サマリー
このエピソードでは、ゲストのミヤッチが自身のキャリアについて語ります。熊本から大阪への転居や、仕事選びの経緯、大手企業での経験を詳しく掘り下げます。また、大手企業での就職活動から入社後の厳しい経験、成長の過程についても話します。特に、営業職でのストレスや上司の支援を通じて、人間関係の大切さと自己成長を実感している様子が描かれています。 さらに、大手企業での勤務を経て感じた「もやもや」から、より充実した人生を求める過程に触れています。「プロティアンキャリア」という考え方を通じて、自己探求やキャリア変革の重要性にも気づく過程が詳述されています。また、大手企業での働き方におけるモヤモヤ感を乗り越え、プロティアンやJCCを通じて自己成長を図る重要性が語られています。キャリア教育や人材育成に関する活動を通じて、個人の目標を明確にし、充実した人生を追求する様子が描かれています。 このエピソードでは、仕事に対するやりがいやモヤモヤ感についても触れています。特に、富士通のような大手企業での経験を通じて、個人のキャリアにおけるビジョンや目的の重要性が強調されています。大手企業で働く中でのモヤモヤや、その先にある楽しさについても議論されています。
ゲスト紹介とキャリアの背景
今日はゲストにみやっちに来てもらいました。よろしくお願いします。
みやっち「よろしくお願いします。」
JCCの同期と喋るシリーズ。もはやシリーズと言ってもいいのかなと自分で思い始めてきてシリーズと言ってるんですけど、今回はJCC同期のみやっちに来てもらいまして。
いつも通りキャリアについて話し聞きながら気になったところを深掘りというか、さらに聞いていきたいと思ってます。
みやっち「はい、お願いします。」
ばーそん「じゃあ早速簡単にでいいんで自己紹介をお願いします。」
みやっち「はい、ばーそんと同じJCC一期生の宮畑隆と言います。ばーそんから言ってもらったみたいにみやっちって呼んでもらってます。よろしくお願いします。」
ばーそん「お願いします。いや初めてみやっちと直で喋ったのがいつかは覚えてないんだけど。」
みやっち「いやもうリブーストでしょ。」
ばーそん「いや確かにリブーストか。」
みやっち「そうそう。」
ばーそん「対面であって、確かにあそこが一番最初やな。」
みやっち「そう、なんかばーそんいるなーって思ってたんだけど、なんかサポコーチが入ってきたからそう、マジかよと思って。そしていきなりいろんな目に会うっていう。」
ばーそん「確かに。そう考えたらもう初回から激しい会で知り合ったみたいな感じやもんな。」
みやっち「いやほんとそう。だから今とのギャップがすごすぎて、なんかホッとしたもんね。コントローラーさんを見た時。」
ばーそん「確かに。あそこが一発目やったら激しいやつやってなるもんな。」
みやっち「ちょっとね、激しいこともあったもんね、ほんとに。」
ばーそん「で、みやっちは同じく関西で、そういう意味では一緒に飲みにも行ったりしてるから、なんかJCCの中でも結構リアルで会ってる方、対面でちゃんと会ってる方なの。」
みやっち「そうだよね。なんかもうオンラインだもんね、基本的にね。」
ばーそん「そうそうそうそう。だから対面でちゃんと会って話したっていう中では結構数少ないうちの一人。」
みやっち「あ、確かに確かに。」
ばーそん「で、ただこれまで何やってきたかとか、どういうキャリアを歩んできたかを聞いたことはなかったから、今回そこをぜひ出せてほしいので。」
学生時代の苦労
みやっち「はい。」
ばーそん「1社目とか、転職してるかどうかもいまいち分かってないから、ていうかしてないような、なんかちらっと聞いた話はしてないような俺はイメージを持ってんねんけど、その中でどんなキャリアを今まで歩んできたかとか、なんでその会社を選んだかみたいなところから教えてください。」
みやっち「わかりました。キャリアっていう観点が、そのライフっていうふうに置き換えていくと、まず生まれが熊本県なんですよね。熊本県熊本市に生まれたんですけど、もうそこから大学卒業するまでもうずっと熊本にいてて、もうほんとめちゃくちゃ田舎っていう印象。今もう外に出たから熊本めっちゃいいとこだなって認識があるんだけど、
昔はなんかもうほんと田舎でなんかもっと外に出て、なんか大きいことしたいなみたいなのが漠然とあって、で、大学卒業するとともに大阪に出てきて、そこから始まったんだけど、結構その大学卒業するまでもいろいろあって、なんかまずいろんなことがうまくいかないみたいな学生時代だったんですよね。」
「へー、そうなんよ。」
「たぶんね、ピークはね、5歳ぐらい。」
「5歳!?めっちゃ早いね。」
「ピーク早くて、当時あの苦悶式?苦悶やってて、もうなんかあるじゃん、なんかこう何学年得心ですみたいな。なんか3学年ぐらい先に行くとなんかすごいトロフィーもらえたりとか、賞状もらえたりとかするんだけど、まあそういうのがあって、もうなんか学校の問題とかとかもめっちゃ簡単だったから、もう人に教えれるぐらいこうやってて、すごいもう人の役に立ってる感があったんだよね、その時は。」
「なるほど、それが5歳、5歳ぐらい。」
「そうそうそうそう。で、それがでもなんか小学校後半ぐらいになってくると、そのなんか苦悶で頑張ってるのがなんか追いつかなくなってきて、なんかこうどんどん問題が難しくなってきて、なんか教えれなくなっちゃうみたいな感じでこう必死に食らいつくんだけど、なんかあんま上手くいかない。で、その小5ぐらいからサッカー始めてサッカー部に入るんだけど、もうそこも上手くいかない。」
「そうなんや。」
「突然なんか、なんか努力してるのになんかこう、報われないみたいな状態が続いてしまって、で、中学校に上がるんだけど、中学校も同じ状態なんだよね。今度英語とか出てきて、オルトなんかやってなかったから。で、部活は今度はサッカー辞めて、テニス始めたんだけど、それもだからもうめちゃくちゃ練習頑張って練習するんだけど、もう上手くなれないし、勉強も上手くなれないし、なんかこう努力の量と比例して結果が出てくるんだよね。」
