00:00
聴くNIKKEIリスキリング
はい、こんにちは。NIKKEIリスキリング編集長の桜井洋です。
この番組は、変わりたい組織と成長したいビジネスパーソンをガイドする
NIKKEIリスキリングに掲載した記事を深掘りしたり、ビジネスパーソンの学びに役立つお話をお届けしたりするポッドキャストです。
編集チームのメンバーやゲストの方とちょっと横道にもそれながら、ビジネスに役立つ楽しいリスキリング情報を提供いたします。
今回はアスリートやアーティストなど異分野で活躍する方をお招きし、ビジネスパーソンにとっての学びのヒントを探る異分野トークシリーズです。
お話を聞いていくのは、北京五輪男子400mリレー金メダリスト浅原信春さんと、コミュニティーエディターで元Jリーガーの曽田雄志さんです。浅原さん、浅原さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
浅原さんは言わずと知れた方で、そして曽田さんもこの番組に何度も登場していただいたコミュニティーエディターの。
お馴染みになりつつありますかね。
お馴染みになりつつ。コミュニティーエディターってちょっとなかなか紙…大丈夫ですか?
コミュニティーエディターです。
それ一般的なんですか?コミュニティーエディターって。
コミュニティーエディターとはですね、初めて日経りスキリングの中で作った役職でして、
いわゆる普通の編集者エディターじゃなくて、コミュニティーエディターなので人と人を結びつけるという役をですね、曽田さんにやっていただいて。
まさしく普段からね、やってますもんね。
ありがとうございます。拝命いただきまして。
浅原さんからもお勧め付きをいただきました。
じゃあオフィシャルで。
オフィシャルで。
オフィシャルをね、名刺か何かに入れなきゃいけないですね。
あ、そうですよね。名刺作りませんか?
そうですね。ぜひお願いします。
コミュニティーエディター名刺。
配ります。
浅原さんといえばですね、日本陸上界全体のパイオニアでもあって、そして100mのパイオニアでもあって、
ずっとパイオニアパイオニアというふうに、いろんな記事でですね、書かれていて、そういうご立場でずっとやっていらっしゃって、
そして我々の、僕もドンピシャリで、ちょっとだけ年下ですけど50歳でほぼ同じ年代なんですけども、
2008年の北京五輪の400、100×4のリレーで、アンカーで、バーンとこう、このバトン。
どこ行ったんだバトン。
情熱がね、ほとばしりましたね。
忘れられないです。何回もそれでまたもう一回見ました。
ありがとうございます。
まさに100mをずっと牽引されてきた浅原さんですが、ビジネスパーソンとしての顔もお持ちなんですよね。
ビジネスパーソンというか、ずっと大阪ガス株式会社の陸上部として、先週時代はやってまして、
03:04
引退してからも大阪ガス、今は大阪ガスネットワークなんですけど、グループ会社にいてということで、
サラリーマンしながら、曽田君とかと一緒にいろんな社会貢献活動とかもやってますし、いろいろ興味を持ちながら、やらしてもらってます。
リスキリング、きょう聞く日系リスキリングというポドキャストなんですけど、リスキリングという言葉はいかがでしょう。
最近聞くようになりましたよね。私たち世代もそうですし、多分若い世代のリスキリングというか、非正規から正規社員になるためのリスキリングとかもあるじゃないですか。
最近よく聞くワードだなと思ってます。
浅原さんご自身の最近も含めた活動がリスキリングとどうつながっていくのかというところをコミュニティエディターに翻訳をしていただきながら進めます。
前半と後半に分かれてまして、前半のほうはですね、100メートルって何?
