2025-09-06 38:12

#136 絶対無

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近代日本哲学を語る②

サマリー

ポッドキャストの第136回では、日本哲学の西田貴太郎について議論されており、特に「存在」や「純粋経験」という概念に焦点が当てられています。西田は西洋哲学のデカルト的アプローチに挑戦し、魂の経験や人の心を重視する視点を提示しています。このエピソードでは、論理哲学や哲学のパターンが探求され、自分の行動や経験の重要性が強調されています。特にアリストテレスや西田貴太郎の視点を通じて、絶対無という概念について詳細に議論され、その影響や解釈の違いについても触れられています。人間の存在や実存についての考察が行われ、過去と現在の違いや記憶の重要性が語られています。また、日本の歴史的な背景が現代に与える影響についても触れられています。

絶対無とタイトルの考察
スピーカー 1
絶対無、テツセカ。
スピーカー 3
この番組は、テツセカ公式第3人が知らないながらも素人を育く番組です。
みそです。
スピーカー 2
もーです。
ともきです。
スピーカー 3
なんかこう、なんだ、この最初のタイトルがつまんねえみたいな感じでね、もーさんは好きに言ってますけれどもね。
スピーカー 1
はいはいはい。
スピーカー 2
ごめん、今聞き逃しちゃった、なんて言ったの?
スピーカー 1
えっとね、つまんないからもう一回言いたくないんだけど、絶対無です。
スピーカー 3
絶対無。
スピーカー 2
なんか英語の言葉になんかかけてんのかなと思ったけど、そのままだんだね。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 3
そのタイトル面白くないですよね、つってね、テツセカのXでアンケート取ったら、大半の人がそんなの関係ねえつって答えてくれてるからね。
スピーカー 2
うん、やってるしね。
スピーカー 3
もうちょっと自己肯定感あげていいと思う。もーさんに負けずに自己肯定感あげればいいと思う。
スピーカー 1
いやいや別にそんな下がってはないんですけど、とはいえやっぱりちょっともーさんを笑わせたい気持ちはあるわけで、その辺の攻め気合がね。
スピーカー 2
いいよ、別に笑う。ずっとこういうふうに言い続けるだけだから。
別に笑いたいわけでもないしさ。
スピーカー 3
笑える面白さを求めてるわけでも別にないでしょうね。
スピーカー 1
そうなんですよね、そうなんですよ。
スピーカー 2
いや求めてるけど、別にダメならダメでしょうがないし。
スピーカー 3
いやいや。
スピーカー 2
無ですよ、無ですよ、本当に何事も。
スピーカー 1
そうなんです。
スピーカー 2
無ですよってことですよ。
スピーカー 1
そういうことです。
スピーカー 2
お願いします、今日も。
西田貴太郎の哲学
スピーカー 1
前回に引き続き、日本哲学といえば西田貴太郎ということで、西田哲学の中身に入っていくという感じなんですけど。
僕もよくわからないんですけど、彼がざっくりどんな哲学を扱ったのかっていうと、存在についてなんですよ。
スピーカー 2
存在。
あるわ、あるわ。
存在はない。
スピーカー 1
あるある、存在はないについて、正面から取り組むというか、それを日本的に考えたらどうなるんだみたいなニュアンスもありつつ。
もちろんそれだけじゃなくて実践面とかもいろいろ重視して、それこそだから禅が大事だよねみたいなことを言ったりしていくんですけど。
その禅とは何かみたいな話の流れの中で、やっぱり存在そのものっていうのは問わなきゃいけないよねと。
こういうところで、ここが西洋に対する挑戦みたいな部分でもあるわけですよ。
あるはある、ないはないとかは古代の話なんで、当時は半分忘れ去られてるわけですよね。
ハイデガーが出てくるのもちょっとこの後ぐらいなんで、そのリバイバルもまだ起こってないぐらいの時期で。
だからデカルトなんですよ、やっぱり。乗り越えなきゃいけないの。
デカルト的な、我を思うゆえに我ありっていう、我があるから世界があるんだみたいなこの世界観。
我からどんどん発展していって、我が思ってるんだから目の前のパンとかも名責判明にあるよねみたいな。
これはもう間違いないですみたいな風になっていくと。
だからこの世界は理性で分析可能なものになっていって、ニュートンとかもデカルトをすごい読んでたみたいな話とかもあるわけですけど。
自然科学みたいなのの地平が開かれていくっていう方向に、西洋の哲学は進んできたわけですけど。
西田はそれに対して、今の西洋の哲学はニュートンとかも含めて、自然科学とかも含めて確かにすごい緻密ではあるけど、
人の心とか忘れてるよねみたいな話とかをしだして。
スピーカー 3
人の心を忘れている?