「勉強が出ないみたいな状態が中学校も続いて、で、高校受験も失敗したんだよね。」
「おお、なんかボロボロな学生時代。」
「で、ちょっと高校もやっぱりちょっとやんちゃな学校になっちゃって、もうなんか人間関係も大変だし、もうこっちは努力満みたいな感じで、なんか真面目こそがなんかこうアイデンティティみたいな感じで、一生懸命その時も部活とか勉強とかも。なんか勉強の中に一応特大生みたいなの入ってて、やってたんだけど、もうほんと勉強と部活しかしてないみたいな。」
「ああ、もう真面目な文部、領土をやってる学生みたいな。」
「そう、なんか確かね、7時ぐらいからなんか学校に集まって、朝弁みたいなやつがあって、授業でね、ほんとにそれも。」
「朝弁やった後に、5時半終わったら部活が始まって、で、もう8時半とかまでやって、で、帰ってヘタヘタになって、また帰って勉強して寝るみたいな感じなのに、結果が出ないみたいな。」
スライダー。
スライダーみたいな感じでずーっといたんだけど、やっとなんか大学でそれがなんか結果が出て、で、一応合格できて、県内の大学に。
就職活動と大手企業
で、やったーってやってたんだけど、もうなんかやっと認められた感があったんだけど、そういう感じで、特になんかこれがしたいから大学に来ましたとかじゃなくて、なんか走っちゃって。
なんかもともとはなんかこう、結構ゲームが好きで、テレビゲーム、特にドラクエとかああいうのが好きだったから、もし大学に行けなかったら専門学校に行こうって言って、そういうところを考えてたんだけど、
なんか後からでもできるかなっていうので、せっかく努力もかかると大学行けたから、大学行こうって言って、大学に行って、そこからもう半導でね、もう遊びまくって。
そうなる、そうなる。
そうなる、そうなる。勉強どこ行ってみたいな感じで、もう一気になんかもうそういうのがなくなってしまって、で、就職するときどうしようかなーって思ってたんだけど、なんかね、選んだのが結局営業になったんだよね。
あーそうなんや。
入ってからも、なんとなく頭の中でゲームプログラマーとかになるのかなーとか、ゲームプランナーになるのかなーっていう頭で、情報とかを専攻する学部に入ったんですよね。
総合管理学部って一見聞くとよくよくわかんない学部の名前なんだけど、なんかその自分でやりたい方向性によって学べないよう変えれるみたいな。
意味でなんか総合っていうのが入って、普通になんかの銀行とかにパターンもあれば、公務員を目指しますみたいなパターンもあれば、行政、金融、情報みたいなのでこっちで分かれてて、でこれ情報のコースに行って、
いろいろやってて、もう本当だからプログラムとかも一応あったんですよ一応。なんかJava触ったりとか、日々触ってエンコードしてプログラム作りましょうみたいなやつやってたんだけど、もうなんか全然体が動かなくてそこに。
あーなるほど。
もう全然あれみたいな、こんなにゲーム好きなのに全然なんか体動かないんだけどみたいになっちゃって、で、なんかやばいなこれってめっちゃ聞きまくってたんですよ隣の人とかに。
どうしたらいいのこれみたいな感じで。でまぁみやさしいが教えてくれるんですけど、これやばいなこれ社会人になってもこれだったら多分やっていけないなと思って。
でもなんかそういうところってなんかこうちょっと暗めの人が多いんですよね。
まあ確かに、なんかそんなイメージはある。
大人しいというか、真面目でいい人たちばっかりなんですけど、あんまりそういう圧迫な人いなかったから、なぜか卒論の内容とかをなんか俺が決めるじゃないけど、こういうことはみんなでしませんかみたいな感じで言って作ったりとか、なんかこう打ち合わせの場セッティングしたりとか飲み会の場セッティングしたりとかやってたらなんかこっちの方が向いてるんじゃないみたいな。
あーそういう、その漢字的な動きをしてる時にそれは感じたんや。
感じて、でそれまでの間はむしろなんか俺もなんかそっち側っていうか、その陰キャ側っていうか、陰キャ側と思ってたけどそれよりもさらにこう、陰キャな人たちがいた。
そう、陰キャの中ではなんかまだ用が残ってる人みたいになって、で全くその営業とかなる気全くなかったんだけど、なんかもしかしたらこっちの方がいいのかなって思って、営業職で考えて。
初めはSEとかで探したんだけど、営業で探そうと思って、営業で探して、でもやっぱりそこでもあれだよね、もう一番初めそのゲームが作りたいとか言ってたんだけど、なんかもうそこに体があんま動かなかったから、
もしかしてするのが好きなんだなみたいな、あんま自分で作るのとかじゃないなみたいな感じになって、でもなんかやっぱ当日のITバブル、堀江門とかミクシーとか知らないかな。
知ってるね、ギリじゃないかな、知ってる知ってる。
そんなのがポンポコ出始めたところで、やっぱりITかなっていうところで、でも後はもう本当いわゆる外敵由来ですよ、本当。
もう大きい会社で、なんか大きいことできそうだなとか、給料もそれなりに良さそうだなとか、安定してそうだなみたいな基準でもう片っ端から受け入れた感じ。
なるほど。
で、たまたまそのうちのゼミの先輩も行ってたっていうので、フリッツのグループ会社に入ったっていう感じですね、当時。
なんかその就活の自己評価的には上手くいったなっていう感じやった?
いや、もうなんだろ、手探り状態、なんかもう全く、今の学生さんとかはさ、きっと手厚いサポートを受けてると思うんだけど。
うん、なんかあるもんな、そういうサービスも今って。
そう、なんかあんまりそういうのもなくて、なんかでも一応その時リクナビとかもすでにあったんですよ。
で、リクナビ登録して、なんかあの豪雪みたいなやつあるじゃん、あれに行って、うわーってなって、とにかく早くしないとみたいな感じで追い立てられるように、上から受けまくってみたいな感じだった、本当に。
なるほど。で、そう、大学熊本やから、そういうのに参加するってなったら、なんか福岡とか大阪とかに行かなかったの?熊本にもあったの?
