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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
日本にいて、新しい趣味を見つけました。
え、サーフィン以外に新しい趣味見つけちゃいました?
はい。さあ何でしょう。
何系?ヒントヒント。
これ。
ノートブック?
今ね、ズームでさおりちゃんに見せてるんですけどね。
これ、ちょっと今タイトル書いてないからあれだけど。
あ、なんでしたっけ。
反野信教じゃない。
えっと、スミで反野信教を。
反野信教じゃない。何反野信教って。
ノートみたいなものに。
先に言いますと、五州院長って言われるやつですね。
あ、違った。え、五州院長?
神社とかに、多分知ってる人は知ってますけど、
行くとスタンプラリーみたいな感じで、
いろんな神社に行くとですね、そこで参拝記念とかですね、
なんとか大写とかですね。
かっこいいなあ。
スミで書いてもらって、反抗してもらうっていう。
あ、それそこに書いてもらえるんですね。
直で書いてもらえるんですよ、目の前で。
あ、すごーい。
これをね、多分やってる人はやってる。
結構年寄りが多いかもしれないけど。
03:03
僕もそこそこ年ですから、神社に行くのが楽しくなっちゃって。
で、五州院長っていうのをね、初めて買って。
知らんかった。
そう。で、五州院を神社を巡りをして、
そこで五州院っていうスタンプとその紙書いてもらうやつを、
だいたい300円くらいなんですけど、
いいとこ行くと500円とかなんですけど、
それを自分のノートに書いてもらうっていうのをね、やっててね。
えー。
で、今回ね、7個くらい神社行きましたね。
めっちゃ行ってる。
最初毎日行ってた。
ちなみに名前言うと大見八幡。
うんうん。
大見八幡市がね、
篤田神宮、これ愛知県ね。
で、椿大社、椿大…ちょっと名前、せっかくな名前忘れましたけど、
三重県かどっかにあったやつ。
で、えー、どこだ。
出雲大社。
これは島根県ですね。
で、奈良県の柏神社っていうとことを、
なんだったっけな。
三和神社だったかな。忘れましたけど。
そういう感じでですね、結構でかいところにいっぱい行ってきたんですけど、
まあ、気持ちいいんですよ。
そういうの、スタンプもらえるのは知らなかったです。
だいたいね、おみくじとかお守りとかね、買うのあるんですけど、
行くとね、あるんですよ、御神って必ず。
あとあれだ、五島神社にも行ってきたんだ。
なんだっけあれ。海に浮いてる鳥居がね。
すごい。
そこは御神をもらうためにえらいこと並んでて、
ちょっと諦めたんですけど、待てないこれはと思って。
ちなみにね、外国人がめちゃくちゃ多かったですね。
今聞こうと思ったんですよ。
そうそう。旅行者が。
戻ってきたんだ。
めっちゃいた。もう3割4割ぐらいは。
神社とかにいるのは。
あまり有名どころの神社しかもちろんいないですけど、
ちょっとびっくりすると思うよ、さわりちゃんも。
私のアメリカ人の友達も結構今日本に旅行行ってる。
行ってる。そうだよね。
ただゴールデンウィークだからね、日本人ももちろん多そうだな。
そうですね。多いかもしれん。
まあまあ、すみませんね。
神社巡りを始めちゃったっていう話をしたかったっていうね。
そしたら、また次帰った時はここ行こうか、あそこ行こうかって。
いやもうある。行きたいとこがもうある。
あるんだ。えー、ちなみにどこですか?
06:02
えー、カスガ神社、カスガ大社だっけ?
はい。
いや、それはね、なんか、
僕の守護神がそこに祀られているっていうことを知って、
こっち来てからね、
そういうスピリチュアルカウンセラーみたいな人ってこと?
なんか、誕生日だったっけ?
誕生日の月と年代で、
その守護神がわかるみたいなのがあって、
その守護神が祀られているのが、日本ではこことここですみたいな。
あー、それが興味ありますね。
面白いよね。
まあ、だから全部ストーリーがあるからさ、ここの。
あとなんか知らんけど、あのあれだわ。
織田の神社って、
安土城跡にも行ってきて、
えー。
安土城でもう御訓をもらって書いてもらったのがこれで、
かっこいい。
家天家夫婦。
かっこいい。
これ、外国の人とかすごい喜ぶだろうな。
そう。人生50年、
家天の家を比べれば、
これ、信長が本能寺で殺される前に、
また能の言葉が書いてある。
えー。
能じゃねえか。
かっこいいよね、これ。
かっこいい。黒い字で綺麗な文字と、
あと赤いしゅみ。
炭粉がね。そうなんです。
かっこいいなあ。
話が長くなってすみません。
そうですね。本編行きましょうか。
じゃあまた次回は道さんの神社巡り話。
まあ、それはしないですけど、また違う話します。
はい。では本編に入ります。
はい。
毎回1人の方のインタビューを
4回に分けてお届けしている
この1%の情熱物語。
今回はですね、
キョウマレザーの
エグゼクティブアドバイザーをされている
武者ひろこさんの
インタビューの2回目です。
はい。前回がね、
えー、
仕事内容とかをね、
伺っていたんですけど、
あとそのカラーマテリアルフィニッシュ&フィニッシュ
というね、
その車の中のカラーデザインや
内装のデザインとかという
あとキャルティーのね、
動画なんかも紹介させてもらったんですが、
今回はひろこさんが
兵庫で生まれ
昆虫博士になりたかった
子供時代から
なぜデザインを始め
アメリカに来たのか
っていうのを聞いております。
では、聞いていただきましょう。
はい。
じゃあ、ちょっと今から過去の話を聞いてきて
いたいんですが、
えーっとですね、
Facebookで出てたんで見たんですけど、
神戸市出身ということで、
09:00
はい。
えーっと、神戸のどの辺りなんですかね。
どういう田舎の方なのか、
都会の方なのか。
あのね、
神戸市出身なんですけど、
生まれたのは神戸なんですよ。
で、えーっと、
その後、引っ越しして育ったのは過去川って言って、
本当に、あの、
もっと田舎の方です。
神戸よりもっともっと西の方。
うーん。
で、結局、両親は神戸の人なんで、もともと。
はい。
で、私たちが、私と姉がいるんですけど、
成長してからまた神戸の方の、
あの、
精神中央って言って、
神戸のね、
どう言ったらいいかな、
三宮とか元町とかって、
神戸の大きな町があるんですけど、
そっからもうちょっと、えーっと、
山の方、だから、
北西、北で西の方に行ったところに、
まあ、新興住宅地があって、
うんうんうん。
だから、あのー、
じゃあ結構、自然も多い感じの?
