西田哲学と純粋経験
近代の超克、テツセカ。
この番組は、哲学を知りたい3人が知らないながらも素人を描く番組です。ミッソです。
モーです。
トモキです。
いやいやいやいや、なんかね、あの、3話分じゃねえや、前回の引き、の続きなんですけれども、別日っていうね、なんか初めての試みなんじゃねえかっていう、
そうですね。
こんな感じですけれどもね、どうですか、ブラッシュアップしてきました?
いやいやいや、もうほぼ忘れてますね。
あの時の熱量も、なんでこれをやりたかったのかも、なんかほぼ忘れかけているという感じなんですが。
まあまあ、とはいえね、とはいえ、まあだから、あの、なんだっけ、西田喜太郎の話とか、その辺をしてたわけですよね。
なるほどね。で、あれ、今日は、なんだ、タイトルに対してモーさんのツッコミは特になかったから、合格ということなんですかね。
いや、なんかすごい嫌な顔はされてましたよ。
だけど聞いてる人は別にさ、どっちでもいいらしいから、私だけが、なんかさ、やっぱ目指してもらいたかったんだけどね、なんか。
何を目指すの?
なんか面白い。下ネタとかもさ、もうやめちゃってるしさ、なんか面白くもない、タイトルは面白くもないしさ、もうやる気ないよねって言って。
もう夏だし、夏も過ぎてさ、暑かったし、まあダラダラいきましょうよ。
ダラダラいきましょうよ。
じゃあ次回あれだ、モーさんやってみます?タイトル。
何を?
タイトル。
やだよ、私はそういう役目じゃないからさ。面白いこと言えないのよ、私は。
でも面白いことは求めるわけだ。
まあね、人生楽しいほうがいいから。
ジャイアンだ、ジャイアン。
ジャイアンだね。
ジャイアン。
理屈は通じないですよ。
なるほどね。
大丈夫です、だから別にタイトル。
目の前の現象が全てなんで。
そうだね。
純粋経験なんで、これが。
よくわかんないけど、じゃあどうぞ何とか来たろう。
前回西田貴太郎のそれこそ純粋経験とか、絶対無みたいな話をしながら、
それに対して弟子の田辺はじめとかが批判をしたりとか、
シンプラトン主義とあんま変わらなくないとか。
西田は西洋を乗り越えようとして、西洋哲学をうまく日本とミックスして乗り越えようとしてやってたのに、
それって西洋哲学のロジックにまたはまってないみたいな、
そういう批判をしていたというような話をしていた気がするんですけど。
前回だか前々回だか説明してるときに、
自分で聞き直して語弊ある言い方してたなと思ったのが、
西田貴太郎があんまりインプットしてなかったみたいな言い方をしてしまったんですけど、
全然そんなことはなくて。
たぶんいろんな本は自分で読んでいたんだけど、
たくさん引用したりとか、言葉を借りてきたりとかはしてるし。
それこそ純粋経験っていう言葉は、アメリカのプラグマティズムのウィリアム・ジェームズっていう人から、
その概念を借りてきたりとかもしてるんで、
いろんな人の方は当然読んでたはずなんですよね。
だけど、人から教わったみたいな感じではなかったって感じですね。
自分で読んで、自分の頭で考えて、自分で哲学してたみたいな感じなんて。
インプットしてなかったわけじゃないということはちょっと訂正しておいてですね。
どこかに所属してたわけじゃないってことだよね。
そうですね。
だからその当時は本当に中学とか高校の先生とかをしながら、
自分で本読んで、悶々と考えてたみたいな。
そんな感じだったと思うので。
その後兄弟に入ってから、教えながら哲学を自分でしていくみたいな感じだったと思いますね。
なるほど。
そんな感じで。
だから前回言ってたのが、弟子の田辺はじめが、
シンプラトン主義、プロティノスの流出論とかと何が違うんですかという批判をしていったという話ですよね。
この辺から、絶対無みたいなことを言っちゃうと、
それは一社と変わらないんじゃないですかみたいな批判をしてたということなんですけど、
だから表現が難しいんですけど、
シンプラトン主義って結局だんだん一社から降りてきて、
自分たち個物の中にも一社成分みたいなのが入っていて、
その一社を乾燥すること、仰ぎ見ることによって、
一社と合一することが目的なんだみたいなことを言ってたわけですよね。
大いなるものと一体となるんだみたいな、そういうような議論をしていた。
西田貴太郎も絶対無みたいなことを言いながら、絶対無もそうだし、純粋経験とかもそうなんですけど、
要は個人の枠みたいなのをちょっと溶かして、他社と一体になってとか、
純粋にこの目の前の経験のほうが大事なんだみたいな。
この方向性、ここよりもっと大きなものみたいなのと、
一緒になっていこうみたいな方向性みたいなのが結構共通してるよねみたいな。
そんな感じの批判もしていきつつ、確かに西田もそういうことは言ってるんですよ。
弟子田辺の批判
より大きなものと一体となっていくべきだみたいな考え方は持っていた。
それが一社と合一するのと変わらんやろうみたいな話ともつながっていくわけですけど。
この辺がちょっといろいろややこしいんですっ飛ばすんですけど、
この大いなるものと合一する系にだんだんなっていくというか、
それが出し筋が引き継いでいくんですよね。
西田哲学の方向性として、京都学派として。
なんででも別に同じような感じになったっていいじゃんって感じだけどな。
それこそ前の哲学なわけだからね。
そうそう。別にそうなるよなーっていうところで、
それを別に仏教的な解釈を加えてやっていったっていう、
細かいところは違うわけなんで、別にそれがいいとか悪いとかではないんですけど。
ちょっと簡単に言いすぎなのかもしれないんですけど、
このより大いなるものと合一するみたいなやつが、
要は今風に言うと、簡単に言うと、
遠くの国で起きている戦争に心を痛めるとか、
そういうのを感じるとかね、自分の経験として。