スピーカー 1
そうそう、人の心を忘れているよね。魂とか忘れてるよねみたいな。
そういう話しだします。
だってこの時代の西洋哲学は神からの脱却を図ってんじゃないの?
え?
スピーカー 3
え?違うの?この時代の西洋哲学っていうのを参考にしてるところの西洋哲学は、
スピーカー 1
キリスト教からの脱却を図って、結構人間っていうところに向き合ってるみたいなイメージがあるんだけどさ。
確かにそういう意味もあるですね。
たぶんここで言ってる、西田貴太郎が言ってるのは、すごく自然科学みたいなのが変調になっていってしまって、
なんか言ってたのが、目の前のパンの成分とかはすごい分析していって、
これとこれを分けていくみたいなのをすごくやっていって、めちゃくちゃ詳しく緻密になっていってるんだけど、
そのパンの味とか忘れてねみたいな、そういう感じのニュアンスを言って、
スピーカー 3
それを魂の経験だみたいなことを言ったりするんですよ。
スピーカー 1
ソウルエクスペリエンスだみたいなことを言っていくみたいなね。
スピーカー 2
何エクスペリエンス?
ソウル、魂。
スピーカー 1
なんかこう、わかんないんですけど僕はね。
だからデカルトはすごい疑いうる限り疑っていって、
唯一疑いないのを思っている我だな、みたいなところに行き着いたけど、西田貴太郎的にはそうじゃなくて、
疑いうるだけ疑っていくと、この我とかパンとかなくなるんだよね。
そんな境界線みたいなのは溶け合って、我とパンとのなんというか、わかんないんですけど、
我とパンの関係性における魂の経験しかないんだ。
それのことを純粋経験とかって呼んだりするんですけど。
純粋経験の重要性
スピーカー 1
世界観的にざっくり言うと、全てが根前一体となっていて、
今、ポッドキャストでこれを配信してるわけじゃないですか。
それを聞いてる人もいるわけじゃないですか。
聞いているという経験みたいな。
今、聞いているという経験っていうふうに言われたから、聞いていることを意識するけど、
普段って聞いているということなんていうのは意識せずに、
純粋に経験として受け止めてるじゃないですか。
音を音とも思わずに。
スピーカー 2
言葉にしてね、例えば一体とかってさっき言ったけど、
例えばみそちゃんとトムキと一体とか言われるとちょっと気持ち悪いんだけど。
そうそう、みんな一体です。もうさんも一体です。
スピーカー 1
根前一体となってる。
スピーカー 2
絶対ちょっと無理なんだけど。
スピーカー 1
本当に目の前で今収録しているという経験という、
この純粋経験こそが実在なんだみたいな。
これに自分とか相手とかもうないでしょみたいな。
だってそれは相手がいないと今成り立たないじゃんみたいな。
これをまるっと含めて純粋経験なんだよねみたいな。
スピーカー 2
それ分かってるの?言葉で言うと。
分かってるよ。
スピーカー 1
なんとなく分かってる、僕はね。
スピーカー 2
分かってる気がする?
分かってる気がする。
スピーカー 1
確かになとは思う。
スピーカー 2
えー、みそちゃんは?
スピーカー 3
よく分かんない。
スピーカー 2
やっぱりね、そうだよね。私すごい分かっちゃうんだけど、ごめん。
やば、やば。
スピーカー 1
確かにその応用が必要なのかもしれないね。
スピーカー 2
何が?
