部分と全体の視点
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組はモータースリーとのカフカが、日々の絶望と、些細なヒントをお送りするラジオです。
さて今回はですね、部分を見るか、全体を見るか、というお話をしていきたいと思います。 ちょっとこのお話、ちょっと考えながらお話していきたいと思うので、ぐるぐるするかもしれないんですが、
お聞きいただければというふうに思います。 僕本業でですね、環境を担当してまして、
まあ耳なじみないかもしれないんですが、 エネルギーとか公害防止とか、
あとは生物多様性保全のための自然保護とか、 そういうことを業務の一つとしてやっているんですよね。
で、その中でエネルギーとか環境ということに、 まあここ数年でレッドバス効果、
つまり赤に対してアンテナが立っていると、街中の赤いバスにばっかり注視してしまう というところで、
その環境関連の情報に、 アンテナが立っている部分というのは、僕の中にはあるんですよね。
で、先日とある講演を聞いていて、 これは部分の話をしているのか全体の話をしているのか、
どちらなんだっていうふうに考え続けてくるっていうことがあったんです。 ちょっとまだ何の話っていう感じかもしれないんですが、
先日ですね、スマートグリッドについて話をしている講演を聞きました。 スマートグリッドって皆さんご存知ですか?
僕らって電気を日々生活する中で使っているじゃないですか。 まあ自分の家でもそうですし、電車も電気を使ってますよね。
その電気って当然発電所で発電したものを使用しているんですが、 従来だとそれは一方通行の、発電所側から一方的に送るだけだったのに対して、
今はカーボンニュートラルに向けて再生可能エネルギーをどんどん使って、 生み出していこうという動きがあります。
それが太陽光とか風力なんですよね。 そこでもう一点問題があります。
太陽光発電というのは日が当たる時にしか発電できないんですね。 風力も風が吹いている時だけ。
なのでその発電量は日々変わっていく中で、 どこでどれぐらい電気が使われているか余っているかというのを、
よりデータとして可視化をすることで、 どこに太陽光発電を設置したらいいのかとか、
どういう通信を引いたらいいのかみたいなのを、 より賢く調整していこうという動きがあるんです。
それがスマートグリッドって言うんですよね。
でこれって、なんていうかな、 ある一部分だけに注視するとですね、
やっぱり発電所の近くに住んだ方がより合理的とか、 より都心部に通信線を引くだけで全てが解決するみたいに思いがちなんですけれども、
より全体を見た時には、 あれ火力発電所、原子力発電所だけで今後生活していくんだっけっていう問いが生まれ、
日本全体が人口がまんべんなくいた方が、 自然っていうのは保全できるよねっていう問いから、
じゃあその過疎地域に電力を送るには、 その過疎の地域に太陽光発電っていうものがあった方がいいよね、
蓄電池というものがあった方がいいよね、 という動きになっていくんですよね。
だから部分だけを見るのではなく、全体を俯瞰して見た上で、 そのスマートグリッド、スマートに合理的に考える。
合理的とも違うんだろうな。 スマートに20年後、30年後を見通して見るっていうことが大事なんだなーっていうふうに漠然と思ったんです。
人間の体と健康
で、そういうふうに考えるとここからやや飛躍するんですが、 人間の体っていうのも同じことが起きているよなって僕はリンクしたんですよね。
つまりどういうことかっていうと、例えば食べるもの。 これは健康に良い。
例えばこの完全栄養食みたいなものがあったとして、 それだけ食べていれば人間というのはいいのだ。
それは完全部分だけを見てますよね。 でも例えば腸内環境とか
自律神経とかを見たときには、 三食を同じ時間にとった方が自律神経的には良い。
確かに外部から得られる栄養素は完璧なのかもしれないが、
結局栄養素というのは腸で吸収をされ、体内に運ばれる。 だからその
外部から取り入れるものは完全かもしれないが、腸という全体の部分が抜けていることで、 結局は吸収される栄養素っていうのはちょっとになっちゃう。
みたいなことが起きたりするんですよね。 だから
部分ばっかりに注視していると全体が見落とされる。 だからその全体を見ていくという視点がやっぱり大事っていうふうに改めて思ったりするんですよね。
で、人間の体でいうともう一つ僕は運動に対してもそう思うんです。 例えば
そうですねスクワットをして脚筋力を鍛えればまあ脚力がついて足が速くなるはずだ みたいに思っても結局そんなことはないです。
ランニングっていうのは全身の循環運動なのでその全身の動きをいかに滑らかにするか 全身全体の動きを見ないといけないんですよね。
僕はランニングコーチをする中でまあ部分にも着目するんですけど 結局全体の動きとして今どうなっているかっていう評価をしないといけないっていうふうには思っていて
そういうふうに考えるとやっぱり
これが良い、これが悪いみたいな情報、断片的な情報というのがいかに部分的かっていうふうに 思ったりするんですよね。
そういうふうに考えると部分を見るか全体を見るか そして人間というのはやはり部分に重きを置いてしまいがちというふうに思ったりします。
でまあ僕はふと思ったのが先日あのカクタス編集部ラジオでサボッテンさんと
幸せの概念
まあ幸せとは何か幸せになるための○○感みたいな話をしたんですよね。 それは圧倒的に個人の
しかも瞬間の部分の幸せ感みたいなものを考えていったわけなんですけれども ただ全体を通してね
人生を俯瞰してみて 30年40年50年そして
最後まあ亡くなる直前に全体を振り返って これが幸せって思えるそういう人生の在り方っていうのもあるよなーってふと思ったんですよね。
まあ部分が悪いと言っているわけではもちろんないです。 例えばその
切り取ったその瞬間 日曜日の朝に朝食を食べてその後にコーヒーをゆっくり飲んでいる
その瞬間が幸せだって思える その断片がたくさんあるっていうのがより良い人生だっていう考え方もあるし
ただ一方で全体で俯瞰してみて この30年40年50年60年
今まで生きてきた人生が幸せだと思えるかみたいな全体的な視野もあると思うんですよね だから未来を見た時にも
それが起きたそれをやった時に全体として 今までの人生それもあったからやっぱり幸せだったなぁ
不幸せになるかもしれないなって思う そういう全体を見る視点っていうのが
まあ一つ大事かもしれないなぁって個人的には思ったりしたんですよね 都画部分ばっかりに注力するといかに効率的にいかに合理的にやるか
まあ発電所の近くに住むとか都心の近くに住むとかそういう方向になっていくんだと 思うんですが
合理的から一歩外れて全体を俯瞰してみるっていう視点 それが大事なのかもしれない
個人的には思ったりします というわけで今回は部分を見るか全体を見るかというお話をしていきました
最後まで聞いてくださりありがとうございましたではまた