00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回も西田幾多郎さんの続きということで、前回までで場所というところまでやっとたどり着いたみたいな感じでしたね。
そうですね。やっとって言ってもね、たぶん覚えたいよって人もいると思うんであれなんですけど、
4つで今回キーワードがあるよっていう中で、最初純粋経験っていうところから始まって、
自覚があって、そこで場所っていう3つ目までありますよって話をしたと思うんですよね。
しかも、自覚と場所の間で10年ぐらいさらに勉強し直してるみたいな感じだったよね、哲学の。
そうですそうです。ワンピースの修行編みたいな感じで間抜いてるよって話をしたと思うんですけど、
西田さんって自分が考えついてるか、ある種何か確信めいたものがあって、
それをどうしたら哲学的に表現できるのかとか、どういうふうに説明できるのかっていうことをずっとやろうとしてた人なわけなんですよね。
そこで場所っていう概念がまさにそれを説明できるんじゃないかと、そこでプラトンのポーラっていう概念から引っ張っていくよっていう話を前回したと思うんですけど、
そういうふうにある種偉大な哲学者っていうところの考えもある種繰りながら、自分の発想っていうものを形にしていきましたって話をしたと思うんですけど、
今回はね、そこにたどり着いた後で、その場所っていうものを使って、どういうふうに存在とか世界みたいなものをどう形にしていくかとか、論理化していくか?
最初も純粋経験っていうもので、全ての物事が説明できるはずだ、みたいなことをやってたけれども、今はもう純粋経験じゃなくて、場所っていうところまでたどり着いたので、
この場所っていう概念があることで、この世界だったりとか全ての物事がどう説明されるかみたいなとこはやりたいっていう話なんだよね。
そうですそうですそうです。逆に言うと、純粋経験ってやっぱりそれがやりきれなかったんだよね。
別に全く違うものかって実はそんなことはなくて、もう一回ちょっとおさらい的にお話ししていくと、純粋経験ってなんぞやって言うと、
ある種主体と客体、例えば自分とリンゴってのがあったときにそれが分かれないというか、そういう分かれるっていうのが一つの判断だとしたときに、
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その判断が働く前の真に直接的な経験とかって言われるんだけど、そういうことを判断すら及ばないというか、その手前のほうの根本にある経験みたいな、そういうものだったわけなんだよね。
何者かが何者かに出会ったその瞬間みたいな。
その瞬間みたいな。刹那みたいな感じなんだけど、そうするとそれを執明してくださいとか、それを論理立ててくださいって言われたらもう無理だよみたいな。
もう判断の前なんだもんとかってやっぱりなっちゃったわけなんだよね。
そうだし今さ、何者かが何者かに出会ったその刹那みたいな表現したけどさ、その瞬間にもう分かれちゃってるもんね、2つに。
何者かと何者かが分かれちゃってるから。
そうそう、分かれちゃだめなんだよね。
どんだけ難しいんだって話だね。
やっぱりそうなっちゃうと、それってもうある種宗教じゃんみたいな、哲学じゃないじゃんとかってやっぱりなっちゃうから、それをやっぱりどうにかしようということで苦心してたのが西谷さんですと。
そうだね。
そうなったときに、やっぱり何かよく分かんない、その瞬間っていうのを捉えてやろうと思ったら無理なんだよね。
無理なんだけど、それをある種、前回言った場所みたいな、そういうことが起きる空間というか、そういう点じゃなくて円みたいなものを考えると、
その空間とか場所の中で、まさにそういう経験が行われるよねとか起きるよねとか、そういうふうにちょっと視点を広げてあげることで、ある種語れる、まさに隙間ができるみたいな。
なので、もともとは純粋経験っていう、本当その瞬間、点を捉えたんだけど、そうじゃなくて、その場所っていうものをまだちょっと存在的に、まだだ、ごめん、ちょっと待って。場所っていうものをちょっと広げて捉えてあげることによって、これで語れるじゃないかと。
この場所っていうものをある種、起点にしていくと、純粋経験とかっていうものをある程度語れるようになるんじゃないかと。そういうことを考えたっていう感じなんだよね。