スピーカー 1
そのスピリチュアル的な魂の共鳴みたいなのが必要なのかもしれない。
知らんけど。
スピーカー 2
魂の共鳴してるんですかね、やっぱり私たちは。
スピーカー 1
分かんない。
ここで誰かが認めて、してますよーとか言ってくれると分かりやすいんですけど。
だからややこしく聞こえるけど、
要はデカルト的なカチッとしたね、
我を思えば後は理性でどんどんいけるみたいな、
我にちゃんとアンカーを打っとけば全部大丈夫だからみたいな感じではなく、
ふわっと全体を捉えて、今目の前のこの経験そのものっていうのを、
それを純粋経験と呼んでいて、
それこそが唯一我々があると言えるものなんだと、
実在ってこれなんだみたいなことを言ってる。
スピーカー 2
やば。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
すご。
スピーカー 1
そうそう。だからなんかやっぱこう、
イデアとか何か超越したものみたいなのを設定しなくても、
イデアがあるからこの世界があるみたいなことではなくて、
実在っていうのは、これ西田喜太郎の言葉で残ってたんですけど、
前々から西洋の本とか読んだりとかしながら、
いやなんかイデアとかピンとこねえんだよなとか思ってて、
実在っていうのは現実そのままじゃなきゃやっぱおかしいよねみたいなことを残してるんですよ。
だからそのまま、現実そのままありのままに捉えて、
主客身分とかって言ったりするわけですけど、
主体と客体が分かれてないみたいなね。
根前一体となっていて、すべては相対的であって、
相対的にあるとしか言えない純粋経験みたいな、そういうやつです。
スピーカー 2
そういうやつって全然わかんないんだけど、
それどっちでも私にとってはいいことなんだけど、
彼が言いたいことの存在は、
スピーカー 1
その中、魂の純粋経験と名付けたそういう経験であるっていうところを、
スピーカー 2
なんかわかっちゃうなって思っちゃってるけど、
わかってないかもしれないけど、
どういうふうな経験をされたからそこに行き着いたのかとかを、
お互いに語り尽くしたいって感じですね。
スピーカー 1
やっぱり哲学っていうのは、
不幸になってどん底に落ちないとできねえんだよ、みたいなことをつぶやいてましたね。
スピーカー 2
え、そうなの?
スピーカー 1
なんか言ってました。
だからすごくへこんでた時期にいろいろ考えて、
北海道か旅行行ったんだっけな、ちょっと忘れたけど、
なんかその時に、
ブワッと自然の何かが、
あれ確かももさんも言ってましたよね。
夕日がすげえ入ってきてみたいなさ。
スピーカー 2
夕日じゃなくて朝日だった。
朝日か。
スピーカー 1
それを全身全霊で浴びてしまってみたいな。
たぶんそれなんだと思うんですよね、純粋経験みたいな。
スピーカー 2
でもね、私それは経験で素晴らしくて、
もしかして魂があるとしたら、
魂は磨かれたなって思っちゃう。
あのやっぱり言葉で出しちゃうとね。
あの瞬間に私の魂はもしかしたら磨かれたかもしれないと思った。
なんか一段階違うところに行ったみたいな感じがして、
それが上だとか下とかじゃなくて、
違うステップがどっかに行って、
私やっぱり上だとか下とかっていう言葉があんまり好きじゃないから、
でも自分が行かなければいけない道の
ワンステップアヘッドみたいな感じになったなっていうのはあったのね、
あの対応を見たときに。
だってそのときに、
あーなんかみんな平等なのに、なんか悩む必要ないよって思っちゃったから。
まぁ悩むけどみんなそれぞれ。
だけど、そんなのはどうでもよく置いといたとして、
なんか存在っていうものを別に、
なんでそんなに悩むのと思っちゃう。
なんでこだわるの、存在にとか思っちゃう。
存在論とかあるでしょ。
なんでこだわるのってちょっと思っちゃう。
スピーカー 1
確かにね。
なんで、そうだよね。
スピーカー 2
いいじゃん別に。
スピーカー 1
デカルトというか西洋哲学に乗り越えたくて、
