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2024-04-10 27:27

#54 「オッペンハイマー」は人間の敗北を描いている

4 Stars
・映画では描かれなかった原作のエピソードとは
・「この男が、世界を変えてしまった」という副題への違和感
・『ゴジラ-1.0』と一緒にアカデミー賞を取った理由

#オッペンハイマー
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サマリー

「オッペンハイマー」は人間の敗北を描いている映画。原爆がある世界とない世界を描き、核がある世界への突入は人間の敗北とも言える。 映画の副題は「この男が、世界を変えてしまった」だが、あくまで彼はピースの一つに過ぎない。僕がそう思う理由は、彼のアイデンティティと、原爆が開発された背景にある。 最後に、『ゴジラ-1.0』と『オッペンハイマー』が同時にアカデミー賞に選ばれたことについて、選考側のメッセージを読み解いていく。

目次

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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
映画オッペンハイマーについて
最近の絶望は春眠です。さて今回はですね、映画オッペンハイマーについてお話ししていきたいと思います。
先日僕はそちらの映画見に行きまして、実はその前にですね原作も読んでいたんですよね。
ちょっとXの方には投稿したんですけど、早川ノンフィクション文庫、上中下巻とかなりボリューミーな本だったんですけれども、
まあ読んで映画を見てきました。 その上で、まあ映画のポスターに書かれている
この男が世界を変えてしまったというフレーズにちょっと違和感を感じたことがあるのと、
じゃあオッペンハイマーが本当に世界を変えてしまったのか、 この映画で本当に言いたいことってどういうことなんだろうっていうことを僕なりに考察したので、
今回はそのお話をしていきたいなと思っています。 今回はですね映画の話になるので、ネタバレされたくない方は
ぜひ今回の回はスキップしてお聞きください。 さてでは簡単にオッペンハイマーという人物がどういう人物なのか、
そして映画ではどういう描かれ方をしているのかというのを簡単にご説明していきたいとおもいます。
オンペンハイマー、原爆の父と呼ばれています。 アメリカ国内では戦争を終わらせた英雄と称えられているらしいのですが、
彼自身は深い罪の意識に苦しんでいた反省なのかなということが描かれています。
そして原爆の父と言われるゆえんでもある原子爆弾ですよね。 そちらを初めて開発したアメリカのプロジェクトマンハッタン計画。
そちらをリーダーとして指揮したのがオッペンハイマーと言われています。 そして戦後は一転してアメリカの水爆の開発に意義を途絶えた人としても知られています。
その後オッペンハイマーは共産主義者の疑いをかけられて、ベースを冷戦の時代に赤狩りの対象になっていきます。
それとですねこの映画自体がかなり複雑な構成になっていまして、カラーのパートとモノクロのパートに分かれているんですよね。
それが入り混じっている様子が余計に見る人を混乱させるのかなというふうには思いました。
カラーのパートがオッペンハイマーの視点で描かれていて、モノクロのパートはオッペンハイマーを貶えるストローズの視点で描かれるんですよね。
さらにですねこのオッペンハイマーという人物自体も非常に複雑で、簡単に言ってしまうと何を考えているのかわからない場面、そういうことが多々あると。
例えば教師に毒を漏ろうとするシーンとか、そんな中、人に対して非常に優しいというか人思いな一面もあるというか。
なんか矛盾を抱えた人間だなというふうに僕は感じたんですよね。
その部分もあって、誰にも感情移入できないまま映画を終えてしまう。
なんかそんな一面もあるのかなというふうには思いました。
さて、では簡単に今映画の内容についてお話したので、僕は原作本も読んだというところもあって、
原作と映画の違いは何なのかっていうのを簡単にお話していきたいなと思っています。
原作はですね、文庫になってるんですけど上中下巻に分かれていて、上巻が少年期から青年期、そしてオッペンハイマーが教員の時代の話が主に描かれているんですよね。
そして中巻はマンハッタン計画の様子が描かれています。
そして下巻は校長会、このストローズに落とし入れられる場面から老年期にかけてが描かれているんですよね。
そして映画では描かれなかった部分っていうのは、まあいっぱいあるんですけれども中でも上巻ですよね。
少年期から青年期、そして教員時代の話っていうのがバッサリカットされてるなっていう印象を受けました。
映画の最初の10分ぐらいでバババッと過ぎていってしまったっていう印象だったんですよね。
なので、もし映画を見た方はちょっと補完するような情報としてこんな描かれ方をしていたというところをお話していきたいと思います。
