2025-08-30 41:23

#135 日本哲学

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近代日本哲学を語る①

サマリー

このエピソードでは、日本の哲学の歴史とその発展が探求されます。西洋哲学を取り入れた日本の知識人たちが独自の哲学体系をどのように構築したのか、またそれが戦前の歴史にどのような影響を与えたのかが論じられます。鈴木大雪や西田喜太郎のような重要な人物が日本の哲学の発展に影響を与えました。明治時代における宗教と哲学の関係や、京都学派の形成についても探ります。また、西田貴太郎の教育背景や哲学への道のり、さらに彼が直面した困難な状況についても語られます。特に、彼の哲学が形成される過程や、それが後の京都学派に与えた影響についても触れられています。日本哲学の中で、グローバル化とローカリズムの関係についての見解が述べられ、西洋中心のグローバルの限界が指摘されています。

日本哲学の概要
スピーカー 1
日本哲学、テツセカ。
スピーカー 3
この番組は、哲学を知りたい3人が知らない中でも知ることがある学番組です。
ミツオです。
スピーカー 2
モーです。
スピーカー 1
トモキです。
スピーカー 3
日本哲学ってあるんですか?
そう、僕全然知らないですけど。
スピーカー 2
ちょっとタイトルが面白くなさすぎて、もう本当に。
スピーカー 1
って言われるんだろうなと思った。
本当になんかもう、がっかりする。
スピーカー 2
もう、1日やる気なくす。
スピーカー 1
ちょっと1回考えようかなと思ったけど、ちょっと諦めて、もうスッと行ってみようと思ったら、
細かくなったって感じです。
スピーカー 2
全然面白くない、もうやだ。
スピーカー 1
いやいや、でもさ、ひねりすぎて何の話か伝わらないタイトルもあれじゃないですか。
確かに。
メロンを食べなさいとか、意味がわからないしみたいなね。
スピーカー 3
確かにね。
スピーカー 1
で、日本哲学、あるっちゃあるんですよね。
スピーカー 3
あるんだ。
どっから発祥したの?
その辺の話というか、どっから。西田喜太郎っていう有名な戦前の哲学者がいるんですけど。
近代の話なんだね。
スピーカー 1
そう、近代、近代。
本当に近代になってから日本哲学っていうのを頑張って作ってきたんだけど、それが今やほぼなくなってしまってるというか。
スピーカー 3
その人が尽力したにも関わらずなくなっちゃった。
スピーカー 1
そうそうそうそう。ほぼほぼキャンセルされてしまってるみたいなニュアンスがあって、
その辺の、なんかまあ日本がだから、西洋から哲学を取り入れてきた頃の歴史とか、授業史とかも含めてちょっと話してみたいなって、なんか最近思ったんですよ。
近代の哲学者たち
スピーカー 1
思ったのはなんかそのやっぱね、昨今いろんなところでこう、やっぱ西洋と東洋は違うし、日本には日本の伝統があって、
キリスト教的な価値観のない日本で、資本主義とか例えばね、民主主義とか、そういうのを真の資本主義みたいなのを達成するのは難しいよねみたいな言説とかって、
よく聞くし、日本独自の方法を考えるべきだよねみたいな、そこに仏教の概念を使っていこうよとかっていう話とかもよくあるじゃないですか。
たぶん古典ラジオとかでも話してるとは思うんですけど。
そういう西洋の近代的な価値観みたいなのをやっぱり乗り越えていこうみたいな。
コスト横断というか、コスト資本主義みたいな話とかもよくあるけど、そういう流れって今もあるよなと。
こういうところの中で、よくよく考えるとそれって別に今に始まったことじゃねえなみたいなことを思って。
かつて明治から戦前の日本人たちも、西洋の哲学っていうのを一回受け入れて、
いろいろ翻訳したりとかしながら研究が進んでいったところで、やっぱなんかその西洋の価値観って俺たちの裸に合わないよなみたいな感じで、
西洋哲学と仏教をミックスさせて考える人とかが出てきてたんですよ。
かなりいい感じのところまでいってた。それがいわゆる日本哲学って言われる分野というか。
スピーカー 3
まあ、真改造したわけだね。
スピーカー 1
そうそうそう、いわゆる真改造をちゃんとした、でちゃんとこう日本にフィットするような、西洋哲学のたてつけではあるんだけど、
日本哲学っていうのを確立したっていう時期が一回あったんですよね。
スピーカー 3
いつ頃ですか?戦前っつってたね。
スピーカー 1
本当戦前ですね。大正から昭和ぐらいかけてって感じですかね。
まあ昭和、最後のほうまであるっちゃあるんだけど、戦争に負けてそれが終わってしまうっていうニュアンスがあるという感じなんですけど。
スピーカー 3
戦争となんか関係あるの?