100メートル競争って何?というところをちょっと伺いたいなと思っているのと、あとは出会いでいろいろ人はどうやって変わっていくのかとかですね、そのあたりは前半で伺って。
後半はもうミドルの星浅原さんという、そういうリスキリングをされてどうやって体力はとろえると思うんですが、そこをどうやって技術等々で補いつつ、どうやって高めていくか。
まさにビジネスパーソンにうってつけの話になるかなと思ってますので、前半後半そんな感じでよろしくお願いします。
では前半ですね。ちょっとチラッとウィキペディアで見たりですね、あとは曽田さんに伺ったりもしてたんですけども、その100メートルに関して、僕ずっともう100メートルエリートの方だなと思っていたんですけども、意外と実はいろいろなことされてきた。
競技スポーツでいうとハンドボールを3年間中学でやって、高校に入って陸上始めたんですけど、初めは走れ幅跳び専門で、専門というか走れ幅跳びと走る方も一緒にやってきて、あるタイミングでスプリンターに特化したという感じです。
なるほど。タイミングはどういうタイミングだったんですか?
怪我です。踏み切り足が左足で、踏み切り足の左足のくるぶしの骨折という疲労骨折をしましたので、それが治るまで踏み切るのはちょっと怖いということもあって、ずっと離れて、時が経つ間にスプリントの方にずっと注力していって、
06:15
走れ幅跳びの方からちょっと未練がなくなったというか、もう年も年だったんで、特化してスプリントの方に行こうかなというのでやったということですね。
なるほど。100mのオリンピック、オリンピアンという印象がすごく強いんですけど、オリンピックはどういうタイミング、どれくらいで意識をされたんでしょうか?
大学の2年生くらいからですね、大学の2年生にバルセロナオリンピックがありまして、私はバルセロナオリンピックに出れなかったんですけど、当時付き合ってた彼女がオリンピックに行きまして、メダルを取って帰ってきまして、
私の今の奥さんなんですけど、そこぐらいからやっぱり本気でオリンピックを、次の24歳なんでね、24歳でオリンピックでメダルじゃなくて出場しないと、もう28歳では遅いっていう感じなんですよ。
当時はね、28歳ぐらいだったらもう引退の時期なんで、なので次のオリンピックで出場しないと、もう一生オリンピックには関われないということで、意識というかちょっと覚悟を決めて競技に励み始めたっていう感じでしょうか。
何と言われたんですか、当時の奥様、当時の彼女か、今の奥様。
何と言われたか?
オリンピアンに朝原さん、オリンピアンの火がバッと灯ったでしょ。
何と言われるかっていうかは、できたらバルセロナのオリンピックも一緒に行ってほしいと言われてたんですけど、一緒に行きたくて簡単に行けるもんじゃないので、私は選考会全然ダメで、彼女は普通に行って。
メダル取ってからは、もうその後オリンピック出てないんですよ。もうすぐにシンクロの世界から出て、新しい自分のセカンドキャリアの方に歩んだんですけど、そこから僕の方が本格的にやり始めたっていう感じになりますね。
なるほど。結構だから、それ出会いで変わっていくという。
ハンドボールっていうのも、おそらく楽しかったからやっててみたいなことですよね、最初スタートは。
最初はそうですけど。
その後厳しいチームだったみたいなことをお伺いしたと。全国大会に行って、なのに陸上に転校されて。
で、怪我っていう風もあったと思うんですけど、短期旅に中力されるようになって、それで大学に行って。
09:04
なんかやっぱり、ハンドボールでも陸上でもレベル高いところにもちろんずっといたと思うんですけど、そのポテンシャルだったらもっと早く本当に世界を目指すとか、
グッと中力してもおかしくないような環境なんじゃないかなってアスリート心理的には思うんですけど、
まだまだ、こういう言い方ちょっとしてるかもしれないけど、ちょっとまたほんわりしてたのかなっていうか、そういう安原さんでもやっぱりポテンシャルもあったのと、
そういう人との出会いというかね、奥野さんとのご縁というので、そこで遅咲きだと思うんですよ、普通でいうとスイッチ入るのは。
そう、遅咲き、最初僕タイトルは遅咲きのスプリンターというタイトルかなと思ってた。
なんでもっと早く目覚めないんだみたいなこと言われてもおかしくないような気もするんですけど、そこからがすごいですよね。