オッペンハイマーと原爆開発
例えばオッペンハイマーは少年期ですよね。非常に早熟が故に学生時代に壮絶ないじめを受けています。
まあその内容っていうのはとてもここでお話できないようないじめを受けていたと。
そしてまあその影響もあってかはわからないんですが、とってもひどい鬱状態に見舞われたそうなんですよね。
その時期は本当に引きこもっていて鬱状態になってしまったと。
でそれを浮上したきっかけっていうのがとある文学だったと後に語っています。
それがプルーストの失われた時を求めて、なんともこうインテリ的でもあり心の深い部分に彼をアクセスしたんだなぁというところを感じます。
そしてもう一つ、あんまり描かれなかったなぁっていう部分はオッペンハイマーの教員としてのエピソードですよね。
それを簡単にご紹介したいと思います。
オッペンハイマーはカリフォルニア大学の助教授になって、最初は物理学の教鞭を取ったそうなんですよね。
そして量子力学の弁を取っていったと。
でオッペンハイマーはどんな授業をしていたかっていうことも詳細に描かれています。
彼は対話型の授業を大事にしたそうです。
それは量子力学っていうのが本だけから学ぶことが不可能だと考えていたから、だから決して同じ講義をしなかったそうです。
当時の生徒がですね、彼は非常に熱心にクラスの生徒のことを考えていたっていうふうに語っています。
学生の心の動きを表情から読み取ることができた。
話している内容が難しいと生徒が察すると、すかさずアプローチを変えて話す。
そして生徒が愚かしい質問ではない限り、オッペンハイマーはそれに対して根気強く答えていった。
さらに期末テストは行わなかったけれども宿題はたくさん出した。
みたいな形で生徒思いの授業をしていた、そして生徒と紳士に向き合っていたのかなというふうには思います。
それと僕はいいなぁと思ったエピソードのもう一つが、とある生徒がオッペンハイマーの部屋の中でとある問題を見つけたそうなんですよね。
それが論文のテーマになりそうだからぜひその問題に取り組ませてくださいと言ったそうなんですが、
それは君が見つけるべきものではないっていうふうにオッペンハイマーは断ったそうなんですよ。
で、それは何でかっていうと、そのいった生徒ではない生徒がまた偶然その問題を見つけたそうなんですね。
で、その生徒はその問題に取り組ませてくださいと言って、そのテーマで彼は白紙号を取ったそうなんですよね。
で、後に彼にしかできないものであり偶然彼が見つける必要があったと断られた生徒が語ったそうなんですよね。
つまり、本当にその問題に取り組む力があって取り組む意欲がある人間にしかその問題には取り組ませなかった。
つまり人を見抜く力があったし、人を動かす力もあったっていうことなのかなって僕は思いました。
そんなふうに生徒一人一人と向き合う姿勢からやっぱり多くの生徒が彼を慕っていたそうなんですよね。
まあいい教員だったんだろうなぁとも思いますし、先ほどのその人を動かす力というところが
ある意味リーダーシップ力としてマンハッタン計画に生きたのかなって僕は思ったんですよね。
そこが繋がっていたし、彼のある種強みのような部分だったのかなっていうふうに思いました。
あとは彼の弱みのような部分で話をするとですね
オッペンハイマー自身は一つの問題に長く固執する忍耐力がなかったっていう記載もあるんですよね。
それは彼は教員としての顔も持ちますけれども、やはり科学者としての非常に優秀な側面があった。
ただし、いろんな研究に首を突っ込んではそこに長く固執するのではなくて
少しだけ新しい発見を見つけてまた次の問いに向かう。そんな側面があったそうなんですよね。
例えばブラックホールの研究、あとは宇宙船、スペースシップではなくて宇宙の船ですよね。
の研究、あとはガンマ船の研究、電気力学の研究。何か一つ新しい発見を生んではこれは自分が取り組むべき問題ではない。
他の人に任せるというような形で長く固執しなかった。
そして彼がそのようなドアを開けて他の人がドアに入り、より大きな発見をすることが多かったというふうに書かれています。
そんな彼がなぜこの原爆開発のプロジェクトに長く固執する、そして最後までリーダーシップを持ってやり抜こうとしたのかというと
彼のアイデンティティが関わってくるんですよね。それはユダヤ人としてのアイデンティティになります。
第2次大戦といえばドイツですよね。ナツスヒトラーが迫害をしていた中で、最初このマンハッタン計画ではドイツに対して原爆を落とす、そういう計画になっていたんですよね。
だからこそ彼はユダヤ人としてのアイデンティティがありますから、ドイツに対してなんとか戦争を終わらせる、そのための原爆開発をになっていったと。
そこにモチベーションがあったんだろうなというふうには思っています。 それは彼の学生時代に遡るんですが
彼はとある教師、アドラーという教師から、アドラー心理学ではないアドラーという教師から
反ユダヤ主義に答えを出すには知的文化を世界に広めるしか道はないっていうふうに強く植え付けられるんですね。そういう価値観を。
