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2024-04-09 1:26:39

第161回(2) 『オッペンハイマー』我は物語なり、映画の創造者なり

『オッペンハイマー』の話をしました。

稀代のフィルムメーカーにしてストーリーテラー、クリストファー・ノーランが原爆の父・オッペンハイマーを題材にしたことの意味についてとことん話しています。

■メンバー

・山口 https://twitter.com/awajicinema     https://bsky.app/profile/bunkai00.bsky.social ・マリオン https://twitter.com/marion_eigazuke ・オーイシ https://twitter.com/pteryx_joe

■月2バー「ちょっと映画の話でも」オープンのお知らせ

山口が店長の映画の話をするバーをオープンします。

毎月第2/第4火曜日

初回オープン:2024年4月9日(火)

場所:Osaka Metro「長堀橋」駅 徒歩2分「CAFE&BAR DC心斎橋」

詳細:https://chottoeigabanashi.virtualeigabar.com

■リスナーさんのお住まいアンケート

リスナーさんのお住まいの都道府県を教えていただくアンケートを行っております。

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期限:4/30(火)

■映画の話したすぎるBARのお知らせ

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場所:『週間マガリ』大阪府大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com

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■映画の話したすぎるBAR東京のお知らせ

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場所:『イベントバーエデン日暮里』東京都文京区千駄木3-44-9パレ・ドール千駄木B102 https://eventbareden.com/bar-list/nippori

