2020-03-14 39:36

Vol.102: 高木和可子(経営者、デザイナー) 2/4

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「あの時感じた予感は本物 今私を動かしてるそんな気持ち〜♪」とプリンセスプリンセスの歌を口ずさんで懐かしみながらも、いい歌詞だなぁと今更ながらに感心している板倉です、こんにちは。「1%の情熱ものがたり」前回に引き続き、26人目のインタビュー。

投稿 Vol.102: 高木和可子(経営者、デザイナー) 2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
海外に住んでいる日本人は、日本人の人々にとっては、
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルな方々へ、
対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルな方々へ、
対談形式でインタビューをしていきます。
岩井 めちゃくちゃ良かったですよ。
サーカスなんだけどさ、一言で言えばね。
ショーごとにやっぱりテーマも決まってて、
今回のやつは、何なんだろうね。何かよく分かってない。
スポーツとかそういう感じだったな、アスリート。
空中ブランコとか定番ですけどね、ダンスしたり。
今回の目玉がBMX、自転車で。
飛んだり跳ねたり、くるくる回ったりっていうのがかっこよくて、
それ見たかって見に行ったんですけど、
筋肉がすごいですよ、皆さん。
本当に孫悟空みたいなんだわ。
本気で腹筋とかもバキバキバキバキバキ。
ちょっと男だよ、もう。
なってはかれちゃいたいぐらいなんですけど。
あれだけ動いてたら、痩せるし筋肉あるし、完璧なボディでしょ。
しかもしなやかな筋肉。
ボディメイルの作られたのじゃなくて、
03:00
ムチのようにしなる筋肉。
動けるやつね。
欲しいよね。
目線がね。
なるほどね。
羨ましいなと思って見てました。
でもあれはね、尋常じゃない努力の塊ですからね。
本当にすごい。
なるほどね。
何回見てもビビる。
人間の能力の限界に挑戦してますからね。
そうですよね。体一つでできる限界を。
一人ね、髪の毛にぶら下がって宙に浮いてぐるぐる回ってる女の人とかね。
ちょっと説明がよくわかんない。
髪の毛だけで体を支えてる人ですね。
大仏さんみたいに格好してぐるぐる回ってる宙を。
怖い怖い怖い怖い。
マジで?
見たことない方は一回見てみるといいと思います。
ボルタっていうのは日本人が5人も出てて。
5人もいるんですか?
それもちょっと日本語で頑張れとか言って応援してみたんだけど聞こえてるかどうか知らない。
そうなんだ。
それもちょっとアメリカに住んでる方は見に行ってもいいんじゃないかな。
いい情報ありがとうございました。
行ってください。
ではでは本編の方に入っていきましょう。
一人のインタビューを4回に分けてお届けしているこのインタビューのコーナーですが。
今回はその第2回目となります。
バーム空編経営者兼デザイナーでいらっしゃる高木若子さんのお話ですね。
先週がお仕事、今のね。
お子さんのホームスクリーニングの話とか興味深かったんですけど。
今回は追い立ちですね。
からデザインの道に行き、そして今のお仕事につくまでを伺っております。
ではでは早速聞いていただきましょう。
はいじゃあ若子さんの過去のお話を伺っていきたいんですけども。
まずお生まれがどちらか伺ってもいいですか?
引っ越しが多かったんで、どこって言うとピンとこないんですけど。
でも親が静岡出身なんですよ。
静岡にも7年くらい子供の時に住んでたんで、静岡出身かなって。
その間もちょいちょい動いてて。
06:01
静岡の前名古屋、静岡の後大阪。
小学校は静岡で。
小学校は静岡でした。
中学校は大阪で。
で、高校の時にこっちに。
高校の最初から?
