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17回始まりました。
最近番組名を変えようと思って悩んでいるポンスダチです。前回に番組名の候補をいくつか話したんですけど、
あれからいろいろ考えて、新たな案としては、実況、日曇りの毎日、これは実況って調べてみるとその最初まず生中継との違いは何か調べてみたんですよ。
まあ違いは何かというか、その前にまず実況っていうのは生放送でやっているものの解説をするっていう意味なんですよね。
確か5チャンネルなんかで実況なんちゃらーみたいな板があるんですけど、それを思い出して、やっぱり生放送の時に使うもんだなと思ってやめました。
あと発達障害×宗教2世のなんちゃらかんちゃらーみたいなタイトルもどうかと思ったんですけど、それもどうかなーっていうのと、あと発達障害って今故障が変わるみたいなんですよね、神経発達症になるようです。
あと引きこもりも言い換えした方がいいんじゃないかってことで、NHKがこもり人ってことで推してるみたいで、言い方を推してるみたいで、これはすごい良い試みだと思いますね。
ただ、まだそんなに使われてないから番組名にするのはどうかと思うし、前回も話しましたが、引きこもりの奇妙な世界へようこそみたいな、引きこもりの人が持っている独特な世界観を聞いてほしいという意図で考えていたんですけど、
そういうタイトルで、例えば密室からみたいな、なかなかないんですよね、それが。故障からどうのこうのとか、いろいろネットでも調べて、変わり者って別の類似語だとどんなのがあるかなーと思って、なかなかでもないんですよね、いいのがね。
イメージが悪いというか、はぐれ者なんていうのもどうかなーと思ったり、それで類似語を調べてみたんですけど、それもちょっと違うし。
よすて人なんかどうかなーと思ったけど、それだと宗教家のニュアンスが強くなってしまうし、奇妙とは何かって考えたらミステリー小説がパッと思い浮かんで、ミステリー小説の題名どんなものがあるかなーと思って、調べていたら、引きこもりのミステリーワールドへようこそみたいな、っていう案がなぜかその時浮かんだんですよね。でもちょっと違うなーとは。
考えていくうちにどんどんドラマにハマっていって、結局タイトルで何を伝えたいか結構曖昧になるものなんですよね、そういう時って。多分誰でもそうなんじゃないでしょうか。ゲスタルト崩壊というのか、それに似た現象だと思います。本当に考えすぎは良くないと思います。ただもう引き返せません。それからまたいろいろ考えました。
でまぁ結論として最終的に、危機快快なトラウマ受験簿になりました。これどうですかね。受験簿っていうのはミステリー小説からヒントを得てるし、きっとそれぞれのエピソードのタイトルもそれにミステリー小説にあやかったものになっていくんではないかと思います。意味が分かる程度に。
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あと最近暖かくなってきたんですけど、以前は季節の変わり目が本当苦手でした。よくアスペは変化に弱いなんて言いますけど、自分も弱かったですね。部屋の温度が変わると色々と変化があるんですよ。まず衣替え的なことは一つ、自分にとっては一大事だし、その日々のちょっとした違いっていうのもあるんですよね、行動の変化が。
それで風邪を引かないようにかなり神経を尖らして、自分は温度を感じる能力がだいぶ鈍いようで、神経を尖らしていないと気づいたら風邪を引いてるといった感じなんですよね。引くときは引くし、引かないときは引かないという感じで、それを防ごうと思ったら本当に季節の変わり目なんてのはもう大変なわけですよ。
今はストーブはほとんどつけてないんですけど、前はあったかくなるようにしっかりつけてたときは、もうちょっとミスするだけで命取りなんで、それで寒くなって風邪を引いてという風になるんで、あと普段汗かかないのに久しぶりにあったかくて汗をかいて、水分量が変わるので体内のですね、だからそれで腹痛を起こしたり、ちょっとした変化に弱いんですよ。よく汗をかくっていうのが原因で腹壊してましたね。
以前話しましたが、自分が入院すると言ったときに必ず進路を見つけるから入院しないでくれと言われて、そうやって約束したんですが、ここまで決めてくれないで。今日、母がネット見てるときにかなり眠そうにしていたんで、それを問いただくと、朝早く起きて頭痛なんだと。薬が飲んでいて眠たいと。