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00:00
今日のテーマトークは、『オッペンハイマー』です。
では、ここから内容を触れる話をしていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいたら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では、メンバーの才能感想、マリオンさんいかがでしょう?
そうですね。いやー、めちゃくちゃ喋るの困るなーっていう感じですよね。
いやー、題材もですし、まずノーランという監督という作品を触れるという意味でも、すごい重たいなって今日思ってるんですけど、そうですね。
でもめちゃくちゃ僕、面白かったです。
アイマックスレーザーで見たんですけど、ちゃんとエキスポで見たんですけど、
いやー、やっぱりすんごい、なんというか、映像もですし、やっぱ音がやっぱすごかったなっていうふうにはすごい思いました。
アカデミー賞では結局関心領域の方に受賞しちゃいましたけど、まぁ、競ってただけあるなというか、オッペンハイマー。
本当に音がすごいなというふうにはすごく思いました。
ルドビッグ・グランソンのスコアも素晴らしかったですし、トリニティ実験の時の音とかも含めて、
足音です。足音というか、足でダダダダダッて拍手みたいな感じで鳴らす、ジナリのように鳴るような音だったりとか、ああいうのとかすごくいいなと思いましたし。
本当に体験としてまず素晴らしかったですし、普通にオッペンハイマーという人の電気を描く上ですごく凝ったこともすごいしてて面白いなって思ったんですけど、
ただ、見てて思ったのは、僕はこの映画をオッペンハイマーを見て面白いと思ってるんじゃなくて、
オッペンハイマーに重ねているノーランのことを思って面白いと思っているなという気はすごくしてしまっているかなというか、
あんま好み方がいいとは思わないんですけど、すぐそういうメタファーとか作家性とかでなんか映画の感想まとめるよねみたいな感じがちょっとしてちょっと嫌なんですけど、
けどやっぱどうしてもなんか僕はそういうふうに、完全にノーラン自分のことオッペンハイマーに重ねてるじゃんというふうにしかちょっと僕らに見えなかったなっていう気はしました。
ヤバいとこ踏み込みますね。
あれ?踏み込んでしまいましたか?
踏み込んでしまいましたか?
この映画踏み込むのが危険なラインが何個かあると思うんですけど、その中の一つかなって気がしてて、オッペンハイマーとノーランを重ねるっていう第三の地雷かなっていう。
そこの地雷を僕が盛大に踏んでいくので、後の地雷は皆さんで一個ずつ踏んでいく形でよろしいでしょうか。
それぞれで踏みましょう、じゃあ。
はい、では大井さんいかがでしょう。
そうですね、先週のオープニングでもちょっと触れたんですけど、ここは結構なんか純粋に楽しかったっていうよりも、なんか良くも悪くもノーラン映画だなって感覚を受けたというか、そういう感想になってしまったっていうのが正直なところです。
で、良いところって意味で言うならば、やっぱりできる限り本物にこだわった撮影。先ほどマリオさんも言ってましたけど、音もそうだし、あとは絵作り。
03:02
実際そのキノコグモが上がるロスアナモロスですね、トリニティ実験の描写ありますけど、あれ多分、実際に爆発はさせる、核爆弾ではないらしいですけど、
でも非常にどうすれば本物らしく見えるかってところをこだわって撮られたものだというふうに一応書いてあったので、そうなんだなっていうところとか、やっぱりそこの本物主義みたいなところはノーランらしさだし、
映画っていうものに本物を映す、ちょっとトム・クルーズにも近いと思うんですけど、映画には本物が雇るからそこをできる限りこだわるっていうところはやっぱ彼らしいさだし、すごくそこはいいところだな、映画に対する真摯さだなっていうふうに思いました。
ただ一方で、僕個人としては時系列の入れ替えというか、こうちょっとごちゃついた感じ、特にストロースの話がところどころで挟まってくるのが、ちょっと自分たちはノイズかなって思ったりだとか、そもそもストロースの視点そんなに必要かなってちょっと思ったりしちゃって。
それはわかります。言いたいことはわかる。
わかりますね。
なので、物語の構成としてそんなに上手いかなっていうのは思ったけど、まあでもこれノーラン映画だしなって言って自分のを収めたっていうところが正直あると言えば正直あるというのがまず一つ。
もう一つは先ほどマリオさんがおっしゃってた1個の地雷なんですけど、そこに重ねたがゆえに原爆を作るという積み勢が若干減ってないかなって思っちゃったっていう。
描けちゃいるんだけど、少なくとも僕らは映ってない文脈というかコンテキストが見えるっていうか脳内にあった状態で見るので、そこを含めて若干無邪気すぎねえかなって思ったっていうのが正直なところです。
それもわかります。
こんな感じですね。
僕はですね、まず個人的な感想から言うとそんなに合わなかったです。
ただ本当にすごい映画だと思うし、アカデミー賞の作品賞を取って叱るべき作品かなと思うし、クリストファー・ノーラン自体がそれを取りに行って撮ったっていう感触の映画でもあるっていうすごさがあるかなと思います。
ただ、僕これは本当に原爆を落とされた国の側の人間としての感覚がどうしても強くって、本作って結構赤狩りに関するパートが多いんですよね。
さっきのおじさんがおっしゃってたストローズの話の部分が非常に大きいっていう部分なんですけど、オッペンハイマーが戦後、原子力開発から外されていく流れが結構非常に大きいけど、原爆を落とした側の事情のやつが干されるかどうかとかあんま興味ないなと思って正直。
だから僕その見方のチャンネルが合ってなかったのかなと思って、原爆の話じゃなくてオッペンハイマーの話なんですよね、どこまで行っても。そこを多分ちゃんとチャンネル合わせられずに見ちゃったかなっていうのを思って。
06:12
僕、クリストファー・ノーラン作品自体は面白いけど、すっげー好きってほどまでは入れ込まないんですよ。いつも。それなんでかなーって考えてて、自分が持ってる力とそれに背負った罪の天秤に悩む男の神話ばっかり描くなっていうところに、なんかね、血肉が通ってない感覚を僕は植えてて。
血肉が通ってないというか、泥をすするような生々しさっていつも省かれてるよなって思ってて。本作で言うと、原爆を落とした罪そのものは描かないけど、その男の罪悪感にフィーチャーして描くっていう部分なんですよね。僕がどうしてもキャッチしきれない部分が。
そこもうちょっと掘り下げれたらいいかなと思うんですけど、ちょっとまだまとまりきってないです。はい。っていう感じですかね。はい、ではお便り紹介していきたいと思います。まずは1通目を。マリオさんお願いします。
はい、えむはらさんからです。
はい、ありがとうございます。ありがとうございます。
そうですね、まあ難解な映画だなっていうのはまずあれというか、結構予習があった方が理解しやすかったんだろうなっていうのは見て思ったんですけど、難解なりに分かりやすい映画だなと思って。見ててなんとなくは分かるなっていう。
そうなんですよね。やっぱそこは偉いなって思いました。これ別に難解に作ろうと思ったらいくらでも作れると思うんですよね。けどなんか流れはすごく分かりやすかったなっていうか、ちゃんとオッペンハイマーという人が歩んだ人生っていうのもちゃんとシャッフルはしてるけど分かりますし。
だからまあちょっと普通の電気映画とは違うんだけどでもきちんとその人がちゃんと分かるっていうのはやっぱりちょっと優れてる点ですよね。
そうですね時系列行ったり来たりするじゃないですか。でも意外と混乱しないというかオッペンハイマーの心境的な部分ではいきなりあさっての方向にずれるみたいなことがなかった感覚なんですよね。
09:04
なんとなく気持ちの動きとしては一方向に動く範囲での行ったり来たりをしてる感じだからそんなに混乱しなかったような感覚を覚えたですね。
だからオッペンハイマーの時系列自体は結構一直線なんですよね。多分僕がオープニングでサウルの参加されたことで言ったらストロースの時間軸が割とこうちょっとゴチャっとしてる気がして。
それはそうかも。
まあちょっとねややこしいのがやっぱりまずストロースって誰やねんっていう感じもちょっとあるのと、あとストロースの場面って白黒じゃないですか。
なんか過去の話っぽく思えるんですけど別にそんなことないんですよね。なんか時系列むしろ新しいのあっちなんだよねっていうことがやっぱり描かれたりとかして、
そこが一回あれとーっていうちょっと混乱を招くなっていうのはちょっとあるんですけど、白黒である意味は確かにあるんですけどね。
だからオッペンハイマーが原子力の委員会みたいなやつから外される新聞みたいなのが行われるとことか、
ストロースの証人の会議が行われてるシーンが白黒なのってあれってメディアで取り上げられてたからっていう感じかなと思うんですけど、
逆にそのマンハッタン計画やってる時代ってメディアで取り上げられてないから、むしろそういう記録映像としてはカラーなんですよね。
僕今回NHKの映像の正規のマンハッタン計画会見たんですけど、そのマンハッタン計画を撮ってる記録映像、
中で働いてる人が撮ったらあかん映像を撮ったやつとかも流れてたんですけど、それらはカラーなんですよ。
それらは記録映像だからより情報量が多いカラーで撮ってるんだと思うんですけど、
逆に戦後のあの流れの方はテレビで流してるから白黒なのかなと思うんですよね。
実際にはテレビで流れてなかった内容だと思うんですけど、ニュースとしてアメリカ国民が知ってることだから白黒。
でもマンハッタン計画は徹底的に情報統制されてたから、あれは本来アメリカ国民は知らないんですよ。
中で働いてた人さえ何を作ってるか知らないような状態。
それはメディアに流れてないから白黒じゃないっていう感覚で僕は見ました、あそこは。
カラーはオッペンハイマー自身が見てる世界なんでカラーで、
白黒なのは完全に外から見たオッペンハイマーの姿っていう、客観的に見た時のオッペンハイマーの視点って感じなんじゃないかなっていうふうに思ってたんですけど、
あとストロース自身が権力は影に宿るものさみたいなことを言うのもあるので、
自分のことそういう影のもの的な立ち位置だからなんか白黒なのかなぐらいがちょっと思ったりはしてました。
12:01
一見の混乱さというか情報量の方って感じ覚えるのが、登場人物がめちゃくちゃ多いじゃないですか。
