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2019-08-30 46:17

第44回【GODAI亀戸 ゴールデンキッズ】森山正晴コーチ

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元アメリカンフットボール日本代表。
きっかけはスクールウォーズだったが、アメフトを選んで、その後は虜に。

苦しく辛い練習や環境を乗り越え、心が折れそうになったから、今がある。
そこで学んだことを子供達に伝えていきたい!

不屈のメンタルを得た森山コーチのタッチダウン人生!





00:02
5代スポーツポッドキャスト、すぽきゃす。
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
【GODAIグループ】の提供でお届けいたします。
はい、それでは今週はゴールデンキッズコーチ特集ということでですね。
さあ、今日は誰でしょうか。よろしくお願いします。
ゴールデンキッズコーチ亀戸市店、森山コーチです。
よろしくお願いします。
はい、来ました。ようやく出番が。
今、森山さん、神谷コーチから始まってですね。
今、ゴールデンキッズのコーチを深掘りしている習慣なんですよ。
面白いですね。早速聞いてます。
ありがとうございます。
結構どうですか、これ。
ポッドキャストって森山さんは結構前から知ってたんですよね。
そうですね。ポッドキャストは、今使っているのが英語ですね。
英語をリスニングできるので、ただのので、これ以上にいい手はないと思って聞いてます。
森山さん、今日聞きたかったことが必ずあって。
僕から言っちゃいますけど、僕の個人的な興味もあって。
森山さんの英語のなんでっていうところを、今までもね。
初めて聞く人は、何それって話なんですけど。
あとは、後から聞きますけど、アメリカンフットボールの話とか。
本当はゴールデンキッズの話聞かなきゃいけないんですけど。
というところで、織り混ぜながら。
織り混ぜながらということで、いろいろと深掘りをしていきたいと思ってるんですが。
森山コーチのヒストリーっていうところで、まずスポーツっていうところにテーマに沿って話を聞いていきたいんですよ。
森山コーチがスポーツっていうものに携わった瞬間っていうところからまずお聞きしたいなと思うんですけど。
なるほど。一番最初はもう少年野球ですね。
野球なんですか。本当に野球の人多いんですよね。
私たちの年代はサッカーはまだちょっとなかったんですけど、野球やるかやらないかみたいな男は。
野球やるかやらないか。選択がやるかやらないか。
小学校に入ってからキャプテン翼が出てきて、サッカー部が上がってきて。
それまでは野球やるかやらないか。
某どこかの沢田コーチっていうキャプテン翼っていうね、彼女の場合は再放送って言ってましたけどね。
そうですね。
やっぱり漫画の影響っていうのは大きいですね。
大きいですね。確かあの時はもう本当にテレビでやってて父親の影響ですよね。
03:07
プレ野球巨人のファンでこっちは見せられて、ラジオの上から言えるぐらいずっと見ちゃってるんで。
野球ができるとかっこいいんだみたいな。っていうのがまず最初ですよね。
なるほど。野球を始めたのは何歳の時になるんですか。
いや最初は多分遊びで幼稚園の頃に様広いからたまにお父さんお母さんに打ってみなみたいな。
ママさんソフトに何か混ざってやってて。小学校から近所のお父さんがやってる野球クラブに入ってやってましたね。
そうなんですね。じゃあ結構小学校入る前から野球っていうのは球技には触れてたんですね。
そうですね。ボールには触れてましたね。
その後小学生時代は学校の野球部というかクラブに入るんですか。
クラブって言いますか近所のお父さんチームですよね。
お父さんチーム。
お父さんが監督をやってると。
友達も一緒にやってるわけですよね。
友達も一緒にやってるんですよね。
そうするといわゆる他のライバルチームとかも結構いっぱいあるような状況だったんですか。
いますね。小学校の時は確か1,2,3チームぐらいありましたね。
大体その地区のいるお父さんがボランティアというかで教えてると。