スピーカー 1
そうそうそう。だからその、なんだろうな。
日本は西洋近代を乗り越えていくんだみたいなそのムーブメントになっていって、それが。
まさにそれを構想した座談会みたいなのが組まれるんですけど、
それの名前が近代の彫刻っていう名前の座談会があって。
それって今や悪名高き座談会みたいなことを言われるようなやつなんですけど。
まあ確かにだからその近代、西洋近代っていうのを乗り越えようとしていたんだけど、
結局それが行き着いた先が大東亜共栄圏的な思想であって、
その日本哲学っていうのがそこにコミットしてしまったとか。
スピーカー 3
なるほどね。
スピーカー 1
かなり思想的なバックボーンみたいなのを与えちゃって。
なるほどね。
スピーカー 2
ほら、わかった。京都なんとかって教えてくれたのよ。
スピーカー 1
そうそうそう。まさに京都学派の人たち。
スピーカー 2
それで調べたら、日本に哲学はないって誰かが言ってたのよ。
そうよ、続けてください。
スピーカー 1
そうそうそう。だから京都学派っていう人たちがそういう、ある意味お墨付きみたいなのを与えちゃっていく流れになっちゃうというところで、
哲学と歴史の関係
スピーカー 1
日本哲学っていう響き自体になんか悪しきものがイメージが取り付いちゃってるみたいな。
スピーカー 3
レッテルね。
スピーカー 1
そう、レッテルが払えちゃってるんですよ。
多分ドイツにおけるハイデガーみたいな感じなんだと思うんですけど、
ハイデガーもナチスに加担しちゃったとかっていうので、
ドイツ国内ではキャンセルされてるとかと同じようなニュアンスなんだとは思うんですが。
スピーカー 3
なるほどね。
スピーカー 1
そうそうそう。そういう歴史があって、確かにだから明治から西洋に負けるなと、舐められてたまるかと。
そもそも思想も違うし、違う形に魔改造して輸入しなきゃいけないというモチベもあるし。
だから戦前で一定程度その日本人独自の物語というか哲学は作ることはできたんだと思うんだけど、
そこにはやっぱ公罪があって。
で、再びその今改めてポスト資本主義とかっていうのが言われる中で、
日本独自のものを入れていこうよ、そこには。みたいなことを。
同じような流れができてきていて。
それこそ世間では日本人ファーストとか言われ、日本を取り戻すとか言われみたいな。
要はあの再演をしないためにも、もう一回そこを振り返っておかなきゃいけないのかな、みたいなことを思って、
もう一回ちょっと本とか読み直してみたっていう感じだったんですけど。
結局何がダメだったのか全然わからなかったっていう感じなんですけど。
スピーカー 3
それさ、その哲学を組んだ人、編んだ人たちっていうのはさ、
それはその国の当時の日本大、日本帝国の思想にリンクしようと思って作ったの?
それとも自分たちが作ったものがたまたまそこに合致したの?
スピーカー 1
ああ、後者に近いのかもしれないですね。
というかまあ半分利用されちゃったみたいなとこもあるだろうし。
スピーカー 3
なるほどね。それだったらかわいそうだね、ちょっとね。
スピーカー 1
利用されちゃったもあるし、自分たちもやっぱり世間の空気みたいなのには逆らえなくて、
そこに乗っかっておかないとちょっと危ねえなみたいな感じで、乗っかっちゃったみたいな側面も当然あるとは思う。
スピーカー 3
まあ迎合したってことですね。
そうそうそうそう。
なるほどね。
スピーカー 1
まあそんな感じの話をざっとなんかしたいなと思ったんだけど、
だからその日本哲学、まずは日本が西洋哲学を授与してきた歴史みたいなところをざっとやって、
その京都学派とどういうふうに接続していくかみたいなところをちょっと振り返ってみたいなと思うんですけど、
それこそ明治維新のちょっと前から西山根とかが、第一回目ぐらいに出てきた人ですね。
スピーカー 3
山根ちゃんね。
スピーカー 1
哲学っていう翻訳語を作ったっていう人。
あの人たち、幕府の命令みたいなのもあったんですけど、
哲学の勉強とか半分趣味みたいな中でやってった部分もあったみたいで、
いろんなものを訳したりとか、
もともと中学とかにはすごい精通していて、
いろいろあとは乱学とかも学ぶ中で、その哲学とかにも触れていくと。
こういうようなことが起こったりとかできたと。
スピーカー 3
全然関係ない話なんだけどさ、昔、今の光栄手雲っていうゲームでさ、維新の嵐っていうゲームがあったんだよね。
もう30年ぐらい前のゲームなんだけど。
で、なんか各キャラクターが出てきて、西山根もいるんだけどさ、
西山根乱学とかやってるからさ、
そろそろいきなり暗殺して殺されるっていう定番のキャラみたいな、そういう感じがあったね。
スピーカー 1
たしかにね。
スピーカー 3
すいません、余談でした。
スピーカー 1
たしかに。殺されかねないね。
そうっすよね。開国後に幕府から命令を受けてる側だから、そりゃ殺されかねないっすね。