その整理とかはやっぱり劇場見て終わった後にパンフレット見て、ああそうだこの人これだっていう。
さすがにちょっとなんか公開前事前にやっぱちょっとホームページで、
人物はこんな人出るよぐらいを見といた方がいいよみたいなのが流れてたんで、
さすがにそこはちょっと見ましたね一回。
人物が多い分なんでしょうかね、なんかこう役者が地味に多かったなって思いましたけど。
そうなんですよ。
この人がこれやってるんだみたいなのが結構ね多かったなっていうふうには思いました。
そこもちょっとね一つの情報量になっちゃいますからね。
あとあのトルーマン大統領と会うシーンめっちゃ怖くないですか、あそこ。
あれやばいですね。
めっちゃ怖い。
本作でトップクラスに怖いシーンだったんですけど、
いや広島長崎の人たちが恨んでるのは俺の方だよって知れって言うの。
ああ怖いと思って。
すごみがありましたよね。
お前の苦労なんてしょうもねえぞみたいな感じ。
結構この映画でオッペンハイマーに対してお前の悩みしょうもねえぞって言われるシーン結構多いと思ってるんですけど。
そうなんですよね。
結構大事ですよね本作そこ。
お前の自己憐憫なんてマジでもいいぞっていうのが、
登場人物から度々言及されるのってめちゃくちゃ大事というか、
実際被害にあった人たちにとってさ、
お前の苦しみなんて何の意味もないよねっていうのを、
ちゃんと映画としても言ってるっていうのがいいなとは思います。
トルーマン、名前を聞いたことありましたけど、
この人のことがちょっと気になるっていうか、
この人の伝経過程がないんだっけってめちゃくちゃ気になりましたけど。
どこを落とすか会議してる時なんかもちょっとゾッとしまうなもん。
逸話としては知ってましたけどっていう。
あのシーングロすぎますよね僕。
グロテスク。
グロすぎるわと思って。
京都は文化財あるし、私たち夫婦が旅行行ったんだよね、
だから落として欲しくないやみたいな。
そのこと言うんやみたいな。
いやちょっと怖いなっていうか、
ちょっと見終わった後にね僕思い出したんですけど、
僕、地元北九州で小倉にも北京になってたんですよね。
そうですよね、小倉。
確かにそう。
なってたんだけど、当時確か天候が悪かったから長崎になったんですよね。
はいはいはい。
だから本当になんか、
わーなんかもしかしたら僕この映画見てなかったかもしんないよなーみたいなことも考えてしまって、
なんかやっぱあの会議って恐ろしいなってちょっと見終わった後に余計にちょっとそれは感じましたね。
15:03
知り合いで長崎住んでる人がホッペンハイマー見たらしいんですけど、
であの会議、いや京都は文化財あるけど、
他はないからいいじゃんってことだけど、
長崎なんて日本のキリスト教の伝統の地なわけですよね。
そういうキリスト教の遺産が残ってる地であることとか、
知らんかっただろうし考えもしなかったんだろうなっていう。
めっちゃグロいですよね、マジで。
マジでグロいですよね。
むしろその事実に気づいてしまったら、
たぶんもう向こう市はやむと思いますけどね。
同じ宗教の人を殺してしまったんだみたいなね、とこもありますし。
そういうことでやっぱね、
まあどうしても落とされた側の国の人だからこそやっぱそういうとこはちょっと来るものがありますよね、そこはね。
だから別の映画のタイトルじゃなくて、
まさに関心領域が彼らにどこまであったかっていうのがすごいわざわざとわかるなというか感じるなと思って。
そこはちょっとね。
そうですよね、本作オッペハイマーの関心領域ですよね。
そうそう、まさにそう。
そうなんですよね、確かにそうですよね。
オッペハイマーの関心領域って本当にいいエピロードだな、本当に。
最後にオッペハイマーの関心領域が世界になるっていう。
おせえよっていう。
おせえだよ。
おせえよって言われる。
まあね。
はい、では次のお便りいきましょうか。
はい、ユイさんからいただきました。
こんにちは、初めてお便りします。ユイです。
皆さん、それぞれの意見が面白くていつも楽しみに聞いております。
本作、1回見ました。
感想は全然まとまりませんが、まず現場語を透過した結果の描写の薄さについては、
そこが主眼ではないからと言われても、
その割り切り方そのものと、その作品がアカデミー作品賞を受賞するということが
アメリカの歴史認識との違いを感じさせられます。
あと、妻のキティについて考えました。
原作は未研なので史実かもしれませんが、
ストロースへの怒りでグラスを割ったり、
最後の庭のシーンで涙を流したり、
表彰式で握手をしなかったり、
主人公の立場を代弁しているように見えます。
このおかげでオッペンハイマーが静かに苦悩を讃える成人のように見える気がしました。
本作でノーランが自身を主人公に投影していると考えると、
この表現はちょっとムカつくなと思いました。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
キティさんはディスコードで話す時に何度か僕を話しているんですけれども、
原爆を投下した結果の描写の薄さは本当にそうなんですけど、
やって欲しかったなっていうのはあるんですけど、どうなのかな?
そうなんですよね。
どこに重きを置くかというか、
今回この手を取ってしまった以上、
そこを描くと確かにブレちゃうっていうのはあるんですよね。
だから描かなかったっていうのは確かに正しいっちゃ正しいんですけど、
でもそこはちゃんと触れてほしいなっていう気持ちもやっぱりありますよね。
18:01
スパイクリーとかは結構そこをちゃんと言ってますよね。
映画としては面白かったけど、
ちゃんと日本の被害の描写とかそこにちゃんと目を向けるような描写を入れた方が良かったと僕は思うよってスパイクリーは言ってましたけど、
本当そこはちょっと正しいなっていうか本当そうだなっていうふうには僕も思いましたね。
確かに現地の調査結果をみんなで見るシーン、
ペンハイマーの顔バッグを映すんですよね。
映像自体は映さないし、
その映像で映ってることを口頭で言及するセリフとかはあるんで、
何が映ってるとかある程度、
想像はできるっちゃできるんですけど、
そんなものは映さないっていうのが正直僕はちょっと嫌だなとは思いました。
見ろって思うし見せろとも思うんですけど、
それやったらたぶんローランの映画じゃなくなるだろうなっていうのもすごくわかる。
やっぱそこ踏み込まないというか、そこを踏み込んで映画が面白くなるのっていう感覚なんじゃないかなと思うんですよね。
そうですね。
やりたいのそこじゃないしっていう。
さっきスパイクリールの名前出しましたけど、
スパイクリールってまんまそのまま出しちゃったりとかするじゃないですか。
ブラッククラウンズ版とか、もともともない実際の映像を出して最後終わるとか、
それはそれで今までの映画の力は何だったのみたいな風に思う人もいるわけで、
そこもわかるんですよね。
実際あのシーンって彼自身が目を反らしてるんですよね。
内容は聞いてるけど自分はそこに目を向けることができないっていう、
もちろん彼のある種自己憐憫的な罪悪感によるものなんですが、
だから彼の視点というよりもオッペンハイマーの物語としては映さないことの方が確かに正しいっちゃ正しいんですよね。
とはいえそうなんですよね。
観客はオッペンハイマーを客観視しているというか外の視点なわけなので、
しかも日本人である僕らはどの道そこの文脈言われなくても知ってるわけですよね。
だから映されないことに対して何でだろうという違和感を抱いちゃうのも仕方ないかなとは思いますね。
途中完成して実際原子爆弾が成功したというのは観客たちが喜ぶシーンがあって、
そこでちょっと原爆の被害者っぽい描写が出るので、それをもって原爆の被害も描いてるって言ってる方もいらっしゃるっちゃいらっしゃるんですけど、
分かるんだけどそれは間接的なものではあるよなーって気はちょっとして。
そうですね。だから僕はあそこのシーンは本当にその罪そのものじゃなくて、
罪悪感を描きたいっていう描き方になってるっていうのはやっぱ結構飲み込めないんですよね。
さっきも言ったんですけど映像の世紀のマンハッタン計画会見てて原爆10日後の広島長崎の記録映画の映像があるんですよね。
21:01
その映像の世紀内で。あれ見たらねもう無理やってなる言いますよ。
落とした側のことを許容するなんて無理やって。
僕はなりました。見ててねこう毛穴が裏返るような感覚を覚えたんですよ。
無理なんですよあれ本当に。
だからそれを分かってくれこれを見てくれこういうことがあったし、
あなたたちの国がそれをしたんですよって見てほしいけど、
それ見たらもう楽しくない映画としてと思う。
だからそれも分かるんです。
そういうことを描きたい映画じゃないからっていうのも分かるんです。
でもやっぱりねそこはやってほしさもあるから、
僕もこう二律背反でちょっと引きちぎれそうなんですよね本当に。
いやすごい分かります。
分かりますねそれはね。
だからそのノーラン自身がこの映画をあくまでエンタメの作品だっていう風に公言しているわけですけど、
多分少なくとも日本で鑑賞する限りはただのエンタメではないじゃないですかどうしたって。
だからやっぱりそこはある種日本人の特権的な見方でもあるし、
一方で世界に多分この差があるんだってことを自覚して、
今後コミュニケーション取っていかなきゃいけないんだなっていうのはすごい改めて感じましたね。
そうなんですよね。
それは本当にあらゆるところにあるなと思ってて。
例えば初代ゴジラ、一番初めのゴジラ映画って、
原爆の脅威みたいな部分すごい漂白された映画として、
アメリカでは公開されてた怪獣王ゴジラという名前で公開されてて、
当時のアメリカだとそこまで原子力に対する罪性みたいなのって、
そんなにメディアでも強調されてないというか、
原子力の影響で生き物が大きくなったモンスター映画とかはいっぱいあったわけですけど、
そのノリの一つとして怪獣王ゴジラがあったというか、
でも初代ゴジラなんて僕らは原爆の脅威とその罪性の具現化したものとして見ているわけじゃないですか。
そこの差って埋めようがないんじゃないかなと思って。
埋めないとダメなんですけどね。
すごい遠い道のりっていうのがあるなっていうのがあるし、
あと彼らにとって当時の日本に勝った勝利の証でもあるわけじゃないですか。
悪の数字空谷をやっつけた勝利の象徴の一つでもあるわけだし、
そこを悪として捉え切るのって、
歴史認識のレベルで難しいなっていうのも分かるっちゃ分かる。
