2025-08-16 58:07

Vol.363: 中村 謙吾(オーナーシェフ)3/4

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無事にドイツ出張から戻ってきて二日目からなんか時差ボケ?的なものを感じつつも休み休み仕事をしています。いやー、ドイツ良かったっす。また必ずヨーロッパに行きたいなって思う金曜の板倉です、こんにちは。

「1%の情熱ものがたり」91人目のインタビュー、最初のエピソード。
福岡県生まれ、東京・池袋育ち。中学から“レールを外れた”と語る人生は、決して平坦ではなかったことでしょう。山形県のスキー場ペンションのバイトで出会った料理体験が後の人生を大きく飛躍させる原点となる。キッチン、バーテン、店長、エリアマネージャーと飲食業のあらゆる現場を経験。母親の仕事の関係で帯同し訪れたラスベガス、今から大きく発展していくこの街で感じたこと「ここで勝負してみよう」。32歳、自分の直感を信じ海外で初めての起業という大きな決断をして日本食レストランをスタート。言葉や文化の壁はもちろん、日本と現地人スタッフの働き方の違いに苦労しながらもなんとか軌道に乗せていく。頼りだった寿司シェフが退職というピンチの時には、持ち前のめり込む集中力を活かして独学での寿司修行も。その後「Tokyo Style Italian」という独自のジャンルで「中村屋」をオープン。日本人ならではきめ細やかさと素材の味を生かしたイタリアンで自らの料理哲学を貫き続ける。多くの地元客とフードブロガーやメディアにも評価され、アジアン・レストラン・オブ・ザ・イヤーなど数々の受賞歴も。「誰かのために食事をつくる」ビジネスではなくライフワークとなった料理は、きっとこれからも多くの人々に幸せを与えるはず。そんな謙吾さんの美味しく楽しい情熱ものがたり。

経営者ってきっとそうですよね、ずっと走り続けるしかない。自分の信じるものや決めたこと、妥協せずに改善を繰り返し継続しながらも同時並行的に新しいことへの挑戦をやめない。かっこいい生き方だなぁって思います!

投稿 Vol.363: 中村 謙吾(オーナーシェフ)3/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
エマスさんの子育てはどうですか?状況は。
変わらず、まだ2ヶ月なんで、バブバブです。赤ちゃんです。
収録前にもちょっと話してたけど、まだ夜中に2,3回起きないといけないという状況ってことですね。
そうですね。
日々眠い感じですか?
そうですね。細切れなので、睡眠が。
でも、赤ちゃんが寝たら、一緒によしって言って、休憩してみたいな感じで。
それはそれで幸せな、そうな時間に聞こえたりもしますけど。
ちょくちょく、休めるときに休んでます。
僕、こないだすごい感動したなーっていうことがありまして、それをちょっとシェアしたいんですけど。
日本語話者のすごさみたいな話で。
エマさんも日本語話すじゃないですか。僕も日本語話しますけど。
外国の方が日本語を学ぼうとすると、めっちゃムズいという話あるじゃないですか。
そもそもなんでムズいかっていうと、アルファベットってAからZまで、26文字。それだけしか使わないんですよね、英語って。
03:04
それの組み合わせですよね。
日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字の3つのフォーマットがあって、
ひらがな46文字。アルファベット26の倍近い文字数とカタカナ46文字。
漢字なんてアホほどあるんですよ。
そうですね。
チャットGPTに聞いたところによると、常用漢字でも2000文字を超えている。
常に日々の生活で使うのは。使わないのも合わせると1万字とかあるらしいんですけど。
だからその26文字のアルファベットしか使ってない人からすると、アホみたいに次元が違いますよね、これ。
そう言われてみればそうですよね。
それでだって、ひらがなとカタカナと漢字が混ざっててさ、しかもだよ、漢字の読み方が何種類もあるんだよね。
生きるって書いても生きる、生まれる、生じるとかさ、生とかさ、こんなの覚えれるわけないじゃんって思うよね。
って思ったらすごいな、日本語と和歌はと。基本的に日本人ですけど。
で、それだけでもちょっとすげーなと思ったんですけど、その話の後に南極探検隊の話が出てきて。
その当時は南極に初めて行った人たちの話なので、ちょっと知ってるかどうかわかんないんですけど、まず電話もないし、何もない。
初めて南極に人類が到達すると。それで世界中の人たちがみんなで行くんですけど、日本は結構苦戦しつつも犬を連れて行くんですよね、カラフト犬を連れて。
モービルとか作れないから。多分技術がなかったのか資源がなかったのかわからないんだけど。
犬と一緒に生活して、1年間そこに越冬するわけですけど、冬を越す。その時に家族から電報が届くと。通信手段がないんですよね、電話とかもできなくて。
電報ツーツツツツみたいなやつで、多分通信者のかかりの人がそれを聞いて、本当に短い文章だけ家族から一人ずつ届くらしいんですけど。
06:00
まあすごい過酷な状況の中、想像つくよね、なんかクソ寒い時にさ、空門もそんなになくてさ、セーブしなきゃいけない。
過酷な状況にいるわけですけど、そこから家族から電報が届くわけですけど。
一人の、何つうの、隊員に届いた電報を見たその隊員が、一瞬止まってその電報を見て、震えて泣き出しちゃったみたいな話、情景があるんですけど。
そこに何が書かれていたかっていうと、あなたっていうひらがなであなただけ書いてあったらしくて。
なんかそれで俺ゾーってきちゃったんですけど。それだけで、なんかすごいいろんなあなたって言ってくれてる状況とか、体大丈夫とか、何つうんだろうな、ちゃんと食べてるのとか、そういう思いがあなたっていう言葉だけにめちゃくちゃ込められてるっていうか、それがコンテキストとして見えるっていうか。
これは多分、英語で言うって書いてあったら、ないと思うんだよね。裏にある意味がさ。なんかこれ途中なんですけどとかって言いそうじゃない?なんか。
センテンスにしてもらえますか?