とか、自然破壊に心を痛めるとかさ。
だからその大いなるものに対して行動するみたいな、
全て自分ごととして捉えて実践するみたいな、
そういう善の側面もあるけど、確かに個人よりも、
例えば家族だったりとか、家族よりも村だったりとか、
村よりも国みたいな、
より大きなものに広がっていくような思想で、
そっちに重きを受けみたいな感じのことのメッセージに聞こえてしまうので、
それがこの全体主義思想とマッチしていくみたいな、
そういう側面もなくはないというか。
別に西田喜太郎はそれを本当は求めていたというか、
それを目指していたわけではないんですよ。
確かに大きなものを、個人よりも大事なものってあるよねみたいな、
別にそれって普通の話じゃないですか。
別に誰だって言いそうなことだし、確かになみたいな感じぐらいのテンションって言ってたんですけど、
なんかそれが、しかも西田的には西洋哲学がやってたような、
個人なのか全体なのかみたいなの、この二元論みたいなのを脱構築というか、
アウフヘイベンというか、さらに個人とか全体とかじゃなくて、
純粋経験というか、目の前のこの現象そのものを捉えることの方が大事なんだぜみたいな、
なんかそういうような感じのテンションでやっていて、
個人とか全体とかに、別に重きを置くとかでもなかったんですけど、
ただ現象って言ってしまうと、どっちかっていうと全体かなみたいな。
そんな感じのニュアンスになっていて、本人としてはそんなことは思ってはいなかったんだけど、
それが時代的にマッチしてしまって、
前回言ってたような戦争の思想的なバックボーンとして利用されていってしまう、みたいなところもあると。
非常に雑な言い方すぎるんで、弟子でもいっぱいいて、それぞれ考え方違って、
全然その純粋経験とか絶対無みたいな言葉を使わない人たちとか、
シュとルイとコみたいな言葉を使ってたりとか、全然違ったりするんですけど、方向性としてはそんな感じみたいな。
全然わかんないんだけど。
え?
ごめん、全然難しい。
戦争に利用されたっていう話だったじゃないですか、もともと。
それは知ってたけど、どっちがどっちだかわかんなくなって、
なんでそんなふうに理解されちゃったのかがわからなくなっちゃった。
それは都合よく使われたっていうような感じだと思うんですけど。
うん、聞き直すね。
別にそんな論理的に説明してないので、方向性としてそんな感じがあったよっていうだけで、
それがだんだん時代が進んでいくごとに、国が全体主義的な空気化になっていったわけじゃないですか。
そんな中で座談会とかが行われていって、
戦争に賛同するような発言をしたりとか、そういうふうになっていくので、
そこで利用されたというか、ある意味コミットしてしまったみたいなところが出てくるんですけど。
時代背景的にはこの頃、西田がある程度教えていて、
田辺が批判してるとか、このぐらいの時代ってもう第一次世界大戦とかも終わっていて。
もうちょいかな。
まあまあ、第一次世界大戦って、その当時の日本人の知識人からしてみると、
あ、なんか西洋は終わったなみたいな。
なんかそういう感覚もあったみたいなんですよ。
そうなんだ。
あいつら自滅したなみたいな。
精算すぎて。
まあでもそっか。
なんか後の時代で見ると、やべえなあいつらって感じだけど、
やっぱ当時としてもそう思ってたってことか。
だから日本は上手いポジションに入れたから、逆にそう思えたみたいなところもあったんだと思うんですけど。
ああ、なんか行くとこまで行ったなあみたいなところがあって、
その後ロシア革命とかも起こっていくわけじゃないですか。
そうすると、ロシア革命のほうが、それこそ共産主義とかのほうが、
なるほどなあみたいな、これが西洋近代、第一次世界大戦で失敗した西洋近代に変わる、
新しい形なんだろうね。
ああまあそう捉えられるわなあ。
これこそが近代の彫刻なのかみたいな、人も結構いて。
まあそうだよね。
だって戦後だって、1970年代ぐらいまで北朝鮮はユートピアって言ってた人たちだっていっぱいいたもんね。
そうだね。
だからそういう、西洋近代に変わるオルタナティブ的なものをずっと探し続けてきて、
日本でも思想的な運動みたいなのが、西田貴太郎から始まっていき、
ロシアではそういう革命が起こり、共産主義とかも日本にも輸入され始め、
結構感化される人が出てきて、革命運動とかも始まってくるぐらいの時期で。
西田貴太郎の弟子の田辺とかは、これに対してすごい批判したりとかもしてたんですけど、
ここから時代的には対照デモクラシーとかがありつつ、
だんだんデモクラシー的なのが盛り上がってきて、
普通選挙法ができる代わりに治安維持法も片っぽでできていて、
それまでは結構共産主義が広がりつつあったんだけど、
ちょうどこのタイミングで治安維持法ができて、
共産主義者ぶっ潰されて、
それで日本じゃ共産主義もだめなのかみたいなふうになってきて、
だから当時の知識人たちは、西洋近代もだめだし、共産主義もだめだし、
やっぱり日本で独自の思想みたいなのを作って立ち上げていくしかないみたいな。
日本の思想運動
空気化の中で西田哲学がどんどん重要されていって、
京大の中で練り上げられていって、
京都学派みたいなのができていくというような流れがあるんですけど。
そこからはもう関東大震災が起きて、世界恐慌が起きて、
満州事変が起きて、5.15が起きて、2.26が起きて、国際連盟が脱退してみたいな。
そんな感じで日中戦争が始まり、
真珠湾攻撃の13日前に行われた座談会っていうのが、
これ近代の彫刻じゃないんですけど、実は座談会が2つあって。
世界史的立場と日本っていう名前の座談会が、
真珠湾攻撃の13日前に行われたんだよと。
これね、まさに前々回ぐらいにみそさんが言ってた、
