生きるための表現手引き
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが、日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
さて今回はですね、渡辺幸太郎さんが書かれた、生きるための表現手引き、という本についてお話をしていきたいと思います。
タクラムの渡辺幸太郎さんといえば、超相対性理論でポッドキャトスとされていて、荒木隆之さんと深井隆之さんと一緒にお話をされているということで、僕はよく存じ上げているんですが、
彼がこの本で描きたいことというのが、誰もが作ることで自分の生き方を取り戻すことができるのではないかということで、
まさに生きるための表現手法について書かれています。
全部で3章に分かれていて、手放す、作る、続けるの3つの章に分かれていますね。
それを通じて誰しもが表現することができると。
こちらの本なんですが、読んでみて本当に渡辺幸太郎さん物資だなというふうに僕は感じました。
それは抽象的な概念について、表現ということについてお話をしながらも、かなり興味深い具体的な引用が各所にされているんですよね。
例えば画家、ピカソの話とか、あとは短歌から引用されていたりとか、
遠藻伊部は諸説家から引用されていたりとか、あとは哲学者から引用されていたりとか、
いろんなところにボールが飛んでいくんだけれども、結局その抽象的なところに戻ってくるという形で、
まさに超相対性理論の渡辺幸太郎さんそのままだなというふうに僕は感じましたね。
そしてこちらの本では全部で3部構成になっていて、1章手放す、2章作る、3章続けるっていう章になっています。
表現における驚き
読みますね。手放すは自分なんかがと思い留まっている人に向けて、最初の一歩を踏み出せるようその一歩を重くしている
見えない足枷や変形に気づき、それらを手放すきっかけを提供する。
そして2章作るは実際に表現に踏み出すための心構えと手法を扱っています。
やっぱりこの作るっていう章が一番長く書かれていましたね。
そして3章最後続けるですね。
実際に作り出した後、やめたくなる、諦めたくなるタイミングはいつか訪れます。
その時いかに続けるか、あるいは続けないのか。
自らに貸してしまいがちな、ねばならないを客観視し、いかにそこから自由になれるかを考えます。
ということで、なんていうかな、ここも絶対にこうですって言い切らないようなところが
幸太郎さんらしいなぁというふうに僕は感じました。
今回はですね、その中でも作るの章にあったところで僕が特に
あーなるほどなって思ったところ、それを紹介しながら一緒に表現を作るということに考えていけたらいいなというふうに思っています。
さて作るの章で僕が特に印象的だったのがですね、
幸太郎さんが三浦梅園という方の引用されているところなんですよね。
ご存知の方もいるかもしれませんが、彼は江戸時代の医者で思想家ですね。
彼が言っていたこと、それがそのまま言いますね。
枯れ木に花咲きたりと言うとも、まず生木に花咲くゆえを尋ぬべし、というふうに言っています。
これは何を言ってるかっていうと、私たちは珍しいものばかりに目を奪われてしまうと。
例えば、昔から枯れている木がなぜか突然花を咲かすような奇跡、ドラマチックなものが生まれるなら、それは誰しもが注目するでしょうと。
とはいえ、そういうことではなくて、当たり前の世界の成り立ち、つまりその生木、普通にそのまま咲いている花、それに驚きの目を向け続けられるならば、それ以上に想像的なことはない。
そして表現、そこから表現することができる、というふうに三浦梅園のこの話を引用しながら小太郎さんがお話しているんです。
例えば僕、この間旅行に行ったんですけれども、知らない土地に行けば全て新鮮に見えるし、若干緊張をする。
そんな中、とても素晴らしいアートとか、自然の景色にとても心を焦がされたんですけれども、とはいえ一番印象に残っているのは夕焼けだったり、身近に見える海の景色だったり、
あとは走りながら見た朝焼けの景色だったりするんですよね。
そういうことに驚くと。
でも日常の中で夕焼けも朝焼けも海も見れることはできるんですよね。
だからその日常茶飯事の中にも新鮮に見えてくる驚きというものがあり、それを表現することから始まるのではないか。
何もそんなドラマチックなことばかりを表現する必要はないのではないか。
そんなメッセージが込められているんじゃないかなっていうふうに思いました。
そうやって考えると、僕は自然にアンテナが今立っているんですけれども、
日常と健康の関係
それこそ見知らぬ土地やいろんなところで美しい自然に触れたときに、日常に戻ったときに見えてくるのは、
自分が住んでいる町にもこんな美しい自然があるんだなということに驚いたりするんです。
例えば道を走っていて、田んぼの景色が家の近くにあるんですけれども、
その景色を見るとですね、確かに自然でありつつ半分人の手が加わっていて、
とても生態系が豊かなんだろうなということが今なら理解できる。
あとは近くに森があるんですけれども、ここもとても豊かなんだろうなというふうに理解できる。
なんかそんなふうに考えると、日常の中に驚きを持つということから、
やっぱり何かしらの自分の中の表現というのが湧いてくるんだろうなって。
そこのロジックというのを、この本を読んで改めてそうだなというふうに思ったんですよね。
ここから先は僕の考察というか感想というか、思ったことなんですけれども、
とはいえやっぱり日常の中に驚きを見出すことができる。
その前段階にはしっかり自分の中でコンディションを整えておくということが、
まあ大事なんだろうなというふうに思うんです。
例えば先ほどの自然にアンテナが立つとか、夕焼け朝焼け、そして海が美しいなって感じるのって、
自分が健康な体でいて、かつ人によってはなんですけど、
社会人として社会的に生きていく中で、
そして僕の場合は体を動かしながら身体活動を伴って日々ランニングをしながら何とか食いつないでいるわけなんですけれども、
そういうこともひっくるめて、いろんな図材の上に五感というアンテナが立って、
日々にも美しいと感じられるような余白、余裕が生まれてくるということだと思っているんですよね。
そういうふうに考えると繰り返しになりますが、
僕にとっては日々体を動かし続ける、そしてランニングを行うという行為を通して、
自分がその土台となるものを作れているという感覚がとてもあります。
だからこそ、日々体を動かしながらそのフラットでいて、五感のセンサーを磨いて、
余白を作って、そこの美しさを感じられるようになって、表現者になれたらいいなというふうには思っているんですよね。
というわけで、今回は生きるための表現手引きから作るの章から三浦梅園さんの話を引用してお話をしていきました。
先ほどの話、逆を言えば、やっぱりどこか不健康で何かが滞っていて、
生きるために余裕がなければ、そういう日常の美しさ、その驚きも感じることが難しくなっちゃうんじゃないかなというふうに改めて思っております。
というわけで今回は以上になります。最後までお聞きくださりありがとうございました。ではまた。