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2024-10-08 26:06

talk71: 自分のこだわりのラインを譲歩する

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サマリー

ポッドキャストでは、竹の細クロバの駆除や子育てにおける害虫への対処が語られています。特に、娘と一緒に害虫を取る楽しさや、生命に対する思いやりの重要性が強調されています。このエピソードでは、親子のコミュニケーションや育児スタイルについても触れています。特に、子供が自分で考えて行動することの重要性や、昔話を通じて得られる教訓が掘り下げられています。また、昔話や上層教育についての考えが共有され、図書館を利用した学習の重要性についても語られています。子育てに関するエピソードや日本語の区切り位置の難しさにも触れられています。

竹の細クロバの発生
はい、始まりました。 inajob の試しに録音してみた、略してため録、talk71。
このポッドキャストは、30代後半、ものづくりが好きで、子育て中のエンジニアである inajob のなんでもない雑談を届けするポッドキャストとなっています。
それでは、今日も始めていきたいと思います。
さて、近況健康のコーナーですが、健康です。特に話すことはないです。
ちょっと睡眠不足かな。
今、妻が体調不良になっていて、私も無理しちゃうと家が崩壊するので、
意図してよく寝るようにしていますという感じでいたんですけども、
よく寝てしまうと、次の日逆に寝れないみたいなこともあったりとかして、
睡眠が不足しているなと思う日もあったりしますが、
健康の範疇というか、8月、9月がひどすぎたので、健康を謳歌しているなという感じでございます。
はい、そんな健康のお話でした。
さて、日記からのネタのコーナーです。
季節の話で言うと、竹の細クロバのシーズンですね、という話なんですが、
竹の細クロバという養虫が、マンションの一階玄関付近に無茶苦茶大量発生していて、
調べてみると、夏の初夏と秋口に大量発生するという害虫の一種で、
笹とかによく、笹の葉に卵を産んで、その笹の葉を食べて大きくなり、
このぐらいの時期になると、笹の葉からポロリと下に落ちて、
壁などに登ってきて、最後はさなぎとなるのかな、
となって孵化するというようなものなんですけど、別に可愛いんですけど、
普段ウロウロ歩くところに、こんな芋虫がいるのは嫌だなと思っていまして、
あと、この竹の細クロバは毒を持っているんです。
毒と言ってもあれですけど、毛が指に刺さると、書いてある記述によると、
1週間ぐらい赤くなって腫れたり、痒みが出たりするというようなことで、
私はまだ刺されたことがないのでわからないですけど、
あまり気持ちの良いものじゃないなというところで、
ちょっとどうしたもんかな、マンションの理事長などもやらせていただいておりますし、
どうしたもんかなと思うんだけど、自然には立ち打ちできないというところもあって、
特にこの竹の細クロバに関しては、この芋虫が壁に登り始める時点では、
もうちょっと手をつけることがないみたいで、卵のうちにとかだったら、
その笹を取っちゃうとか、葉の裏に何か塗るとか、それも大変そうだけどね、
というのがあるんだけど、もうその辺に散らばっちゃっているので、
もう一度一度取っていくしかないのかなという感じではあるんだけど、
そんなことで生態を調べたりとかしていましたので、
マンションで、この間の土曜日に雨も降っていたので、
娘がたまたま他の用事で虫を捕まえることがあったんだけど、
意外とこの芋虫とかケムシ怖がらないなと思って、
じゃあいいやと思ってレクとして、竹の細クロバ、タイジーっていうのを今日はやろうと、
紙コップ持って行って、箸持って、私が主に取るんだけど、
娘には触らないようにって言い聞かせた上で、4歳の娘にね、
触らないようにって言い聞かせた上で、いましたよっていうのを探す役をやってもらって、
