1. 何者でもない者たちへ
  2. #2-3 違う国に住んでみて、違..
2025-09-29 39:32

#2-3 違う国に住んでみて、違う考え方を知ってみれば、今あなたが考えてる悩みも、悩みじゃなくなるかもしれない。【何者でもない者たちへ/ゲストNo.12: 川島さん/その3】

今回のゲストは現在はミャンマーでエンジニアをされている川島さん。

同級生に抑圧された幼少期

ハイスクール漫才に打ち込んだ高校 時代

大学よりも熱中したチューターのアルバイト

エンジニア転職して楽しんだカオス

自分の狭さに気づきたどり着いたいいかねパレット

そしてミヤンマーに旅立つまでのお話です。

その3で終わりです。


インタビュー記事

https://note.com/minasamae/n/n6f4ac3b3e423?sub_rt=share_sb

イラスト動画

https://www.youtube.com/watch?v=UR8SdMgQwBw


#何者でもない者たちへ

サマリー

異文化経験を通じて、仕事や自己成長に対する考え方が広がる様子が語られています。川島さんの体験から、選択肢を持つことがキャリア形成やプログラミング学習において重要であることが強調されています。川島さんは、異なる国での生活を通じて、価値観や考え方の変化が自身の悩みを軽減する可能性について話します。また、東京からの移転やポッドキャストを通じて得られる学びについても触れ、新しい挑戦への意欲を示します。川島さんのエピソードでは、異国での経験が価値観を広げ、悩みを軽減する方法について語られています。特に、ミャンマーでの活動を通じて様々な人々と関わり、新たな価値観や生き方を学んだことが強調されています。異なる国に住むことで、さまざまな価値観を学び、自分の悩みが相対化されることが理解されます。川島さんの経験を振り返ることにより、新たな視点を得る重要性が語られています。