ローカルとグローバルの話とかしてたじゃないですか。
グローバルつってもそれは西洋のことじゃねみたいな話にも通ずるような話を、
ここで実際にしてたりするんですよね。
俺すげえじゃん。
先取りしてるみたいな感じだったんですけど。
なんかだから、世界史的立場と日本っていう名前なんで、
当時格好つきの世界史って言ったときに、それはもう西洋の歴史のことであって、
別に東洋の歴史のことは別に話してませんみたいな感じもあったし、
世界史って言ったときに、世界史をこれから作っていく立場にあるかないかみたいな、
そういうような話とかをしてるんですよね。
そこの世界史を作っていける立場に日本もなっていけるのかどうかみたいな話とかをしてる。
なるほど。
だからそれこそカントが国際連盟的なものの基礎の理論を考えたりしていたわけで。
だったりヘーゲルとかは世界絶対精神みたいなことを言いながら、
理性で世界史を自ら作っていくんだみたいな話をしていたりする人たちなので、
カントとかが構想していたようなこと、ヘーゲルが構想していたようなことに、
日本はどう位置づけられるのか、それでも位置づけられないのかみたいな議論をしていて。
ある人は第一次世界大戦でヨーロッパが荒廃したとはいえ、
でもイギリスとかはそれに勝って、世界の4分の1も持ってってすげえよなみたいな。
そりゃ世界史とか言えるわみたいなことを言ってたりとか。
世界史でもなんかあれだね、違和感があるというかね。
今が強いからその国は歴史を持っている、語られるみたいな、なんかよくわからんな。
でもそれに対して、日本だって鎖国しなければね、
あのとき鎖国しなければワンチャン世界史の格好つきの世界史の主体になり得たと思うんだけどな、
みたいなことを言ってたりとか。
なるほど。
豊臣政権のときだいぶ外出てったりとかね、
がんばったのにあれ、西洋が外出てくのとそう変わんない時期だよねみたいな話をしてたり。
みたいな話で盛り上がりつつ。
カントとかヘーゲルは世界史って言ったときに西洋しか前提にしてないけど、
やっぱそれっておかしくない?みたいなことを言う人も出てきて。
なるほどね。
日本だってトブヨだって世界の一部なわけで、
世界史って言ってもいろいろあっていいじゃん。
別にチグリスユーフラテス川から始まったあの世界史だけが世界史じゃないでしょうよ、
みたいな話とかをしていて。
まあまあだから、今の価値観だったら当たり前のような主張をする人もいたんですけど、
それをね、結構全面的にボコボコに否定されちゃってですね。
いやいや、そんな無理だから、みたいなツッコミが入ってですね。
近代の彫刻の意義
いやそれはもう世界史とは言わないの?みたいな。
それはその国の物語とか、その地域の歴史であって、
世界史とは呼べないのよ、残念ながらみたいな。
それは普遍性がないからね、みたいな議論をしたりとかしてる。
誰が?
これ京都学派同士の人たちでしてるんですけど、座談会の中でね。
まあそんな議論をしながらでも、
今はその西洋の普遍性を日本も身につけることができたんだと。
その西洋的な近代のものを身につけることができたんだから、
俺たち、西洋がもう普遍性を発揮できなくなったんだから、
俺たちが普遍性を発揮すればいいんじゃないの。
俺たちが世界史を作っていくんだ、これからは。
みたいな議論をこの座談会の中でしていて、
もはや西伊達数学関係ないんじゃねえかみたいな感じはあるんですけど、
まあまあ、こんな感じの議論が進んでいくんですよ。
だから多分反省すべきとこ、ここなんだろうなっていう感じの座談会で。
何がモチベーションなの?
その世界史を自分たちが作るっていうのは。
いやまあ、これは本当に概念の空中戦みたいな議論だからさ。
まあ別に意味ないっちゃ意味ないんだけど、
普遍性を持ったものしか世界史とは呼べないみたいなことを言っていて、
その普遍性っていう言葉にすごく重視しているわけですよね。
その個別性じゃなくて。
世界中どの地域にどう持っていってもそれがいいよねってされるものみたいな。
それを日本は身につけたから、それをちゃんと広げていこうよじゃないけど、
そこまではまだ言ってないんだけど、
日本もそれワンチャンできるようになってきたよね。
だから今までの日本じゃないんだよ。
近代になった日本だからこそ、これはできるんだよみたいな。
なんでそんな自信持っちゃったの?
これはね、結局ね、京都学派、ちょっと僕の理解も足りないんですけど、
京都学派っていっても多分いろいろあって、
この人たち結構カントヘイゲルをめっちゃ勉強してる人とかで、
翻訳とかを本格的にしたりとかした人たちなんですよ。
なので軸足がすごく西洋の普遍性みたいなところにかなり置かれていて、
あんまり西田が重要視してたような仏教の理論とかの話があんまりここでは出てこない。
とはいえ勉強してたと思うんですけど、
勉強はした上で、やっぱりこれは適用できないんだよなみたいなことを思ったんだとは思うんですが、
ここで完全に西洋のロジックになぜか乗ってしまうっていう流れになっていくんですよね。
日本独自のものを作んなきゃいけないみたいなことを言ってたのに。
日本が混ぜるんでしょうけど、仏教とか神道的なものをそこに乗せるんでしょうけど、
ベースがヘイゲル的な世界史理論というか、
そういうのを上に乗っけてるので、そこなんだろうな反省すべきはみたいな気はしましたけど。
カントフとかヘイゲルとかをめっちゃ勉強したし、そこ知っちゃってるし、
それ以上すげえし、みたいな感じなのかな。
ていうか、西洋はヨーロッパは実際第一次世界大戦で荒廃して、
ボロボロじゃん、あいつらなんもできねえじゃんみたいなところもあって、
それに代わるものは、俺たちが作っていくしかないよね。
けっこうイケてるよね。
感じ?