すごいね。だから前回の、あれだよね、一応復習みたいな感じになっちゃったけども、プラトンでいうと、そのイデアっていう、そこそこ純粋な何かみたいなものがあって。
で、それの写真としてこの世界が現れてるよっていうふうに捉えたときに、そのイデアそのものから、この世の中にある写真のような何かがポンって生まれるっていうよりは、プラトン自体も、それをイデアっていうものがあって、コーラっていう場所があって、
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そこでイデアから何かが生まれて、なんかもちゃもちゃされて、デミュールゴスがそれを作ったものの結果としてこの世にいろんなものがあるんですよみたいな。順番からインスピレーションを得たみたいな、そういう感じだった。
だからある種、言うとイデアそのものを何とか説明しようとしてたんだけど、そうじゃなくてイデアがそういう形になる、現実になるしたらきとか、動きとか、空間とか、そういうものをまるっとまとめて取り扱おうっていうふうな考えに変わっていったって感じなんだよね。
はいはい。そこで多分、バシッと来たってことなんだね。
そうそうそうそう。純粋経験とか場所って全然違うものがあって、実はそんなことはなくて、出版社の本館にある西田さんの発想って意識というか心っていうのがすごく大事だって言ったと思うんですけど、
そういう意識、そのものの働きとか、それの根源みたいなもので、なんだっけっていうのが深まっていったみたいな。そういうふうに捉えられるかなっていう感じなんですよね。
なるほどなるほど。全く別の概念じゃなくて、このキーワードがあってことね。
そうですそうです。同じ問題意識から出発しているよっていう感じなんだけど、場所っていう概念にたどり着いて、やっと自分の哲学とかそういう意識の働きとは何かみたいなものが説明できるというふうに思った西田さんなんですけど、
それはどう説明していくかっていうと、これは前回少しお伝えしたアリストテレスですね。このアリストテレスの話を引っ張ってきて、自分はこう思うんだってだけじゃなくて、アリストテレスはこう言ってるんだけど自分はこう考えてるんだみたいな、そういう引っ張ってきつつそれをある種修正して自分はこうだみたいなことを言っていくんだよね。
なんかすごく学術的なアプローチっぽい感じがするよね。
そう、まさにまさに。やっぱりアリストテレスの話を踏まえるとこう言えるんじゃないかっていうことを言っていくんだけど、ちょっとその手前とアリストテレスをもう一回また話さなきゃいけないんで。
確かに。
ちょっと西田さんの話をする前に、アリストテレスの話を少しするんですけど、結論から言うと、積み上げていくとわかんなくなっちゃうんで、結論から言うと、アリストテレスっていろんなことをもちろん言っているんですけど、
その中の一つに、主語・述語関係みたいなものがあって、まさに文法的に、例えば私がリンゴを食べるみたいな時の私ね、主語。
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そういう時に、この主語の方をアリストテレスは重視をしてるんだけど、西田さんの方はこの述語、リンゴを食べるとか、そっちの方を重視したんだよっていう風に言われてるんだよね。
ざっくり言うと、アリストテレスは主語だが、西田さんは述語だと言ったみたいな、そんな感じなんだけど、これがどういうことかって言うとですね、まずアリストテレスの概念の話になっちゃうんだけど、基礎とか基盤の基に体で、機体っていう概念があるのね。
何かって言うと、ちょっとアイデンティティみたいな話なんだけど、要はこの木とか、この馬とか、そういう具体的な古物、古の存在っていうものを指す時に、この機体っていう言葉を使うらしいんだよね。
だから英語で言うと、ザっていうのが当たる時、定観性が当たる時の、みたいなイメージ、アの方じゃなくて、人間とか馬たちとかじゃなくて、この馬みたいな、そういうのが機体。だからハヤトみたいな、人間で言ってくれれば、ザです。
だからハヤトっていう人が今ここにもいるけど、10年前もきっとハヤトであったし、10年後もそうであろうっていう時に、ハヤトっていう機体、ハヤトの元だから、コンティネーションのハヤトらしさとか、ハヤトを照らしめてるものみたいなものっていうのがあるよねと。
そうか。そう言ったとまたどんどんうまいハマってきたけども。
