認知症基本法の動き
内科医たけおの 心身健康ラジオ 皆さん、おはようございます。
たけお内科クリニック からだと心の診療所 と申します。
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ということで、今日から数回シリーズで認知症を扱っていこうと思うんですけれども、
今年の抱負でもお話させていただきましたし、おとといの放送でも少しご報告させていただいたんですけれども、
ちょっと今年はですね、認知症関連に少し力を入れていこうかなというふうに思っていて、
これね、ちょっと様々な理由があります。
一つはですね、今日もご紹介しますけれども、この認知症基本法っていうのが昨年決まって、この1月からですね、実際に動き出してるんですよね。
それで、やっぱり
認知症、私自身もですね、日々の臨床の中でかなり高齢者、もう高齢者が8、9割ぐらいかなっていうぐらいね、高齢者に接してるんですけれども、
その中で、やっぱり認知症の問題って避けて通れないかなと思って、もう1回学び直しをしようかなというふうに思っているのが1点と。
あと2つ目としては、これ最後ね、フルアジーの領域でもですね、やっぱり透析患者のね、認知症の問題ってね、すごい現場ではね、困ることが多いんですけども、ただ、やっぱりね、こう、まあ、
専門家が、まあ、そもそも最高ね、フルアジーの専門家が少ないっていうのはあるんですけども、まあ、中でもね、認知症の問題ってね、なんか、ちょっと、なんか、取り組みが浅いんじゃないかなというふうに思っていて、一方で、またこれ、今度ね、話しますけれども、透析患者のね、高齢化はね、やっぱりどんどん進んでいって、
あの、透析やってる患者さんのね、平均年齢は70超えそうな感じになってきてるので、まあ、そこら辺で認知症を、やっぱりもう1回やったほうがいいと思います。
いいかなっていうのと、あと3点目としては、まあ、僕自身が、あの、老年化専門医に受かったっていうことで、ちょっと、専門医としてもね、あの、認知症をもう1回学び直したほうがいいなというふうに思った次第です。
はい、ということで、ちょっと前置きが長くなりましたけれども、それでね、学ぼうと思ってたらですね、この、まあ、今までの放送でも何回かご紹介してる、あの、医学書院さんのですね、医学書院って医学系のね、出版社さんの中で非常に、まあ、一番と言ってもいいぐらい有名な、あの、出版社さんなんですけれども、
そこから医学会新聞っていうのがですね、あの、毎週出ていて、それの新年号特集が、まさに認知症と共に生きるっていうやつだったんですね。
で、これね、非常に秀逸な特集で、これね、有料級っていうか、これを無料に出していいのかっていうふうに思うんですけれども、はい。
で、その中で、まあ、いくつか記事があったんですけれども、その中の1つですね、今回は認知症と社会をめぐる歴史的変遷っていうやつを取り上げたいと思います。
はい。で、えーと、まあ、認知症の歴史ってね、まあ、僕自身もね、あんまり勉強したことはないというか、あ、そうなんだって、この記事を読んで、あの、初めて気づくこともあったので、ちょっとそれをね、一緒に見ていただけたらなというふうに思います。
はい。ということで、えーと、まずはですね、まあ、冒頭にも言いましたように、この1月からですね、認知症基本法っていうのが、あ、成立、あ、成立じゃない、えっと、施行されてるんですけれども、この認知症基本法のね、正式名称ですね。
これ、他の記事にも書いてありましたけれども、これね、えっと、強制社会の実現を推進するための認知症基本法っていうのらしいんですね。
これも僕知らなかったんですけれども、で、まあ、ね、後半はまあ、認知症基本法でいいと思うんですけれども、この冒頭のところですね、この強制社会の実現を推進するためのっていうところはね、やっぱりかなりキーかなというふうに思っていて、まあ、他の記事にも触れられてたんですけれども、やっぱりその中で、歴史的にもですね、やっぱり強制、
認知症の歴史的変遷
認知症患者さんとどういうふうに強制するかっていうのはね、すごいポイントになってるんだなというふうに、この記事を読んで改めて思いました。