そう、そうですね。
そういうところに、結局最後は、
両親は落ち着いたんだけど、
うーん。
出身地は神戸って書いてますけど、
うーん。
ただ、えーっと、
大学卒業して初めて働いたのが、
アパレルっていうか、
子供服の会社で、
そこが神戸に本社があったんで、
神戸に通勤してたので、
あのー、
神戸の、
それこそ町の中、
うーん。
一番繁華街的なところが近かったんで、
そういうとこ、若い時はよくうろうろして、
うーん。
遊んだりしてました。
なるほどなるほど。
あれでも、じゃあ大学は金沢、
そう。
先週もエピソードでもチラッと出たけど、
金沢美術工芸大学に行ってらっしゃって、
卒業してまた神戸のほうに戻ってきた。
そうですそうです。
そういうことなんですね。
ファミリアに、ごめんなさい、
その子供服の会社ってファミリアっていう会社なんですけど、
うーん。
ファミリアに3年ほどいて、
で、ちょうどその頃に、
あのー、
たまたま大発に行ってた大学の時の友達から声がかかって、
うん。
で、あのー、さっきお伝えしたカラーデザインっていう部署で、
人探してるからどう?って言われて。
はい。
まあ先週話したけど、
そのCMSとこっちが言われている、
あ、そうです。はい。
カラー、なんだっけ。
カラーデザイン、CMFね。
あ、CMFですね。ごめんなさい。
はい。だから要は、あのー、
子供服の会社で、
まあテキスタイル関係なので、
はい。
まあシート材とかそういうのも、あの布とかね、
そういうのを扱うようなつながりがあって、
なるほど。
大学で働いている友達から、
まあそういうカラーデザイン、
自動車のカラーデザインっていうものを、
まあじゃあ。
やりませんかっていうので声がかかって、
うん。
で、転職をして、
12:00
うん。
で、大発でそのデザイン部の中のカラーデザインを、
まあ10年近くやったっていう、
そういう経緯ですね。
ちなみにデザインに興味を持ったのは、
子供の頃からとかいつ頃からなんですか?
あのね、小さい時から絵を描くのは大好きで、
うん。
で、やっぱ子供やから、
上手に描くとうまいうまいって褒めてもらうでしょう。
うーん。
そうすると、どんどん図に乗って絵を描くみたいな。
だから、小さい時から、
その漫画家だったりイラストレーターだったり、
うーん。
なんかデザイン関係の仕事はしたいなと思ってて、
へえ。
ただ、
でも、
どうかな、
本当にリアルに、
そういう美術系の大学行きたいとか思い出したのは、
中学校、
高校ぐらいになると、
もう真剣に大学目指して、
受験の勉強とかしてたけど、
うーん。
本当に小さい時はね、
結構虫が好きで、
あ、そうなんだ。へえ。
昆虫博士になりたいとか思ってた。
まじっすか。
なんか変な女の子でしょ。
なんかでも、そんな恋、
そんな子っていうかそういう人。
ちょいちょいいますよね。
あのね、昆虫とかね、恐竜とかね。
ああ、図鑑を見て?
そうそう。で、あの虫も、
なんだろう、飼育ケースみたいなのに入れて。
ああ、標本みたいな?
標本じゃなくて、本当に幼虫とかさ。
ああ、飼ってたんだ。
卵とか取ってきて飼うのよ、家で。
へえ。
なんか玄関先にそういうのいっぱい積んでて。
普通、普通っていうか一般的にね、
女の子だと気持ち悪いとかってね、
嫌がる子が多いイメージだけど。
嫌がるの多いと思うんだけど。
うん。
あとカエルとかね、トカゲとかね、
そういうのも捕まえてきて飼ってたりとか、
結構変な女の子やったと思う、今思うと。
それは何が面白かったんだろう?