いまだにその流れってありますよね。
あります。
お父さん監督、お父さんコーチ。いいか悪いか別として。
別として。
いいとこありますよね。なるほど。
じゃあ野球を経て、野球はいつまでやってたんですか。
中学校3年までですね。
中3まで。
でも長かったですよね。
そうですね。本当は小学校の時に実はスクールウォーズ。
スクールウォーズ。
ラグビーでしたよね。
男はこれをやるしかないと思ったんですけど、中学校にラグビーがなかったんですよ。
ということでじゃあ野球をやるかと。
なるほど。じゃあ野球やってたからっていうよりはしょうがないから野球をやってた。
そっちの違いですね。
なるほど。その当時の森山少年はスクールウォーズ見て、
青春にこれはラグビーだなっていう感覚はあったんですか。
ありましたね。
でもしょうがないから野球やってて。
で、やっと念願の高校になったら。
中学校の時に高校を受験するんですけど、
06:00
受験したところに最初は勉強頑張るぞと。
特大生よかったら勉強頑張ると。
勉強頑張ると。
落ちまして。
特大は落ちて、じゃあもう部活入るしかないと。
で、その当時アメフトかラグビーがあって、どっちにしようかなと。
これ言ってる人には言ってるんですけど、正直言ってどっちがモテるだろうと思って、
アメフトに違いないと。
そこです。
なんでアメフトの方がモテると思ったんですか。
買った方がラグビー、見た目に何もつけてなくて泥だらけで、
アメフトの方がヘルメットかぶってかっこいいなと。
完全にビジュアルですよね。
モテるかモテないかっていうよりかかっこいいか。
本音はそこです。
本音はそこで。
高校は両方ともあったんですよね。
ラグビー部もアメフト部も。
でもアメフト部がある高校って珍しいというか少ないですよね。
ラグビー部があるところっていうのは多いですけど、
まだアメリカのフットボールって。
出身茨城なんですけど、茨城には1個だけそこだけ。
そうなんですね。
茨城県出身。
江戸川県鳥寺なんですけど、そこにしかアメフト部がない。
江戸川と鳥寺。
そこにしかアメフト部がない。
茨城県は。
そこピンポイントで。
でもそれってアメフト部に入るためにそこにピンポイントで行ったわけじゃないんですよね。
行ったわけじゃないです。
特大生になろうかなっていうところの狙いがあったわけなんですよ。
すごいですね。特大生を狙えるぐらい勉強されてたんですね。
いやー多分してないから落ちたんですよね。
でも狙おうとしてたんですよね。
狙おうとしてました。
それはすごいですよね。
じゃあその特大生勉強で特大クラスがあるわけなんですか。
ありますあります。
そこを狙ってたんだけど。
じゃあそのアメフトに出会ったきっかけ。
なんかもうすいません。
僕ももう森山さんと長いんでアメフトのある前提で話しちゃってるんですけど。
そこでアメフトに出会ってるんですよね。
森山さんはそうなんですよ。
皆さん聞いてる方もいるんですけど知らない方も。
大体もう皆さん知ってるんですよね。
ゴールデンキッズで子どもたちは知ってるかどうかというか認識してるかどうかはわからないですけど。
保護者の皆さんはあえてそういう話ってされます?お客様に。
いやーこっちからはしないですね。
プロフィール的なところがね。
ただ子どもたちの保護者にはアメフト出身の方があとマネージャーやってる方がいて。
そういう方はこっそり行ってきます。
僕も出身が高校でアメリカンフットボール部が結構強かったので。
09:03
よく1年生でルールわからないのによく応援しに行って。
ぶつかっている感覚とかなんだこのスポーツはっていう珍しいものを見るような形で練習とかよく見に行って。
クラスメイトが僕はスポーツ特大生だったのでスポーツ推薦で入ったわけなんですけど。
僕はテニス部で方やみんなが森山さんが今は森山さん普通のスリムな体になりましたけど当時はもっと大きかったはずなんですよね。
僕はもうこいつら信じられないと思ってましたからアメリカンフットボールやって何なんだこの人たちはっていう形で。
僕がベラベラ喋っちゃったんですけど当時江戸川砦に入った時にアメリカンフットボールをもともとやっていた同級生っていました?