スピーカー 3
実際は命中してまで生きてます。
スピーカー 1
生きててよかったねと。
スピーカー 2
そんなゲームがあったりするんだ。
すごいね、ゲームって。
スピーカー 1
たしかに、パラメーター振ったらそうなりますよね。
だから、西山根とかって、西山根もそうだし、当時の状況もそうなんだけど、
明治維新が起こってくる流れの中で、やっぱり廃仏希釈とかが起こったりとかする中で、
仏教が一回ダメになるっていうか、それこそキャンセルされるというか、なるわけですよね。
だから、仏教って時代遅れのダサいもんで、神秘主義的なこと言ってるなみたいな、そういう感じで扱われちゃうので、
だから西山根とかも、儒教とか儒学の言葉を使って翻訳していったりとか、
儒学の陽明学とか朱子学とか、あの辺の論理を持ってきて、西洋哲学を説明するみたいなことが行われていくというか、
そんな感じだったんですよね。仏教から。
スピーカー 2
すいません、今日はなんで真面目な勉強の日なんですか?
スピーカー 1
いや、なんかこの流れ楽しいなと思って、勝手にやってるだけなんですけど。
スピーカー 2
あ、違って、ほら、いつものほら、昔からの哲学者とかを教えてくださるという日と同じような感じのノリでいきますか?
スピーカー 1
時間っぽいじゃないと。
わかんない、わかんない。そこまでちゃんと調べてない。
スピーカー 2
あ、でも調べたことは。
スピーカー 1
そうそう、やっぱね、なんか最初ふわっとやろうかなと思ったら、読み返してたらなんか、うわーわかんねーってなっていって、どんどんドスボにハマって、っていう感じになっていったので。
スピーカー 2
色とかで今度はちょっと伝えといてもらえますかね。今日はこういう日ですよとか。
スピーカー 1
ニュアンスをね。
スピーカー 2
ニュアンスを、はい。
クレームが入った。
わかりました。ごめんなさい、ありがとうございます。よろしくお願いします、その後。
スピーカー 1
まずはその流れね。流れっていうところで、だから儒教の言葉で漢字を当てたりとかしながら、理性ノリとかはまさにそうだったりするわけで。
仏教と西洋哲学の影響
スピーカー 1
だからそういう状況の中で、仏教から借りよう、言葉を借りてこようなんていうことは思いもしなかったんだけど、それが時代が進んでいくと、だんだんこう、やっぱ仏教いいよね、みたいな雰囲気にもまたなっていって。
というか、結局別に背伏希釈とかだってね、結構限定的だったわけで、限界があって。それこそ、鈴木大雪っていう禅の思想とかを海外に伝えた人とかがいるんですけど、西田喜太郎とそれこそ友達なんですけど、この人とかが仏教のリワイバルブームみたいなのを起こしていって、
やっぱ仏教いいよねってなっていって、やっぱ西洋哲学にも負けてないよね、みたいな。その鈴木大雪も西洋哲学を学びつつ仏教も元々やってて、これは日本の哲学って仏教だわ、みたいな風になっていくみたいな流れとかもあって。
そんなのが明治20年とか30年とかそのぐらいになってから起こってくるというような流れの中で、それこそ西田喜太郎とかが現れてきて、仏教と西洋哲学っていうのが混ざっていって、っていうようなムーブメントが起こって、それが京都学派っていう日本のオリジナリティがある哲学が出てくるような流れになってくる。
みたいなね。そんな流れなんですよ、ざっくり言うと。
京都学派の話に行く前にですね、さらに哲学の需要史というか、日本がどういうふうに受け止めたのかっていうところの流れを掘るとですね、もちろん西山根だけが哲学を需要したわけじゃないので、本格的に研究されるようになってくるのは、それはやっぱ大学においてなわけですよ。
明治10年になって、やっと今の東大ができると。
その帝国大学の中で、当時は日本で唯一の大学だったわけで。
ただ当時はやっぱり、今もそうじゃそうですけど、基本的には官僚養成学校みたいな性格が強かったんで、哲学とかはあんまり役に立たないんで、研究とかそんなに力を入れてなかったところはあるみたいなんですけど、哲学科ができたのは明治23年になってやっとできるっていう感じなんで、13年後にやっとできるみたいな感じで。
最初に哲学の教授になったのが井上哲次郎っていう人なんですけど、この井上哲次郎っていう人がね、変態というかですね。
こいつがなかなかやばいやつでですね。
変わりもんというか。
そんなこと言って。
よくないね。
偉大な人です。
スピーカー 2
偉大だけどちょっと。
スピーカー 1
偉大な人。
いろんな哲学用語とかニシアマネだけじゃなくて、やっぱりこの人が、それこそ啓示浄学っていう言葉を訳したのがこの人だったりとか、もうほんとあらゆる言葉を訳したりする人なんですけど、哲学だけじゃなくて、いろんな西洋の言葉を訳すみたいなことをした人で。
まあ単的に言うとね、キリスト教がめっちゃ嫌いだったんですよ、この人。
スピーカー 2
なんで?
