21-11)【蕎麦切りの広..
2023-08-09 40:48

#187 (s21-11)【蕎麦切りの広がり】お寺と蕎麦とけんどんぶり(どんぶり?)

  1. 寺と蕎麦切り
  2. 初期の蕎麦切り商売
  3. 媗鈍、見鈍、慳貪、倹飩、けんどん
  4. けんどんぶり


【キーワード】

定勝寺 / 京都 相国寺 / 大阪砂場 津国屋、いづみや/ つっけんどん /   寛文年間 / 明暦の大火 / 江戸鹿子(1687年) / 見鈍屋 / 見鈍提重 / 食見鈍 / 媗鈍女郎 / 兼丼(けんどんぶり)/ 丼の語源


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サマリー

今回のエピソードでは、蕎麦切りの広がりについて論じられています。上昇寺は長野県にあり、初めて蕎麦切りという言葉が登場するお寺であり、その後、大阪でも蕎麦切りが商売として展開されました。また、蕎麦屋の起源についても言及されています。蕎麦切りの広がりに関しては、日常の食事としての蕎麦切りのマナーや商品化の歴史、明暦の大火の復興時における需要が蕎麦切りの文化を形成したこと、そして漢文連観や江戸のケチな文化から生まれた「けんどん」という呼び方について話されています。剣道から剣どんぶりへとなり、更にどんぶりの意味が変わり、井の字のドンから派生して深い意味を指すようになりました。 「蕎麦切りの広がり」お寺と蕎麦とけんどんぶり(どんぶり?)」のエピソードでは、そばの文化の広がりのルートとして、江戸の初期にお一人様文化が広まり、それがきっかけとなってけんどんそばや二八そば、時そばの世界につながっていったことが話されています。

初期の蕎麦切り
たべものラジオ。
掛茶料理むとう、むとうたくろーです。
むとうたろうです。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、
食べ物の知られざる世界を、
ちょっと変わった視点から学んでいく
ラジオ番組です。
はい、ということで今回は早速ね、
本編いきましょう。
そう。
噛んじゃった。噛んじゃったよ。
はい、今回は早速
本編いきますか。はい。
はい、では前回からの続きです。
で、今回は、はい。
蕎麦切りの広がり。
蕎麦切りの広がり。はい。とうとう、
麺の蕎麦が出ていきますと。
長かったね。はい。で、前回のところで、
急行作物から始まって、
で、蕎麦がだんだん
広がっていって、
で、生産者側で
食べられる蕎麦の文化と、
有感階級というかね、上流階級が、
蕎麦を
加工する技術をもって、
新たな蕎麦文化を作り出していくという、
出発点のようなところまで話をしました。
はい。で、
ここでお断りをしとかなきゃいけないのが、
本によって、蕎麦切りの
出発点を
長野と断定している本もあります。
ほう。で、
一方で、京都を中心とした
自社物学系からですね、
そういったところからっていう論も
あります。で、僕は
後者を採用していて、なおかつ
牧竜の解釈を加えて
解説をしていますので、
他の説を確認したい方は、
書籍を見ていただくのが良いかと思います。
はい。
ということですね、今回は、
最初の舞台は長野ですね。
長野。
というのもですね、長野県にある
上昇寺というお寺、
ここにある書物が、
文献上、
一番最初の蕎麦切りという
文言があるんですね。
ほう、そうなんだ。
上昇寺というのはね、長野県
木曽郡大久和村にある
お寺だそうです。
かなり大きいお寺みたいですね。
そうなんだ。
ちなみにこれも臨済集なんですけど、
臨済集。
1574年に
建物の修復工事を
行っています。
それが完成したので、修復工事の時に
大工たちにね、
振る舞いとして蕎麦切りを
振る舞ったと。
そういう記録が残っていると。
転生2年のことですね。
転生2年。
織田信長がまだ元気な頃です。
ああ、そういう時代ね。
そういう時代ですね。
これが一番最初の文献なんで、蕎麦の
名産地でもある長野が
蕎麦切りの発祥だろうという説がある
という話ですね。
これはですね、僕がそうじゃなくて、
実は京都とかそっちの方が先なんじゃ
ねえかなって僕は思ってるんです。
その理由っていうのが、
1500年代の中頃ですね、
京都の
大きなお寺がいくつかあるんですね。
そのうちの一つの小黒寺の
達中ってわかります?
達中?