いないですよね。
だから僕すごい不思議だなって思ってるんですけどスクローズっていう前提があったのかもしれないですけどラグビーでアメリカンフットボールっていう正直未知だったじゃないですか。
なんでかっこいいどっちがかっこいいっていうところで憧れたっていうところもあると思うんですけど3年間続けたんですよね。
続けましたね。
なんで続けられたんですか?
いやもう一言で言うと負けんの悔しいですね。
負けんの?
負けんの悔しいですね。
実は1年の時に一回やめたいって言いました。
そうなんですか。
それはなんですか?
勉強は追いつかないし体きついし嫌だなっていう。
で監督に止められてもう一回やってみるとそこからやっぱり変わりましたね。
多分そこでやめてたらずっと負け犬だったのかなっていう。
そうなんです。そのタイミングポイントがあったわけですね。
野球部だったわけじゃないですか。
もう一回確認しますけど。
全然違うスポーツになるわけじゃないですか。
走るっていうところとか飛びつくっていうところの要素はあると思うんですけど。
でも種類が違うじゃないですか。
そうですね。
よくできましたよね。
そうですね。
根拠のない自信はありましたね。
俺できるんじゃないかなと。
根拠のない自信。
根拠のない自信。
今考えると根拠ないですけどね。
動機が不純ですし。
動機が不純でモテたいっていう。
実際どうだったんですか。
モテましたね。
全然ダメですね。
12:00
何かあると装装して髪の毛がボソボソ。
野球部と変わらないみたいな。
現実は変わらなかった。
当たったら痛いし、辛いし、夏は暑いしっていう。
そうですね。
夏でも防具は変わらないわけじゃないですか。
ヘルメットとショルダーと。
体幹運動はマスばかりですよね。
マスばかりですね。
その中で大学生、高校はどうだったんですか。
大会でいわゆる。
どういうシステムなんですか、高校っていうのは。
まず高校の方は茨城県と千葉県と埼玉県が1つのリーグなんですね。
東京の方は東京都で1つのリーグ。
神奈川県は神奈川県で1つの地区リーグがあるんですね。
その3つを合わせて関東の大会があるんですね。
その3つを合わせて関東の大会があるんですね。
その3つを合わせて関東の大会があるんですね。
まずは3県でやって。
3県で。代表で関東大会をやって。
秋の大会には最後に関西地区の代表と東京地区の代表がクリスマスに日本一最傑作。
クリスマスボールって。
それ見に行きました、昔。
そうですね。
どうだったんですか、森山さんの3年間は。
関東大会には出ましたけど、そこから先には勝つというところまで行かなかったですね。
私の下の台は行きましたけどね。
下の台は行ったんですか。
でも個人の力だけではどうにもならないというチームスポーツととにかくアメリカンフットボールという、
僕もちょっと見てただけなんですけど、最初意味がわからないわけなんですよ。
でもその動き一つ一つにちゃんと意味があって、戦略を立ててるわけですよね、ワンプレイワンプレイずつ。
見えないサインがあって。
気づいたらすごいいいプレイしてる一人がいて、その一人の動きの結果で変わっていく様があるわけじゃないですか。
最初は見てて何が何が何が起こってるのかって。
あとはいわゆる反則っていうんですか、が適宜起こるんで。
なんかノリに乗れないみたいな。
いわゆるサッカー感覚で一番最初見てたんですけど、
毎回見に行くことによってだんだん面白さがわかってきて。
15:00
勝手にショットガンとか分けたりとか言ってましたけど。
3年間を経て、思ったようなチーム、目指すところの大会に届かなかったわけじゃないですか。
その後きつかったわけじゃないですか。
次のステップはどうされたんですか。
3年間で辞めようと思ったんですけどね。
だってもう辛かったんですもんね。