いや、福岡に行ってたね、やっぱり。
あー、やっぱりそうなんや。
そう、福岡に高速バスに乗って。
うわー。
とかしてたね。
大変な就活、俺大阪やけど、大阪でもやっぱり東京行ったりとかっていうのあって、大阪でも大変やなって思ってたけど、地方やとさらにそれが福岡とか都市部の方に行かないといけないってなるね。
そうだよね、だからもうなんだろう、熊本から出たことなかったから、まず福岡とかでももうすごーみたいな感じで、何ビッグカメラみたいな感じ、そう、何これすごいなこれみたいな。
キラキラしてんだけどみたいな感じで、とか大手のとこに行ったらさ、ホテルとかなわけよ、そのホテルでなんかもうね、すごいグラスになんかジュースとかバーってつがれて、もう浮き足立ってさ、やばい、やばいって。
やっぱり大きい会社かーみたいなのもなったもんね、その時にね。
大手企業への就職
でもなんかベンジャーとかも受けたけどね、一応ね。
あ、そうなんや。
なんで受けたのかわかんないんだけど。
なんか泣いてほしかったのかもしんない。なんかどこか、どこでもいいから行ってほしいなーぐらいの感じだったかもしんないんだけど。
就活はなんかもうほんと、ちょっと俺の少し前か、氷河期世代とかで、就職がめちゃくちゃ厳しいってもう印象がすごく頭にあったから。
あー、そうかそうかそうか。
またその、高校の時じゃないけどさ、またここでもしかしてみたいな、なるやん。
うんうんうん。
っていうのもあって結構必死だったかなー、その時。
そうか。やっぱりそこの不安はありつつ。
あ、そうだねー。なんかもう会社のここの、なんだろうな、会社のこのビジョンがいいからとかさ。
今の学生さんでそうじゃん。なんかこの会社のこのパーパスがいいとかさ、ビジョンがいいとか、どんな社会課題解決できるから、この会社に受けましたとか。
だけどさ、もう全くそんなのはもうなく、その時の俺には。
いいところというか、ちゃんとしたところに入れるっていうのを。
大企業でって感じで考えてたね。
営業職での厳しい経験
これNTTとか面白いよ。西で落ちたから東とか行ってたもんね。
わかんないよね、ほんと。
確かに。
なんでって感じで。
そうか。それでまあ入社が決まりました。で、そこで初めて熊本から大阪に来た。
もう初めて大阪に来た。
なるほど。また福岡とは違うなんか雰囲気というか、驚きみたいなのってあった?その時。
いやーなんかね、そうなんだ、たこ焼き屋がなんかないじゃんって思った。
あれって思って、たこ焼きないんだけどって思った。
そうか、イメージではもうどこかしらにはあるっていうイメージだったんや、たこ焼き屋が。
そうそう、あれあのJR大阪駅だったんすよね、あの会社の事務所が。
もうそこもうビジネス街だったんで、もう大阪、まあ今もそうですけど、全然ないじゃないですかたこ焼き。
確かにな、そういうところにたこ焼き屋っていう感じじゃないもんな。
なんならなんかソースじゃないやつ売ってるみたいな。
あかし焼きっていうのがあって、何これみたいな。たこ焼き屋ないやんって思って。
っていう印象と、あとやっぱ仕事がきつくて。
あーそうなんや。
もう灰色に見えた、大阪。色が薄い感じなんか。
なるほど、ストレスで。
ストレスきつかったね、ほんとに。
それはなんか営業職っていうののストレス、それかもうなんか環境が変わったことへのストレスみたいな。
いや何だろうな、なんかね、これも多分外敵由来っていうか、もう採用されたのになんか珍しいのが同期がいて、同期が同じ部署に配属されて結構珍しくないですか。
確かに。
で僕それがあって、それがなんかやっぱりなんだろう、すごい大学出てる子だったんですよね。
あーなるほど。
その、ほんと国立のなんかすごいトップのところだから、もうその人と比べられてめちゃめちゃ言われてるみたいな、ずっと。
あー、それ辛いな。
辛い。一番酷かったのはなんか、ね、お前のせいじゃないよなって。お前の親のせいだよなっていうことがあって。
これはきついと思って。
きついな確かに。
そんなこと言ってくる人おんねんな。
もう真顔でそれ言われるときにもうマジで喰らって、はーって。
でその時も、俺やっぱね、変わんないのは頑張ってたの。
なるほど。
頑張ってたけどなんかどうにもならんみたいな感じ。で苦しんでた。右を向けばもうそれを言われる感じ。
うわー、それ辛いな。
なんならその時もあんまりいい奴じゃなくて、なんか裏であいつバカだよなとか言われてるみたいな。
辛いなここみたいな。
えー、その状態がどれぐらい続いたの?
あ、でも2年か3年ぐらいかな。3年かな。
トレーナーがいて、トレーナーだけで俺の味方してくれたんだよね。
もう相手にするなとかね。他の人とか関係ねえだろとか言って。
今思えばすごい染みる言葉なんだけど、当時はさ、もうわかんないわけよ。苦しいじゃんって言われてさ。
もう自己否定MAXみたいな感じ。
もう自己肯定感なんかもうないみたいな感じでほんと。
そうか。その状態ででも3年間は、でもその当時そんななんか辛いから転職しようみたいなこともなく、もうとにかく入ったからには頑張るみたいな。
そうだね。だから転職するっていう感覚はなんかなくて、なんでかな。そういうふうに言ってくれる人がいなかった。
あ、そのお前会社辞めろまでは確かに言われてなかったわ。
それ言われたら考えたら面白い。
でも近いことは言われたかな。お前営業向いてないから辞めたらって一回言われたことがあった。
なるほど。
でもなんかムカついてたかな。それはなんか傷もついてたけど見返したろみたいなのも一応心に残ってて。
そのトレーナーがいたから。あげましてくれたから。
トレーナーの人が偉大というか。おってよかったな。
おってよかった本当。マジでお兄ちゃんみたいな感じで。結構口悪いんだけどすごく今もいい人で。
そういう人が出たら転職しちゃったんだけど。その3年目に。
あ、そうなんや。
成長と人間関係
なんだけどすごいあげましてくれて。結構営業っぽさはそこからインストールされた感じがする。
結構嫌なこととかがあったらすぐ口に出しちゃうとかね。
口に出して発散するってこと?
発散するかもしんないね。もうやったら誰でも裏であいつバカだなとか普通に。
気にすんなそんなこと言われてもとか言ってくれたりとかして。結構それでスカッとしてさ。
会社に行ったらそんなこと言えないから。外出るときとかに一緒にそうやって言ってあげましてくれたりとかしてたけど。
その3年目でもその支えの先輩がさ、転職しますって。嘘でしょって思って。
やばい状況になるけど、その3年目からはどうなっていくの?
いやもう俺ほんまに一人になったなって思ってその時。
もうマジで自分で頑張るしかないと思って行ってんけど。
でもなんかだんだんと仕事がちゃんとできるようになってきたじゃないけど、その時ぐらいから。
その嫌なことをしてる当時上司だった人は
なんか悪いことして会社辞めることになっていなくなるし、
その同期の子も完全にティングになってたから、お客さんの悪口とか言い出しちゃったわけ。
あーなるほどな。
でもそれがやっぱり鼻について、お客さんからの評判も良くないし、社内からもこれはちょっと良くないんじゃないかっていうことで、
だんだんとこう、俺なんか最近宮田くん頑張ってるねみたいな。
風向きが変わってきた。
そう風向き変わってきて風が。
トレーダー見なくなったけど頑張ってるねみたいな感じで、
上司が変わるタイミングがあって、またその上司にすごい可愛がってもらってって感じかな。
なるほどな。
それに応えようと思って、どんどん成果を出していくって感じ。そっから先はもう。
おーなんか良いストーリーやな。下積みじゃないけど3年間耐え忍ぶ時期があって、
そこから環境、環境というか上司が変わったりとかがあって、
軌道に乗っていくみたいな。
そうそうそう。なんか、それがあったら何でも頑張れるなじゃないけど、
結構そういうタイプ?