その後はちょっと細かくは覚えてないんですけど、だから何言われてもしょうないのはしょうないみたいなことを言ってきたんで、じゃあ進路はもう待てないけれども、何言われてもしょうないっていうことにはこっちはなるのかというまあそういう理屈になりますよね。だからそれを言ったらまあ理解していたんですけど、そんなことがありました。
今日はポンスたちの受験失敗談を話していこうと思います。学生時代は勉強法を研究していたし、浪人中はずっとこうすればよかったんじゃないかと、受験するわけでもないのにずっとここ10年以上振り返っていたんで、いろいろわかったことがありました。
まず一つ目、受験で大事だと思うのは、これが一番大事かもしれませんが、ある程度までは成績は右肩上がりに伸びてるけど、それはある程度までの話であって、ある程度まで伸びたらあとはずっと欲張りだってことを覚悟して勉強するということですね。
で、そのある程度までに行くまでに、地方の公立の入試なんかだと、ほんと2ヶ月3ヶ月あればすぐ行っちゃうわけですよ。ということは逆に言うと、その3ヶ月勉強するか勉強しないというのはすごいもったいないことだと思うんですよね。ちょっと勉強しておけば、その自分の能力を100%発揮できる状態になってるわけですから。
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で、国立、理系なんかだと、まあやはり大学はある程度勉強量は必要だと思います。ただそれでもどうですかね。半年あれば、だから大抵の休停台以上の受験生っていうのは、例えば平均1日降参で5時間勉強してると仮定して、その多分3分の1も勉強しなくても多分受かるんですよ。
だから休停台のほとんどが5時間勉強してるというのは正しいが、その人たちが5時間勉強しないと受かってないというのは間違いだということですね。だからこれは勉強以外のことでもスポーツでも言えると思います。プロ野球選手が小学生の時からその半分の量にしてるようでプロ野球選手になれなかったかというと、そんなことはないと思います。
次に大事なのが、理解できないことがあったら飛ばしていいということですね。その人によって、例えば同じ数学でも、こういうとこは理解しやすい。なぜかこの分野の、しかもこの文章、この問題だけはなかなか理解できないとか、それは一応あると思うんですよ。それを長い時間かけようとは、そうでなかろうとは全く同じことだと思うんですよ。単語帳なんか見てても同じような現象があると思います。
なぜかこの単語は覚えれないみたいな。その単語は、自分は覚えるのはもう無理だと思って飛ばした方がいいんですよね、それは。その人によって、なぜかこういうものはちょっと記憶しにくいというのがあるんですよ。それがどういう仕組みなのか、とても自分には分からないですけど。
そもそも学校で授業を聞いて、それでも理解も記憶できていない内容って、自分で勉強したところでそんな変わらないとも言えるかもしれません。逆に言うと、参考書を見て覚えた内容というのは、授業をしっかり聞いていれば、もう覚えていただろうし、それで覚えれないというものは、参考書を見ても、何度勉強しても、その人にとってはもう苦手な、その人の脳には相性が悪いものだと思って、思っていいと思うんですよね。
今の話の応用的なことなんですが、高校で英文法ってみっちりやらされるんですよ。同じような内容を何回も何回も繰り返すんですよ。なので、これで自分で後から参考書で勉強しても、そこまで偏差値って伸びないんですよね、きっと。
なので英単語をもっと強化していればなぁと後悔しましたね。それでだいぶ偏差値は変わったはずです。あと英単語は確実に語呂で覚えたほうがいいですね。そんなの無理だと思うかもしれないんですけど、世の中にはそういった問題集が、というか参考単語帳があるんですよ、ちゃんと。
ただ学校の教師が教えてくれないのには理由があって、そういった参考書って結構ふざけた内容のものが多いんですよ。ただ覚えやすくていいんですけどね。古文の有名な語呂で覚える単語帳、受験生はわかると思いますが、あれもちょっと内容がアレって感じなんで、学校の教師は勧めないんですけど、絶対語呂を使って覚えたほうがいいです。圧倒的にスピードが変わります。
あとこれは受験生の一部の人にしか頭までないかもしれませんが、問題集は一冊を何周もするよりも、もう一周したら次々に新しいものを買っていったほうがいいと思います。
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どれか一冊を何周もするとなると、かなり綿密に計画を立てて、しかも少しでもミスをすると、例えば車で乗っていてどこかに目的地に向かうのに、一箇所進行を曲がるところ間違って、あとはもうたどり着けないというように、ちょっとミスすると、本人がそんなんで偏差値10下がったとして別に神経質には思わないならいいんですけど、