成長して変わっていくのが面白いのかな?
わかんないけど、何やろう。
うん、なんかやっぱりそういう、
昔から動物とか昆虫の図鑑見るのは大好きだったし、
うーん。
やっぱりそういうの、結構長いこと見てたよね。
うーん。
すごい変な子やったような気が。
笑
そういう虫とか取りに行けるような自然も周りにあったってこと?
あったあった、ありました。
それいいっすよね、なんか。
えー、じゃあ男の子と遊んでることも多かったのかな、もしかしたら。
いや、それはね、別に。
普通に女の子と遊んでる。
女の子遊びもしてたんだ。
女の子遊びをしつつ、昆虫とかハチュウ類、
寮生類、そういうのはすごい好きでした。
うーん。
今も嫌いじゃないけど、今は昔ほど虫は触れないけど、
うーん。
普通の女の人以上は捕まえられる方かな。
笑
そうっすか。笑
笑
じゃあ昆虫博士、まあでもじゃあそういう、
なんかディテールが好きというか、そういう感じなのかな、なんか。
なんかでも絵とか習ってたわけではない?
15:01
習ってたわけではないです。
あー。
でも美大に受かるっていうのは。
うん、習ったのはね、高校の時に美大を受験するにあたって、
高校の美術の先生が教えてくれて、
うーん。
だから課題とかも出してもらって、家でやったりとか、
結構真剣に3年間ぐらいほんとにみっちり教えてもらって、
すご。
うん、だから美大もね、美大受験のための専門学校とか、
専門学校じゃない、予備校とか行く方いらっしゃるんだけど、
私は幸いにもそういうことをせずに受かったんで、
すごいっすよね。
ラッキーでした。
実は僕も美大を受けたことがあってですね、
本当に?
いやもう全然ダメなんですけど、何もしてないでただ受けてみたみたいな感じですけど、
全然無理だってテスト中に思いましたね。
結構そのやり方というか、鉛筆デッサンがあって色彩構成があってとかね、
そういうのをやっぱり練習して、ある程度こうコツというかこういうところを気をつけて、
分かってやらないといきなり難しいかな。
だって消しゴム持ってってたの僕だけでしたからね。
あれからもう消しゴムのカスが出ないようにしてるじゃないですか、
ああいう人たち。練り消しみたいなやつね。
そんなの知らんぞとか思いながら、めっちゃ恥ずかしかったです。
鉛筆削りで削るんじゃなくてみんなカッターでピンキンに尖らせるよね。
あれも技術がいるからね、練習しないとできないから。
その時点でね、途中だから僕一部でテスト二部を受けなかったですもんね。
絶対無理と思って。
すごいなあ、でもそれで受かっちゃうんですね。
学校の美術の先生からの指導で。
先生がすごい熱心な方で、何人かやっぱり美大に生徒を送ったことがあって、
たまたま私が高1の夏ぐらいに入ってこられた美術の先生で。
タイミング良かったですね。
タイミング良かったですごく。
いい出会いでしたね。
じゃあついでに聞きますけど、皆さんに聞いてるんですけど、
人生の中で衝撃を受けた出来事や、人生の転換期となったエピソードがあれば。
ああ、あれかな、阪神大震災。
ああ、それは2000、違うわ、もっと前だ。
何年だっけ。
何年だ。
1900。
東日本大震災が2001年ですもんね。
それの数年前だから、10年前ぐらいでしたっけ。
何年前やったっけ、ごめん、私も衝撃の出来事とか言いながらちゃんと覚えてない。
ちょっと待って、調べよう。
1995年ですね。
95年か。
1月17日。
18:00
そうそう。
そこはじゃあ神戸にいらっしゃった?
神戸じゃなくて、その時は西宮というところに住んでて、
そこから大発に、
そこから大発に通ってたんやけど、
皆さんがよく阪神大震災の時の映像とか写真とかで、
高速道路がバタッと倒れてるのを見たりすると思う。
あそこから北に10キロも行ってないかな。
結構あの辺。
だから本当に一番ひどいところで、
でも私の住んでたアパートというかハイツみたいなのは、
崩れはしなかったけど、一部損壊ぐらい。
すごい怖かったんだけど、何が変わったってね、
やっぱりあの時以来、物はすべて壊れてしまったので、
例えば高い食器だとか、
いろんな物ね、買っても物は壊れちゃうんだなっていうのを
すごい体感したというか。
だからその時から物欲があんまりなくなって、
本当に欲しい物はたまにあったりするんだけど、
物って結局壊れちゃうんだなっていう、
そういうので人生の転換期かどうか分かんないけど、
考え方はすごい、その時を境に変わったような気がします。
なるほど。
それまでは集めてたじゃないけど、
コレクトしてた物とかあったりしたんですか?
特にコレクションとかは、コレクターとかではなかったけれども、
別に普通に人並みにいろんな物を買ってたし持ってたけど、
とにかくああいうところにいて、
ああいう地震を体感しちゃうと、
物は全部落ちて壊れるし、何なら火事も起こってるし、
自分家だけじゃなくて人の家も全部ぐっしゃり潰れて、
しばらくの間だから街中ずっとゴミ回収とかも来ないんで、
瓦礫の山が渦高く道路の両端に積まれてて、
そっか、その光景をリアルで見たわけですもんね。
そういうのを毎日毎日見てると、
物って本当にこうやって一瞬にして全部なくなっちゃうんだなっていうのを
すごいリアルに感じたんで。
逆に言うと物じゃなく大事なものが見えてきたっていうことなんですかね?