人に言ってくれたらどこまででもやりますじゃないけど、
それに応えたくてやるって感じだったけど、
それまではもう全然その愛情みたいなのがなくて、きつすぎたんだけど、
またそうやって愛情をくれる人が出てきたから、よっしゃーと思ってガンガンやっていって、
結構お客さんとかもそういうタイプが多くてその時はね。
珍しいけどなんかもう、
ヒューマンスキルが求められるお客さんがたくさんいて、
居酒屋のセッティングとかもね、
いろんな思いしてやったよ。
なんか鳴子のイカが食べたいからって言って、
大阪で鳴子の、
呼ぶ子のイカ。
呼ぶ子のイカか。呼ぶ子のイカね、あのサラの。
あーはいはいはい。
あのイカがあるところはないのかって言って、
予約してて、そしたら、
なんかもう天候不良で、
イカが食べなくなりましたってなって、
やばいすぐ違う店で入荷して何か探せってなって、
探して、
で見つけていって、
えーすご。
でなんかビールもなんか絶対スーパードライじゃなくてダメとかね、
言われて、
スーパードライかける呼ぶ子のイカがある店って少ないじゃん、なかなか。
でそれを見つけてきたときに、
いやー、
俺も成長したなーみたいな。
え、これで?みたいな。
いやすご。
そんなことまでやっててんな。
で、でもなんか、
そういうことやでとか言われて、
俺のこと考えてくれたんでしょ?って言われて、
あ、そうっす。
みたいな感じ。
もう完全になんか、
そっちの営業叩き込まれた。
そうか。
人間スキルってそういうことか。
人間関係というか、
その、
人間関係を作っていく上での、
本当に、
なんやろ、
俺のイメージこう、
昭和チックなものというか。
あーそうだね、
もう珍しいよね、
もうそういうのって。
なんだけどなんかそこでなんか、
なんだろうな、
こう、
なんかどんどん認められていくっていうか、
努力が実るというか、
本当に。
もちろん仕事も、
やっぱそういう人ってさ、
そういう人に仕事くれるわけ。
とか、
いいところがあって、
あーなんかこういうこともできるようになったな、
みたいなその、
真っ向勝負じゃないパターンもあるな、
っていうのがあって、
結局なんか人が、
人で選ぶな、
みたいな。
買うときも。
物がいいっていうのは前提あるけど、
結構ITってさ、
差別化が結構難しかったりして、
確かに。
パソコンとかだったらもう全く同じだし、
じゃあSEとかって言ってもさ、
技術力がありますって言ってもさ、
もう目に見えないじゃん。
あんま分かんなかったりとかするから、
なんかそういうところの、
やっぱその人間力みたいなところが、
そこで大事だなっていうふうに気がついて、
なんかいろいろ教えてもらったな、
っていうタイミングで、
なんかこうどんどんどんどんこう、
更新していって、
やってたっていう感じですね。
へー。
そうか。
そういうのが分かったというか、
身についていきながら、
成果もついてきた。
うんうん。
成果ももうどんどん、
そう、成果も出るし、
今みたいな話じゃない、
難しい話もやっぱあるんだよ。
もちろん。
そうなんだ。
そう、もう全然楽しくない仕事もあるんだけど、
だから入札とかね、あるんです、やっぱり。
あー、やっぱそうなんや。
なんかやっぱ大きい会社ってなると、
そういういろんなことがあんねんな。
そうそう、
でもなんかもうやっぱ、
キャリアの変化と選択
なんだろう、
足も長いしね、ほんと。
うん。
なんか2年ぐらい仕込んで、
なんか何億の案件、
ボンみたいな感じだから。
あ、そうなんや。
そう、だからもうめちゃくちゃこう、
長い、
うんうん。
長い足なんだけど、そう。
だから、
なんかでも、
なんかそれが印象残ってるな、すごく。
若い時やね。
そうか。
そこから、
どんどんキャリアを積み重ねていくわけやん。
レンジが上がっていくというか。
うんうん。
そこで、
役割が変わったりとか、
やることが変わったりっていうのもあったの?
あまり変わらず。
いや、それがね、なんかね、
えーとね、
実はね、
あんまり変わんなくて、
うんうんうん。
なんかね、結婚するってなった時に、
1回だけきっかけがあって、
なんか東京に行くのか行かないのかみたいなタイミングがあったんだけど、
うん。
それはなんかあの、
奥さんが、
あの、
大阪に、
最初呼ぼうとしたら、
仕事がないって言われて、
はいはいはいはい。
じゃあ俺が東京に行きますっていう風になったの。
その時。
あ、そうなんや。
うん。
そしたら、いやいや、
ちょっとそれはやめてほしいみたいな感じであって、
じゃあ奥さんの方を何とかするわみたいな感じになって、
結局奥さんの職場が見つかったから、
じゃあ、
大阪で、
そのまま働こうとなったから、
結局そこからもうずっと変わらないんですよね。
コロナと自己のもやもや
その仕事のその業種も、
うん。
あの僕あの大学の、
システムの営業してたんですよね。
大学のシステム営業やってたんだけど、
で、大阪神戸ってところからは、
もう変わらずに、
ずーっと来てて、
一般ポジションはそのリーダーとかにはなったんだけど、
もう、
もう何だろうな、もう、
ちょっと飽きてくるじゃないけど、
そうそう。
飽きてくるっていうのもあって、
で、コロナのタイミングで、
当たってそうなったんですよね。
それまではなんかこう、
なんか毎年予算達成するぞーみたいなね。
うん。
ほんとなんか、
いいサラリーマンだったんですよほんとに。
縦に縦にみたいなね。
あったんだけど、
コロナが来た時に、
もう会社も大きく変わって、
これから私たちは、
EX企業になりますみたいな。
え?みたいな。
何それみたいな。
コロナが来たんで、
もうオンラインですみたいな。
先には行かないでくださいみたいな。
え?みたいな。
これまで積み上げてきたものが。
そう。
もう漠然と不安がもう襲ってきて、
その時に。
うんうんうん。
で、
このままでいいんだっけみたいな。
その時ってもう結婚もして、
子供もいて、
でも家も買ってたんですよね。
うんうんうん。
それってイベントじゃないですか、ある意味。
確かに。
結構なライブイベント。
結婚っていうイベント。
子供ができたっていうイベント。
で、多分ね、その時からなんか俺違和感があって、
なんか、
イベントを欲してたんですよ。
あー。
あれみたいな。
イベント起品だみたいな。
で、じゃあ家買うかみたいな。
うんうんうん。
もっとちゃんと考えて買いよって。
知らないけど。
そう。
で、
何のためにこの会社やってきたんだっけってなったのよ、
マジで。
うーん、あ、そうなんや。
そう。
それが30、
あ、
そうだね、
入社して14年目ぐらいの時。
おー、なるほどね。
コロナがあって、
それまでも立て立てって。
予算達成、
ポジションアップみたいなね。
うんうんうん。
有料、
どんだけやって増やすか、
みたいな。
うん。
感じでもう釈迦力にやってきました、
みたいな感じだったから。
うん。
あれなんか、
これでよかったんだっけ、
みたいな。
これまで65までいくのか、
みたいになって。
あー、なるほど。
思って初めて考える時間ができて、
でも答えが分かんなかったから、
どうしていいかも分かんないし、
相談できるような人があんまりいなくて、
当時。
うんうんうん。
いないからもう、
そこで初めて組織の外に出るっていうね。
会社の外に出るようなプロジェクトもあったんですよ。
BXをやってみましょう、
みたいな。
あ、そうかそうか。
会が、
組織を横断して発表されて、