言うだけ?みたいな。はい?ってなりそう。
続きは?って。
日本語のあなたって書いてあるすごさっていうかさ、わからんけどね、これあるのかもしれないが、なんかすごいそれで泣いちゃうんだなっていうのもわかるしさ。
っていう、すいません、話長くなりましたけど。
たしかに。
感動した話でした。
文字にね、いろんな意味が込められてるから、日本語って奥が深いですよね。
ね。だから俳句とかもそうですけど、やっぱ想像させるっていうかさ、短いセンテンスで。
いやー、たぶん1年さ、家族に会えなくてさ、くそ寂しいところでさ、生きて帰れるかどうかわかんねーようなところでさ、ちょっと泣けちゃうよね、そりゃね。
たしかに。
っていう、日本語話者すげーぞっていう話でした。
日本語も大切にしつつ、
そうですね。
ね、伝えていかないとですね。
はい。
では本編。
はい、お願いします。
入ってまいりましょう。
はい、毎回1人の方のインタビューを4回に分けてお届けしています。
09:02
今回はラスベガスにあるトラットリア中村屋オーナーシェフの中村健吾さんにお話し伺いました。
はい、昔ヤンチャーだったという健吾さんがね、ラスベガスで勝負するぞと決めて、レストランをオープンさせて、というね、話が先週ありましたけども。
はい、念願の東京スタイルイタリアンっていうのをね、改良されたわけなんですけれども、
そこからね、どういう思いで仕事してんのか。
モチベーションとかへこむことないんですか?みたいな話を、ちょっと深く掘り下げた話を伺っております。
はい、ではではお聞きください。
はい。
じゃあそのような感じで、今のトラットリア中村屋が落ちても、念願のですよね。やりたいやりたいって思ってたのが。
そうですね。
前回の話でもあったと思いますけど、ラスベガスのレストランのレベルがかなり上がってきて、世界中からおそらく食をめがけて旅行する人が、フーディーと言われるような人という感じですかね。
はい。
ミシランのトッテルとかそういうところも増えてきたってことですかね。
そうですね。はい。
それに乗っかってというか、木は熟したということで、東京スタイルイタリアンをオープンさせるわけですけど、
どうでしたか。最初からもういけてる感じだったんですかね。
最初はですね、結構入ってくるお客さんに、なんで日本のイタリアンレストランに寿司がないんだってよく言われました。
そうか。東京スタイルって言ってるってことは寿司があるんだろうとみんな入ってくるわけですね。
そうですね。
期待されて。
あとは、例えばホテルなんかの有名イタリアンレストランのシェフなんかが、オープンの頃、ちょこちょこあれどこどこのホテルのシェフだろうとかって言われたり。
要はどういう目で見られてたかと言いますと、私もびっくりしたんですけども、
12:08
日本人にイタリアンを作れるの?作れるわけないでしょっていう目でほぼほぼ見られてました。
なるほど。
これも完全に文化の違いで、例えば日本だとシェフやってるレストラン、イタリア、当たり前のことじゃないですか。
そうですね、フレンチが重要ですよね。
心が、アメリカではそういう目で見られるんだって、初めて。
日本人はとにかく寿司を飲みに来てるって言いますよね。
そうですね。
天ぷらとかね、うどんとか。
でも実際どうだったんですか。イタリアンのシェフとかが食べに来て、反応は?