壁で大量に取るっていうのをやって、別に駆除が目的というよりは、
娘との遊びの一環でやろうかなと思ってやったんですけど、
それでもちょっと駆除できてるかなと思ったんですけど、
翌日壁を見ると全く変わらないぐらいいて、
ダメだ、これは全然、箸とかじゃダメだってなって、
それでも1週間ぐらい続ければ多分多少減ると思うんだけど、
ちょっと毎日ってわけにもいかないしなーなんて思っているところなんですよね。
でも思い返してみると、今マンション暮らしなんですけど、
実家の時ってこういう外虫、実家は一軒家だったんですけど、
外虫が出てきた時ってもう自分たちで何とかするしかないから、
それこそ休みの日に家族総出で箸と紙コップ持って、
うちの場合は舐めくじとかのことが多かったんですけど、
わーっと駆除して回ったりとか、舐めくじだったらビールをね、
プリンのカップとかにビールちょっと入れておくと、
酔ってきて勝手に沈んで死ぬんですけど、
そういうのをちょっと調べたりとかして頑張って設置したりとかするんだけど、
ことこう共同所有物のマンションってなった時になると、
自分たちの問題として、この幼虫をみんなで取りましょうかみたいな話じゃなかなかならなくて、
管理業務をやってる会社に駆除を入れてみたりとか、
日々掃除をやってくださってる会社の方がいらっしゃるので、
その方にどうにかしてくれっていう風になるとか、
そういう風に外虫しがちになっちゃって、
しょうがないんだけど、みんな避ける時間も違うし、
たら自分の家の話なのにどこか予想ごとというか、
一回外に何とかしてもらおうってなっちゃうのは、
なんか構造上の問題があるのかなーなんて思っていて、
例えばうちなんかは子供と遊ぶ流れで駆除するなんてのは、
作業とは思わずに、
それで困ってる人がいて、うちも別に暇してるから、
ちょっと壁の虫ぐらい取りますよーみたいな感じの状態もあるわけで、
言っちゃうと強制になっちゃったりとか、
平等にやるとかって話になるんだけど、
問題を緩く共有して、
それなら私がーみたいな感じで持ち寄り式で、
課題が解決できるような仕組みがもっとあってもいいのかなーなんて思いながら、
一向に駆除できない竹の細クロボは毎朝眺めながら、
幼稚園に連れて行ったりしてるわけなんですね。
竹の細クロボの駆除が難しいというところで、
皆さんの周りでの害虫情報なんかも聞かせていただければと思います。
そんなお話でした。
害虫との向き合い方
さて次の話なんですけど、
続きなんですけど、竹の細クロボの駆除をしてたわけですよ。
それと前にちょっとやったのは、
キュウリを家のベランダで育てていて、
そのキュウリが育ちきって、
鉢を片付けようっていうので、
土を捨てたりしてたんですけど、
土の中から今度はコガネムシの幼虫が出てきて、
これも結構太くて、
プリッとしてる幼虫なんですけれども、
これは刺すとかないと思うんだけどね。
でもそれも害虫なんで、
取って捨てるっていうのをやるわけなんだけど、
それも娘が、「わーいたー!」とか言って、
結構大げさに、怖がるというよりは驚いて、
宝物を発見すると言うとちょっとよく言い過ぎだけど、
ニュートラルに驚いて、「わーいたねー、こんなにたくさんいたねー!」
とか言ってて、
怖がる方が困るので、
よかったなっていうか、こんなもんかと思ってたんですけど、
危険なものは危険であると伝えたいんだけど、
じゃあこういう虫を見つけたときに、
これが害虫だからって言って、
要は殺してしまうんだけれど、
そういう、いわゆる殺生みたいなものを、
4歳の娘にどう見せるか、
どう伝えるかみたいなところが、
ひとつは問題としてあるなと思っていて、
私の考えとしては、
害虫なんで、殺さないといけないのはそうかなと思っていて、
例えばクモ、スパイダーのクモとかは液虫だし、
家の中にいるとちょっと嫌だけど、
別に外にポイってやったら、
また悪さすることはないし、
液虫なんだよ、基本的にはいいことしかしないんだけど、
クモの巣を張るとかね、そういう害はあるので、
いるべきではないところにいたものは、
無闇に殺さずに、
