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2024-03-17 12:58

#47 変わりゆく因果と、僕がスポーツから離れた理由

テクノロジーによって変わりゆく因果/陸上長距離の因果が明確に変わった分岐点=厚底カーボンシューズの登場/競技者は、自分の身体への因果を極めようとする人/
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絶望カフカの何者かになりたいラジオ。この番組は、元アスリートのカフカが日々の絶望と、些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は、センスです。さて今回はですね、日曜日朝の読書会からの気づきということで、因果についてお話していきたいと思っています。
この朝の読書会で取り上げられていたのは、佐々木敏直さんの時間とテクノロジーという語法になっています。
その中で因果というフレーズが使われているんですよね。その因果というのは、一つの物事が起きたときに何かの物事が起こる、その結ぶ因果関係ですよね。
その因果関係は、ある種予測にも使われるし、その人の予測できる能力としても使われていると。
テクノロジーの発展によって、それは過去の因果関係が、今現在では通用しなくなってきている部分があると。
だから、今現在の因果関係というのを共存しながら見ていく必要があるのではないかということが、一つ佐々木さんの主張としてあったんですよね。
そのフレーズを聞いて、僕はスポーツの経験と結びついたところがあったので、それを今回はお話していきたいなと思っています。
スポーツの経験で過去の因果が通用しなくなったというと、僕は陸上競技の長距離をしていたので、一つ革新的なギアの変化が起こったんですよね。
それによって過去の良いとされていた因果が全く通用しなくなったときがありました。
それは何かというと、厚底カーボンシューズの登場なんですよね。
テクノロジーからはちょっとずれてきてしまうんですが、厚底カーボンシューズというのはどういうものかというと、ご存知ない方もいるかもしれないので、
従来はシューズが薄くて軽くて走りやすいものが良いレースシューズだと言われていたんですよね。
それはそうですよね。足を回転させていくのに対して重いシューズだったら走りづらいじゃないですか。
そんな中登場したのが厚底カーボンシューズなんですよね。
厚底カーボンシューズというのは従来の薄底のシューズに比べて若干重いんだけれども、中に厚底のカーボンのプレートが入ってまして、そのプレートがたわむことによって推進力を得られるっていうちょっとドーピングシューズ的なものなんですよね。
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足が長くなっているように感じられるからこそ重心が高くなってより推進力を得られるような仕組みになっている腰高のランニングフォームになっていく。
さらにもっと言えばレース後半に疲れてきた時にそのたわむカーボンプレートがあることによって疲れてきた足の代替をすることによって後半もスタミナを維持することができるという夢のようなシューズなわけです。
それが登場した時に何が起きるかというとですね、薄底のシューズを使用していた時に本来使うべき足の機能と厚底のシューズを使った時の使わなければならない足の機能というのが異なってくるんですよね。
これめちゃくちゃ専門的な話になるので詳しくは言わないんですけれども、厚底カーボンシューズはより体幹に近い筋力を使うし、足に関してはよりカーボンに足を委ねるような感覚が必要になってくるという部分において今までの走り方が通用しなくなってきたんですよね。
そしてそこからいろんな因果が生まれてくるわけです。
そうなるとですね、疲労をあんまりしなくなってくる部分があるので、より高い負荷でトレーニングができるようになったり、他に補強をするトレーニング、体幹を鍛えるトレーニングの手法が求められるものが変わってきたりとか、トレーニングの大まかな長期的なトレーニングの内容が変わってきたりとか。
いろんな因果が変わってきて、さらにそれは結果として結びついてくるんですよね。
そういった因果関係がある中で、選手はいかにそのカーボンシューズに適応するかということが求められると。
そしてそこに適応できなかった選手、もしくはチーム、もしくはその指導者はどんどん取り残されていってしまうみたいな側面があるわけですよね。
だからこそ、新しいギアにどうやって適応するか、今あるものにどうやって適応するかが求められるということなんだろうなっていうふうに着想的に思ったわけです。