それに応えたいみたいなモチベーションはもちろんあったと思いますけど、
確かにね。
この後もさらに発展させて、
純粋経験だけじゃなくて考えていくんですけど、
確かにそう言われると、なんでそうなっていくのかはよくわかんない。
スピーカー 2
存在してることをどうしてもプルーフしたいの。
証明したいの。なんでって思っちゃう。
スピーカー 3
本人のその辺はやっぱり経験則だとか、そういうところなんじゃないのかなっていう気がします。
スピーカー 1
そうだよね。
存在を確かめたいみたいな部分はあったりするんじゃないですか。
やばいもう、この世界から消えたほうがいいのか、みたいなことを思ったときに、
あれみたいな、存在ってなんだっけみたいな。
確かにネガティブなときほど世界についてとか考えたりするよね。
スピーカー 2
実存と存在の違いみたいなの。
実存してることも自分がやっぱり感覚として思いたいっていう気持ちがあるのかしらね。
哲学者の人たちっていうのは。
その辺を解明したいみたいなのがある。
スピーカー 1
だからその実存に重きを置くか、
イデア的な何かに重きを置くか、みたいな。
その対立がずっと西洋ではあって。
西田貴太郎は実存でしょ、そりゃ。
それは目の前の全てのことだよ、みたいな。
この世界全てがありのままにそうなんだよ、みたいな。
行動と経験の重要性
スピーカー 1
そういう感じなんだと思うんですけど。
スピーカー 2
そうかそうか。
スピーカー 3
なんかさ、哲学のパターン。
僕、前回話したグローバルとローカルの話に、
また近いような話になっちゃうかもしれないんだけどさ。
既存のすごく大きい学問だとか、権威ある学問みたいなのがある状態でさ、
そういう頭でっかちなことじゃなくて、
自分の行動がめっちゃ大事やで、みたいなことを言うパターンってめっちゃない?
スピーカー 1
あるある。
スピーカー 3
まさに。
アリストテレスがフィールドワーク超大事だよって言ったりさ、
趣旨学みたいな学問じゃなくてさ、
もっと自分で動いたものを信じようと。
妖明学とかさ、
今回の話だってさ、
結局西洋哲学みたいなのが主流になってる中で、いや違うだろみたいな感じの話ってさ、
既存に対して、既存でも体系だったものがあるのに対して、
自分が動いていくことだとか、自分で見聞きしたものっていうのを信じようぜ、みたいなのっていうのが、
カウンターカルチャーとして必ず出てくるよな、みたいなパターンの一つかなってちょっと思ったりした。
絶対無の議論
スピーカー 1
まさしく、まさしく。
別にだからこれは日本で、西田貴太郎が悶々と考えたからこうなってるだけで、
西洋でも別に同じようなことが考えられてたわけですよ。
同じ頃に、まさに同じ頃に、
それこそフッサールとか出てきてて、現象学とかが出てるわけですよ。
その目の前の現象をそのまま捉えろみたいな、同じようなことを全く言ってたりとかするので、
なんかこう、なんていうのこういうの、シンクロニシティというか、
なんかそういうのが起こったりもしてるわけですよね。
そういう流れではあったというか、別に日本もオリジナルで考えたというか、
みんなやっぱりそういう思考にはなってたんだろうな、みたいなところは確かにあるっていうかね。
スピーカー 2
面白い。文明が生まれたとかの同じぐらいになったっていうのとかと同じような気がしちゃうね。
そのなんか考えがみんな。
スピーカー 1
同じように別々のところで同じように流れてるみたいなのがすごいね。
スピーカー 2
ちょっともう、地点がさ、大きすぎな私たちちょっと。
スピーカー 3
そんなことはないよ。
スピーカー 2
なんかすごい。
スピーカー 3
そんなことはないよ。
スピーカー 2
なんかもう偉そうすぎない?いろんな。
スピーカー 3
いやいや、まだまだ知らないながらも素人足掻いてますよ。
スピーカー 2
足掻いてるけどさ。
スピーカー 1
知らないしさ。
スピーカー 3
これ歴史全体を見てるよ、みなさんなんかね、すごいね。
でもなんか前に話したさ、秩序と混同みたいな話なんだなっていう感じがするね。