外にバイバイって言って、
外に出すみたいなことをするわけだけど、
竹の細クロバだったり、
植木鉢にいるコカネムシの幼虫なんかは、
これはどこに逃がしても邪魔にしかならないだろうから、
殺しましょうってなるわけなんだけど、
いざ殺すって時に、
例えばあえて残酷な方法は選ばないよね、
ハサミで切っちゃうとか、
踏み潰すみたいなことを、別にしても殺せますけど、
そういうことを娘にあまり見せたくないなと思っています。
とはいっても殺す必要はあるので、
今回は灰水口、
外の道の傍の灰水口に水がたっぷり溜まっているところに
流してしてましたけれども、
それもね、セッションではあるんですけどね。
で、そういうのを娘の前でね、
虫を怖がらせないためには、
ある種楽しそうに、楽しそうにやるって言うとあれだけど、
こんなの取れたねとか、こんなのいたんだねみたいな驚きや、
ネガティブというよりはポジティブっぽいリアクションをするんだけど、
でもやってることはセッションということで、
外虫であったとしても、
これは人間の都合で殺してしまうのだから、
殺すことはしょうがないんだけど、
申し訳ないなというような気持ちをどうにか見せつつ、
娘と一緒に外虫駆除をしたいななんて思っていて、
この人間の都合で殺してしまって、
申し訳ないねみたいな気持ちは、
これは宗教によるものなのかな、
仏教とかによるものなのかわからないけど、
とはいえ殺すんですけどね。
なのでそういう姿勢を娘に見せるいい機会だなと思いつつ、
自分のスタンスというか、
何だったら殺していいのかとか、
殺すときにどういう気持ちになっているか、
これは何で殺してよくて、
こっちは何で殺しちゃダメなのかとか、
そういうことを教えるいい機会ではあると思いつつ、
自分の中でもあまり整理ができてなかったななんて思って、
どうしようかななんて思ってるという話ですね。
生命への思いやり
外虫だからいくら殺してもいいとか、
どういうふうなやり方で殺してもいいというわけでは、
ないんじゃないかなと自分も思っているんだけど、
じゃあどうなのっていうところで、
今話したようなところが、
今の自分の中での落としどころではあるんだけれど、
これを言葉で伝えるっていうのもなかなか難しいので、
難しいし、後誤解して伝わらないようにしないといけない。
だからたくさんいたねっていう、
ここのポジティブさはいいんだけど、
殺すところが楽しいみたいな、
そのように伝わらないようにしないといけないなと思って、
ちょっとセンシティブな話題なんだけど、
でもまあいい機会だからと思って、
そういうことを考えながら駆除しておりましたという感じかな。
都会にいるとこういう虫に出会ったりとか、
それを殺して片付けるみたいなことって、
実は結構非日常なんだなというのが、
ちょっと新しい発見としてあっても、
うち実家は兵庫の山の奥なんで、
虫なんか日常茶飯事だし、
いたら殺すっていうか、
蚊とかね、なめくじとか、
家庭菜園とかやってるとどんどん来るし、
そういうことって結構よくあって、
生活の中で生き物を生まれたり殺したりということは結構あったけど、
そういうのって都会だと目を塞ごうと思ったら、
いくらでも目を塞いで暮らせられるなと思っていて、
それが良いことか悪いことかっていうのはちょっとあるんだけど、
でも経験しておいて損はないと思うので、
できる限りこういうセッションに立ち会わせたいっていうわけじゃないんだけど、
自然と触れ合う機会の一つとして楽しい面だけじゃなくて、
こういう生き死にについて考える機会が提供できるといいな、
そしてその時自分はどういう覚悟でというか、
自分もどう考えてたのかな、
どう折り合いをつけていってたのかなみたいなところを
ちょっと考えないといけないななんて思ったっていうセッションについてのお話でした。
親子のコミュニケーション
ちょっと今回はね、子育て話。ほとんど子育てになるかな。
次の話なんですけど、
最近といっても4歳の娘は機嫌の良い時と悪い時があって、
機嫌の悪いわけではないんだけど、ちょっと反抗したい気持ちになる時もあると。