そうですね。これ聞いてる方々、ビジネスパーさんが多いんですけども、どうやって自分のスイッチを入れるのか、あるいは入るのか。
自分のキャリアをどうやって作っていくかって結構モヤモヤしてる人がいると思うんですけども、結構参考になるなと思って。
出会いとかでキャリアって大きく変わるっていうところを、すごく今のエピソードってそうなんだなと思って。
どうでしょうね、ご自身のキャリア振り返りってのは、出会いとキャリアって。
まあいい言い方で言うと、たぶん謙虚なんだと思います。
自分で謙虚という言い方始める。
悪い言い方で言うと、自分に自信がなくて、インターハイでは優勝してるんですよ。
ただ優勝して、それでじゃあオリンピックだとは全く思わずに、上には上がいて、またオリンピックっていうのは全然違う世界で、自分にはあんまり関係ないなっていう風な考え方を当時はしてましたんで。
あんまり自分のレベルから飛躍して、すごいところにすっとぶような思考回路ではないのは確かなんですよね。
謙虚ですね。
謙虚ですよね。
だから謙虚同士、仲良くさせてもらって。
あれ?ついでに謙虚になってる。
謙虚同士。
それでお前にどう話をさせてもらってるんだって今、再確認しましたね。
今日のテーマって謙虚でございます。
謙虚でございます。
朝日さんが書かれた新書、黄色い。
幻灯車。
幻灯車の何マネジメント?
肉体マネジメント。
肉体マネジメント。
肉体マネジメントを読ませていただいて、確かに謙虚なんですよ。
謙虚ネタいいですよ。
書き方が。
文字にも現れてた。
解読しました。
最初の本ですね、北京オリンピックの時のプレッシャー。
あれ僕読んで、自分が本当に胃がつかまれるぐらいの書きぶりだったなと思って。
読んだ僕でさえそうだったので。
12:02
今振り返ってと言っても、16年前ですけども。
聞いてらっしゃるビジネスパーソナルの方々も、いろいろプレッシャーのかかる中で結果を出さないといけないことってあるんですけども。
そのあたりに参考になるように。
プレッシャーへの向き合い方、朝原龍みたいなのがありますか。
あの時はでも逃げ出すこともできないですしね。
やらないといけないのは確かなんで。
苦しいのはもう苦しかったですね。
特に予選でメダル圏内に入ってたんですよ。
これまでオリンピックのリレーで、決勝で普通に戦えばメダルが取れるっていうところにいたことがなくて。
ペッキンの時はそれが初めてだったんですよね。
しかも私の引退が決まっている最後のレースで、それが来てるんで。
これで失敗したらとか、後悔するような走りをしたら、一生引きずって背負っていかないといけないっていう。
周りの期待もそうだし、自分の人生のことを考えても結構大事なポイントというか。
ここを外すと一生これを背負っていくっていうタイミングだったので。
緊張しないわけにはいかないというか、その緊張から逃げることもやっぱりできないので。
若い頃だったら勢いで行けたかもしれないんですけど。
もう当時36歳で、気合だけではやっぱり体持たないんで。
なんとかしてその決勝に最後の10m、力尽きずに走り切れるかとか。
いろんなことを妄想しながら、予選終わってからの時間を過ごしてました。
僕も聞いていいです。
オリンピックなので日本代表として、国を背負って決勝で走るっていう責任っていうか。
それと記録上メダルを取れる可能性もあって、結果を出さなければいけないとか出したいっていう責任と期待みたいなことと。
あと個人もラストのオリンピックであろうというタイミング、引退も迫っているということで。
自分の人生としてここをやり切らなければいけないみたいな、重圧みたいな。
なんか3つぐらいあんのかなって聞いてて思ったんですけど。
それがもう常に入り混じる感じがする。
やっぱり日本を背負うってことが一番大きいとか、自分のキャラのことが一番気になってたとか。
プレッシャーの大きさでいうと、どんな割合だったって今思うと。
日本代表にはもう慣れてたって言うとちょっと怒られますけど。
4回目のオリンピックなので。
それは当たり前のように日本代表ということで、全力を尽くすっていうのはそれは当たり前なんですけど。
15:04
それプラスやっぱり人生の最後のレースとしてっていうのは、私にとってはすごく大きかったですよね。
これで引退って決まってたんで、この後の人生を考えてもこれを失敗するかどうか。