そうそうそうそう。さっき兄貴がザって言ってくれたけど、例えばさ、人間は10年前と変わってしまったとかっていう時に、その人間っていうのは特定の誰かっていうよりは人間一般とかさ。
なんとなく人基地みたいなわけなんだけど、これは機体じゃないんだよね。
へー、なるほどなるほど。
うん。各場でもカンのハヤトが、とかカンのキョウスケっていう人がみたいな、そういう個人個人とか馬とか、この馬とかこのリンゴとかね。
そういうものにくっつく概念なんだけど、この第一点を指したアリストテレスさんはですね、他のいかなる種語の術語にもならず、他のいかなる種語のうちにも存在しないものっていう定義を与えてるんだよね。
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今、この機体の定義の話ね。
機体の定義の話。
いきなりなんか固い話になって入ってこなかった。
ごめんごめん。機体の定義っていうのが、他の種語の術語にもならないと。
ほうほうほうほう。
どういうことかっていうと、例えばさ、言葉としてはね、ソウル鉄ラジオのパーソナリティーはカンのハヤトだ、みたいな。
そうすると、ソウル鉄ラジオのパーソナリティーが種語で、カンのハヤトだから術語っぽく見えるんだけど。
あくまでもひっくり返してるだけで、カンのハヤトはパーソナリティーだっていうふうにも言えるとすると、本質的な種語がやっぱりカンのハヤトなんだよね。
これ逆に言うと、どんだけ術語ってある意味で、種語に属性を加えるとか、その種語の行動をまるして示すものなんだよね。
カンのハヤトがリンゴを食べるとか、リンゴはおいしいとか、なんでもいいんだけど。
どれだけ言葉を積み重ねても、カンのハヤトという人そのもの、さっき言ったカンのハヤトという存在の根底にあるらしさみたいなものって、表現し尽くすことができないんだよね。
なるほどね。はいはいはい。
例えば、30何歳だとか、京都に住んでるとかっていろんなことは言えるんだけど、それを全部足し上げても、結局カンのハヤトそのものって何よって言われても、わからん、わからんとか表現できんみたいな。
なるほど。
そういうふうになっちゃいますよと。
なので、こういうふうに、ある種種語になってるけど実語にならないものとか、どんな他の実語を使っても表現し尽くせないものっていうものを、この機体っていうふうな概念でアリストレスは考えてました。
わーすごいね。なるほどな。よっぽど物事を分けてるね。
分けてる。
そう。しかもこの機体も4つの実体概念のうちの1つみたいな感じだから。
へー、そうなんだ。
っていうふうにこの学科ちゃんと分けてるのを2千何百年前にやりましたっていう話なんだけど。
濃いね。分ける名人だね、ほんとにね。
学科も漫画科もそうですからね。
西田さんはプラトンの甲羅っていう概念を取ったみたいな感じで、このアリストレスの主語になって実語にならないみたいなその部分に目をつけたんだよね。
考えてみるとさ、さっき純粋経験ってどれだけ判断しようとかそれを振り返ろうと思っても振り返れないものみたいな話をしたじゃないですか。
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っていう意味の純粋経験と、どれだけ言葉を重ねても完全にそれを指し示すことができない機体みたいな概念って、ちょっと似てるっちゃ似てるんだよね。
なんかあるけど説明できないとか、それがないと困るんだけど表現し尽くさないみたいなものがあって。
ただ違うのは、例えばカンのハヤトらしさっていうのは、誰かその普遍の存在とかが固定されたものなんだよね。
要はカンのハヤトっていう人はもしかしたら10年前とか今と10年後では違うかもしれないけど、何かその外見とかさ、なんかやってることとか。
でもそのカンのハヤトらしさというものは、きっと永遠普遍のものがあるだろうっていう発想なんだよね、機体っていう概念は。
アリストテレス側の方はってことか。
アリストテレス側の方は。
そうなんだけど、西谷さんの純粋経験っていうのは、やっぱりいわゆる主客身分だから相互関係を持つとか、ある種動いてOKっていうものなんだよね。
普遍の変わらないものがあるというよりは、つどつど変わるんだけど、何かその純粋経験っていうものが根底にあるよねっていうふうな発想をしています。
そういう固定化されたものがアリストテレスで動いてOKなものが西谷さんとかっていったときに、それをどう使うかっていう話なんだけど、