例えばお風呂に入るときね。
私と一緒にお風呂に入ることが多いんですけど、
一緒に入ろうって言うと、なかなか入ってこない日があるんですよ。
なんか熱中してたりとか、
あとその入らないっていうことがもう遊びになっちゃっていて、
どう言ってもわがままでとか、ごねてっていうよりは入らないと親が構ってくれるみたいなことなのかな。
そんな感じで入ってくれない日とかがあって、
そういうこともあるかなと思ってあんまり私は強く言わないようにしてて、
自分が入る分入ったら上がっちゃうよって言って、
さすがに上がられると困ると思うのか、娘がそうなってきたら入るって言ったりとかして、
親の言うこと聞かんなと思ったりすることはあるんですけど、
この間相当ひどくそれで入らない時があって、
もう上がるよとか言って、もう服着ちゃうからねとか言って、
もうどんどん服を着ていって上がる準備をしてしまって、
これで娘がちょっとべそかきながら、いや入りたかったのにとかってすごい遅れてやってきて、
ここでね、もう話聞かないんだからとかって言って一言怒るのもできるんだけど、
別にもうこの段階で怒っても娘も十分反省というか、
こうなっちゃうってよくない結論になるってことはわかってるし、
入るかってやろうかなと思ったんだけど、
ここでちょっとプラスアルファちょっと一回提案してみようと思って、
じゃあ一人で入ってみるという投げかけを、
もうお姉さんだし一人で入れるんじゃないとかって言ったら、
いいねとかってなってそこで持ち直して、
一人でお風呂入るっていう、私は横でいてね、
頭ちゃんと洗えたらチェックとかをしたりしたんですけど、
一人で入るっていう遊びというか、
活動が始まって、私は脱衣所のところで、
じゃあ次は頭を洗うといいんじゃないかなとかって言って、
いくとどんどん素直に一人でお風呂入れて終わったらパチパチって、
じゃあもう最後服も自分で着ちゃおうかとか言って、
促していったらもうパーッと一人でお風呂できるようになって、
雨が降って地固まるというか、
そんな面白いエピソードというか、いい話があったんですけど、
本当の目的は親と一緒にお風呂に入ってほしいことじゃなくて、
娘がお風呂に入るべき時にちゃんと入ってくれて、
自分でちゃんとお風呂回りのことができるようになってほしいっていうことがメインだから、
親の言うことを聞かないっていうことに対して話すのは別にやってもいいんだけど、
本質はそこじゃないような気もしていて、
自分のことはちゃんと自分で考えてやってほしくて、
親が言うからやるとかじゃなくてね、
お風呂入らないといけないな、入らないと痒くなるなとか、
そういう自分で入る理由を見つけて、それで入ってくれるのが一番良くて、
親の言うことを聞きなさいっていうような伝え方はちょっとミスリードなのかななんて、
この一連の流れを通じて思っていても、
私が叱るのがあんまり得意じゃないっていうのもあって、
基本そういうやり方にしがちで、
それはそれでどうなのって思うこともあるんですよ。
親の言うことを聞かない子じゃないって、聞くことに強い強制力を出してないので、
聞いてくれないことが結構あるんです。
それはこういうところで娘の言い分を通してしまっていて、
親の言うことを聞かなかったからすごい親が怒るとかっていう体験をしてないから、
聞かなくなってるんじゃないかなって不安になることもありつつ、
でも別に親の言うことを聞かせたくて子育てしてるわけじゃなくて、
ちゃんと物事には理由があって、それをやるべきだからやってもらう。
それを親は子供に伝えていて、ある時よりから先はちゃんと自分で考えてやってきてほしいから、
親の言うことを聞いてほしいってのが第一じゃないなというような気もして、
これは自分に言い訳かもしれない。
叱れない自分に言い聞かせてるようなところもあるんだけれど、
そんな風に子育てを結構しているところがあって、
これは今風だとは思うんですね。叱らない子育てとかっていうやり方だと思うんだけど、
それはそれですごい不安になるなと思う。
叱ってなくて大丈夫か?
