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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各協会のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
314回ですよ。314回で。
お元気でしょうか。
先日ですね、日本から人が来ていて、
アテンドというか、いろいろ連れて行ったり、一緒にご飯食べたりしてたんですけど、
日本から人が来た時のおすすめの場所とか食べ物って、
どんなものがあるかなっていうのをちょっとだらっとしゃべりたいなと思ったんですけど、
日本から来る人ってわりとガイドブックとか見てて詳しいんだよね。
詳しい。
だから、ベタなところ、今だったら大谷翔平さんの壁画とか、
あとグリフィスパークっていう展望台とか、LAだったらね、
あと行ったのは、ザ・ラストブックストアっていう図書館だったとか、
あとブロードっていう博物館とか、グローブっていうショッピングモールみたいな、
結構定番じゃん。
そうです。
そこら辺じゃない、でもそのガイドブックには載ってねえだろみたいな場所とか、
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さおりちゃんあったりしますかね。
ちょっといきなり質問になっちゃったけど。
私はハロスバルデスのお散歩かな。
はいはいはい。
ガイドブックにはたぶんそこそこのてないし、
自分でやっぱ車借りていかないと行きにくい場所ではありますけど、
あそこまでのドライブが両側に本当に何十億円ぐらいの家が並んでいて、
海岸沿いでものすごい綺麗じゃないですか。
そこはおすすめしてます。
確かに。
俺も質問しながら何も答えを考えていなかったんですけど。
大体では俺はビーチにそうだね、連れて行っちゃうな。
俺もやっぱそのパロスバルデス周辺、パロスベルデス周辺の眺めがいいところをドライブしてみたり、
あとマリブの方を1号線をマリブを越えてドライブしてみたり。
いいですね。
そこは。
ガイドブックはやっぱベニスビーチとかマンハッタンビーチとかサンタモニカが載ってるからね。
あと食べ物で言ったら大体俺メキシカンを食わせるっていうかさ。
確かに。
日本にはあんまりないと思うんだけど。
だからめっちゃおいしいだよね。
おいしい。
私はあれね、ザボイリングクラブ。
あー確かにな、あれもないな。
ルイジアナケージャンみたいな、あれもともと多分ルイジアナとかですよね。
そうだね。
ああいう系の料理。
南アメリカというかなんだ、サウスの方ですよね。
サウスの方でケージャンソースでいろんな魚介とかソーセージとかトウモロコシとかが煮込んだってそれを手で食べるみたい。
そうね、手づかみでみんなでごあいあい言いながら食うっていう。
そうそうそう。
確かにあれもね、こっちならではといえばそうだね。
うん。
はい、まあちょっとなんかそんな話をだらっとしたかったという。
参考になる。
そうそう、大谷選手もいるしまた日本から来る人も増えそうだし。
確かに。
うん、なんかちょっといいなって思ってますよ。
もっとたくさん来てほしいなと。
いいですね。
はい。
ちょっとね、エイニアスがやばいけど見てください。
まあ確かにね、まあそりゃそうなんですけど。
ということで、さあ本編に入っていきたいと思います。
はい。
毎回一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語ですが、今回はですね、アメリカ、ロサンゼルスでエコドライブソリューションズを踏まえて、
経営されていらっしゃいます鈴木敏さん、通称トニーさんのインタビューの2回目です。
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はい、トニーさんが、先週はね、その授業内容とかの話してたんですけど、今週はあれですね、
おいたち、結構スピーディーに人生を展開させているという、そして営業の話、仕事の話、できるビジネスワンだなっていう感じの話を、なんでアメリカ来たのかっていうのもそこまで話を伺っております。
はい、では聞いていただきましょう。
はい、じゃあちょっと今から過去の話を聞いていきたいと思います。
先週までがね、トニーさんが一人から立ち上げた会社を10年で、社員17人まで今ね、増えているっていう感じに成長させているところなんですけど、
そんなトニーさんがどうやってできてきたかっていう話なんですけどね。
とりあえず最初、埼玉県所沢市の出身ということであってます?
あってます、あってます。
どんな子供でしたか?
え、どんな子供だった?体格は小さかったし、背も小さかったし、足も遅かったし、これといって何の特徴もない、どこにでもいる子供以下。
運動は?
運動は?サッカーやってましたよ。
そうか、そうか、そうか。
サッカーは小学校、中学校でやってましたよ。
その時の夢みたいなのは?
夢はね、やっぱりサッカー選手でしたね。当時ね、Jリーグができたばっかりで、東京ベルビーって言いましたっけ?
ヨビルベルビーか、当時は。ラモスとかね、アルシンコとかいて、それは鹿島安藤ですか。
やっぱりJリーグすげえ見てたし、自分もこの舞台行きたいなって思ってましたよ。
ですよね、大体僕は野球の方でしたけど、僕もね、ちょうどJリーグができてきたくらいで、サッカー部の人がやたらモテててちょっと羨ましかったです。
僕もほとんどモテなかったですよ。
そうですか。でも完全に野球部よりサッカー部の方がモテてた気がするけどね。髪も長いしさって。野球部全員坊主だから。
でも僕ね、高校時代サッカー部だったんですけど、坊主だったんですよ。
あ、そうなの?