なんで書いてあるの、それ。
スピーカー 1
なんでなのかはね、よくわかんない。
スピーカー 2
嫌いですとは書いてないでしょ?
なんで書いてあるんですか?
スピーカー 1
いやまあ本を読む限りでは普通に嫌いだったって書いてあるんですよ。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
そう。
で、なんでなのかはまあなんかよくわかんないんですけど、まあもともとこの人は儒学の人だったんですよ。
儒教をやっぱりすごいやってた人で。
スピーカー 3
東洋哲学ね。
スピーカー 1
そう、東洋哲学好きなんですよ。
だけどたまたまなんか語学もできちゃうみたいな感じで、でドイツ留学とかもしたので、でまあ当時そんなことができる人がまあ限られるわけじゃないですか。
なのでドイツ語もできるしその哲学にも精通してるんだから、そういう西洋哲学を教えてやってよというような感じで教授職に就いたりするんですけど、いやちょっとあんまり乗り気になれないですねみたいな感じで東洋哲学ばっかり教えるみたいな、なんかそういう感じの人だったらしいんですけど。
しかもまあそのね、言うたら西洋哲学にキリスト教って必須じゃないですか。
でもなんか嫌いすぎてそんなもんいらんみたいな感じになってて。
たまらんね。
そう。
スピーカー 2
やばいね、ほんとにやばすぎる。
スピーカー 1
でもそんなやばい人が人に教えたりだとかしてるし、歴史に名を残してるわけでしょ。
そうそうそうそう、でもだからこそ東京学派はできなかったわけですよ。
京都学派はできたけど、井上哲次郎って死ぬまで、それこそね戦後まで生きたんだけど、戦前直前ぐらいまで結構生きてるんですよ。
そんなことないか。わかんないけど、まあ結構長生きしてて、ずっと東大の哲学派の頭張ってるんで。
キリスト教、それこそなんか当時やっぱり、アメリカ行ってキリスト教となって帰ってきて、哲学をすごくそこで興味持って勉強してみたいな人たちとか東大に入ってきたりとかもするんですけど、
そういうやつらをね、普通にパワハラしていくみたいな。
スピーカー 3
最悪やん。
スピーカー 1
そういう、左遷するとか。
スピーカー 2
1944年に亡くなってますね。
スピーカー 1
そうですね、だから直前ですね。
スピーカー 2
終戦直前ですね。しかも哲次さんじゃないですか、哲次郎だよ。
スピーカー 3
哲次。
スピーカー 2
哲の字が哲学の哲なの、本名なのかなこれ。
スピーカー 1
まあまあ本名なんじゃないのかわかんないけど。
ねえ。
スピーカー 3
なるほどね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
当時はさ、それこそ八重の桜に出てきた新島城とかさ、ああいう人たちが同社、大学、いや大学じゃないけど、同社みたいなのを作って、キリスト教になって。
スピーカー 2
キリスト教になっちゃう、教徒になっちゃう。
スピーカー 1
教徒になって、興味を持って東大の方に、まあその哲学を勉強できるのはさ、東大の井上哲次郎の元しかないから。
そこに行ったら、なんかめちゃくちゃこう罵倒されるというか、何キリスト教なんてやってんだよみたいな感じになるみたいな。
スピーカー 2
ちょっとさ、西暦じゃないとさ、ちょっと何年前とかわかりづらいからさ、さっきのなんか哲学化ができたのが明治23年で、西暦だと1890年だから、150年も前じゃないってことよねそれは。
スピーカー 1
まあそうだね。
スピーカー 2
なんかつい最近の話なのね。
スピーカー 1
そうだね。まあ全体的にまあそのぐらいの話ですよ。これからしてくる、戦前までの話だからね。
まあそんな感じで、ちょっとやべえやつがいたんだよというところで、これは本に書いてあったことなんで、信憑性はわかんないですけど、この人通称井上哲って言うんですけど、
この井上哲次郎通称井上哲のキリスト教嫌いみたいなのが、いまだになんかこの日本の哲学研究を歪めている一員なのではないかみたいなことが本に書いてあって。