西谷さんはまさに主語じゃなくて実語っていう方に注目するんだよね。
その意味ではアリストテレス側は固定されたものとか変わらないものは使ってたんだけど、西谷さん側は変わっているものを扱っていきますと。
そういう違いがある中で西谷さんは何を考えたかっていうと、ここまでダイレクトではないんだけど、
いろいろ端折って説明すると、アリストテレスが主語になって実語にならないものがある。
それが期待だって言うんだったら、逆に実語になって主語にならないものっていうのもあるんじゃないかみたいな。
そういう発想をしていくわけなんだよね。
ここで実語っていうのは、さっきも言った通り一般的には主語に対して属性を付与するみたいなものなんだよね。
例えばリンゴは赤いとか美味しいとか丸いとか、あるいは果物であるとか、いろんなふうに言えるじゃない。
なるほど。
リンゴは美味しいとかって言えるんだけど、さらに美味しいっていうものを美味しさっていう名詞に変えて、
美味しさとは味覚のひとつであるとか、あるいは丸さとは角がないことであるとか、
18:00
そういうふうにいろいろ実語だったものをさらに主語にして、別の実語で説明するとかってもできるわけなんだよね。
なるほど。
これ言葉の問題として。
これを押し広げていったときに、それこそ他の言葉では説明できないものとか、これ以上属性を付与できない。
丸いっていうのは角がないことだっていうふうに言えたりするんだけど、
何かあるものは他の属性を加えようと思うとそれは無理だとか、
他の言葉で説明できないそれそのものとしか言えないような実語ってものがあるんじゃないかと。
それはさっき主語で言ったら期待っていうアレストレースだったんだけど、
それを実語ってことで考えられないっていうことを発想したんだよね。
わー、なんか反対側の極地みたいなものはどこにあるんだって話。
そうそう、まさにまさにまさにそう。
あー、あるのかな。
あるのかなって言ったときに、実はそれを西原さんは場所って呼んだんだよね。
えー、そうなんだ。
どういうことかって言うと、
大体っていうのはまさにここの存在そのもののわけじゃない?
西原さんはその存在っていうものが、ある種資格や身分であるとか、
他のものとは別れてないってことを言いたいわけなんだよね。
主語の方じゃないっていうときに、まさに兄貴が言った反対の極としての実語っていうものを考えるんだけど、
つまりそれはあらゆるものに属性を与えるものが、
あらゆる主語の根底にあるものだっていうふうに言えるじゃない?
あー、はいはいはい。
あと、抽象的にはね。
だって実語って何か属性を加えるとか、
そういう説明を加えるものなわけだから、
あらゆる主語にあらゆる説明を与える実語があるとすると、
それが究極の実語だと。
はいはい。
今回の感覚で言うと、
純粋経験するときに、
資格身分の状態の一番最初のエネルギーの起点みたいな話になる。
そうです、実語が。
それの実語であった結果、
人口であったとか自分であったみたいな、
その何かがその場所っていうね。
そうです、その何か。
まさに直感では取られない、その何かっていうのが、
西田さんからすると場所なんだよね。
イメージは分かってるけど、何だろうね、それで。
21:00
何かっていうのは難しい。
もうちょっと説明しようとすると、
さっきのアイサテレスで言うと、
コウそのもの、あるいはカンのハヤトという存在っていうものは、
独立したその普遍なものとしてあるんじゃなく、
あくまでもこの場所っていうものから立ち現れてくるんだと。
まさにエネルギーって言ってたんだけど、
その場所の持つエネルギーによって、
カンのハヤトっていう個別の存在とか、
カンのキョウスケっていう個々の存在とかっていうものが、
あるいは立ち現れてくるんだよと。
そういうふうな領域っていうものを指して、
場所って呼びますよっていうふうなんだよね。
例えて言えば、私は考えるみたいな、
そういう経験があったとしたときに、
私っていうのは主語で、考えるっていうのが実語だよね。
そうすると、
しかしこの独立した私という存在が、
考えるっていう行為を行うっていうふうに僕らは考える。
普通に思ってるんだけど、
そうじゃなくって、
考えるっていう、
そこで場所っていう領域があるんだけど、
その場所という領域において、
考えるという実語的な行為をするからこそ、
私という主語が立ち現れてくるみたいな、