小寺みたいなやつが同じ
土地の中にあるんですよ。
ちっちゃいのがね。
その六縁院っていうのがあるんですけど、
そこの日記
みたいなのが残っていて、
そこに蕎麦と
お酒のことを歌った
漢詩があったりとか、
蕎麦粉を象頭用に
送ったとか、
お時の席で
蕎麦の葉っぱの和物を食べたとか、
そういうのがね、
記録に残ってるんですよ。
そうなんだ。
これって時代的に上昇時で
蕎麦切りが振る舞われるよりも
もうちょっと前の話なんですね。
本当数十年ですけど。
こういうことを考えるとですね、
どっちも同じ宗派だし、
当然京都五山の方が
格上なわけですから、
宗教寺としてあったりするわけなんで、
そういうところから蕎麦文化というのが
水平展開されてたんじゃないかな
っていうふうに考えるのが自然だと
僕は思ってます。
前回の復習になっちゃいますけど、
食文化とか貿易とか
政治力っていうのを背景にして、
晴れの精進料理として
麺料理というのがお寺に広まったんじゃないかな
っていうふうに考えているわけですよ。
もう言っちゃいましたけど、
要因はね、
福祉とかね、石薄の文化が
中国の北宗からやってきたよ
とか武家勢力との
つながりがあってパワーがあったよみたいなそんな話ですね。
包丁とか
そういった器具もあったし、
技術もあったよねっていうそういう話ですね。
まあやっぱお寺って
すごいんだね。
食文化において。
特にね、精進料理っていうなんでしょうね、
曹洞宗、道元禅師の
やった天造教訓みたいなね。
食にまつわる
作業も全部修行であるみたいな。
ああいう観念が出てくると
もう食がめちゃくちゃ発展するんですよ。
そういうことだよね。
そこに食材もあればお金もあれば
人もいれば技術もあればみたいな。
そんな感じなんで。
まあ頭いいんだよね。
まあそれもありますね。
文字読めるし。
ずっと文字読んでるし。
そうね、中国に渡ったりね。
そういうことなんですよ。
おそらくこういうところから発信してったんだろうな
っていうところで
今でも寺方蕎麦なんて言い方しますけど
お寺を軸にした
蕎麦文化っていうのは
各地に残ってますね。
そうなんですよ。
今でも東京の各地に
そういうお寺で振る舞われた
蕎麦の名残みたいなのがありますね。
で、これが庶民に降りていって
商売に変わっていきます。
で、一応ね、文献上
これが一番最初だと言われているのが
大阪なんですよ。
大阪。
1584年に
大阪砂場の
砂場蕎麦ってよく言われるんですけど
店の矢号でいくと
つの国屋とか泉屋っていうのが
当時あって
そこが蕎麦屋の一番最初だ
っていうふうに言われてるんですね。
へえ、そうなんだ。
ただですね、この論拠となってる文献っていうのが
これ2000年袖かがみ
っていう書物があるんですけどね
そこの本の中に
1258年転生12年に
こういうお店があったよって
書いてあるんですけど、この2000年
袖かがみという本が
刊行されたのが1843年
なんですよ。
1843年。
江戸の終わり頃なんですね。
そうね、さっきの1584年からしたら
だいぶ新しいよね。
300年近くあと250年くらいかな。
軽く経ってるんで
どこまで信じていいか
よくわかんないみたいな。
どこまで信じていいっていうの?
本当にその時代から
大阪すなばに蕎麦屋があったのかどうかは
信憑性としてはどうなんだろうね
って感じ。
300年前のことってことか。
書いてるのが。
わかんないじゃないですか。
ちなみにこの大阪すなばの
すなば蕎麦っていうのが
江戸に飛んですなば蕎麦っていう
ブランドを持ってたりするんですけどね。
そうなんだ。
そういうのもあるからこの辺だろうねって
言われてるだけですね。
ともかく
初期の頃の
蕎麦切りを商売としてやってる
人たち。
蕎麦切りの商業化
たぶんすなば蕎麦もそうなんですけど
蕎麦専門店じゃないんですよ。
専門店ではない。
今だったら蕎麦屋って言ったら蕎麦
じゃないですか。
たぶんね
蕎麦屋とかじゃなくて麺屋
ですよ。
麺類扱ってる店みたいな感じ。
っていうのも江戸初期
になるんですけど
江戸だろうと大阪だろうと京都だろうと
麺屋というのが
出てくるんですよ。
そこには看板があって
切麦うどん蕎麦切り
って書いてあったりする。
うどんとかも入ってんだ。
感覚的にはうどん屋さんで
蕎麦も扱い始めましたよみたいな感じ。
っていうのも蕎麦よりも
うどんとか切麦の方が
歴史ちょっと古いんで
200年くらい古いじゃないですか。
200年か。
前回の話だと
1300年代の中頃から1400年
くらいにはあっただろうって言われてるんですよね。
って考えると
200年はいつかな100年くらいは
ちょっと早めに小麦
を使った麺類。
うどん粉ですよね。
うどん粉って名前にあるようにそういうものが
先にあったと考えられてます。
そうなんだ。
だと考えると
麺を作りやすいグリテンを持った小麦粉の麺
麦麺の方が
先に出てきた方が自然じゃないですか。
考え方として。
作りやすさ的にね。
だとすると麺屋が出てきて
うどん屋とか切麦屋
みたいのがあってそこで
蕎麦も麺にできるよねってなったら
蕎麦も扱うようになったっていう
バリエーションの一個だったって考えた方が
自然かな。
粉がね、粉物が2つ
並んでればさすがに
やりやすい方からやるのがね
普通だよね。
そうなんですよね。
この頃の麺屋さんっていうのは
完全に晴れ食の専門店
みたいな感じで。