自己成長のきっかけ
【何者でもない者たちへ】、前回からの続きです。
収穫あんまりできなかったというか、やりたいことは別になかったですね。収穫する時期だから収穫をするというだけで。
流れの一部としてね。
めっちゃこの社員になって払えてもいいかなと思ってました。
そうそう、それは思わなかったのかなと思って。
それは思ってたけど、積極的に選べたいわけじゃないというか、
他のことも知りたいなという気持ちもあったんで。
他の場所で働く経験とか。
どこもなかったら、ここで働いても全然いいなっていうくらいなんで。
積極的に選ぼうとはしてなかった。
かといって、いわゆる収穫の軸みたいなのもなかったんで。
むしろ収穫からなるべく逃げたくて、ずっと収穫の期間中もここでバイトしてました。
プログラミング学習の重要性
言い訳になるわ。
それとなく、リクルートとか出資業開発、ワークスアプリケーションという会社だったんですけど。
そこを向けて落ちて、最終的に自分が進んだところ、
リクルーターとの出会いとか、教育と繋がりもあったという後からの理由づけとか。
自分の中では納得させることができたので、そこでいいかなという感じで決めました。
そのALTの障害、採用と派遣は別に面白くはなかった?
いや、面白かったですよ。
何が良かった?
あっせんしつつ採用と派遣をするんですけど、同時に教育委員会とどういう英語教育をつくっていきましょうかみたいな話も
一緒にするような仕事があったんですよ。
事業内容としては。ただ派遣してって言うかとか。
教育委員会と一緒に、その地域でどういう英語活動とか、あとは異文化懲りみたいな。
ALTを活用しつつ、どんな教育ができるかってことを考えたりしてたんで、
それは地域の教育とかにも関わると面白かったなっていうのはありましたね。
そうなんですね。近いようなことをしてたんだよな、バイト自体。
最初の会社で楽しかったと思ったのは、この事業のこと嘘じゃないけど、
グループが、まさきが話をして、民間のモチベーショングループっていろんなグループがあるんだよ。
その中の同期と、3ヶ月に四半期ぐらいに、成績優秀者みたいな表彰がある。
それで結果出したいなっていう気持ちが強くて、それを頑張りたいと思って、取りたいなっていう気持ちでやってました。
なんか頑張る、賞を取りたいみたいな気持ちあるんですね。
この時はありましたね。
仕事で結果を出したいっていう、賞を取りたいっていうよりも、自分が仕事で結果を出したいっていう気持ちがめちゃくちゃ強くあって。
それはどうしてるの?
別に比喩するとかは関係なく、あんまり自分に比べた才能っていうのがないって思ったんですよ。
今までのことでのこと。
例えば音楽とか絵とか芸術系。
素晴らしい頭良さとか特別なスキルもあるわけじゃないっていう中で、
仕事で結果を出すって先天的な才能がなくても、努力次第でわからないものって当時思ったんですよ。
みんな別にビジネスの経験をして生きてるわけじゃないし、小さい頃から。
スタートラインが基本的に、だいたい2008年頃からスタートできるから、
そこから努力で特別な才能がなくても、仕事とかビジネスだったら結果を出せるんじゃないかっていうふうに思ってて、
だったら自分も出せるかもっていう。
頑張りさせても出せるかもって思ってたのがあったんで、仕事で結果を出したい。
超努力したいなって思ってました。
仕事だったら度胸は同じだと。
その証明のひとつが賞だと思ったんで。
なるほどね。それはどうだったんですかね。
結果的に一番古いの賞は取れなくて、準優秀賞みたいな。
2位みたいな。
取れたけど、2位もちょっと低いかもしれないけど、取れずに。
取れなくて悔しかったけど、当時は。
この頑張ってること自体は楽しかったです。
2位は良かった。
まだ普通に学ぶのが初めての仕事だったんで、めちゃくちゃ学ぶことがあって、それは面白かった。
単純な学びが面白かった。
どういう学びかっていうと、僕がやってる時期はALPだったんだけど、
会社としてはやっぱり組織として良くなっていく。
組織力がたくさん売れるよりも、まずは組織が一致団結したような、いいチームになっていくことがまずは大事っていう思想で。
いい組織を作るためには、実践含めで勉強する機会がたくさんあったんですよ。
会社が推奨する本とか。
そういうのをグッとしていく中で、全然知らない知識が増えていったみたいな。
学ぶことがたくさん多かったのも面白かった。
働くときのスタンスも含め、先輩のような人となって。
知的好奇心が満たされた。
自分の中に積み重なってる感じがあった。
自分の力がどんどんついていった。