高校2年の時に大阪からカリフォルニアに。
じゃあご両親が転勤というか。
そうですね、仕事の関係で。
静岡ってどんな感じの海の近くとか。
富士山の近くだったんですよ、住んでたところが。
どっちかって言うと山、田舎。本当に田舎っぽいところ。
じゃあ山で走り回ってというか。
そうですね、そこまで自由でしたね、のんびり。
で、中学校に変わる時に引っ越しとかタイミング的には。
そうですね、大阪に引っ越しで。
でもつらいですよね。
それはつらかったですね。
子供の頃の選考って。
やっぱりカルチャーショック。
会えなくなっちゃうんですよね。
静岡から大阪の田舎から町へっていう。
それもあるか。
それは大変だった。
僕も高校卒業してから大阪に行ってますけど、名古屋出身で。
それでももう異国に来たみたいなあれでしたからね。
ペースが違うし、やっぱり大変だったなっていう覚えはありますね。
そのアドレスとするのが自分を。
本当に田舎だったんだなっていう。
そうか。どういうところでそれは感じたんだろう。
考え方が合わないとか。テンポが合わない。
テンポも早いし。
大阪は特に早いですよね。
中学校に入ったこともあって、高校受験のプレッシャーとか。
タイミング的にもかかる時期で。
高んな時期ですよね。
運動部活とかは?
小学校の時、剣道やってました。
結構好きで。
中学校の時はテニス。高校はバスケットボール。
結構変わってるんですね。
そうですね。スポーツはね。変わりました。
子供の頃の夢みたいなのってありましたか?何になりたいなとか。
考えてたんですけど、あんまりないんですけど。
でも覚えてることで、中学校の頃のことだったと思うんですけど。
クッキー屋さん、レモネード屋さん。そういうお店をやりたいっていうアイディアが出て。
もうね、夜寝れないくらい不安し始めて。
ワクワクしちゃって。
こうするんだ、ああするんだっていう。
もうね、ビジョンができちゃって。夜寝れなかったって思い出しました。
ああ、でもそれ今と通じてるんじゃないですか。
09:00
全然変わってないですね。
今もね、お店に本当にいろんなものがあって。
さっきも話してたんですけど、日本語のでかい地図が飾ってあったりね。
そういうの面白い。
じゃあこんなお店にしようとか、あんなお店にしようみたいなのを考えてたんで。
いろいろ考えて、やる気ばっちりで。実行できなかったんですけど、その時は。
料理が好きとか。
全然ないです、そういうのは。
じゃあ慣れないですね。
じゃあ、そんな幼少期から高校に入る時じゃなくて、2年生か。
高校がどこって言ってましたっけ。
大阪の美濃でした。
美濃ってなんだっけ。
美濃高校。山の方ですよね、少し大阪でも。
あれがあるとこでしたっけ。
違うか。
太陽の塔とか。
太陽の塔近かったですね。
なんとなくね。
なるほどなるほど。
で、高校2年でいきなり親から。
引っ越すぞって言って。
どこ行くのって感じ。
え?っていう。
それがアメリカだった?
それがアメリカで、それがカリフォルニアだったっていう。
カリフォルニア州だったんですね。
オレンジカウンティ。
アーバイに何年も住んでて。
その時どうでしたか?衝撃は。
なんかワクワクしてましたね。
あんまりもう出る気。
日本を出てアメリカに行くっていう。
なんかもう気持ちを切り替えて。
あ、そうなんですね。
結構突然の話だったんですけど。
なんかでもその辺の時期になると、
子供は、お子さんは残してとかっていう選択肢も。
そうですね。
無きにしまわれるような気もするんですけど。
そういう話全然なかったですね。
あ、そうなんだ。
ノーチョイスだった。
行くぞって感じ。
行くぞ、じゃあみたいな。
なんか楽しそうだなっていう。
そうなんですね。
でも全然英語喋れなかったんですよ、その時。
普通はね、日本の教育だけだとなかなか喋れるような。
2年くらいもほとんど喋れませんでしたね、こっち来てから。
いきなりもうこっちの高校に。
こっちの普通の高校に。
ぶっこまれたって感じですね。
でもオレンジカウンティ、アーバインその頃、
いろんな外国の人が来てるような学校で、
それでESLとかそういう特別なクラスがあったんで。
そんなに。
じゃあ他の外国から来た方もいらっしゃって。
日本から来てる友達も。
アジア系の方とかもいた?