みたいな感じ?
なんでそれを哲学者が喋るわけ?
なんでなんだろう。これ雑誌だっけな。雑誌の対談みたいな。
別に政府に集められてどうこうみたいな話じゃないわけですよ。
これ研究、お金が入って我々の思想的バックボーンを作ってくれみたいなことを言われてやったわけじゃないので、
普通に集まって、いや最近どう、西洋ちょっと終わったよね、みたいな。
たぶんそういう話をしているんだけど、
当時の一番頭のいい人たちがそういうことを言ってるから、
ああ、これはいいね、みたいな感じで使われるみたいなところもあったんじゃないかな。
ちょっとごめん。
だから今で言ったら、シラスとか古典ラジオで言ってるとか、
そういう超頭のいい人たちが言ってるっていうようなイメージかもしれない。
まあそんな感じかもね。
そうそうそう。そういう座談会が組まれてたっていうだけであって。
今で言うとポッドキャストとか、YouTubeのチャンネルでいろいろやってるじゃないですか、いろんなところで。
そういうところの思想みたいなものってことか。
そうそうそう。
ほんとそんな感じのイメージで。
イメージかな、もしかして。
その世界史的立場と、日本だっけ、そういう座談会がパールハーバーの13日前に行われましたよ。
そっからもう太平洋戦争に突入していくわけですけど。
さらにもう一個、近代の彫刻っていう座談会があるんですが、
これはいつだっけ、1942年7月なので2日間にわたって行われたと。
延べ8時間に及ぶみたいな、ずっと話してたみたいなんですけど。
この近代の彫刻っていう座談会が非常に悪名高いというか、ものになっている。
よく調べ直してみたら、それよりもその手前の世界史的立場と日本のほうが決定的なんじゃないかって僕的にはなんとなく思えましたけど。
一応ずっと8時間話す中で、これは京都学派の人たちだけじゃなくて、
いろんな立場の人が入ってたりとかしてたんですよ。
それこそ、文学者とかが入ってたりとか、小林秀夫とか、あの辺の人が入ってたりとかするような座談会でいろいろ話されたわけですけど。
すごく象徴的なのは、京都学派のある人が言ったのは、この座談会の目的みたいなのを言っていて、
政治においてはデモクラシーの彫刻であり、経済においては資本主義の彫刻であり、思想においては自由主義の彫刻であるっていうことを言っていたんですね。
民主主義とか資本主義とか自由主義っていうのを、それに代わるものを何か提示できるのかみたいな問題意識として、
もう太平洋戦争も始まっている中で行われていくというような話なわけですよね。
その中で西谷っていう人が発言したこととかは、この大東亜、東アジアの中では、西洋の水準に達してるのはやっぱり日本だけだと。
あとの民族はレベルの低い民族だ、みたいなことを言ったりとか。
だからそういうものを引っ張って我々が育て上げていき、民族的な自覚を彼らにもたらして、
それで世界史を作っていけるだけの近代というものを持っているのは、もう日本しかないでしょ、みたいなことを一歩踏み込んだことを言ってるわけですよね。
ちなみにそういうことって、西洋の影響を与えている、名の残してる哲学者たちもそういう感じでやっぱり言ったりしてるの?
当時どうだったんだろうね。
日本の哲学的立場
当時の哲学者たちの仕事っていうのが、結構そういうような感じだっていうところもあるのかね。
あるのかもしれないですね。確かにそこはちょっとわかんないな。
わかんないですけど、わかんないですね。
ハイデガーのコミットの仕方とかは、
もっと国民的な感情みたいなのをちゃんと概念化して、すごくそこを強調して言ったみたいな話で、
それが国家主義的な方向に向かっていくっていうところで利用されたっていう感じだと思いますし。
もちろんナチスとかだとニーチェとかが利用されたみたいな話はありますけど、
別にそういう利用のされ方じゃないんだよな、彼らの。
まあいたんでしょうね。
当時は多分そういう西洋でも同じようなことあったんだと思うんですが。
確かにな。ナチスの理論のバックボーンとしてプラトンが利用されたりとかね。
やっぱり鉄人統治的なものはやっぱりしなきゃいけないんだみたいなことを言うときに、
プラトンを引いたりとかはしてたらしいので、そういうのはありがちではあると思うんですが。
確かに学者が当時の権力者の閣僚の中枢にいるみたいな話っていうのもあるしね、歴史上いろいろ。
そうですね。
そういうふうに、何でも利用しようと思えばできちゃうっていうような話だと思うんですが、
確かにここで京都学派の西谷とかは、
ライトウォーでもね、アジアの連中はまだまだレベルが低いから、
俺らが引っ張んなきゃいけないんだみたいな話を言っちゃってたりはするわけで。
そうやって近代的なものを彫刻しようということで、
デモクラシーを彫刻しようとして、
近代思想の影響
体制抑産会的なものになったりとか、資本主義を彫刻しようとして統制経済になったりとか、
自由主義を彫刻しようとして全体主義になるみたいなことになっていってるわけですけど。
確かに民主主義も資本主義も自由主義も、すごい問題が多い部分もあると思うんですけど、
そっか、そうなっちゃうかみたいな、その代わりがそれかみたいな感じもありつつ、
それが大統和共栄権的な思想のバックボーンとされて、
戦争の正当化に使われていくというような感じで、
ここの議論もめちゃくちゃいろいろあるんですけど、そんな感じの議論が行われ、
ここに出席していた多くの人物が敗戦後には公職追放されていくみたいな、
そういう感じになりますね。
ちょっとさ、彫刻ってさ、今言ってる彫刻さ、それ日常単語なの?