晴れ食の専門店。
晴れの日の食事。前回も
お話出ましたけど粉食って
粉食って完全に晴れの文化なんですよね。
手間がかかる。
日本においてはですけど。
ちょっと手間がかかる。
で、これ晴れ食っていう、僕今ちょっとまとめちゃいましたけど
晴れの食っていうのをザクッと
どんな特徴があるかっていうとですね
一つには手間がかかる。
餅とか豆腐とかですね。
そうね。
あと食材がそもそも特別である。
なかなか手に入らないですね。
アワビだとかさ。
タイとかね。
慣れ寿司なんかも
それに入るのかな。
あとは特別な道具が
必要になる。
まさにここで言うところだと
回転式のイシウスですよね。
こういったものは特別な
道具ですね。
あと特別な技術。
面を打つ技術とかね。
確かに難易度は高そうだね。
調理技術が必要だとか。
こういうのは家庭でなかなか
やろうと思ったらできないことはないかもしれないけど
かなり厳しい。
知識がない前提で
いってそこまでたどり着くかといえば
かなり難しいと思う。
そうなんですよね。
普段はなかなか食べられないから晴れの時だけ
食べるわけじゃないですか。
これを商売にすると
専門化してますから。
特化してる分だけリソース集約できるんで
いつでも食べられる。
これが商売になる。
晴れ食が商品化するっていうのがあるんですね。
これ今の飲食店もそうですよね。
晴れ食を
取り扱う解析料理屋みたいな
うちみたいなところもあれば
いわゆる日常のものを
代行屋さんとしてやる
料理屋さんってあるわけじゃないですか。
家庭料理を普通に出しますよって
特別なことしませんっていう。
その2つのルートのうちの晴れ食側が
メン屋として登場した
というふうに捉えられます。
ちなみにまだ
晴れ食の特徴と商品化
開店式のイシウスというものが
庶民にまで
広がっていくのは1700年頃なんで
もうちょっと後なんですよ。
1700年までいくんだ。
これイシウスの
普及の歴史ってのをちょっと調べたんで
面白いから
サポーター限定で
どっかで話そうかな。
イシウスね。ちゃんと覚えとこう。
戦国のこととかも出てくるんで
ちょっと面白かったんでね。いずれやりますよ。
とにかくね
この晴れ食が
商品化したっていうところを
これはポイントなんですよ。
これはね、さっきも
上昇寺のお寺の
お話をした時に
大蔵に蕎麦切りを振る舞ったって
書かれてるじゃないですか。
晴れ食だから振る舞いなんですね。
そういうね。
おもてなしなんですよ。
わざわざ文章に記録するほどの
特別な食事なんですよ。
お米とか書いてないんですもん。
漬物とか。
蕎麦切りの振る舞いと商品化
日常食だからね。
そう日常食だから書かれてない。あったとしても書かれてない。
わざわざ蕎麦切りだけは書いてあるっていうぐらい
特別なものなんですね。
だから商品化する時に
振る舞いの作法ごとパッケージで
商品化されていくんですよ。
パッケージっていうか振る舞いがね。
そう。だから
初期の蕎麦切りの
販売方法っていうのは
一人で入ろうが、3人で入ろうが
大皿盛りで複数人分
持ってあるのが当たり前なんですよ。
おー。
わかります?
ジャガイセキとかね。不茶料理みたいな
あんな感じよ。
商品の振る舞いっていうと
そうだよね。大皿に盛り込む
みたいなのがあったよね。
ありますよね。これは西洋料理でもそうだけど
邸主、主人が
給仕をするわけですよ。
取り分けをする。西洋料理だったら
肉を切って分けるのは
主の役目みたいなのがありますよね。
そういう礼儀作法
というか作法が
この麺屋にあったらしくて
入ったら
お客さんなのに蕎麦くらい
入っちまえじゃないんだよ。
いきなり振る舞いの
作法から始まるから、主人に対して
本日はよろしくお願いします。
わかりました。
取り分けとかもやってくれる。
現代の
目線からいくとだいぶ
変わった店に見えるね。
蕎麦切りからけんどんへの変遷
だけどね、例えば
家族でね、自宅で
そうめんでもそばでもやったとするじゃないですか。
下手すると
ボウルにざる入れたまんまだったりとか
大きい器にザバッと
麺が入っていて、そこからみんなで
取り分けで食べますよね。
あれって振る舞いの名残って言われてるんですよ。
ああそうなんだ。
これが振る舞いの形になって
いったのが、例えば
山形とかに残ってるのかな、板そば
っていう文化ね。
単純に板そばっていうのは板の上に
乗っかってるから板そばなんですけど、雑に言うと
雑だね。
新潟だったらヘギそばとかって文化ありますけどね。
あれは1人前じゃないんですよ。
3人分とか持ってあるんですよ。
ああそうなんだ。
これをみんなで食べるっていうのが
振る舞いの原型なんですね。
教職の文化ですよね。
日本食のあたりであったね。
あと有名なのがわんこそばね。
ああわんこそば。
これもそば振る舞いの延長にあって
おかわりがどんどん出てくるわけじゃないですか。
当時のそば屋さんってのは
おかわり普通に出てくるんですよ、当たり前のように。
へえ。
そうなんですよ。ただちょっと高いの。
まあ食べ放題みたいなもんね。
うん食べ放題みたいなもん。振る舞いだから。
振る舞い丸ごと
パッケージングしてるんで
何回か前にお話しましたけど
もともとに2八そばが
出てくる前って
1杯6問とかだったよねって話したじゃないですか。
あああああああああ。
そういう時代の
金銭価格の時代に
銀50問目だから
33問くらいかな。
33問5倍?
