00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や企業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各協会のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
そんなに多くはないよね。
うん。
元祖の赤と白の、いわゆる昔のアメリカみたいな感じのデザインのお店の、
すごいシンプルなハンバーガー屋さんなんですけど、
めっちさんも行きます?たまに。
いや、大好きですよ。
大好きですよね。
まあ、位置的には日本でいうところのモスバーガーとか、
ちょっとマクドナルドとかよりはちょっと高いけど、
新鮮な感じで、みたいな位置付けじゃない?そんなことない?
マックより安くないですか、最近。
あ、そうなの?
まあまあまあ、物によりますけどね。
すごいシンプルな、だいたい3種類ぐらいのメニューしかなくて。
そうだね。フレッシュでいいもの作ってるっていうイメージだよね。
ポテトとかも丸々一個凍らせないやつをくるくるくるって切って、
そこで揚げてくれるようなやつなんですけど、
遅ればせながら、最近ですね、プロテインスタイルにハマりました。
03:04
あー、俺食ったことないわ。
あ、ないですか?
プロテインスタイルとは?
イネラウトに来て、
えっと、Can I get a protein style?
と言うとちょっとかっこいいので、
ちょっとプロテインスタイルをゲット。
この間話した、なんだっけ、オーバーハードLAだっけ?
カリフォルニアのちょっと、なんていうの?
健康意識高い系。
普通のハンバーガーっていうのは、
バンズ、パンが両側に挟まっていて、中にお肉が入っているという感じなんですけれども、
そこのパンの部分がなくて、その代わりにレタスって挟んであるというものがプロテインスタイル。
見るからに食べにくそうなんだけど。
あれね、めちゃくちゃおいしい。
あ、そう?
レタスの量もかなり多くて、
バンズもおいしいんですよね、イネラウトの。
私すごい、ああいうなんか、うさぎが食べる野菜みたいなのが好きなので。
あー、なんか言ってたね、野菜をボリボリボリボリ。
そうそうそう、野菜が好きな人には超たまんないぐらい、
ほんと5枚ぐらい大きなレタスで包んでくれてて、
で中にお肉とかソースとかチーズが収まってる。
あーそう、じゃあ今度食ってみようかな。
ちょっと重いかな、今日イネラウトっていう時とかは、
プロテインスタイルとかにするとめっちゃおいしい。
まあでも行くときはね、もう今日はがっつりジャンク食いてっていう時だからね。
あー、わかる。
ダブルクダサイみたいな。
そんな時にレタスで挟むなと思うけど。
そうね、ちょっと私あの、引っ越したところ歩いて3分ぐらいのところにイネラウトがあるので。
あーやばいね、それやばいやつだ。
やばいやつだからちょっとね、そうなんです。
ああいう小ネタでした。
まあちょっと、ほんとでもね、カルフォルニアとかアメリカ来たら一度は食ったほうがいいハンバーガーですね、これは。
はい、インエンドアウトバーガーでございます。
はい。
では本編に入っていきたいと思うんですけれども、
毎回ですね、一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語。
今回はアメリカのNFLでチアリーダーをされています、ホンダケイコさんのインタビューの2回目です。
はい、フロリダジャクソンビルジャガーズというチームのチアリーダーをしてらっしゃるケイコさんのお話なんですけど、
先週はね、チアリーダーってなんだ?みたいな話とか、
お尻のトレーニングを重点的にしているとかいう話とかあったんですけど、
今週はですね、先週もちらっと言いましたけど、35歳での挑戦というNFLチアリーダーにアメリカに渡ってきたのはそういう年っていうことで、
06:02
それまでどういうふうな経緯でね、来たのかなっていうのをちょっと伺っております。
では聞いていただきましょう。
はい、ちょっとじゃあ幼少期のお話から少しずつ伺ってもよろしいですかね。
はい。
一応ね、ケイコさん、実は実はと言われてもないですけど、
ウィキペディアに出てるので。
よくご存知ですね。
いや、調べたら出てきたので、これ皆さんも多分見れるはずなので、興味ある方はね、見てもらえたらと思うんですけど、
神奈川県横浜市出身ということで。
はい。
ちなみにどんな幼少期を過ごされていたかってザクッと伺ってもいいですか。
そうですね、もう結構元気いっぱい常に運動してる子でしたね。
ちなみに運動って言うと部活動とか。
はい、部活動もそうですし、体育は語以外取ったことがない。
とにかく体育が得意で。
身体能力が高いってやつですね。
そうですね、幼稚園の年中から高校3年生まで1回も欠かさずにリレーの選手だったらしい。
あとは横浜市、あ、旭区だ、私旭区、横浜市旭区出身なんですけど、
旭区の区の大会で小学校の時に、
あれはでも小学校1年生とかだと思うんで、50メートル走がそんなに長い距離ではないんですけど、
メダルを持っていたり、
とにかく走るのが早かったですね、足が速かった。
へー、そうなんだ。
そうですね。
ちなみに部活動は何をされてたんですか。
小学校の時はミニバスしてましたね。
中学ではスキー部。
そんなのあるんですか。
スキー部が私立に進学したので、あったんですよ、その学校に。
小学校の時から父がよくスキー場に連れて行ってくれていたので、
家族でスキーによく行ってたんですね。