もし大学に本当に受かるために完璧に計画通り行きたいのであれば、一冊でもその使う問題集の種類と順番とかける時間とやり方と間違えてはいけないわけですよ。
でもまあ大抵の人がそんなことできないですので、もうひたすらいろんな問題集をやっていく。で、その時に大事なのが自分が興味持ったものをやっていくということです。
この問題集が自分に合っているかとか評判はどうかとかは気にしないほうがいいという場合が、まあどうですかね、自分の場合はそうしていればよかったと思うんですけど。
数学なんかは特にいろんな問題集を解きまくったほうがいいと思います。一冊に時間をかけていては無駄だと思います。
あとさっきも話しましたが、わからない問題はじっくり考えたりしないで飛ばしておくですね。
ただちょっと例外があって、数学はその人の記憶の仕方にもよるんですけど、自分なんかは難しい問題をひたすらいろいろああだろうかこうだろうかと考えていると記憶できて、高校受験では多分偏差値80ぐらいいってたんじゃないですかね。
自分でも結構計算してみたんですよ。偏差値どれぐらいいってたか。
で、ちょっと似た話なんですけど、次に大事になってくるのが覚えるときはよく目で見て覚えたほうがいいだろうなんだろう、いろいろと情報が搾走してますけど、
自分はとにかく考えて結果的に覚えてるというのがいいと思います。
英単語なんて無理じゃないかと思うかもしれませんが、なんかこの単語はこんな感じの意味じゃなかったかな、
あの時単語帳の上から2番目にこんな風な日本語で訳が書いてあったんじゃないかな、だいたいこんな意味じゃなかったかなと思ってひたすら考えてるんですよ。
で、無理だったら最初の1文字だけ見て、で、それでも思い出せなかったら2文字目も見てって、そういう風にやっていくんですよ。
で、復習の仕方ですが、1時間勉強したとして、その後に復習する時間に目を閉じて何でもいいので思い出すんですよ、勉強したこと。
本当に何でもいいので、数学だったら今2番目に解いた問題集の左下に何の数字があったなとか、なんかこんな記号書いてあったかなとか、もう何でもいいからひたすら思い出すんですよ。
で、まあ人によってはノートにそれを書いていくというやり方でもいいかもしれませんが、
結構大事なのが、とにかく何でもいいから思い出すということですね。こんな中途半端に途中でこんなどうでもいいことを思い出したって意味ないんじゃないかと思うかもしれませんが、
そう言って思う時が来るかもしれませんが、それでも思い出していくんですけど、それも考えて考えてっていうことですね。それで気が付いたら記憶してるんですよ。
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だから目で覚えるとか耳で覚えた方がいいとか、復習するタイミングは何時間後がいいとかよく言いますけど、
まず言えることは目で見た方がいいのか耳で見た方がいいのか、あとは何時間後復習した方がいいのか、こんなのは人によって全く得意不得意があるわけですよ。
ただ、自分はこうしていればよかったという点でいくと、ひたすらそうやって考えて覚えるのがよかったし、割と多くの人にそれが言えるのかもしれないっていう感じがなんとなくしてるんですけど、
それはひたすら自分でやってみないとわからないですよね。
ではここで一旦消休し、ひき飯のコーナーです。
このコーナーではひきこもりの食事を紹介していきます。
最近食べたものでこれはうまかったというものですが、
今日鍋に豚肉が入ってたんですけど、あと豚肉に天ぷんをつけてひき焼きのタレで炒めてる料理があるんですけど、
あれなんかもおいしいし、あと豚汁に入ってる時もすごくおいしく感じる時がありますね。
それで関東では、これなかなか覚えれないんですけど、豚肉をよく食べられて、関西は牛肉をよく食べられるみたいな話がありますけど、
これどういうことかなかなか理解しがたかったんですけど、
人によっては関西でも豚肉なんか高価だからそんなに食べないよって人もいるんですけど、
牛肉ですね。
牛肉を多く食べられるようになった歴史的背景があるみたいなんですけど、
自分は最初、牛肉より豚肉の方が高いから大抵の人は牛肉を食べるのかなと思ったんですよ。
だから羨ましいなと思っていたんですけど、
豚肉より牛肉の方が高いっていうのは全体的に見てですね。