逆転の発想をするんだよね。
イメージ湧くかな、これ。
湧くね、湧くし、
本当に純粋経験から同じことを言いたいんだろうな、
っていうのも一緒に伝わってくるし。
そうそうそうそう。
だから考えるっていう行為の、
考えるっていうものを判断する前の純粋経験のことを言っちゃうと、
でも純粋経験をさらに経験するとは何かみたいになっちゃうんだけど、
それが場所という領域において行われる、
何かしらの原初的な行為だというか、
そういうものだとすると、
なんとなく掴みやすくなるよねっていう、
すごい微妙な違いかもしれないんだけど、
これがやっぱり点から円へみたいな大きな違いだよね、
っていうふうな発想なんだよね。
前回言ってた、自分は神秘の方に、
雲に下ってしまったみたいなね。
雲に下ってしまったってこととは、
っていうのとは違うんだよね。
やっぱりプラトンが哲学者として、
イデアっていうものをある意味勝手に作って、
ある意味勝手にデミュールゴスだったりとか、
ある意味コーラの場所みたいなものをね、
作業場みたいなものを勝手に作って、
ただそれが哲学として、
理論的に他の人がそうかもねって納得し得るような説明、
理論的な説明になっているってことを考えると、
24:02
西田さんが勝手に純粋経験みたいなものがあるよ。
それが物事の根源だよ。
主語じゃなくて結語的なものが先なんだよ。
それはこの場所っていうところで起こった上で、
何かがあってそれを考えて、
それが自分だったっていう順番なんだよっていうのは、
純粋経験のときと同じコンセプトなんだけれども、
いわゆる哲学として、学問としての、
正当性じゃないけれども納得性かな。
もしくは他の人への説明の妥当、
納得性かみたいなものは、
めちゃくちゃ宣伝されてるって話なんだね。
そうそう、その通りです。
あえて純粋経験、自学、場所っていうふうな3段階あるよ。
4段階目の絶対矛盾的事故同意も時間やるんだけど、
全く違うことを言ったんじゃなくて、
まさに同じことを言ってるんだけど、
説明の仕方とか、言葉にしたときの伝わりやすさとか納得感とか、
やっぱり全然違うよねっていうふうな話になっていくんだよね。
確かにこれを今後、面白いな。
この西田さんの場所とか、この順番だよね。
例えば他の哲学者の方が、
マジで批判しようとすると、
それはもう宗教でしょとか、あなたの意見ですよねとは言えずに、
ある意味プラトンの甲羅とかイデアみたいなものも一緒に論破しないといけなくなるから、
多分大変なんだね。
そうね、より大変になっていくし。
そういうとプラトンの経緯というか、アリスト説の手法、
そういう人の肩の上に上手く乗ってるって話だよね。
私もそういう人たちが学問ではあるだろうからね。
そこまではみんな同意してるよね。
じゃあその先自分がちょっと積み上げるよねっていうのは学問だとすると、
一つだとすると、
綺麗に、綺麗にというか、上手くちゃんとそれをやってるって話なのね。
そうそうそうそう。
西洋哲学というものを使って、
ちゃんと東洋的な文化とか自分の考えを説明するというところに、
まさにこの和尚っていう概念がはまったというか。
はいはいはい。
しっくり来たよっていうのはまさにそういうことなんだよね。
わーすげー。
すごいね、これは。
同じことをやろうとしてるのに、
27:03
よほどもどかしかっただろうね西田さんはね。
そう思う、そう思う。ここにあるじゃんって。
そこ分かってんのに。
そうそうそう。
それを手を貸して、何回も時間もかけて、
10年間またそこに登って学んでとかってことを決めてここまで来ましたよと。
さっきね、どうぞ。
いい感想みたいになっちゃうからいいや。
さっきね、私が輝くとかって言葉を言ったと思うんだけど、
これって私だけじゃないのよ。
それこそじゃあ、星が輝くとかって言葉もそうで、
やっぱり星っていう独立な普遍の存在、
もちろん壊れたりはするんだけど、
ってものがあって輝くっていう行為をしてるんじゃなくって、
輝くからこそ星という存在がある。でもそうだし、
もっと言うと、やっぱり私が輝いてる星を見るみたいな、
そういう自分と星ってのは別れてないんだよね、その瞬間においては。
その根底には場所っていうふうな領域というか、
そういうものがあって、そこから出会われてくる。
そこから私だったり星っていうものが分けてくるんだけど、
それはある種、判断が働いた世界のこととしては正しいよねみたいな、