世間の判断する失敗とかじゃなくて、自分がやっぱりこれが失敗かどうかっていうのは決めることじゃないですか。
そこが本当に悔いのないような走りができるかどうかっていうところで、
次のセカンドキャリアじゃないですか、そこも関係してくるんじゃないかなっていうのもあったんで。
そこが結構重圧ではありましたね。
自分のことなので、ある意味すごくいいプレッシャーでもあると思うんですよ。
例えば過度に日本を背負いすぎて、日本のことを意識しすぎて自分の力が出ないっていうんだと、
すごくもったいなさも感じると思うんですけど。
自分の人生のことを考えて考えて、次のキャラのことも考えて、それで固くなるとかプレッシャーを受けるってすごくいいなと思って。
ビジネスマンの方ってやっぱりどうやら会社を背負うこともすごく多いじゃないですか。
経営者の方だったら社員のこととかひも付く家族の方々のこととかを過度に背負いすぎるみたいな。
それによって自分の力が出せなくなるみたいなこともあるとすると、
なんか自分のこととか自分の人生だけを優先するとなんかちょっとエゴっぽくなりますけど、
でも結局自分の力が発揮されないと最大限チームにも貢献できないじゃないですか。
みたいな境地っていうのはやっぱりアスリートは経験してる人結構いるでしょうし、
安田さんはそこを乗り越えたから結果にもつながったのかなと思ったんですけど。
そう思った過程がありましてね、それ前年に2007年ですね。
大阪世界陸上っていうのがありまして、地元の来年東京世界陸上ありますけど、東京でオリンピックもありましたけど、
地元の開催、地元というか自国開催の大会に自分が出る選手として出るっていう確率がかなり低いんですよ。
それが私の元気中に訪れて、大阪世界陸上では何としても応援してくれる人たちに自分の勇姿を見てもらいたいとか、
そういう思いで、プラスそこでリレーのメダルが欲しいっていうことで臨んだんですよね。
結果、私はもう応援してくれる人たちから逆にパワーをいただいて、それで満足して、そこで一回もう辞めようかなって思ってたんですよ。
なかなかオリンピックで区切るっていうのもいいんですけど、自国開催の世界大会で辞めるっていうのも一つの引き際なんですよね。
18:06
私はそういうふうにも考えていたので、その後にもう一回オリンピックに挑戦しますってなったとき、
じゃあこのオリンピックはどういう位置づけにしようかなって思ったときに、やっぱり自分の競技のずっとやってきた節目にしたい。
だから記録とかメダルっていうのはもちろん目標にはあるんですけど、辞めるためのというか、自分が引退していくための、
これまでの陸上人生に蹴りをつけるっていうあれですけど、そこから次のステップに行くための一つの大きな試合だったっていうふうに考えていたので、
まさしくさっきの質問というかね、曽田君の話と一緒で、もともとそんなふうに考えて臨んだ試合だったんですね。
僕なんかオリンピックも出たことないですけど、オリンピックに選ばれて、オリンピックのことも選んでるみたいなことですよね。
辞めたかもしれないけど、自分の人生のことを考えて、陸上界のことも考えられたかもしれないですけど、それでオリンピックを選ぶみたいな。
なんかある意味、究極のエゴはものすごく非エゴにつながるみたいな、そんな感じがしましたけどね。
でも選ぶって言われても、選考会に勝たないと選ばれないんで、そこは一か八かの世界で、2007年の大阪で辞めとけばよかったって、北京に行ってなかったらね、なったかもしれないんですよ。
失敗する可能性は大いにあるんで、もう35歳、6歳なんで。
そうかそうか。世界陸上後に、じゃあ朝野原、北京オリンピックを目指すっていうふうに出て、でも結局選考で選ばれなくて。
そうそう、負けちゃったら。
それでそのまま終わっちゃったわけですもんね。
そうです。それだったら、せっかく地元であんな声援を受けて辞めたのに、あの時に辞めとけばよかったってなる可能性もあったんですけど。
すごい、なんかいろんな人のこう、なんですかね、ものすごく究極の個人競技のように見えて、なんか全然違う気がしました。
やっぱりなんか個人のやる気もそうですけど、周りの応援とかそういうのがないともうね、35で冬が結構きついんですよ、練習がね。