なのでスキーがすごい大好きだったので、
それでスキー部に入りましたね。
ちなみに先週もチラッと言ったんですけど、
09:00
クラシックバレーも習っていらっしゃって。
はい。
それは4歳からって書いてありますけど、ずっとそれも続けていらっしゃったんですか。
それはクラシックバレーは10年間してました、4歳から14歳まで。
中学校の2年生くらいまで。
はい、そうですね。
そっかそっか。
え、じゃあそんな感じで、チアリーニングっていうか、
その前のあれだな、その頃の夢とかってあったりしましたか。
小さい頃の夢はフライトアテンダントですね。
おーCAさん。
はい。
なんかでも女の子っぽい感じですね。
小学校の。
その夢はずっと、小学生の時から社会人になるまで、
きれいなことなくずっと同じ夢を持ち続けてました。
あ、そうなんですね。
はい。
で、そっちの方向にでも進んでいくんですか。
いや、トライしたんですが、
合格することができなかったので、
うーん。
一旦諦めました。
なるほど。
はい。
ちなみに、チアリーニングに出会ったきっかけみたいなのもちょっと聞いといてもいいですかね。
はい、一番最初のきっかけとしては、
高校、違う、大学受験の時に、
大学の文化祭に行きますよね。
見学に行くじゃないですか、大学の。
で、その時にやっぱりね、チアリーダーブって花形なんですよ。
あー、日本の大学でもそうなんですね。
結構そうで、入ってすぐのところで、元気いっぱいに迎えてくれて、
それまですごい受験で、もう心身ともに疲弊していて、
もう疲労困憊みたいな状態で。
ちなみに高校3年生の、いつぐらいだ、秋とか?
そうですね、それくらいですね。
疲れてるし、浮かれかな、どうかな、勉強もつらいな、みたいな状況で、
文化祭に行って、その子たちを見て、すごい元気もらったんですよ。
この世界は、と思って。
すごいびっくりして、
こういうのがあるんだな、みたいな。
全然知らなかったので。
それが一番大きなインパクトだったんですけど、
その後にもう一回定備で、
NHKとかでね、よくチアリー、それこそさっき話した、
12:04
自分が選手として出る大会ですね。
はいはい、チアリーリーグの大会ね。
そう、チアリーリーグの方ですね。
チアリーダー、そうですね、チアリーリーグの大会のテレビ番組を見て、
またそれでもすごく、こうなんて言うんですかね、衝撃受けたというか。
それは何?かっこいいなって思ったこと?
いや、かっこいいなと思いました。
これがこの前、その文化祭で見た子たちなんだと思って。
あんまりそれまで知らなかったというか、
そこまで自分の周りでチアリーダーっていなかったので。
確かにね、スポーツの試合を見に行かない限りあんまり見ないですよね。
触れる機会がなくて、
実際自分の目で見て、テレビでも見て、
その後にさらに私が本気でチアリーダーになりたいって思ったきっかけが、
安田愛さんっていう方がいらっしゃるんですけど、
元NFLチアリーダーの方で、
その方が海外のNFLで活躍されてるっていう番組を見たんですよ。
ドキュメンタリーみたいな?
そうですね。特集されていて、
こういう人がいるんだなって。
海外でこうやって活躍してる人が、しかもチアリーダーで。
しかも最高峰ですよね。
そうですね。
それでもう私これ大学に入ったら絶対やりたいって思ったんですよ。
それが一番最初のチアリーダーをやりたいって思った時のきっかけですね。
まあでもだから、ダンスは一応バレエはやってらっしゃったから、
イメージはついたんですか?なんとなく踊れるかなみたいな。
イメージはつきましたね。
ちなみに一般的にチアリーダーになる道っていうのは、
高校からそういう部活があったりするとこもあるんですかね。
今の子たちはもうキッズからやってます。
そういうのあるんだ。
でも先ほどオンラインで教えてらっしゃるって言ってました。
2歳とかそれくらいからやってる子たちがすごく今多くて。
それ日本でも?
日本でですね。
最近は小さい頃からチアリーダーを習い事として始める子がすごく増えてますね。
でもスポーツリーグも増えたし、JリーグとかBリーグとか。
憧れの職業みたいになってるってことなんですかね。
15:02
女の子としては憧れっていうのはあると思いますね。
私の時はそういうのが全然なかったので、
学校にチアリーダー部があった子は、
おそらく中学とか高校から始めたのはそのきっかけだと思いますね。
なるほどね。
でも恵子さんは大学入ってから見て衝撃を受けたチアリーディング部に実際入ってチアリーダー部ですか?
いや、入らなかったです。
入らなかったんだ。
あれ?
なに?
入らなかった。
入らなかったけどチアリーダーになりたかった。
なんで入らなかったかっていうと、
私が進学した大学のチアリーダー部がちょっといまいちだったんですよね。
イメージしてたのと違った。
高校に見に行ったときと違う学校なんだ。
そうなんですよ。
その大学に入りたかったんですけど、入れなくて落ちちゃったんで、
違う大学に行ったんですよ。
そしたらイケてねーって思っちゃったんだ。
そしたらちょっとあれーってなって、
私が見たのと違うってなって。
ダンスサークルに入りました。
大学の中でのダンスサークルですね。
ずっとクラシックバレーをやっていて、
中学高校で少し離れてしまったので、
大学に入ってからまたダンスを始めたいっていう気持ちがあったんですね。
その中でダンスサークルの演技を見て、
こっちの方がいいなと思ったんですよ。
こっちの方が自分のダンス力を磨けるなと思って。
それはどういう種類のダンスなんですか?