そういうふうにご説明できていくんだよね。
だいぶすっきりしてる気がするね。
そうそうそう、そうなんです。
これがある種、アリス・フレーズから引っ張ってきた、
術語っていうのを中心とした論理展開みたいな、
術語じゃなくて術語だよっていうことで、
まさにさっき兄貴が言った通り西谷さんの哲学としての説得力とか、
説得力が高まってきますよっていう感じなんだよね。
わー、すごいすごい。
面白いよね、この一人の哲学とまさに深まりというかさ、
進んでた感じがあると思うんですけど。
ここにおいて西谷さんというところは、まさに自分の考えだけじゃなくて、
プラゾンとかアリス・フレーズ、そこから連なる西洋哲学っていうものを控えにするんだけど、
やっぱり何をしたかっていうと、
真の存在と何かっていうところから出発してるんだけど、
それが固定化したものじゃなくて、動的、動いてるものだよとか、
一元的に扱えるんだっていうことを、
まさに哲学っていう文脈において主張できたという話なんだよね。
ここまでやったからこそ、
やっぱり日本の哲学といえば西田貴太郎さんみたいな。
言われるよね。
実はそこまでのことをやったって、僕も今回初めて知ったというか、ちゃんとわかってなかったんだけど、
30:02
ここをね、まさに流水経験が何かっていうので、
禅の研究とか読んだとかしてたんだけど、
一般して西田さんが何を仕上げたのかっていうことは、僕も正直知らなかったから。
だから逆に言うと、そういう本を遺冊読んでもわかんないんだね。
哲学者の方の。
そうです。遺冊読んでもわかんなくて、全体は見通す。
やっぱり眼差しがないとわかんないんだよね、たぶんこれって。
そんな話で、さすがですねっていう感じなんだけど、
ちなみにね、ここからその場所っていう概念にたどり着いて、
これは述語の論理として、形印者西田さんなんですけど、
ここからはこの場所っていう概念を使って、
世界を説明していこうみたいな、そんな感じでいろんなことを考えてるんですよね。
ほうほうほうほう。
ちょっと触れていくと、
例えばさっきね、場所場所ってずっと言ってきたんだけど、
この場所もいろいろ考えると3種類ぐらいあるよねとかって話してくるんですよ。
そうだね。
ちゃんと分けて考えてくるんだよね。
例えば、いわゆる僕らが生きている自然界。
ある種のリンゴがあって木があってみたいな、そういう世界を有あるね。
有の世界、有の場所かっていう風に言っていて、
そこを働く意識とか判断、あるいは発想とか内面的なものが増えたんだけど、
そういう世界を意識の矢なのかな、野原の野とか野生の矢。
ほうほうほうほう。
意識の矢みたいに言っていて、
その中でも最も根源的だというか、
全てがそこから現れてくるみたいな概念的な場所を、
絶対無の場所、これまで場所って言ってきた根源的なものを、
あえて絶対無の場所っていう風に言い換えたりするんだよね。
あー、なるほど。
だから今3つとは言ったけれども、
絶対無の場所って唯一の終点というか始まりの場所があって、
そこから2つの有の場所、意識の矢みたいなものもあるよみたいな、
そういう感じなんだね。
そうそうそう。そうですそうです。
だから別々の場所とか、全然違う領域があるんじゃなくて、
Qを例えばイメージしたときに、
表面に見えているというか、
現れているものが有の世界、有の場所で、
その奥にある、見えてないんだけど、
実際にある空間みたいなものが意識の矢みたいなところで、
さらに中心、中心って言っちゃうと点になっちゃうから、
33:02
ある種領域としては広がりがあるんだけど、
そういう何か特定の場所を指して、
絶対無の場所って言ってるよみたいな。
あー、そっかそっか。だから今、
場所にも3種類あるみたいな話をしたときに、
分けたぞ、分け始めちゃったぞって思ったんだけども。
うん。
やっぱ徹底してるんだね、西田さんは。
そうそうそう、そうです。
何かを分けちゃうような、
物事の定義の仕方とか捉え方は徹底的に排除してるんだね。
そうです、そうです。
常に一元的な世界を話したいので、
3種類あるというのはまさにそれで、
分けようとすると、
世界っていうのは一つなんだけど、
その中に分かりやすいように名前をつけて、
まさにラベルをつけてあげると、
そういう3種類の名前がつけられるよっていう感じなんだね。
うんうんうん。
うん。
なるほどなるほど。
そうです。だから、やっぱり西田さんの発想でいくと、