で、
そこに出て、
そこに出て、
そこに出て、
そこに出て、
みたいなのがあって。
当時、
そういう、
ポスティング制度みたいなのが
なかったんだけど、
うん。
その、
なんか、
こんなの始まった当時なのか、
そういう
勉強会みたいなのがぽんぽんぽん
こう、
なんかあって、
うん。
で、
そこに初めて出るみたいな感じ。
うーん、
なるほど。
だから大阪の人もいれば、
徳島の人もいるし、
いろいろな、
いろいろと
年齢層とかが
たくさんいるみたいな感じで、
一緒に出るわけで、
せっかく出したら
結婚式とか
もいるし、オンラインで参加する人もいるし、 みたいな感じ。業種もバラバラだし、みたいな感じ。
だからそういう人とも触れてこなかったんですよ。 ああ、そうか。でもそう、そうなんだ。
普通に会社ないだけで働いてたら、そういう繋がりもない。 まあ、取引先とかお客さんとしかやり取りがないから。
例えば製造業の営業とさ、会話したところで、やっぱ思ってたわけ。 その、だって仕事の内容が違うから話すこともないかなーっていうのもあったりとか。
だから人脈は広げてなかったんだよね。 広げる必要もなんか、なんか何も考えてなかったっていうか。
だったんだけど、そこに初めて出た時に、あ、いろんな人おるなーって。 感じで。
やってて、まあ別になんか、ああ、こういうのもいいもんだって思ったんだけど。
なんかその時になんか社会課題、一つ自分で選んで、プレゼンしてくださいみたいなやつだったんだけど。
なんかやっぱりよくある話だったら、人口減少とか、環境問題とかあって、なんかその時は人口減少問題をテーマにしてプレゼンしたんだけど、
なんかあんまり、なんかしっくりこなくて、それが。 なんかそれやりたいのかなーみたいな感じで、
なんか違う気がするって思って。なんかその、なんかずっともやもやして、それが。 もやもやして、
るっていうこのもやもや、なんか問題なんじゃないかみたいな。てかこれ解決したいんだけどって思って、調べていくと、
なんかもう結構そういう人多いっていうのが判明して。 あーなるほどね。
そのもやもやっていうのは、自分が何がやりたいのかみたいなもやもやってこと? そう、自分が何がやりたいかわからないとか、
どういうふうに生きていきたいのかとか、 っていうところ。まあある種、ちょっと夢みたいなものと思うんだけど、
それをなんか調べていったときに、プレゼンとかでもよくそれ、一番最初に出すんですよ。問題提起を。
これが問題ですっていうのを出すときに、データがいるから、 客観的なデータを調べていくと、日本人の半分は夢がなく働いてますっていう事実が出てきたときに、
衝撃を受けて、え?みたいな。 しかもなんか、アメリカとか違う先進国はすごい育て低いんですよ。
めっちゃ夢あるんですよ。日本特有なんですよ、これって。 で、あ、マジでやばいなっていうのと、
なんか別にそんなになんかやばいことじゃないんだみたいな、自分がそれ患ってるのが。 結構これ普通かもしれんみたいなね。
プロティアンキャリアの発見
確かになんか自分の周りでも、なんかそんなになんか俺の夢はこれだって、みたいな言う人あんまいなくて、当時。
会社の予算をどうするかとか、なんか愚痴ったりとか。 キャリアのことなんて話すことなんてもうほぼないみたいな感じだったから、
あーなんかこれかもって思って、なんかそういう叩きみたいなのを、なんか当時、
当時ヤマーっていうやつがあって、今ビバっていう、マイクロソフトのなんか社内SNSみたいなのがあるんですけど。
そこにポンって投稿したら、もう全然知らない人から連絡きて、
めっちゃ共感します、その課題感みたいな。ちょっとワンワンしましょうっていきなり言われて、え?何これ?みたいな。
すぐセッティングされて、みんならもうすごいわけ。 情熱が。
いやマジで素晴らしいです、みたいな。ガーって言われて、僕はこんなことやってます、みたいな。
おーすごいですね。一緒に盛り上げていきましょう、みたいな。
たぶん三宅さんに合ってるのはこれだと思いますって言われて、その時にそのプロティアンキャリアっていうのを教えてもらって。
あーなるほど。
で、なんかいろいろ本を読んだりとか、写真やったら、あるんですよね、その本が、プロティアン本を読んだ時に、自分のことが書いてあったんですよ、まさに。
あーなるほど。
そう、主人公がね、小説形式で始まるんだけど、まさに俺見て、俺が今話したことがそのまま書いてるみたいな感じ。
これまでがむしゃるにやってきて、でもやもやしてて、どうしていいかわかんない。
で、来る人がその人みたいなね、これ俺じゃんって思って、やばーって思って、雷パシーンじゃないけどさ、落ちてきて、これやなって思って、ここに答あるぞって思って。
で、全然キャリアのことなんてこれまで勉強してこなかったんだけど、そっからなんかキャリアっていう言葉がすごく自分の中でビビッときて、
で、勉強していって、あーこういうことなのかって。でも確かに今まで全然外、飛び出してこなかったなーみたいな。
いうので、プロティアンケデに試験受け、アシリテーターになったっていう感じかな。でもその間は転職してません。
あーそう、え、転職してる?
してない。
してません、あーしてないや。
してません、うん。
なるほど、そこの社会課題みたいなのを考えて、プレゼンした時に、人口問題とかって話もでかいし、本当にそこに情熱注げるかって言われたら、そうじゃないよなってなって、
そこで、じゃあ自分で何したいんやろうってなったってこと。
そうそうそう。
問いとして。
そう。
そうか。でもね、やっぱりコロナっていうのが、そもそものきっかけでそういうのを考え始めたっていうのが、もしなかったら、今もそうじゃなくて、本当になんか縦予算とか出世とかで続いてたんやろうな、続いてたんかもしれないよな。
モヤモヤを解消するカギ
続いてたかもしれないね、本当にね。恐ろしいよね、今考えたとして。マジで怖い。めっちゃ気づけてよかったわ、本当にっていう感じ。
確かに。でも、やっぱりそれぐらい何も考えずともう働けちゃうし、何も考えずと思ってよく考えてると思うけど、本当の自分のなんかモヤモヤに気づかず働けちゃうんだよな、やっぱり。
特に営業だとね、やっぱり目標が毎年これが目標ですってあったりとかさ、やっぱ自分が今までできなかったことを今度新しくやるとかさ、最初あるじゃん、やっぱり。
今までは5000万だったけど次1億だ、じゃあ2億だ、今度はリーダーになってメンバーと一緒にやっていきますとか、今度は新しい施策を立てますとか、もうその辺もあらかたやったわけよ。
やり尽くして、うーんってなったわけ。
それでモヤモヤしてたのかもしれない。だからそれまではだからもう何か目標があった、ゴールがあったっていうある意味、そういう意味だと。
確かに会社から求められていることでもあるし、自分がこうなんかやったことないというか、確かにこれやれるようになりたいみたいなのもあってやってこれたけど、ちょうどなんかそれも一周して、あれってなったタイミングだったってことか。
そうだね、成長があまり差分が生まれないみたいなね、この目標を達成したとてみたいな感じの、同じようなことの繰り返し、感じてしまった時はあったね、やっぱり。
何のためにやってんねやろうみたいなことやったな。
まさに定量ゴールだけあるみたいな感じ。
そこでプロティアンに出会って勉強して資格も取ってみたいな。
そこで入って、そしたらなんかのラボ活動っていうのがあって、プロティアンの中に。
ラボ活動?
