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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は野菜不足です。さて今回はですね、ボイシーのハッシュタグテーマに乗っかってお話をするという企画になります。
さてそのハッシュタグテーマとはですね、感覚か理論かというテーマになります。皆さんは感覚派でしょうか、それとも理論派でしょうか。
まあなかなかこう、自分のフィールドでということを考えるのか、日常生活でということを考えるのかっていうところにもよって
イメージしづらい部分はあるのかなぁとも思いつつ、僕自身はですね、やっぱりアスリートとしての経験からですね
スポーツにおいて感覚を重視するタイプなのか、理論を重視するタイプなのかということを着想的に思ったんですよね。
そして僕自身がどういうタイプなのか、あくまで自己評価として思うのはですね、僕はですね
超感覚派ですね。で僕は引退した今だからこそ思うのは、超感覚派だからこそもっと理論に寄せておけばよかったなと思っています。
なぜそんなふうに思ったのかというのをこれからお話ししていきたいと思います。
ではまずなぜ僕が超感覚派だと自己評価しているかというとですね
理論というのは既存のセオリーということですよね。
でスポーツにはやっぱり積み上げてきたセオリーとか科学的エビデンスに基づいてこうした方がいいという
まあある種正解のような考え方っていうのはあるんですよね。
例えばトレーニングにおいては前進性の原則というものがあります。
前進性ですね。トレーニングの負荷や難易度は少しずつ高めていくことが前進性の原則と言われています。
前進っていうのは順を追って進んでいくことですね。つまり少しずつ負荷を上げていくことが大事だと言われているんですよね。
急に負荷を上げない。なのでそういうふうにトレーニングの計画を積み上げていくということが共通認識としてあり
もちろんそれは例外なく僕自身にもそうですし長距離のトレーニングにおいてもそういうことが良いとされています。
つまりある程度理論のようなものが確立している世界なんですよね。
それは長距離の世界もそうですしスポーツ全般に言えるのかなと思っています。
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まあこれはやっぱりちょっとビジネスの世界とは違う部分なのかなというふうにも思っています。
なんですが時々スポーツにも変革が起こるような場面っていうのはあります。
例えば陸上の長距離で言えば厚底シューズって話題になりましたよね。
あれが出てきたことによってかなりいろんなルールだったりトレーニングの計画っていうのが変わりました。
そういうふうにゲームチェンジを行われるようなギアが出てくるようなことはありますがビジネスのようにですね
この先がどうなるのかわからない。理論があんまり確立していないっていう場面はスポーツの世界では比較的少ないのではないかと思っています。
なんですが最初の問いに戻ります。理論派か感覚派か。
なぜ僕が超感覚派だと言えるのかというとですね、この理論に基づいて
みんなが良いとされている方法に沿ってトレーニングをしても足が速くならなかったんですね。
つまりある程度は足が速くなったけれどもプラトを
まあ伸び悩みですね。プラトを経験することによってこのままでは伸び悩んでしまう頭打ちになってしまう
ということで感覚に基づいて理論じゃない行動をする必要があるなっていうふうにも思ったんですよね。
そして僕は何をしたかというと既存のセオリーである陸上の長距離ではない場所に自分がもっとパフォーマンスを上げる何かがあるはずだと思ったんですよね。
それは人体の動きみたいな部分もそうだしあるいはもっと感覚的な感覚というのは運動神経とかそういう部分の感覚的なところとか
あとは筋肉のつながりだとかそういうもっとベーシックなところもそうですしもっと奇抜な部分もそうですし
いろんな流派を探しに行ったんですよね探求しに行った その中で自分にフィットする動きやすくなると自分自身が感じられるものを探して
ある程度は見つけられたような気がするんですよね そして頭打ちだった僕の能力っていうのが少しずつ上向いていった
もっと強くなれるっていう風な感覚を得られたっていう部分もあったんですよね なので僕は超感覚派になることによって競技力を伸ばすことができたんですよね