あくまでも自然と意識って別々じゃない。
やっぱり、例えばリンゴっていうものも、
リンゴが存在するんじゃなくて、
リンゴがあるという意識とか、
リンゴっていうものを存在させる意識ってものって、
やっぱり分けては語れないし、
この絶対の場所とかっていうのも、
いわゆる極楽浄土みたいな、
この世じゃなくて、あの世とかじゃなくて、
あくまでもこの世界の中に、
そういう風な領域っていうものが含まれてるというか、
その領域から世界というものが現れてるんだみたいな、
そういう風な発想なんだよね。
わー、すごいね。
うんうんうん。
なるほどなるほど。
分けるというよりは、
絶対無から出てきた絶対無の場所から、
出てきたものに少しずつその段階、
この段階は呼ぼう、こういう風なイメージですよ、
この段階に至るとこういうイメージですよっていうのを、
せめて説明してあげようぐらいの感じだよね。
そうですそうです。
逆に言うとその場所っていうのも、
ただ私が考えとかっていうふうに、
その個々の存在だけじゃなくって、
そもそも世界っていうものも、
そういう場所っていう概念から、
まあ説明できるよねとか捉えられるよねとか、
そういう風にやっぱ広がっていくことで、
自分のこの場所っていう概念の適応範囲というか、
それがちゃんと伝えるんだぜっていうことを、
こう説明していくわけなんだよね。
いやー、すごいね。
そうすると確かにあらゆるものが説明できそうだね。
そうそうそうそう。
っていう風に哲学って万物の基礎を作るっていう意味での、
存在としての基礎じゃなくて、
まさにこの領域としての基礎みたいな。
だから元々西田さんは真の実在とはいかなるものか、
36:03
それを明らかにしたいんだっていう風にしたんだけど、
それをある種、
これ僕のちょっとまとめの言葉なんだけど、
実在っていうのは絶対部の場所っていう、
そういう実語的な領域というか、
そういう風な全てに属性を与えるような領域っていうところから、
立ち現れてきたところの主語だみたいな。
存在が先にあるんじゃなくて、
場所が先にあるんだよ。
それが実はその存在とか実在の真の姿だよっていう風なことを、
ある種答えというか、
自分の説として出していくわけなんだよね。
わー、すごいね。
これ確か一歩間違えると宗教とかさ、
もうあなたはイケメンですっていうのに入っちゃうけれども、
やっぱりプラトンから引っ張ってきたことでの説得力というか、
権威の強さみたいなものが、
めちゃくちゃ補強されてるね。
補強されてる、そう。
同じだもんね。
スターとしてはあるとないで全然逆側なんだけれども、
本当に考え方は一緒だもんね。
ないところからスターとして、場所ってものがあって、
意識だったりとか、目に見えるものというか、
立ち上がってきますよみたいなもので、
同じだもんね、考え方。
そうだね、そうそうそう。
だからまさに言ってくれた通りで、
その西原さんの発想を壊そうと思うのと、
まさにプラトンの作った理論とかを倒さなきゃいけないみたいな。
そっちも否定するんですか?って言われちゃうんだね。
そうそうそうそう。
逆に言うと、やっぱりプラトンとかISISどんだけすごいんやって話なんだけどね。
だからあれなんだよね、
プラトンのさっきのイディアとかも、
あなたの意見ですよねとは言えない凄みがあるってことなんだもんね。
デミエルブースとかもさ、それって神じゃんみたいな、
神みたいなもんじゃんみたいな。
ダメじゃん、いないじゃんみたいな。
反省が済まない凄みがあるんだもん。
そうそうそう。
もちろんデミエルブースがいるかいないかとかはいないじゃんとは言えるんだけど、
やっぱりじゃあ、何らかの絶対的なものと、
その古物理で終わったときに、
なんで我々一人一人というものが存在するのかとか、
そこに対して、
じゃあなんで人間とかっていうふうに共通を作れるのかってことを考えたときに、
何か絶対的なものがあるって考えたらすごく強力なんだよね。
なるほど、そっかそっか。
だから、いいから証拠持ってこいよみたいなさ、
雑な批判とか、無理やり言えるけれども、
39:01
じゃああなたはこの世界をどう…。
ちょっと意地悪ではあるけれども、
より建設的な話をしようとして、
じゃああなたはどう考えるんですか?まで言ったときに、
みんな黙っちゃうってことなんだよね。
そうそうそうそう。
うーむってなっちゃう。
例えば無理ですとか言ったとして、