それは関東と関西はほとんど変わらないって言ってもいいんですよね。
だから関西の人は他の地域の人と同じように牛肉は高価なものではあるけれども、
そういうもんだからカレーにしろ肉じゃがにしろよく言われてるように牛肉を入れてるんですよ。
そんなことしてたら家計が大変じゃないかと思うけどもそうしてるんですよね。
でもよく考えたらそういうことってあると思うんですよ。
例えば新潟の人で、いくら新潟産のコシヒカリが他の地域のと比べて高かろうと、
親もそうしていてそれが当たり前ならもうそうするだろうしと考えれば納得できました。
自分は正月にすき焼きで牛肉を食べる習慣があるんですけど、
いつもやっぱり牛肉はやっぱりおいしいなと思うんですよ。
でもその後豚肉を食べてみると、
あの時は牛肉食べてて牛肉は豚肉でおいしいと思ったけどやっぱりこれは比較できるもんじゃないし、
豚肉の方がかいとおいしいんじゃないかと思うわけですよ。
でも次の年また正月食べるとやっぱりあんな風に思ってたけどやっぱりなんだかんだ言って牛肉はやっぱりおいしいなと。
でもまた豚肉を食べてやっぱり豚肉の方がおいしいと、
それを繰り返してるんですけど、
ただとはいっても自分でも本音というか分かっていて、
自分には豚肉が合ってるというか豚肉の方が飽きない感じがするんですよね。
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地域によっても違ってくると思います。
地域によっては豚肉の方が全然値段以上の魅力があるというのか、
牛肉より安いけれどもそんな差を感じさせないほどおいしく感じるという、
地域によってはそうなんじゃないかと思います。
鶏肉もほんと一部の地域ですけどね。
そういう地域はあると思います。
さて本題に戻りますけども、
大学受験なんかだと発達障害の人なんかは発達デコボコっていうぐらいですから、
科目間の開きっていうのも大きいんですよその偏差値の。
で自分はこうしてればよかったなと思うのは、
超難関私立でもすごく科目では少ないところなんかもあるんですよね。
小論文とこれとこれみたいな。
で自分はこの大学のこの学科だったら自分のこの得意科目と評論文で、
評論文も自分のクラスの一番できる子より何の訓練もしてないのに定数高かったんで、
割と能力あるのかなと思ったり、
それでそこを受けてればなと思ったことがあるんですけど、
発達障害の人でそういう自分の得意科目だけで勝負するという風にしたらいいんじゃないかと思います。
もし飛び抜けて勉強できてという人なんかは、
超難関大学でも受かるところまで偏差値を伸ばせれば、
国数英理者で受けるのとはだいぶ違う結果になると思いますね。
アメリカの大学なんかだとそれぞれの持ってる才能で勝負できるんですけど、
日本なんかはその国数英理者全体の点数で見られるんで、
まあ今話したようにまあ少し例外的というか、
そういうのはそういうとこはありますけども、
発達障害の人なんかはアメリカに行ったらだいぶ才能発揮できるんじゃないかなと思いますね。
あるアリエット俳優なんて、数学が得意でそれで大学に行って、
なんていう人もいましたね。
それも超有名な大学です。
ある芸人さんなんてのは、数学が飛び抜けてできて、
それだけの点数で大学に受かったみたいな。
マーチですね。
マーチのある大学に受かった。
なんていう人もいますけど、
まあそんな人はまるでしょうね。
他の教科は普通引きずってしまいます。
まあデコボコという意味では、
デコボコという意味では、自分は高校2年生の時は、
国語はもう偏差値多分30いくかないかみたいな、
さすがにそこまでは低くないかもしれませんが、
数学は飛び抜けてできましたし、
英語もまあ偏差値60程度はあったのかな。
理科社会はまあ偏差値50近くといったところでしょうか。
かなり勉強したんですけどね。
あと受験生でこれも大事だというのは、
勉強した内容なんて役に立たないということを、
覚悟して勉強するということですよ。
中学生の時に勉強して何の意味があるのかって、
言ってる人いましたけど、
あれは本当に馬鹿な発言だと思います。
本部科学省の歴代の事務次官の人に対して、
盾をつくなんて、本当に、なんていうか、
知能の低い発言だと思います。
とはいえ、勉強する意味が、
勉強したことが役に立つか足らないかというと、
自分ももう勉強については何年も考えてきましたが、
はっきり言って意味ないですね。
あれで何の能力が伸びるわけでもないですし、
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よく幼児教育なのか、運動すると脳にいいとか、