これでちゃんと反抗しない子に育つか?みたいなところとかが気にはないつつ、
でもよくよく考えてみるとやっぱり叱るべきではないし、
それと反抗することは結構独立してるだろうなと思って、
こういう風に受け流し方式で手を変え品を変え、
娘がちゃんと大人になれる手伝いをしていければいいなとは思ってはいるんだけど、
そんな話がありましたというところですね。
昔話の教訓
この話、自分と弟の話、トーク42で話しましたけども、
弟と自分が関わっていく中でも結構自分は弟のやりたいということをわがままを通して、
自分は我慢するという育ち方をしてたし、
我慢という言い方はちょっとネガティブなんだけど、
もうちょっとポジティブに捉えると、
自分がこだわっているところのコアの部分は守るんだけど、
それ以外の部分はもういいよ、あなたがそうしたいんだったらそうしなさいっていう、
こだわりのラインを上手く情報するようなコミュニケーションの仕方を弟ともとってきていたので、
それが子育てにも効いてきているなと思っていて、
この結果、うまく育つかとか、どういう影響があるのかとかよくわからないんだけど、
自分はこういう子育てがやりやすいと思っているし、
そんなに悪いものでもないだろうと思っているのでやってはいるんだけど、
それならそれでっていう、
そういうコミュニケーションの方法、人との接し方っていうのが、
今自分はやっているよという話で、皆さんどうでしょうね。
妻とか他の家の人を見ると、やっぱり親として感触を起こしてしまうとかも、
親が感触を起こしたりとか、時間的制約とかいろいろ切羽詰まっているので、
どうしても強く親の意見を通して娘に、子供に何かをさせるっていう場面は私もあるしね、
その割合がどのくらいかっていうのは結構人それぞれ、家それぞれだと思うので、
ちょっとそのあたりの話も気になるなぁなんて思ったりしていて、
そんなそれならそれでっていう感じの子育てをしておりますよというお話でした。
はい、じゃあ次の話なんですけど、また娘の話だわ。
今回は子育て会にしましょうか。
昔話ね、その4歳の娘のために、妻が本を一式、いわゆる昔話本、
世界の童話、日本の童話がセットになったような、世界名作劇場みたいな本をね、買ってきたんですよ。
10冊かな、20冊くらいあるのかな。メルカリで買いましたんで、歯抜けではあるんですけどね。
で、その本を見ていると、桓松に物語の類型なんかの話は結構大人向けの説明も書いてあって、面白いなと思っていて、
例えばその小太り爺さんの話を見ると最後に、小太り爺さんというのはこの意地悪爺さんと正直爺さんが出てくるこの意地悪正直型ですと。
で、こういう類型が見られ、この地域ではとか、海外でもこういう話が小太りになったか忘れたけど、
そういう風にちょっとメタな物語の情報が載っていたりもするんですよね。
で、ちょっと面白いなと思って見てみました。
そうやってまとめて昔話を読む機会ってあんまなかったので、改めて昔話、童話についてちょっと思うところがあるなと思って、ちょっとまとめてみました。
なんか、その買った本の中にはサルカニ合戦、カチカチ山、三匹の小豚なんかがあって、
三匹の小豚を置いておいてもサルカニ合戦とカチカチ山の話は非常に残酷だなと思って読んでましたと。
あらすじは述べませんけど、過剰防衛だよねっていう、なんかやられたからの仕返しをする話なんだけど、
やりすぎでしょ、それはかわいそうでしょっていうぐらいにやりすぎちゃうっていう話になっていて、
これ娘何を得るんだと思いながら、まあ別にいいけどね、読んでましたと。
で、あとその自分が小さい頃見てた話に比べると、残酷な描写がちょっと減ってるんですよね。
例えばそのカチカチ山は、なんか私の知ってる話だとおばあさん死んじゃったような気がするんです、最初ね。
狸にやられて。それでウサギがいろいろ仕返しするとかじゃなかったかなと思うんだけど、おばあさん死ななくなったんですよね。
でも仕返しはやっぱりやるので、そうなるといよいよもって過剰防衛になってくると。
だからその残酷な描写をちょっと減らした結果、嫌がらせ描写はそこまでひどくないので、嫌がらせがすごくそのまま残っていて、
なんかアンバランスになってきてるなというような気持ちもあったりとかして、
昔話、本当は怖いみたいな話結構あるんで、そういう話の領域だと思うんだけれど、