私がやってたのはジャズダンスです。
なるほど、じゃあそのダンスサークルに入りつつ、
チアリーディングは特にやってなかった?
はい、やらなかったです。
もう大学ではダンスに専念しようと思って、
ダンスサークルに入って、ダンスレッスンに行って、
っていう日々を過ごしてました。
で、その後は?
その後は就職しました。
じゃあ、社会人に一回なって。
はい、そうですね。
ウィキペディアにも出てるんで言っていいと思うんですけど、
商社に勤められちゃったってことですね。
はい、そうですね。
で、そこからチアリーダーに、
どこかのきっかけでなっていくわけですよね。
はい、きっかけは、社会人になってから、
社会人3年目くらいの時に、
18:02
仕事にも慣れてきて、
マンネリ化した日々に。
何か新しいことを始めたいなっていう、
余裕が出たんですね。
何か挑戦したいなと思った時に、
自分が大学に入ったら、
チアリーダーをやりたかった気持ちを思い出して、
チアリーダーって社会人になってもできるのかな?
っていうところから、いろいろリサーチ、
ネットで調べて、
今のチアリーダーになるきっかけとなった、
応援のチアリーダーがあるってことを知ったんですよ。
競技のチアリーディングじゃなくて、
スポーツチームの応援のチアリーダーですね。
それで、富士通、実業団のチームなんですけど、
富士通チアリーダー部のオーディションに合格したのをきっかけに、
チアリーダーを始めました。
それは会社に勤めながらってことですか?
はい、そうです。
当時は、今もそうだと思うんですけど、
富士通の社員と外部のメンバーとで構成されていたので、
私は外部として受験していたので、
違う会社に勤めながら、富士通のチアリーダー部で活動していました。
それはオーディションがあるってことは、
やっぱり練習をしたってことですか?
そうですね。
どういうオーディションなんですか?
ちょっと過去の記憶なので、あんまり明確には思ってないんですけど、
ダンスですね、とにかく既定のダンスと、
フリーダンスだったと思います。
なるほどですね。
ただ、私はチアリーダーの経験が一度もなかったので、
よくわけがわからないまま受けてましたけど、
ただ、やっぱりダンスをずっとやっていたので、
その経験がすごく活かされて、
とにかく踊れればOKだったので、それでパスできましたね。
いやー、でもやっぱりまだ、まだじゃない、その他にも、
エネルギーを与えてくれるような、
けいこさんもね、今ちょっとズームでね、
喋ってますけど、やっぱりこう、なんか元気をくれる気がしますもん。
そうですか。
そういうのがあるんでしょうね。
ありがとうございます。
じゃあそこで、念願のというか、ずっとやりたかったチアリーダーが。
はい。
それはでも、仕事しながらだから週末とかに、
21:05
試合に行ってみたいな感じなんですか?
平日は夜に練習があったので、
仕事をしてからそのまま練習場所に行って、
練習して、
確か週2か週3くらい。
おー、結構きついですね。
週末も練習です。
で、試合がある日は試合に行って。
はい。
なかなか、あれですね、大変な。
かなり大変でした。
週位っていうよりももっと枠超えてますよね、それはね。
そうですね、ハードな日々を過ごしてましたね。
まあでもそれはお給料も出るわけですよね、チアリーダーとしての。
いや、その時はもうほぼボランティアでした。
そんな感じなんですか?
そうですね。
そうか。
はい。
大変だわ、そりゃ。
で、そこからまだアメリカに来てないんですけど、
アメリカに来るきっかけっていうのは何かあったんですか?
そうですね、アメリカを目指す機会になったのは、
2018年にプロボールといって、
NFLのオールスター戦があるんですけど、
それに出演する機会があって。
それは日本で?アメリカで?
アメリカでです。
というのは当時、HISという旅行会社ありますよね。
HISさんがチアリーダーとかダンス経験者向けに
プロボールに参加できるっていうツアーを組んでたんですよ。
私はそれに参加して、参加する特権として、
実際にプロボールチアリーダーからダンスを教えてもらうことができる。
あと実際にプロボールのフィールド、
フィールドで踊ることができる。
この2つの大きな特権があって、
それで日本から参加していた子は結構いたんですけど、
その2018年に1回参加して、
それで初めてプロボール、NFLチアリーダーですよね。
出会って、それがきっかけとなって、
NFLを目指すことにしました。
それは何か感じたんですか?
こういう大きなところでやってみたいとか。
見た瞬間に、そのNFLチアリーダーのオーラとか、
かっこよかったし、
受けたインパクトが本当にすごい衝撃でしたね。
わーすごい!って思って。
で、また実際にプロボールの大舞台で、
24:03
大慣習の中で踊って、
今でもその光景が目に焼き付いてますけど、
そうですね、忘れられない思い出ですね。
本当にね、花形中の花形をずっとやり通してきてる人たちばっかりですもんね。
2018年って言いましたよね?