そうだね。
スピーカー 1
ぶっ壊したくなるっていうね。
挑みたくなるんだろうね。
そうだね。
スピーカー 3
どっちかというと挑む側は弱いからさ、やっぱり自分の知見というか行動したときに気づいたものみたいなのっていうさ、
その内側から発露するものみたいなのをさ、縦にしていくみたいなパターンなのかなみたいなこともちょっと思ったりしたね。
スピーカー 1
そうだね。
確かにな。
でもこの後、それこそ絶対無の議論に入っていくんですけど、その絶対無っていうのがなんていうのかな。
さっきミソさんが言ってたように、プラトンに対してアリストテレスはすごく反駁していって、
目の前の古物が大事なんだよみたいなことを言ってたわけじゃないですか。
イデアよりもこの現実の目の前の古物を、このエイドスを、系層をちゃんと大事にしようぜみたいな話をしていたっていう流れで言うと確か同じような感じなんですけど、
でも結局アリストテレスの系層質量っていうのはさかのぼっていって、だんだん大きなものにたどっていくと、
論理的には不動の動者っていう、なんかしないけどまたイデア的なものにたどり着いちゃったみたいな話があったじゃないですか。
スピーカー 3
ありましたね。
スピーカー 1
西田貴太郎もそれと同じようなことになるんですよ。それが絶対無っていう概念で。
確かにモンさんが言う通り、そんな議論しなくていいんじゃねえのって、別に純粋経験そのままでいいじゃんってならないんですよね、なぜかね。
アリストテレスと同じように。アリストテレスはこの辺ちょっと僕の解釈が間違ってる可能性あるんですけど、
アリストテレスはどんどん大きいものに大きいものにっていう風になっていって不動の動者になっていった。
西田貴太郎はそれと逆のことをやっていって、小さいものというか、人間だったらモンゴロイドとかさ、日本人とかさ、石川賢人とかそういうふうに。
分かんない。ちょっと区別が分かんないけど、そういうふうにカテゴリー的にね、小さいものに小さいものにやっていくと、絶対無という地平に行くんだみたいな議論をするんですね。
やっぱそれがなんかね、なんというか、そういう議論したがるんでしょうね。それがないと純粋経験が、その純粋経験の根拠になるものは何なの?みたいなことを問われたときに、それは絶対無なんです。
絶対無という、なんというんだろう。空の思想とかにそれはすごく影響を受けてるらしいんですけど、ちょっと僕もよく空の思想がわからない部分があるんであれなんですけど。
要はなんかその、別に絶対無って言ってるけど、そこに何もないって言ってるわけじゃなくて、なんか全てがやっぱもうその空の中では根前一体となっていて、空の中から関係性とかあらゆる縁起とかね、そういうのが立ち現れてきて現象が起こっていくみたいな。
まあそういうようなニュアンスで言ってるんですよ。だからこう、絶対無って言ってるけど、全くないとかじゃなくて、実はめっちゃあるんですよ。
絶対無と呼んでいるのは、その名称はこの世界が相対的だから、相対的にあるとしか言えないから、それに対局するものは絶対的にないっていう、なんかそういう半分言葉遊びみたいなところがあるんですけど。
ヤバいんだ。僕はわかんないけど、空の思想と西洋哲学みたいなのを、やっぱりそこですごくうまくミックスさせたところをすごく評価されてるというか、これは確かに日本オリジナルだね、みたいなふうに呼ばれてるというか。
哲学的批判と修正
スピーカー 2
あるの反対が絶対無だったら、あるはもうあるから、なんか可能性がないというか、あるから。でも余白がないと、空白がないと、その空とかよくわかんないけど、仏教の。
でもその空がないと、そこに先に広がっていくための可能性がある。絶対無だと。あるはもうそれ以上にはならないから。だからすごいかも。
スピーカー 1
なるほどね、確かにな。
スピーカー 2
そう、だと思います。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
だからそういうつもりだったのに何か間違えて解釈されちゃったりしたのかな、これから。