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なぜかその高校はルールがサッカー部なんだけど坊主になってた。野球部はロン毛だったんですよ。
確かに最近の甲子園はロン毛の人多いからね。ロン毛はいないかもしれないけど、フサフサしてる人多いですよ。
それで高校のサッカー部辞めましたからね。
まあね、結構重大事項ですよね。
そこから高校を卒業して、大学行かれたわけですね。
大学行きました、はい。
どんな感じのメジャーというか。
建築学科ですね。
車関係ないですね、じゃあ。
車関係ないです。
それなんかあったんですか、興味が。
全くなかったですね。
大学なんで建築行こうと思ったのかな。
高校時代にすごい勉強頑張ったんですよ。
自分で言うのもなんですけど。
高校時代はそんなに頭いい高校じゃなかったんですけど、高校の中で2番目ぐらいだったのかな、成績的には。
すっげえ。
マジですか。
ちなみに中学時代は下から数が早かったんですけど。
すごい。
中学時代は本当に下から数が早くて。
何があったんですか、なんでそんなに。
中学の時に本当に僕はサッカーばっかりやってて、全く勉強なんかやらなかったんですよね。
本当に成績ずっと悪くて、中学3年ぐらいの時に親が呼び出しになって、やばいですよと、お宅のお子さん。
高校入学できないような場所があるんだよっていう警告を受けたんですよ。
それでちょっとそれだからやべえと思ったんですよね、自分の中で。
これはまずいと。
ちょっと親のこともあるし、さすがにここ行かないとまずいと思って、超勉強したんですよ、高校3年の時。
中学3年じゃなくて。
ごめんなさい。
中学3年の時ね、受験の前に。
塾なんかも行ったことなかったんだけど、俺塾行くって言って、塾行って、
死ぬほど本当に人生であれぐらい勉強したことないって頑張ったんですよね、中学3年の時。
で、高校に入ったんですよ。高校別にそんなにいい高校じゃないですよ。
真ん中ぐらいかな、県立なんですけど。
その時高校に入って、俺も中学3年の時あんなに頑張ったから、あんな思いしたくないって思ったんですよね。
つらかったんですよ、勉強は。中学3年の時にやったかどうか。
でもそれって親に対してのあれなんですか?恥かかせないような、親の期待に応えるために勉強めっちゃしたってこと?
自分のためにやったってこと?
いや、たぶん親だったんですね。
すごいな。
で、あとは兄貴の存在もあったんですけどね。
兄貴が僕には8校離れた兄貴がいて、兄貴はちゃんと高校出たし、その次も行ってるんですよ。
だからやっぱり兄貴、どうしても8校上だから勝てないんですよね、何したって。
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運動でも勝てないし、頭でも勝てないし。
それにちょっと悔しいっていう思いがずっとあって。
だからちょっと頑張ったっていうのが中学3年の時にあって。
で、高校に入って、もうあんな思いしたくないと思って。
つらい勉強、暗記、あれをもうしたくないと思って。
で、高校に行って、僕は授業を本当に100%聞くようにしたんですよ、ちゃんと。
ああ、だから後ね、遅れを取り戻すのがつらいから、普通に毎日やっとけばいいっていう感じですかね、集中して。
そうそう、で、高校の授業をちゃんと聞いて全部。
で、家帰って復習したんですよ。
へえ。
部活やりながら?
部活やりながら。
部活は1年でやめちゃったんですけど。
あ、そっかそっか、坊主だからね。
坊主だから。
でもその後も、とにかく勉強、勉強したっていうかね、授業を聞いて復習したんですよ。
まあ、基本をやってたってことですね。
そう、授業を聞いて復習して、で、なんなら予習までしたんですよね、次の授業。
次回、来週やるクラスの予習もしたんですよ。
なるほどね。
そしたら高校で、1番になりたかったんだけど1番になれなくて、2番だったんです。
塾とか行かなくて?
行かなくて。
すごいっすよね、ほんとに。
じあたまがいいのかな、じゃあ。
いや、でもやっぱり復習の効果ってすごいっすよ。
それが。
日本の人間がやっぱりね、そのクラス聞いて授業聞いたら忘れちゃいますからね。
だからやっぱり復習と予習っていうのは、ほんとすげえなって思いましたね。
そもそも授業も聞いてなかったしな、僕は普通に。
ですよね、普通そうですよね。
で、それ僕中学校で育ったんですよ。
うーん。
すごいっすね。
そのモチベーションが続いたのがすごいな、なんか。
そしたら高校で2番になったら、大学が選べたんですね。
試験なしで。
ほう。
指定校推薦って言うんですけど。
選んでいいよと。
この中からどれにするみたいな感じだったんですよ。
すごい。
選べたんですよね、結構だから。何種類もあって。
どうしようかなと思って。
別にしたいことないんだよなと思って。
で、その中から一つに建築学科っていうのがあったんですよ。
東京電機大学。
で、なんとなくですけど、建築、自分で作ってみたいなって。
すんげえ漠然とした思いがあって。
まあね、高校生ぐらいでね、どういう仕事でどういう社会的な役割があるとか
全くわからないですもんね。
学科、経済学部とかなんか言われたって。
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何すんだろうって感じですもんね。
全くわからなかったですね。
当時はね。今はたぶん情報あると思うけど。
だから本当に、僕でも実は大学行かないつもりだったんですよ。
早く働きたかったっていう。
あ、そうなんだ。
それ、金稼ぎたかったって感じですか?
早く社会にいた。
社会に出たかった。
僕の時代ってやっぱり尾崎豊とか世代なんですよ。
結構イケイケっていうかね。
尾崎豊世代じゃないのか、もうちょっと上なんですよ。
うちの兄貴ですね。
まだまだ影響されて聞いてた。
尾崎豊世代なんですよ。
結構影響されて聞いたりとかして、
学校なんてくそくらいみたいな感じで内心思いながらやってたんですよ。
そういう風に僕はなかったんですけど。
ただやっぱりそこで出てきたのはやっぱり親だったんですよ。
親っていうのがあるんだから。
期待されてるしっていうね。
親とかばあちゃんとか。
だから自分でその道を選択したというよりかは、
家族っていうところを意識したかもしれないですね。
まあでもね、今の話の要点っていうか、
遅れを取ってそれを挽回する労力よりも日々、
当たり前のことじゃないけど、日々のことに集中して
こなした方が断然楽だよっていう。
しかも成果出やすいよっていうことなんですかね。
そうだよなあ。
さっきはね、これもあったんですよ。
僕高校時代めっちゃ遊んだんですよね。
いろんなここでは言えないような話もありますけど。
勉強もしつつ遊びもしっかりしたと。
めっちゃ遊んだんですよ。
ここでは言えないようなこと。
気になる。
気になるけど何したんですかね。
でもそれは、なんか自分の中であったんですよね。
勉強してるんだから許してくれよっていうのは。
まあまあまあ、そういう時期ですよね。
そういう時期、そういう時期。
大人からしたら、いやいやそれとこれは違うじゃんっていう話じゃないですか。
だけど当時はね、勉強して成績出してるんだから
そこは大目に見てくれよっていうのがあったかもしれないですね。
夜の校舎窓ガラスを割って、
夜の校舎窓ガラスを割って回ったわけではないですね。
人に迷惑がいるんですね。
おさっき言うたから歌でありましたからね。
でもああいうのに憧れ立ちは壊れますよね。
盗んだバイクで走ります。
今の人はしちゃいけませんけどね。
なるほどね。
それで大学も建築学科で卒業されて、そこから就職なんですか。
そうですよ。建築学科卒業して、新卒で就職ですね。
建築系の会社なんですか。
いえ。ガリバーっていう会社ですよ。車庫の会社ですね。
でた。
だから建築に進んだんですけど、
18:00
僕ね、1年で自信がなくなっちゃったんですよね。
自信がなくなっちゃったんですか。
センスがない。逆にセンスがないってことが分かっちゃった。
結局僕は指定校推薦で全く建築の勉強なんかせずに楽に入っちゃったわけじゃないですよ。
ところがほとんどの他の学生っていうのはめちゃくちゃ勉強して入ってきてるんですよ。
建築を選んで入ってきてる人たちなんですよ。
だから勉強の具合、知識量とかも全然違う。
最初から持ってるものがね。
持ってるものがそもそも違うんですね。
これは無理だなと思ったんですよね。
だって彼らは自分たちの知識をつけるためにわざわざ海外に行って、
その建築を見て、自秘でですよ。
勉強してやってる人たちですから。
そういうところには、僕はそれにはかなわないなと思ったんですよね。
だからそのセンスの違いを感じたから、これは努力時にはどうにもならないけど、面白かったですよね。
そもそもそれをめっちゃやりたくてって選んだわけでもないですよね。
漠然と。
漠然と。
そうか。
ガリバーっていうのは車の買い取り専門?