5倍とか6倍とか つくらいの金額で蕎麦を食べる
これが江戸初期です
江戸初期はまだそういうパッケージとして売ってたんだ
そうなんですよ
でねこれがこの後にひっくり返る
ひっくり返る
もうねあっという間にこの振る舞い文化が消し飛ぶんですよ
へえ消し飛んじゃうの
そう誰が始めたかってのね文献書残ってるんですよ
残ってるんだけど信憑性ないんでそれはもう割愛しました
ああそうなんだ
健斗蕎麦っていうのが出てくるんですよ
けんどんの語源と関連文化
健斗蕎麦
先に健斗蕎麦というものがどういったものかを先に言っておきますね
いっぱいずつ盛り切り
給仕もおかわりもない
普通の今の蕎麦だね
そう今の定食屋さんとか蕎麦屋さんとか
どんぶり物屋さんとかで当たり前じゃないですかこれ
これね外食においてる一人前だけを提供するっていう元祖がこれなんです
そうなんだ
そうなんですよそれまでほら振る舞いだから
うわーって出てきてお借り自由でその借りちょっと高いよみたいな文化から
もう全部お一人様状になるわけですよ
で振る舞いもてなしからもう単一の商品化っていう商品経済みたいになってくわけですね
これが一気に流行したのが漢文連観と言われてて1660年代ぐらいだって言われてるんですよ
漢文連観1660年
ぐらいのことだろうっていうふうに言われてるんですね
これ何が原因でこんなことが起きたかっていうとこの約10年前1651年
明暦の大火があるんですよ
明暦の大火
江戸期始まって一番最初の大火ですよ
江戸中が火に包まれて江戸城天守閣も焼け落ちて
これ何回か前に出てきた星名正之がねここでビンマンを振るって
江戸の復興に尽力したみたいなあれですよ
あああったね
この時に日本全国から職人さんたちがわーって集まって
一人暮らしの男性がくそほど増えるんですね
あああったねその時代ね
それがまさに明暦の大火の後の復興期なんですよ
ああそうなんだ
そうだね上流階級でもない庶民でしかも農家の家を継げなかった次男坊とかね
職人の弟子だけど一人立ちして江戸で一旗あげてやるぜみたいな人たちが
わーっと集まってくるじゃないですか
どんどん出せみたいな一人前じゃんってそんなまともな仕事やってんじゃねえみたいな話になるわけですよ
まあそうね確かに復興期に作法もくそもないというか
もう一人前っつ出してくんないと困るんですよ
まあ復興に追われてますからね
でお金もあるわけじゃないし
そうだね
勇者なこと言ってらんないとということで一杯盛り切りそばっていうのが出てきて
これが盛りそばの語源なんですよ
ああそうなんだ
だからどっかでもうすでに話しましたけど
ざるそばと盛りそばを別物のように話してますけど
盛りそばっていうのは言葉の意味からすると
このけんどんそば一人前ずつ盛り切りだよっていうのが盛りそばって意味なんですよ
ああそういう意味ね
かけそばも盛りそば天ぷらそばも盛りそば
ちょっとバグりそうだけどさ
まあ一人前という意味で使うのだったらそういうことね
そういうことですよ
で一応ねこのけんどんという言葉の語源とかね
あと表記売れとかがいっぱいあって面白いんですけど
漢字で書くと全部で文献上見られるのは4種類
4種類
でパソコンでけんどんって打って変換できるのは2つかな
ああそうなんだ
このけんどんっていうのが2つあって
最終的によく使われるようになったのは
けんやくのけんにうどんのどんっていうね
ほー
うん字を書く方当の等の字でもあるんだけど
これがよく使われるようになる
でもう一つで変換されるのが
なんかねけちでどんよくなっていう意味のけんどんが出てくるんですよ
ああまあどちらにせよ割とけんやく系の節約的なイメージなんだね
そうえっとねどんよくなっていう字が使われてる方のけんどんはね
そのままここ時点で引くとけちで欲深く無慈悲
思いやりがなく不愛想
まんまだね って書いてある
ああ だからそれまでほら
天守がね給仕をしてくれておかわりも出してくれたわけじゃないですか
そういう愛想はないよっていう感じでしょうね
ああ表現の意味としてはね
ちなみにこれがつっけんどんと同じ意味ですね
つっけんどんって言うじゃないですか
あいつは愛想がなくてつっけんどんのやつだ
つっけんどん あそこ知らないか
わかんない そういう言葉あるんですよ
つんけんしてるみたいな
つんけんしてるっていうか
ぶっきらぼうとか愛想がない
あんまり丁寧じゃないみたいな
つっけんどんってことはあるんだな
ちょっと冷淡でね
つっけんどんって言葉があるんですよ
これジェネレーションギャップかな
俺昭和生まれで別に普通に聞いてたけどな
そうね
俺あんま読まないからね
ああそうか
平成生まれですし一応
