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はい、おはようございます。このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをダラダラ話をしていくという番組です。
そんな親父の一人言を聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪意はなかったんです。
以降にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご非議のことをよろしくお願いいたします。
そんなわけで、ダラダラといかせていただきます。
あったまして、おはようございます。このチャンネルのナビゲーターのピョン吉です。
本日の放送は2022年の4月9日、土曜日です。
本日は第41回目のお話となります。
一昨日の4月7日、木曜日に悲しい話が飛び込んできました。
藤子藤男英氏、安彦本夫さんが亡くなったというニュースです。
88歳、米女らしいですね。
年齢的に自分の知っている漫画家さんが亡くなっていくのは仕方ないんですが、今回は突然みたいですね。
ツイッターなどを見ていますと、手塚治虫さんの娘さんの手塚留美子さんが少し前に一緒にお酒を飲んでいたらしいんですね。
留美子さんが驚いていることがつぶやかれていました。
皆さん驚いているような状態らしいです。
ご家族の方々、大変ではないのかなぁと心配しております。
切身でおけめを申し上げますとともに、ご冥福をお祈りいたします。
それにしてもですね、小さい頃は藤子藤男さんがお二方の面目だということを知らなかったので、不思議だったんですね。
テレビで1973年にジャングルクロベーという番組があったんですね。
自分が好きな番組だったので、本屋さんの原作者藤子藤男クロベーという作品があったので、
これジャングルクロベーの原作かなと思って読んでびっくりいたしました。
ダークなお話でね、なんでこれがジャングルクロベーと同じクロベーという名前なんだろうと驚いたんですね。
たくさん漫画を読んだ時に、怪物君やハットリ君は絵がどことなく暗め、それに対してパーマやドラえもんは明るめって感じで、
ぱっと見ですね、黒い藤子藤男と白い藤子藤男がいるなぁとなんとなく気づいたんですね。
少年チャンピオンでね、1972年からマタロウが来るが連載されまして、
それで途中でですね、どうやら自分が見てるマタロウが来るのはホラー好きな藤子藤男さんじゃないかなと気づきました。
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この年ですね、ガキデガとかドカベンとかブラックジャックというね、少年チャンピオンが大流行の時ですよ。
その時に連載されてたんですね。
で、恨みマタロウのね、セリフでこの恨みハラサでおくべきかとかね、あるいは恨み年報とかね、よく言い合ったりとかしてました。
この主人公、恨みマタロウですが、どこにもないそうな、強そうそうな男の子だったんですね。
そういう子がいるとね、手帳に恨みを書いてるんじゃないかなとかね、
あるいはですね、薔薇のシャツをとって世の中の人が着てるんじゃないかなとね、なんて想像していました。
この漫画を見てね、いじめは良くないということをすごくよくわかりました。
1976年にね、ブラック紹介編集になってからね、ちょっとですね、自分的にあまり魅力感じなくなっちゃいましたね。
新映動画でですね、アニメスタジオが作りました。
忍者ハトリ君、それから怪物君、これもアニメーションになってからよく見ましたね。
それでお話をよく詳しくなりました。
そして少年三年連載されたフルゴルファーおさる、これも見てたんですが、アニメになってもまた面白かったですね。
当時を反映してね、ブルースリーみたいな敵が現れたりとかですね、忍者君みたいなドライバーを使ったりとかね、
あと旗包みっていうね、必殺技が出てきたりとかね、非常に面白かったです。
あと大橋九千さんが司会していたギミアブレイクっていう番組がね、1989年から始まりましたが、
そこにね、よく藤子富士夫Aさんが出てきましたね。
そこでアニメーションがありまして、そこでモグロ副蔵を知りましたね。
こんなダークな漫画もあるんだなと思いました。
本当に藤子富士夫Aさんの漫画はね、その年代に合わせてね、いろんな作品があったなと思います。
そしてですね、なんといっても印象的だったのは漫画道です。
週刊少年キングっていうね、週刊少年漫画の雑誌についてはね、
4番目の人気の雑誌だったので、長めで見る機会がなかったんですが、
この漫画だけはね、噂でよく聞いてました。
1977年から1982年にかけて連載されたものです。
それがですね、NHKの銀河テレビシリーズで、
1986年に漫画道、1987年に漫画道青春編としてドラマが作られたんですね。