アジア系の方もいたし、
日本の駐在の子どもさんとか。
そういういろんな人はいて。
でもどうやって馴染んでいくというか。
勉強めっちゃしたとか。
いや。
とにかくやっていくしかないですよね。
12:02
高校の時はほとんど日本語で話せる友達が多かったですね。
現地の学校で。
その学校にも日本語を話せる方いたんだ。
じゃあ良かったですね。
そう、本当にその環境でとりあえず始めたっていう感じで。
で、高校卒業してからですね、本当に。
その中に入っていったっていうか。
そう、なんとか英語も喋らないとっていう。
ちなみにご兄弟はいらっしゃるんですか?
妹が2人です。
じゃあ妹さんもこっちの現地校に。
そうですね。
びっくりなんです。
なるほどね。
で、高校卒業されて。
はい。
それで日本に帰る。
日本の大学に行くっていうチョイスもあったんですけど。
うん。
多分日本に帰ってもなんかこう、なんて言うんですか。
肩にはまれないっていうか。
無理なんじゃないかなと思って。
で、結局。
この自由さに。
そうですね。なんかこうキチキチしすぎてるっていうか。
元々どうだったんですか?日本にいらっしゃった頃は。
いた時にはあんまり考えなかったんですけど。
出てみるとやっぱり浮いてたなっていうのはありますね。
そうなんだ。
じゃあ元々そういう自由奔放気質が。
できるだけ自由に本当はしたかったんじゃないかなっていう。
いやーそうですよね。
じゃあそれがもう解放されちゃった感じ。
そうですね。まあもう一回出ちゃうと無理だなっていう。
しかもね、このカリフォルニアですからね。
天気が良くてこの解放的な。
そうですよね。でも日本食も困らないし。
家族もこっちだし。
はいはいはい。
で、こっちにステイすることを選んで。
そうなんですよ。
で、コミュニティカレッジに行って。
それで2年、3年くらいコミュニティカレッジに行って。
その後。
メジャーは?
ビジネスやってみたりアカウンティングやってみたりしたんですけど。
最終的に建築をやりたいっていう風に思って。
で、学校トランスファーですよね。
その4年生の学校に変わった時に建築。
デザインを見つけたんですか?
そうなんですよ。で、建築。
建築のデザインをやりたかったんですか?
その時はそう思ってました。
そのデザインの仕事をしたいっていう。
じゃあキャッチャドとかああいう。
時代がもうちょっとあるか。
私もわかんない。その時代はキャッチャドでしたね。
でもテクニカルなことじゃなくてもっとスペースをデザインするとか。
そういうコンセプトな。
でもね、もちろん始めはやっぱキャッチャド。
線引いてね。
頑張って、図面引いて勉強したりとか。
なるほど。
で、建築の大学に行ったんですけど。
このままどうしようかなと思って。
で、建築。
15:01
学校卒業して仕事を結構やっぱりみんな大変探すのがっていう噂を聞いたりとかして。
どうしようかなって迷った時にたまたまアートセンター。
アートセンターカレッジオブデザイン。
たまたま本当にアートセンターに行ったんですよ。
アートセンターカレッジオブデザインをたまたま本当にこんな学校があるらしいっていう。
そこで見に行っていろんなデザインのギャラリーみたいな。
生徒のギャラリーとかあるんですけど。
すごい有名な学校ですもんね。
そうですね。車のデザインとか結構有名な。
で、それを見た時にこっちのデザインの方がいいかなって。
なるほど。
気持ちまた切り替えてアートセンターに。
入学し直して。
入学し直して。
転校でしたね。トランスファーで。
それでやっと最終的に卒業してデザインの仕事ができるような状況で。
それはその時はデザインといってもいろんなジャンルがあると思うんですけど。
そうですね。
全般を学んだっていう感じなんですか?
