だいたい音声変換して、音声で聞きたい人はこっちで聞けるよみたいな感じで載せてるんですけど、
それをですね、ちょっとシェアしたいなと。まさにAIの話なんですけど、今が旬なのでね、もうAIの話はいいわっていう人もしかしたらいるかもしれないんですが、
日本とアメリカのAI利用の違いっていう内容で記事があってですね、それに関して記事読むのもリンク貼っておくんで、読みたい人は読んでいただけたらと思うんですけど、
音声でサクッと聞いていただけたら、なんとなく考えるきっかけにもなるのかなと思いますので、6分ぐらいの内容になってます、音声。
なので、日本とアメリカのAI利用の違いというお題で喋ってもらってます。ぜひお楽しみください。
こんにちは。今回深掘りしていくテーマは、日本とアメリカのAI利用の違いですね。
アメリカの大学に通う学生とか、あと企業の視点から比較した記事、これを元に進めていきましょうか。
いいですね。
AI本当に急速に広がってますから、この日米の違いを知るってことは、あなたにとってもきっと何か考えるヒントになるはずです。
AIをどう使いこなすかって、もう社会的なスキルとして大事になってきてますもんね。
ですよね。だからその日米での温度差とか、具体的な使い方の違いとか、これを知るのはすごく面白いと思います。
特に教育とかビジネスの現場の対比、これは注目したいですね。
じゃあまずは教育現場から見ていきましょうか。
資料を見ると、アメリカの大学だとAIを学びのツールだと捉える動きがある。
一方で日本はかなり慎重という感じですかね。
そうですね。アメリカだともAIを使うのが、ある意味前提みたいになってきてる感じがあります。
大事なのはどう使ったかっていうところで、教授によってはそのAIの活用方法自体が、
リサーチ力とか批判的な思考力とか、そういうのを示すものとして評価されることもあるみたいですね。
なるほど。
ただもちろんルールは厳しくて、出典をちゃんと書かなかったりとか、使い方を間違えるとそれはアカデミックディスオネスティー、不正行為だと。
厳しいんですね。
はい。原点されたり、最悪F判定、つまり落題になったりとか、そういう厳しいことがあります。
じゃあ学生としては、アイデア出しとかには使うけど、ちゃんと自分の言葉にしないといけないと。
そうなんです。そこが問われてるわけですね。
ということは、アメリカではもうAIを使いこなすスキルそのものが評価され始めてるってことですよね。
まさに、これ日本の原則禁止とか、使ったら原点みたいなのとは、かなり違いますね。
大きな違いですね。日本の原則禁止とか、使ったら原点みたいなのとは、かなり違いますね。
大きな違いですね。
日本ではやっぱり多くの大学が、AIでレポート書いちゃダメとか、使ったらペナリティがあるよって明確に言ってますし。
文科省のガイドラインも、現時点ではかなり慎重ですよね。
全体的にちょっと様子見ようっていう、そういう雰囲気を感じます。
教育現場でのこの違いって、なんかそのまま社会での働き方、ビジネスでのAI活用にもつながってきそうな気がしますね。
アメリカだと即戦力みたいに期待されてるとか。
その通りですね。特にスタートアップとかIT系だとすごく顕著で、業務効率化はもちろんですけど、企画の提案も作らせたりとか、
あと採用プロセスの一部を自動化したりとか、そこまでAIが使われ始めてます。
採用までですか?
結果として、やっぱりAIをうまく使える人っていうのがすごく評価される傾向にありますね。
なるほどね。効率化だけじゃなくて採用に使うってかなり大胆な感じもしますが、その資料だと具体的なメリットとか、逆に何か課題みたいな点って挙げられてました?
メリットはやっぱりスピードと生産性ですよね。それは大きい。
一方で課題としては導入コスト。特に中小企業にはちょっと負担が大きいんじゃないかとか。
ああ、コスト面。
あとはやっぱりデータの保護ですね。機密情報とか個人情報をどう守るのかっていう懸念。これは根強いです。
日本だとどうなんでしょう?大企業は検討してるけど中小はまだみたいな感じですか?
そうですね。大企業では検討が進んでいる一方、中小だとまだ慎重なところが多いかなと。それに加えて日本特有かもしれないですけど、人間ならではの対応とか感情とか共感とか。
はいはい。
そういうのを大事にする企業文化みたいなものも、もしかしたらAI導入に慎重にさせている一つの要因かもしれないですね。
個人のレベルでの使い方、これにも違いがありそうですね。アメリカだともう日常的に使っているツールみたいな。
ええ、そんな感じです。学生も社会人も、例えば履歴書を作るのを手伝ってもらったり、ちょっとしたコーディングの補助とか、あとは論文とか企画のアイディア出しとか、本当にいろんな場面で使われてますね。
自分の時間とか能力を最大化する手段みたいにかなり積極的に捉えられている印象です。
日本だと若い人中心に動画編集とかで使っているみたいな話は聞きますけど、アメリカほど日常的じゃない感じがしますね。単に間違った情報が怖いだけじゃない、何か他の抵抗感みたいなものもあるんですかね。
うーん、情報の正確性とか、あとは著作権とか倫理的な面ですよね。そこへの心配はやっぱりまだ強いかなと。
まだ完全に信用できる技術じゃないよねっていう感覚とか、あとは自分でちゃんと考えて手を動かすことへの価値観みたいなものも影響しているかもしれません。
試行錯誤中っていう感じですかね。
そうですね。ちょうどいい距離感を今探っている段階なのかなと思います。
こういう教育とかビジネス、個人利用での違いのその根っこには、やっぱり文化的な価値観の違いがあるんじゃないかと。