平成生まれですからね
日常会話でよく使われてた気がするんだけどな
ちょっと記憶にないかな
まあ一説によるとね
このケチで不愛想だとか
思いやりがないっていうところから
けんどんそばと呼ばれたっていう説があります
一つはね
もう一つはこれまた出た
誘惑から来るっていう説ね
誘惑からここまで来るの
はいけんどんのけんの字が
けんかのけんの
へんが口へんなんですけどけんかのけんの字はね
女へんでにかえて
けんって読むんですよ
かまびすしいっていうものですけどね
かまびすしい
まあまあ騒がしいとかねやかましいとかそういった意味ですよ
ああそうなんだ
でどんの字はにぶいっていう字ね
かまびすしくしてにぶいっていう
うるさいわりににぶいぞっていう意味なんですよ
めっちゃめんどくさい人だね
うんこれはねけんどんじょろう
というのが江戸期にいたそうです
へえ
これはね吉原とかねああいうところの
誘惑において
あげに呼べるジョロウさんっていうのは
一番格上が太夫
で次が孔子っていう人がいて
でその次の下のランクに
ツボネジョロウっていうのがあるんですね
はいはいはい
でここまでのランクはあげ屋に呼び出して
遊ぶことができますよっていうことになってですね
ああそうなんだ
これのさらに一つ下のランク
それ以外の最下級がけんどんじょろう
へえけんどんじょろう
はい
これはねもともとけんどんそばから来てるんじゃないか
っていう人とけんどんじょろうが
先でけんどんそばになったんじゃないかっていう説と
両方あるんですけど
けんどんじょろうはかまびすしくして
ツボネジョロウよりはるかに
おとりにぶく見える
逆引きの声がかまびすしい
そして格安である
逆引きの声がね
はい
あいそばですよってそばーって打っていて
しかも格安で打ってると
だいぶなんか表現としては
悪口に聞こえてる
だけどほらよだかそばとか言っちゃってるからさ
確かにね
その辺のつながりもあったのかなーっていう推測はありますけどね
はいはいはい
これ1687年に
江戸貨の子というね
江戸の街のことを描写した
今で言うガイドブックみたいなやつかな
ハイジンの
気候化線量という人が書いてるんですけど
けんどん屋
っていうのは違う漢字でけんどん屋ってのが書いてあって
けんどん屋とは
うどんそばを格安で
モリキーで売る店のことだと
けんどん屋というふうに
説明をしています
これと並びの項目でねけんどんさげじゅう
っていうのが書いてあってですね
けんどんさげじゅう
はいさげじゅうっていうのはこれ略語で
さげじゅうばこの意味ですね
さげじゅうばこ
さげっていうのは手下げの下げですよ
あーはいはいはい
重箱の手下げですよ言ってみたら
出前です
あ出前ねはいはいはい
これ後にけんどんばこつって
昭和までけんどんばこって呼ばれてるんですよ
あそんな最近まで
出前箱のことけんどんって呼ぶんですよ
へーそうなの
そうなんですよ
今でも古いところだと使ってる人いるらしいですよね
あそうなんだ
そういう出前のパターンもあるよ
っていうのが書いてあります
でもう一つ並びであるのが食けんどん
食けんどん
これはね麺じゃなくて食い物のけんどん
なんですよ
食い物のけんどん
あー確かにけんどん
あれけんどんがそばと
結びついてるね
もともとねそういういっぱい盛り切りのそばで
おかわりもなくてバイソンだけど
安いよっていうので売り出したじゃないですか
それいいね
みんなおひとりさましようにしたら便利じゃん
剣道から剣どんぶり
ってことになって大流行しちゃうんですよ
だから飯はもうけんどん飯
みたいなことやりだすんですよ
ややこしいなけんどん
そば飯みたいなこと言ってるもんね
けんどんそばだからそば取って
けんどん飯とか食けんどんとか言って
一前飯屋っていうのやるんですよ
今の定食ですよ
一人前盛り切りおかわりなし
おかわりは別料金ですおかわり安いですよ
っていう食けんどんっていうのが出てくる
これらの
食けんどんとか
けんどんそばけんどんうどんに
ちょうどいい器とか
パッケージがだんだんなされていくわけですよ
弁当箱もそうなっていくし
器も変わっていくそれまでの
そばっていうのは大平湾っていうね
平たく口の広がった
大きいお椀ですよ言ったら
ここに一人前持ったりとかもしたかもしれないけど
基本的に二人前三人前入ってる
ボールみたいなやつですよ
そういうのだったのが
だんだんと小型化されて
片手で持ってるようなものになっていくんですね
これがどんぶりなんです
ああ
どんってそっちから来てんだ
そうでこれどんぶりの語源は
けんどんぶりなんです元が
でぶりって
なんだって話じゃないですか
ぶりっていうのは形とか