反応はっていうよりも、彼らはやっぱりプライドがあるんで。
こんなのイタリアンじゃないみたいな感じなんですかね。
そうですね、ただそういう感じだったんじゃないですかね。
やっぱり最初の3、4年は、お客さんのほうが、
ジャパニーズスタイルイタリアン、東京スタイルワッスっていう、そういう。
ちょっとコンフューズしてやってたわけですね。
そうですね。
このスタイルが世に確実に伝わったのが、やっぱりオープンして3、4年後ぐらいですかね。
ある有名なフードブロガーさんが大々的に紹介してくれて、
そこからやっぱりこの人がいるんだったら間違いないねっていう感じで、
やっぱり今までトライしたいけどどうなの?って細かい人たちがワーってくるようになって、
そこから初めて街で認めていただいたというか。
なるほど。それはでもやっぱり住んでる方が多かったんですかね。
そのときは地元の方がやっぱり多かった。
観光の人たちもいましたけど、
今は正直、うちローカルのお客さんが3割と、
15:03
よそからのお客さんが7割なんですよ。
よそっていうのは他州から?
他州、あと外国。
外国から。
当時はそれが逆のような感じでしたね。
今はね、そうやって旅行に行ったら、
1日目は中村さんが行ってとかって、
みなさん多分計画してこられるんでしょうね。
ありがたいことに。
素晴らしい。ありがとうございます。
じゃあちょっとね、仕事の姿勢とか哲学的なところを掘り下げるのが好きで引いていきたいんですけど、
今、圭吾さんが仕事をしていて誇りに思う瞬間、嬉しい瞬間はどんなときですか。
一番嬉しいときは、やはり、
うちはオープンキッチンなので、
お客様が食事を終わった後に、
わざわざキッチンまで来て、
そういった言葉を直接いただけるんですよ。
その瞬間がやっぱりたまらなく嬉しいですね。
いやー今気持ちがこもってるなーと思いました。
情景も浮かびましたし、嬉しいですよね。
しかもそれが毎日見れるわけですもんね。
このこずとも、「おいしかったねー!」って言ってる顔が見れてるわけですもんね。
そうですね。
でもやっぱり、キッチンまで来ていただけるっていうのは、
本当にシェフとして最高の瞬間ですね。
素晴らしいです。
じゃあもう一個掘り下げて、あなたにとっての仕事哲学とは何ですか。
ポリシーというか。
自分の信念を曲げずに、いいところは柔軟に受け入れながら、
常にやっぱり進化、自分も進化していくっていう。
私の場合、やっぱり職業がこういった職業で、
よりお客様のニーズというか期待に応えるために、
自分をやっぱり向上していかなきゃいけないなっていう。
あとは妥協はしないっていうことは自分でいつも。
18:04
なかなか正直言ってこの中村屋っていう料理のスタイルが、
先ほどもお話しした通り、やっぱり最初の3、4年、
食べる人たちも初めてなんで、
ラスベガスの日本人がやってる東京スタイルイタリアンっていうのが。
それを今みたいにポピュラーにするまでにはやっぱり、
食べてるお客さんたちの反応も、
この人たちにはいいけど、一部のこの人たちにはこれはダメとか、
っていうのがいっぱいあったんですけど、
やっぱりスタッフからもこれはこういうふうに変えた方がいいんじゃないか、
こうした方がいいんじゃないかっていうのはいろいろあったんですけど、
対応した方がいいと思うものには対応したんですけども、
味という部分では一切妥協せず、
妥協せず一切オープン化、変えてないんですよ。
レシピということですか?