いろいろ経験させていただいたんですけど。
車のデザインの勉強もしたし、そのプロダクトのデザイン。
どっちかっていうとプロダクトのデザイン。
工業デザインっていうんですか。
商品ですね。
工業商品のデザインで車のデザインの勉強もしたりとかして。
最終的にはプロダクトデザインのメジャーだったんですけど。
物をデザインするんじゃなくて、物をデザインする前に行き着くためのユーザーのリサーチとか。
例えばその使い方を。
手帳が持ちやすいかとか。
そうですね。どういうふうに手帳を使ってるんですかとか。
ペンフォルダがあった方がいいかとか。
新しいデザインを作る前に何が必要かっていうのをやっぱり分からないといけないじゃないですか。
そういうことをリサーチする仕事がいいんじゃないかなって思って。
それでそこに一応集中して勉強して卒業したんです。
なるほどね。
そういうのデザインの学校でやるんですね。
珍しいやったと思います。
面白いですよね。
でもデザインって、だってアートと違うじゃないですか。
いかに機能性を上げるかとか。
使って。
心地よいかとか。
幸せに思うとか。
いろいろ。
でもそれを考えるとそれをリサーチするって非常に大事ですよね。
そうですね。やっぱり人について分かるっていうのがすごく私興味があって。
18:00
なるほど。
それとあと、ユーザーリサーチとトレンドリサーチ。
トレンドリサーチってもう少し大きい社会のトレンド。
社会的に見てどういうものをみんな欲しがってるっていう。
今のソーシャルメディアのあふれた時代の中ではどういうものがみんな求めてるかとかそういう話ですか。
そういうことを専門に。
そこがデザインにつながっていくっていうのが面白いですね。
そこなしではデザインやっぱりできない。
確かにね。ただ綺麗なだけじゃ使いにくいとかね。
そうですね。そういうのたくさんありますよね。
見た目はいいけど使いにくいみたいな。
そういうことじゃなくて、人をハッピーにできるような。
そこがだからライフスタイルとかにつながってくるんですね。
なるほど。
それで総名をされていて就職っていうのが。
そうですね。就職、そういう関係で仕事を何年かしてロサンゼルスで働いてたりとかシアトルで。
シアトルに一時期ロサンゼルスで通ってる時とかあったり。
通ってる?飛行機で?
飛行機で?
月曜日に出てシアトルで仕事をして金曜日に戻ってくるとかそういう生活をしたりとか。
めちゃくちゃですね。
若い頃は結構フットワーク悪いですけど。
シアトルまで飛行機ですよね?
結構近かったですね。
日本の感覚だとちょっとありえないぐらい。
そうですね。それも経験だと思って。
それは何ゆえ通ってたんですか?向こうに家が。
その時結婚してもこっちに家が。
じゃあその慣れそめを通過しちゃったけど、そのデザインの学校でやったってことですか?
そうですね。
その時は先生と生徒っていう関係とかですか?
そこに深く突っ込んでていいのか分かんないですけど。
ずっと先生だったんで。
ずっと先生。
でも一緒に付き合い始めたりとかそういうのが終わってから。
卒業されちゃったんですか?
卒業する前だったんですけど、そういうクラスとか彼のクラスとかはそういう状態で撮ったことはないです。
それはでも何かきっかけあったんですか?
きっかけですか?何だろう。
恋の話し?
何だったかなっていう。
どういう?
ドキドキする。
きっかけですか?
デザインとかライフスタイルとかそういうことをずっと話していける人。
やっぱり今でもずっと話してます。
21:00
いい関係ですね。
そういうのが尽きない関係ってのが大事だねってお互い思ってたまたまそういう。
フィーリングがバッチリあって。
性格全然違うんですよ。
全く。
でもそれの方がいいっていう。
お互いないものを持っているっていうことですよね。
それを尊重しあえているってことですね。
いいところをお互いに。
今も。
素晴らしい。
ありがとうございます。伝えときます。
それでそういった就職もしてという期間を経て結婚もされて。
でもその主婦でも入ったっていうこともあるんですか?