自分の中に出てるものがたくさんあったという感覚が、結果を出したいという気持ちと同時に楽しかったですね。
だからたくさん勉強をしてたなと思いまして。
成長している感。
もともとそういうのに興味は、多少バイトのところであったんだけど。
それがさらに強くなっていったというか。
どこの興味ですかね。
働き方みたいな。
ちょっと違うのかな。
そこはあんまり繋がりない気がします。
そうなんだ。
今までとは全然違う領域だったけど、
まったく知らない領域で、知らない領域についての知見が含まれていくっていうことが面白かった。
ここで3年、4年くらい食べてました。
3、4年。
でも楽しくやり続けたんですね。
今まで2社しか経験してないけど、こっちは楽しかったです。
これじゃあなんで辞めちゃったんですか。
これ辞めたのは、バックオフィスの仕事が多かったんで、
事務系なんですよ、いわゆる。
そういうのをもっと楽にしたいなという気持ちがあって、
自分でプログラミングとかを勉強して、仕事に活かせたんです。
当時働きながら。
さっき何で辞めたってとこに、経緯に説明したような回答が。
経緯を説明した後になるかもしれないけど。
で、プログラミング勉強をして、
そこから自分でプログラミング教室に通ってたんですよ、社会人。
仕事しながら通る。
そこでプログラミング勉強をし、
そこで出会った人の会社、同期の人が会社を作るって言って、
そこで僕はエンジニアとして働けるっていう道があったんで、
職種を変えて。
そっちの方が面白そうだなと思ってやりました。
新しい事業の挑戦
そうか、効率化みたいなことをしたいと思ってて、初めて勉強。
それがきっかけだったんですね。
結構それが面白かったなと思って、プログラミングすることが。
そうなんだ。
面白い。
転職したいというか、もうちょっとプログラミングをちゃんと学びたいなって気持ちがあって、
スクールに行きました。
だからその時は転職をしたいとかあんま考えてなかった。
スキルというか、単純に伸ばして。
また今の元々の会社でその培ったスキルを活かせたらいいなーくらいな。
スクールの中で同期の人に誘われて、
元々その人は鳥取で会社をやってたんですけども、
新しい会社を作る。
このスクールがプログラミングと企業を学ぶみたいなところだったんです。
事業を作ることを学ぶみたいな。
なのでこの同期の人は、どちらかというと事業をすることと仲間集めを目的に生きてて、
僕はプログラミングを勉強したところで、
エンジニアとして働かないかって話をしてくれて、
楽しそうだなって。
知らないことだし。
初めての経験だから面白そうだなって思って、
元々の会社を辞めてこっちに来ました。
あんま抵抗なかったんですか?
辞めたらとかあるじゃないですか。
自分の中であんまり転職をしようっていう気持ちで決まってました。
楽しそうと思ったし。
やったことないことがあったんで、
そっちの方が面白そうだなっていう気持ちでした。
それこそ会社立ち上げで、
創業3人のメンバーの中に一緒に入れるとかってあんまりイメージがなかったし。
確かに。
機会がないということね。
元々の会社はメガベンチャーみたいな規模で、
まあまあ人儲かって。
これはどんな事業だったんですか?
これは建設業界が業界なんですけど、
建設業界って、お届け仕掛け構造があって、
仕事を仰って活躍した人が、
その下請けの人たちに細かい仕事を投げてお願いするみたいな。
お届けと下請けの中のコミュニケーションとかやり取りが、
メールとかファックスとか。
簡潔に言うと、めちゃくちゃいろんな方法を使ってて、
まとまりがないし、こういった状態が現状で、
それを続けてやり取りを、
同じウェブサイト上で、クラウド上で、
お届けの下請けのやり取りができれば、
すごいコミュニケーションが楽になるっていうことを目指して、
コミュニケーションのためのクラウドサービスを作ったみたいな。
ウェブサービスかな。
それを作ろうとしている会社です。
現時点で業界は新しい人いないし、
9体イベントしたのが残っている業界ではある。
そういうのもあったら聞こえますね。
クラウドか。
それのサイト作りというか、クラウドの作りで。
おだしょー ウェブアプリケーションと開発。
ウェブエンジニアとして仕事をしてたんです。
なるほど。
今後は楽しくなかった。
おだしょー どうですか。
この仕事は。
おだしょー いや、基本どっちも楽しかった。
比較の話で。
おだしょー ごめんなさい。
それぞれ楽しいところと楽しくないところがあるから、
あまり有利と付けられないです。
どっちも楽しかったなって思います。
この2社目のところは、最初は本当に3人でやって、
ここは自由というか、