当時はね。
当時は買い取り専門って言ってました。
それは何かあったんですか?きっかけというか。
僕がね、高校、違う違う。
大学か。
大学の1年生2年生、
2年生の時にアルバイトをしたんですけど、
ガソリンスタンドでアルバイトをしたんですよ。
ガソリンスタンドってみんなガソリン入れてりゃいいじゃんって思うかもしれないんですけど、
実はあれ、場所によってなんですけど、
いろんなものを売らないといけないんですね。
例えば?
例えばエンジンオイルの交換をしませんか?
あとはブレーキ。
例えば洗車。
ワックスやりませんか?
水抜き剤っていうものを入れませんか?とか
ワイパーを買えませんか?とか。
ガソリンを入れに来たお客さんに販売するんですよ。
アップセルって言われる?
アップセル、それをするんですよ。
僕がたまたま入った会社がめちゃめちゃ熱心な会社だったんですね。
それに対して。
言ってみればパワハラですよ。
でも上からやれ。
ノルマ的な?
めちゃくちゃあって。
1ヶ月にこれとこれ何個売れ?みたいな?
アルバイトなんですけどっていうところなんですよ。
ガンガン言われるんですよ。
インセンティブはあったんですか?
めちゃくちゃあるんですよ。
頑張れば頑張るほど、もらえるものはもらえるってことですね。
そこで僕は働いて、
そこでやっぱり物を売る楽しさっていうのを知ってしまったんですよ。
こんな楽しいことないなっていう風にはまってしまった。
その物を売って、それが感謝されて、
インセンティブもらってっていうのがすごい楽しかったんですよ。
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ついでに僕は車が捨て合ったってこともあり、
自分が好きな物を扱えて、
それが人に喜んでもらって、
お金にもなってっていうことがやりがいになってしまったんですよね。
その快感を覚えちゃったんです。
売れるってことに。
お客さんが喜んでくれる。
自信になりましたよね。
できるじゃんみたいな。
他のバイトの人よりよく売れてたとか?
そうそう、売りまくりました。
確かね、歴代記録作ったんですよ。
まじっすか。
トニーさん、まじね、あれなんですよね。
尊敬します。
僕はスポーツとかは中ず飛ばずだったし、
自分には自信がないなといろいろなことを思ったんですけど、
高校って言いました?
大学。
大学の2年からバイトしてたね。
就職までやってたってことですか?
いや、そこは辞めたんですよ。
辞めたっていうか、大学のキャンパスが変わるんですよね。
そうなんだ。
もともと千葉だったのが、大学の2年、3年生だったかな。
神田キャンパスに変わるタイミングで、
引っ越さないといけない。
あの時の思いをもう一回したいと思って、
地元の別のガソリンスタンドに勤めたんです。
そこは全然やる気ないガソリンスタンド。
車風が違うんだね。
そこは売らなくていいからっていう感じのガソリンスタンドだったんですよ。
ただそこはそこでめちゃくちゃ勉強になって、
チームマネジメントの勉強になったんですね。
そこは。
社員が全く何もしないとこだったんですよ。
やる気がない?
やる気がないのか、任せてくれてるのか。
だからアルバイトの権限がめちゃめちゃ強かったんですよ。
アルバイトの中でリーダーがいて、
その後輩を全部まとめあげるっていう感じだったんですね。
それはそれですっげえ勉強になったんですよ。
なるほどね。
バイトリーダーみたいなポジションだったんですね。
なっていくわけですよね、徐々に。
最初はもちろんそうじゃないですけど。
先輩から受け継がれてきた文化のものを下に伝えていく。
それでだんだん車に興味を持ったっていうか、
セールスに興味を持っていった感じなんですか?
ビジネス自体。
ビジネスというか、セールスですね。
とにかく売りたいと。
売りたいし、売ったものがインセンティブとして返ってくるというところですかね。
だから完全に能力級というかね。
あんまり年功状別とか関係ないっていう世界を知ってしまったんですよね。
ガソリンスタンドで営業を学び、またマナジメントを学び、そして就職。
24:06
就職したのも、僕は建築学科卒業なんだけど、建築業界って一個向けなかったんですよ。
一個向けなくて、周りからはいろんな意思投げられましたけど。
一応卒業したんですね。
卒業して。
1年生の頃にもう会わないと思ったけど。
思ったけど、そこだから家族のことを考えて、親のことを考えて、卒業しないと危ないと思った。
一応責任を感じてしまって卒業はしたんですけど、
でも俺は1年生から決めてて、建築には進まないと。
で、親は当然悲しみますけどね。
こんなに高いお金を払って建築業界行かないんだよっていう。
周りの友達からももったいない、もったいない。
教授からももったいない、もったいないっていろんな人からも言われたんですけど。
そこは全部一周して、俺は車の営業に進むっていうふうに決めて。
で、何個も受けたんですよ。
そうなんだ。
何個も受けて、説明会に行って、その中で一番部合の高い会社、能力級部合の高い会社に行こうって決めたんですよ。
何個も受かってたってこと?選べたってこと?