その無とは何かってことを説明しなきゃいけないし。
ってなってくると、やっぱり簡単には打ち倒せないというか、
その発想、同じテーブルの上に乗るならっていう前提はあるんだけど、
同じテーブルの上で実は私たち議論をしようと思うと、
そういう絶対的なものがあるとか、
我々を何か存在たらしめている何かがあるっていう考え方って、
簡単には打ち壊せない。
そうだし、じゃあ別のテーブルで何か作ったとすると、
今度自分も同じような被害にさらされるっていうだけの話ってことだね。
そうそうそうそう。
それこそそれって宗教じゃんとか、
それって無とか言ってるけどその無って何よとか、
私にもわかるように教えてくださいとかっていう話がどんどんなってくるわけよね。
お互い様になっちゃうよね、そこはね。
そうそうそうそう。
やっぱり難しい、難しいっていう話なんだけど。
それをかなりのというか、一定のレベルまで達したのが、
この西田さんの哲学って話なのね。
そうです、そうです。
すごいね。
実はだいぶ駆け足で説明してきてはいたんだけれども、
やっぱり西田さんって、
前回そのいわゆるヒューマンドラマとしても楽しんでほしいみたいな話をしたんだけれども、
まさにそういう自分が立てたテーマというか取り組みたい問いに対して、
いろんな挫折というか苦労とかもあってながらも、
ちゃんと答えを出したというか、
そこに至ったというところの凄みっていうのが、
なんとなくでも伝わってたらいいなと思いますっていう感じなんですよね。
今回でそれ伝わったね。
よかった、よかった。
これまでの第6回分くらい話したかな。
確かに結構長いね。
1回1時間いかないにしても結構話してるんだけど、
そのくらい初めてちゃんと分かるというか、
なんとなく感じられるっていう部分が、
実作の面白さでもあり、
やっぱり難しさというかね、
突きにくさでもあるかなとやっぱ思うんだよね。
よかった。前回ね、
だから神秘の群毛に下って、
スパッといるのかと思ったけど、
ちゃんとここまでできたんだなっていうね。
そうなのね、復活の日だですね。
感じられてるんですけど、
ただやっぱり当然こういうことを話すと、
いろんな批判も当然食らうわけですよ。
それはもう哲学とか学問の常だと思うんだけど、
42:01
そういう批判を実は受けた上で、
たどり着いたのが最後、
寄ってるのがキーワードっていう風に出していた、
絶対矛盾的事故同意という概念なんですよね。
まだあるんだね。だからここゴールっぽい感じがするけど。
やっぱり何がそこで進んだのかとか、
どんな批判を受けたのかとか、
もっと言うと、
世界を説明できるとは言ったんだけれども、
それって本当?とか考えたらもちろん考えられるわけなんだよね。
なのでそういうところを踏まえながら、
最後のキーワード、絶対矛盾的事故同意とは何か。
別にこれが西田さんの最後というわけじゃなくて、
西田さんはそこからさらにいろんなことを掻き捨ててくるんだけど、
ある種わかりやすい4つのキーワードとして得られる中の1つのものとしての、
絶対矛盾的事故同意というものがあるんで、
言葉としてはめちゃめちゃ取っ付けにくいんですけど、
こうやって長に言ってのを次回お伝えすることで、
西田さんから最後にしたいなと思ってますっていう感じですね。
わかりました。
ここまで来たら、その先、死ぬまで何を考えたか聞いていくこともあるけれども、
もうそれこそ収集つかなくなるんだろうね。
そういうことを哲学者に対してやり始めるとね。
それはそう。
一個あるんだよね。逆対応みたいな発想とかもあって。
何?逆対応?
逆対応の論理っていうのが、
西田さんの裁判年の論理だっていうふうに言われたりするんだよね。
だから伝え続けてるんだね。
いろんなことを説明しようという、
本当にやり切って勝ち取るんだなって思うね、人生かけて。
多分本人的にはやり切ればいい死んじゃったんだろうね。
それはあると思う。
多くのいわゆる哲学者はそうなのかもしれないけどね。
そうだね。
みたいな感じもあるんですけど、
まずはこの絶対矛盾的事故同一。
西田さん回答したら最後にしたいと思ってます。
という感じですね。
分かりました。
じゃあ次回ですね。
最後その絶対矛盾的事故同一。長いね。
長いですね。
でも楽しんでいきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回もありがとうございました。