2人うんうんとか言ってるけど。
あー、全然知らない。乗り越えるみたいな。
だから普通にそういうのを近所の人とかに言うの?トモキは。
ちょっとこの状況を彫刻したいっすよねとか言うの?それ。
今ちょっと調べちゃったよ。
近代の彫刻って、私もうスカルプチャーの方の彫刻だと思ってて。
何言ってんのかなと思って。
乗り越えで乗り越え。
そういうのさ、ちゃんと説明してくれる?
面白くなくていいから、とりあえずだけに。
絶対みんな、たぶん私系の人はみんなスカルプチャーの方の彫刻だと思ってて、
あ、そうやって呼ぶんだなーって思ってたと思うよ。
まさに完全にわかるもんだと思って言っちゃってたんで。
ほんとなんかマウント取られてる感じだよね。
ちなみに僕はそれもわからなかったし、横文字もわからないんで、
スカルプチャーって言ってるのもわからないし、
モンさんが言ってることもよくわからないって言ってると、
全部だいたいうんうんつって、なんとなくニュアンスで聞いているっていう感じ。
え、でもむさちゃんはなんか全部わかってるっぽく聞くから、
ちょっと私は焦りながらいつも、なんかいろいろ聞いてらっしゃる。
結局なんかよくわかんなかったんですよ。いろいろ調べてみたりとかして。
だから僕もニュアンスでしか捉えられなくて、
こんな感じの話になっちゃってるわけですけど。
よくわかんない。
え、結構わかったよ、あと。
方向性みたいなのしかわかんなかった。
でも、なんか近所の人に教えてもらうにはすごい勉強になるし、
だから今聞いてる方には、
西田貴太郎の視点
超国の超は超えるに、克服じゃないよね。
克服ですね、勝つですね、勝つ。
そうですね。
克服の克ってこれだっけ?
そうですよ。
克服するって?そうだっけ?
あ、そう?だからいいのか、そっちの克もあるね、そうだね。
はい、そういう感じですね。
それわかった感じでずっと話されるとさ、
だからやっぱ、何言っちゃってんのって思われるよね。
わかんないよね。
もうわかってらっしゃる方はね、素晴らしい。
なんかさ、ちょっとこの北郎くんはさ、
なんかいろいろと善とかさ、
やっぱそこ、理論も大事だけれども、動くことも大事だよみたいなさ、
俺ニュアンスでめっちゃ言ってるけど、
そういうようなことを言って、
結局人間自身どうあるべきかみたいな、
なんかそういうような感じの話をしてたように感じたんだけども、
なんか話が一気に飛んだなって感じがしたんだけど。
そうなんですよね。
で、関係ねえだろ、もはやみたいな感じはあるわけですよね。
そうなんですかね。
あるんですけど、なんかね、これいつだったのかな。
西田北郎自身も、戦争中に、ちょっと今の戦争そのものとか、
あとは特攻とか、そういうものをある意味賛美するような、
演説?公演?みたいなのをしたりとかしてるんですよ。
なんか、特攻っていうのは、特攻っていうか決死って言ってたのかな。
死を決める決死っていうのは、なんていうか素晴らしいんだみたいな。
それこそが生きることなんだみたいなね、こととかね。
生を死の中に投ずることは、死を観念的に考えることではなく、
自分が安全な生にいながら死の可能性を考えることではない。
必ず死ぬことがわかっていて、死は逃れ得ぬことを知っていて、
なおなすべきことをなす。実践すべきことを実践すること。
それがすげえことなんだよ、みたいな話とかをしてる。
まあそれっぽいじゃないですか。
まあそれっぽいね。
すげえことっていうのは、天国に行けますみたいなこと?