開発以外のすべてのことも自分たちでやらなきゃいけなくて、
それこそ新しい人の採用とか営業、
活動とかっていうこともエンジニアが役割を超えてやってくるみたいな。
そのすごいカオスな感じが楽しかったですよね。
楽しい。それは楽しい。
おだしょー エンジニアもバックエンド、フロントとかって分かれてるんですけども、
人足んないから1人が全部やるじゃないですか。
専門領域とか関わらずにいろんなことを自分たちでやるみたいなことができたんで、
役割の壁とかは本当になかったから、自由で面白かったですね。
結構混乱しそうですけども、
いっぱいできるからむしろいいやみたいな。
おだしょー そうですね。いっぱいできるし、自分たちでできるみたいな。
そのカオスな状態のときはショックで、そのときは一番楽しかったです。
そうなんだ。
おだしょー いくらでもやれちゃうみたいな。
あれもやろう、これもやろうみたいな。
おだしょー そうそうそう。
違う国での経験
頭の中でもやりたいことたくさん思いつくし、
それもそのままできるから、サークルみたいな。
エンジンタークみたいな感じでしたね。
そうか、縛られる感じではなかったんですか?
おだしょー 全然。
お互い協力して、あっちだったらこっちだって。
おだしょー そうそうそう。
他の二人が社長と後はエンジニアの、結構歴長い人だったんですけども、
もちろん景気の違いはあると、フラップに割れてやっていく感じだった。
へー、すごい関係性ですね。
おだしょー 半分、友達まではいかないけど、近い関係でしたね。
指示を特に受けることはないっていう感じで。
アドバイスもらうけど、みたいな。
おだしょー はいはい。
だって言ってるって、プログラム教室行ったぐらいの知識ってことですもんね。
おだしょー そうそう。
言い方悪いけど。
おだしょー ほんとそう。
急に手が生えたってこと。
だからもうこの時はやらなくちゃいけないことがあったから、
自分で勉強しなくちゃいけないことも既に増えてきて、
すごい自分のスキルも上げられたな、みたいなことがありましたね。
そんな苦じゃなかったの?
おだしょー 面白かったですね。
これもこれもわかんねーわっていう感じじゃなくて、
あれもやらなきゃダメなんですね。
おだしょー 目の前のことにいっぱいいっぱいやって。
あとは知らない領域のことを知るチャンスだったので。
おだしょー あーそうか。それが楽しかったですね。
楽しいですもんね。
おだしょー そういうフローみたいな状態が好きなんですかね。
あーそうなのかも。
おだしょー そうとも言えるかはわからない。あんま知っていかない。
いや、わかんないです。
言いきれるかどうかまだわからないなっていう感じですね。
でも楽しそうだな、これ耐えられる、体力的に耐えられるんだったら楽しそうですね。
めちゃくちゃ働きましたね、本当に。
それはでも素晴らしいことですね。
苦もなくできるというか、それは。
これはどれくらいやってたんですか?
全然やめるまで。
3年くらいから。
これも3年くらい。
3年弱。
途中でもうやめたいなって思うタイミングがあって。
これは楽しかった時代ね。
人が増えて、プロダクトマネジャーみたいな人が出てくるんですよ。
人が増えて役割が明確になってて。
例えば僕はバックエンドの開発がメインだったので、
バックエンド開発のエンジニアとして、
職種の範囲内の仕事だけをやるみたいな感じになった時。
さつ、プロダクトマネジャーという人が入ってきて、
その人の基本的に指示を仰いで、
指示を仰いだりとか許可を取って動くみたいな。
役割がやれることが1個に限られたのと、
許可を取ったりとか指示を仰ぐ。
めんどくさい。
っていうのが嫌になった時から、
つまんないって思いましたね。
自分でやることないから。
東京からの移住
別に俺じゃなくてもいいから。
そうですね。
俺がいてもここでやることないから、
やめてーなって思いながらやりましたね。
やりたいことできない感覚?
うーん。
生き苦しいのかな?
やらなきゃいけないみたいな感じはどうなったら?
決められてるっていうか、
決められてるっていうかな。
仕事の内容も自分がやる範囲が決まってて、
基本的にはそこは撃境しないし。
思いついたとしても、みたいな。
もちろん行ったりとかできますよね。
こうしたらいいんじゃないですか。
あとはプロダクターマネージャーの指示とか許可を
あおうっていう。
あれやりたいな、これやりたいな、
みたいなのがいっぱい出てたんですか?
バックエンドの開発の中でやってる中で。
もっとあたしのことやりたいなとかいうのはあった?
ありましたね。
飽きちゃうっていうか、ずっと。
飽きるんだ。