本作の描かれ方とかも見る限りは。
あくまでオッペン・ハイマー個人は悩んだけど結果的に後から。
でも国としてはそれは喜んだだろうなと思うんです。
24:03
トルーマンもこれでアメリカの兵士が死なずに帰せるぞっていうのも分かるんですよ。
だって敵対してる国の兵士や国民が死ぬよりは自分の国の兵士が生きる方が優先順位は高いなって思っちゃうのは分かるんです。
あと当時の原爆開発競争。
実際ナチスも作ってたし日本も作ってたわけだから。
それに負けてはならぬっていう理屈があったことも分かる。
でもそれを全面的に良しとは絶対にしたくないですよね。
いやーこれ大丈夫かな。
ちょっと話切り替えたいんですけど、
スマのキティ、すっごいいいキャラしてたなっていう。
今回のエミリー・ブラント良かったですよね。
あんまり一緒のこと言いたかったんですよ。
あそこで握手なんてしなきゃよかったのにっていうのをオッペ・ハイマーに言うじゃないですか。
あとストローズを票するにあたって終電深い人は我慢強いっていう。
あとでストローズに恥をかかせたことに対して彼はずっとやり返せる時を待ってたんだっていうのを言及してて。
それで最後の最後でテラーとの握手をしないっていう。
この人もまた執念深くて我慢強い人だったんだっていう。
あそこね、この映画で数少ない良し写真なんですよね。
確かにテラーに握手しなかったシーンは確かにあそこはいいですね。
表情もすごい良かったですよね。
てめぇどの面下げて落ちやがったみたいな感じで見てくるじゃないですか。
あれいいですよね。
結構ね、ずっと腹落ちしない映画だったんで。
ミニガッツポーズをあそこで撮れました、僕は。
では次のお便り読ませていただきます。
たずささんからいただいております。
ネットフリックスのアインシュタインと原爆など抑えてると良いものは多いと思います。
27:06
ありがとうございます。
あんまり意識してなかったけど確かに雨の波紋は最後のラストに重なってるシーンですね。
言われていたように。
ちゃんと最初と最後つながってますよね。
ちゃんとオッペハイマーの顔で終わるところとかも含めてですけど。
結構劇中の、特にストローズとの揉める一番のきっかけのシーンが空白とか余白で始まって、そこの最後に種明かしって感じになってますね。
でもあそこでストローズの悪口言ったって捉えるの相当な感性じゃないかって思って見てたんですけど。
あれ僕普通にオッペハイマーが余計なこと言ってアインシュタインを怒らせただけのシーンだと思ってたから。
そんな被害妄想を持つの?って思って。
たまにそういう人会うことはあるけど、厄介な人やなってストローズ。
結構自分のコンプレックスみたいなのがすごい出るタイプの人だったんだろうなって思いましたね。
でも確かにね、とはいえオッペハイマーも一番最初に靴磨きからって話をした時に、その反返しはねえだろって返ししっかりしてましたけどね。
やっぱりオッペハイマー性格いい人じゃないなっていうのは、しぶしセリフ回したからから伝わってくるじゃないですか。
そういうところが含めて人にも嫌われたりもするし、けど猛烈に一人からも好かれる部分はあるしみたいなところは感じられましたよね。
やっぱり実際にオッペハイマーはかなり扱いづらい人だったみたいで、
江戸の世紀で学生時代に一緒だった人のコメントがあったんですけど、神話の神々が地上に降りてきたみたいな言い方をしてて、どんだけって。
相当ですね、その言われ方。
ただマンハッタン計画が始まってからはリーダーシップを発揮できるようになったらしくて、逆にそこが怖いですよね。
目的に紐づいたらそれができるんだって、すごい、いわゆるちょっとサイコパス的な人物にもちょっと思えるというか、やろうと思ったらできる、やらないけどっていう。
劇中、理論は得意だけど実験は苦手だって言われてたと思うんですけど、マンハッタン計画も別に実験してるっていうよりかは、どっちかっていうとプロジェクトリーダーですよね、あれ完全に。
いやもちろん研究者として何かやってることあると思うんですけど、マンハッタン計画でフォーカスされるオッペンハイマーの姿ってやっぱりもうプロジェクトリーダーって感じがすごいしてしまうので、
30:03
それもすごくいい絵で妙だったなっていう感じというか。
自分では何も作れない人っていうところがすごく、それって監督であるの?ラジオのことじゃん?って、そこも重ねちゃうじゃん?って思うわけなんですけど。
まあね、いや正直思いましたよ。
思いますよね。
これ映画作りのメタファーだわって思いましたよ。
そうなんですよ、映画作りじゃん。またテネットでも映画作りのメタファーみたいなことやってたのに、なんかずっとそういうことばっかやってる人だよなって思うんですよ。
この話長くなるからいいよ。
これ多分ショートケーキの上にいちごなんでこれ。
ナチスの文化の足音をイメージするカットが挿入するシーンがあった後で、それと同じことがアメリカ側で起きるっていうシーン、あれはすごく上手いなと思いました。
結局そういう国民国家の高ぶりの中で全員がこういう攻撃的な思想に染まっていくっていうのは非常に生々しいというか、
結構際外描写だと思うんですけどね。ナチスと当時のアメリカ側を重ねるって。
そこを描いてるし、あとオッペンハイマーのスピーチの後で凶乱してる人々が原爆の被害を受けた人たちに重ねられるシーンとかも上手いですよね。
オッペンハイマーの認識の側がもう歪んでしまってるというか、罪悪感に染め上げられてしまってるっていう状態を描写するのとして上手い。
実際の映像を使わずに、原爆の被害そのものを使わずにそういうのを描くのは本当に上手いなって思いました。
上手すぎるんだよな逆に。上手すぎるんだよな。
そうなんだよな。
なるほどな。上手すぎるっていうところがノーランらしさであり、そこに我々引っかかってるのではないかっていう気がすごいしますよね。
そうなんですよね。だから実際にエグいものを見せずに、その裏側にエグさを仕込むことはできるけど、
それって映画の力でもある。描いてないところに本当に描きたいものがあるっていうこともできるんだけど、
同時に描きたくないものを描かずに済ませることもできるっていう魔力もある映画には。
それをノーランは使いこなせるんですよ。
だから見てる人の間でちゃんと原爆の罪性を描いてるじゃないかっていう人もいれば、
本当の原爆の罪性は描いてないじゃないかっていう人も出てくるっていう。
そこをやってのけるのがすごいんですよ本当に。
33:02
なかなか常人のバランス感覚では難しいところですよね。
そうなんだよ。上手すぎるんだよな本当に。
じゃあ次のお便りいきましょうか。
タウルさんからです。
オッペンハイマーはずっと追ってきた監督が自身のスタイルを貫きながら多くの人に問いかけることを達成した集大成のような作品で、私自身感慨深い一本になっています。
ノーランが題材の知りやすさもあり、偏った解釈や政治性メッセージを受け取るのを周到に避けるように作っていて、
得意の難解さやスピード感で、感情は揺さぶるが感動はさせないようにし、見たい人が様々な視点で語れるように、奥深い作品に仕上げたように思います。
SNSで消費されることを良しとしない境地さえ感じました。
アインシュタインとの会話を軸にした語り口が巧みで、
最後にアプロメテウスを産んだのも、持ち上げて落とすのも、全て人間のおぞましい一面であるかのように、見ていたこちらに問いかけるように、反転したのが素晴らしかったと思います。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
そうですね。
確かに集大成だなとはすごく思いました。
なんというか、ノーランっぽさって凝った語り口だと思ってるんですけど、個人的には。凝った映像と凝った語り口。
そこでやっぱりそれをすることで、人々に新たな物語を授けようとするみたいなところ。
そこにノーラン自身、自分はものすごいストーリーテラーであるっていう自由がある人だなって、どの映画を見ても思うんですけど。
でもそこが行き過ぎると、やっぱりちょっと上手すぎるというか、ちょっとやりすぎなんだよなっていうところが、今回ちょっと実は減ってはいるかなとは思っていて。
それはそうかも。
それがやっぱり今回の物語の味わいにそこが現れてるのかなって僕はちょっと思ってましたね。
めちゃくちゃ計算高くやったんだけど、結局自分の思い知らぬ方向に全てが転がっていってしまうみたいな。
ノーランってすごいコントロールめっちゃしてくる人だなって僕イメージがあるので、そこからコントロールめちゃくちゃ外れたことに物語としてはなっていくっていう。
なんかそこになんからしさも残しつつちょっとなんか一段階上の領域に上がった感じはすごくするなっていうふうに思いましたね。
そうですね。
さすがタウルさんのお便りだけあって、これを掘り下げるとノーランの話をがっつり掘り下げることになるっていうので、ちょっと今おっかなびっくりになってるっていう。
ここから一気にアクセル踏むかっていう、どうかっていうのちょっと今僕迷ってたんですけど。
僕はそこに乗っかってしまいましたけど。
そうですね。
タウルさんもお便りの中で語られてるように、たぶん僕らは踏み込みが甘いって言ったところを、たぶんタウルさんはおそらくノーランの良さとして受け取っているんだなと頼りを見て思ったんですよ。
36:09
解釈や政治的なメッセージを受け取るのを主点に避けていると。
たぶん踏み込めばメッセージは出さざるを得ないじゃないですか。
だけどこの絵が良くも悪くもメッセージがないってわけではないけど、でもすごく一般的に捉えられるメッセージ性に留めているというか。
どの国の人が見てもこの程度だったら受け止められるよねっていうメッセージに留めている。
これはたぶんノーランの広く見られるっていうところに、もちろん彼がエンタメって言ってるところだと思うんですけど、
確かにそれを教授として受け取ることもできるっちゃできるかっていう感じですね。
そうですね、本作にメッセージがあるのかどうかっていうのもめちゃくちゃむずい論点だと思うんですけど、
僕の感じた見方なんですけどね、本作からメッセージを受け取る人はたぶんそのメッセージをもともと持ってた人なんじゃないかなと思うんですよ。
もともとそのメッセージを持ってる人がこの映画からそのメッセージを受け取ったように感じる。
でもそのメッセージを持ってない人はメッセージのない映画として見ることができる。
ただのオッペンハイマーの電気であるっていう見方もできるようになってるっていう感覚はあって、