日本的に言うと。
それは覚悟という言葉では表せないが、よく似ているが本質的に異なっている、
決死っていうのはすげえんだぜ、みたいな。
だからすげえことをするほうがいい。
すげえことをするほうがいい。
だから文脈的にはそうですよね。
決死っていうのはすごいよっていうのを、頑張れ!みたいな感じで励ましてる。
勢いだよね。勢いみたいなものが何かしらのどちらに向いてるかということでは、
勢いなんだろうなって思っちゃうよね。
ダメだね。やっぱ負け戦はダメだね。
まあ確かにね。別にだからこれもさ、
西田貴太郎だけじゃないですよ。こういうのは言ってるの。
田辺はじめだって、弟子の田辺はじめだって、ちょっと近しいような発言をしたりしてるし。
まあみんなそうだったんだと思うんですよね。
そういうしかねえみたいな。
そういうしかねえっていうか、結局負け戦の中でそういうふうに負け側のことを、
素晴らしいんだぜとか、もっと頑張ろうぜみたいな感じで言っちゃってもさ、
結果論負けてしまったらあれじゃん。勝てば官軍、負ければ賊軍でさ、
そこに加担してた人間っていうのは、あいつあんな悪の帝国を擁護してたやつなんだぜみたいな感じで思われちゃうわけでさ。
そうだね。
やっぱりなんかそこからやっぱ哲学、そういう人たちの哲学っていうところに対して、
やっぱアンタッチャブル的な感じにさ、もう100年も経ってないけど、
これだけ経てば冷静に見える人多いだろうけれど、
やっぱり40、50年ぐらいしか経ってない中だったら、
そういうような感じの動きをした人に対してはちょっとアンタッチャブルな感じで見ちゃうみたいなのもあるかもしれないなと思ったけどね。
そうですね。ある意味西田貴太郎ちょっとラッキーだったのは、
終戦直前ぐらいに亡くなってるんですよね。
はいはい、44年かなんかになくなってるね。
だから、公職追放とかされずに済むというか、
いまだに西田貴太郎はね、なんかいろんなところで取り上げられたりはするとは思うんですよね。
でもその後の田辺とか西谷とか、あとは高山とかいろいろいるんですけど、
京大四天皇みたいな人とかもいるんですけど、
そういう人たちの理論っていうのは、やっぱりなかなか取り上げられなくなってしまって、
なんか非常にもったいないなって。
たぶんそれぞれの単体で読めば、普通に頷けるようなことをたぶん書いてるとは思うんですよね。
だけどなんか集まってこの国のことを話しましょうみたいな話になっていくと、
しかもその当時の戦争の状況とかがあって。
ごめんなさい。
まあまあこういう話になっていっちゃうんだろうなっていう感じでしょうしね。
日本哲学の未来
なるほど。
それで結局、日本の哲学はなくなっちゃったっていうふうに考えざるを得ないっていうか。
みたいな評価がある。
そこで一回ダメになっちゃったから、日本哲学っていう流れがね。
だから日本独自に新たな理論を打ち立てようみたいな方向をやると、
また国粋主義的なことをやり出す可能性があるので、
そういうのやめませんかみたいな。時代遅れすぎますよみたいな。
一回失敗しましたよね、それでみたいな感じで。
古代の研究をしたりとか、古代ギリシャの研究は研究でやったりとか。
そういう感じの哲学研究者みたいな感じになっていくというかね。
今日ちょうどたまたまだけど、あの戦争は何だったのかっていう本を書いた方の話を聞いていて。
すごいなんか気にはなってたんだけど、ちょっと話聞いたらやっぱり、
あの戦争っていろんな言い方があるから、そういうのとか本当におっしゃってたのが、
私たちちゃんと今、そういうことがあったってことすらも恥ずかしながら、
全然細かく本とか読んでるトモキからしか教えてもらえないみたいなこんな大人なのにさ、
なんかすごいむずい。教えてないよねと思ってて。
その中で言ってたのが、やっぱりこの戦争のこととかも日本のこととかも、
他の国の方がよく知ってたりとかするし、あとシンガポールに来てもすごく思ったことなのね、実は。
シンガポールはやっぱりそういう博物館的なものとかがあって、
日本人がどのぐらいすごい悪いことをしたのかって言って、もうまざまざと見せつけられるんだけど、
そういうのないんだよね、日本ってそういうのが。
被害者的なほうは結構あると思うんだけど、
だからやっぱりすごいむずい。
今もう80年だからやっぱりこれからきちんとそういうのを見つめ直していくべきではないか、
みたいなことはすごく思いましたね、その話を聞いてて。
確かにその問題点も。
だから辻田雅典さんがよく言ってんのは、
そのナショナルヒストリーみたいな、自分たちの物語みたいなのを、
まあ普通の国は近代国というのは持っていると、
直近の戦争とかに関しても。
まあなんかこないだオーストラリア行ってきましたとか言ってましたけど、その辻田さんがね。
そこでもなんかちゃんとそういう博物館があって、そういうところにちゃんと刻まれていると。
でも日本にはないと。
日本に唯一あるのが優秀館しかなくて、安国神社の博物館みたいな。
あれは安国使館なわけで、
国の自分たちがちゃんと練り上げた物語になってないから、
そこはちゃんとやっぱり国民的に考えていかなきゃいけないし、
見つめ直さなきゃいけないよねみたいな話はね、よくしていて。
そういうのを聞きつつ、昨今の情勢とかを見つつ、
ああ、これまさに日本のオリジナル的なものを作んなきゃいけないよねっていう議論、
なんか前も聞いたことあるわみたいなふうに思って、
ああ、京都学派ちょっともう一回勉強してみようみたいな感じで思ったって感じかな。
なるほどね。
京都学派自体だって、この前トムキに教えてもらったようなもんだしさ、
思想とかっていうのが、どうしてそんなになっちゃったのかねって思う程度で終わっちゃってたんだよね、私とかも。