バックエンドのことだけ、もちろんしょうたがやるんですけど、
それだけずっと考えても飽きちゃって、
他のことも考えたくなっちゃう。
そうなんだ。
あれだけ高校時代はガツッと受験だけのことを考えて
これのところはあっちもこっちもやりたい
っていう感じだったんですね。
窮屈だ。
そういう感じになっちゃいましたね。
辞めたいっていうのか、違うことしたいなっていう。
ここ窮屈だから、外で違うことしたいなっていう気持ちが。
でも違うことみたいなのは別にイメージがあるわけじゃなくて、
漠然と新しいことしてみたいな。
知らないことやってみたいなっていう感じ。
辞めたいなって思ってからパレットにも来ました。
もうすぐ来たってこと?
いや、それはちょっといろんなタイミングとかあって。
もともと東京に住んでたんですけども、
それは東京に拠点があったからそれで、
東京の拠点を閉じることになって、
そしたら別に僕が東京に住む理由がなくなったんで、
強制フルリモートというか、
どこに住んでもいいっていうふうになった状態で
パレットに行くことにしました。
パレットは何で知ったんですか?
コテンラジオを聞いてて、
パレットの紹介とかも会であったと思うんで、
ポッドキャストと学び
それで辞めるってことを知っていくか、
辞めたいなって思ってましたね。
そもそもなんでポッドキャストとか聞いてたんですか?
なんでですかね?
いつから聞いてたか?
ほんと一番最初は、
ビジネス系のやつとかから聞き始めてて、
一緒に一回。
その時から聞いてたんだ。
それこそ仕事へ結果を出したいって思った時に、
知識をインプットするために聞き始めたのが最初だったと思います。
そこからいろいろ聞くものがちょっとずつ変わってて、
ラジオを聞くようになってくるみたいな感じだった気がします。
どこに種が落ちてるかわかんないですね。
ビジネス書とか、
購入のビジネス書とか読んでました。
その時々で知識を得ようみたいな。
なんかすごいですね、あれだけ勉強してなかったのに、
社会人になってから自分の興味をやり始めて。
確かに、不思議なことに。
そういうの苦じゃないんですよね。
勉強としているのが楽しいから。
勉強っていう感じでもないのかもしれないですけど。
そうですね、そうかもしれないですね。
嫌いじゃないですね。
古典ラジオとかもあるところ前から聴いてて、
職前職の。
仕事をバリバリエンジニアタップのとこで、
楽しく働いたくらいの時から。
その時も仕事に活かせそうみたいな感じで
古典ラジオを聞き始めてきました。
そこはあったんだ。
めちゃくちゃハマって聴いてました。
すごい。
鳥取住んでるときに。
鳥取?
二社目のときに住んでたんですよ。
最初が鳥取だったんで。
あれ東京自体の話は?
鳥取に最初行って、東京に引っ越しをしてから。
おもろ。
車持ってなかったので、
徒歩片道1時間、チャリ30分くらいの場所で、
近道と家が。
ずっと歩きながらホットキャストを生き返ってきました。
なるほどね。
古典ラジオを聞き始めたから人文系とか、
そういうのも仕事しながら少しインプットになってて、
僕の中の趣向性というか、
ちょっとずつ変わっていったような感覚があって。
それまではビジネスみたいな感じだったけど、
この辺からだんだんリベラルアーツ。
この会社は楽しく働いてたんですけど、
やってることはくだらないなって思ってました。
くだらない?
建設業、ぶっちゃけなくなくてもいいサービスというか、
建設業界の効率がなくてもどうでもいいと思うんですよ。
なくなっても別にそんなに困る人はいないというか。
そうなんだ。
今はもうそれでやってるんでなくても。
誰かがもう死んじゃうとかそんな困ったこともないし、
スタートアップとかそういうニッチな業界で、
かつまだ手が付けられてないところ。
お金の儲かりそうかつ手が付けられてないニッチなところに
事業を展開して、
投資家とかもお金が集まるからっていう理由で、
そこにお金が集まるみたいな。
お金がベースで動いてしまっていて、
意味とか社会的意義とか、
そこまで深く考えられていない。
そうですね。
うまく言えるかわかんないですけど、
別にあんまりなくてもいいなって思うところに、
投資家も一生懸命やってて、
そこにお金が集まってきて、
くだらねえなって思いましたね。
もっとお金を使わなくちゃいけないことって。
入選順位低いはずだろう。
それこそすごい一例ですけど、貧困問題とか、
教育でお金がないからそこにお金を使うとか、
医療の話とか、もっとお金とかが流れるべきとこあるはずなのに、
なのにも変わらず、
儲かりそうっていう理由だけで、
別になくても良さそうなサービスとか事業に対して、