スピーカー 3
やめろよ人一人に寝合わせるのは。
スピーカー 1
え、すごい。ミサちゃん、面白い。
スピーカー 2
え、でもそういうのってあるんだよね、多分なんかわからないうちに。
スピーカー 1
まあね。
スピーカー 2
だってまだ150年も経ってないんだよ。なんかみんなさ哲学の話とか聞くと、まだアリストテレスさんの言うこととか聞いたりしてる人いるんだからさ、もうつい最近の話だから忘れられないんじゃないの?やっぱりこうDNAに入っちゃうとか。
スピーカー 1
うん、まあだからわかんないけどね、まあその歪めてるかどうかはわかんないけど、でも確かに東大ではその哲学家があんまり花咲かないで、それが京大の方に行ったっていうのは、ある意味井上哲のおかげというか、そういうところはあったのかもしれないなみたいなところですかね。
スピーカー 3
それはいいことなのか。
スピーカー 1
いやわかんない。いやめちゃくちゃでも、まあもちろん研究に対しては貢献してる人だと思いますけど。
スピーカー 2
だからじゃあ今の京都大学と東京大学のなんかちょっと違うこう味みたいのも、味は知らないけど、そういうのも違いがあるのはそういうのの思考とかの思想の違いとかもあるのかな。
スピーカー 1
まあまあ。
スピーカー 2
関係ない?
スピーカー 1
わかんないです。
スピーカー 3
あるかもしれない。ありそうですよね。
スピーカー 1
うん。哲学家だけの話じゃないからわかんないけど、まあまあそういうのがありつつ。で、どうしようかな。ここで一旦切ったほうがいいのかな。
スピーカー 3
え?いや喋りたいだけ喋りなさいよ。
スピーカー 1
じゃあ西田喜太郎の話だけざっと。その思想の中身に行くとこまで。
西田喜太郎の登場
スピーカー 1
まあそんなそのキリスト教嫌いの猪瀬のいる東大に、明治27年に、1894年かな。
スピーカー 2
27年、はい94年。
スピーカー 1
に入ってくるのが西田喜太郎。東大に入ってくるんですよ。
彼はね、専科生って言って、なんというか、超高生みたいな感じだったんですよ。
高校中退しちゃったんですよ、西田喜太郎って。だから専科生でしか入ってこれなかった。
石川県の人で、大学もそうなんだけど、鈴木大説と同級生で、まあ多分直接信仰はあったんだろうし、自分自身も禅をやったりしてたんですね。
高校時代のあらなは鈍牛だそうです。
スピーカー 3
鈍牛ね。
スピーカー 1
え、どういうこと?鈍牛って。
鈍足な牛みたいな。
スピーカー 2
いやかわいそう。
スピーカー 1
鈍牛っていうね。
スピーカー 2
まあまあ、ぼーっとしてたりしたのかな。わかんないですけどね。
スピーカー 1
で、なんでこれ高校中退しちゃったかというと、入った当初は結構いろんな本も読めたりとかして、最初は数学にめっちゃハマったらしいんですよ。
でもその途中で哲学に目覚めたりとかしちゃったらしいんですけど。
まあすごい恩師がいて、この西田貴太郎には、北条先生っていう先生に、今後もいろいろお世話になってくるんですけど、この北条先生には数学めっちゃ勧められたりしたんですけど、
なんだかんだで哲学への熱情が忘れられずに、哲学の道に行くみたいな感じになってくるんですけど。
この頃が一番楽しかったらしいですね、人生の中で。
スピーカー 3
最高じゃん。
スピーカー 1
本読んだり、鈍牛って言われながらも、すごい自由な興奮で、すごくいい感じだったらしいし、北条先生にもいろいろ目をかけてもらって、みたいなこともあったんでしょうけど。
なんかね、突然、明治の頃ってすごいコロコロ学校制度が変わったりとか、いろいろあったんで、そういうのの流れの中で、変わっちゃったらしいんですよ、その学校の制度がね。
それで、突然、さつまばつのすげえ型物が送り込まれてきて、先生として、そいつがなんかもう本当に嫌で、辞めるというか。
スピーカー 3
ぼっちゃんみたいな話だよな。
スピーカー 1