仕事してなかった時期っていうのは。
ないですね。
なんやかんやなんかしてましたね。
でも好きなんでしょうね。
やっぱり。
何かを作ったりとか。
自分でやってることが大事っていうか。
それでこのバームクーヘンのお店を
最初はオンラインでっておっしゃってたんですけど
始めるよって思ったのはいつ頃からなんですか?
多分その仕事をすごくしてて
子供が産まれるってなった時に
チョイス選択ですよね。
仕事を続けて子供をデイケアに入れるか
仕事を辞めて自分で何かすることで
もっとフレキシブルな生活。
子育てしながら仕事も続けていける環境を作るかっていう
どっちかどうするってなった時に
やっぱり子供と一緒に育ちたいっていう。
預けて仕事してると時間がね。
一緒に過ごす時間が減っちゃいますもんね。
そうなんですよ。
そういうの寂しいなと思って
何をしようって考えた時に。
そういうタイミングか。
お子さんが生まれる1週間前にお店を始めるって
すごいチャレンジャーだなと思ったんですけど
そこが分岐点になるわけですね。
そうですね。やっぱり子供にインスパイアされて。
なるほどね。
ライフスタイルチョイスですよね。
じゃあそのチョイスをされて
お店を開くことになって
今今年で10年目と。
今年で10年目。
2010年に開業ということですもんね。
はい。
ありがとうございます。
じゃあ今の仕事を今から掘り下げていきたいんですけども。
すごいアーティスティックなファミリーでしょうね。
そうだね。
24:01
知らないけど場所を見る限りめちゃくちゃオシャレですね。
オシャレですね。
そういう方の家庭育ったお子さんって
どういう風に育つんだろうみたいな。
いやね。楽しみですね。
ね。
多分写真出てるんじゃないかな。
可愛いらしいね。
絵いっぱい描いたりするのかね。
じゃないですか。
旦那さんにも会ってみたいけど。
拝見してますけれども。
柔らかい雰囲気の。
カリフォルニア。
やっぱりドイツの風を感じる。
ドイツの風を感じるみたいな。
それはあるかもしれないね。
柔らかい木の温かさみたいなのがありますよね。
そこもバームクーヘンにつながってるんだから。
年輪っていうところかな。
アンティークの家具がいっぱい置いてあったりとか。
やっぱりその革の製品のものがあったり。
あそこいるだけで面白い。
日本の昔の看板が置いてあったりとか。
そう。
おっぱさんご自身もね、
アートを学校でしっかりと学ばれて、
いろんなことを勉強されてきて、
デブリーも持ってるし。
デザインもね。
そうそう。
だけど、物のデザインよりも
コンセプトデザインというか、
スペースデザインだったり、
ライフスタイルをデザインするっていうね、
ことをおっしゃってましたけど。
かっこいいよね。
かっこいいですよ。
今本当にそれこそ、
物はどこでも手に入るし、
文房具も、
それこそコンビニでも手に入る時代だけど、
Amazonとかね。
だからこそ、
自分がこの文房具を使いたいとか、
この手帳を使っていきたいっていう風に
思うような商品ってすっごい大事ですよね。
そうだね。
それで気分が上がるとかね、
そういうのって本当に大事だよね。
藤井さんもね、書く人でしょ?
そうですね。僕も手帳はアナログですし、
日記もアナログですし、
YouTubeはね、書きますしね。
そういうもので、
気分が良くなるっていうのは、
大事ですよね。
それがまさにライフスタイルか。
なるほどね。
普通にパソコンでMacを使ってても気分いいけどね。
まあそういう感じだよね。
そうですね。
使えりゃいいじゃんとか、
安切りゃいいじゃんとかじゃなくて、
27:00
好きになるっていうかね。
愛着を持つってことね。
ああ、そうだね。
そういうことか。
今俺トヨタの社長を思い出しちゃった。
え、なんでなんで?
いや、愛がつくものは車しかないんですって
トヨタの社長が言ってて。
愛車って言うじゃない?