スピーカー 1
それもあるですね、それもある。だからそれこそ、西田がどういうつもりで言ってたのかは僕はちょっとわからないんですけど、
まあ、勘違いされたりとか、やっぱり西田先生すげえってなって弟子たちがいっぱいついたりとかしていく。最初はやっぱりこの本全然売れなくて、絶版に一回になったりとかしたらしいんですけど。
なんか結構有名な人が、こいつはすげえとかって雑誌かなんかで取り上げたら、そっからめっちゃブレイクしていくみたいなことが起こっていくっていう感じになるんですけど、そっから弟子たちがどんどんついていって、批判されながら発展していくというか。
まあ、やっぱり哲学なんで、必ず批判はめっちゃ入るわけですよ。その弟子の中で一番有名なのは、田辺はじめという人で、この人バチクソに西田のことを批判していくんですけど。
だから、田辺はじめはシンプラトン主義とかもこの頃に学んでたらしいんですよね。プロティノスとかの流出してくるっていうやつですね。一社からの流出みたいな。
一社が充実しすぎて、パンパンになりすぎて流れ出てきちゃうみたいな。だんだん流れ落ちてきて、この物質世界があるみたいなんですね。それと西田先生が言ってることって、何が違うんですかみたいなことを突っ込んでいったりするんですよ。
確かに言葉としては絶対無とか言ってるけど、プロティノスの一社と何が違いますみたいな。だいぶ充実してある感じっすよねみたいな。純粋経験こそが実在とかって言ってるけど、結局それを成り立たせてるのが絶対無なら。
充実したあるとしか言えない、あるとしか言えないような無じゃないですか。湧き上がってくるということは、何もないとこから無から有は生まれないでしょっていう。
スピーカー 2
だからそれって、方向性は確かに違うけど、逆のことを言ってるのかもしれないけど、いや一緒じゃねみたいな。批判をしたりとか。
なんか大変なんだね、そういう人たちはさ、なんか別に。
スピーカー 1
大変だね。別にいいじゃんね。
スピーカー 2
って思うけどでも、それを反駁していくの?また。
それでもっと考えるんだ。
スピーカー 1
それによっていろいろ修正したりとかはあるんですよね。
前の研究にはそれは書かれてないんですけど、後々論文とかで修正していくみたいな流れとかがある。
スピーカー 3
批判とか議論とかって建設的にやるとすごく効果があるよなっていうのを大切にするような話だけど。
スピーカー 1
確かに。
その辺がちょっとすごくややこしいし、僕もあんまり理解しきれなかったんで。
どう修正していくかとか、その辺がね。
絶対無とかはあんまだんだん確かに言わなくなっていったりとか。
純粋経験とかっていう言葉もね、なんかちょっと言葉のニュアンス変えたりとかっていうふうになっていくんですけど。
プラトンみたいな。
スピーカー 2
まあまあそうですね。
なんか言葉って大切だよ。なんかむずいよね、言葉ほんとに。
スピーカー 3
むずいし、ニュアンスだよな、ほんと。
スピーカー 2
日本語だけで話してると、やっぱりだんだんラテン語とかわかんないと、何にもわかんないんじゃんって思い始めてきたりとか。
まあそうだね、確かに。
やっぱり日本語の、前さ、私これ薄い本だから絶対読むとか言って、この人のお弟子さんなのかな。
スピーカー 1
和辻哲郎さん読むのかな。
スピーカー 2
お弟子さんではないんじゃないかな。
つながってる?つながってるかわかんないけど。
でもその人がさ、なんか日本語のなんとかっていう本があってさ、
なんかすごい日本語の和とか、をとか、がとかが、それでなんかもう全然意味違うしみたいな感じのことを書いてたみたいな感じで、
えーもうそんなとこまでわからないよみたいな。
勉強できませんって思ったことがあるんだが、その本の名前が出て、ここに出てこないな。おかしいな。
だから言葉ってすごい大切だけど、
確かに。
言葉でどうやってなんか、表現できるかっていうところに哲学者の人たちは、
そうなんだよね。
何言うの?チャレンジしているということなの?ことですか?