何を伝えたいのかなとか、ちょっとこれからそういうその仕返ししてもいいとか思ったりしないかなとか、
子供がちょっと心配になったりとかしました。
こういう話は別に一つが良い一つが悪い、見せない見せるとかじゃなくて、
いろんな話を見てバランスを学んでもらえばいいかなと思うんで、
別になんかこれは良くない本だから取り上げるとかはしませんけどね。
そんな感じに思いましたね。
3匹の子豚がギリギリの正当防衛のラインじゃないかなと思うんですよね。
狼が来て、煙突から入って来ようとするからしょうがなく下に温かい熱い鍋を置いて、
逃げさせました。
これはね、こんなもんじゃないと思うけど、ちょっとサルカニ合戦やカチカチ山やりすぎだろうという気がしますね。
あとさっき話しましたけど、小太りじいさんとか花咲かじいさんみたいな正直者と嘘つき者が出てくる話、
物語の価値
これは結構いい話というか悪いところないなと思っていて、
誠実に生きたりとか何か技術が卓越している人がいい目にあって、
それをただ表面上真似たような人はちょっと良くない結論になるというのは、
これはすごく世の真理だなと思っていていいなと思いました。
マッチュウリの少女、これはただ悲しいなと思うんだけどね。
パトラッシュの話とか別にあるけど、
ああいうなんか、なんだ、ちゃんと読んでないけど、
あれはその幸せの感じ方は人それぞれだよみたいなことがあるのかなと思うんですけど、
一見ね、その貧しい悲しい余地だけど、少女はその幸せに息を引き取りましたみたいなことなんだと思うんだけど、
ただ悲しくて、こんな悲しい話も別に良くない?と思ったりしましたね。
あとそれから笠地蔵とか鶴の恩返しみたいに、
何か良いことをしてたりすると神が慈悲を与えるみたいなね。
神様は見てるぞみたいな、そういう話があって、
これもまあ主体が神に変わるだけで過剰防衛になっているケースとかもあるんだけど、
神ならいいかなと思って。
そうだからやっぱり何か因果応報みたいな話をしている時には、
相手が対等な人間から何か罰を受けるより、
神とかの方がまだ良いんじゃないかなと個人的には思ったりしますけどね。
昔話だから別にどうってことはないんだけど、
長く読まれてきているのには理由があると思うんだけど、
そんなちょっとつい累計立ててしまうななんて思って見てました。
それからやたら貧乏からのスタートの話が多いですよね。
昔々おじいさんとおばあさんがおりまして、
二人はとても貧乏でしたとか言ってね。
昔話と教育
まあいいんだけど、庶民の大半は貧乏なのかもしれないけど、
なんかちょっと貧乏じゃない人が多いとは言わないけど、
結構何かを持った状態からスタートするような昔話というか、
お話も結構欲しいなあなんて思って、
ノブリス・オブリージュ、持つべきものの義務じゃないけど、
何か施せるとか知識とかを持っている人はどう生きるべきかとか、
どう生きるといいのかみたいなところも何か織り込んで欲しいなあなんて思いながら、
昔話だからね。
一方で図書館とか行ってると昔話じゃなくて、
今風のというかいろんな話がたくさんあるので、
その昔話で足りない部分は図書館の本とかで補えばいいんだけど、
何かそういうふうに見ていくと、
いわゆる上層教育ってやつだと思うんだけど、
何か本から得るものは多いと思うし、
さっき言ったみたいにだからいい本ばっかり与えましょうというよりは、
いろんな本を与えてバランス感覚を養ってほしいなあって気持ちがあるので、
生徒過剰防衛の本ばっかり読ませるとかではなく、
いろんな本が読めればいいかなあと思ったりしましたね。
この辺も多分、私は日本でもちろん育っているので、
すごく私の潜入感も大きいと思うので、
これを聞いている方で何か、うちはこうだよとか、
この国ではこうなんだみたいなところがあったら、
ちょっとぜひ聞いてみたいななんて思いました。
そんな昔話の類型についてのお話でした。
子育てと日本語の難しさ
さて、ばーっと話してきましたが、前回の振り返りですね、
前回トーク70、区切り位置が難しい名称というお話でしたが、
その区切り位置の話じゃなくて、そこでちょろっと話した、
丸に含まれる罰成分ってなんだっけな、
花水木に花水って言葉が入っているのねみたいな話をしていたら、
これは部分ネタっていう形でブログ記事にまとめてらっしゃる方がいるよっていうコメントをいただいて、
部分ネタというところでまとめて、例えば何がある?