いや説明会ですね。説明会に行って。
面接まだ行ってないってことね。
面接まだ行ってないってことね。
説明会に行って、で、僕は絶対質問するんですよ。
給料どうなってんだって。
どれくらい能力級があるんだって。全部質問して。
で、その中で一番高かったのがガリガリさん。
ちなみにどれくらいのものなんですか、ざっくり。覚えてます?
7割ぐらいがコミッション。
基本級、言っていいのかわからないですけど、基本級はすっげー低いんですよ。
基本級めちゃくちゃ低くて、部合級がすっげー高いんですよ。
まあでもなんか、まあそうね、車のディーラー業界だとあるのかな?
ディーラーは嫌ですね。
ディーラーじゃなくて。
ディーラーの場合は年齢級とかポジション級とか、そういうものが高いんですよ。
そっかそっか。買取をしたらコミッションが出ますよってことか。
買取をしてそれが売れたら荒げになっちゃうんじゃないですか。
荒げに対してのコミッション。
なるほどね。
それはじゃあ、もうそれでここにしようって決めて、面接行って普通に受かって。
そうですそうです。
希望通り。
なるほどね。
面白かったのが、僕は物を売ろうと思ったんですよ。
物を売りたかったんですけど、ガリバーは物を売らないって言ってたんですね当時ね。
車を買い取るって言ってたんですよ。
それがまた結局興味を持ってしまって。
どういうことなんだろう。
確かに確かに。
27:00
売るんじゃなくて買い取る、それがどうなるのっていうのがすごい興味があって。
なるほどね。
で、能力値が高い。離職率も高い。
離職率高い?
無茶苦茶高い。
どこでいけるかと。
20年以上前の話ですよ。
ガッツがいりそうな感じですね。
20年以上前の話ですよ。
そういうところに揉まれたかったんですよ。無茶苦茶。
なるほどね。
あとその新しい学びが魅力的に見えたんでしょうね。
売るんじゃなくて買うって何なんだってなって。
どうやって儲けるんだみたいな。
ちょっと俺めちゃくちゃ話聞きたいんだけどね。
セクシャンの時間が足らなそうなんだけど。
それで順調にそこはもう成果を出していくんですか?
そうですね。もうかなり順調だったと思います。
別に失敗したことなんて多分なんか。
挫折的なものは無し?
無いから多分あんまり聞いても面白いかもしれないです。
まあでもね、僕は知ってるんですけど。
店長になり、下積みってどれくらいなんですか?
下積みっていうか。
僕の時はね、スタッフで入って。
スタッフやったのが9ヶ月かな。
9ヶ月。
9ヶ月スタッフやって。
それでじゃあこいつを副店長にしようってなって。
9ヶ月で副店長?
そう。何歳?20?
20何歳?1歳とかだったと思うんですけど。
で、副店長になって。
副店長3ヶ月やったんですよ。
で、店長になりました。
1年じゃん。
それ普通なんですか?異例ですか?
いや、普通よりはちょっと早いぐらいの店ですよ。
実力ある人は?
でも、2年とかでなっちゃうのは結構普通だったんですよ。
自分はちょっと早かったと。
まあ、すげえラッキーだったんですけどね。
すげえラッキーで。
ラッキーパンチがちょっとたまたま過ぎちゃって。
で、1年になっちゃったっていうのがあって。
どこのエリアだった?
埼玉県ですね。
じゃあ、地元の?
そう。
地乗りもあるしっていう。
だけどね、店長になって任されたお店は浦和だったかな。
だから引っ越しましたよ。
ああ、そうなんだ。
で、そこから店長になって?
で、浦和に行って。
で、浦和そのお店がもう潰れる寸前のパンツ。
だから潰す前にあいつにやらせてみようみたいな話になって。
誰がやっても無理な店だったんですよ。
そうなんだ。
で、俺そこに行ったんですよ。
で、そこを無事回復させて。
何が要因だったの?
全部僕が営業だったんですよ。
スタッフに合わせなかった。
全部自分でやって。
半年やったのかな。
半年やって。
で、最高級を作ったんですよ。
その店の。
誰がやってもダメだった店でしょ。
そうなんだ。
それ何したんですか?
いや、自分が商談したんです。
覚えてますか?
言っても他の営業マンでもできる人いるわけじゃないですか。
30:03
でもそれより格段にレベルが違ったってことですか?
単純に。
それとも戦略的なものが?
なんかね、行った時点でお店がドヨーンとしたんですよね。
なんか負け。
もう自分たちは負け組なんだっていう。
でもね、スタッフもすげえ少なかったんですよ。
3人しかいなかった。
めちゃめちゃ少なくて。
なんかね、ドヨーンとしてて暗い雰囲気。
これお客さん来ないよなって。
お客さん来てもここで売りたいとは思わないよなって。
じゃあそこから変えていったって感じですか?
そこから変えていった。
明るい雰囲気にして。
そうそう。まず僕たちはできるんだっていう感じですかね。
店長として行くわけですよね。
店長として。
年上なんですか?
年上っていうかね、しかも僕が最初に配属されたお店の先輩だった人がスタッフになったんですよ。
上下関係入れ替わっちゃって。
入れ替わっちゃって。
うわ、やりにくい。
スタッフとかも毎日飯食いに行ってました。
とにかく僕たちはできるよ、絶対できるよってことをずっと言い続ける。
じゃあ別に先輩だけど文句言うことなくとにさんにツイートしてくれた?