スピーカー 1
批判が入れば修正をして、絶対無とかっていう言葉をあんま使わなくなって、
なんか場所とか、場みたいなことを言いたいですよね。
なんか場の哲学みたいな。
その純粋経験が生まれてくる場なんだよみたいな。
まあまあまあ、なんかわからんではない。
スピーカー 3
我々もあれだな、哲学体系作ろうよ。
作ろうよ。
スピーカー 1
信仰宗教にしか聞こえないですよね。
スピーカー 3
作って、批判し合って、信じていこうよ。
スピーカー 1
これどうすかみたいなね。
ちょっと存在の根拠見つけましたわみたいなね。
そうそうそうそう。
確かに。
スピーカー 3
やっていきましょうよ。
スピーカー 2
存在の根拠。
スピーカー 1
そうよね。
怖い。
言葉でね。
スピーカー 2
存在の根拠は、やっぱりこう、なんか変ななんとかサロンとかに行っちゃうこととかなんじゃないんですか?
スピーカー 1
変ななんとかサロン?
スピーカー 3
え?
スピーカー 2
あ、ピンクサロン。
え、違う。
あ、オンラインサロン。
え?
あ、パブ。
スピーカー 1
いや、なんとかパブか。
スピーカー 2
はいはいはい。
行っちゃうとか、そういうのはやっぱり存在価値を。
スピーカー 1
そういう人もいますよね、ほんとね。
スピーカー 2
なんかすごいなって思った。
スピーカー 1
存在を確かめるために。
実存の考察
スピーカー 2
存在が確かめられた気がして、やっぱりその人の存在ってまだあったなってすごいわかりました、その言葉で。
スピーカー 1
なるほどね。
そういう人がね。
スピーカー 2
なんかどこ行っちゃったのかなと思って、そういう話がないと、やっぱりなんか、あれもういなくなっちゃったのかなって思ったりするんですけど。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
あ、いたいた。
スピーカー 1
いたいたみたいな。
スピーカー 2
すごいわかりました。
スピーカー 1
まだあの頃のあいつがみたいなね。
スピーカー 2
あの頃と今は違うってことですね。
スピーカー 1
そうだよね、それもあるかもしれないですね。
スピーカー 2
はい、だからやっぱりその辺やっぱり深めていくのはいいかもしれないですね、味噌競争。
スピーカー 3
はい、そうですね。
実存でね、実存をぜひ語ってください、先生。
スピーカー 1
いや、そうですね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
やべえな、これなんかまだ全然終わんなそうだな。
大丈夫かな。
スピーカー 3
ちょっともう今日はこれで終わりにして。
スピーカー 1
一回切りましょうかね。
記憶と歴史の影響
スピーカー 2
次回に。
アップしましょうか。
はい。
はい、今日も最後までテツセカお聞きいただきありがとうございました。
Spotify、Apple Podcasts、Listenで配信しています。
番組を気に入っていただけましたら、お聞きのアプリで番組フォローや高評価ボタンを押していただけると嬉しいです。
感想、ファンレターお待ちしています。
番組概要欄のGoogleフォームにご入力いただくか、ハッシュタグテツセカをつけてつぶやいてください。
いつも感想をいただく皆様、本当にありがとうございます。
スピーカー 1
ありがとうございます。
いやいや、なんだっけ、なんだっけ、なんだっけ。
スピーカー 3
前々回かなんかの最後に、なんでテツセカを聞いてるんすかみたいな話を、なんかもーさんが呼びかけましたよね。
確かね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 3
で、たかぴさんが答えてくれてますけど、どうしてテツセカ聞いているのかという急に対して、
えー、なんでだろうか、ご飯出されたから食べてるぐらいですし、
出題者がこういう答えを好まなくてもいいと思っているからだそうですね。
っていうことらしいんですよ。
スピーカー 1
え?