それを耐えて、シーズンに入ってまた選考会ワーッてやらないといけないってなると、パワーが必要だしサポートとか周りの熱も必要な競技で、まあなんでもそうなんですけど。
21:04
会社のリーダーもすごく同じでしょうね、そこはね。
キャリア減れば減るほど、まあ応援されるってことに対する感謝深まったりとかしますよね、なんか今まで見えなかった部分を見れるようになったりとか。
なんかそうですね、これこのままずっといきたいんですけど。
なんかピカって、この赤いのがつくと、あと5分ですよ。
ちょっと待ってください、まだ前半。
もう一つね。
沈黙のプレッシャーを。
沈黙のプレッシャーを与えてくる。
静かに光るんですね。
静かに光るんですよ、視界に光る。視界にだけしか見えない。
ピンワンですね。
もう一つ前半を伺いたいなと思ってたのが、後半にも通じると思いますけれども、
本とかも読ませていただいて、変化というものに飛び込んでいく姿勢がすごく強いんだろうなって思って。
ビジネスパーソンもいろんな、本当にビジネス状況がどんどん変わってるので、変化も激しいですし。
結構躊躇しちゃう人が多くて変われない。
若い人もそうだし、ミドルシニアもそうだし、変われない。
変われない自分なんですけども、変化に飛び込む流儀バイアサハラ流みたいなのがもしあれば考えたいなと思って。
海外にも積極的に行かれてますしね。
それはどこから湧いてきてるのかはちょっとよくわからないんですよね。
なぜかハンドボールも3年間で全国大会に行ってるんですよ。
でもあっさり辞めちゃうんですよね。
次の陸上始めるっていうのも何とも思ってなくて。
普通だったら全国大会に行ったら、高校でハンドボール続けてもうちょっと上にとか思うかもしれないんですけど、そういうのもなかったんですよね。
ちょっと変わってるのかもしれません。
参考に。
力み感がないし、だから自分の中央っていうかニュートラルみたいなのを多分持たれてるので、
入ってくるものとか出てくるものっていうのが何かしらのセンサーでジャッジャーされてると思うんですけど、
これは大事にしてるものだから手放したくないみたいな個室みたいなエネルギーが本当にないですよね。
廃棄堂でスッときてこれパッてまた受け流してっていう。
でもきっとそんなひょうひょうとしたのでもない?
もちろんオリンピックまで4回も頑張ってやってるんで、何にもこだわってないことはないんですけど、
24:03
それを何かしらの自分のこだわりがどっかにあるとは思うんです。
そのこだわりってどういうとこなんですか?こだわりが一個あって後はもう変わってもいいやってそういう感じなんですか?
アサハさんの中の何か満たしたいエネルギー容器みたいなのがあって、
そこの量とある程度の形が満たされればそれがハンドボールだったとしても陸上だったとしても、
引退した後の違うことだったとしてもここが満たされていればしっかりというような感じなのかなと思うんですけど。
ハンドボールはすごく先生が素晴らしい先生で、1から10まで教えてくれて、
それは良かったんですけど、自由度が全くなかったんですね。
そういう意味では強くなっていろんなことを学んだけど、このまま管理されたようなスポーツをするのが自分の中では嫌だったっていうのもあって、
陸上競技だったら個人種目だし、ある程度自分で好きなようなスポーツができそうだということで、
多分その辺の自分の中のやりたいっていう満たしたものが自分で主体的にスポーツをやるっていうことだったんだと思います。
実は後半に行く時間なんですけれども、もうちょっと深掘りしたいですよね、そこの部分はね。
潜入感とか固定概念みたいなのがすごく薄い方でもあるなともちろん思いますし、
それよりかはエネルギー感というか充実感というか絶対値みたいなものを追い求められていて、
例えばこの会社に入っているからこの会社の中でやらなければいけないってことではなくて、
自分ができることが増えたらその会社じゃなくてもこっちの会社でいいじゃんとか、独立もいいじゃんみたいな、
そういうアントレな感じのイメージもしますよね。
そうですね、個人事業主であって自分がやりたいことがあるので、それはどういう場所に行ってもできるという感じなのかなと思って、
それでただ引退されるじゃないですか、五輪で。
その後結構時間が経ってからまたマスターズの世界に戻ってこられて、
それも今の話的に自分のコアにあるものが変わらないからまだ戻ってこれたんですか?