まあそういう感じだよね、本当にね。
本当なんか、拘束はうるせえわみたいな、くだらんことでいちいち言ってくるみたいな。
西田貴太郎の教育と哲学への道
スピーカー 1
で、辞めちゃったせいで、専科生としてしか東大に入れなかったんだけど、それも一年復帰して、やっぱり哲学やりたいって言って、東大に入るという感じなんですけど、やっぱりね、専科生っていうのは結構肩身が狭かったみたいで。
本科生とは違って、やっぱり図書館の仕様とかもできなくはなかったみたいなんですけど、結構制限があったりとか。
あとは卒業しても学位もらえないんで、本当にただ学びに行く。
勉強するだけね、重要だけとかね。
あとは西田貴太郎は外国語が苦手だったみたいで、結局西田って外国には一度も行かずに日本の書籍と、多少できたんですよ、もちろんドイツ語とか英語とか読んだりとかもできたっぽいんですけど。
あとドイツ語とか教えたりも多少してたっぽいんですけど、自分では苦手だっていう意識がすごくあったみたいで。
で、外国とかは結局行かずに、その後は基本的にそういう、海外の書籍をいっぱい読むみたいな感じではなく、これから哲学をしていくわけですけど、自分の中で。
自分の頭で結構哲学していく系の人なんで。
スピーカー 3
すごいじゃん、玉木先生。
スピーカー 1
すごいなっていう感じはするんですけど。
スピーカー 3
われわれみたいじゃないですか。
スピーカー 1
まあまあまあ、そうね、インプットとかしますやんみたいなね。
勝手に妄想しますみたいなね。
そういう専科生で固みが狭いみたいなのもあったし、語学ができなくてちょっとつらいみたいなところもあって。
で、当時、東大の哲学の先生の中にケイベル先生っていうのは、ドイツ人の先生がいて、ドイツ人だったかな。わからないけど。
外国人の先生がいて、その人との意思疎通とかもうまくできなくて、みんな結構ワイワイやってたりとか、ケイベル先生すげーっすよみたいな感じで尊敬されてた先生らしかったんですけど。
西田は全然コミュニケーションできないので、一人でポツンといたみたいな、そういう感じの、うわーわかるみたいな感じだったんだね。
困難を乗り越えた日々
スピーカー 2
鈍球だったんだね。
スピーカー 1
鈍球だったんですね。
で、そんな感じで苦労しながら、東大を卒業して、卒業しても学位はもらえないので、結局すぐには就職先とかも見つけることはできずに。
数年たってから、やっと中学校、地元の石川県の中学校のお仕事を見つけて、そのあと高校の先生になったりとかしながら。
高校でもまたいざこざがあったみたいで、これ何があったかよくわかんないですけど、学内の対立で失職してまた路頭に迷うみたいなことが書いてあったんですけど。
そんなになりながら、しかもこの頃父親が事業に失敗して、破産して、親子なんかが最悪になり。
スピーカー 3
死んだりけったりやなー。
スピーカー 1
このあと親父さんすぐ死んじゃうんですけど、でも親父との仲が本当に悪かったっぽくて、
親父が墓参りに来るなみたいな遺言状を残してたりとか。
自分が中学校の先生になってたときに西田自身も結婚したんですけど、2年後には離婚しちゃったりするんですよ。
これも親父さん絡みだったっぽくて、あんな嫁連れてくんじゃないみたいなことを言われて追い出されたみたいなことが書いてありましたね。
いろいろこの頃結構病んでたというか、結構辛かった時期で。
奥さんと再婚するんですけどね、その後ね。
スピーカー 3
同じ奥さんと?
スピーカー 1
同じ奥さんとね。
スピーカー 3
ちょっと救いがあるね。
スピーカー 1
そうそうそう。
スピーカー 2
ごめん。いいよ、どうぞ。
スピーカー 1
そんな路頭に迷ったりとか、いろいろ悩んでる時期の苦難を乗り越えるためっていうのもあったんでしょうけど、
この時期に善に傾倒していくというか、座禅組んで無になるというか、そういうので自我を保つみたいな。
スピーカー 2
今さ、鈴木大節さんと高校一緒だったって言ったでしょ?