投資家もお金が集まってきて、
そこで事業を展開して、
スタートアップをやっていくみたいな。
なんか言ってる感じがしないですか。
もっと人のために使うべきとこがある。
社会性とかっていうのも、
ただお金がそこに集まるというか、
儲ける見込みがあるからっていうだけで、
お金も人もそこに集まっていってる。
その流れを見てると、
すごいくだらないなって思うようになったというか。
ただのゲーム的?
そうですね。ゲーム的みたいな。
報酬をする人もそうだし、
それを狙って、
血まなごになって、
ビジネスを作ろうとしてる自分含め。
だってそこでやる理由はただ、
儲かる見込みがあるからっていう理由の一つなんで、
しょうがないことだっていうのを思うようになりました。
これは別になくて、
効くようになってそう思った?
効くようになって、
この気持ちは正直多少あったんですよ。
最初から?
でも最初は働くことが楽しかったから、
変わった環境で。
やってることはしょうもないけど、
今は楽しいから働こうと思った。
そこが働き方的にも、
集まるようになって多いようになったし、
こてなしが人文系をインプットして、
自分の違和感をちょっと言語化できるようになってきた。
新しい価値観の探求
みたいな感覚だったと思います。
私が見えてきた。
そんなことを考えながらパレットに行きました。
パレットに来た理由は、
リモートになってしまったことと、
人文系に興味があるなってことがメインの理由?
あともう一個は、
僕はずっとビジネスの界隈しかいなかったんで、
事業とか、
ビジネスを伸ばすこととか、
ビジネスマンとしての成長みたいなのを
考えるのが当たり前みたいな。
自分もそうだったし、
そういう場所にいて。
でも、それ以外のことも
大切にしている価値観とかが
あるはずだとは思うんですよ。
ビジネスとしてうまくいくかということ以外に
大切にしている価値観があるはずで、
自分はそういうのを全然吸収していないというか、
自分の中にないなと思って、
そういう価値観の幅を広げたいなっていう。
もっと違うことを大事にしている人とか、
自分が見てきたビジネスとかって
違う価値観を持っている人とかと
関わったそういうものを
自分の中にインストールしたいなって
気持ちがあって来ました。
それを知りたい。
ビジネスしか考えていない自分が
そういうのがしょうもなくダサいなと思いました。
それはやっぱりさっきの
ゲーム的なお金のあるところにお金が集まり、
匂いのするところに人が集まり、
みたいなことに、
自分はそれを突き込んできたけど、
労力、そのせいで
大事なものがある。
本当は自分が大事にしたかったことを
もっと世の中になるための
大事かしらにしてしまっている自分も
しょうもないと思いました。
もうちょっと正確に言うと、
ビジネスしか知らない。
他のものが大事かどうかっていう
大事な有利さは分からないですけど、
ビジネスしか知らない自分がしょうもなくて。
いろんなものを知った上で
ビジネスを選び取るのはいいけど。
なんて狭い人間なんだろう俺は
っていう気持ちを持って
操っていきました。
パレットでの経験
狭い。
ここしか知らない。
狭いここしか知らないっていうのは
自分の中でたびたび思い返すというか、
頭の中に出てくるイメージというか。
いつ頃からそれは?
いや、
ごめんなさい。分かんねえや。
狭いがたびたび出てくるって言ったのは、
僕がミャンマーに
行くって決めたのも、
狭い自分が嫌だから
狭いっていうのが気持ちだったんで。
この時にも1回あったり
ミャンマー決める時も
その気持ちだったんだなっていうのを
自分の中で2回重なったんで
手を急に表現しました。
パレットに来るときも思ったし、
ミャンマー行こうってときも思った。
じゃあパレット来てから
どんな感じだったんですか?
いろんな人の価値観を知りたいみたいなことを。
人文的な、リベラルアラスト的な部分を
知りたいっていうのは
それを期待して歩いたわけじゃないですか。
自分がやったことないこととか
今までの自分で生きられなかったことを
たくさん受け入れたいなっていう
気持ちで来て。
結果どうでした?
1年ぐらいいたのか。
1年いましたね。
うーん。
事前に思ったことに対してどうだったかっていう
その返答じゃないかもしれないですけども、
今振り返ってやっぱ
自分が1人でいたときは
絶対やらないようなこともやったし
やった人から
そういう風に遊んだりとかもしたし
いろんな話も聞けて
パレットに来て
いろんなもの吸収できたなっていうのが
単純に思いましたね。
終える1年か振り返って
すごいいろんなもの
吸収できた1年だったなっていう