ラボ、ゼミみたいなもんだよね。
なるほど。
自分が気になるテーマのところにジョインしましょうっていうのがあって、俺はそのキャリア教育っていうところとミドルラボ。
ミドルって30代から50代ぐらいの、ちょうど中堅世代っていうところのラボに入っていて、やっぱそこで活動するんだけど、やっぱねみんな熱いわけ。
重いがあるわけ。ちょっと普通の人じゃないわけ、全員が。
だって年齢高い人とかだと60歳とかの人もいるんだけど、ゴールがある、みんな全員。
仕事もしながら、自分でやりたいことをこのプロティアンの活動を通じて満たしていくっていう感じ。
っていうので聞いたときになんかもう衝撃を受けて、えーみたいな、こんなことできんの?みたいな。
全員輝いてるオーラがすごくて。
めちゃくちゃいいな。
そうだったんですよ。で、めちゃくちゃいいなと思って、そこの活動を社外活動と言いますか。
やり始めていって、なんか実際自分でキャリアワークショップ立ち上げてやってみたりとか、
あと家庭教育の授業、実際高校さんとか中学校に行って、まさに俺らがどうやっていい人生にしていくのかみたいなテーマだったりするんですよ、そこって。
もしくはどういう軸で生き方決めていくのかとか、このモヤモヤを解消する方法をみんなで考えたりとか。
っていうのをやりたくて、やっぱ反面教師っていうか、自分がもっと若い時にそういう大人に会えてたらなとか思うわけですよ。
例えば大学受験の前とかさ、高校受験の前とかにさ、こんな大人が一人でもいたらさ、また選び方も違ったんやろうなーとか。
社会人になってからも、俺結構後半だったわけ。気づくのが。もっと20代前半とかに気づけてたら、もっと違ったかもっていうのを一応突破したから、
だから伝えたいみたいになって、それをやってたんだけど、やっぱりね、めちゃくちゃぶち上がるわけよ、それやると。
高校とかすごかったよ。大学なんか行ったら多分ね、みんなウェイってなるじゃん、普通。
でもウェイだけじゃなくて、もう大学生活最高にしますって言って、行っていくわけ。
だから全取りしますみたいな。彼女も作るし、勉強もするし、海外にも行きますみたいな。
いいじゃん、全部やったらいいじゃん、みたいな。それそれとか言って。
全部できるからとか言ったら、めちゃくちゃこう、ウェイってなるし。
まもやました人も見つけて、やってみますってなるし。
新たな人生の始まり
めっちゃええやん、このワークショップとかさ。なんだけど、やっぱりこれがさ、ボランティアっていうのもあるし、やっぱり日中あんまできないわけ。
だって本業があるから、できないから、本業よりこっちの方が楽しいなーって、なんかうっすら思ってたんですよね。
でもやっぱり辞められない。辞められないという、その時は思ってた。
で、なんかこう、お休みの日とか、副業的にこういうこともっとできたらいいのになーって思ってたけど、やり方わかんないなーってなった時に、
JCCに出会って、それでも応募したっていう感じ。
なるほど。JCCを見つけた時に、コーチングというものはもう知ってた?
いや、もう全然知らなかった。
あー、じゃあもうそこと同時なんや。
なんかもうほんと、なんか監督とかの仕事みたいな、スポーツのコーチングみたいなイメージだったから。
なんか、キャリアコンサルタントとか、キャリアって言葉に反応してたけど、コーチングがそういう意味って知らなかったから。
なんか動画で見た時に、あ、これやりたいことそのまま言ってるぞって思って。
これじゃんって思って。やっと見つけたって思って。それでこう応募して、こう無事入ったっていう感じなんだけど。
なるほど。でも確かに、その、なんか若い時に知りたかったっていうのって、やっぱ自分も感じるなーって思うもんな。
バーソンですら?
思う。
いやいや、バーソンはもう早い早い。早いんですよ。
なんか、俺の場合は、就活の時に、働いてないのにそんな考えてもわからんなって思っちゃって。
ただ、20代は仕事頑張るって決めた。で、その決めたのも、なんか20代頑張らないともうそこの差は取り返せないみたいな。
なんかよく本で書いてるとか、SNSで発信してるのを見て、そうなんやと思って。
そこだけ決めて、ただがむしゃらに、その先は何もないね。20代ただひたすら頑張るっていうことしかなかったから。
30歳を超えて、あれ?何するんやったっけ?ってなったっていう。
ちょっと俺と似てるかもね、そういう意味だとね。
もしそのタイミング来なかったらね、ずっと頑張ってたかもね。
そうそうそうそう、可能性はあるから。
なんかそうやねんな、20代にその先というか、本当にやりたいこととかがあった上で頑張れてたら、またなんか違ったんやろうなと思う。
絶対違う。全然違うと思う。
本当に頑張ることを目的としてたから、今思ったらなんか素直なのは良かったけど、考えてはなかったな、何もみたいな思う。
本当恥ずかしいんだけどね。
本当に俺も話してて。
でもやっぱそうなっちゃうよな、なんかこれも外的由来なのかもしれへんけど、やっぱりそうしないといけないみたいなのから考えちゃうと、どうしてもなんか大事なことを見落としてしまうというか。
そうだね、うん、それ悪かな確かに。
なんか他のことで満たされてたみたいなのもあるかもね、だからね。
今まで自分ができないことができるようになったとか、役職が上がったとか、年収が増えたとか。
やっぱそれなりに大きい会社だとさ、そういうのも感じるじゃん、なんかこう上がっていくのも。
で、見えなくなるみたいな。
そう、確かに。そこ、そうやな、嬉しいのは嬉しいもんな、それができることになったりすることによって。
うん、嬉しい。
そこからJCCに入ってから、その自身のキャリア、キャリア感というか、やってることにもなんか違いが生まれていった?