僕も健康でしたからね。全然そこは。
で、最初自分が全部承諾して。で、ほらできるじゃんっていうところを見せて。
で、あとは他のスタッフにもその後入っていってもらったり。
そのスタッフが決まらないような案件も自分が入って行って一人帰ったりとか。
なんかこれ自慢みたいに聞こえてやるんですかね。
いやいやいや、でも俺はめちゃくちゃ興味あるんですけど。
それはトークなのか、何がそれは一番の要因だったんだろうか。
やっぱその頑張ってるってところだと思いますけどね、お客さんからしたら。
なんか自分のために頑張ってくれてるんだっていう。
そっかそっか、じゃあ本当に普通に単純に情熱があったって感じなのかな。
そうそうそうそう。
だと思いますよ。
あとはその、結構当たりのものだと思うんですけど、
お客さんにありがとうございましたっていうタイミングだったりとか。
あとその紹介してくれたお客さんにありがとうございましたっていう連絡をするとか。
結構それってできてない人が多いんですかね。
そうそう。先週の話に出たね、スタンドFMの話でトニーさんが喋ってる回で、
僕も何個か聞いて覚えてるのが、やっぱりできる営業マンの話みたいなのをしてて、
紹介されたときに何回、紹介され、元の方にお礼をどのタイミングで言うかみたいな話をしてたりとかね。
そういうことですかね。
結構当たり前のことを。
当たり前といえば当たり前だけど、できてない人も多いということを。
それってだから高校の勉強を毎日予習復習したのと似てるのかな。
33:00
うんうん。当たり前のことを当たり前にやればいいってことだと思うんですけど。
淡々とやったんじゃないかな。
淡々と。
なるほどね。
じゃあ特にマジックみたいな、これをやれば売れるぜみたいなのは。
あとはね、そのお店を感じたのは、やたら値引き、これ車を買えてるもんでね、値引きとは話が違いますけど。
高く買えますよってことですか、逆に。
要は本部から出される適正価格っていうのがあるわけなんですけど、いわゆる言ってみれば定価ですよ。
で、それをね、やたら値引く。
サービスを、過剰サービスをしちゃうところがあったんですよ。
そこまでしなくても、だってうちは真っ当なことをしてるわけだから。
別に値引きをしなくても、お客さんがきちっと満足してくれれば、その対価の証拠に上がってくれるわけだから。
って僕はそういうふうに思ってたんですよ。
なるほどね。
だからそれをまず改善しましたね。
本当ね、値引きっていうのは最終手段にしておかないとね。
たまに僕もセールスされるときに、何も言ってないのにいきなり値引きしますよって言われると、逆に引きますもんね。
何も言ってないのにって。
面白いんですよ。車を買い取りできる人と買い取りできない人の差っていうのはあって。
買い取りできない人っていうのはね、お金の話ばっかりしてるんですよね。
いくらだったら売ってくれるんですかとか。
とにかくお金の話はずっとしてるんですよ。
でも買い取りできる人っていうのはお金の話なんかしないんですよ。
ずっと雑談してるお客さんと。
なるほど。
で、最後なんですよねお金が。
で、もう一発です大体。
分かったじゃん、君に売るよってなるんで。
そこまでの関係をどうやって作っていくかって感じなのかな。
いやー俺この話あと3時間ぐらいしたいな。
もうそろそろ次のセクションに。
ちょっとやばいんで、ちょっと待ってよ。
もうちょっと聞き忘れたことが。
まぁでもそっからでもあれですよね。
大活躍ですよね。
店長で、どこまで行ったんでしたっけ。
店長で中津飛ばすのお店を一応その。
ひっくり返して。
V字回復して。
そしたら日本で一番でかいお店に任されたんですよ。
それ何年目ですか。
2年目。
社外人になって2年目ですね。
生き生きだな。
一番来店客が多い店。
だからね僕が一番最初に配属された中津飛ばすのお店っていうのは
月に30件ぐらいしかお客さん来ないんですよ。
なるほど。
まぁでも毎日1日1件ってこと?
1日1件ぐらい。30件ぐらいしかお客さん来ないお店。
まぁ本当にちっちゃいお店なんですけど。
次に配属されたお店が400件ぐらい。
10倍以上。
スタッフの数も13人ぐらいだった。
36:00
それの店長ですか?
そこに行けって言われたんですよ。
ビビったんですか?
そこのお客さんいっぱい来るのに上がってなかったんですよ。
もうちょっと行けるはずだろうと。
そう、行けるはずだろうと。
鈴木君は何とかしてくださいみたいな。
ちょっとあいつ息がいいから行ってこいって言われて。
やらせてみようかと。
全国取ってこいって言われたんですよ。
意味不明でしたけど、とりあえず何でもやりますって言ったんですよね。
栃木県のお店でしたね。
結果どうなったんですか?
結果最初はボロボロだったんですよ。
なんでかっていうとね、僕全部商談入ったんですよ。
でもここで気づいたのは、そういうでかいお店で自分がプレイングマネージャーでやっちゃうと
回んなくなるんですよ。
そりゃね、10倍の数来てたら時間も足りないですよね。
関係構築する時間ないですもんね。
もちろん自分が商談入ったのが決まったりするんですけど、
他にもお客さん来ても1つしか決まらないんですよね。
ダメだ、このやり方じゃと思って。
で、自分は商談入らないようにしようって。
僕が決めたわけじゃなくて、マネージャーと相談して。
マネージャーから言われたんですけど、最初その意味がよく分からなかったんですよ。
僕がやれば取れるのに。
今までの自分の方程式は、自分が商談に入るとか、
人が商談に入って決まらなかったら自分がやって決まるとか、
そういうプレイングマネージャーっていうのが僕の中の価値の方程式だったんです。
それを否定されたんですよ。
それをするなんて、どのコースやりゃいいの?
そこが僕の壁だったんですよ。
でも、その壁っていうものを突破することができたわけですよ。
それはやっぱりスタッフのトレーニング、訓練ですね。
営業の訓練、トレーニングをすることによって、その壁を突破して。
いろんなことがあり、日本一のお店になったんですよ。
なんか本当に絵に描いたようなストーリー。
何にも面白くないですよ。
まあまあ、そのプレイヤーからそこで監督にもなったというか、
その場所を与えてもらえたっていう感じなのかな。
でもそうですね、その時にあれだけの人数のスタッフ、みんな年老いですからね。
みんな年老いなんて、あそこでやっぱりやった経験っていうのはすごいデカいかな。
だからその。
寛容っていうか、なんかあれですよね。チャレンジ精神旺盛ですよね。
そういう会社がね。社風がね。
年齢関係ない、社歴関係ない、学歴関係ないっていう感じなんで。
それがね、いいですよね。
それがすごい。
ガリバーの創業者さんはなんとなく僕も覚えてます。会ったことないですけど。
なんかいい感じの人だなっていう話には聞いてますけどね。
39:02
そうですね。
どちらの方でしたっけ?東北でしたっけ?