そこがやっぱり生々しく描かないっていうクリストファー・ノーランのテクニックであり、それこそ教授の部分なのかなって思うんですけど、
やっぱり彼が描いた作品って神話になるなって思うんですよね。
それはめちゃくちゃわかりますね。
例えばダークナイト三部作とかもそうなんですけど、あんまり暴力が生々しくないなと僕は思ってるし、
善と悪の二つの対立の話になるし、戦いそうなものはかなり抽象化されたものになってるなと思って、
絵的にはすごい派手なことが起こってるんだけど、要素を抽出していくと、
善と悪の概念だけが残ってるような話になってたりするなって思うんですよね。
ダークナイトとか見てると。
そこにはやっぱり、暴力そのもの生々しさがないからだと思うんですけど、それによって神話になってるなって思うんです。
それを圧倒感じたのは、インセプションとかもそうなんですけど、
インセプションも過去に取られた男の神話だなって思うんですよね。
夢の世界に行く話というか、そこにドロッとしたものがあんまりないというか、
ドロッとしたものはありますよっていう風に描かれてるけど、そのものは描かない。
39:01
それによって、こういう一人の男が自分の罪悪感が具現化した世界に落ちていくような映画になってるなって思うんですよ。
オッペン・ハイマーもそういう話だなと思って、
そういう世界を変えてしまう力を持った男が、その罪悪感に取り込まれて世界を見ていく話というか、
そこに生々しさがないことで、そういう力と罪に取られた男の神話たり得てるっていうところ。
これは好きな人はめっちゃ好きだし、苦手な人はめっちゃ苦手だと思うんですよ。
上手すぎるから。感じなところをシュルッと避けながら、いい感じに描ける。
本当にもう圧倒的な力がある作家だなと思うんですけど、
もう上手すぎっていう。あなた上手すぎって言いたくなるっていうのは正直わかるんですよ。
ていうか、僕がそれを言ってる人だから。上手すぎって言ってる人だから、僕が。
確かに上手いんだよなって。本当に神話になるとかかっこいいもんなっていう。
そうなんですよね。だから、例えばダンケルトックとかもそうだけど、もう地獄中の地獄なわけですよ。
それをでも、絵力で神話にしているんですよね。空と海の神話になってる。
そうですよね。ダンケルクの時、一切敵を描かないですからね。
だし、撮影のエピソードとか聞いたら、すごい段ボール並べて人の影しているとか。
本当に映像作家として、本当にハッタリが上手い人。前回もそういう話したと思うんですけど。
本当にハッタリが上手い人だなって、かっこよく見せるのは本当に上手いなって思いますね。素晴らしいと思いますけど。
映像作家として最強の才能だと思うんですよね。ハッタリが上手いって。
そうなんですよ。最強なんですよ。
さっきそのインセプションの話、ちょっと話が、コースがずれるかもしれないですけど、
インセプションの話が出たんで、今回ジーンが出てくるじゃないですか、フロレンス・ピューが演じてた。
彼女の役柄を見て、すごいインセプションを浮かべたんですよ。
ノーラン、またこういうことやってるんだって思っちゃったというか。
そのとこめちゃめちゃクラシックですよね。クリストア・ノーラン作品における女性の役割って。
セックスと死のイメージっていう。クラシックだなって。
そうなんですよね。結構ノーランの映画っていうか、
ハードボイルドな世界観だと思うんですよね、基本的に。
ハードボイルドが根底にある人なので、いわゆるそういう感じの扱いというか、
42:00
どうしてもなるところは多い気はしますね。
そこがいいところでもあるし、悪いところでもあるのですけど、
どっちかというとそういうハードボイルドなやつでぐっとのめり込んでしまいがちな人間ではあるので、
良さだと僕は思ってはいるんですけどね。
間違いなく良さだと思います。
これはもう独特の味わいなんですけど、今回もファム・ファタル出てきたわと思って。
にしてもちょっとね、ジーン・カトロックの描き方ちょっとなんかこっちを見てて引くっていうか、
途中の校長会じゃないんだよね、サモン会みたいなところでキティがジーンの芸術を見るところとかちょっと、
なんかちょっと気になりましたよ、なんかちょっとこれみたいな。
そこは確かに僕も気になりました。あれってこんなことする作品やったっけと思って。
ここで急になんかそういうやつきたなってなって。
だからオペハイマーの罪性の一つが多分ジーンに対する思いだったりもするわけじゃないですか。
罪悪感の一つが。
なんかでもやっぱそれと原爆っていうのが自分の中でなかなか原爆開発をしたっていう罪と、
ジーンという女性に対する自分の当たり方というか、対応の仕方、関わり方っていう罪性っていうのが、
彼の中では一色となってるんだけど、見てるポイントとしては全然一色じゃないけどなって思いながら見ちゃうというか。
というように多分彼が創作したキャラクターっていうのが見えてくるって見えてくるんですけど。
まあね、他人の内面なんて、周囲から見たら因数分解はできるけど、
本人の中ではまあ一個のものとして紐づいてますからね、そこを区切れないっちゃ区切れないのはわかるんですけど。
何個か、本作ってオペハイマーの罪とされるものが何個かで、まず原爆を作った罪っていうのはありますけど、
あとまあその社会主義的活動に傾倒していた、あるいはまあそういう関係者との関係が多かったっていう部分ですね。
まあこれはその罪というよりは、周囲から罰される材料になるっていう部分と、
あともうその性関係のだらしなさですよね。
だらしない、本当に。
本当にそう。
まあね、本当にそうでしたね。
めちゃめちゃ、なんていうか、だらしないお方ですねって思ってしまって、
そうですね、ちょっと僕これ見てて思い出したのが、
ウォッチメンに出てくるドクターマンハッタンって言うじゃないですか。
はいはいはいはい。
で、あのマンハッタンって名前つくぐらいだから、もう核兵器そのものなんですよね、彼って。
そうそうですね。
でも彼ってね、こう、下が下品なんですよ。
神に等しい力を得ているのに、若い女の子とセックスしたいという願望があって、
45:03
かつ彼が表舞台から排除される、要はウォッチメンの黒幕にとって最大の厄介事なわけですよね。
もう神に等しい力を持っている存在だから。
方法がスキャンダルで欲すなんですよね。
なんか見てて、あ、ドクターマンハッタンってもしかしてモチーフにオッペンハイマーいるのかな。
まあ、マンハッタン計画がモチーフだからもちろん入ってるんだけど、
オッペンハイマーの個人的な要因も入ってるのかなと思って、
そういう性的なだらしなさとか、
あとまあ、そういう社会的な要因で干されるっていうことで表舞台から消えるっていう部分とか、
なんか思い出して。
そうなりますね、すごくね。
なんかすごい、ウォッチメンの原作のアラン・ムーンがそういうものをすごい皮肉に見てたと思うんですよね。
神に等しい原子力という力を手に入れてやってることが、
若い女の子とセックスしたい、それがアメリカだみたいなことを言いたいんじゃないかなと思うんですよ。
なるほどね。
アメリカってそんなにすごい偉大じゃねえぞっていうのを言いたい人ではありますよね。
まあ、それを思い出したなっていうのはありました。
うん、確かに確かに。
にしてもだいぶだらしないですよね、本当に。
実際そうだったから仕方ないんですけどね、その映画の中で描かれてしまうのは。
そうそうそうそう。
たぶん本当だったと思うんですよね。
もうなんか本当に、人員がなくなって本当になんか苦しんだと思うんですよ、本当に。
苦しんだと思うんですけどね。
まあ、知らんがなってキティに一括されますけど、
特にあそこちょっとなんかすごいなんだろうな、ちょっとやっぱ世界系の主人公感感じましたけどね、ああいうところでねっていうか。
基本的に今回オッペンハイマーの個人の内面の話にフォーカスしているという段階で、どこかそれっぽさは感じるんですけど、
あそこはねすごくね、めっちゃ近い世界系っぽさを感じましたけど。
まあ冒頭でプロメテウスになぞらえるし、私はし私は世界の破壊者とか呼んでるじゃないですか。
作品自体がオッペンハイマーをそういう存在として描いてるし、オッペンハイマー自身が自己をそう捉えてるから。
自分自身が神話側の存在としてちょっと捉えてるし、作品自体がオッペンハイマーを神話側の存在として描いてるんだけど、
なめたこと言ってんじゃねえって、ちゃんと作中で言われるっていう。あそこいいですよ。
自己憐憫してんじゃねえっていう。甘えたこと言ってんじゃねえっていうのは、ほんまにそう。
あれ全面同意でしたよ。ほんとそうだぞっていう。
あと本作におけるオッペンハイマーの自己憐憫に対する疑いの部分って、自分だけでやったと思うなっていう部分もあるんですよ。
48:06
まずどれだけの科学者があれに関わって、どれだけの人手であれを成し遂げたかっていうのもあるし、
全ては世界情勢の流れの中のものでしかないというか、オッペンハイマーもバトンを繋いだ一つの操舎でしかないっていう言い方もできると思うんですよ。
その中であの言い方はあまりにうぬぼれがすぎるのではないかっていう風にも、自分の名前でやって自分の責任で動かした計画だから、
そうなんだけど、じゃあそれに出したらアメリカっていう国そのものだともなるし。
確かそれこそトリニティ計画の後に成功をお見せして、我は死なり、世界の破壊しなりっていうシーン。
我、要は愛って一人称で言いますけど、確かそれ当時も物理学者とか量子力学者にすっげえ批判されてなかったかな確か。
マンハッタ計画お前だけで、ロスアラモスだけだと思うんじゃねえぞっていうのをすげえ言われてたっていうのが確か記録に残ってた気がします。
思い上がるんだよみたいなところが。
なんで一人称なんだよっていう。
同僚の人言ってたじゃないですか、名前出てこないや。
ローレンスとか。
あの人が別のとこで濃縮ウランを製造してたりしてるから、あくまでホッペハイマーがやってたロスアラモスのやつは原爆の制作部分で、アメリカ全体を使って核兵器開発をやってたわけなんで、
お前だけかとかさみたいなのはあるじゃあります。
たぶん周りにいた人間、テメェこの野郎ってなったと思うんですよ。
それこそ科学者ほどコントリビューション重視する人はいませんからね。
確かにムヌボレが過ぎるなって思うし、
あとこれ我々にも返ってくる部分なんですけど、映画監督一人で映画作ったと思ってんじゃねえぞっていう言い方もできると思うんですよ。
そうなんだよな。
もう刺さってる。すぐ監督の名前だけで作品語るみたいなところですよね。