そうだね、なんかもうその時に、やっぱり自分がコーチするんだったら、コーチングも自分自身が受けてないといけないでしょうと思って。
自分もそのコーチングのサービス受けて、ゴール設定とかをしてたんだけど、やっぱまだブレーキがあって、
やっぱ家族がいるから、やっぱこのオイスレット本業ね、シュッて変えるみたいなことをしたことが今までなかったから、
そこはそのままで、ただそうじゃない副業とかのところで、キャリアコーチとしてこれから日本に役に立てたらなっていう、
思ってたんだけど、どんどん講座が進むにつれて、いろんな教えを受けたよね。
受けた、受けた。
その中であれ?みたいな、ゴール世界考えた時に、これ本業邪魔しねえか?みたいな。
これいらないやつちゃう?もしかしてってなって、
改めて人材育成領域っていうところで絞って、何かできないかなっていうところ。
それも人とファイナンスとかも含めて、ちゃんと考えた時に、
富士通の中でもまた違うグループ会社があって、人材育成をすごくメインにやってる会社があって、
人材派遣とかじゃなくて育成だから、研修のサービス提供したりとか、
今みたいなヒューマンスキルとかを教えに行ったりとかするっていうので、
すごい自分がやりたいこととめちゃくちゃマッチしてるなっていうのがあって、
ただ、富士通の本体、10万人からではガクンって小さい会社に行くって感じ。
転職するんだけど、会社が変わるってこと。
あったんだけど、もうやっぱり決まってきて、JCCでやりたいことやろうって。
で、ファイナンスもちゃんと交渉して、今よりも良くなるっていうことにできたから、
それで、行く決心をして行ったって感じ。
なるほど。
それが9月だから、先月です。
おお、マジで?
そう、先月も。今、新しい職場でやってますけど。
すごいな。その決断と報道はすごいな。
でも、やっぱり行って良かったなって思ったのは、
すごい自分がやりたいことが本業になってるからさ、嬉しいよね。
もう、もやつきはないよね。あとやるだけみたいな感じ。
確かに。そうやんな。
そうやんな。その抱えてたモヤモヤは、それで本当に去ってなくなるような。
消えた。もう完全に。
いや、もう別にモヤモヤしてなかったんだけど、
もう、なんかちゃんとゴールに来てる状態になってるなっていうところで。
素晴らしいな。
もうこの年になって、次の新しい人生始まったじゃないけど、
会社も変わって、ケリアコーチの資格も取って、
あり方も変わってっていうところで、
すごい反応が嬉しいよね。
めちゃくちゃ相談されること増えたもんだから。
そうなんや。
ちゃんと事故解除もしてね。辞める直前ぐらいに。
こういう会社で資格を取って、ケリアコーチやってるんで、
ケリアコンサルタントとかでは解決できないようなところ。
伴奏して引っ張り上げることできるから、
もしモヤついてる人とかいったら声かけてくださいって言ったら、
相談があるんですけどって、やっぱこうあるわけですよ、皆さん。
言わないけど実は。
しかも俺出る人間だからさ、言いやすいみたいな。
そうやんな。だって同じ環境で同じように働いてたら、
結局同じようにモヤモヤするよな。
人によるとは思うんだけどね。
でも確かに、フォトキャストでもいろんな人の話聞いてて、
初めから、学生時代から自分を出せてるというか、
主人公的な感じで、自分のやりたいことをそのままやれてる。
で、そのまま社会人来てもやれてるみたいな人も確かにいて、
やっぱ日本人特有みたいなのはあるのかもしれへんねんけど、
モヤモヤ感の原因
やっぱりその外的由来で何か考えちゃったりとか、
こうせねばならないとか、そういう教育上の何かの影響なのか、
モヤモヤしてる人もいれば、モヤモヤしてない、
ストレートに行く人っていうのもいるのはいるなって思う。
ただ自分がモヤモヤ側だったがゆえに、
同じ人も多いんやろうなって感じる部分はあるよな。
そうそう。さっきも言ったみたいにデータでいくとやっぱ50-50らしいから。
だから自分がその世界を見に行ってないってこと。
そうやんな。
モヤモヤ側の人は。
出会ってないだけっていう。
出会えて引っ張られたときの感動。
感動すごいじゃん、ほんと。
えーみたいな。こんな世界あんのみたいな。教えてよみたいな。
なんで教えてくれなかったんだみたいな感じ、ほんとに。
その人もぶち上がるでしょ。
ならまた別の人相談。
この人がまた相談したいって言ってるんですけどってまた来たりとかして、
なんかゴール世界ちょっと踏み入れてるかもみたいな。
めちゃくちゃいいな。
やっぱ体が動くそこに関しては。
だから全然やってても楽しくやれてるなっていう。
もちろん責任も感じるけどね。
確かにな。そこはもちろんある。
めちゃくちゃいいな。
みやっちの話を聞いて、前半部分結構さ、学生時代から上手くいかんこともあり。
全く上手くいかなかった。
なんかそこから社会人3年目ぐらいまで耐えて、
それ以降は結構その仕事でのやりがい、
本当の自分にやりたいことではないかもしれないけど仕事でのやりがいとか、
できるようになったことに対しの手応えみたいなのがあって、
なんかその期間は仕事は仕事できて楽しかったよな。できるようになっていく過程とかっていうのは。
そうだね。
本当階段一歩ずつ登っていってるっていう感覚はあったかな。
その、でもやっぱりその先やな。そこがある程度落ち着いてきて、
コロナとかのきっかけもあって、あれ?何のためにやってるんだろう?みたいなところに疑問を持つと、
迷い気というか、もやもや気に入るな、きっと。
いや、本当そう。だから、なんだろう。
本当恥ずかしいんだけど。
課長になって部長になって、年収がじゃあ1000万になりました、1500万になりました、
っていう思われしたことは考えてたけど、なんかでも、
それをした時のことを考えた時に、え?ってなったのよ、マジで。
え?それなんでしたいんだっけ?みたいな。ってなって、
愕然とするみたいな。
いや、そうやな。そこに、なんか今までは気づいて、
もやもやを感じて、でも、続けていくみたいな人が、もしかしたら多かったのかもしれないけど、
若い人ほどそこに、なんか気づくのが早いのかな。
もう、就活時点でそういうのを考えてるから、ビジョンとかパーパスとかを気にするんやろうな、きっと。
教育が充実してきたっていうのも、もしかしたらあるのかもしれないですよね。
でも、やっぱ入ってきてからも、やっぱ変なの多かったんですよね。
なんか入ってきて、トレーナーとかするじゃないですか。
うん。
んなら、もうめちゃくちゃ、だからもう、エンゲージームって低いんですよ、いきなり。
うん。
いやー、なんかお客さんと話してても楽しくないです、みたいな。
そもそもB to Cの私向いてるんですよね、みたいな。
え?みたいな。
なんで?って。
でも、入ってくる時は、子供の教育の格差をなくしたくて、この部署に来ました。
みたいなこと言ってるんだけど、しないんですよね、別に何も、自分では。
そのミスマッチみたいなの、やっぱあって、それでも。
なんだこれってなりましたから、余計に。
確かに。
なんか2つ、この面接があるから、そういうのを考えないといけないっていうのと、
ただ、とはいえ、なんかやったことあるわけじゃないから、自分ではそう思ってても、実際やったら、違うなってなるっていう。
なんかその2つがあるんやろうなって。
就活って特に、なんかそんなのを感じる。
その会社のパーパスに、なんか自分のパーパスを、なんか無理やりこう、当てはめてきてるみたいな感じが、すごい感じてしまって。