不思議にオフになったりするとまたやりたくなるんですね。
例えばあの人が終わりましたと。
でも引退ですと。引退するとまたやりたいかなって。
そういうのもありましたね。
大学でもやったんですけど、大学引退した後はあと3年ぐらいやろうかなとか。
そういうのが出てきましたね。
また大学3年間経て、もうお腹いっぱいという気持ちもありながら。
引退したら引退したで、ふつふつと。次は大学で。
大学時代はどうだったんですか。
大学の時は高校と違いましたね。
監督のやり方が違うんですけどね。
高校ははっきりその時の監督に言いましたけど、勝つよりもお前らの精神資料だって最後に言われました。
精神資料。
まずそれが一番だと。勝ちたいんだったら大学行ってやれと。
そうなんですね。
ご存知の方も多いと思いますけど、やっぱり大学になるとアメリカンフットボールって記号が変わって世界が変わるじゃないですか。
変わります。変わります。
森山さんはどちらに行かれたんですか、チームは。
提供大学ですね。
提供大学はどういうチームなんですか。
まず入った時は二部ですね。日の目を当たらない。
二部だったんですか。
提供大学って有名ですけど。
ラグビーはすごいですね。
ラグビーはね。
よく間違えられますけど。
アメリカンフットボールってなると、ん?っていう感じだった。
あったんだみたいな感じだった。
当時はなんでそこに行こうと思ったんですか。
たまたまそこに来ないかという声はかけられたんですよね。
スカウトがあったんですね。
そこは特大ではなくて、勉強で行こうと思ったわけじゃなくて、スポーツ推薦で。
スポーツ推薦で悩みましたよね。
大学を受験で行こうか、どこか違うのを。それともスポーツ推薦で行こうかって。
18:00
もちろんやってる時にそういう話があったんで。
その時は行きませんとかなんて失礼なこと言ったんだろうなと思って。
やらない、やらないみたいな感じだったんですか。
なんて失礼なこと言ったかと思ったんですけども。
せっかくそういう誘いがあったらどうなのか。
なんかやりたいことあんのかと思ったらないですね。
引退すると本当に寂しいんだよね。
なんか面白いですよね。
結構僕も高校の同級生が、やっぱりきついし、つらいし、もう大学までやらないって言ってた同級生はほとんどが大学行ってやってますからね。
そこまでやっぱり魅力ってなんなんですか、アメリカンフットボールって。
多分ですね、練習とかはつらいと思うんですよね。
勝ち取った時のみんなに喜べるっていうのは中毒じゃないんですけども。
そこを一回味わうともう一回ストレートボールみたいなのがありますよね。
そのためにはこういう練習がなきゃいけないっていうところがありますね。
それってチームスポーツ特有の感覚なんでしょうね。
個人競技のスポーツだとそういったのって味わえないですし。
やっぱりサッカーをやってる人はサッカー特有のやっとねじ込んだシュートが入った時の喜びって言ったらっていうところで、やっぱりタッチダウンも同じですよね。
最終的にタッチダウンを決めるのはちゃんと役目が決まってるわけじゃないですか。
彼が決めないと、そのためにはこっち側が正確な動きをしてなきゃいけないわけですね。
ある意味一つのプレー、一つ一つが作品みたいな感じになりますね。
そうですね。デザインされてるんで、まずそれをその通りにやるんですけども、劇場はたくさん。
ただそれが崩れた時に次どうやって動くかとか、そこがまた醍醐味になるんですよね。
なるほど。大学時代はその二部から始まってどうだったんですか?
2年の時に一部が上がって、3年で落ちて、4年で上げてとか、毎年その一部と二部を入れ替え戦ですね。
入れ替え戦。
そういう瀬戸際のところにいましたね。
なるほど。やっぱりそれはそれで楽しかったですか、瀬戸際がっていうのは。苦しかったですか?