レシピです。
ただ提供の仕方とか、そういったものに関しては変えた部分はあるんですけども、
これが多分、結果が出ないからってしょっちゅうしょっちゅう変えてたら、
多分今の自分のお店もないと思ってる。
やっぱりブレブレになるっていうのが一番、
結果が出ないものだと思う。
柔軟性とブレブレっていうのはもう全然違うと思うので、
自分の譲れないところは譲らない。
それだけは守ってきて、今は良かったと思います。
そのレシピというのは、
けんごさんが一番最初のキッチンの経験からいろんな経験をされて、
オープンまでやってると思うんですけども、
オープンするときにもう全部、このメニューはこの味だ、このメニューはこの味だっていうのを一通り…。
そうですね。
あとはちょっと反応を見ながら、多少のアジャストはありましたけど、
強弱はありましたけど。
なるほど。
基本は変わってないと。
変わってないです。
すごくいいな、でもそれ。
寿司も独学で握れるようになってるし、
イタリアも行ったことないけどイタリアンを極めてるわけですよね。
21:06
独創性っていうか。
修行時代つらかったでしょうとか、
どんな有名なレストランで修行したんですかって聞かれることがあるんですけど、
あとはアメリカ人のお客様には、
イタリア何年くらい住んでたの?って聞かれるんですけど。
イタリアンでしゃべりかけられそうだしね。
住んだこともなければ、
修行というつらい時代も1年半ぐらいしか経験してないし。
あとは、うちのお店3分の1ぐらいは、
実は私が日本で働いてた一番最後の自動レストランシステムさんから、
これとこれとこれとこれ、レシピ送ってっていう形で。
本来は門外不出のレシピを、
国外だしね。
ご協力いただいたっていうことですね。
私もそこの会社の在籍させていただいたときには、
死に物狂いで働いてた。
貢献されたわけですもんね。
辞めてから受け止めていただいた。
本当は出しちゃいけないけど送ってあげるから。
あとは全部残りのレシピは自分で、
これまた独学で。
そこはすごいですね。
なんつうんだろうね。
自力が。
反力みたいなものが。
そんなにね、だって昔はまだインターネットもそこまで発達してない。
そうですね。
11年だったらあるけど、
今ほどYouTubeに何か載ってるとかっていうのはないですね。
多分味の足し算が得意だったのかもわからないですね。
あとはやっぱり、
私の母親がすごく料理が上手だったんですよ。
そうなんだ。
それもあって、
ちっちゃいときからやっぱり食べること、
あと、僕がレストランで食事をすることは大好きでして。
いろんな経験がお母さんからもあったんですね。
24:02
そういえばけんごさんがYouTubeでインタビューされてるようなやつをチラッと見たんですけど、
クリームオイルとガーリックって言ってたかな。
そこの使い方だけがめちゃくちゃこだわるけど、
他にいっぱい調味料を入れないっていうことを。
そうですね。
それがうちのお店の全部の料理のコンセプトなんですけども、
あまり香辛料を使ったものが、
私自身にあんまり嫌いではないんですけども、
やっぱり素材の味で食べたほうが、
お客さん自身どっかで食べたことあるなっていう記憶がよみがえるのと、
馴染みやすいっていう。
たぶん飽きないっていうか、
シンプルなほうがね。
味がガツンってこういうやつ飽きちゃいますもんね。
そうですね。香辛料とかでいっぱい入れるとそのまま美味しいんですけども、
数時間経つとパンチが強すぎて、また食べたいな。
もういいやって、ラチャンのせいで。
そのへんも、足してくっていうよりもひんでくっていう技術もこだわってらっしゃるってことかな。
アメリカ人のお客様にもよくそれは言われます。
今まで食べるイタリア人よりなんでこんなにサラサラッと食べられるんだろうね。
重たくないみたいな感じはあります。
ああ、そうですね。
確かに僕もパスタをめちゃめちゃ食べたけど、
本当にどんどんまだいけるわと思いましたもんね。
4、5種類食べましたけど。
ワインもおいしかったし、楽しい場所だったからあれだったけど。
お母様も。
じゃあ僕次の質問が、あなたの作ったルーツはなんだと思うんだったっていう質問だったんですけど、
お母様の料理もこのルーツに入ってるのかな、もしかしたら。
そうですね。
他に影響を受けたものってありますか。
とってにはルーツ自体はないんですけれども、
何でしょう。
さっきも言った通り、私が働いてた前の会社からレシピいただくときに、
27:08
これとこれとこれはアメリカで有名、俺がアメリカで有名にしますからという約束をしたんですよ。
なるほど。
簡単に商品名で言うと、うちの大ヒット商品の味噌カルボナーラという商品があるんですけれども、
味噌カルボナーラは絶対アメリカでヒットすると思ってたので、
これはもう絶対にアメリカで超有名にするからっていう約束をしたんですけど、
約束したからには頑張ろうって言っていただけ、協力もいただいたんで。
気持ちの中にずっとあったわけですね。
ありましたね。
実際にそれがみんなの看板商品になってると。
そうですね。
前の会社の方とはまだやりとりってあったりしますか?
一部やりとりもありますし、
何年か前、小田急電鉄グループの会社なんで、
何年か前小田急グループの商業視察みたいので、
社員の方、ラスベガスであったりとか、
っていうことも、そういう交流も未だにあるんですけど、
当時の社員はほとんど永年だったりとか、
ほとんどもういないので。
でもそういうストーリーを聞くと、
向こうもやっぱり嬉しいだろうし、
けんごさんも約束守ったぞって言えるっていうのはいいですよね。
守れてよかったです。
じゃあ次の質問。
あなたを引っ張ってるモチベーションは何ですか?