グサグサ刺しにきますよねっていう。
本当にこの映画なんか映画の話っぽく思い出てくるんだよな。
それはあります。本当に。
ロスアロマスの町ができていくところとか、
これスタジオセットを作っていってるぞってなるし、
映画作りの高揚感みたいなのに近いものが作ってる段階にはちょっとあるんですよね。
マンハッタン計画とんでもないデスマーチやったみたいなんですけど、
憲兵が鍵を閉めた後の研究所に鍵をノコギリで壊して入って朝の4時まで研究してたみたいなことを言ってて、
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とんでもないデスマーチやなって。
デスマーチすぎるし、
劇中、やっぱりすごい統制、軍の間で統制とかがあるから各部署の連携が取りづらいみたいな話あったじゃないですか。
それをオッペンハイマーが撤廃して、自由な議論できるようにしようよみたいなふうにしてましたけど、
そういうところにも出てくるなって気がしますけど、
せっかく軍側で統制してるのに、そんなん知るかって言って、
こっちはやらなきゃいけないんだ!みたいな感じで、鍵突破しちゃうっていうのがすごいらしいっていうか。
で、ちゃんとソ連のスパイがいるっていうね。
そう、やってましたしね。
完全にあのシーンにおけるマット・デイムは完全にグチグチと文句ばっか言ってくる映画プロデューサーみたいなポジションで、
スタッフを守る側の監督であるオッペンハイマーはそことなんとか渡り合って、
より良い作品作りのために!みたいな感じに見えるよねっていう。
映画作りの話じゃんっていう。
トリニティ実験の最終の爆破実験するところとか、死者ですからねあれ。
死者ですね。
光を見るって映画じゃんっていう。映画のマジックっていう感じがすごいしましたし。
あんな風に見るんすかね。僕まず屋外で見たくなかったんですけど、あれ。
自分がやったら。放射線の存在ぐらい知ってるでしょ、さすがに。距離離れてても。
放射能の被害がどうなるかって多分あんまり当時、重視されてなかったんじゃなかったかな。
それこそX線の研究とかもあの当時、すぐ後にDNAでX線解析とかがあって、
構造がわかるっていう場面が、戦争のすぐ後ぐらいにアメリカで起こるんですけど、
多分その段階まで放射線が体に被害を与えるっていう見地があんまりなかったんじゃなかったかな。
だから結構短命だったりしたんですよ、そういう研究者が多く、なぜか。
結構日用品に放射性物質塗布してたりとか、なんか食べ物に入れたりみたいな話もあったみたいですしね。
なんかね、完全にね、これから怪奇日食でも見るぞみたいな感じでしたよね、なんかね。黒いフィルムかなんか見て。
ワクワクモードですよね。いやでも、あそこまで映画見るっぽい感じでやったんかなって。
いやそう、本当にあのトリニティ実験あたりの、うまくいくのか、いかないのかとか、押すのか押さないのかみたいな、普通にスリリングじゃないですか、ああいうの。
もうすごい出来上がるものとしては最悪なものが出来上がるはずなんですけど、なんかね、見てるときはすごい高揚感にあふれてくるのがすごくて、
でその後に映像としてキノコグモが出ていただいて、すごい複雑な感情をさらに呼び起こしたりもするわけなんで。
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美しいけれどとても恐ろしく残酷なものみたいな、っていうあれの感覚をやっぱり映画館で見れたのはやっぱりすごい良かったですね。
実際、マンハッタン計画で原爆の開発を進めてるシーン自体は楽しいものとして描いてる気がするんですよね。
なぜならオペハヤマはその時点では前向きだったから。だから国のすべてのリソースを使って技術開発を進めるの楽しすぎるってなってたと思うんです、あそこ。
だってあんな科学者としてやりがいのある状況ありますか?もう国がすべてのリソースを注いでくれてるわけですよ。
自分がプロジェクトマネージャーだから何やってもいいわけじゃないですか。まあ軍の監視はされてるけど、とはいえ実質的な部分ってほぼ全権握ってるような状態でこんな楽しいことってありますかね。
予算いくらでも使って映画撮っていいよって言われるってこんな楽しいことってありますかねって。
まあ楽しいでしょうねっていうね。
だからやっぱりあそこの前半は僕すごい楽しんで見てたんですよ。原爆が完成してからは一気に楽しくなくなって、
いやーこの会議グロすぎる、グロすぎるぞーってなってたんですけど、前半は楽しく描いてる気がするんですよねやっぱり。
それはオッペン・ハイマーの主観の話だからオッペン・ハイマーの主観ではあの頃は楽しかったって描いてるかなと思うんですよね。
それこそあの劇中セリフでもあったと思うんですけど、爆発したとしたらどうなるかわからないっていう。
世界中の分子がチェーンリアクションを起こして世界が燃え尽きるかもしれないみたいな。
発火するかもしれないみたいなことを言ってましたね。
そのセリフがあった中ででもやれるんだとやるかってなってるというか。
ほぼゼロにだけどっていう。
進歩主義の極地ですよね。やれるからやるっていう。
あとやっぱり出来上がったものが自分の手から離れて、どんどん自分とは関係ない領域で広がっていくっていうのもすごい映画っぽいなって。
映画っぽいっていうか、映画そのものだなっていう感じがすごいしたんですよね。
いろんな映画を見て感想がいっぱい出てくるじゃないですか、人それぞれ。
ある意味いろんな思想とも結びついていろんなものに広がっていったりとかもするし。
監督自身が考えてなかったことも広がっていくしみたいな。
どころともやっぱり絶対重ねてるよなっていうふうに見えちゃいましたね。
そう見えるが故にいいのかなってちょっと思うんですよね。
そうなんですけどね。
57:00
そうですね。
タオさんの言ってることにもひも付くかもしれないんですけど、
本作を見てそこから新しい意見が生まれてきそうなものには頑張ってそうならないようにしてるかなっていう気がするというか、
あくまで既存の解釈とか政治性とかメッセージにしか捉えようのないものになるように意図して気を配って作ってるような気もするかなって、
ちょっとそこまでコントロールできるものでもないんですけどね。
ちょっとそれは考えすぎかな。
少なくとも結果的にはそういうものが出来上がってるのは事実だと思うんで、監督の意図あるいは制作地の意図がどのくらい入ったか入ってないかにしろ、
出来上がったものとしてはやっぱりそのバランス感が非常に上手いところに落ちたっていうところは事実としてあるのかなとは思います。
そうですね。
一応これタオさんのお便りの流れっていうことで一旦ここで。
そうなのか。
忘れてました。
じゃあここでお便りの紹介は切っておこうと思うんですけど、どんどんお便りと自分たちからのトピックがシームレスになっていきますね。
そうですね、本当。
いいかなって最近思うようになってしゃべり始めましたけど。
我々からトピック出すとして、なんかおおよそしゃべった気もするんだよな。
ちょっとなんか1個挙げるとしたら、今今の段階で原爆的なものって何なんだろうっていうのはちょっと思ったというか、
まさに多分前回の高額起動体の時にも少しこう話したことにもつづるかもしれないですけど、
ある種現代においてこれは進歩衝撃的に進んでいいよねってなってるんだけど後々どうなるかわかんなくないっていうのって何なんだろうかっていう。
そうですね。
やっぱり原爆って科学倫理の世界においてはすごい重要なトピックだと思うんですよ。
原爆以前以後で、マンハッタン計画以前以後でやっぱり科学倫理っていうのがちょっと1個フェーズが上がったとされてるんですね。
例えば遺伝子組み換えに関しても遺伝子組み換えがまずできるってわかった段階でDNAの発見者であるワトソンなどを筆頭にして、
これは1回規制を作ろうって言って科学者が自分で規制を作ってるんですよ。
やっぱりマンハッタン計画があったからそういうことをやってると思うんですよね。
これは異常に広がったら多分危ない技術になり得るから自分たちで食い止めようかっていう。
そういうものって今何になるんだろうなってちょっと想像してみたりはして。
それとは例えばAIとかってそうなのかなとか。
そうですね。
やっぱりAIは法整備がちゃんとうまくいってないまま進んじゃってる感っていうのが結構いろんなところで歪みを感じるみたいなトピック、ニュースは結構流れますよね。
去年のハリウッドのストとかもまさにそうですよね。
そうだし、著作権の話とかもだし、なんかあの辺って結構みんな普通に使ってるけど結構ナーナーじゃね?みたいなところは多いよねっていう。
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技術の一緒か、使い方としてそこに何か規制じゃないけどルール付けて作りましたか?みたいな話かなっていうのは。
確かに単純に当時の帝国主義の延長線上の戦争だと思うんで、そこと単純に創事関係のものを持ってくるのは確かに難しいっていうのもわかると思うんですけど。
そうですね。
でも今おそらくそれに近い帝国主義というか、他国に遅れをとってはならないという意味ですごく技術開発進んでるのが多分情報関係、AIとかじゃなくてですけど。
コンピュータウイルスとかそういったものとか、ああいうのとかじゃないのかなって気もちょっとしますけど。
もはや今情報こそが世界を握ると言っても過言じゃないような時代かなとはすごく思うので、いかに他国からの情報、情報戦というかそういう情報に関する攻撃をちゃんと防御できるか、そして攻め込めるかみたいなところ。
技術はやっぱすごくやってそうな気はしますけどね。見てるイメージですけど。
技術とかではないんですけど、資本主義と民主主義でどこまで生きるかっていうギリギリを今まだずっとやってるなって感覚はありますけどね。
わりとこれらはわかりやすい限界が見えないまま、きわきわなとこでずっと実験をし続けてるような感覚はあるんですけど。
多大な被害を出しながらね。
そうですね。
ただ相対的にマシであるっていう、ただそれだけでずっと続いてる。
ただ別に現状がベストでもなんでもない、全く良くもない。
でもただ他よりはマシな気がするっていうのでギリギリずっと実験し続けてるような感覚はちょっとあるんですけど。
確かにそこはある種進歩性を申しにしてというか、そこにこそ現状よりマシだからこそ進歩性があるんだっていう前提のもので動いてるというか。