いや、苦しいですね。下から上がる時はもう一応、上からの入れ替え戦はきついですね、精神的に。
21:08
そうですよね。やっぱり這い上がれるか、そして時にはつっつかれるか、引きずり下ろされるかっていうところの部分で。
でもある意味そういったのはトップリーグで戦うっていうところと精神的には同じですよね。
そうですね。
なるほど。4年間そういった苦しいポジションで、その中での4年間を経て、大学生の4年間を経た森山コーチはどういう選択をしたんですか、次は。
次はですね、やっぱり仕事は人並みに就職活動したらダメだろう、してました。
ただしやっぱり何がしたいのって言われると、突き詰められるというか出てこなかったですね。
あの時でも、そういう面接してて、真面目な面接してて見られますよね。やっぱりあんまりどうしようかなって。
で、そういうところを大学の時の仲間もそうですけども、監督とか委員とかもつくんですよね。
もしそれだったら3年間とかやったらオーダーとか、すごかったなみたいな。
それはやったらどうだったの、やっぱりアメフトだったんですか。
そうです。
それで大学卒業して、その3年就職活動をしながら、模索しながら、いろんな方と相談はされて、出た答えがもうちょっとアメフトをやってみようかなと。
どういう形でアメフトを続けるんですか。
えっと、もう大体社会人になるときはある程度声かけてはいけないんですよね。
で、また失礼なことに3つ言われたんですけど、すいませんみたいな。
もうやりません。
本当に失礼ですよね。
高校の時と一緒だったんですよね。もうその時やってる時はもういいよと。
だったんだけど、いざ差し迫った時にやっぱりやりたいと。
でも断っちゃったんですよね。
一旦はこういう風にしようかなと思うんですみたいな、ちょっと偉そうに見たんですけど、こういう風にやろうかなみたいな。
それでどうしたんですか。
それで社会人でやることになったんです。
どちら?
日産ですね。
日産って言ったらもうね、僕の記憶だとチームって今は。
24:04
もうチームはないですね。
ないですよね、今日産ってね。
でも日産のチームありましたよね。
僕の同級生も何年間かプレイしたのを知ってまして。
日産にいたんですね。
その社会人になってからのアメフトの、アメフトとしてはもう半ばプロですよね。
実業団という形になるんでしょうけど、もう社会人になるとほぼアメフト付けになるんじゃないですか。
いや、日産はもうそういうのはなかったです。
ないんですか。
仕事の業績はこっち、アメフトはこっち。
例えば練習日を週2回だけ練習していると。
ただ他の社員と、支出じゃないですけど、業績に対してちょっと多めに見ているよってことはないけども、
業績出したら他の社員の支出だし、悪くなれば取れないだよっていうのをそこは差別です。
なるほど。
週2回抜けてるからって、業績悪かったらっていうのは言い訳できないよって。
なるほど。
じゃあその上で普通のお仕事を一般の社員と同じようにやって、
プラスアルファアメリカンフットボールのチームで戦うと、部に所属をしていると。
これはまたしんどい道を選びましたね。
それは入ってから気づいたんだね。
そうなんだ。
なるほど。
そうしたら月から金まで終わったらトレーニングしたり、土日を使って練習したり、大会は大会で出場してっていう。
何年間プレーされたんですか?
結局6年いましたね。
6年?
6年間。
その6年間で日産のチームでいながら、アメフトのプレーヤーとしての結果は?
これがまた3年くらいでもうちょっと引退だなと思ってたんですけど、3年やったら代表になっちゃったんで。
代表って今来ましたけど、何の代表になったんですか?
日本代表です。
これがすごいですよね。僕もサラッと出会った時に聞きましたけど、
ん?っていう話をした記憶があるんですけど、日本代表になったんですよね。
アメリカンフットボール。
すごいですよね。やってきましたけど、もうちょっとゴールデンキッズの話からだんだん興味が、全然違うところに興味が馳せていったんですけど、
アメリカンフットボールの日本代表に、すごいですよね。スクールウォーズに憧れたあの時から、
27:03
ただ単にアメフトの方がかっこいいだろうっていう発想で。
純な動機から始まって、何回ももう辞めようと思ってた男が続けた結果、日本代表になったんですね。
面白いですよね。面白いと言っちゃいけないですけど、日本代表って何年プレーされたんですか?