スピーカー 3
他に意味が分かんなかったんだよね、それは。
スピーカー 1
分かるでしょ、別に。
スピーカー 3
当たり前のように聞いてくれてるという意味でしょ、多分。
スピーカー 1
あー、まあそうだね。
スピーカー 3
別にそんな深く考えて聞いてるわけではないですよ、と。
スピーカー 2
その後、出題者がっていうところがよく分からない。
スピーカー 3
だから何かしらの理由を聞いた人は、もーさんは求めてるのかもしれないけど、
そういう答えを、別に、求めてる。
スピーカー 2
なんて書いてあった?
スピーカー 3
出題者がこういう答えを好まなくてもいいと思っているから。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
別に好ま、好まないじゃなくて聞いてるからね。
あー、そっかーと思って。
あー、食べ物のようにこんなものを吸収してしまったら良くないなと思ったんですよね、その一文目は。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 3
こんなものとは失礼、言い草をしますね。
スピーカー 2
違うけど。
やめてください、僕らを侮辱しないでください。
私にとっては素晴らしく。
スピーカー 1
身体に良くないね。
スピーカー 2
私にとっては本当にお二人にいろいろ教えていただけるので、本当に良い時間を過ごさせていただいておりますけれども、
他の人にとって良い栄養かどうかは分かりませんっていう感じで。
スピーカー 3
それは知ったことじゃないです、どうでもいい。
スピーカー 2
だからそういうことでしょ。
スピーカー 3
そういうことです、どうでもいいです。
スピーカー 1
僕にとってはもうこれはなんかちょっと良い感じに酔える語りなんで良いと思ってますよ。
スピーカー 2
良かった。
それなら良いんでしょ、私たちだけが嬉しければ。
スピーカー 3
楽しんでいれば良いんじゃないですか。
スピーカー 2
楽しんでいれば良いっていう番組、そのコンセプトは変えないようにしないと。
そうですね。
スピーカー 3
そんな感じで、次回も続くということでね。
なんか1話ぐらいで終わるのかと思ったら、全然終わらずに日をまたぐという感じになりましたけれども。
スピーカー 2
でもこれ勉強になるよね。今なんで日本がちょっとなんかやべえ感じになってるかっていうと、
ちょっと考えるきっかけになるよね。
たった150年も経ってないぐらいの前の話で、だからちゃんと考えた方がいいよね。
80年経ちましたとか言ってるけど、戦争もまだ80年だからね、本当はね。
だからちょっとそれちゃんと忘れないようにしないといけないかとは思ってます。
スピーカー 1
まあいいんじゃない。だいたいみんな忘れるし。
忘れますね。
スピーカー 3
忘れますしね。
スピーカー 1
繰り返すしね。
図書館とかも燃やされたりしてるし、古代とかにも。
スピーカー 3
まあいいんじゃない。
スピーカー 2
いいんじゃない。
スピーカー 1
絶対無ですね。
スピーカー 3
絶対無ですね。忘れられる運命にあるということでございますね。
スピーカー 1
諸行無常ですね。
スピーカー 3
目が開く場手伝がのこの番組が300年後ぐらいまで残ってるといいなと思って。
スピーカー 1
それはちょっと恥ずかしいんでやめてほしいですね。
スピーカー 2
私はお二人が有名になって、お二人の40歳ぐらいの年に、
モーさんという人と話をしていたことがきっかけで、
スピーカー 3
大きい人間になってたかもしれないとかってウィキペディアに残ると思って。
スピーカー 1
面白いですね。
スピーカー 3
面白いですね、それもね。
スピーカー 2
だからお願いしますよ。
頑張って。
スピーカー 3
興味ないです。
スピーカー 1
頑張らないです。
スピーカー 3
マジ興味ないです。
じゃあ終わります。
以上です。ありがとうございます。
スピーカー 2
ありがとうございました。
38:12

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