ごめんなさい、2008年です。
2008年、びっくりした。
2008年ってめっちゃ最近ですよね。
私がNFLチアリーダーになったとすれば。
そうですよね。
2008年にそういう経験をされたってことね。
プロボール。
その10年後に夢が叶ったという感じですね。
そこで一旦見て、それは旅行の一環だったから、
衝撃的な映像を心に焼き付けつつ日本に帰って、
ずっとそれに憧れは止まなかったって感じなんですかね。
そうですね。
それはずっと探してたんですか?
なるべくどうしたらなれるんだろうみたいな。
常に調べたり研究してました。
それで、いろんなBリーグとか、
バスケットボールチームの日本代表のオフィシャルチアリーダー。
これ、あかつきベニューズというんですかね。
あかつきビーナスです。
ごめんなさい、あかつきビーナスですね。
としての活動もされていらっしゃったということで、
この辺はフルタイムで働きつつなんですか?
そうです。ずっとフルタイムで働いてました。
すげえ。
タフですね、それは。
タフな日々でしたね。
満員電車に朝、仕事終わってからそのまま練習場所に行ってたので、
朝、満員電車の中、すごい大荷物を持って会社に行って。
なんなら部活やってる高校生とか中学生とか。
そんな感じでした。
でっかい荷物を背負ってますよね。
社会人になってもそんなことずっとやってます。
そうですか。
すごい。
すごいですね。
普通に社会人になって、
恋愛だったり、夜の街に繰り出してみたいな、
そういうものじゃなくて、部活動。汗流してみたいな。
そういう感じですね。
東京ですかね?
27:01
はい、東京です。
そうですか。
で、そこからNFLに入るきっかけってのはどんなもんだったんですか?
実際に夢が叶うときですね。
そうですね。私1回、2010年だったかな、11年だったかな、
そのあたりに一度挑戦してるんですよ。
書いてありますね。2010年度にNFLサンフランシスコのトライアウトに参加する。
もうセミファイナルで落選。
そうですね。
40ナイナーズ。
それが初めてのNFLの挑戦だったんですけど、
やっぱそのときはちょっと本気度が足りなかったというか、
そうですね、受かればいいなーくらいの気持ちで行ったので。
でもセミファイナルまで行ってるってことでもすごいっすよね。
いやーすごくないですよ。やっぱり合格しないとね。
なので、そのときはダメで、
あとちょっと自分の力不足をすごい感じたので、
これは日本でもっと修行を積んで、力をつけて、
もう1回アメリカに挑戦しないとダメだなと思ったので、
日本のプロチームにもう一度所属して、
いろいろ実績とか学んで、
で、もう一度挑戦しました。
そのときはでもちょっとずつ給料をもらえるようになってたりとかもするんですか?
そのときもほぼボランティアみたいな感じなんですか?
プロチームだったので、バスケは少しはもらえました。
でもそのモチベーションキープするのも大変そうですね。
そうですね。それでね、やっぱり
フルタイムジョブ並みのお金がもらえるわけではないので、
お小遣い程度なので、そこはもう全くのモチベーションにはならないですね。
結構な時間を使ってってことですもんね。
そっか。それでじゃあ一旦力をつけようと思って、
もう1回やり直そうって思ったのが2017年。
それが18年。
17年に決意して、18年にトーナメントして合格した。
それはなんかもう自分の中で、これはもういけるぞとか、
今しかないみたいなそういうのがあったんですか?
そうですね。今しかないってもう決定的に思ったのが、
一番最後に日本代表、暁ビーナスに合格したときに、
30:03
一度私も諦めてチアリーダー引退しようって思ったんですよ。
なんですけど、もう私は結構年も年なので、
ここの辺でもうちょっとピリオドを打って、
違う、第二の人生じゃないですけど、
違うことを始めようかなって思ったんですけど、
暁ビーナスに合格して、
日本代表になれたら、やっぱりこの先は世界目指すしかないなと思って、
あれ?ここで終わったらもったいないなと思ったんですよ。
せっかくずっとその夢、世界に行きたいという夢があったのに、
諦めかけてて、そこでまたその気持ちがガーってすごい勢いで上がってきた。
自分の中で盛り上がってきちゃったの?
そうですね。行けるかもって思ったんですよ。
すごい自信がついて、これは多分行けるなみたいな、
なんかすごい根拠のない自信が沸き上がってきて、
多分自分の中では、今までもそれまでも結構アメリカを意識して、
頑張ってたので、それで日本代表のチームに合格したっていう、
そこがすごく大きかったですね。
でもやっぱりスポーツ選手はね、もっともたるものなんですけど、
その年齢的なものっていうのもあるんですかね?
体力の衰えとかみたいなそういうことがあるんですか?
そうですね。一応年齢制限はないんですけど、
体が動いて、見た目もそれなりでっていうのであれば、
若いほうが?