傘を表す語なんですよね
へえ
例えば男ぶりがいいね
とか
大ぶりな器だねとか
ちょっとこれは小ぶりでかわいいね
みたいなののぶりですよ
ああそっちのぶりなんだ
だからけんどんぶりっていうのはけんどんに
ぴったりのサイズ感だよねみたいな感じ
ああそういう表現
なんだかしんないけどけんが取れちゃって
これだけ残っちゃったんだよね
まあけんどんぶりでちょっと言いづらいもんね
どんぶりになっちゃって
で実はここのけんどんそば
けんどんうどん
けんどん屋の出現が
めちゃくちゃ影響が大きくて
今ね不愛想になった
わけですよ
言葉を悪く言えばつまり
天主との距離が離れましたよね
出したら出したでもうあと勝手に
してくださいって話じゃないですか
左方をうるさく言わないんですよね
だからそばを汁につけて
一個一個食べてるのがめんどくせえ
って言う時にぶっかけができるんです
その後にね
だってさ天主が目の前で救治してくれていてさ
礼儀作法を守ってやってる時にさ
めんどくせえなってそばをぶっかけ
しまうからできない
これはねちょっと怒られるやつだね
もしかしたらもうやった人いるかもしれないけど
僕の感覚ではいやこれはどんぶり
けんどん以降だろうなと思うんですよね
そうだね
これでぶっかけ始める
器もさ
ぶりっていうちょっと大ぶりな
しかもおひらわんからくるね
どんみたいな
ちょっと液を入れても大丈夫そうな器だから
これかけても
いけるって思う人はいるかもね
いるかもしれないですね
ぶっかけそばが出てきますよ
そしたらさ元々うどんっていうのは
熱い汁に入れて食べるものだったわけじゃないですか
前回お話ししましたけど
似てねって話になるわけですよ
じゃあちょっと伸びたり
ボソボソになっちゃうかもしれないけど
あったかいそばいけんじゃねっていう話になるわけですね
自然な発想で
ということで
これをきっかけにだんだんと麺が
伸びにくくバラバラになりにくく
つるっとするように
進化し始めるんですよ
これうどんみたいにいけるじゃん
っていう気づきですよね
つなぎを入れてこういうふうにして
ああいうふうにしたら今のそばのように
つるつるっとたぐれるようになる
というのは説によって違いますけど
僕の感覚ではこれどんぶりの発想から
ぶっかけが出てきて
ぶっかけからかけそばのあったかいやつに
いくっていう方が流れとしては自然な気がしますね
確かに
今までの流れで聞いていくとね
そっちの方が自然に聞こえるけど
切り取って聞くと
見ると
ぶっかけの方が後な気がするよね
普通に考えたら
お湯というかあったかい
汁に張ったところに入れる方が
先に来そうだけどさ
これ麺が細いねって話のときに
言いましたけど初期の
とわりそばきこうちそば
あったかい汁に入れるとねバラバラになっちゃうんですよ
ああはいはい
あったねその話 茹だっちゃうからしょうがねえから
短くして蒸したわけじゃないですか
それをあったかい汁に入れる
っていうのは本末戦闘なわけです
確かに持ってく間にバラバラになっちゃう
でもぶっかけが出てきたことによって
これはやっぱり
こっちの方がっていうね
そういう江戸っ子的な
めんどくさがりが出てきて
で楽ちんなんですよ器が
一個で済むから 確かにね
あれはぶっかけの状態で
持っていって最後に
こうあったかいのがいいよって
言った人にお湯をかけるみたいな
そういうのもあったかもわかんないですよ ちょっとあっためてくれよやっぱり
あったかいのがいいやん冬場
なんだかんだ
じゃあお湯入れてくれよって言ったらぶっかけにお湯入れるだけで
本当だかけそばになるわ 目の前で
お湯だけ別に持っていって
最後にこうバサッと
いいねそれあったかもね
入れてすぐ食べればバラバラにはならんやん
っていう
なんかちょっと今思った
実際それあったっぽいななんか想像だけど
あったとしても不思議のない
方法やね
うちやるじゃんそばさ
茹で置きしとくじゃん
どんぶりの語源と発展
みんなが食べれるタイミングバラバラだから
氷でしめて一回置いとくけど
温めるときに一回お湯に
こうつけてさ
温めてさらにあったかいやつに
もう一回入れてさ食べるじゃん
あんな感じかなと思った
それありえますね
確かに
ナイス気づきだわ
うちのよくある
呼吸を思い出したよ
うちやってると思って
これで器が一個になったのって
結構大きい発展で
器が一個になると
屋台で出せるようになるんだよね
当時の屋台っていうのは
器を置く場所がない
左手で持ってるずっと持ってるわけじゃないですか
だからぶっかけ以外に
食べようがないですよ基本的に
これが
揃ったことではいこれで
屋台文化に行く
土台できましたよねみたいな感じ