そしてより良い世界の媒介に君たちはなりなさいっていうふうに育てられるんですよね。
その言葉に感銘を受けた生徒たちは いろんな分野で活躍をされるんです。
例えば人種関係だったり、労働の権利だったり 環境保護だったり
生徒だった人物が様々な役割を果たしていく中で オッペンハイマー自身も自分も何か役に立たなければならない。
それはユダヤ人として何か役に立たなければならない そういう思いが強くあったんだろうなっていうふうに思います。
オッペンハイマーの人間性
現に彼が30歳の時にはドイツ系ユダヤ人の物理学者に ナチスから脱出するために寄付を、莫大な寄付をしたそうなんですよね。
ここまで僕自身として割とオッペンハイマーという人物を肯定的に 見るような情報をお話していったんですけれども
そんな中でも僕自身全く感情移入できない破滅的なエピソードも数々あるんですよね。
例えば友人関係だったり女性関係だったり 教師との関係だったり
事実かどうかはわからないんですけれども 教師のリンゴに毒を混ぜたりというような
それは未遂に終わったらしいんですけれども そんな事件もあったそうなんですよね。
ここまでお話してきた内容を踏まえて僕が思うに オッペンハイマーという人物がですね
無邪気に好奇心を追い求めた科学者 というほど単純な人間ではないってことは僕は理解しました。
そういうレッテルを貼ってしまうと またなんかちょっとミスリードになってしまうのかなっていうふうには思うんですよね。
むしろ非常に複雑かつ繊細な人だし それは彼の人生をかけてその人間性っていうものもある種変化していったようにも感じます。
では冒頭の問いに戻りたいと思います。 この映画の副題がこの男が世界を変えてしまった
なんですけれども 本当にオッペンハイマーがこの世界を変えてしまったのか
と言うとですね僕自身は そういう単純な話ではないのではないかと思うんですよね。
まあ簡単に言ったら彼がいなくても原爆は作られたんだろうし もしかしたら日本に
原爆が落ちていたのかもしれない なんかそんなふうには思っていて
それは 正しい正しくないでいえば日本に原爆が落ちてしまったことは
全く正しいことではないし あってはならないことだったんだけれども
オッペンハイマーという人物は その
原爆が日本に落ちてしまったことの一つのピースにしか過ぎなかったのではないのかな と僕は思うんですよね
確かに先ほど言った通り彼には人を見抜く力もあった そして人を動かす力もあった
リーダーシップもあった だから前半端計画で適材適所に人物を配置して彼自身も科学者として
開発に 推し進めるような形で参画できたのかなと思います
ただそれは最短の道であって彼自身がいなくてもそういうピース 他のピースは当てはまっていたんじゃないかなと思います
そして じゃあその後原爆を使用する政府に責任があった
責任はあったんだろうと思うんですけれども 世界を変えてしまったのはその政府なのかというと
政府だけの問題でもないんだろうなって思うんですよね 政府自身もある種ピースの一つにしか過ぎない
原爆というものも実はアメリカだけではなくてドイツも作ろうとしていた という話もあります
アインシュタインとアメリカの政府
実はドイツが原爆を作ろうとしているという情報をアメリカの政府に密告したのは アインシュタインなんですよね
アインシュタインが手紙を当時ルーズベルト大統領に書簡として残した それを危機に思ってマンハッタン計画が始動していったんですよね
じゃあアインシュタインが世界を変えてしまったのか というと彼もピースの一つにしか過ぎないと思うんですよね
だったらドイツナチスが 酷い迫害をしていったこと 戦争を起こしたことがピースなのかというとそれも一つに過ぎない
何なら日本も実は原爆を作ろうとしていたらしいんですが まあそれはアメリカの予算の何十分の一の予算なんですけれども
実は日本も原爆を作ろうとしていた そして日本も戦争をしていた
それもピースの一つにしか過ぎないと思うんですよね だからどこかではそのピースによってこの変わってしまった世界
核がある世界と核がない世界というのを 変えられたのかもしれないけれども
誰か一人が変えてしまった そんな簡単な話ではないんだろうなっていうふうに思うんですよね
そしてこの映画ではその変わってしまった世界っていうのを描いているわけです 原爆がある世界とない世界
もう原爆がない世界には戻れませんから 原爆があって核の抑止力によって世界の均衡が保たれている世界に突入していってしまった
それはある種人間の敗北なのかなというふうにも思うんですよね それをこの映画では描いている
何というかよく行き過ぎたテクノロジーが 脅威をもたらすみたいな話にもつながるんですけれども
それもまあ一つのピースにしか過ぎないと その元をたどっていけばやっぱり一人一人の怒り憎しみといった感情なんじゃないかなというふうに思うんです
だからやっぱり誰か一人のせいにしてしまうというのは 逆に
そこは憎しみや怒りを生むだけなのかなっていうふうに僕は思いました はい