もちろん両方とも第一にというか、たぶん現在社会の基礎というかもう本当OSって言っていいほどの考え方だと思うんですけど。
確かにね。
そうですね。結構疲れるゲームに乗っかってるなって僕感覚ありますけどね。
わかりますわかりますそうなんですよ。
大事なんだけどねっていう。だからその研究倫理って観点においてはやっぱヒルの存在を描いたのは結構すごい良かったなと思って。
ラミマレックが演じてた科学者ですけど、アメリカにも原爆に反対、つまり落とすことに反対した科学者はいたし。
その後もある種オッペンハイマーを科学者の視点、要はスパイではないっていう意味で擁護するっていう立場に立つわけですけど、
1:03:05
彼がある種のこの映画の正義というか一個の指針にはなってるような気がして。
確かにね。
そこで研究倫理っていう視点で見た時に彼の存在はすごい大きかったし、原作の辞典本にもそんなに書いてないし、すごく存在感が薄い人だったらしくて。
この脚本を書いた時にオッペンハイマーとか知ってる人からよくこんな人見つけたねって言われたっていう。
そうなんですね。
結構劇中の扱いも結構ひどかったですよね、オッペンハイマーには。結構存在に扱われてましたよね、発端計画の最中とか。
落とすか落とさないかの。
署名してくださいってところとかですよね。
かと思いきやーって最後すごい見せ場を持っていく人ではありましたよね。
あの映画内で数少ない感情で動いてない人ですね。
そうそうそう。
結局ストローズのちっぽけな嫉妬の話だったっていうのって結構しょうもない話に思えてくるな、この話みたいな風にちょっと思うというか。
原爆の恐ろしさがちょっと柔らげたというか、普通のちっぽけな男のそういった話だったねっていうふうな着地に落ち着くのかなって。
なんかちょっと腑に落ちねーなーみたいな感じは多分大石さんがちょっと触りの感想でチラッと言ってたようなことなんかなーって思ってたんですけど。
いや、まさにまさに。なんかそうなんですよね。
だからちょっとこうモータルとサルエリみたいな。
まあ、重ねてるって言われてますよね。
癒やしい靴屋って言ってましたからね、自分で。
なんかそういう描写があるんですけど、やっぱオッペン・ハイマーのものが、確かに軽く見れるというか、僕ら凡人からすればストローズの方が多分わかりやすいじゃないですか。
意味では1個代入できる視点が増えたのはいいのかもしれないし、あとオッペン・ハイマー自身の、さっき言ったようにひどい人なんですよね、オッペン・ハイマー。
人格者としては。
それを、まあでもそこを評価してたわけじゃないからちょっとなんともなって思うんですけど。
なんかだからちょっとやっぱノイズ感は否めないんだけど、入れようとした意図はわかるというか。
でも確かにオッペン・ハイマーだけにした方がより多分神話的にはなったと思う。うっちゃ思うっていう。
一番相対的に、てめえそんな神話になるような男じゃねえぞ感というか、って言ってくる人の代表格ではあるので。
あってはいいんですけどね。私あの、実はすべては俺の策略だったんだって言ってるときぐらいの畳みかけるような返事、好きですよ。
1:06:01
ああ、すべて俺の手の内だぜって言ってる感じっていうのはすごくね、見てて盛り上がりはするんですけど。
僕ちょっと今の認識少し逆で、ストローズの恨みの話になる方が神話っぽいなって思ったんですよね。
だからそのオッペン・ハイマーっていう人間がアメリカの原子力開発から排除されていくのが本当に社会からの政治力学によるもので排除されている方がより生々しいポリティカルな話だと思うんですけど、
そういう個人の、個人的な恨みであるとか嫉妬みたいなものから走ってる方が神話っぽいというか、感情に収束していくっていう感じが神話的というか、
一応な登場人物の中だけで回る方が戯曲的っていう感じというか、誰かの意図によって世界が動いているっていうものに近づくじゃないですか、その方が。
はいはい、確かに確かに。
それってすごい神話的だと思うんですよ。なんであの人が動物に変えられたんですかって、ゼウスから嫉妬したからですみたいな。
すごいしょうもない理由の感情的な理由でそんなことになってるみたいなのは確かに神話っぽいか。
特に神話の中でもゲリシャ神話っぽさですよね。
その政治的な事情、あるいはその時代背景みたいなものとかって泥だと思うんです。泥臭い部分だと思うんですよ。
あんまりそういうのじゃないものを描くのがクリストファー・ノーランという作家っていうイメージ。
上層にいる人たちの思惑で世界が動いている、その人たちが例えば善と悪を対立させてたりであるとかっていうのをするっていうのが神話的なもの。
それを描くのがクリストファー・ノーランっていうイメージ。
それからその下々の人々がより集まってなしている世論のようなものであるとか、あるいは政治とかそういうものは泥臭くて生々しいものであまりそこにフィーチャーしない。
もっと概念だけを中心としてその概念を個人が背負ってそれらを対決させる。
それが神話的なものなんじゃないかなと。
個人が何かを象徴するのが神話だと思うんで。
でも個人が何かを象徴したりしないのが現実じゃないですか。
っていうふうな解釈を僕はしました。
だからストローズの生になる。
なぜならオッペン・ハイマーという個人、力を持った個人、罪を背負った個人とそれと対になるストローズっていう人間の対立軸。
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対立軸って神話。
その構図が神話であるってことですね。
対立という構図が。
確かにそうです。
対立軸というよりかはオッペン・ハイマーは自分のその罪悪感をストローズに埋めに行ってもらってるというか、むしろ自ら首をもたげに行ってる感というか。
ぜひとも私を追板でくださいと言わんばかりの。
そうですね。
ちょっとなんかどうでもよくなってる感感じるんですよね。
だから僕なんかあれ、これ話しょうもないなみたいなふうに思っちゃったのは多分そういう理由から。
なんかだから対立軸っぽく見えてやっぱり小物なんですよね、ストローズね。
そうですね。
小物じゃんっていう。
そうですね。
なんかちょっとそのロバート・ダウニー・ジュニアのアイアンマン、異作面の時の小物感がしっかり今回あったなと思って。
そうですね。
あんまりちょっと言いたくはなかったんですけど、正直アカデミー賞の受賞式の時のあの態度と今回のストローズ、まんま一緒じゃね?ってくらい。
正直。
まんまその通りな人だったなみたいなふうにちょっと思っちゃいましたけど、正直。
だからなんか本当、アベンジャーズシリーズ演じてたらスターク社長って本当なんか彼そのままだったのかなってちょっと思っちゃったというか。
ちょっと思っちゃいましたね。
そこまでちょっと重ねるのはどうなんだって。
もちろんもちろん。
結構なんか通るものあるなってちょっと思っちゃいましたね、正直。
さっき帝国主義っていう言葉が出たりとか、あるいは進歩主義っていう言葉が出たりとかして、そういう国家間の競争が臨界点に達した一つの節目として原爆が現れてきたっていうふうな感じなのかなって思うんですけど。
じゃあどこまで遡ったらこれを止めれたのかなっていう。
オッピンハイマーがいたからとかじゃないとは思うんですよ。
オッピンハイマーじゃない人がそろしただけだと思うので、じゃあどこまで戻るのかなって。
第1次大戦が起きなければいいのか。だからヒトラーが政権を取らなければいいのかとか。
あるいはその1次大戦が起きなければいいのかとか。
そうじゃなくて、もっともっと戻っていったら、じゃあフランス革命が起きなければ国民国家ってできませんよねとか。
産業革命が起きなければ資本主義ってここまで拡大しませんよねとか。
あるいは大航海時代が生まれなければ、こういう植民地主義って生まれなかったんじゃないかとか。
じゃあどこまで遡ったらいいの。どこからこれが始まったのってなると、結構わかんなくって。
オッピンハイマーだけが原因じゃないんです。全員でここまで持ってきてるんですよね。バトンを。
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それをすごい考えちゃう。もちろん直接的に関わった人の罪っていうのはあるんだけど。
じゃあどこからってなる。
罪のない人なんていないなって思うし、原爆を作った側、落とした側の理屈があるっていうことも本作の映画からは伺い知れる。
マチェスに先越されるよりはマシでしょって言われたら、確かにそうかもねとはちょっと思っちゃう部分はある。
じゃあ広島長崎の人たちに落とされるべきだったのかって言われたら絶対にそうじゃないんですよ。
それをすごく考えてしまったんですけど、だから正直もうさかまぼることはできないじゃないですか。
だからこのバトンが繋がっていく流れの中で、次の原爆じゃないことをさせないために何がいいのかなって。
原爆じゃないにしても、遺産のことは世界中で起きてるわけですよ。原爆じゃないだけで。
それにどう寄与したらいいのかなっていうのを、今そこで起きてる当事者の人たちだけが悪いんじゃないとは思うんですよ。
もちろん悪いんですけどね。当事者も悪いんだけど、繋がってきてるものもまた悪しきものだから。
その鎖を少なくとも我々は遺産の歴史を知ってるから、じゃあその鎖次に繋げたくないよねって。
じゃあ何するのって言われたらわかんないんですよね。
オッペンハイマーっていう映画に脳を突きつけることはできるんですけど、そうじゃないことを起こさせないためにはどうしたらいいかっていうのが僕にはわからないんですよ。
厄介な話しましたね僕。
そうですね。でもめちゃくちゃ重要な話だと思います。
そうですね。ちょっとここで一本映画を取り上げたいんですけど、初代ゴジラ。
初代ゴジラの話、僕何回もしてますけど、やっぱり傑作で、初代ゴジラの傑作なのは原爆の被害を受けた側も描いてるんですけど、原爆を落とす側の真理もあるんですよね、あの映画の中には。
それがセリザー博士であり、オキシセンデストロイヤーっていう兵器なんですね。
で、セリザー博士はあのオキシセンデストロイヤーを絶対に使いたくなかったんですよ。作ったけど。
作ったけど使いたくなかった人で、あれって原爆級のとんでもない兵器なんですよね。
海中のサイエンスを全て破壊してって、あの一体の海の中の生物全員死ぬんですよ。
恐るべき兵器なんですけど、彼はそれを作ったんです。なぜなら作りたかったから。
でもそれによって何がもたらせられるかっていう恐ろしさもわかってるんです。