実際に
この乾文年間
ですよね剣道が出てきた
辺りから夜泣きそば
夜そばとか屋台そばがパラパラと出始める
そういう時代
そうね確かに片手で食べれないと
外ではちょっと難しいよね
あの茶宝とか言ってる時代の
からしたら
これにてですよ
そば切りが
ついに振る舞いでも
なければ晴れの食でもなくなったんです
分かります
この違い
さっきの前半の
1574年のそば振る舞いから
わずか100年間
わずかではないか
100年間の間に
晴れ食事はなくなっちゃったんです
なくなったね綺麗に
これが二八になるんです
ここから二八だね確かに
ここから二八に行って
二八そばっていう名称が出てきたもんだから
剣道という言葉が
消えてなくなるんです
で忘れられて江戸末期
定森満孝なんかになってくると
剣道ってなんだっけみたいな時代になるんです
古すぎてね
そうもう100年くらい軽くなっちゃうんで
なんで150年前のこと
よくわかんねーなー
剣道って確か今はその
出前の入れ物ぐらいにしか
名前残ってないけど昔こうだったらしいよ
っていうのが書いてある
江戸末期でそれ
それが江戸末期なんだ
明治大正になったらもっとわかんねーみたいな
ということで現代で残っている
深いものを指すどんぶり
剣道という言葉は
剣道と出前の入れ物ね
の剣道と
あとどんぶりに残ってるだけ
ギリ残ったね
ギリ残ったちなみにおまけで
せっかく調べたんで
言わなくてもいいんだけど
どんぶりという文字についてね
どんぶりの文字
井戸の井の字に真ん中てーんって
打ってあるじゃないですかあれなんでどんぶりって
呼んでんだろうねっていう話
であれこないだスーパーで見かけて
笑っちゃったんですけどあのどんぶりという
文字の後に送り仮名でひらがなで
ぶーりって書いてあったんですよ
いやいやどんぶりぶりやけど
遅れてねえ
遅れてない一文字で完結なのに
余分なひらがなつけちゃったみたいな
まあわからんでもないけど
気持ちは
どんって読めるからね
ちなみにどんって
あの字をどんって読むようになったら
ほんとごく最近
へえそうなんだ ごく近年です
最近は検索しても
辞書でもどんっていうのが
ちっちゃく読みとして乗るようになりましたけど
僕らが
子供の頃とかね
あれどんぶりですから
一時でどんぶりなんで
どんって読むのは俗語というか
通称みたいな言い方で
正しくは間違ってるよねそれ
うなぎどんぶり
であって略してうなどんなわけで
あれはどんぶり
なんですね
まあ確かにうなどん的に略して
読んでたらいいですねどんぶりという字が
どんになっちゃったのはわからんでもない
あれもともと点が打ってあるのが
井戸の意味なんですよね
語源的には
あの点なんだっていうと井戸の中の水を
表現してたらしいんです
そのうちに枠の部分だけでも井戸だよね
ってことになって
中の点が取れてそっちが当たり前になったんですよ
そしたらその点が入ってるやつは
井戸の中に物を落とす
音っていう意味を持ち始めたらしいんです
これはね日本じゃなくてもう中国大陸で
そうなったらしい
でこれはね
語音とか漢音といういわゆる音読みですね
で中国でも
トンとかタンっていう
読み方をしてるらしいんですよ
でこれは日本に入ってきて
江戸っ子の洒落でね
いや井戸に物を落としたら
トンとかタンとかねえよなと
普通に
井戸の中に物を放り込んだら
ツルルポトンと落としてみれば
ドブンっていうだろうって
ドブンというのはどんぶりだよな
っていう洒落でね
はあ
剣どんぶりだから元が
それが略してどんぶりになったわけじゃないですか
これに該当する
文字がないんですよめんどくさいんですよ書くのが
確かに
あらドブンだよなどんぶりだよなって
これ当てとけみたいな感じで
当て字で始まった文字らしい
当て字まさかの
でこれでずっとどんぶりどんぶりどんぶりってきたのに
平成になった頃から
なんかどんって呼んでるからどんでもいいんじゃねみたいな
ああもう井戸の井の原型もないね
何にもない
ねえ
ちなみにどんぶり感情は
この井戸のいの字を使った
どんぶりとも剣どんぶりとも全く
関係のないどんぶりですから
微妙に関係あるっちゃうのかな
あの
あっちのどんぶりはですね
器のどんぶりとか井戸のいの字の方から
発展していってですね
深いもの深い器とかのこと
どんぶりっていうふうに拡大解釈したんですよ
だいぶ変わったね
深いものがどんぶりでいいんじゃね
ってなった結果
前掛けについてるでっかいポケットね
すげえ深いじゃないですかあれ
どんぶりになっちゃったですあれが
器でもなんでもないけど
今ないけどさざえさんみたいな
世界観でさ
八百屋さんとか行くじゃないですか