はい、で、えっと、で、この図1がですね、えっと、今までの変遷の図とまとめになっていて、で、まあ、それが中が、中身が文章で書いてあるっていう感じですけれども、えっと、ちょっと、まあ、そのまま読むとですね、引用の範疇を超えてしまうんで、ちょっと僕の解説、僕内の解説でやっていこうと思うんですけれども、
まあ、まずはですね、これ、えっと、認知症って、まあ、当然ですね、
ですけどね、その症状というか、まあ、病気自体はもう大昔から当然あったはずですよね。まあ、当然そういう方がいたのは間違いないんですけれども、まあ、今より寿命が短かったとはいえ、まあ、認知症の患者さんって言っていたと思うんですけれども、それを、なんていうか、まあ、病気として扱い出したっていうのがですね、まあ、日本では明治末期のこのクレシューゾーっていうですね、クレシューゾーって聞いたことあるかもしれないですけど、日本のね、こう、精神学の父みたいな、そんな、確かそういう言い方されてると思うんですけども、東大の、
えっと、精神科の教授なんですけども、はい、その先生が、この精神病の名義に尽きてっていうような、そういうやつの中で触れたっていうのが一番初めの始まりと、まあ、日本においてその認知症が、まあ、認知症、まあ、当時はね、その認知症じゃなかったですけれども、はい、いうのが扱われだしたっていうような、あ、経緯になってるらしいですね。で、まあ、もともと、まあ、英語ではね、ディメンチアって言うんですけども、ディメンチアのこの日本語訳をどうするかっていうことで、
なんか、いろいろ、
この、
これ、
なんて読むんですかね、地境って読むんですかね、とか、風天とか地方とかですね、
えー、っていうような訳され方をしてたみたいなんですけれども、それを、えっと、そのクレイス・シューズ・ホー先生が、あの、地方っていう、
えー、用語を提唱して、で、それが、まあ、定着して、まあ、今、もう認知症っていうことになってますけれども、まあ、認知症の前は地方って言われてましたよね。だから、まあ、その地方っていうのを、まあ、その後、100年ぐらいですかね、
あの、はい、使われてたっていう、そんな感じになりますよね。はい。
高齢者福祉と介護制度の整備
で、えーと、で、その後ですね、まあ、いろんな高齢者福祉が始まったりとかして、1929年からですね、この救護法とか、これ、全然してなかったですけどね、救護法の制定に始まり、生活保護法とかですね、国民健康保険法とか、うんたら法とかっていうのが、あの、いろいろ出てきて、えー、っていうのがあったんですけれども、ただ、当時はですね、まあ、まあ、まだ高齢者福祉しかなくって、その、
まあ、今、あるような、その、介護制度としての法制化っていうのはなされていなくて、それがなされ始めたのが、1963年かな、の老人福祉法の制定からっていうことになっているらしいですね。で、だから、まあ、今から60年前かな、はい、に、えー、その辺の整備がされてきだしたっていう、そんな感じになってます。
はい。で、その、あ、で、あとは、甲骨の人ですね、有吉沢子の甲骨の人で、まあ、い、い、い、
有名というか、はい、注目を浴びるようになったりとかして、えー、で、1982年ですね、これ私生まれた年なんですけれども、はい、えー、老人保険法が制定されたっていう、そんな感じで、で、あの、まあ、本当に、えー、実践的に、こう、認証の施策が始まったっていうのが、あー、今から、だから40年前ですね、40数年前に始まったっていう、そんな感じになってます。
で、そっから、まあ、いろんな、こう、地方性老人、なんとかかんとかとかですね、まあ、ちょっと全部言うと長くなるんで、
ですけれども、まあ、認証の、まあ、当時は地方と言われてましたけれども、まあ、地方への対策が、まあ、徐々に進み始めたっていうような、そんな感じになっていて、えー、で、その後に、えーと、まあ、今の介護保険制度ですね、あの、これは、まあ、あの、皆さんもご存知だと思いますけれども、それが導入されて、えー、いうことになりました。
で、で、えー、この中でですね、えーと、この、えー、
高齢者地方介護研究研修センターっていうですね、えー、のが東京仙台、えー、に設置されるみたいなのが書いてあって、この東京のセンター長がね、長谷川和夫先生だったみたいですね。