彼の中に原爆を落とす前と落とした後のオッペンハイマー両方がいるんですよね、セリザー博士の中に。
オキシセンデストロイヤーは核兵器とほぼイコールの存在だと思うんですよ。
1:15:03
でも彼はオキシセンデストロイヤーを使うんですよね。
なぜならそれをしなければ今度こそゴジラに東京が破壊されるからなんです。
その恐怖は原爆を落とした側の恐怖でもあるんです。
正直アメリカの事情はあんまり区別できないと思います。ほとんど日本に勝ってるわけだから。
でも落とした方がより早く終わるよねっていう理屈は禁止しない部分ではないわけではない。
とにかく自分たちの国を破壊されたくない、自分たちの国民に死んでほしくないっていう理屈が進んでいった先に、
じゃあオキシセンデストロイヤーを使いますっていう選択肢があるっていう。
でもそれをゴジラによって被害を受けた東京の人々と同時にやるんですよね。
ゴジラに襲われる人々とオキシセンデストロイヤーを使う人っていう視点がゴジラの中に両方あって、
これってとんでもないことだと思うんです。
ゴジラが人間じゃないからそう見えてないだけなんです。
ゴジラが人間だったら結局第二次世界大戦の写し鏡になっちゃうんですよ。
すごい映画で、やっぱりオッペンハイマーとか、あるいはこれも何回も言ってますけど、
ゴジラマイナス1になかった部分がある映画だと思うんですよね。初代ゴジラは。
被害を受ける側であり、加害をする側にもなり得るっていう。
それが核兵器の恐ろしさであり、戦争の恐ろしさですよね。
なので、その上で、でもやっぱもう嫌だよねっていうためにはどうしたらいいのかっていうんですよね。
やっぱり僕ら映画が好きなので、どうしても映画の力を信じたくなっちゃうかなと思ってるんですけど、
それこそ今年のアカデミー賞で結構それ、特に戦争っていうテーマって大きなテーゼだと思うんですよ。
例えば、今度公開になりますが、ドキュメンタリー賞を取ったマウリポリのドキュメンタリーだとか、
あるいは今後日本公開されるはずの関心領域もそうだと思うんですけど、
たぶん戦争っていう理由をつけて、僕らがいかに人を傷つけうるかというか、
人を殺してしまうっていうのがいかに行われていることを当たり前にできてしまうかっていうことを、
たぶん描く作品が今年のアカデミー賞で結構多かったなと思うし、
それは現在進行形でそういうことが世界で起こっているからだと思うんですよね。
で、もちろんそこに対していろいろな意見があるし、実際アカデミーの中でも結構意見が割れているわけですけど、
やっぱそれを何だろうな、真摯に見続けるしかないんだろうなとは自分自身は思ってます。
いかにそれに、もちろんアカデミーの中でもどちらに側を支持しますみたいなことを表明したりとかっていうのもありましたけど、
自分がそれを表明できるかっていうと、そこまでやっぱり知識もないし、投資者性もないから難しいんですけど、
でもやっぱりそれは間違ってるよねっていうのを、しっかりさっきの泥臭さを見て学ぶ。
1:18:06
たぶんノーランがオーペンハイマーで描かなかったことは、たぶんマウリポリのホールはおそらく描かれてるはずなんですよね。
おそらくそれって、一種ちょっと思うのは、物語として受け取ることもできるんだけど、
現代においてはたぶんドキュメンタリーがほぼその役割に徹してるというか、もはやそれは手に取るような近くにあるじゃないかっていうところだと思うんですよ。
ゴジラの中で、ゴジラの当時はおそらく映画ってメディアだったはずなので、
その物語の中で真実とその中に入るものっていう生々しい泥臭いものを描くことっていうのが、たぶん一種の王道としてあったと思うんですけど、
現代いろんなメディアがあるので、とにかくそれを、もちろん自分の心が疲れない範囲内で摂取していく。
で、どこまでは良くてどこまでは間違ってるかっていうのは自問自答し続けるしかないのかなとは、なんかすごいありてえなあれなんですけど、
それをたぶん伝えていったり、対話していったりっていうのを本当に地道に続けていくしかないんじゃないかなと僕は結構思ってはいます。
そうですね。いやー険しい道ですよね。
険しい道です。
たぶん特にゴジラが公開された当時は、制作人も観客も戦争体験が生々しかったわけじゃないですか。
だからこそあの描き方で、これが戦争のことを描いている、何なら第二次世界大戦の太平洋戦争のことを描いているってことがわかるわけですよね。
だけど僕らは戦争体験をしていないわけじゃないですか。
であった中で、例えば原爆の恐怖も確かに当時あるいは冷戦時に比べたらすごく遠くにあるし、戦争というものが世界で起こってるけど自分の身近ではないって中で、
それをどうすれば生々しく接し続けられるのかっていうのはちょっと難しいこと、難しいお題なんじゃないかな。
まあでもやり続けるしかないんですけど。
より険しい道になってるんだろうなと思います。
そうですね。やり続けていくしかないかなっていうのは一つあるかなっていうのと、
オッペン・ハイマーっていう作品に関してなんですけど、
オッペン・ハイマーっていう一本の映画が全てを語り尽くせる必要はないとは思うんです。
原爆を落とした側の理屈であるとか、オッペン・ハイマー個人の罪っていうものにフィーチャーした作品でしかないかもしれないですけど、
もちろんそうじゃない側面もある作品ですけど、
そうじゃない作品はオッペン・ハイマー以外の映画がなしてる、
あるいは映画以外の何かが成し遂げてるかもしれないと思うので、
そこを広く見ていくというか、
一本の映画が全てを語り尽くせてないっていう風にならなくてもいいのかなっていう風に僕は思います。
だからこそ僕は前回のオープニングでも話したんですけど、
1:21:01
オッペン・ハイマーを見るっていう体験は特に日本人においては、
これを見た後に何を語るかだと思ってるんですよね。
近しい人だったり、一緒に見た人だったり、あるいはオッペン・ハイマーを別々に見に行った人と、
この映画についてどう語るかまででやっぱり鑑賞体験になるし、
多分そうじゃないと昇華しえない作品なんじゃないかなと思ってて。
この作品があえておみっとした文脈であったりとか、
あるいはこの作品の中で初めて知った事実だとか、
あるいはオッペン・ハイマー個人の人生だったりとか、
科学倫理だったりとか、そういういろいろなこの中で、
ある種掘り下げないけど触れられていたことっていうのを濃度的に埋めていく体験そのものが、
映画体験なのかなとは思います。
確かにそうですね。
こうやって劇中で描かれてなかったことを話すことで、
我々が掘り起こしていってるわけですし、
この原爆を落とす側の視点を描いた映画を、
日本でこんだけ広く見れるように作った、
ノーランの力っていうのはやっぱりすごいなって思わされるなと思います。
この映画を否定したとしてもね、
それでもそこにその語りが生じることには価値がある気がします。
わかります。
そりゃそうです。
だからこそこの映画に関しては好き嫌いはそれぞれ皆さんあるかなとか、
僕自身もそうだと思うんですけど、
でも本当の意義みたいなのはその先にあるというか、
どこが受け取りづらくて、どこが飲み込みづらくて、
どこが面白くてっていうところ。
それこそすごいこの映画が今見られる意義なんだろうなと思いましたね。
いやなんだろう、どう締めたらいいかわかんないです。
どう締まるべきなんだろう。
いやでも終わらないんですねきっと。
語り終わらないんだろうなとは思って。
締めくくったらダメなのかなって気がして。
わかりますわかります。
確かにあの映画、
オッペハイマー自体は今後世界にとんでもないものを残してしまったんだなっていうことを見ますけど、
あれ見えてる以上のことがもっと起きる可能性って全然あるわけで、
あの積み勢はまだまだとんでもなくでかいぞっていうのはやっぱあるので、
あれはもうある意味語り終わってない話ではあるなっていうふうにすごい思うんですよね。
見えてるものは全てではなかったと絶対思います。
なので語り続けましょって感じですね。
しまったかな、これでしかないかな。
それ以外締めの言葉が出ませんでした。
いいと思います。
じゃあそんな感じでオッペハイマーの話は終わっておこうかなと思います。
で、次回パストライブスでいいんですかねこれは。
はい、ぜひ。
1:24:00
思います。
ですかね。
ストライブスがそっか次の週なのか。
じゃあなんかあれですね秒速5センチメートル見に行ったのは良かったんだな。
おっしゃる通りですよ本当に。
全然気づいてなかったですけど。
良かったんだろうなこの流れ。
映画館でその2本が同時に上映している状況が奇跡ですからね。
やっぱりそうだ。
まさに劇中の言葉だけでイニョンを感じます。
そうですか、そうですか。
なるほど、アイアンクローとかブランドンクローデンバーグのやつとかもちょっと気になるんですけど。
この3人やったらパストライブスかな。
マリオさんのためにはパストライブス。
僕のためにですか、ありがとうございます。
でもアイアンクローめちゃくちゃ気になってるんですけど。
そうなんですよね。
これ嘘やなっていうかこの男らしさの話全開じゃないですか。
その歪みの話でしょっていうので気になっていますけどね。
ちょっとオープニングとかでもしくはフラリラさんにも見てたらちょっと語ってみたい作品ではありますけど。
基本はじゃあパストライブスで行きましょうか。
ではお知らせになります。
映画の話しさせられれば次回は4月27日土曜日開催予定です。
場所は大阪の南森町週刊回り19時オープン23時クローズです。
そして映画の話しさせられれば次回東京開催は5月25日土曜日の予定です。
場所はイベントバーでにっぽり18時オープン23時クローズです。
大阪震災橋で毎月第2第4火曜日に山口が店長をする月にバーちょっと映画の話でもんも合わせてお願いいたします。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体や次回テーマに向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報番組次回テーマXにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話しさせられれば次回ラジオ第161回オッペンハイマーの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
さよなら。
01:26:39

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