3年ですよね。最初は雑誌に載った、その次にヨーロッパの1日にやって、3回目がワールドカップですね。
ワールドカップですね。
その第1回目。
通常してるんですよね。その時の写真とかって、誰でも見たことないと思うんですよ。
そろそろ出していきましょうか。
今、会社にいる人は誰も信じてないと思います。
確かに認定証、メダルはちょっと母親が持ってるんで、あるかどうかわからないですけど。
プレーしてる写真とか何ですか?ご自宅に、実家に。
日産引退するときにもらいましたけど、日本代表チームのユニフォームはないですね。
ユニフォームはありますね。
プレーしてるときの瞬間の写真とか。
デジタルはないですね。
それはそうですね。紙でですよ。
ありますね。
僕見てみたいですよ。すごい。
プロバイドみたいなのも。
そうなんですね。
そういうところを見せていくのがこの番組というか、このポッドキャストのところなんで。
でもその日本代表の話までいくとですね、やはりその先またアメフトの世界で仕事をしていきたいんじゃないかって想像しちゃうんですけど、
その引退後どういう決断をされたんですか?
引退した後にちょっといろいろ思い返したけどですね。
一旦仕事をですね、アメフト辞めてその1年後かな?仕事を辞めたんですよね。
日産を辞めたんですか?退職されたんですよね。
自分の中で本当にピリオドをやっと2回やることができたので、その時に自分をまとめようかなというところがあったんですね。
自分のやってきたことをいろいろと振り返ってみようと。
30:04
いろいろまとめて、ちょっとスポーツの形にして、ちょっと1回自分をリセットして、全く違う環境にいきたいなと。
もうアメフトとも関係なく。
そこで何を選んだかというと、ニュージーランドで前回のワーキングオリジンでしたね。
本当にしたことがあったんですね。
そこで英語という関わりが出てくるんですね。
それまでは語学というものには興味があったんですか?
ないと言っちゃうと嘘ですけど、アメフトのほとんどは英語ですからね。
日本代表になっているときに海外にも試合に行くわけじゃないですか。
そういうところから結構英語を学び始めたというのがあるんですか?
意識的にはないですね。
代表になったらやらなきゃまずいなというのがありましたね。
そこからですね。やらなきゃみたいな。
その時は代表になったので何歳ぐらいになったんですか?
本当に25か26歳ですね。
30歳前半くらいまでプレーしていたということになるんですか?
ちょうど30歳ですね。
そこで引退されて、ニュージーランドでワーキングオリジンで何をしたんですか?
最初は学校に行きましたね。
子どもと一緒に遊んでいました。
一応そこでやっとラグビーになるんですよね。
原点にやっと帰るんですよね。やってないけど。
そこで向こうに行って一年間勉強したかったんです。
勉強したかったんです。
勉強したかったんですか?
勉強したかったです。
勉強したかった。
向こうで暮らしながらちょっとラグビーもやってみたいな。
ラグビーもやったんですね。
この先はどうなりましたけどね。防具がないと危険だなって。
ニュージーランドってのは超有名な黒い集団がいる国ですからね。
国民ですよね。
そういったところでも体を動かしながら学校に帰って。
それ一年間?
一年間です。
帰ってきた後には?
帰る時に向こうでバイトをしてたんですよね。
そこは日本の中古車を売るニュージーランドの会社だったんですけど。
日本に来てもやらないかなって言われたのでそこでバイトをしてました。
日産ではないけど車には携わってたんですね。
33:03
なんか縁があったんですよね。
運が良くて。
そこの中でそういった経験をしていて、日産に勤めて。
そしてアメリカンフットボードで日本代表になって。
そこでリセットというところで一年間ニュージーランドで大自然の中、
また違うラグビーボードを追いかけながら学校に通って。
そういった中で来るとなかなかゴールデンキッズというところに
全然近づかないなという感じがあるんですけど。
ゴールデンキッズというのは子供とのお仕事になってくるので。
いわゆる運動能力を向上させるというところで。
やはりアメリカンフットボールをやっていたということは
投げるという指導ですとか走るという指導ですとか
そういったところの部分はリンクするというのは分かるんですけど。
いわゆる子供のスポーツを通しての指導というところに
つながったのはどういうことをきっかけだったんですか?