だからそういうことって、いずれどっか行っちゃうし、
だからそのパフォーマンス発揮するのに、めちゃくちゃ時間かかるんですよね。
そうそう。
確かに。
そこをなんか、ちゃんと向かせてあげて、ようやく頑張り始めて、って何年も、きっと。
で、やっとできるようになってきたなっていうタイミングぐらいで、どっか行ってしまうみたいな。
もう大変な面倒見て、頑張ったけど、ようやくできてきた頃に、やめちゃうんやな。
なんか切ないな。
まだ行ってないんだけどね、その子は。
でも娘だと俺が先に今回行ったんで。
こっちは攻めの移動だから、マイナスな移動はちょっとしないでほしいなっていう感じがあるなって。
でもそこも大事やんな。向いてるか向いてないか分からんけど、
宮地が3年間耐えてできるようになってっていうのを経たように、そこをまずやってみるっていうのも大事やなって、なんか聞いてて思ったわ。
そうね、もうちょっと考え方古いっていう話もあるけどね。
いちなみに3年なんてもう待ってられないんですっていう。
データ上も出てるじゃん。半年とかでも転職するでしょ。
ダメな時は。そこは一つそれぞれ考え方あるとは思うけど。
いいね、そのきっかけがあるにして、もうそこから外部に、だから外部のものに参加してみるとか、そういう何かしらの行動があって、ようやくなんか本当に気づいたことがあってとかに繋がったんやなと思ったから。
もやもやの上で何するかみたいなのは大事やな。
もやもやしてる人たちの周りで多分みんなもやもやしてるような気がしてる。
同じようなキャリアの変遷を描いてきてるというか、もうみんな同じ職場で働いてますみたいなのが実は多くて。
転職で入ってくる人もいないし。
だからまあそのようになったのかな。だからそういうきっかけみたいなものがあるともうめちゃくちゃでかいっていうのがあるからなんか自分もそうしたいなっていうのが。
今あるね、本当に。
大手ほどあんまり変わらない入れ替わりがガンガンあるみたいなのじゃないかゆえにそういうのは多いのかもしれないな。
ただね、今はね大手もめっちゃ変わってて。
特に富士通はもうめちゃくちゃ改革してて。
ポスティングっていう制度があって、要は社内転職っていうのがもう普通にあって。
リクナビのこの富士通版があるみたいな感じ。
そこでもう全部できる。
やっぱりこんだけでかい会社だとなんか引っかかるわけよ。
理想のキャリア形成
確かに。何かしらはありそうやもんね。
だからよっぽど会社が嫌いとかにならなかったら結構やっぱり条件はいいから。
それがやっぱり整ってなかった。
俺のその時代は長らく。
ローテーションっていう考え方とかそういうのしかなかったから。
今は相当働く人にとっては働きやすいんだけど、
それでもねやっぱりね、根本、何がしたいかわからないっていうのがわからないとこう、
延々とこう、なんかさまようみたいな感じになっちゃうでしょ。
確かに。自分に合ってることなんだろうを探し続けるみたいな。
そうそうそうそう。
合ってることなのでもいいし、やりたいことなんだろうでもいいし。
今はなんかすごいあるかな。
組織はだからすごい変わってきてる。
でもやっぱりそうじゃない組織はたくさんあるっていうのも知ってるから。
キャリアコーチングでワンワンしてぶち上げた人が、
じゃあいざ自分の会社に行ったらさ、すごいわけまた。
そのぶち上がってる組織だったらね、いいじゃんってなるけど、
そのぶち上がってる組織だったら多分ねあんま燃えつかないと思うんだよね。
確かに。
っていうのもあるから、組織もやっぱりやっていく必要があるなーっていうのがあって、
本業で組織やって、工業で1対1のサンドイッチみたいにしてね、
やっていくと日本中にそれが広がっていくんじゃないかなって思ってるから、
今はなんかそれがやりたいなっていう、今ゴール設定してます。
めちゃくちゃいいっすね。これいいな。
今までオトキャストで聞いてきた人って結構転職してたりとか、
こういうのがあってとかっていうのが多かったんやけど、
だからミャッチを初めてかな、1社でずっとっていう話を聞いた。
最初にそのグループ会社、関連会社、グループ会社にっていうのはあるけど、
そういう意味でのキャリアを聞けたのは初めてやったから。
そうそう、すごい嫌だったもんだから最初。
だいたいそういうプロテアムの人とかさ、
会社の中でも俺の中で生き生き人材って言ってるんだけど、
生き生き人材の人ってもうすごいわけ。
本業でもバチバチ成果出してるし、企業してますとかね。
副業してますみたいな。パラレルキャリアやってます。
すごいなーみたいな人たちは。
いろんな職歴があるわけ。転職してきたりとか。
でも俺1個しかないわけ。
そこでする嫌だったんだけど。
でもなんかね、それもね、いないよねあんまりね。今時ね。
だから逆にプライド持とうと思った。そこに関しては。
確かにほんまそうだと思う。
転職してないからダメとかないというか、逆にすごい。
すごいよな。そんなに一つでやってこれて。
しかもその中で自分のやりたいことも今は明確になって、
そこに繋がることができてるっていうのって、
ある意味理想系みたいなのを感じるもんな。
本当。それはなんかもう、嬉しいね。さっき言ってくれたらね。
こういう話を聞けるのがなんかやっぱ、
モントゥなんやろうなって自分では思う。楽しいね。
いいね。
俺もなんか聞くの楽しいんだよね。
モヤモヤしてるって話を聞く。
ほぐしてって見えた時、すごい変わるじゃん。
めっちゃいいなって。
てかもう俺がさ、もう本当、モデルっていうか、
自分自身がそうやって乗り越えてきたから、
本当気持ちも心の底からわかるし。
やっぱきついと思うよ、特に。
やっぱ怖いもん、もう半端なくそういう人って。
そうやんな。
ずっと同じとこに勤めてきて、
本当に出たらどうなるんだろうみたいな。
会わなかったらどうなるんだろうって。
もうね、クレイティブオブイナンス出まくるみたいな。
いいというか、やっぱ貴重やな。
そういうのもわかりつつ、でも後押ししてあげるというか、
本当にやりたいことに向けてっていう意味での伴奏ができるっていうのって、
本当に必要やな。
確かにそれをしようと思ったら、
自分がね、ゴール更新し続けてるっていうところを見せていくっていうのも、
それによって自分を振り立たさせられるっていうかさ、
そこがすごく一緒に成長してる感じっていうか、
すごくいいなっていうので、順とくる感じ。
めちゃくちゃいい。
ありがとうございます。
本当に自分が、俺が大手で勤めたことはない。
大手企業での気づき
結構小さい会社ばっかりやったから、
大手ってそういうのもあるんやとか、
やっぱモヤモヤしてる、そういうモヤモヤを抱えるんやとかっていうのも、
知れてめちゃくちゃ楽しかったです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ、今回ゲストにミヤッチに来てもらって、
ここまでにしたいと思います。
本当に来ていただいてありがとうございます。
ありがとうございました。
じゃあまた次回というところで、今回はありがとうございます。
ここまでお聞きいただいた皆さんもありがとうございます。
またお楽しみにお待ちください。
それでは本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
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