そしてあと1996年に時和荘の青春という映画が作られたのは、皆さんもご存知だと思います。
というわけで、昔の時和荘の話がですね、皆さんの知っている話となったわけですね。
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漫画道を読んでたんでね、昨年ですね、時和荘ミュージアムに行ったんですね。
その時ですね、近くにある松葉っていう中華料理さんのところに行ってね、
漫画道のキャラクターの話をね、うまーいっていうのをやってました。
藤子富城さんのね、漫画の登場人物がね、美味しい時にね、うまーいって言うんですよね。
ちなみにそのラーメンですが、普通の醤油味のラーメンでしたけどね、味はね。
藤子富城さんのものがあったのがニュースになった時はその話もまた出てきました。
というので、インタビューでね、角田二郎さんとかね、水野秀子さんとかにインタビューとかね、
されたって話が載ってましたね。
角田二郎さんね、最近ね、お話聞いてなかったんですけども、
インタビュー答えてたんで元気だなという話をしてほっといたしました。
角田さんもね、実はね、疎開で福島県に住んでたことがあるんですよね。
というので、いずれかね、その角田さんの話もしたいと思ってます。
心がですね、なんでインタビューされるのかなってことは一人いらっしゃるんですよ。
時はそうに実際に住んでた方です。
そして、この福島県に関係ある方なんですね。
その方の名前は横田徳雄さんと言います。
福島県田村市船引町の出身の方です。
赤塚藤雄さんとね、時亜蘇に入る前に一緒のアパートに住んでいらっしゃったりとか、
時亜蘇もね、よく親しくしてたりとかして、
また時亜蘇出た後も離れた隣同士で住んでたりとかね、
という不思議な関係のある方です。
少女漫画マンガレットという雑誌があったんですが、
そこにマンガレットちゃんという漫画を描いていたので、
もしかしたら絵柄をご存知の方もいるかもしれません。
後にね、学習漫画の方に作品を発表するようになりまして、
ヘレンケラーみたいな方の偉人の漫画だとか、
あるいは科学技術などを説明する秘密シリーズだとかね、
あと言葉遊びなどの地点みたいな本だとか、
そういう学習漫画のパイオニアとなった方です。
2年前の時亜蘇ミュージアムの開会の時にもいらっしゃったみたいですが、
ちょっと車椅子になってたようなんですね。
ところがですね、藤子藤男Aさんのこの漫画道にはですね、
一切横田徳郁さんが出てこないんですよ。
続編のアイシリソメシコロニっていう作品にもですね、
登場してこないんです。
横田徳郁さんはね、赤塚富士夫さんといつも相撲を撮ったりとかね、
また石上翔太夫さんのテレビでね、相撲を見たり野球を見たりしてたんでね、
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いつもね、その人たちと一緒にいたんでね。
それなので藤子藤男Aさんがね、全く知らないことを描くことはないんですね。
仲が悪かったという証言もないですし、
なんで出てないのかな、不思議なんですよね。
ここから私の個人的な推理なんですが、
実を言うと時遊びに来た人の多くはですね、
みんな手塚治虫さんに憧れてこの時遊びに来たんですが、
ところが横田徳郁さんはですね、ババノボルさんが好きなんですね。
青森県出身の漫画家さんです。
というわけで、横田徳郁さんはね、
唯一手塚治虫さんを尊敬していないというので、
まあそれもちょっとあったのかな、という気がしますね。
というわけで、手塚治虫さんがあっての時遊ぼうとしたんだけども、
横田さんを出すとそのようなストーリーにならないかな、ということでしょうかね。
それとですね、みんな徹夜で一生懸命漫画を描いていた時ですね、
横田さんはのんびりとしてたんですね。
というので、一気は想定みんな厄介になって漫画を描いていたって話にしたいんだけども、
そういうキャラクターが登場すると話が合わなくなってしまうというのでね、
ちょっと出しづらかったのかな、という気がします。
藤小路大英さんもね、漫画道はね、実は3割と言ってましたんで、
まあその3割というので残念ながら消えてしまったのかな、と思っています。
ですが今回ですね、漫画道はね、
横田徳夫さんがね、まだご現在ですんでね、
ぜひ一度お会いしてね、いろいろと当時のことをお聞きしたいなと思っているんですよね。
ですけどね、本当にこのように亡くなられた方が多くやってくれると会えるかなとね、
ちょっと心配なんですね。
はい、ということで、今回はここまでです。
ご視聴ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。
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