実はニュージーランドから帰ってきた後に
2つ外資系を経由してゴダインのサワーになったんですけど。
その時に仕事をしていました。
そこは運動とまったくかけ離れているかということになったんですよね。
いろんなところを見ているうちに
授業がやってきたのをまとめてみました。
こういうものは教えるといいますか
自分が一歩置いたら育てないといけないんじゃないかなとか
いろいろそこで考えたしましたね。
ゴダインというのは
ご自身がスポーツをやってきて代表までなって
自分でやってきた棚卸しをしたわけじゃないですか。
それが棚卸ししているときに
それを伝えたいという気持ちになったということですか。
それはありましたね。
実はゴダインに来る前に
ライフフィットネスというんですけど
フィットネスマシーンの制御だったんですね。
それが外資系の会社なんですか。
いろいろなところを見ていますと
あまり言っちゃいけないですけれども
こんなにみんな動けないものなのかな。
体を動かすとかできないということですね。
子どもたちは見る機会もあったんですけれども
いやー結構こういうのはできないんだとか
こういうのはあれなんだとか
そこでだんだん気づき始めましたね。
36:02
このままじゃいけないんじゃないかと。
これまずいんじゃないかなと。
うすうすは。
それは分かる気がしますね。
でももっとあららと言って
ここでそういうのをやるんだけど
どうだと言われたのがまたまたある。
それはどういうことを聞くようになったんですか。
このゴダインというのは。
最初は2008年。
2008年ですか。
ちょうど10年くらい前に。
2008年とかですかね。
今の議事長と高島さんが
そのツアーです。
ツアー。
アメリカを
のクラブのセッションをしているんですね。
最初のきっかけはそこですね。
アメリカに出会ったんですか。
そうです。
そうなんですか。
森本さんはアメリカに出張、仕事でアメリカに行ったんですか。
そのツアーに参加したんです。
ツアー。
参加したメンバーに
今の議事長と高島さん。
そうなんですね。
弊社の理事長も
アメリカンフットボール出身で
大学でプレイヤーをされていたわけなんですけど
そこで想像はできますけど
ものすごく話が盛り上がったんじゃないかなと。
そうなんです。
なるほど。
そのゴールデンキッズの立ち上げをした高島コーチと
出会ったというわけなんですね。
そういった
それも運命的なんですね。
本当に。
最初ここに来たのが
私はセーブスに来ました。
なるほど。
フィットネスの器具、こういうのを扱っているんです。
なるほど。
そこからなんですね。
そこの話をすると
あと1時間ぐらい経っちゃいそうなんで
今までの下りを全部カットしました。
今ゴールデンキッズ
そういった縁があって
ほぼ10年前というと
まさにこういうのをやるんだけどというところでは
立ち上げですよね。
ようやくもう
一つの節目を迎える
10年目というところに
来年ですか?
そうですね。
2020年。
2020年で10周年と
ゴールデンキッズがですね。
今まさに
後代のみならず
森山さん中心に
そういったフランチャイズというところも
展開しながら
いろんなところに今
ゴールデンキッズという
お店をですね
展開しているところなんですけれども
今改めて10年間
今9年目というところで
39:00
振り返ってみて
どんな思いですか?