これ、全然知らなかったですけれども、長谷川和夫先生ね、知らない方はいらっしゃないと思うんですけれども、あの、まあ、日本、まあ、もうお亡くなりになりましたけどね、でも、えーと、まあ、ちょっと書籍紹介でもね、また今度紹介しようと思うんですけれども、
日本のね、認知症の一番使われてるスクリーニング、書いて長谷川式っていうのがありますけれども、それを作られた先生ですよね。
はい。という先生が、まあ、初代の東京のセンター長になられて、で、そっからいろんな、こう、整備が進んできたっていう、そんな感じになってるみたいですね。
はい。で、でですね、で、その後ですね、えーと、オレンジプランですね、えーと、2012年ですね、えー、だから12年前か、
あー、認知症施策推進、
計画っていうのができて、これが、えーと、まあ、地域包括ケアシステムと並行してですね、この、進み出してきたっていうことで、えー、なってます。
で、まあ、このオレンジプラン自体はですね、この、えーと、新オレンジプランになってっていうのはどっかに書いてあったと思うんですけれども、
なって、まあ、その後も継続されてますけれども、はい。まあ、認知症の方に関して、えー、まあ、包括的に対応していこうっていうのがありますし、
あとは、これもね、全然知らなかったんですけれども、このWHO、
このWHOがですね、えーと、あの、認知症に対する公衆衛生上の対応に関するグローバルアクションプランっていうのを出してるみたいなんですね、はい。
とか、えーと、この認知症フレンドリー社会を実現するための4つの基本原則っていうのがですね、あの、出てるみたいで、これはね、えーと、これWHOではなくて認知症、なんだったっけな、これ、えーと、
あ、この国際アルツハイマー病協会かな、はい。
っていうのが出してるみたいです。
オレンジプランと認知症対策
みたいなんですけれども、まあ、具体的には、これは人々、えー、地域、えー、組織、機関、パートナーシップっていう、この4つで、こう、認知症フレンドリー社会を実現しようみたいな、そんな感じになってるみたいですけれども、はい。
っていうのもあります。
はい。
で、で、まあ、応じてですね、その、昨年ですね、この、共生社会を実現する、の、実現を推進するために認知症基本法が制定されて、まあ、この4月から、あ、4月か、違う、1月から、あ、施行されてるっていう、
そんな感じになってますっていう、そんな感じで、まあ、非常にね、あの、いい記事なんで、ぜひとも皆さんご覧いただけたらと思いますし、私もね、これ知らないことものすごいいっぱいあったんで、ちょっとざっと、あの、読んでいただけたらなというふうに思います。
はい。
で、あとはですね、これ実はこの、えっと、特集ですね、他にもね、すごいいい記事がいっぱいあって、あの、この座談会もそうですし、あとは、えっと、この、ちょっとお待ちくださいね、座談会もそうですし、あ、そうそうそう。
以降のですね、えっと、認知症、あ、まあ、認知症の基本法の意義と今後への期待もそうなんですけれども、認知症のデザイン、認知症のためにデザインは何が必要かっていうですね、加計さん、加計雄介さんが書いてた記事ですね。
これね、非常に秀逸でしたね。
で、この加計雄介さんは、あの、まあ、このラジオでもご紹介しましたけれども、認知症世界の歩き方っていうやつを書かれた方なんですね。
まあ、もともとデザイナーさんで、え、その認知症関連。
にも、かなり取り組んでおられる方で、まあ、非常にね、あの、この記事もね、え、その認知症関連さんのことを理解して、え、どういうふうにこう、デザイン的な対応をするかみたいなのが書いてあったりするんで、非常にね、こう、勉強になる記事かなというふうに思いまして、本当に、はい、有料級記事ですので、一度ご覧いただけたらなというふうに思います。
はい、ということで、ちょっと長くなりましたけれども、今日はこのぐらいで。
で、明日もですね、えっと、当、んーと、当面、まあ、月。
月か、水ぐらいまで。
で、来週もですね、何回かにわたって認知症関連を扱っていきたいと思いますので、ぜひお付き合いいただけたらと思います。
はい、では、今日も幸せな一日してありますように。
お会いとはない、カイロタケでした。
興味津々。