最初の冒頭のところで、今は後継者というか、
次世代に渡していきたいみたいなところもお話しされてましたけども。
やっぱりそのあたりですかね。
モチベーションとしてはやっぱり今、
ありがたいことに世の中でそれなりに評価をいただいて、
お客様もいっぱい来店していただいて、
そういったものがやっぱり一番のモチベーションですね。
30:00
もう期待を裏切ってはいけない。
なるほど。
ちょっとその思いもあって、
ここ数年は営業時間は全て私が作るようにしてます。
途中で間任せたりとかっていうこともやってたんですけど、
やっぱり、
そういうお客様の声がやっぱり多かったりするので、
あと何年このレストランやっていけるかわからないけども、
やっぱりラスベガスに名前を刻みたいっていうのもあります。
いやーなんかシンプルにかっこいいですね。
いいえ。
期待を裏切らないように。
体を壊さないように頑張っていただきたいなと思いました、今。
そうですね。
もう一個これ皆さんが聞いてるんですけど、
仕事や人生の中で今までにした最良の意思決定は何ですかって聞かれたら。
最良の意思決定っていうのは、
今のところはやっぱり正直言ってこれっていうのはわからないんですけど、
これは多分引退したときに初めてわかるのかなっていう。
やっぱりその意思を決定するときって言うのは、
毎回これが最良だと思って決定してるんですけれども、
必ずしもそうはいかないことが半分以上で良かったこともあるんですけど、
どれなのかなっていうのは、
今のところはちょっとわからないですね、自分の中では。
ありがとうございます。正直な気持ちを伝えていただいて。
まだだから走ってる途中だってことでもあるのかな。
そうですね。
ありがとうございます。
今から未来を意識して質問していきたいんですけども、
味噌カルボナーラ、気になります。
気になるよね。俺もさ、
俺食べたんかなーってちょっとあまり、
カルボナーラ、食べてない。
なんかシーフード的なものと、
ウニパスタと、黒いやつ。
33:00
イカスミ。
よく覚えてるんだけどね。
もう一回改めて、味噌カルボナーラめがけて中村屋に今度は行きたいなと思ってますけど、
気になるよね。
気になります。
もう絶対自信があるというか、
やっぱそういうストーリーがね、いいですよね。
俺がこれをアメリカで有名にします。
で、ちゃんとね、ローカルの人に認められてるっていうのがすごいですよね。
あとやっぱり、東京って言ったらお寿司ないの?って言われちゃうんだなって改めて思いました。
もう日本って言ったら寿司みたい。
そうだよね。なんで日本人がイタリアン作ってるの?って。
言われてみれば、そう思うかともわかるけど、
日本人はみんな全員寿司握ってると思われてるのかな。
そういうイメージがあるのかもしれないですね。
特にね、20年前とかそうだったんでしょうしね。
いやー、でもさ、本当に日本人に認めさせるだけでも、たぶん難しいと思うんですけど、
レストランをね、成功させるっていうのはね、それを外国で、
しかも日本の味っていうかね、日本スタイルのものを認めさせるっていうのはやっぱすごいことだなって思いますよね。
へー、そうですよね。
ラスベガスに名前を刻みたいっていうのもかっこいいなって。
そうだが、それがね、昭和な男な感じなんですよ。
名を残すぞと。
そう、もうでもそれがね、ド直球でやっぱかっこいいなと思いますよ。
いわゆるっていうね、そういう成功のイメージっていうかね、なんて言うんだろう。
なんか細かいことを知らんと、いう感じがね、男らしくてかっこいいなと思います。
もうね、刻んでるような気もしますけどね。
いや、もう十分刻んでますよ。
もう認められてね、もう刻んでますよね。
受賞されて、評価も得て、お客さんからもね、たくさん愛されて。
それでもね、まだ走ってる途中っておっしゃってましたけど。
まあでも本当になんかね、昭和ってわけじゃないかもしれないけど、死ぬまで走ってるのがやっぱかっこいいよなと思いますよね。
まあ引退してご隠居ってのもいいけど。
36:01
あとお母さんが料理上手だったっていうのもなんか。
はい。
お母さん結構あれですよね、不動産。
まあお父様がね、最初もちろん創業されたと思うんですけど。
会社をお母さんが受け継いで、それを、物件をラスベガス見に来て、ついてきてね。
それで決めたっていうところもありましたが、お母さんの人生の結構影響を与えてんだろうなって思ったりしますよね。
いろんな意味でね。
まあそういうのもでも、お母さんもたぶん嬉しいし、息子さんの話を聞くのは楽しいんだろうなとか思ったりしますし。
最初は自分でラスベガスに目をつけたんだけど、結局息子さんがね、そこでお店を開けてさ、賞をもらってさ。
ねえ、お母さんはもうびっくりですよね。
お母さんもね、いろいろ来てるのかな、ちょっとわかんないですけど。
素敵ですよね。
素材の味を大切にしてるっていう話もありましたけど。
ガーリックとオリーブオイル、こだわるのは。
やっぱ食べて感じました。
そうですね。だから、どれだけでもいけるなと思いましたもんね、なんか。
重くないっていうことですけど。
やっぱ国質濃いもんね、味濃い料理多いじゃないですか、アメリカ特にね。
ドヤッていう感じの。
バターとか、バターがたっぷり入ってますみたいな。
最初はね、なんかおいしいなと思ったりもするんだが、やっぱもういいわってなるものが多いんで。
でもそれで言うと、味噌カルボナーラっていうのは、商品名的には結構がっつりしてそうに聞こえますけど、
そうですね。
食べてみたらどうなんでしょうね。
いやー、お腹すいてきたね。
え、えまさんはちなみに料理するんでしたっけ?パスタとか作りますか?