そうですね。
もう10年経ったのか
という感じですね。
確かに
辛いなというところもありましたけれども
あまり苦じゃないんですよね。
苦じゃない。
多分アメフトのおかげだと思います。
アメフト以上のちょっと辛さというのはね。
そんな苦ではないですね。
それよりもやっぱり
まあやっていても
10年になってはっきり言って
下り坂ですよね。
ただやっぱり子供たちは
これから登っていきますからね。
どんなところに登れるだろう
というのを見ていると
やっぱり楽しいなと思いますね。
向こうが上り坂48だったら
下り坂48は負けられないと
言ったらあれだけど
下り坂というわけでもないと思うんですけど
その
何て言うんですか
ずっと僕も
森山コーチと
亀戸支店の立ち上げを
一緒にさせてもらって
ゴールデンキッズが
こうやって成長していく様を
見ていたんですが
その指導者として
そしてゴールデンキッズを
裾野をどんどん広げるという
お仕事をされながら
何て言うんでしょう
その時に
このままじゃ子供たちは
思ったところから
うーんと思い出したところで
そういった出会いがあったというところで
まさに何か思考は
現実化しているんじゃないのかな
と思うんですけど
どうですか
ご自身が子供の指導をしていながら
そういった今までの指導の中で
感触というか
そうですね
やっぱり子供たちに
やっぱり熱意を持ってやると
みんな単独に受け止めますね
というのはすごくいいと思います
はい
あと私がこういった
やってきたことに
多分いいこともありますし
悪いこともあるんですね
暑い時に走ったら
みんな熱いしなりますよね
そういうところはですね
教えるところはこういう風に教えて
危険なところはこうやって危険とか
もうちょっと体系付けられて
教えてあげればな
というのは非常に思いますね
やってきて
これは危険だなと思って
それでなおかつ
子供たちのためになればいいかなと
正直思いますね
なるほどですね
やはり子供はどんどん
やっぱり運動能力
そういったものというのは
変わっていくというところ
目の当たりしていると思うんですけど
そういったところの部分で
指導者としての自信とか
そういったところの部分というのは
やっぱり
プレイヤーとして
というところで
自信ができたというところから
42:00
子供を教える
またアスリートを教えているわけではないので
その中での
指導者としての
森山コーチ自身の成長というのは
ご自身に振り返ってみてどうですか
いやー
ありますね
本当に
まず一番感覚ですよね
感覚
ちょっと昔からすると
そんなのこうだろうみたいな
そういうものを持っていると
全然興味がないんだ
このコーチはみたいな
そういう受け止め方とか
あとこういうふうに思っているんだけども
やっぱり伝わらないとか
ありますよね
伝え方をこう書いて書いて書いて
そこはちょっとオーバーリアクションみたいな
というのがないと
ダメなんだなというのが
なるほどですね
普通の子の大人の感覚というか
そうですね
森山さんもトップクラスのアスリートまで
経験していますから
その言葉
その伝えるというのが
また伝わらないというところですよね
そうですね
たぶん今
チームを率いている監督とかもそうなんですよ
そう思うんですけども
昔はこうやってきて
そのまま上手い人は
ドーンと監督コーチになれたんですけども
今はそういうアスリートの
自分が行く
その競技レベルと
また監督コーチになるんです
というのと別なんですよね
そうですね
新しくなりますね
なるほど
そういった中で
ゴールデンキッズ10周年を
2020年に迎えるようになったと
先ほど冒頭申し上げたとおり
今はいろいろとですね
森山さんが
新しく船橋支店にも
そうですね
後代船橋支店にも新しく
ゴールデンキッズを広めていて
今これからまたさらに
ゴールデンキッズの魅力を
伝えている最中なんですけども
改めて
話は尽きないんですが
森山コーチの今
指導を受けている子どもたち
そして保護者の方
そしてこれを聞いてくれている
である関係者の皆さまに
最後
ゴールデンキッズのコーチとして
メッセージをいただきたいんですが
わかりました
そうですね
本当に子どもたちは
可能性はやっぱり
すごいと思います
ただ正直言うと
全員が全員スポーツ選手になってくれ
というわけではないですね
はい
いろいろなことを学ぶということは
将来における
選択肢ですね
これをいっぱい自分で
持っているということなので
学ぶという作業は
やっぱり
どんどんしてもらいたいなと思います
運動も勉強もそうですけども
そういうのをやっていけば
いずれか自分の
45:01
未来につながると思いますので
ぜひこれからもちょっと
ゴールデンキッズを広げたいと思います
はい
ありがとうございます
そういった
ゴールデンキッズ
立ち上げた高島コーチも
そうですが
森山コーチも
そういった
スポーツというものを
とことん極めてきた
コーチがですね
そういった経験したコーチが
いろいろと勢ぞろいして
皆さんをお待ちしていますので
これからも
もし自分の可能性を広げたい
ということを
自分のお子さんを
もっともっと未知なる可能性を
もっと広げていきたいな
というところであれば
ぜひゴールデンキッズ
五台
お待ちしています
お待ちしています
今日はありがとうございました
ありがとうございました
46:17

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