そうやね、かっこよく見えてきて、
物を通しての経験だったり、
それこそ人と人のつながりだったり、
目に見えないもの、
そういうものは大事やなと。
21:03
当然ね、だからって何も買わないわけではないんだけど、
ものすごくそういう物を買う時とか、
物に対する考え方とか、
物を買う時とか物に対する考え方が
あの時から割と変わったかなと。
それっていうのは仕事の仕方とかにも影響するんですかね?
仕事の仕方で言うと、
自分がだいぶ年取ってきたっていうこともあるけど、
仕事の仕方で言うとやっぱり人と人とのつながり、
仕事も結局は人が作ってるものであって、
個人でね、フリーランスで一人で活動する以外は、
一人で活動しててもリスナーさんとか相手さんがいるわけで、
やっぱり会社とか組織で働くとチームワークなんで、
やっぱり人と人とのつながり、
どういうふうに一緒にチームを作っていくかとか、
働いていくかとか、
いかにお互いを大切に思ってやっていくかとか、
そういうのはすごい大事にするようになったかなと思います。
なるほど。
僕もね、衝撃を受けたのは東日本大震災の方。
僕はでもその時、阪神大震災は多分幼すぎたのかな。
分からないですけど、
やっぱり感じたし、
なんかああいうことって人の人生変えるなと、
今改めて思いましたね。
ありがとうございます。
じゃあちょっとね、話を戻していくと、
大発さんで今の仕事にも通じるような、
自動車関係のデザインの仕事になっていったんですけど、
その後アメリカに来られてると思うんですけど、
そのきっかけっていうのはどういうことですかね。
えっとね、大発にいたときに、
ちょうどその時代的にね、国際ビジネスマンを育てようみたいな、
日本全国なのか大発だけなのか分かんないけど、
そういう機運があって、
それ何年くらいの頃?
1990年代ぐらいの話。
なるほど。
で、そのときにTOEICっていう日本でね、
企業とかにいると、
英語の実力値を知るためにTOEICっていう試験があるんだけど、
そのTOEICを受けてみなさいということで受けたら、
もともとね、美術系の大学でそんなに頭いいわけじゃないんで、
ものすごい点数が悪くって、
で、そのときの上司に結構なんか、
すごいいやみったらしく、
24:00
もっと取れるかと思ったらできひんねんなみたいなこと言われて、
すんごい腹立ったんで、
むちゃくちゃ半年に1回ぐらいあるのかな、TOEICのテストが。
今は有料かもしれないけど、
その頃は会社が出してくれてて、無料で受けられる試験だったので、
勤務時間中にも受けられるし、
仕事抜けて、
だからものすごい自分で通信教育だったり、
いろいろなんかやって、
ものすごい点数が上がったのね。
英語の勉強したってことですよね。
した。
悔しくて。
悔しくて。
そしたらすっごい上がって、
そしたらすっごい楽しくなってきて、
で、英語の勉強だけでは物足らず、
ゴールデンウィークとかお盆とか長期休みがあると、
バックパッカーまでも行かないけど、
それに近いような感じで、
一人であちこち海外行ったりするようになって、
すると、つたない英語でも、
結構ね、長期でバケーションで来てるようなドイツ人だとか、
アメリカ人だとか、いろいろいるわけ。
で、そういう人たちと、
地元でちょっと会話をして旅行のね、
それぞれ、あそこ良かったよとか、
この宿あんまり良くなかったよとか、
情報交換したりとかして、
すごいそういうのも楽しくなって、
で、会社にいる間にどんどんどんどんトイックはもう、
海外営業部の人たちと同じぐらいの点数まで上がり、
デザイン部の中では一番いい点数になり、
でもやっぱ時代が時代やったら、
女性ということで中材だったりとか、
そういう海外に出向くような業務は回ってこなかったので、
でもやっぱり日本のあの頃の会社って、
今と違ってもっともっと窮屈なところが多かったんで、
だから海外で旅行だけじゃね、
だんだんなんか、
我慢できなくなってきて、海外行って暮らしてみたいとか、
できたら働いてみたいとか、
そういうのでアメリカに行ったっていうのが経緯かな。
で、さっき報道しちゃってたグローバルな人材を作りたいみたいな、
日本のそういうなんか補助金とかそういうものがあったんですか?
それともこう、
そうそう、補助金というかね、
私はね、
私がアメリカに行くことは全然、
会社辞めて単独で行ったんで関係ないんだけど、
そのグローバルの補助金は多分そのTOEICの試験だったり、
あとある程度点数が上がってくると、
会社の中でその英会話のクラスみたいなのを勤務時間中に、
そのTOEICの点数別に何人かずつ集めて、
あの大きな英語のそういう教える、
英語の教え方みたいなのを、
あの大きな英語のそういう教える会社の先生呼んできて、
27:01
授業、
何だろう、週に2回ぐらい、2時間ずつぐらいとかやってくれたりとか、
そういうのは多分会社が全部お金を出してたと思うんで。
なるほどね。
じゃあ何となくでも日本の社会が世界を見始めてたというか、
そのあれが大きくなってた時期なのかな?