作ります。
何パスタが得意なんですか?
え、ペペロンチーノが多いかな、ビール作るときは。
ペペロンチーノでも、
オイル系が多いです。
味をちゃんとするのは難しそうだよね、中身が少ないよね、シンプルだよね、ガーリックと。
そうですね、でもベーコンとか入れます、ベーコンとかキャベツとか入れるときとかも。
じゃあ和風な感じなのね。
昨日はタコとトマトとニンニクと唐辛子で作りました。
おいしそう。
俺も昔は作ってたな、ベーコンと茄子と和風パスタ作ってたな、最近めっきり作ってないか。
39:12
マゼリアンセーって十分うまいわと思って。
マゼリアンセーってありますよね、混ぜるだけのやつ、知ってますか?
何ですか、マゼリアンセー、混ぜそばみたいなことですか?
レトルトっていうか、
マゼリアンセー。
例えば、マゼリアンセーってどこの方言だあれ。
茹でたスパゲティに混ぜるだけで、手軽に本格的な味が楽しめる、生タイプの和風スパゲティソースの商品名。
そう、そこにあるんですよ、タラコパスタとか。
ほんとだ、ほんとですね。
それもうまいんですけどね、普通に。混ぜるだけなんで、楽なんで。
てか、マゼリアンセーってどこの方言なんだろうね。
私、あまり馴染みがなかったです。
あ、鹿児島弁だって。
おじゃったもんせ。
何の話してましたっけ?
パスタ作りますっていう。
そうですね、はい。
はい、話ですけど。
でも、やっぱカルボナーラとかはね、お家じゃなかなか作れないから。
あ、食べたい。
食べたイカスミとかもいいですよね。
イカスミおいしかったっすよ。
ね、おいしいな。
おはぐろになりながら、みんなでうまいね、つって。
いやいや、まだ走り続けてる途中ってことですけど。
そう、あとあれだね、お客様が食後にキッチンまで来て感謝をくれるっていうのが、やっぱ素敵だなって思いますよね。
やっぱ直接ね、いい顔が見られるっていう、嬉しいですよね。
もちろんね、おいしいなって思うときもあるけど、わざわざそれをね、シェフに行ってきてくれるっていうのは、
まあそのアメリカ人気質なのか、他のね、もちろん外国から来てる方もいっぱいいると思いますけど。
はい。
そりゃ嬉しいよな。
ね。
ね、やりがいになりますよね。
うん。
いやあ、がんばらないと、と思いますね。
はい。
いろいろ刺激をいただきますな。
42:00
はい。
そんな感じですか。
次回はどんな感じですか?
いやあ、ちょっとまあなので、未来を見据えた、まあそんなケンゴさんも走り続けていると言いつつも、
まあ今、あの、もうすぐ歓歴みたいな感じでおっしゃってたんですけど、
そろそろね、次の展開も考えていらっしゃるようで、またそれがまたね、いい話なんですけどね。
うーん、おう、次の展開。
うーん。
はい。
そんなところを聞いてる感じですかね。
はい、それでは次回も。
はい。
お楽しみに。
はい。
リアルアメリカ情報。
よっ。
このコーナーでは、最新のビジネス生活情報をアメリカ、ロサンゼルスからお届けしていきます。
はーい、お願いします。
はい、今回はオリンピック、ロサンゼルスで行われるオリンピックの続報をまたお届けしたいと思います。
なんかちょいちょいだんだん近づいてきてる感がね、ありますね。
はい、あとね3年ということですけど、2028年に行われるロサンゼルスオリンピック大会ですけども、
競技スケジュールをちょくちょくアップデートしておりまして、
まず大会が始まる、開幕が7月、2028年の7月14日。
で、開会式がロサンゼルスメモリアルコロシアムとイングルウッドのスタジアムで合同開催。
ソーファイスタジアムね。
閉会式が、ソーファイスタジアム。
はい。
で、閉会式は7月30日。
で、陸上競技と水泳競技が初めて週を交互に開催されるというのと、
陸上競技が第1週、水泳が第2週に行われて、16日目に終了。
2週間ちょっとってことね。
そうですね。2週間第1週と第2週に行われて、16日目で終了。
で、マラソン競技は最終の週末、最後の週に行われるそうです。
あとですね、最終のメダルが決定、授与されるのは、ベニスビーチで行われるトライアスロンの競技で最初のメダルが決まる、授与される予定だそうです。
はい、っていうのがアップデートされました。
なるほど。
45:00
はい。
あ、つってもまだ3年もあるのか。
はい、3年。
近づいてきた感もあるが。
え、でもなんか東京オリンピックもまだまだだなって思ってたら、あっという間に来たから、もう2028年もすぐ来ちゃうんじゃないですか?