大根があるちょうだい
江戸のそば文化の広がり
これだこれだいくらねみたいなこと言うじゃないですか
あいよーこれおまけねーつって
ちょっと待ってよ釣り出すからつってどんぶりに手突っ込んで
ガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャ
100万円みたいなことやってるわけですよ
ポケットの中で手探りで勘定するから
ざっくりしてるんでどんぶり勘定
っていうね
ほんと剣どんぶり関係ない
どうでもいいチップだけど
ほんとに全然かけなかったねびっくりするぐらい
ちょっと余白余ったから埋めてみた
あの台本のね
そうそうそう
だいぶ違う話でしたね
ちなみにつむぎさんがね
突っ込んどん言いますよね
言いますよねほら言うじゃないですか
1の
母数増えただけ
Nイコル2になりましたよ
3分の2だけど
両親もわかるし祖父母もわかるんで
今のところ
タクが少数派ですよ僕の中で
ああそうね
この後はもう皆さんに
言われますけど
まあまあとりあえず
今日の総括をすると
晴れの食事として始まって
振る舞いになりました振る舞いごと
パッケージ化されましたというところから
職人文化
一人暮らし文化
現代に言うとお一人そま文化が
江戸の初期に出てきました
これによってけんどん
そばというのが出てきた
これをルーツにして
二八そばの文化になり
最終的に時そばの世界に
つながっていく
という話ですね
これが
そばきりの広がりのルートの
一つ
要は低価格帯向きのやつね
ああ低価格帯ね
はいだからこれ
今日の話は全部うちみせですよ
お店持ってる方の世界ね
ああはいはい
こっから屋台にいくんでさらに低価格化していくわけですよ
まあこっからさらにか
でこのお店を持ってるところもさらに
分化されていきます
波と質が悪くて
大盛りで安いみたいなところが出てきて
で波の上に
名店と呼ばれる
上級なそばっていうのが出てくるんですね
ほう
こういう風に分かれていく
っていうのもこの
けんどんそばが出てきて
これが最初に江戸で
そばが広まるきっかけになった
まあこの時点はまだうどん屋の方が多いんだけど
こういうのが出てきて当たり前になって
二八そばになっていくじゃないですか
だから武士階級ってのはそば食わなかったんですよ
途中まで
ああそうなんだ
その後上級の質の高い
名店そばっていうのが出てくることによって
武士階級
旗元とかね
ああいう人たちが食べ始めるんですよ
それをフックにして後々
お殿様とかの食卓にそばが
上がるようになっていくんです
へえお殿様まで
これ先に流れだけ言っておきますよ
お寺という超ハイソな上流階級の
文化人から
振る舞いとして出てくるじゃないですか
一回降りてってお一人様になりますよね
そこから
ぶわーっと各方面
各ジャンルにぶわーっと広がっていって
最終的に殿様まで戻る
っていう
へえそんな流れある
全方位型でそばが広がる
すごいね意外と
変な広がり方だね
これが江戸のそば文化
はあ結構江戸いろいろ
入り乱れてるね
入り乱れてます
これね今回のテーマの一つなんですけど
京都には京都の
そばがありますよね有名なところで
西陰そばとかって京都でも有名ですけど
大阪砂場があるように
大阪には大阪のそば文化が
ちゃんとあるんですよ古くから
江戸も遅れてそれが
そば文化が出てきたじゃないですか
でもなぜか現代人から見ると
東京そばで関西うどん
ってなってるじゃないですか
これは単純に関西の方で
そば文化がないうどんが強いとかじゃなくて
単純に江戸の
そば文化が行きすぎたんです
盛り上がりまかったんですよ
名店そばの物流と広がり
そのルーツを今僕はずっと
掘ってるんですね
それは物流だったりとか名店だったりとか
食文化の広がりだったりとかを
今探索してる最中なんで
次回は
この物流でいくと名店そばを
いくつか紹介できればな
というふうに思ってます
名店そば
なかなかだね
なかなかおもろいでしょ
ちょっとお店の話になるね
俺の興味はそばが
出来上がったところでちょっと満足してる
満足しちゃった
僕はもうここからの広がりとかね
農村の
産業体制とか物流とかを
今掘ってるんで
それはそれで面白そうだね
どこまでいくかわかんないけど
ということで今回はこの辺で終わりたいと思います
ありがとうございました
ありがとうございました
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心臓バクバクしてる
40:48

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