気持ちが
望んでたこと?
望んでたことだと思います。
具体例を挙げると
本当に気になるけども
誰か1人1人のパレットに来る理由を
聞くだけでも
僕の中では
満たされてるというか
最初知りたいと思った
自分とは全然価値観を
インストールしてるようなことだと思うんですよ。
いろんな仕事とかを
経験して
途中で先生になりたくて
TFJやったっていう人とかもそうだし
全く別の仕事を
してたりとかしたけども、この場所に
その人たちの理由で
パレットに来たとかっていう
こと自体が
単純に僕は前と同じようなビジネス
仕事の現場だけでは
知らないような
会えないような人たちと
日々会って話ができた
そういう人たちの生き方を
知ったってこと自体が
すごく価値観の吸収として
たくさんできたなと思います。
知らないことを
知れる以上というか
ミャンマーへの道
なんだろう
埋めたかった穴を
埋めていくような
面白い
あ、そんなことあるんだみたいな感じだった
自分の中に
なかった生き方の選択肢っていうのが
すごいここで
見ることができたなっていう
感覚があります。
例えばニートとかも
ニートで
生きるってあんまり自分の
人生で起きると思わなかった
だけど今やそういう人たちが結構いて
こうやって生活してる
人も自分のものだみたいな
一例ですけどね
それはどういう感覚
すごいなのか面白いみたいな
感じなのか
なるほどっていう感じは
難しいです表現が
別に特別すごいとは思わない
ですけど
新しい知識を得たときと同じ感覚です
面白いな
興味深いな
こういう生き方も
あるんだっていう
この知識として頭に入ってきたみたいな
なるほど
そしてこれからそんなこんな
てか音楽もやらされ
本当ありがたい
海外の話を聞いたり
そしてミャンマーに行くことになる
そうかでもミャンマーに行く
決めたのもあれですもんね
青年海外協力隊の
話とか聞いてて
そうですね
OBOGで海外協力隊
っていう人がたくさんいて
それまではあんまりその選択肢が
自分の中でなかったというか
知ってたけども
遠い存在だったのが
身近にいるんだってことで
心の距離が近くなって
だったら自分も行ける可能性あるかも
海外っていう選択肢も
自分でも考えられるのかもみたいな風に
思いになったというか
そこから海外
っていうのを考えましたね
行きたいなと思いましたね
ミャンマーを探してみて
まずは協力隊
応募して
落ちてそれから選択肢を探していった
という感じでした
ミャンマーの仕事はどうやって見つけたんですか
JAICAが海外
求人のまとめサイトみたいなのを
やってるんです
JAICAってNGOで
協力隊を
運営してる
NGO団体
それが国際協力関係の
協力サイトは別で
海外で働く求人とかを
まとめてるサイトみたいなのがあって
そこをパラパラ見てたら
見つかったみたいな感じでした
これも
渡りに行くね
受けてみたら意外に
いわゆる内定みたいなところまで
言うことがある人から
というのは実質的な
理由だったんですけど
対面的にどう考えたんですか
自分の価値観
価値観って言っちゃうんですけど
僕は日本で生まれて
日本で育って
日本の当たり前
しか知らないって
すげー自分狭いなって
思ってたんですよね
例えば悩むときとかって
あって
自分が悩んだときも
悩んでるのは
日本の常識しか知らないから
その悩みを抱えてて
囚われてる
世界に生きてるはずなのに
自分の中で持ってる常識は
日本の常識しか知らないっていう
自分の
知ってるものの狭さが
結構
狭いなーとは思ってて
でもパレット来たとき
いわゆるとは違う
九州の土地とかで
日本の中では
今まで来てないとこだったけど
一応
今は
日本の中には
あまり変わりなかった
多少違うのは
日本だし
とりあえず日本のことしか
日本の常識しか
自分が持ってない
それだけが
自分のベースになってる
みたいなところが
すごく狭いなと思ってて
それを広げるには
海外に行って
行きたいって思いになりましたね。
それは別にニンヤンマーであれ、
ベストマンもお茶なであれ、構わないけど。
なるべく想像つかないところに行きたかったです。
想定の範囲内だったらダメなんだ。
そういうのはないくせに、
こんなこと言うのは傲慢ですけど、
なんとなくアメリカとかオーストリアでの生活って、
ちょっとイメージできちゃうというか、情報もあって。
でも価値観揺さぶられるような経験を
できるところに行きたいなと思って、
アフリカとか、アジア、中でもあんまり行ったことないところとか、
そういうところに行きたいなっていうのが、
海外に行きたいって言っても、
どこに行くかを選ぶときの基準でした。