ですね。てかもう、エマさん、LAにいないんか、それ、もしかして。
来月、いなくない?
来月、シカゴ?
来月、シカゴに行ってしまうんですが。
その後の予定は別にわかんないんだよね。未定なんだよね、きっと。
はい。わからないです。
まあね、でも、LAに見に来てもいいかもしれないね、遊び方が。
ね、行きたいです。
だってその頃には3歳になってるはずなので。
そうだよね。
まあでも、けっこうそう言われてみると、子供の頃にオリンピックを見て、運動を始めたみたいな人も多いかもね。
うん。
まあ、運動を始めたのか、憧れたのか。
まあ、水泳とか柔道とか。
はいはい。
なんかね、見てましたか?オリンピック。
オリンピック?何でしょう。やっぱり水泳、北島浩介さんとか。
ああ。
子供のとき見てたかな。
はい、見てた記憶はあります。
なんか、俺もあんま覚えてねえが、矢原ちゃんとかが活躍してたな。
うーん。
柔道のね。
はい。
あと誰だろう。覚えてない。
ジョイナーとか、あの、えっと、陸上のさ、
はい。
たぶん、絵馬さんは知らないな。俺がだから、小学校のときは、ジョイナーっていう女性のさ、爪が綺麗、綺麗っていうか、まあ、ネイルをバッチリして、確かめちゃくちゃ速いジョイナーっていう。
はいはいはいはい。アメリカ代表ですね。
その、ジョイナーの走り方が独特で、みんなジョイナーの真似をして、あの、笑っていた。
あ、すごく爪が長いですね。
そうなんですよ。覚えてますけどね、なんとなくね。
あと何だっけ。カール・ルイスじゃねえかな。それ何だっけな。
なんか陸上が流行ってたよな。流行ってたっていうか、その頃、陸上が花形競技?まあ、今もなのかね。
うーん。今もだと思いますよ。
日本だと、サニー・ブラウン選手とか。
48:06
サニー・ブラウン?
キリュウ選手とか。
えー、あんこ分かんない。
なんかでも、女性のスイマーの人は、なんか有名な人いるみたいよね。
あ、いけーりかこ選手とかですか?
うーん、たぶん。
日本だと。
分かんない。でも、俺がちょっと注目したいのは、やっぱスケートボードサーフィンあたりなんで、ちょっとあんまりもう、全体をね、なんかでも昔は盛り上がってたよな。
今は盛り上がってないみたいな言い方です。
盛り上がって、盛り上がってると思いますけどね。
そうですね。まあ、なんか興味が変わってきちゃったのか。
いや、ていうか、もうちょっとなんかさ、日本全国でみんな見てたみたいなイメージあるんだけど、昔はさ。
はい。
今は別に興味ない人は全く興味ない。他にやることいっぱいあるじゃん。だから。
それはそうですね。
割とばらけちゃってるからね。そうなっちゃってるのかもしれないが。
確かに。今、若い人はYouTubeしか見ないっていう人も多いから、そうなるとね、オリンピックの中継とか見ないかもしれないですね。
変な方向に行きましたが。
まあまあ。
いやいや、でも盛り上がってきますよ。この3年。
そうやって言ってても、まあ見ちゃうのは見ちゃうんだけどね。
うん。そうですよ。
そうですね。感動して泣いちゃったりもするんだけどね。
はい。
ね。これはまたどんどん情報アップデートされていくと思うので。
はい。
はい。引き続きお伝えしていきます。
はい。お願いします。
はい。ここまでリアルアメリカ情報でした。
はい。
締めのコーナーです。
はい。質問をなんとなく準備してはいたんですけど、
ケンゴさんのお話でね、シェフに感謝を伝えに行ってくれるのが嬉しいって話が最後はしてましたけど、
はい。
実際にエマさんがそういうことしたことありますか?っていう話なんですけど。
あ、でも、私、小学校に給食室がついてて、給食室があったんですけど。
給食室ってなんですか?あ、給食のおばさんがそこで料理を作るとこ。
51:01
給食作ってる。はい。
はい。作ってるところがある。
はいはいはいはい。それはどこの小学校もあるんじゃないか。あ、ないか。
なんか運ばれてくるところもある。
あ、そっかそっかそっか。それは実際そこで作ってたんだね。
はい、作ってて。で、なんか帰り、下校するときは、給食係の方がお片付けとかしてて、清掃したりして、片付けてる最中なんですけど、
そこの方々になんかいつもなんか、おいしかったです、みたいな。ありがとうございました、みたいな。叫んでたんですよ。
それは、えまさんだけじゃなくて、いろんな人があった?