スピーカー 1
高校だっけな。わかんなくなっちゃった。
スピーカー 2
高校って書いてあるんだけどさ、本当かちょっとあれ、ウィキだからわかんないけど本当のことか。
それでさ、すごくない?石川県出身なの、二人とも。それが後になってすごくなるの。
一応、高校の同級生である鈴木大節の影響で善に打ち込むようになるって書いてあるよ。
すごくない?もしそれがご縁だったら。
スピーカー 1
そうそう。だから朝に高校時代に、恩師の包丁先生からも善のこととかを教わってたらしいんですよ。
スピーカー 2
だし、その鈴木大節とかからも、お土産に禅文堂の本もらった、すげー嬉しいみたいなこと書いてあったとか。
スピーカー 1
すごーい。高校生にして。なんかちょっとかわいそうだけど。善に喜ぶ。
まあまあまあ、鈍牛なんでね。
そういう感じで、教わってはいたけど、本格的にやるのはこの時が初めてというか、このへこんでた時期が初めてだったみたいですね。
スピーカー 2
すごいね。なんかそういうご縁とか聞くとちょっと私ドキドキするわ。
スピーカー 1
確かにすごいですよね。
スピーカー 2
なんでよって思っちゃうよね。
スピーカー 1
この後も鈴木大節とはすごい手紙でやりとりしたりとかしてますからね。
鈴木大節ってもうすぐこの頃はアメリカ行ってるんですよね。
アメリカ行ってて、それこそ善の思想みたいなのを広めるみたいな活動を自分の生きる道としてやっていくみたいな感じになってるわけですけど。
向こうが先になっちゃってるみたいな感じもあって。
自分はなんかモンモンとしてるなぁみたいな感じもありつつ。
だからそういう手紙とかを送ったりとか。
スピーカー 2
ちょっと本当にすごい雑談なんだけど、たまたま昨日ね、イセタンに、シンガポールのイセタンに行ったら、
あの、この加賀の国の梅酒っていうのが売っててね。
あの北陸フェアっていうのをやってて、通り過ぎたらそのおばちゃんが飲みなさい飲みなさいってこれ飲んでみる?
って言ってね、あのちょうど加賀の国の有名なゴールド、シルバー、ブロンズを取った加賀の梅酒みたいなのをね、全部飲ませてくれたの。
一本250ドルのところまで。
45ドルのところからちょっとずつちょっとずつ全部飲ませてもらって、いやーすごく美味しいってずっと思ってた。
スピーカー 1
私絶対、絶対今度日本行ったら石川行くんだって思ってたのに、今日たまたまそんな話をしてくれてありがとう。
スピーカー 2
絶対行く。加賀の国に行って、この250って、多分こっちで250だけど、日本に行けばそんなにしないと思うから。
スピーカー 1
ちょっと本当美味しかったよ。本当美味しかった。
スピーカー 2
ちょっと後であのメッセージするけど、この美味しかったやつ。15年熟成原酒梅酒。
ごめんね。
スピーカー 3
原沢いい場所よ。
スピーカー 1
それでもうご縁だなと思って、もう今勉強します、ちゃんと。
なんかありそうですよね、飲酒屋北郎記念館とか、鈴木大説記念館とかね。
スピーカー 2
ね。もう行かないとって、今ちょっともう呼ばれてる気がしました。ありがとうございます。
スピーカー 1
行かなくちゃ。
まあまあそんな感じでこう。
スピーカー 2
話の骨、腰を折るばっかりですいません。
スピーカー 1
なんだっけ。
スピーカー 2
なんだっけ、路頭に迷ってたわけですよ。
そうそう。
スピーカー 1
で、善意打ち込んでたと。
やってたんだけど、ずっと無職のままというわけにもいかないので、また職を探していたところ、かつての恩師だった北條先生がまた助けてくれて、
高校の教師とか、あっせんしてくれたりとか、あとなんか学習院の先生になったりとか、そういうので食いつないでいくことができて、その間にも善意打ち込んだりとかしながら、自分自身で哲学の試作みたいなのをずっと続けていて。
で、論文的なのはずっと書いているみたいな感じ。
それを発表してたのかどうかはちょっとわかんないですけど、結構書いたりもしていた。
で、そんな中で、高校とかそういう教師をやって、やっと救われたぐらいのところで、1910年明治43年に急に教頭、哲学科教授に大抜擢されるみたいなことになるんですよ。
スピーカー 2
なんで?