ああ、そういうことか。
じゃああるけどな。
愛。
娘とか。
それは娘なのか。
物ちゃうし。
物だったらあんまないよね。
なんでしょうね。
なんかそれを思い出しちゃった。
あの人は車を愛してるから、もちろん。
そうね。
そうなるんだけど。
っていうことですよね。
ああ、すごいなって思う。
本当にハートフルな感じが伝わってきますね。
リアルアメリカ情報。
さあ、このコーナーではロサンゼルスから最新のビジネス生活情報をお届けしてまいります。
今回はコービーブライアントの偉大さをロサンゼルスで感じたという話です。
悲しい出来事でしたけどね。
そうなんですよ。2020年の1月の下旬でした。
ロサンゼルスのニュースが一気に全部コービーブライアント一色になったんですね。
NBA、プロバスケットボールのレジェンドと言われるコービーブライアント選手が
ヘリコプターの墜落事故で急に亡くなってしまったという一報が入って
そこからはテレビもラジオも新聞も雑誌も全部コービーブライアントでした。
街中がですね。
本当にミツさんがおっしゃる通り。
どこに行っても。
どんな第一印象でした?
感想というかそれを聞いた時ですか?
ニュースを見た時。
最初はそれこそフェイクニュースではないけど
何かのジョークみたいな感じに思えちゃったよね。
そうなんですよ。
そしたらどうやら本当だぞみたいな感じでどんどん出てきて。
だってまだ41歳とかそれくらいいるんですよね。
ちょうどミツさんの世代だな。
コービーの娘さんも一緒だしね。
一緒に亡くなってしまったんですけれども。
僕はそんなぶっちゃけバスケットボールファンではないですけど
30:03
さすがにコービーブライアントは知ってるし。
僕の友達でコービーっていうあだ名ついてるやつがいて
やつが一番悲しいんだろうなと思って。
僕の周りだとね。
寂しくなっちゃうね。
コービーブライアントをご存知ない方のために簡単にご紹介しますと
アメリカのバスケットボール選手。
ペンシルベニア州で生まれの出身。
ロサンゼルスの出身じゃないんですけど。
でもNBAでロサンゼルスレイカーズにずっと所属していた選手。
身長198cm。
17歳でNBAに入って20年間ずっとロサンゼルスレイカーズで。
そこなんですね。
一筋のキャリアをずっとこのロサンゼルスのレイカーズに捧げたというね。
NBAチャンピオン5回。シーズンMVP1回。
ファイナルMVP2回。
NBA記録となる18年連続オールステージで
歴代最多のオールスターMVP4回に輝く。
などなどなどなど本当にレジェンドとして活躍をしたスーパースター。
そういえば先月インタビューさせていただいたジューンさんもね。
レイカーズの大ファンなんで。
ショッキングさせていただいて。
ミッツさんが言ってた通りロサンゼルスの街長が全部後備移植になって。
それがね、事件があったのが平日だったんですけど。
あ、そうだったっけ。
日曜日か。
日曜日の朝ね。
で、その次の日曜日の日曜日の日曜日の日曜日の日曜日の日曜日に
私レイカーズの本拠地のステープルセンターに行ったんですよ。
行って、壁画とかもねすぐに描かれたりとかしてるから。
一応こう見に行ったんですよね。
そしたらもうみんな花束持って
お子さんも亡くなったからね。
いろんな飾り物とか箱物とかすごい人だったんですけど。
もう行ったらね、今ここにね写真があって後でブログに載せてあげますけど。
あ、動画ね。
動画ね、そうそう。
こんな感じだった。みんなでコービーコービーとか叫んで。
うん、いや本当に。
街中ショッキングでした、これは。
ね、これだけ愛されてる人なんだ。
車にいっぱいコービーのことが書いてあるのが走ってたり、
33:00
街で看板もいっぱい見たしね。
そう、バグの行き先もね、R.I.P.コービーになってた。
そうそうね。
本当にみんなに愛されててね。
看板もいっぱい見たしね。
バグの行き先もね、R.I.P.コビーになってた。
で、トラックの落書きもコビーになってて。
えー、マジで?
