2023-09-12 08:11

#562 寺沢武一さんが亡くなったとニュースを聞いて思い出した話

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「コブラ」の寺沢武一さんが亡くなったというニュースを聞いて、デビューの頃とか、アニメ放映の頃とか、いろいろ思い出した話をとりとめとなくしています。早いです。残念です。

サマリー

寺沢武一さんは亡くなられたことを聞きました。ピョン吉さんはコブラについて思い出話をしています。

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はい、おはようございます。本日の放送は2023年の9月12日火曜日です。
本日は第562回目のお話となりまーす。 このチャンネルは福島県コレムシ在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことを
だらだら話をしていくという番組です。 そんな親父の一言が大きいなりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。
悪意はなかったんです。不幸にこの番組に気を持ってしまったら、ぜひ今後もご悲喜のほどよろしくお願い致します。
コブラが連載を始めた頃からの思い出
漫画コブラで有名な寺沢武一さんが亡くなったそうです。 痛心でご冥福をお祈り致します。
週刊少年ジャンプにコブラが連載を始めました1978年の時にはですね、驚いたんですよね。
アメコミ調の絵で、他の漫画と明らかに違っていましたね。 こんな絵で週刊誌っていうのは勤まるのかなぁとね、子供の頃に心配いたしました。
1978年の6月にですね、スターウォーズが日本公開されました。 スターウォーズの大ブームの中で始めたのかなぁなんて思っていたんですね。
アメコミ調のキャラクターもともかくとしまして、少年たちの刺激の強いですね、非常に露出度の高い美女たちが登場してくるんですよね。
面白い漫画なんでね、仲間と話題にしたいと思うんだよね。 そうするとあの美女たちが好きなんでしょとね、エッチって言われそうでして、なかなか好きってね、素直に言えない漫画でした。
1982年に劇場用アニメが公開されました。 スペースアドベンチャーコブラ。
歌手の松崎茂さんがコブラの声やってたんですね。 イメージが違うと思ったんですね。
漫画のコブラのキャラクターの顔の元はですね、フランスの俳優のジャンポール・ベルモンドなんですよ。
ジャンポール・ベルモンドの声優さんと言えばですね、山田康夫さんなんですね。 山田康夫さんの渋い時の声、その声でね、漫画を読んでいたんですね。
ですんで松崎茂さんの声聞いてね、これ違うってね、思ったんですね。 ですけどもすでにですね、山田康夫さんはですね、ルパン三世ってアニメの方で非常に活躍されていましたんで、
ですんでルパン三世と被るってことでね、それで別の方が声優を務めることになったんでしょうね。
で翌年の1983年にやらせ、テレビアニメ化されたんですよ。 スペースコブラというタイトルでした。
あの映画ですね、テレビアニメ化っていうのはね、できるのかなと本当に心配いたしました。
またですね、露出度の高いね、美女たちが出てきますね。 テレビ局にね、クレイマーに行くんじゃないかなと心配したんですね。
出来上がった作品はですね、出崎治さんがね、非常に頑張っておりまして、かっこいいアニメに仕上がっておりました。 しかしですね、コブラの声がですね、野沢なじさんだったんですよ。
やはりですね、違和感があったんですね。 野沢なじさん、私も大好きな声優さんなんですけどね。
なっちゃんはですね、アランドロンダとかね、ジュリアンのジェムラとかね、2枚目俳優、そちらの方を担当することが多かったんですね。
出崎さんの作品だとね、新エースを担いでいる村方仁太とかね、そんな感じの美系キャラなんですよ。
それなんでね、コブラっていうね、ちょっとイメージが違うかなと思ったんですがね、しばらくですね、見てるとですね、やっぱりですね、なっちゃんがね、合ってたと思ったんですね。
コブラはですね、人気ですね。 そのオリジナルビデオシリーズだとかね、別なテレビシリーズとかもありました。
というわけでね、非常に人気になりまして、今回もですね、寺沢文司さん、長鳥ですね、
寺沢武一の作品とパソコン
テレビアニメのキャラクターの方を一生懸命描いている人が多かったような気がしますね。 それから寺沢さんといえばですね、手塚治虫さんのね、手塚プロ出身と聞いて、それもびっくりしました。
手塚治虫さんの絵とね、全くかけ離れた絵じゃないですか。 コブラの第1巻ね、読んだ時びっくりしたんですね。その後書きの部分、その文にね、手塚治虫さんからね、応援のメッセージ、それが書いてあったんですね。
寺沢さんといえばですね、コブラ以外の作品ではですね、ブラックナイトバットだとかね、あるいはカラステングカブトだとかね、
悟空だとかタケルとかいう漫画も書いてました。 そのうちですね、カブトと悟空はですね、オリジナルビデオアニメシリーズとなって出てきたはずです。
特にですね、1987年に描かれた悟空はですね、目に全てのコンピューター接続できるコンピューターを持った探偵が主人公なんですね。
2014年が舞台になっています。 その前にですね、震災があったもんでね、そのためにですね、コンピューターが全て繋がっている世界になっているという設定だったんですね。
そこで全てのコンピューターが繋がることができるというので、その探偵が大活躍するという作品でした。
現在でも十分通用する話ですよね。 という感じでね、コンピューターについての知識もね、非常にある方だったんですね。
1985年ぐらいからですね、パソコンを使って漫画を描くことに非常に努力工夫されていたという感じもあります。
しかしですね、そのパソコンがですね、アップル社のMacだったらですね、他の人たちもチャレンジしていたので楽だったと思うんですけどね。
その当時の国民機と呼ばれましたですね、NECのPC98シリーズ、それをやろうとしたんですね。
それでかなり苦労したという印象があります。
出来上がった作品は非常に綺麗なんですけどね。
この原稿量とこの作品を作るための費用、パソコンの費用、長寿であるのかななんてね、思って見ていました。
今ですね、パソコンで漫画を描くのが当たり前の時代になってきてますけどね。
このようにですね、先頭に立って旗を振り続けていた人がいてくれたからだと思っています。
1998年頃から病気になりましてかなり苦労されたみたいです。
病気にならなければですね、もっともっと多くの作品を残してくれたと思うんですよね。
今回亡くなったことを聞きましたね。一番びっくりしたのはですね、年齢がかなり上だと思っていたんですよ。
そしたら68歳だったということですね。
いや本当にそれはちょっとびっくりしました。もっと上の人だと思っていました。
本当に早いね。亡くなるの早かったなというふうに思っています。
というわけでですね、今回は寺沢ブリッジさんが亡くなって思い出した話を話させていただきました。
久々にですね、コブラを見直してみようかなというふうに思っております。
はい、それではまた次回よろしく。
本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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