スピーカー 1
まあ、よくわかんないんですけど、結構これ運というか、京都大学で哲学科ができるのって結構時間かかったんですけど。
京都学派の形成
スピーカー 1
で、ポロポロ東大のほうから来た先生が、やってはやめ、やってはやめ、みたいな感じで、どんどんやめていっちゃって、次誰にする?みたいな感じになったときに、
ああ、西田っていうのが結構哲学やってるっぽいっすよ、みたいな、そんな声の掛かり方だったっぽいっすね。
スピーカー 3
円だね。たまたまだよね、それの大臣。
スピーカー 1
もうこれ東大卒業から20年ぐらい経ってるんで、この20年ぐらいの間に、もう西田の哲学はほぼ完成していて、
西田が担当で残した本って、禅の研究っていう、この禅ってGOODのほうの禅なんですけど、禅の研究っていう本しかないんですけど、それ以外は論文とかを単発で出してるみたいな感じで、
その禅の研究は、京大の教授になってから、次の年、翌年にはもう完工されているというような感じなんで、
もうこの、やっぱりこういろいろ大変な時期だったときに、西田の哲学っていうのはできてきてたみたいなところで、
この西田の哲学を、次になるのかな、一回多分この辺で切ったほうがいいと思うんですけど、
あの、哲学の中身はちょっと次説明しますけど、この哲学を批判したりとか継承したりとかしながら、これが昭和になって、
こう西田系の哲学一派のことを京都学派って呼ぶようになっていくみたいな、そんな感じの流れなんですよ。
スピーカー 2
なるほどね、オーケー すごい、勉強のある、すごい
良かった うん、よく分かった
スピーカー 1
結局なんか自分でもふわっと説明しようと思ったら、できなかったんで、ガッツリになっちゃったんですけど、無理だってなったんで、はい
スピーカー 3
オーケーオーケー、じゃあ次回はその京都学派について、中身みたいなところ?
スピーカー 1
そうね、京都学派の中身は多分あんまりやんないですけど、西田貴太郎の哲学の中身をちょっとやって、そっからどういうふうになっていくのかなっていうところが、分かんなかったっすっていう話をしたりですね。
貴太郎、頑張れ貴太郎、はい、じゃあどうぞ
スピーカー 2
今日も最後まで哲学家をお聞きいただきありがとうございました。
Spotify、Apple Podcast、Listenで配信しています。
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スピーカー 1
おはようございまーす。
グローバルとローカルの考察
スピーカー 3
なんつーか、日本哲学の話の最初の話の中でさ、思った話なんだけどさ、
なんかこうローカライズとグローバライズっていうところがさ、交互に行き来するよなーっていうかさ、何事もなんかこう交互になんか来るよねーみたいなさ、その話っていうのを感じるのとさ、
あとグローバルって言うけどさ、なんかグローバルって言っても狭くね?ってちょっとふと思ったりした。
スピーカー 1
あーそうね。グローバルって指してるのが結局その西洋のこと言ってんでしょみたいなね。
スピーカー 3
そうそうそう。日本が言ってるグローバルってあくまでもそのキリスト教圏との関わりとさ、今だったらまあ中国とかぐらいの関わりでしかなくてさ、なんかそれ本当にグローバルっすか?みたいな。
スピーカー 1
いやーそうそうそう。まさかね。すごい話になってきます。本当に。
スピーカー 3
世界がもっと広がった時にまた生まれてくるものっていうのもあると考えると、なんかある意味今のグローバルってローカライズとローカルとあんまり変わんねんじゃねーかなーみたいな。
スピーカー 1
いやーほんとそうだよね。ほんとそう思うわ。
スピーカー 3
そんなこともちょっと思ったりしましたというところですけども。もうさんどうっすか?
スピーカー 2
そうですね。なんかみんな地球の中にいるっていう感じですよね。まだまだ気持ちはね、まだ地についてる感じだなって思いました。
スピーカー 1
やっぱね宇宙行きたいですよね。そういう話なんだ。
スピーカー 2
行きたくはないけどそこまで思考を広げていってほしいです。
スピーカー 1
なるほどなるほど。そういうことか。
スピーカー 2
マチックアックスを見てからは予想にね、なんか広い世界を、もっと視野を広げていったらいいかなって思ってます。
スピーカー 1
なるほどなるほど。
スピーカー 3
ちょっとアヴァ、オアクーかソロモンあたりに行きたいですね。そろそろね。
スピーカー 1
そうですね。
いや、勝手に言ってください。私は地球でいいです。
スピーカー 2
外国にすらそんな行ったことねーのに何言ってんだって感じだな俺。
いいですよ。近いかもしれないよ。あの地球の外の方がね。
スピーカー 1
確かにね。
確かにね。それはあるかも。
スピーカー 2
じゃあ行ってらっしゃいませ。
スピーカー 1
行きまーす。
スピーカー 3
じゃあ終わります。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 3
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
41:23

コメント

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