福島。
福島。
で、アメリカに来たのがその後?
その後ですね。
僕社会人2年目で全国一位になったじゃないですか。
で、その後にアメリカに行くことになったわけです。
それはまたちょっと。アメリカはちなみにそこの時はなかったですよね?支店っていうか。
なかったです。
日本ではでも何百店舗あったかな?何十店舗?
500店舗かな。
500店舗の一位ですか。
すごいね。
モスかですね。
で、それがじゃあアメリカ行ってみるべって。
いや、それもね、いろいろあったんです。
僕それで一応全国制覇したじゃないですか。
して、ちょっとモチベーション下がってたんですよ。
下がってたの?
もうやっちゃったっていうのもあって。
じゃあ2年目もやるのかどうかみたいなところだったんですけど。
で、たまたまね、うちのお客さん。車を買っていただいたお客さんがいて。
その方がね、グローバルで仕事されてる方だったんですよね。
いろんな世界を見て回って。
グローバルで仕事してる方がたまたま車を買ってくれて。
で、鈴木くん、世界は広いよって言ってくれて。
行ったことあんの?って言われて。
いや、ないですって言ったんですよ。
いやいや、行くべきだって言われて。
その話もちょっと詳しく聞かせてもらっていいですか?って話をして。
そのお客さんとすげえ仲良くなったんですよ。
他の人と全部ホター出して。
そのお客さんとずっと喋ってますよ。
ちょっともうちょっとその話を細かく教えてほしいと思って。
で、へーとかほーとかしか僕言ってなかったんですけど。
で、僕ね、気づいたらね、チケット買ってましたね。
チケット買ってて。
通った後には僕、タイにいました。
あ、そうなんだ。へー。
で、タイに初めて海外旅行に行って。
うわー、海外ってこんな感じなんだと思って。
海外に行きたい、海外に住みたいって思ったんですよ。
その時にはっきり思ったんですよ。
で、帰ってきて、上司に辞めますって言ったんですよ。
えー。
海外に行きますって僕は。
はあ。
で、上司がえーみたいな感じになって。
そりゃそうだわ。
辞めるんかいってなって。
で、上司がその上司にまた報告して。
また上司に報告して。
ちょっと待てよってなるよね。
そうそう。ちょっと待てって言われて。
いや、でも分かんないですよって言って。
海外行って、人間的に成長して帰ってくるかもしれないし。
あー。
いや、でもまた戻ってくるって言ってない?
42:00
言ってない。辞める?
辞める、辞めます。
で、それが当時の社長の方で話が出て。
総業社長ですか?
総業社長が言ったんですよ。
じゃあ、これを機にアメリカ出展してみればいい。
してみればいいと。
で、オファーもらったんですよ。
そういう風に言うように、辞めて海外に行ってもいいし。
それか、海外事業部ってものを作って。
で、アメリカに支社を作るっていうプロジェクトをやってもらってもいいし。
どっちがいいって言われたんですよ。
で、すっごい考えたんですよ。
すんげえ考えて。
まあ、後者の方が面白そうだなって。
日本の上場会社の支社をアメリカに作るっていう機会がなかなかないじゃないですか。
で、本当にオファーありがとうございますと。
ちょっとアメリカ支社作るっていう方でやらせてもらってくださいって言ったんですね。
まあね、辞めたからって言って何をするかっていうのもね。
他でもワークホリーに行こうと思ってましたね。
ああ、そうなんだ。
まあ、どこだかわからないですけど、カナダなのかオーストラリアなのか。
そっかそっか。
まあ、面白いですね人生ってのは。
そこでまたでも、そうしてたらパラレルワールドで違う人生があったかもしれないけど。
いや、本当っすね。
あの時行った時だからもう頭の中完全に海外になったんで。
仕事が手につかないみたいな。
ちなみに海外の話をしてくれた方は何をしてる方だったんですか?仕事っていうか。
何したら。
僕ね、そこまで興味なかったんですよ。
とにかく海外を飛び回ってる人だったんだ。
なるほど。
海外は何したかについては全然興味なかったんですよ。
海外っていうことに対して、僕の人生で海外なんて出てこなかったな。
でもまあそのきっかけをくれたんだ。
ちょっとね、話が止まらないんで、これぐらいにしとこうかな。
じゃあ次のセクションに今から入っていこうかと思います。
はい。
アメリカに来たということでね。
超バリバリの営業マンだったんですね。
ね、でも沙織ちゃんも会ったことあるから知ってると思うんだけどさ、
全くがっついてる感がない穏やかな感じするよね。
そう。
優しい感じの柔らかかったですね。
ね、だからそのね、やっぱ柔軟性っていうのかなんていうのか、
これをスキルでやってるのか正確なのか両方あるのかもしれないんですけど、
45:09
勉強になりますよ。
とにさんと喋ってると結構ね、ほんといろいろ勉強になるんですよね。
年齢的にはみつちゃんと何歳くらい?