そうかな、でも、
まあそういうふうにしながらも、
やっぱ今とほんと全然違ってて、
女性の地位とかっていうのはなかなか、
男女雇用機会均等法とか言って、
私もそういうのに乗っかって総合職とか言って、
要は男性と同じようなキャリアをっていう路線の中にはいたけど、
やっぱ細かいところでいろいろ、
女性ならではの窮屈な部分っていうのはたくさんあったかな。
そっか。
で、海外のほうが自由に行けるんじゃないかってことで、
じゃあ辞められたんですか、会社は。
辞めました。
そこからどうやって行くんですか、アメリカに。
アメリカにね、知り合いがいたんで、
とりあえずもう行っちゃって、
ビザは?
ビザなしで行って、
まずロサンゼルスの様子を見て、
そこで現地の日系の日本の雑誌社に営業職で雇ってもらって、
ビザ取ってもらって。
だからはじめはもう自動車とか全然関係なく、
とにかくビザを取ってもらえるところっていうので。
まあ住める、アメリカに住むっていうのがまず目標だ。
一つ目のクリアしないといけないところですもんね。
そうです。
じゃあいきなりあれか、全然違う分野の仕事になったってこと?
そうですね。で、その後そこから転職して旅行者に、
これも日系の旅行者に転職して、
で、もう自動車の仕事、要はクリエイティブな仕事したいけど、
とにかく落ち着いてまず生活しなきゃっていうのがあったんで、
旅行者に転職して、その時にたまたま元大発にいた友達に偶然再会して、
で、その子がキャルティーデザインに駐在でたまたま来てたんで、
で、キャルティーデザインでまたカラーデザインの人を探してるよっていう話で、
で、じゃあ募集応募するわっていうので決まったっていう、そういう経緯です。
すごい。ラッキー。
ラッキーってか、でもそれもあれか、人との人との繋がりがあってこそか。
まあね、その日本でやってた仕事があったんで、
30:04
入ってからも割とスムーズに仕事ができたんだけど、
日本でやってたこととはそう遠くない仕事だったんですかね。
同じような仕事?
ほとんど同じような仕事かなって、
大発っていうのはトヨタの、今は子会社やけど、その頃からもう系列会社だったんで、
だからある程度その仕事のやり方とかいうのはほとんど一緒だったから、あんまり違和感なく。
その意味はほんとラッキーでしたね、そこは。
そのポジションを募集してたっていうのもね、
まあそのチャンスをつかめたのは多分実力だと思うんですけど。
なるほど。
まあじゃあ実際にじゃあそれ夢叶ったみたいな感じですか。
そうやね、その時はまあ本当にラッキーやなと思って、まあ夢叶ったかな。
実際生活してみてどうでした?アメリカの。
本当にさっきの話じゃないけど、
男性女性とかそういうことも一切関係なく、
それは今もそうだけど昔もそうで、
すごく自由にのびのびできて、何もかもが新しい初めてのことだったから、
すごい何をやっても新鮮やったし、
まあ一言で言うと人間付き合いも、
そのいろんなシステムも全てが良くも悪くも大らかで、
いい感じ。
悪かったことで言うと、その大らかさゆえにいい加減だったり、
まあ訳わかんなかったり、
日本だと考えられないようなことが普通になんかもう放置されてたり、
まあ日本のいいところがアメリカの悪いところで、
アメリカの悪いところが日本のいいところで、
そうですよね。
どっちが良い悪いじゃないですもんね。
良いも悪いもどっちもあってね。
でも大らかっていう言葉は確かにそうだな。
なんか全体を表してますね。
悪く言うと大雑把な感じ?
今よく言うと大らかな感じ?