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つまりそこで自分なりの理論みたいなものを確立していったわけです なんですけれども
やっぱりその後にまた伸び悩むプラ等を経験するということもあるわけです スポーツの世界は厳しいですからねプラ等を乗り越えた先にまた一つのプラ等がある
でその時に僕が思ったことはさらに何か自分にとって良いものがあるはずだっていう風な 選択をしてしまったんですよね
つまりどんどんどんどん感覚派だ感覚派だという形で感覚をいかに研ぎ澄ますか という方向に自分の方向性をシフトし続けていったわけです
でもそれ以上良いものっていうのは見つかりはしたけれども 結局基礎の部分が抜け落ちてしまったが故に
その2つ目のプラ等を乗り越えられなかったみたいな 形で競技人生が終わってしまったなと個人的には思っているんですよね
その時に何をしておけばよかったんだろうと自分の中で振り返ると もっと
当たり前の基礎の部分の理論の部分で良いとされているもの そこを当たり前にこなしておくっていうことがやっぱり必要だったのかなっていう風にも思うんですよね
まあなんでそんな風に思えるようになったかっていうと 陸上400メートルハードルの試せ第三が
ご自身の著書で書かれた熟達論の中で まあ熟達論の話はいつかしたいなと思っているんですけれども熟達論の中で
僕はもっと型 つまり理論の部分をもっとやっておけばよかったっていう風に語っているんですよね
ため生産もおそらくプラ等を経験して感覚派へ移行して その上である程度の結果をつかんだ
からもっと感覚へを遂げ済ますような選択をしていったんだと思います 例えば400メートルハードルの選手なんですがため生産はあるとき自分には
スピードが足りないということで400メートルハードルを封印して100メートル 一本に絞ってトレーニングをされてた時期があるんですよね
およそ半年ぐらいあったんじゃないかなと思います その間はハードルも全く飛ばなかったそうなんですよね
そして100メートルの動きに慣れるためにスピードトレーニングをガンガンやっていったと その結果どうなったかっていうと確かに
スピードはついたとでも逆に400メートルハードルが遅くなってしまったそうなんですよね それは何なんでかっていうと
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詳しく説明すると難しくなってしまうんですが100メートルの走りの動きっていうのは ある程度地面に張っていくような足をこう
蹴って書いていくような走りに対して400メートルハードルっていうのはポンポンポン と飛んでいくような走りを求められるんだと
その時にやっぱり100メートルのスピードを400メートルハードルに生かすっていうのはなかなか難しい ということに終わってみて気づいたそうなんですよね
だからもっと400メートルハードルの型理論を 理論に基づいた練習をやっておけばあの時やっておけばもっと結果は違ったかもしれない
だから何が言いたいかというと感覚派に寄りすぎていたから もっとそこでより感覚にではなくて一旦理論に立ち止まるっていう選択をしておけば
よかったんじゃないかっていうふうに僕は受け取ったんですよね でまさに僕は同じような失敗をしてしまったなぁっていうふうに思ったんですよね
なので感覚派か理論派かというのは人それぞれあるんだと思います でもプラットを乗り越えた先にあるのはどちらかによるのではなく
その感覚派と理論派の行き来 自分がどっちかに寄りすぎていないかということを確認するっていうことが重要なんじゃないかなと
思ったんですよね僕は自分の競技生活でそれを まあ一つ学んだかなと思います
僕自身の体験としては 感覚派に超感覚派に寄りすぎてしまった
だからまあ 一般的に良いとされている理論に基づいて
一旦下地を作っておくみたいなことができたら良かったのかなと思います 今もですねやっぱり
どちらかというと感覚で派で突っ込んでしまう部分があるので まあ一般的に良いとされている理論を自分の中にベースとして作っておくって
いうことが大事なんだろうなぁと 話しながら思いましたのでこの音声配信もですね
一旦こう理論を勉強してあそこから自分の自分流の お話お話ができたらいいなと思っています
皆さんは今感覚派でしょうかそれとも理論派でしょうか ぜひ振り返ってみていただければなぁと思います
というわけで今回はご清聴いただきありがとうございました ではまた