僕の方がちょっと上ですね。
あ、そうなんですね。
でも全然もうリスペクトしてますよ。
ね、ガリバー、ガリバーは知ってるよね、沙織ちゃんもね。
もちろん。
そこでだから何店舗つったっけな、500店舗ぐらいのうちの
一番になってるんだよね、日本一の店舗に。
すごいなぁ。
しかも2年目でだからね、入社。
すごいなぁ。
やっぱできる人はどこでも実力を発揮されるんですね。
うん、でもほんとにたぶん楽しんで没頭してできたんだと思いますよ。
なんか話出たと思うんだけど、ガソリンスタンドでバイトしてるときに
もうなんかめちゃくちゃ売るのが楽しくて、
コミッションもあったと思うんだけど、
とにかくその売るっていうこと自体を楽しんでたと思うんだよね。
こういう人は最高の営業で、会社としてはそういう人を雇いたい。
いや、ほんとそうですよ。
それが辞めるって言ったらちょっとビビるよね、会社側は。
おーいってなる。
見せたのかい、そうそう。
ちょっと待ってよって言われて、
まあでもね、上手いことっていうか、海外進出を会社内でやるっていう立ち位置になって、
それもやっぱり社長の懐のデカさもあると思うんだよね、そのガリバー、僧侶のね。
うん。
それをある程度ほんとに自由にやらせてもらってたと思うんですけど、
やっぱりそういう人はね、
まあ最終的では独立するっていうことにはなっていくんですけど、
なんかね、やっぱりでもその仕事をほんとに楽しめるっていうのは、いいよなあ。
ほんとに。
ほんとに。
ほんとに。
確かに。
そうですね。
48:02
そうですよ、みんながそうじゃないしね。
そうなのよね、みんながイヤイヤ、どっちかというとイヤイヤの方が多いのかもしれないしね。
そうね、生活していくためにお金が必要ということで。
そうそう。
面白いですね。
まあでもこれで何か営業をやってても独立すると、また自分が今までやりたい仕事じゃない仕事っていうのもたぶんいっぱい出てくるじゃないですか。
ここら辺で葛藤とかもあったのかしらね。
うーん、ね。
やっぱり人が、社員が増えればやっぱりそれだけ問題も増えるだろうし。
ね、確かに。
それはもちろんあると思うんですけど。
そうですね。
そこの辺の話は次回ですかね。
お、なので次回が。
仕事の掘り下げっていうことで、仕事の姿勢だったり哲学っていうのを聞いてますね。
そういうところね。
はい。
ではでは楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報のコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカロサンゼルスよりお届けしてまいります。
はい。
えーとですね、すごく前にお話ししたかなと思うんですが、
アマゾンフレッシュというアマゾンが経営しているグローセリーストアがありまして。
はい。
これはジャストウォークアウトというね、こう最初にピッて自分の認証をしたら、
あとは物を自分で取っていってレジでお会計せずにもうお店から出ちゃうっていうことが可能なシステムがあるんですよ。
はいはいはい。
あれが私は大好きで。
あ、そうなんだ。俺いまだに言ったことねえな。
あ、本当に?
本当に?
まあちょっと一旦説明してもらえますか、軽く。
あ、そうですね。
ジャストウォークアウトっていうのはお店の上に、天井に何百っていう小型カメラがついてるんですね。
その小型カメラで、この人が何をカゴに入れたか、何を持って帰ったかっていうのを全部察知して、
51:01
自動でお会計をしてくれるっていうシステムなんですね。
自動でね。だからそのまま持ち歩いていって、ということはそのクレジットカードかなんかがもう登録されていて、
そのアカウントから引かれるってことですかね。
その通りです。アマゾンのアカウントが必要なんですね。
アマゾンのアカウントを持ってる人は、この手のひらを登録するんですよ、お店で。
そうそう。
で、その手のひらの登録でピってやって、お店の中に入っていくと、その段階で機械が、あ、沙織さんが来た。
わかって、その沙織さんの行動を逐一見張っていて、あ、この人がキャベツをカゴに入れた。あ、戻した。
レモン2個取ったっていうのを自動で計算して、私がお店から出ていくときにレジも通さず、何も通さなくても、
全部勝手に計算してくれるという。
すごいスピードでさ、キャベツを入れては出して、入れては戻してっていうのをさ、
めちゃくちゃすごい勢いでやったらどうなるの、それ。
それでも今のところ私がずっと言ってた中では、全部正確になっているので、
要はあれですよね、お店の棚の重さとかを感知しつつ、やったりしているのかなと思ってたんですけど、
要は万引きとかもできなくなるじゃないですか、そうすると。
はいはいはい。
万引きじゃなくて普通に買うこと、あとで請求が来るってことだからね。
そうだね、クレジットカードが引かれるってことだからね。
そうなんです。
で、これ、Just Walk Outで、ピッてやってお店に入って買い物をして、お店出た後に、
Amazonからのレシートが実際に来るのって半日ぐらいかかるんですよ。
半日、はいはい。
たまに長いときだったら翌日ぐらいに、
今日、昨日買った物の詳細はこちらです、間違ってたら教えてくださいみたいな感じのレシートが翌日に来てチャージされる。
なるほど。
そんな感じで、でもただ買い物する側としては何にもしなくていいし、
お店行ってピッてやって、自分の買い物カゴの中に自分の袋も入れといて、
そこの中にポンポンポンって物を入れて出るだけだからめちゃくちゃ楽なわけですよ。
なるほど。レジを通らなくてもいいっていう感じだよね。
はい、その通りです。
その通りです。
で、この前もようやっぱAmazonフレッシュ楽だなって言ったら、
なんと天井に付いているカメラ全部撤収されてたんですよ。
え、そうなの?
え、え?とか思って店員に聞いたら、
あ、もうそのシステムなくなったよって言われて、
そう思って私はものすごくショックで、
え、どういうこと?じゃあ普通のレジになったってこと?
そう、普通のレジもあるし、
54:03
あとはカートって言って、カートにピッてやってカートがレジ代わりになるっていう新しいシステムが導入されたんですけど、
それも結局カートがレジ代わりだからカートにピッて毎回商品を自分でレジするみたいな感じ。
スキャンしないといけない?