うん。
大らかね。いいですね。その言葉いいですね。
なるほどです。
まあじゃあちょっと今話がつながってきたので、
今の仕事に至るまでの経緯をちょっと伺ってたんですけど、
冒頭に話したように、ちょっと今から2ヶ月ぐらい経ってきて、
今の仕事に至るまでの経緯をちょっと伺ってたんですけど、
冒頭に話したように、ちょっと今から日本への永住帰国も考えていらっしゃるということで、
その辺の話もちょっと次回深掘っていきたいなっていうか、
もうちょっと聞きたいなって感じなんですけど。
はい。
やっぱり海外に来る人って行動力がありますね。
33:25
だってとりあえずビザなくて行っちゃえってすごい勇気じゃないですか。
しかもある程度キャリアを積んだ状態でだもんね。
そうそうそう。確かに学生とかじゃないですもんね。
確かに。
いやー、その前の悔しくて英語をめっちゃ頑張って勉強したっていうのもね、行動力あるよね。
すごいなー。
いやー本当その悪いことをいいことへのエネルギーに変えちゃう力ね。
そこから海外旅行が増えて、海外で働きたいみたいな感じになっちゃって、
実際に飛んじゃうみたいなね。
その言った上司も後々考えたら、あ、こんないい人材が逆に飛び立っちゃったみたいな。
本当だよね。あれみたいなね。
俺きっかけ作っちゃった。
いやでもね、実は大発さん、あれこれ大発の話だったっけな。
うんうんうん。
戻ってるんでね。
あ、そうなんですね。
一旦ね、また繋がってくるとは思いますけども。
確かに確かに。
いやー、あのさー、阪神大使館に行ったら、
いやー、あのさー、阪神大震災が、
まあ神戸にね、住んでらっしゃったから、もちろんもうほぼ直撃だと思うんですけど、
で俺もちょっとまだ中学生だったかなと思うんだけど、
沢ちゃんはもっと、沢ちゃん生まれてるよな。
生まれたってほぼ記憶がないぐらいですね。
で、東日本は沢ちゃん何歳ぐらいだっけ。
私は大学生で東京にいたんですけど。
結構衝撃だったよね、やっぱりそれって。
でもやっぱり新県地にいないので、
ああまあそうか。
そうそう、そういう意味ではやっぱり神戸にいて阪神大震災を味わってるっていうのがものすごい経験ですよね。
ね。
いやーやっぱりそういうのって結構なインパクトを与えるよね、人生に。
その後はやっぱりコロナだとは思うけど、
そのなんつーの天変地異じゃないけど、災害とかはね。
だから定期的にやっぱりそういうの起きてるなーとか思ったりするけどね。
これ陰謀論じゃないでしょさ。
それによって生き方が変わってくるみたいなね、話があるなーと思いましたね。
36:14
あと前回にちらっと言ったけど、
アメリカを良い言葉で表してるなと僕はすごく思ったのがオーラカというふうに仰ってましたが。
上手に。
良い言葉で。
良い方向で表してる。
ね。
悪く言うと大雑把。
適当とか言ってましたけども。
良く言うと、
許容範囲がでかいというかね。
確かに。
なんかオーラカっていう言葉はぴったしだなー。
すごい良い表現ですね。今度から使おうと思います。
アメリカってどんな国?オーラカって言うと。
オーラカの国です。
ね。オーラカって大きいと書くんだね。
これひらがなかと思ってたんだけどさ。
ひらがなの方もよく見ますよね。
あれ?ひらがなが正解なのかな?正解とかないのかな?わかんないけど。
オーラカって言うとね、ひらがなでオ・オ・ラ・カって書くと思ってたけど。
まあ確かに、角度も大きいし。
そう。
そこもやっぱりサイズ感とかも変わってくるんじゃないですか?カルチャーに影響するんじゃないですか?
あとその多様性があるから、やっぱ受け入れる範囲もでかいよね。
常識が広いっていうかさ、常識がないっていうかね。
そう、常識がないのが正しいかもですね。
だからある意味全部許されるっていうかね。
アメリカに来て全然違うお仕事をされたりして、
そうね。
最終的には戻っていったと。
引っ張られたっていう感じも近いんじゃないかと思いますけど。
そうですね。
それでそれで?
次回の動画は、
次回の動画は、
次回がその仕事の掘り下げですね。
そのデザイン、
キャルティーに入っていくわけですけども、
キャルティーデザインさんです。
リサーチか。
その時の仕事哲学とかね。
モチベーションとかね。
ルーツは何か。
内側を掘り下げたお話になっております。
次回も楽しみにしております。
リアルアメリカ情報。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報を
アメリカ・ロサンゼルスよりお届けしてまいります。
リアルアメリカ情報。
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リアルアメリカ情報。
リアルアメリカ情報。
リアルアメリカ情報。
リアルアメリカ情報。
リアルアメリカ情報。
アメリカ・ロサンゼルスよりお届けしてまいります。
ちなみにあれだね。
サオリちゃんのZoomの壁紙が
新しい絵が見たいなって今一瞬思っちゃいました。
こんな感じ。
まあいいや、話を流して、はい。
最近はZoomとかTeamsとかGoogle Meetsとか、何でももう壁紙を貼れるからですね。
そうよね。
どこに行っても。
どこにいようがね、さっきの先週だったっけ?車の中にいようがね、関係ないっていうね。
そう、それなんですよ。私車の中でミーティングとかしても壁紙貼ってるから、どこに行くかわかんないし。
ほんとそうなんですよ。
あとiPhoneのお使いの方、最近の機能でノイズキャンセレーション。
はい。
アップデートしました?みつさん。
わからん。したんじゃないかな?してないかな?わからん。
もうね、普通の通話が、今私クリスプっていうシステム使ったりしてるんですけど、それぐらい本当にノイズキャンセルされるので、
カフェのすんごいうるさいとこでミーティングとかしても、カフェにいることばれないぐらい。
あ、そう。
すごいです、ノイズキャンセルが。
いやー、あれちょっとまあまあうるさいもんね。
聞いてる側が大変だよね。その中にいる人はさ、
そうそうそう。
まあ、そんな気にならないっていうか、自分もいるからね。
そうなんですよ。
あれなんだけど、相手側が多分大変なんだよね、あれは。
そうなんでございます。
ノイズがね。
あ、そうですか。
えっと、私これ今まだアパートメントで空のアパートメントにおります。
ほんとだ。きれいな感じの。今ズームの壁紙を外してくれたようですが、きれいな。
今ですね。
それはもうじゃあ出ていくアパートね。
出ていくアパートメントにおります、今までの。
きれいにすっからかんですね。
きれいもすっからかん、なんにもない状態でございます。
壁紙と変わんねえなあんまり。
あ、そうね。ほぼ変わんないですね。
リアルアメリカ情報なんですけど、私日本に漁ってから行くんですけど。
今ちなみに4月の終盤ですけどね。
そうですね。でね、一年通りチケットを取ったんですよ、ネットで。
ネットでチケットを取って、通常通り日付も近づいてきたから、
そろそろ航空会社のアプリで先にパスポート登録したりとか、ワクチンの証明書とか登録したりできるのでしようと思って、
42:12
パスポートをスキャンしたんですよ、アプリで。
そしたら、ビビーってエラーってなって、登録されてる名前が違いますので受け付けられません。
はっ!って思って、はっ!やっちまったって思ったんですよ。
あ、結婚したからだ。
私結婚して、アメリカの名前はサオリ、ヨシダがミドルネームで、で旦那の苗字を苗字につけているので、
今私パスポートの名前とグリーンカードの名前が違うわけですよ。
グリーンカードは直したってこと?