その日に書いたやつがいるんだなと思って。
そのまんま走ってんだけど、そのトラックもね。
リップコビーって書いてあって。
本当にみんなに愛されててね。
ロサンゼルスとかは、やっぱりアメリカ自体はスポーツが大好きな国だから、
これだけ影響力があるんだなっていうのも感じましたよね。
なんか悲しいな。
ヘリコプター乗らないとこうと思っちゃった。
まあまあまあね、車の事故の方が確率は遥かに多いから、まず運転許可がないんですけど。
ヘリコプターも彼自身がLAのトラフィックが渋滞がすごいからって言って。
家族と過ごす時間を持ちたいから。
車の移動だと渋滞で時間取られちゃうからね。
結構ね、セレブの人たちは多いみたいですもんね。
一応ね、ロサンゼルスがどんな感じになってるのかということを、
レジェンドの工夫を通して。
日本でもね、ファンの方いっぱいいると思うんでね。
もちろんね。
記憶にはずっと残ると思いますんで。
その通りですね。
ということで、ちょっとしんみりしちゃいましたけど、
一応リアルなアメリカの情報をリアルなロサンゼルスからお伝えしました。
締めのコーナーです。
質問!
さおりちゃんがサーカスに出るなら、どんな演技を、演技をというかパフォーマンスをしたいですか?
ショーの一番最初に出てきて、今からショーが始まりますっていう人。
いたいた。
いた?
いるいる。
Welcomeみたいな。
もうね、ショーが始まる5分前くらいから会場をうろうろしだして。
この人、出演者は何?っていう。
いきなり喋りだしてパフォーマンスを始めるんだけど。
そうなんだ。
そろそろ始まるよみたいな。
客席から人を一人。
いいですねいいですね。
持ち上げてっていうか、ステージにあげて、
昨日はフラフープをね。
36:02
やらせてね、客に。おっさんに。
おっさん全然できない。
で、みんな笑うって。
面白かったですけど。
そういうMC的な?
一番安全だから。
そこでまだヘマしないってこと?
私サーカスも見れないんですよあんまり。
どういうこと?
怖くて。
何が怖いの?
落ちるとか、壊れるとか。
そうなんだ。
笑ってたの?
で、俺質問しながら全く何も考えてなかったんですけど。
自分にいろんなことができる能力があるとしたら?
まあでもやっぱりあれですね、ベタですけど空中ブランコをやってみたいですよね。
やってみたいですか?
マジで?
すげー勇気。
あれ命綱一応ついてるしね。
昨日のシルクとソレイはついてないですね。
マジで?
あの人たちほんとすごいよな。
でもミスしないよね。
でも実際一回ミスったなかなっていう瞬間があったんだけど、BMX乗ってる人。
だけどねそれを笑いに変えてすごいリカバリーをするっていう技をやっぱり持ってるんだよね。
さすがやな。
トータルエンターテインメントですね。
ほんとそう。何をやっても楽しませるっていうね。
すごいなー。
私たちもトータルエンターテイナーを目指してね。
トータルエンターテイナー。
もうだめや。
みんな頑張っていきましょう。
頑張りましょう。できる範囲で頑張りましょう。
ということで今回お届けしたインタビュー、そしてリアルアメリカ情報の内容はブログに掲載しております。
podcast.086.comまたは1%の情熱物語で検索してみてください。
そしてそしてレビューお便りも。
レビューキャンペーン今やっておりますので、ステッカー欲しい方はご応募ください。
ぜひぜひよろしくお願いいたします。
ということで次回は。
次回が若子さんのお話ですね。
4回に渡ってお届けしている一人のインタビューの第3回目ということになります。
今日は老いたちから独立するまでのお話だったんですけども、来週が仕事を掘り下げています。
若子さんが仕事に対する姿勢とか。
あと母業と経営者っていうのは両方やってますからね。その辺のバランスとか。
39:00
そういうところをちょっと深く掘り下げてますんで。
ぜひお楽しみにということで。
ということで今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
また来週お会いしましょう。
じゃあね。
39:36

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