そうそう、なんで今までのジャストウォークアウトよりははるかにお客さん側の手間が増えるんですよね。
なるほど。
これすごいショックだわと思って。
で、調べたんですよ。
なんでやと。
なんでそんなことになってしまったんやと。
コストが上がれんじゃないの、普通に。
おっしゃる通りですね。
私がさっき言った、お買い物した後にお店を出てからレシートが来るまでに半日から1日かかれてたじゃないですか。
その間にカメラで計算したものに加えて、カメラでは計算しきれない。
例えばミツさんがさっき言ってた、キャベツを出したり取ったり出したり取ったりするみたいな。
ひたずらでやる人みたいな。
そうそうそうそう。
カメラに蝶の視覚になって映ってないとか多分そういうところも含めて、人の目でそれをわざわざ確認してたりして。
それ意味なー、それ。
そうなの、そうなの。
で、それがAmazonが想像してたよりもはるかに数が多かったっていうのと、何年、6年間やったのかな。
やっても、結局そこに対する向上が見られなかったみたいなところがあったらしくて、
そんならもうやめようってなって、
もうジャストウォークアウトはほとんどの、かなり多くのAmazonフレッシュから撤退することになったわけですよ。
なるほどね。
はい。
なんか今話聞きながら思ってたのは、
日本の人で都会に住んでてコンビニがもう徒歩3分とかさ、マンションの下にコンビニがありますとかっていうような人は、
冷蔵庫持たないみたいな人もいるみたいでさ、
コンビニが冷蔵庫の代わりみたいな、もう24時間やってるし、いつでもジュース買いに行けるしさ、
腹減ったらなんか食いもんあるし。
だからコンビニがもう冷蔵庫っていう、それに近い感じの、
その、さおりちゃんがね、さっき話してたように自分のバッグ持ってって荷物ポンポンポンポンって入れて、
持って帰れるっていうのはもう冷蔵庫代わりじゃん、なんか。
うん、確かにね。
って思ったんだけど。
レジ待ちもないし。
ただ、なくなっちゃうんだねっていう話と、
多分それでも家に近くだったの?さおりちゃんの家の。
57:01
家からは一番近いところで15分くらい。
まあまあでもそんなもんだよね。だからアメリカって結構でかいからさ、
割と車でやっぱり移動しないといけなくて。
そうそうそう。
冷蔵庫って感覚ではないよな。
そうね。
まあでもやっぱりレジに並んだりとかいろいろそういう手間を考えると、
まあね。
すごい便利だったんですけど、
ただ新しく導入したっていうAmazonカートっていうシステムがあって、
結構大きなごっついカートなんですけど、
その手元のところにいわゆるレジが付いているから、
そこで自分のAmazonのアカウントをまずピッてやるんです。
うん。
そうするとさおりさん来たって認識してくれて、
でカートに入れる前にレモン取ったらレモンの札をピッてそこでやって、
レモン1いくらって。
じゃあカートに入れてください。
感じて出るときもそのまま出れるので、
まあ便利っちゃ便利ですね。
まあ前のほうが便利だったけど、
やっぱりなかなか技術的に難しいのね。
なるほど。
はい。
ということで、
もしAmazonのアカウントを持っている人いたらね、
Amazonフレッシュとか、
Amazon GoとかはもしかしたらまだJust Walk Outやっているかもしれないので、
そういうところに立ち寄ると面白いかも。
まあそういう体験をもしかしたら楽しめるんだったら、
日本から来てそういうのを体験してみるのもありかもしれないね。
さっきの観光の話じゃないけど。
そうそうそう、面白いと思いますよ。
はい。
ということで、アメリカのリアルアメリカ情報でした。
はい。
では締めのコーナーです。質問。
はい、質問。
えっとね、トニーさんの話にあやかって、
はい。
さおりちゃんの一番最初の海外旅行はどこで、どんな思い出がありますか。
一番最初はたぶん3歳とか4歳に親に連れてもらったグアム。
えーそうなんだ。
そこだからほとんど記憶がないんですけど、
一個記憶があるのは、
まだ当時、私が3歳だから1990年代前半なので、
1:00:03
あのね、ディスコっていうものがあって、
なんかそこにも子供を連れて行ける場所だったのとき行けたらしくて、
初めてディスコに行ったのが、3歳か4歳のときのグアムって。
へー、それは記憶は残ってんだ。
言われたから覚えてるのかわかんないけど。
なんかでも映像が浮かんだりするの?こうキラキラして。
ミラーボールが回ってる映像?みたいな。
一瞬ね、一瞬。
なんかあるようなないようなですけど。
後から作り上げた映像かもしれない。
可能性ある。
グラブじゃなくてディスコだって。
なるほどねー。
確かね、1990年代バブル期の終焉みたいな感じかな。
そうそうそう。
では、みつさんは?
いや俺ね、ないんだよね。海外旅行、
アメリカが最初の海外だったから、
まあまあ言っといても、
20歳ぐらいなんですけど、
それまで俺海外に行ったことなかったですよ。
行ったことないのに急に住んじゃったの?
はい。
すごいっすね。
っていうだけの話なんですけどね。
すごくないですか?
いや急に住んじゃったのって、
でもそういう人多いと思うよ別に。
うそー。
語学学校とかで来て初めての海外なんですとか。
ああまあそうか、語学学校はそうなんだね。
まあわからない、最近はでもあれか、
タイとか韓国とか近場でも、
近場で行く人は増えたかもね。
うん。
そうね、あと学校の修学旅行とかでも海外結構多いから。
だからそれもだけどさ、
私立のお金持ちの人たちですよそれは、たぶん。
だって俺は。
いやいや、そんなことないですよ。
そう?
韓国とか多分安いから近いし。
まあ確かにね、韓国はそうか。
そうそうそう。
そうか。
西の人はもう東京行くより韓国行ったほうが近いぐらいか。
そう、福岡とかだったらね、韓国。
確かに。
沖縄より全然安いっちゃ多分。
そうかそうかそうか。
そうかね。
ということで僕は最初の海外旅行の思い出があまりないっていう。
ただ衝撃は受けましたよね。
アメリカ人みたい。
でもやっぱアメリカ来て。
ほんとでしょうね。
常識が全く違うと思った。
うん。
アメリカ人ってアメリカから海外に旅行しない人多いですよね。
割とね、パスポート持ってない人もね、結構いるもんね。
多い、ほんとほんと。
まあ広いからね、アメリカだけでも。
アメリカがもう世界だと思ってますからね。
そういうこと言うとまた怒られそうだなと。
1:03:04
まあいいや。
まあまあそんなとこでまとめますかね。
はい。
ただあれね、海外に行くとやっぱり幅、視野が広がるとかいろんなこと感じると思うんで、
行くことはお勧めしますよということで。
そうですね。
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ということで聞いてくださっている皆さま、今週も聞いてくださってありがとうございました。
今月はサオリちゃんがなんかおかしいぞ。
いえいえ、暑さでうちクーラーがなくてちょっとぼーっとしちゃってるのかもしれない。
申し訳ございません。
ガリガリ君を食べるといいですよ。
そうかもしれないです。
寝てないけど。
なんかメキシカンの売ってません?似たやつ。
ぽいやつね。
ぽいやつ。
はい、聞いてくださってありがとうございました。また来週お会いしましょう。
やれ。