若いほうがいいと思いますけど。
ちなみにその世界に挑戦したっていうのは、
ちょっと年齢を聞くのもあれですけど、今ウィキペディアにも出てるんで、
聞いてもいいですか?何歳の時だったか。
はい。35歳の時に挑戦しました。
なるほど。それはそれでね、すごいでかい決断ですよね。
そうですね。仕事も辞めたし、
全てを捨ててアメリカに来たっていう感じですね。
周りの人とか親御さんとかもね、
心配っていうか、
うちは大反対でした。
ああ、そうですか。
説得するのが大変でしたね。
それはでもアメリカに行くのが危ないとか、
そういう心配が大きかったのかな。
そういうのもあるし、今までキャリアを捨ててっていうのも。
33:00
それもありますね。
まだやるの?っていう感じですか。
もう十分でしょって。
日本代表にまでなってまだやるのって、
それはなるわな。
もうね、親も辞めるのかなって思ってたところで、
海外行くよとか言い出して。
はーってなりますよね。
いやーでもかっこいいっすね。
そこでまた挑戦する、けいこさん。
じゃあちょっとね、今から
次のセクションに入っていきたいと思うんですけど。
すごいですね。
かっこいいよね。
挑戦してダメでもまた挑戦してみたいなところもかっこいいね。
なんか、まっすぐだよね。
ほんとね。
喋り方とかそういうところからも伝わってくる。
そうですね。
直線みたいな感じ。
なんかね、もう一個びっくりしたことがありましてね。
私の同じ大学の
同じサークルの先輩でした。
まさかの。
まさかの、え?さおるちゃんは何?
ダンスサークル?
サークルに一人の時だけだったんですけど、
所属していたので、
全く同じ系列の先輩でございました。
偶然に同じくアメリカで。
すごい、でもすれ違う。
同じ時期ではないから。
時期は違うので全く関わりはないと思うんですけど。
でも同じ場所で
あれだよね、勉強してってことだね。
で、今同じタイミングでアメリカにね。
すごいね。
なんか嬉しいです。こんなに活躍されてる先輩がいらっしゃるなんてね。
いや、さおるちゃんも活躍しているのでね。
いやいや、全然ですけれども。
いやー。
なんかすごいここらしくなりますよね。
そうだよね。
うん。
すごいすごい。
なんか大荷物背負って電車に乗ってさ、
仕事終わってから部活みたいに通ってっていうのが話がさ、
しかもさ、あんまり金もらえないっていうね、
ボランティアみたいなもんですよみたいな感じで。
そのモチベーションっていうかさ、
36:02
モチベーション。
それがすごいよね。
ほんとそうですね。
お金じゃなく。
あとパッション。
そうそう、パッションそのものだよね、憧れというか。
いや、それが一番強いですけどね。
そりゃ輝くわ。
ほんとよね。
汚れないよ、それは。
いやー、ほんと。
ね。
ずっと60とか70になってもあんな感じでピカピカされてるじゃないですか。
そういう方ってね。
いやー。
だなー。
でもそれが他の人にエネルギーをくれるんだろうなー。
あー、そうそうそう。
それぐらいパワーがないと、あんな大勢の会場で輝けないですよ。
そうだよね。埋もれちゃうからね。
埋もれちゃうよね。
うん、ほんとほんと。
なんかもうこの白い歯っていう、CMに出てきたような。
わかる。
キラキラーっとした感じの。
かっけーなー。髪長くて、いろんな色に染めたりとか。
腹筋バキバキ割れてるからね。
かっけーなー。
かっけーなーしか言ってねーけど。
そんな。
そうなのよ。そうなんですよ、でも結局そこなんですよ。
まあね、でも努力して夢を叶えたという。
だから何度目、2度目の挑戦ってことですよね。
1回はオーディションは落選ってことだったんで。
そうですね。
で、次回はどんな内容ですか?
はい、でそんな感じでね、もう掴んだこの夢。
まあお母さんにはまだやるの?と言われながらも、アメリカに飛び立ってしまったけいこさんなんですけど。
まあその仕事の掘り下げですね。チアリーダー、アメリカでそのチアリーダーとして活躍する。
まあ仕事の対する姿勢とか、ポリシーとかね。
モチベーション、その辺の深掘りをして、まあ落ち込む時もありますよっていう話とかね、そういう時はそんな話を伺っております。
楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報。
いよいよ。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカロサンゼルスよりお届けしてまいりますが、
はい。
39:00
今日はですね、ちょっと新しい試みでお届けしていきます。
そうですね。ちょっと説明を軽くすると、
18歳、19歳のサーファー5人、幼馴染の5人が千葉県からサマーキャンプ的にアメリカに来ていた。
わー、楽しそうやな。
楽しそうやね。
まあ僕の幼馴染じゃないんですけど、その5人が幼馴染ね。
はいはいはい。
で、その子らとちょっと喋る機会があったので、
ちょっと面白いかなと思ってインタビューをさせてもらっちゃったっていうのを流してみたいと。
一応ね、海外に飛び出してみたっていう。
飛び出してみたっていうところで、この番組のコンセプトにも合うなと思ったので。
いいじゃないですか。
ただね、ちょっとあったのがモールの中のスタバでね、
ちょっと後ろに音楽が流れていてちょっと聞き苦しいかもしれませんが、
面白いと思うので。
緊張感あって。
そうですね。聞いてもらえたらなと思います。
はい。
じゃあ俺からいきます。
ケイです。
ジンです。
シュウエイです。
トムです。
レアです。
レオくん。
レアです。
レアくん。かっこいい名前だね、皆さん。
えっとね、じゃあちょっと最初の質問からいきなりいきます。
今回アメリカに来てやりたかったことを順番に言ってってもらっていいですか。
食べちゃいそうな。
食べたかったこと。
来る前に。
来る前に想像してたこと。ハンバーガー食いたいなとか。
インナートバーガー食べたかった。
食べた?