戦争のことって。
単純に負けちゃいました、大変なことが起こりましたみたいな感じのふんわりした感じでしか、
もう悲しかったよねって、すごい悲しい映画とかをいっぱい見て、
悲しいことはもう二度としちゃいけないっていうことはわかるよ。
だけど、実際じゃあ日本が何をしてしまったのかって、何をしてたのかっていうその思想の部分とかって、
なかなか難しいよね、教えてもらえてないというか、
拾うとしてない方しっていうのもあって。
いやだからこの辻田さん大丈夫なのかなと思っちゃったりして、こんななんかバラしちゃったりとかって言ってる。
そんなの知ってる人は知っているという。
だけど、こんなにもういろんな人にわかるようにしちゃってるから、困る人が出てきたりして、大丈夫かなとか思っちゃった。
日本の歴史観と教育
いやそんなことはないと思うんですけど、別にさ、そういう話ってあるじゃないですか、
教えてもらってないよねとか、我々って知らないよねみたいな話ってありますけど、
あの、なんていうのかな、まあ確かになんかこう学校の授業とかだとさ、
古代からやってって、最後の方ちょっと時間なくてできないみたいな風になって、
しりきれとんぼで終わっちゃうみたいな感じになるっていうのはありますけど、
まあでも、とはいえ教科書に書いてあるみたいなことってすごく重要だったりとかして、
教科書に書いてある以上は絶対大学受験とか出てくるし、そこを通る人は通るわけですよね。
だし別に、そこ確かにちゃんと勉強しなかったわとか、あんま興味持てなかったわとかっていうのと、
なんかその、すごい数学の微分析文とかに興味持てなかったわっていうのと、
別にあんまり変わんないような話だと思っていて。
そうだね。
なんか別に、なんていうのか、歴史をなんか恣意的に誰かが隠してるとかそういう話じゃなく、
まあそういうもんだよねみたいなところもあって。
でまあ、実際に問題、日本では少なくとも教科書に書いてあって、
ちゃんと勉強すればわかるようにはなっているというだけでも、
まだなんかこう救いようがあるというか、気はする。
ちゃんと読めば別になんかそんななんか、なんていうのかな、
日本も結構巻き込まれた面あるよなとかっていうことは普通に思うと思うし、とかね。
まあそんな感じですよね。
反省の違い
その辺の歴史観っていうのもさ、まあ日本の歴史観はまあ日本にいるからなんとなくわかるけどさ、
じゃあ歴史に対しての向き合い方っていうのもスタンダードってあるのかね、世界において。
はいはいはい。
なんかどの国だって多かで少なかでさ、戦争をやって大規模な戦争を起こしてさ、
勝ったり負けたりしてるみたいな話はあるわけでさ。
で、そこに対してイギリスはフランスに悪いことをしましたっていうふうに思ってる人が多いのかとかさ、
もしくは自分たちがやってきたことをどう捉えてるのかみたいな話とかさ。
例えばこう日本が、ドイツとか日本が批判されるがゆえんってさ、
ドイツの場合はイダヤ人を大量にさ、粛清したっていうところが挙げられるし、
日本の場合は南京大虐殺とか中国に対して虐殺したみたいなさ、そういうのが言われてるからさ、
非道な国みたいな感じで言われてるから、やっぱりこうアジアの諸国からすると、
愛好的なカードとしてもさ、それを批判してっていうところがあるのは客観的に見てあるわけじゃないですかね。
そうですね。
だけど日本としてはそこのところに対して過剰にやっぱり捉えていないみたいな部分があって、
別に反省してるかって言ったら別に反省はしてないし、
そもそもそれを、そういうことに対して知ってる人のほうが少ないみたいな、そういうような感じじゃん。
どうなんだろうね。例えばドイツとかっていうのもどういうふうに思ってるのかとかさ、
なんかさらに言うんだったらさ、ドイツも日本も確かにひどいけど、イギリスのほうがよっぽどひどいけど、イギリスってどういうふうに捉えてるのかなみたいな。
まあね、ほんとだよね。まあそうだよね。
そうだよね。
なんかそうだよね。何を反省すべきじゃないかみたいなのはね、その時の情勢によって変わっちゃうとかあるだろうし。
そうだよね。
まあドイツはもうある意味徹底的にナチス・ヒトラーっていう、あの存在を反省するというモードになっていて、
ユダヤ人には謝罪をし尽くすみたいな。
だからイスラエルがいろいろやってたりとかしても批判できないとかさ、そういうようなことになってると思うんですけど。
まあなんていうか、ある意味ナチスとかヒトラーをスケープゴートにして、ごめんなさいと。
ああいう政権はもう我々は生み出しませんみたいな反省の仕方をしていると思うんですけど。
確かに。そこは日本の反省の仕方がむずいみたいなところはめちゃくちゃありますよね。
これ一体あの戦争、何のせいでどうなって、別にその独裁者なんていなかったし、反省すべき点がよくわからんみたいなところ。
個別の虐殺が起きてしまったとか、それは平坦が足りなかったからそういうことが起きちゃったよねとか、
そういう反省の仕方はできると思いますけど、そこはやっぱりむずいよね。
どこで止められたのかとかもよくわかんないし。
まあ止まんないでしょ。
止まんないでしょ。
満州事変が止まってれば止まってたのかって言われると、別にそういう話でもないんじゃないかみたいなね。
歴史の流れの中で止まることは絶対できないよね。
そもそも止まることができない結果で世界大戦がさ、ヨーロッパ中心にして起こってるわけなんだからさ。
ほんとそうだよね。
そうだよね。だから日本が止まれたんだったらヨーロッパだって止まれてたはずだよね。
そうだよね。そうだよね。確かにね。
だからまあ地政学的に意味がある場所の国っていうのは辛いね、いろいろね。
意味があるっていうのは?