直してます。
で、日本は前の名前だと。
はっ!オーマイガーってなって、
そもそもパスポートの名前とアメリカの名前違うってどうやって入国して、
えー、税関とか、えー、イミグレーション?移民局とか通るんだとか、
わーって、ちょっとわーって一瞬パニックになりまして、
ただ調べたらそういう方ってすごく多いみたいなんですよね。
なるほど。
まぁでしょうね。
そうそうそうそう。
あの、ミドルネーム持ってる人とかも。
はいはいはい。
うん。なんですか?
いや今ちょっと思い出した。妻のパスポートを。
奥さんは?どんな感じ?
いや普通にラストネームが変わったんだけど、
うん。
やっぱり前に持ってたのが前の名前だからさ。
あーなるほど。
そこにはアップデートしたシールを貼ってたなって今思い出した。
へー、パスポートに?
うん。あれ?そういうのじゃないの?
あ、そういうパターンもあるんですね。
うん。
あの、私の場合は、たぶん日本で名前変えないんで。
あ、そうか。
そういう人もいるんですよ。日本の名前を日本の名前で持ってて、
アメリカの名前をアメリカの名前で持ってる。
そういうパターンだ。俺らは日本で変えて。
あーそうなんだ。
日本で入籍だからね。
そうかそうか。
はぁはぁはぁ、なるほど。
じゃあアメリカの名前と日本の名前、奥さん今は一緒。
うん。一緒だね。
そうかそうか。
なんか私みたいに違う人も結構いるみたいで。
で、どうすればいいのそれ。
どうかね、別にいいんですって。
45:02
えー?みたいな。
あーそう。オーラカですね。
あーそう。つながりましたね。そう、アメリカオーラカなので。
あーそうか。
なんか一応航空券の名前はパスポートの名前で飛んだきゃいけないらしかったので、
そこは国家支援連絡して名前を変えてもらったんですけど。
なるほどね。
そうそう。
そこが一致してればいいんだ。
パスポートと航空券の名前は一致してる必要があるけど、
でもアメリカに入るときはアメリカ用の名前のグリーンカード見せたりしなきゃいけないから、
まあちょっと複雑だねみたいな。
うーん。
そうそうそう。
で、アメリカ以外でも他の国の人でもミドルネームを持ってる人って結構いるじゃないですか。
うんうん。
でも日本のパスポートってミドルネームに対応してないから。
あ、もう書く場所がないんだ。そもそも。
そうそう。そもそも書く場所がないから、
ラストネームのところにカッコ書きでミドルネームがつくらしいですよ。
へー。
確かにミドルネーム持ってる日本人いないもんね。あんまり。
戸籍状つけられないですよね。
そうだね。
そうそうそう。そんなことがありましたっていうのが一個と、
あと日本入国関連だと免税の対象者が変わるんですよね。変わったんですよね。
え、どういうこと?
今まで免税対象になる人って海外に住んでる証明ができればいい?ビザとかかな。
パスポートの入国のあれか、出国入国のスタンプとかがあれば日本国内でも免税できたので、
10%税金が引かれてお買い物ができたんですよ。
それってあれ?デューティーフリーのところじゃなくてもできるの?
普通のデパートとかでも。
まじで?
あれ、みつさん。
あれ、それ常識ですか?
私はあんまり使わないけどみんな使っているマツキオとかでもできるし。
うっそ!結構でかいな、それ。
そう。10%引かれます。
それどうすればいいの?クリーンカード見せればいいの?
それが今まではそうだったんですけど、たぶんね、簡単だったのに、
今回は海外に2年以上住んでることとかの証明ができる必要があるんですって。
なので、アメリカから出る人はアメリカの日本大使館か何かに行って、
在留証明でこんだけ長い間住んでますよとか。
グリーンカードじゃダメなのかね。そこに発行日がさ、
もう数年前で書いてあるからさ。
48:00
確かにそれだといけるの?
うーん、まじか。
在留証明で大使館に行かなきゃいけないのと、大使館に行かなきゃいけないか、
あとは日本の戸籍って住民票が抜けてることがわかるとか、
そういういろんな規定ができてるみたいですよ。
それを証明するって何?戸籍当本を持ち歩かないといけないってこと?