結構だって10年ぐらいじゃないですか?
そうですね。
驚きでした、驚きなんですけど。
というかそれは根本的には陸上競技が好きなんですよ。
27:02
やりたいなとは思いつつ、ずっと邪魔してたのがやっぱり現役時代へのこだわりです。
そこにこだわりあった。
プライドです。
だからオリンピックメダリストとかがマスターズってあんまりやらないんですよ。
そうなんですね。
珍しいタイプだと思います。
なんでかというとやっぱり一般の方に負けたりするのが嫌だから。
シンプルに。
シンプルにね。
だから僕もそれが10年間はずっとあって、なんであんな必死で自分の自己ベストを目指して10秒02までいってるのに、
そのタイムを落としてまで大人の競技で、シニアの競技で頑張らないといけないのか、
そこになんで自分が飛び込まないといけないのかっていうのはずっと思ってたんですよね。
でもある時に世界マスターズというのが2018年にあって、リレー面が一人足りないからって言って呼ばれて、一緒に走ろうってなって、
出た時にすごくスペインだったんですけど、みんなやってる人が生き生きとしてて、勝負だけではない素晴らしい世界が広がってたりしたんですね。
そういうのも10年現役から経ってるっていうのもあって、冷静にそんな現役時代の記録とかにこだわっててもしょうがないよなっていう、ちょっと大人になった自分がいた。
まさにアンラーニングモーメントですね、これ。
そうですか、アンラーニングモーメント。
アンラーニングモーメントですね。
でも10年。
プライドがその間になくなったっていう。
スポーツの豊かさっていうか、楽しめる幅が広がったってこと?
そうです。楽しめばいいなっていう。今できる、50歳で10秒台ってみんなすごいって言ってもらえますけど、
僕にとっては10秒台なんてこれまでバカみたいに出してるわけじゃないですか。
だから記録的には結構きついですよ、今やるのは。
でも10秒台っていう記録自体はそんなにすごくないじゃないですか、私にとっては。
なるほど。
そうなんですよ。
そっか。
だから今できることで50歳で10秒台出たらいいなっていうそのモチベーションでやるっていうのが新しい幅というか。
芸妓の時だったらそんな10秒台で50歳出して何の意味があるの?って多分芸妓の時だったら思ったと思うんですけど。
それが50歳になって今のこのいろんな忙しい中時間作ってやることに意義があるっていうことに価値観を覚えるっていうのは新しい自分のやり方かなっていう。
新しいところに。それで前半最後ですけども、この間の9月の23日ですかね、京都全日本マスターズ選手権で10秒93。
30:09
もう息を飲みますよね。
ありがとうございます。
アサハラさんにとってはすごくないけど。
そうなんですよ。
二人にとってはすごいですね。
30巻、僕もさっきも言いましたけど30巻くらい僕が映像を見ましたんで。
ありがとうございます。
めちゃくちゃかっこいい。
スローでも見てもらいました。
もうなんてかっこいいじゃん。超かっこいいじゃん。
この話後半にミドルシニアの星アサハラさんで後半につなげてもいいですか、コミュニティデータ。
アサハラさんの興奮が伝わりました。
興奮されました。52歳、僕も50歳。
昨日の夜、まあいいやそんな話は。
そんな感じで前半はここまでにさせていただきます。
ではまた後半につながりますのでよろしくお願いします。
お相手は日経理スキリング編集長の櫻井陽でした。
アサハラ信原さんと蘇田裕司さんにお話を伺いました。
では後半をお楽しみに。