YouTubeの中に宇宙が入っているとか、面白いね。
とうせんぼの中に汚染が入っているとか、
むちゃくちゃそういうのがたくさんまとめてあって面白いなと思ったので、
またURL、概要欄にでも貼っておきますね。
それから区切り位置の話で言うと、
いなじぶがディスコードサーバーで話になったんですけど、
海外の人からしたら日本語も絶対分かりにくいよねって話をしていて、
確かに日本語の漢字の区切り位置なんてのは絶対に分からないだろうと思っていて、
それ以外にも日本語は分かち書きされていないので、
文章を切るのも難しいし、
切る位置の難しさで言うと日本語は相当難しいだろうなと思うんですね。
例えば、西東京って書いてあったら、
もう西と東出てくるしどうするのみたいな感じもあるし、
他の国の言葉ってのはだいたいそういうものなんだなと思いました。
それから日本語入力システムを作るにあたって、
Raspberry Piの起動が遅くてみたいな話をしてたんですけど、
Chromebookの起動は結構早いからそれはいいんじゃないかみたいな話もいただきました。
話した後に見ていましたけど、
私が日本語入力システムを自分で作りたい要求は、
既存のシステムの起動が遅いからみたいなことを言いましたけど、
これは取ってつけた理由で単に作りたいから作ってるんじゃなくて、
起動が遅いなんての後付けの理由なんだろうななんて自分でも思いました。
作りたいに理由はねえんだよっていうようなそんな気持ちもありましたが、
情報ありがとうございました。
Chromebookの起動が早い、どうなんですかね。
ブートまでの時間を測ってるのは結構あるけど、
その後ブラウザ起動して目的のページを出すまでってなるとどうだろうななんて思ったりしましたけど、
ちょっと手元にないんで測れていませんが、
そんなベンチマークなんかも探したいななんて思いました。
さらっとそんな前回の振り返りのお話でした。
さてお話ししてきました、いなじょぶのためしに録音してみた。
略してため録、トーク71そろそろおしまいの時間になってきました。
今回はちょっと若干虫の話しました、自然の話しましたけど、
あとは全部子育ての話ばっかりでしたけれども、
まあまあそういう回もありますよ。
この番組は30代後半ものづくりが好きで、子育て中のエンジニアであるいなじょぶの、
なんでもない雑談をお届けするポートキャストでしたけれども、
今今日は子育て中と30代後半がギリギリあったかな、
ものづくりの話は一切しておりませんが、
まあまあそんな日もありますよ。
というところでまた来週もやっていこうと思いますので、
気になる方は高読ボタンを押していただければと思います。
また私と交流したいような方はディスコールサーバーもありますので、
概要欄からリンク押してもらえれば入れるようになっていますのでよろしくお願いします。
それでは今日はこのぐらいにしようと思います。
お聞きいただきありがとうございました。
26:06

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