最後にですねこの映画ですね 実は日本に原爆を落とすシーンっていうのは描かれてません
それはまあオッペンハイマーを描く映画ですから オッペンハイマー自身は
日本には行っていない 正確に言うと戦後日本には来たそうなんですが
広島や長崎にどのように原爆を落としたのかということは彼自身は知らないわけです むしろラジオの放送で知ったというような描かれ方をしています
だからこそまあそういったシーンがないのはそれは当然だよなぁと思いつつ 日本に原爆が落とされるシーンがないことにやっぱり違和感を感じる人が
結構多いみたいなんですよね まあつまりもっとその原爆の悲惨さ
無誤さみたいなことをオッペンハイマーを通して伝えるべきではないかという意見があるんです よね
でも僕は十分無誤さみたいなものは伝えているような気がします いきなりちょっと話が飛ぶんですけれども
このオッペンハイマーはですねアカデミー賞7部門を受賞しています それとですね
アカデミー賞同じく受賞した資格効果賞という賞で受賞した作品があります それはゴジラマイナス1という映画です
実は僕 ゴジラマイナス1がアカデミー賞を取ったと聞いてから
映画をゴジラの映画を見に行ったんですけれども その圧倒的絶望感とですね
ゴジラってまあ原爆のメタファーとか言われてますよね あの水爆の実験であの眠っていた恐竜がゴジラになったみたいな
由来もあるぐらいなので そのゴジラの光線がですねものすごい音と光なんですよね
そしてそれはどこか原爆を彷彿とさせるような 音と光そして爆発になっているように僕には見えちゃったんですよね
それは当時オッペンハイマーを読んでいたから そしてオッペンハイマーの文庫でも日本はそれほど描かれなく
むしろアメリカにいる人たちが安全な世界でどう原爆を作っていくのか そして
原爆によって戦争が終わったことを喜ばしいと思うのか そんな描かれ方をしています
ちなみにゴジラ-1の舞台設定は1946年なんですよね 戦争で何もかも失ってゼロになった日本がゴジラがやってきて
さらにマイナスの世界になってしまう なので題名はゴジラ-1になってもいます
そこでゴジラが戦後間もない日本をめちゃくちゃに破壊していく そして人を踏みにじっていく姿が
もうなんか見てられなくなっちゃったんですよね そこで僕はなんかこう初めて映画を見ててこうなんか手が震えるというか
そして汗が吹き出すみたいなよくわからない 自分でもよくわからないことになってなんか
圧倒されちょっと気分も悪くなっちまったんですよね まあゴジラ-1の後半のパートではしっかりエンタメのゴジラをしていて
あそこはあの楽しんで見られたんですけれども ゴジラを見終わった時に
あ、オッペンハイマーと一緒にアカデミー賞を受賞したのは こういう意味もあるんだろうなっていうふうに思ったんですよね
つまり戦争に行った人側の気持ち 戦争に負けた側の気持ちはゴジラを見て保管したらいいんじゃないのっていうアカデミー側の
ちょっとメッセージみたいなものが込められているんじゃないかなというふうに思いました そしてこのアカデミー賞っていうのは全世界で
注目されてますから もちろん日本だけじゃない全世界で同時に見られる機会っていうのがあるわけですよね
オッペンハイマーとゴジラ-1 まあ当然そのアカデミー資格効果という意味で資格効果に優れている作品というのは
もちろんのこと そういったメッセージっていうのはあるんじゃないかなって個人的には思いました
さて まあいろいろお話していく中で最後にやっぱりオッペンハイマーの話をしていきたいなと思うんですが
僕自身一人の人間が世界を変えてしまうなんておこがましい もっといろんな人が世界を変えてしまったんだという話をしていったんですけれども
オッペンハイマーはですね戦後 水爆の開発に意義を唱えていったんですよね
そして核がある世界と核がない世界がどういう世界なのかということを彼自身が どの科学者よりも理解していた
そんな描写が描かれています だからこそ戦後は一転してアメリカの水爆開発に意義を唱えた
そしてまあこれは自分自身の名誉でもあり 赤狩りに対する反抗としてずっと公直公懲戒で自分の正しさを唱え続けた
それは自分のためでもあり誰かのためになっていると信じていたからそういうふうな 決断をしたのかなというふうにも思います
だから 僕たち一人一人が世界を変えられるなんておこがましいんだけれども
変えるためには何をしたらいいんだろうかということはずっと考え続けられるん じゃないのかなとも思うし
オッペンハイマー自身は ずっとそのことを考えていたんだろうなっていうふうに思うんですよね
それは深い罪の意識に苦しみながらもずっとそのことを考え続けてきた人なん じゃないかなって僕は思いました
はい ちょっと長くなってしまったんですが今回はオッペンハイマーについて語っていきました
まあ最後まで聞いてくださった方 ちょっとなんか拙いお話だったかもしれないんですけれども本当に聞いてくださってありがとうございます
ではまた
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