本当に知らないみたいな。
うわーみたいな。
脳がグラグラするくらいの。
衝撃的な。
この先、どんな未来を描きたいですか?
どうなってたらいいかなと思います。
この価値観って、たくさん広げたいなって思いますね。
へー、なるほど。この価値観を広げていこうぜみたいな感じ。
例えば日本の価値観があって、
ミャンマーに行ったらミャンマーの常識をインストールできると思うんですけど、
そのインストールできる価値観とか常識の数を
広げていきたいと思います。
今生きてる世界ほどちゃんと知りたいって思います。
なるほど。
いろんな価値観を広げたい。
いろんな人にも知ってほしい。
まずは自分が狭いことに対して、
嫌だなっていう感覚があるので、
まずは自分が広げたいです。
他の人に知ってほしいとか、
今は思わないというか。
とにかくいろんなことを世界を広げて知って、
今思うことを知りたい、
異なる価値観の理解
今はわからないみたいなことを。
そうですね。
こんな広い世界に生きてる中に、
ごくごく一部分しか知らない状態が、
生きてる、今生きてる世界ぐらい知りたいって思う。
なるほどね。
世界の中にある分だけの価値観とかも、
自分の中に取り入れられたらいいかもしれないし。
いいかもしれないし、
たくさん入れていきたい、自分の中に。
いろいろ取り込んで、どんどん自分も広がっていくみたいな。
そうですね。
狭い自分が嫌っていうそこの一点はありますか。
確かに一貫してる。
一番辛かった時というか、
もどかしかった時でもいいんですけど、
自分が死んだとして、
そんなような人がいたとして、
助けられる、助けられるとしたらどういうことが最後に分けますか。
どんなことをしてもらって。
他人でめっちゃ困った人。
自分みたいな感じで。
違う国に住んでみたらどうですか。
僕自身も悩んだ時に、悩む理由は、
僕が悩む理由は、
それは日本の常識しか知らないから、
あくまでも日本の常識を踏まえた上での発生する悩みであって、
それが例えば全く違う、
アフリカとかの常識で考えたら、
全然悩みになるようなことでもないことになる可能性もあると思うんですけど、
そんなことじゃめっちゃ悩まない人が外にはいて、
私たちと同じ考えがあれば、
今あなたが考えてる悩みも、悩みじゃなくなるみたいな。
自分の振り返り
僕は僕自身に対してそう思っていて、
他の人がそうでも、
言いたいなって思うことをしたら、
自分に対して言ってるこれと同じことになるかもしれない。
なるほどね。面白いですね。
国に住んでみて、違う考え方を知ってみれば、
世界が広がっていくと。
それは悩みじゃなくなる。
悩んで何も変わらないかもしれないですけど。
結局的に言おうと思ってるわけじゃないですよ。
その人のことは自分が自分で決めようと思ってるから。
でもこういうアイデアもあるよ。
そんな感じです。
3時間くらい。
でも2時間半かな。
最初はふざけましたし。
すごいですね。
なるほど。
いつも最後、
私からはこのメッセージを送らせていただきます。
終わります。
大輝という世界を広げてほしいし、
違う国に住んで自分の中を
これからも知っていってください。
どうでしたか?感想は。
インタビューしてもらいながら、
振り返る機会とかは、
自分で振り返ることはあっても、
振り返ると普段到達できないとこまで
恐怖とかが到達にすごくできた感覚があって、
さっきのしがらみの危険とかも、
ここまで振り返って思いやすくはなかったというか、
一個一個の出来事とかもそうですね。
自分を知れたって言ったら言い過ぎですけど、
それは極端です。
でも自分の考えてきたこととか、
特に感じたことを
聞かれたから振り返ることができたなという感覚がすごいあります。
何年かお気に入りになりたいと思えば、
30歳の時の振り返りは10年後、
20年後の振り返りというか、
次は何か続編で、
この終了時から、
出発がスタートになって、そこの10年とか。
なるほど。ありがとうございます。
今回の放送はここまでです。
以上、本日もありがとうございました。
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何者でもない者たちへ
これは、何者でもない私から
あなたに贈る
明るい未来を願う
応援の気持ちであり、
あなたが私へ与える
学びと生きる活力を得る機会であり、
あなたから
何者でもない者たちへ示す
道しるべです。
これらすべての価値を
あなたから、あなた自身へ贈る
そんな活動になることを
願っています。
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