食べた。マジめちゃくちゃ美味しかった。
インナートバーガーの存在を知ったのがアメリカで知ったから。
千葉のラジオでやってて。
そうなんだ。
インナートバーガーアメリカで。
うまいよね。
それは夢が叶ったね、とりあえず。
だいぶ叶った。2、3回くらい行って。
その他は?
いろんな町々で雰囲気が全然違ったりするじゃないですか。
そういうのも見てみたいなと思いました。
それは見れたの?
見れました。
どう感じたの?
共通することは活気があるなと思って、街に。
食事のお店の中もそうだし、こういう場所も常に音楽流れてたりとか。
でもあれか、日本はまだマスクしてたりするのかな?
全然してる。
確かにそれはあっきりかもね。
コロナの雰囲気はだいぶ、アメリカはコロナの雰囲気ではないかなっていうのは。
42:01
そうだよね。今から帰るとまた大変だね。
マスクしてるほうがいいねみたいな。
そうだよね。
それは最初驚いたかもね。
確かに。
他にアメリカに来てやってみたかったことは?
まずは俺たちサーフィンしたかったよね。
そうだよね。
こっちの有名なサーフポイントでサーフィンしてみたいっていうのが。
それはどこですか?
トラッセルっていうか、トラッセルの中でもアッパーとローワーってあって。
まだローワーは行ってないんですけど、とりあえずアッパーで入って、
日本にはない波をやってみて、やばいなって。
いい波乗れましたか?
めっちゃいい波です。
とても嬉しそうに。
俺も乗りたいわ。俺も行きたいわ。
そんな感じかな。次の質問。
カリフォルニア最高じゃんって思えたことなんかありますか?
波乗りも一つだと思うけど。
車がめちゃくちゃ歩行者優先なところが。
歩いてても向こうが止まってくれるとか。
自分たちの住んでるところはなかなか信号がないと渡れないから。
全然違うなと。
嫌な顔されないし。
あと天気。
晴れが多い。
晴れが多いのと湿度が低いから気分がいい。さっぱりしてて。
ベトベトしない。
汗かかない。
暑いんだけど日本の暑さとはまたちょっと違うみたいな。
街に芝生がめっちゃ多い。街並みが綺麗だよ。
カリフォルニアの女の子はどうですか?
びっくり。最高。
一番可愛い。ビューティー一番すごい。
それで言うとめっちゃ可愛い子が多いと思って来たんですよ。イメージで。
来てみたら俺日本人の方が好きかなって逆に気づきました。
あれそうなの?
人によって。
逆にこっちの子可愛いなって思いました。
日本人とどう違う?
コミュニケーション取れてるから分かんないけど。
コミュニケーション取ろうとしてない。
ファッション。
芝生は骨格が違うよね。
身長とかも自分より高い人とかも。
余裕で偉大多いから。
そりゃそうだよね。
女の子も割とボーンって感じだもんね。
合体がめっちゃ良かった。
俺よりも全然。
結構みんな知らない人でもめっちゃ気さくに話してくれる。
45:02
フレンドリーだね。
コミュニケーションが良い。
一旦コミュニケーションがある。
それは確かにこっち来て驚いたことの一つかもしれない。
それは海の中でも?
海の中でも割とそうでしたね。
入ってすぐだもんね。
俺たち友達できたのが経緯で。
じゃあ次の質問。
まだ来て2、3週間?2週間くらい?
2週間。
2週間くらい?
自分の中で、これは帰ってから感じるかもしれないんですけど、
何か変わったなとか思うことはありますか?
自分の中でっていう?
自分がね。
日本に来た時と違う?
でも意識っていうか、英語に対して。
英語が最初来た時よりか聞き取りやすくなった。
最初来た時っていうのは一番最初に来た?
一番最初に、初日よりも店とかで注文する時とかはコミュニケーション取りやすい。
耳にスッと入ってくるようになってきた。
ファストフードとかも自分で英語でオーダーできてるってこと?
はい。
変わったことっていうより、英語を喋れるようになったらもっといいなっていうのは考え方が変わります。
使えるようになって、もっと使えたらもっと面白いな、喋れたらもっと面白いな。
じゃあもうちょっと勉強してみようかなっていう気になった?
そういう気持ちが。
確かにね。伝えたいもんね。
勉強しようとは絶対。
聞き取りたいし、理解したいっていう。
話したいしね。
ナンパができない。
最初の会話くらいならできるんだけど、その後の深い話しかできないよね。
そうだよね。
でもね、モチベーションはそういうのでね。
上がってるよね。
他にありますか?自分で。
日本にいた時は考えられなかったようなこと。
日本だと同性愛とか全然表に出さない。
スーパーとかアウトレットとか行っても全然出さない。
見ないけど、自分たちが見てないだけかもしれないけど、
こっちに来てすごい人を見て、あんまりこっちだと隠さないっていうか、
みんなオープンにしてて、他の人もそれを受け入れてるみたいな。
48:02
それが全然違うなって感じて、価値観が変わった感じがあった。
それは、もっとオープンにした方がいいなって思えたってこと?
