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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
ウェアラブルデバイスを付けない理由
さて今回はですね、Apple Watch、もしくはウェアラブルデバイス、こちらを僕が付けない理由についてお話をしていきたいと思います。
最近ですね、Apple WatchやGarminといったGPSを付けたヘルスケアを連動させるようなウェアラブルデバイスを付けている人が多いんじゃないかなと思います。
ただ、あえて言いたい、付けないという選択肢もあるのだということで、僕自身はそういったものを付けてないです。
走る時も実は付けてないんですよね。
その理由を今回3つご紹介していきたいと思います。
1つ目が物理的な身体的ストレスとなるからですね。
これはとてもシンプルで、左もしくは右の手首にバンドを巻いて、その重みを四六時中感じているという状態が本来の人間の持っているバランスからちょっとずれているのではないかというのは僕の仮説です。
僕自身はとても敏感かつ繊細かつ弱いタイプなので、そういうバランスに引っ張られてしまうんですよね。
身体のバランスが悪いなって感じるから付けないっていう単純にそれだけなんですけど、これは何も繊細だからそう感じているのではなく、ある意味慣れて鈍感になっている人にとっても確実に蓄積されている疲労というのはあるんじゃないかなと個人的には考えています。
とはいえ、ランナーの99%は多分腕時計しているんですよね。
でも僕はあえてしてないです。
僕は腕時計を付けない理由の二つ目なんですけど、それはデータや数値に身体が引っ張られてしまうということなんです。
かつて僕は超健康オタクで、今もなんですけど、アスリートでした。
なので、睡眠データだったり走っている心拍数、歩幅、速度、距離みたいなものを数値化して、
目標値に対して何が足りてないんだろうということを日々分析していたんですよね。
その結果どうなったかというと、自分の体の声を聞かなくなったっていう現象に至りました。
なぜならデータとして、数値として、自分はこうだというものがあり、そこに対して目標値に対してどれだけ足りてないということばかりに目が向いてしまうからですね。
そしてアスリート時代、その結果どうなったかというと、僕の調子はどんどん下がっていきましたね。
なぜなら、この疲労というもの、それは数値に換算できないものをどうにか見ないようにしていたからですかね。
そしてデータに引っ張られすぎてしまうということが良くないっていうふうに自分の中に思って、時計をつけるのをやめてから少しずつ調子が上向いていきました。
それもあって、実は現役時代から時計をつけるのをやめました。
最後3つ目が、アクセサリーに関して自分がどう見られるかを気にするのをやめたっていうことです。
これは人それぞれ趣向があるとは思うんですが、僕自身で言えば指輪やネックレスや腕時計において、人からどう見られてもいいやっていうふうに思っているっていうことですね。
つまり何も身につけないという選択をしているっていうことです。
アップルウォッチ、確かにスタイリッシュでおしゃれだなというふうにも思いますね。
人からどう見られるかってとても大事なことだとは思いつつ、それは背筋だったり洋服で考えればいいのかなっていうふうに思っていて、見出し並みっていうところですね。
僕自身はさっき言った物理的・身体的負荷がかかるということの方が極めて優先順位が高いことなので、人からどう見られるかということに対してアクセサリーにおいては優先順位が低いということですね。
だから身につけない。以上の3つの理由から僕はウェアラブルデバイスは身につけないようにしています。
選択の優先順位
とはいえその便利さも十分理解はできるんですよね。
交通系ICとして利用したり、音楽を聴いたりですよね。
あとはあれですか、そろそろ立ち上がりましょうって出てくるやつ。
あれもいいなというふうには思いますね。
ただ結局これって優先順位の問題だと思うんですよね。
自分が何を価値が高いと、優先順位が高いと思っているか。
僕の場合は日々物理的なストレスがかからないこと、自分の声を聞くこと、見た目がそんなに重要でないこと、これが優先順位が高いっていうことだった。
それに次いないかなというふうに思っていて。
なんとなくそういう選択を主体的にしていきたいなというふうに改めて話しながら思いました。
というわけで今回は僕がApple Watchもしくはウェアラブルデバイスを身につけない理由というのをお話ししていきました。
最後までお聞きくださりありがとうございました。ではまた。