でですね、これは一つあるなぁと思いつつ、ちょっと話が飛躍するんですけれども、僕自身ずっと陸上の長距離というスポーツをやってくる中で、そこの因果というものをずっと考え続けてきたんですよね。
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それは僕自身の体にとって成果、競技力を上げるためにどういった因果関係を導き出していくのかということなんですけれども、それはさっき言ったような新しいギア、厚底カーボンシューズへの適応をどうしていくのか、どういったリカバリをとっていくのか、どういったモチベーションだったり意識を持っていくのかみたいな因果が
自分の経験則と知識と言葉掛けとみたいなところをどうやってその成果に結びつけていったらいいのかという因果をずっと考え続けてきた。
その中である程度分かってきた部分っていうのは非常にあって、それはどうやってPDCAサイクルを回していくかみたいな部分なんですよね。
で、それは僕自身に適応できる部分であって、他の選手には適応できない部分なんだろうなっていうふうに競技者としての晩年に気付かされたわけなんですよね。
つまり、僕が成果を出すためにやっている手法は他の選手には当てはまらないし、他の選手が成果を出している方法っていうのは僕には当てはまらないっていうことがわかったんですよね。
それはある種、他の選手のセンスの領域であって、僕自身のセンスの領域でもあるなっていうふうに思ったんですよね。
それは一言で言えば個別性という部分に落ち着くんだろうと思いますけど、
その個別性のマッチングをいかにやっていくかというのが指導者の役割なんだろうなというのが僕の考え方なんですけど、
そうではない、指導者色に染めていくのが指導者の考え方という人が結構多いと僕は認識しているし、
それはある種、成果に結びついている部分もあるから、そこの因果とは僕は相入れないなぁと思っているという部分もあるんですよね。
まあある種、僕は成果を出せなかった側の人間なので、成果を出す側の人間の考え方の方が正しいなぁと思う部分もあって、
まあそこの引き裂かれている気持ちもありつつ、自分のいるべきフィールドはそこではないんだろうなぁって今では思っているんですよね。
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まあちょっと抽象的な話が多くなっているので、まあちょっと分かりづらい部分もあるかもしれないんですけど、
何しろその因果、自分が考えてきた因果というのが、ケースバイケースの因果関係があるというのは十分に理解しながらも、
実際現場で行われているのは決してケースバイケースではない。その中で成果を出しているチームが多くある、成果を出している選手が多くある。
つまり機械ではない心を持った人間が早く走るということに対してめちゃくちゃいろんな変数があり、その中で様々な因果がある。
その因果を解き明かそうとするよりも、どうしたって上位かたつ的な指導が良しとされている。そこにはフラットな関係ではない部分が多い。
具体的なことを言うなら、選手の意識が低いから、意識を高めるためにこんなルールを設けて、このルールを破れば罰を与える。
そんな恐怖政治のような同調圧力を生むような仕組み化をすることで選手を立使用とする。
結果、それができない選手にとってはそれが効果を生むパターンもあれば、もはやそんなフェーズを越えて、もっとケースバイケースの言葉掛け、モチベーションの上げ方、指導の仕方、トレーニングの仕方、正しさみたいな部分を求める選手もいる。
でも、その選手は指導者に対してある種諦めのような気持ちがあり、選手一人で自分を立使、自分にとっての正しさを求めていく。
そんな構造がスポーツ界全体にあるんじゃないかなと思うし、だからこそ自分はもっと自分が見つけた因果を自分がもっと役に立つフィールドで生かしていけたらいいのではないか、そんな風に思うんですよね。
まああるいは自分が因果だと思ってきたことが単なる思い違いだったのかもしれない。だからまた新しい因果を見つけ出しに行かなければならないとすら思っているわけです。
だからちょっとスポーツからフィールドを離れて、自分が活躍できる場を欲しているのかもしれないですね。
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そういう状況をどう把握していくか、どういう風に対話していくか、なんかそれってすごく大事なんだろうなと思います。
まあ話がぐるぐるとしてきましたが、今回は因果についてお話してきました。最後までお聞きくださりありがとうございました。ではまた。
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