そうですね。
結構そういう人は少ないと思うんですけど、
だけど、そんなにそういう人たち、日本の雰囲気だと過ごしづらいんだろうなって感じました。
周りもね。
そうだよね。ほんとオープンだよね。
同性愛の人たちだけじゃなくて、みんな自由に自分のやりたいことをやらせてもらえるように。
じゃあもう一個質問。ちょっとベタですけど、みなさんの夢を一人ずつ順番に。
仕事とかじゃなくて、こうなりたいなみたいな。
理想の将来図。
将来図。やってみたいことでもいいんですか?
何でもいいよ。
じゃあ名前が忘れてたけど、こっちから順番に。
じゃあキャプターからいく?
決まった人から。
誰でもいいよ。
どうぞ。
あ、しゅうへいです。
世界一の旅に行きたくて。
バックパック背負って?
そうですね。バック一つで行きたいな。
それは本当に若いうちにやったほうがいいですよ。
年取るとね。
だから早めにお金貯めていきたいです。
いいね。
俺も彼と一緒なんですけど、二人で世界一周行こうって話してて。
俺も世界一周行きたいなって。
3人で。
俺も世界一周行きたいなって。
仲間外で。
世界一周行きたいなって。
それは若いうちに一回はやっていきたい。
自分はちょっと似てるんだけど、いろんなとこに行って。
サーフィンもそうだし、いろんな場所によって文化とカルチャーが全然違うと思うから。
いろんなとこに行って。
アメリカで2週間来ただけでもいろいろ感じることがいっぱいあったから。
他のいろんな国に行って、いろんな場所で価値観も変わると思うし。
51:04
そのためには英語はマストだなってことで、英語を勉強して。
みんな英語の成績が上がりそうですね。
学校もう終わったのか?
学校成績とかないけど、自分で上げていくしかない。
いいね。
俺もみんなと似てるんですけど、何がしたいっていうのはまだ決まってはないからこそ、
自分でいろんなとこに行って、国に行って、いろんなものを自分の目で見て、
本で読むとかインターネットで見るんじゃなくて自分の目で見て、どう感じたか感じて、
これがしたいなと思ったらいいなって思って、いろんな国に行きたいなって思ってます。
素晴らしい。
どっちかっていうとその逆の人が多い気がするよね。
ネットで見て知ってるから、アメリカって言っても別に俺知ってるしみたいな人が多い。
知ったけんやっちゃうよ。
自在になれたから、逆に見て感じてみて。
触ってみて感じてみてってことね。素晴らしい。
じゃあ最後に締めよう。
今大学行ってて、もともとアメリカ来る前からスポーツの関係の仕事をしたいって思って、
そういう学部で勉強してるんですけど、
こっち来たらスポーツに関わりながらも海外とかでそういう仕事できたらいいなってぼんやりですけど、
思うようになりました。
ぼんやりと言いつつも一番具体的だよね、今のところ。
素晴らしいと思います。
でもだんだん色んなものに触って感じて具体的になってくるんだと思うけど、
そのために世界を見たいと思うんだけど。
じゃあ最後にこれ多分ご両親とか保護者の方とかも聞いてくれたらいいなってことで、
メッセージをお願いします。
なるほど。
か、サリさんとかもいいし。
大人に?関わってくれている大人にしたら?
ここに今回来れたお金とかも多分ご両親が出してくれてる。
自分で稼いだっていう人いる?
すごいね。
じゃあいいか。
でも今まで育ててくれてるしね。
送り出してくれたっていうことでメッセージをお願いします。
じゃあマザコンの…
マザコンじゃないけど。
面倒向かって言えないかもしれないけど、これだったら言いやすいし、そんなことない。
マザコンってメッセージ?
めっちゃ恥ずかしい。
恥ずかしいっていうか…
あ、そうなの?
54:01
恥ずかしい。
英語で言ってもいい?
一番英語じゃない。
ママ愛してる。
パパ愛してる。
それだけ。
トクリ大丈夫ですか?