政学的に重要な場所の国っていうのはさ、弱けりゃ蹂躙されるしさ、強けりゃさ、結局行き着くところまで行かなきゃいけないしさ。
ああ、なるほどね。
そういう感じじゃん。だってヨーロッパとかだってさ、当時の世界大戦の情勢の中ではイベリア半島とか別にクソの役にも立たないからさ、
スウィンもコルドガルもさ、何の被害も受けずに中立になったさ、両方とも終わってるわけじゃん。
そうだね。
だから結局地理的な場所にどういう国があって、そこにどういう人たちがいるかみたいな、そういうところに全て終始してしまってるような気がするよね。
確かにね。
いやー、むずい。
むずいみたいな。
それを国民的な反省とか、こうやって話すだけでも全然違うと思うし。
すごいよ、えらい。
えらいっていうか、考えますよね。
だからそれこそ、最近言われてるような、日本に果たして民主主義が合うんだろうかとか資本主義が合うんだろうかとかいうような議論。
もう近代都朝国で言われてたような話と同じような話ですけど。
確かに感覚的に、あんまり合ってないかもね、みたいなところは思わなくはないじゃないですか。
そっか、それを彫刻しようとしてたのか、みたいな。
日本人が目指してるのは、子みたいなことではなくて、世間だったりとか空気だったりとか。
それこそ、西田が言ってるような現象そのものとか。
純粋経験のほうに実愛が近いとか。
そういう感覚のほうが、確かに合ってるのかな、みたいなふうには思うし。
確かにね、それをやっていったら全体主義的になりやすいというか。
コロナ禍のときのマスクをしてない人は人ではないみたいな空気感とか、ああいうのとかも出てきやすいとは思うし。
だからその辺を、もう一回ちゃんと考えてると思うんですけど、いろんな人がね。
いや、そうだよね。
そこなんかうまいことを、こと全体みたいなのをね、それこそ脱構築しようとしたんだと思うんですけど。
もう一回ちょっとやってみたほうがいいんじゃないかな、みたいな。
そういうのをちゃんとわかるのって、やっぱりなんか最近のほうがもっと個別化みたいな、
なんか一般的な人たちのことを個別化して、自分をわかるようになるっていうことがあるらしいから、
日本の人もやっぱりこう、日本のことを知るためには他の国のことを知ったりとかして。
近代とその課題
していくと、日本がどういうふうなことでちょっと間違えちゃったのかとか、わかると思ったりするんだよね、今の話聞いてると。
それでやっぱり日本のことをずっと考えていても、その周りがどういう、他とは違うっていうことってすごくいいことだと思ってて。
日本ってやっぱり特別な国だと、私もほんとそんな大した国行ってないけど、
いろんな国をいろいろ見てて思うのは、やっぱりすごい日本人に生まれてよかったなって思うし。
だから日本が、日本ってどういう国だろうってわかりたかったら、
やっぱり他の国のことをもっと知ったりとかするのってすごい大切だよなとかって今思ってて。
いや、そうなりがちな人種であるとか、あるよね、そういうのっていうのはあるなと思って。
だからそう今思ってて、日本人だからだよねって私が今ちょっと思っちゃうのは、多分外を見てて違う人を見てるからなんだろうなって思ったのね。
あんまりわかんないよ、だってただのその辺のおばちゃんだからわかんないけど、なんかいやそれって日本人だからだよねって思っちゃったんだよね、今話聞いてて。
なんかそこに行くっていう、思考が行くっていうのがね、哲学者たちの思考が行くっていうのが。
やっぱり島を守らなきゃいけないとかね。
周り意識があるからだよねとか。
周りと違うっていうのは、なんとなくわかってるんだけど、
それこそ西田とかも直接海外とかに行ってないみたいな話とかありましたけど。
ああ、そっか。
確かにね。純粋経験が大事だっていうなら海外行ったほうがいいんじゃないかみたいなところがあるかもしれないですね。
本当に今だと、だからいろんなとこ行けるわけだし、特別な人じゃなくたって行けるし、ってちょっと思っちゃったりしたね、今。
それはあるかもね。
難しい問題でしたね。
そういうのでこう、日本っていうのが浮き彫りになってくるんだよね。
自分がね、自分自身が日本人であるということが、なんかこうわかりやすくなってくるんじゃないかなとか思いました。
確かに。
確かにね。
ちょっとすごい、もうちょっと飲んでるのに真面目な話して、もう大変なんだけどこれ。
いやいやいや、いい感じでした。
じゃあいいですか今日は。
うん、はい。
今日も最後までテツセカをお聞きいただきありがとうございました。
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いつも感想いただく皆様本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
まあ難しい話しましたね。
そうですね。
とりあえず日本哲学の話はこれで終わりという感じですかね。
そうですね。
どうでした?
まあだからよくわかんなかったけど。
トータルよくわかんなかったよ。
その京都学会が、結局何が言いたいのかとかもよくわかんないし。
ただ座談会とかの流れの中で、やっぱり人が集まってそういう環境に置かれて、
当時の状況とかを考えて発言をしなきゃいけないみたいなこともあったんだろうから。
人間ってこういう動きをしたんだよなーみたいなことを思ったというか。
例えば中国とかで、学者とか哲学者みたいな人がよく集まって話すのが政談っていうふうに言って、
哲学者たちっていうのはいろんな意見を議論をするみたいなのっていうのがあるっていうふうに言うけど、
哲学者ってそういうもんな?自分の討論するもんな?
うーん、まあそうなんじゃないですか。わかんないけど。
まあそういうのを、中国とかでもそういうのはやりそうですよね。
いやヨーロッパのそういう著名な近代哲学者たちっていうのは誰かと意見交わしたりしてんの?
まあ交わしたりしてますよ。
いろいろ座談会とかも当然あったと思いますし、
近代哲学の文化
いろんな雑誌上でバチバチの言い合いをしたりとかっていうのはあったと思うので。
そういう感じか。
まあやっぱりそういう文化なんですかね。
家にこもるだけじゃだめなんだろうな、哲学って。
ああ、まあそうなのかな。
我々も知らないながらも素人をあがき喋ってるっていうのが、
そういうことなのかもしれないですね。
よくわかんないけど。
何かをみそちゃんは知りたいだろうね、本当は。
何かを明らかにしたいんじゃないですか。
どうなんですかね。
どうなんですかね。わかんないですね。
ちょっと自分がよくわかんないですけれどもね。
はい。
はい、ちょっとよくわかんないですけれども、
はい、じゃあもう終わりにしましょうか、とりあえずね。
はい。
じゃあ、日本哲学3回シリーズどうもお疲れ様でした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。