一緒に。あ、友達と一緒にかな。
それが、私はなんだろうな。まあ、本当においしかったんですけど、給食好きだったし、
でも、すごいなんか喜んでて、いつもまた来た、みたいな。ありがとうって言いに来た、みたいな。
すごいなんか、おばちゃんがすごい嬉しそうにしてくれるのがまた嬉しくて、いつも叫びに行ってました。
それはまあ、うれしかったんだろうね。
ちなみにね、俺のおかんは、給食のおばさんをやってた時期がありますね。
そうなんですね。
まあ違う、うちの学校には来てなかったと思うんですけど、どっかまあセンタルキッチンみたいなところで作ってて、だったと思うんですけどね。
まあでも今は、サボテンっていうとんかつ屋でパートで働いてまして、うちのおかん。
へー、あ、じゃあ飲食なんですね。
まあでもたぶんそこでも、ありがとう、おいしかったよって言われてる風化が浮かびますけどね、なんか。
なるほどな。
いやーでも、僕も思い返すと、まあ友達がシェフとかやってるんだったらもちろん感謝を伝えに行くんですけど、なんかそんな改まってっていうのがあんまり思い出せなかったんですけど、
まあ思い出したのは、バンドを昔やってて、台湾って言って他のねバンドのやつと何人か4組ぐらいが一緒にイベントでやって、
ショーをしたりとか、まあ普通にそこら辺のローカルの有名じゃないバンドを見に行ったりすることもめちゃくちゃ多かったんですけど、
そういう時にやっぱりめちゃくちゃかっこよかったよっていうのは、本当にかっこよい時には言いに行ってましたよね。
言いに行くとやっぱり喜ぶし、僕らもショーをやった後に、わざわざ来てくれてすげえよかったよって言ってくれると、やっぱ超嬉しかったんで、
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なんかそういう気持ちなんだなーってなんかちょっと思い出してましたけどね。
でもアメリカ人はちゃんとそういうこと伝えてくれますよね。アメリカ人はじゃないのかもしれないけど、そういう率が高い気がする。
そうですね、そんな感じします。
褒めてくれる。
ポジティブなフィードバックはやっぱいいですよね。
まあねえまさもお腹大きい時にすごいコングラチュレーションとか言われたって話もね、知ってたけど。
レジ、スーパーのレジの人とかに高確率って言われました。
毎回買い物するために祝われるみたいな。
まあね、なんかそういうのはちゃんと伝えなきゃなーって思ったりもしますよね。
まあ会社で働いててもそうですけど、会社っていうかまあ自分の会社でもそうだし、全職の時もそうだったけど、
ちゃんとこれ言ってあげないとっていうか、言われた方と言う方で全然大きさが違うんだと思うんですけど。
だからそれがでもさ、上手にできる人とさ、なんかわざとらしいってなっちゃうパターンってあるじゃない。
そうですか?わざとらしいことあります?
まあでも、素直に嬉しいよね。でも言われれば。
まあ褒められてね、悪い気はしないですね。
うん、わざとらしく聞こえないかなって気にしちゃったりはする。
あー、なるほどなるほど。
自然に言えてるかなみたいなね。
なるほど。
そういう時はありますよ。
はい、何の話してましたっけ?
後半に入ってくるとちょっと頭飛んでくるんですけども。
あのー、おいしかったよとか伝えた経験ありますか?っていうことで感謝を。
伝えに行った経験がありますか?
経験あるか?ということですけど、じゃあお便りのテーマも。
そうですね。
まあこれは別にレストランじゃなくてもね、いろんなシチュエーションであると思うんですけども。
感謝を伝えたエピソード。
伝えたい、感謝を伝えたエピソードというテーマで、じゃあお便りを募集します。
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今週も聞いてくださりありがとうございました。
ありがとうございます。
それではまた来週。
じゃあね。
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