いや、じゃあ俺いいっすよ。
自分は結構中学生くらいから海外行く機会が多かったんですけど、
やっぱ自分の子供を一人で海外に行かせるとかって結構不安とかが多いと思うんですけど、
今までそういう経験をさせてくれたりとか、
俺が海外行きたいって言った時に協力してくれたりとかして、
自分も子供ができた時に海外に行きたいとか言った時に送り出してあげれるような親になってあげたい。
大人みたいなこと言うね。
この後にが重いぞ。
じゃあ俺はずっと好きなことを、自分サッカーやってたんですけど、
好きなことをずっと19歳までやらせてもらえたことが当たり前だと思ってたんですけど、
それは当たり前なことじゃなかったから、
育ててくれたプラス、そういう風にやらせてもらえたのは感謝かなって思いました。
素晴らしいですね。
自分は千葉の内房の方に住んでて最初、小学校低学年まで住んでて、
親がサーフィンが好きってことで千葉の市宮ってところに引っ越したんですけど、
自分はその時からサーフィンとか全然知らなかったんですけど、
親両親のそういう選択、引っ越すのとかって結構重い選択だと思うんですけど、
引っ越して、今その行動がなかったら今アメリカに来ることも絶対なかったし、
サーフィンもここまでやってないと思うし、
そこに引っ越したことで周りのいろんな大人の人の提供とかで、
いろんな経験をしてる大人たちがいっぱいいて、海外に行ったことある人もいて、
そういうのを教えてくれる大人にも感謝してるし、
そのきっかけをくれた親にも感謝してるから、そこがすごいありがたいなと思います。
57:03
素晴らしい。
じゃあ俺でいいですか。
19歳くらいになっても何も決まってないんですよ、進路が。
でも何も言わず海外に好きなとこ行ってきないみたいな。
普通だったら働けとか言うじゃないですか、大学行けみたいな。
でも自分の道だから何も言わない、ってか応援してくれる。
それがとても感謝してます。
なるほど。ありがとうございます。
ラップで言ってみる?
こいつラップうまい?
難しいな。
親にメッセージか。
言いたいこと?
いい意味で、ほっといてくれたっていうか、
何するにもマイナスな発言じゃなくて、プラスな発言してくれる?
なんかしたいって言ったら、何て言うんだろう。
これしてきたらもっと楽しくなるんじゃない?みたいな。
プラスな発言して、出送ってくれた?
見送ってくれた?みたいな。
日本語下手になった?
感謝しています。
引っ張ったね。
ありがとうございます。素晴らしい内容でした。
はい、いかがでしたでしょうか。
若者5人のね、ちょっと照れくさい感じの受け答え。
楽しんでいただけたらいいなと思いますけど、
これから活躍する若い人たちに世界をたくさん見てほしいなと思うということで、
このコーナーが続くかどうかわからないですけど、
そんなコンテンツでお届けしたリアルアメリカ情報でした。
1:00:07
締めのコーナーです。
質問、私から。
どうぞ。
最近、ネット通販で買ったものは何ですか?
Amazonの履歴を見ないといけないかもしれないけどね。
あれ買ったかな?
ちょっと最近ね、服を買い始めたよねっていうのが一つと、
この間あれだな、シェーカーを買ったな。
お酒の?
シャッカシャッカシャッカシャッカシャッカってやるやつ?
っていうのが、この間大輔くん家に行ってさ、
あそんでさおりちゃんへのメッセージってことで歌を買ってたんですけど、
その時にシェーカーがあって、これいいじゃんって思って、
一人だからギター弾きながらシェーカーを振れないんですけど、
誰か来た時に一緒にできたらいいなって思って。
買ったはいいけど置いてあるっていう。
まさかの、やっぱミュージシャンの人は考えることが違いますね。
そうだな。
全くそんなの、たぶん人生で考える、シェーカーを買おうって考えることって一回もないだろうなって思う。
この間はカホーンっていうポコポコ叩く太鼓も買ったじゃないですか。
それもさギター弾きながら叩けないからさ、誰か来ないと使えないんだけど。
楽しい。
早く誰か来ねえかなって感じですけど。
さりきさんのね。
さりきさんのね。
私はお買い物カゴを買ったんですよ。
カゴといっても、お買い物したものを入れてゴロゴロって押せるお買い物カートみたいなのを買って。
これもたぶん、日本ではあんまり使う機会がないのかなと思ったんですけど、お水とか重いものを買うじゃないですか。
外から家に運ぶやつか。
そうなんです。ただこれ今までいらなかったんですよ。っていうのも一軒家に住んでたから。
一軒家の場合ってやっぱり家の横に車止めて、それただ中に運び入れればいいんですけど、今マンションに住んでるわけですよ、アパートメントにね。
そうするとですね、通車場から部屋までが遠くてですね。
結構歩く距離があるところに位置してるわけね、部屋が。
あるんです。そうなんです。そうするとですね、これは非常に必要でして。
1:03:02
なるほど。
折り畳み式のゴロゴロカートというものを買いまして。
どんなやつ買ったの?プラスチックの?
いや、たまたまとなりなりになるけど。
おばあちゃんのカートみたいな。
鉄?それ鉄だよね。
折り畳みでゴロゴロゴロっておばあちゃんが日本語を引いてそうなやつですね。
俺も持ってたな、それ俺も。やっぱりアパートに住んでた時期は使ってたよ。
めっちゃ便利やなと思って、そういうとこ無理しないほうがいいなって思いました。
あ、そうっすか。でもそれ持ってそのまま買い物しても便利かもね。
でもそれはそれで車に積めないか。
あ、そうそう、確かに。
積むときに大変か。
そうなんですよね。
本当にどうでもいい小話でございました。
あ、でもそれ大事ですね。
はいはい。
特にないですけど。
アメリカってさ、結構まとめて買い物しない?大量に。
そうでもない?
ちょこちょこ行きたいけど。
ドリンクとかをさ、大量にまとめて買うとそういうの絶対欲しいもんね。
コスコとかで一気に買う人多いですよね。
そうだよね。
まあすいません。
引き延ばしてもしょうがない話でしたけど。
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はい、今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
また来週お会いしましょう。
はい。