学生はスポーツをしましょうとか言うけど、
あれで脳がより発達するなんて根拠は、
一ミリもないと思います。
勉強したら知能が向上するなんていう根拠は、
さらにありません。
その人の能力が何一つ伸びるわけでもないですし、
知識をつけたところで、
どうせ半ヶ月も経てば全部抜けていくわけですよ。
アイドルの人がライブが終わったら緊張感が抜けて、
次の日にすべて記憶が抜けてしまったなんて言いますけど、
そんなこともあり得るかもしれません。
あと人間の記憶って、
これは脳科学でどう言われているか分かりませんが、
何か知識を入れたら何かが抜けていくんですよ。
だから大学に行ってまた新しい知識をつければ、
高校受験の時の記憶なんて抜けていくし、
社会人になってドラマを見て、
登場人物の名前を覚えたらまた一つ覚えたことが抜け、
そんなことを5年10年と続けていくうちに
受験勉強したことなんてすべて抜けていくわけですよ。
あと例えば数学で、
大学で理系に住んでスカートをしてですよ。
高校の3年間でやった、
3年間というか受験勉強でやった数一数二数三のうちの、
どんなに多く使ったとしても本当その一部なんですよ多分。
そんなもんその使う部分だけ基礎からやればいい話であって、
本当に無駄だと思います。
例えば工学部の科学系のところに住んだとして、
数学でたくさん使うと言われてたとしてもですよ、
数一数二数三の受験勉強でしたっていうのは本当に一部なんですよ。
そんなもんその絵が必要になったときに
その部分だけ勉強すればいいと思うんですけどね。
でももちろん大抵の文系の学部はもちろんだし、
理系でも数学ほとんど使わないという学部が多いんじゃないでしょうか。
数学科でさえ高校数学と大学の数学は別物と言いまして、
大学の数学は哲学みたい、哲学書を読んでるみたいなんだなんて話しか聞きますけど、
その話から察するには高校の数学で勉強したことは
ほぼ使わないと言ってもいいんじゃないでしょうか。
使うと言っても別の意味で使うというか、
だとすれば一刀両断してしまうと、
高校で勉強しなくても全く同じだということですね。
受験生はそれを理解したので、
それでも勉強できるという人は勉強すればいいんだと思います。
ちなみに自分は高校生のときは、
とてもそれぞれの教科に魅力を感じて興味を持っていたので、
これを大学に行ったら、
国語、数学、英語、理科、社会、
全部を勉強していけるわけじゃないわけですよ。
その一部を追求していくというか、
それが自分としては嫌で、
多分そんな人変わっているほとんどいないと思いますけど、
それが理由で勉強できないなんていうのは、
そういうのもあってやっぱり進路を悩んでしまって、
自分が今それで気づいたのは、
もう大学で勉強したいと思わないくらい、
自分の興味のある教科をひたすら勉強しまくるという考えでやっていくのが良かったんだと思います。
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高校生の時は、一生何かを続けるわけでないものを、
今やったところで意味がないと思っていたので、
やらないか、一生続けるかのどちらかしか自分の頭にはなかったので、
そういう考えには至らなかったですね。
勉強して面白いと思えば面白いと思うほど、
大学で勉強するを続けていけないのが辛いというか、
それなら勉強しない方がいいんじゃないかと、
そう考えていました。
あと最近ネットで見ていて分かったんですけど、
偏差値60の高校というのは南韓大学に受かる人って少ないようなんですよ。
基礎が抜けているという人が多いからだ、
なんて記事に書いている人もいましたけど、
高校の偏差値というのは大学の偏差値マイナス10くらいだって言うから、
大学の偏差値で言っても偏差値50くらいになると思いますけど、
自分の経験から言うと、
科目の数とか勉強量のことで言うと、
よく国立大学と私立大学では、
同じ偏差値でもレベルが違うとか言うように、
そういう違いがあるんでしょうけど、
自分の高校なんかも新学校だったけど、
どう考えても地頭の良さは、
自分以外の人は結構良かったと思うんですけどね。
だからもっと勉強していればいいのになぁと思って、
もったいないなぁと思っていたんですけど、
かえって大学の偏差値60より高校の偏差値60の方が、
地頭の良さがあるというか、
本当に地頭が良くないと偏差値60の高校に入るのは難しいというか、
そんな気がするんですけどね。
今日も聞いていただきありがとうございました。