たぶんね。
もしくは転入届とか、転出届?
たぶん。
それはめんどくせえな。やったことある?そんなの。
制度になったのは今年の4月かららしいですけど、
その前まではなんか普通に買えた気がする。
あ、そう?それで買ったことある?税金なしで。
パスポートのスタンプ?っていけたかな?なんかそんなんだった気がしますけど。
うわ、そんなの全然知らんかったわ。
でかいから10%。
ねえ、おっきいよね、それは。
そんなようなこともありましたと。
なるほど。
いうようなちょこちょことしたリアルなアメリカの話でございます。
だからあれね、パスポートと航空券の名前が一致していれば、
良いというのがポイントと、
もう一個は免税の規定が変わりましたよっていうのが。
あともう一個追加すると、
リアルIDっていうのがアメリカでできましたから、
まだ施行されてないんじゃないかな?
コロナで2年遅れとかになってるから。
一応もう持ってますけどね。
もう新しく更新するときはみんな新しいリアルIDになるんですけど、
アメリカ国内で移動するときは今までは免許証だけとかで良かったんですけど、
アメリカ国内でフライトするとき、今度はリアルIDがないと飛べなくて。
というかパスポートを見せないといけないってことですね。
リアルIDがない人はパスポートを見せなきゃいけないということになっておりますので、ご注意ください。
全然関係ないっちゃ関係ないけど、合わせてみたっていう感じね。
情報提供の場でございました。
ということでリアルアメリカ情報でした。
はい、締めのコーナーです。質問。
はい、質問。これまたひろこさんのお話にあやかってなんですが、
今ひろこさんがね、働いてるときに上司から、
51:01
英語わりとできないんだねみたいなことを言われて、
悔しくて英語を頑張ったっていう話があったと思うんですけど、
沙織ちゃんが今まで悔しい思いをして頑張ったことありますか。
悔しい思いをしたこと。
そうですね、高校のときに気象防止の資格を取って、
お天気のお姉さんね。
お天気お姉さんの資格を取って、大学生のときに、
お天気お姉さんのオーディションがあったんですよね。
それなんだったかな。
TDS系列のお天気お姉さん系のオーディションがあって、
もうめちゃくちゃ受かりたかったんですよ。
お天気お姉さんにも憧れもあったし、
あと、取ったばっかりだったし。
大学生でそれを買ったらなかなかあれだよね。
どやれるっていうか。
話題性もあるし、これいいじゃんって思ってたから、
もう絶対いけるなっていう感覚もありつつ。
AOROじゃなくて何だったっけ。
それの練習もしてたのかな。
それはしてないか。
それは何歳になってからか。
どうだろう、あのときはまだしてないかな。
でも滑舌はよくあったってことね。
自信があったってことね。
滑舌はあんま関係ないのか。
あんま関係ない。全然関係なくて。
失礼しました。
資格持ってなくてもできるんですけど、持ってるとより。
どういう試験をするの、それは。
試験というかオーディションですね。
面接か。
テレビ番組系の面接とかオーディションを受けて、
これを超お借りたいと思っていたら、
がっつり落ちまして、
すごい落ち込んだというか、
もうすっごいお借りたかったから、
超残念みたいな感じだったんですけど、
その後に、
そういうタレント業もやってたけど、
そうじゃなくて、就活でアナウンサーを受けるタイミングでもあったので、
それも落ちたことだし、
アナウンサーの正社員、社員としてやっていく道を選ぼうかなと思って受けて、
アナウンサーになれたので、
逆にすごい良かったなと思うのが、
そこで受かってたらそっちの道もあったと思うんですけど、
きっとそっちで受かってたらお天気一本とかそういうのをやってたけど、
54:02
そこで落ちて悔しかったからこそ、
アナウンサー試験も頑張れたし、
そっちから逆に今の道が広がってるから、
天地て、福となす的な、
わさわいじゃないけどね。
そういうのがあったなって今言われて思いました。
なるほど。
みつさんは?
俺もね、なんかいっぱいあるけど、
一番大きいのはたぶん高校野球ですね。
高校野球部で、
小中高と野球をやっていて、
高校で補欠ベンチすらできないみたいな経験があって悔しくて、
結構素振りをね、家帰ってからこっそりやっててね、
バットを振るっていうね。
こっそり。
こっそりって誰に言うわけじゃないんだけどさ。
ただ結構ね、悔しくてやってて、
最後の方の3年生のもう夏の終わり頃に、
この話たぶんしたことあるけど、
球が結構飛ぶやんけと自分の中で思うようになった成果が現れたことが、
それはね、今でもやっぱ自信になってるっていうか、
やればできるっていうのは自分を信じられることになったので、
悔しかったけど、すげえ頑張ってよかったなって、
ずっと思ってますね。
そういうちっちゃい頃の思い出って結構残るんですね。
そう、でも今振り返るとさ、そんなに別に悔しがらなくてもいいじゃんみたいなことでもさ、
子供の頃ってめっちゃ悔しいじゃんね。恥ずかしい人がさ。
そうそうそうそう。
ほんとそれが思う。
だからそれを考えると、今私たちの周りで起きてる一大事とかって、
多分年取ってみれば大したことじゃないんでしょうかね。
だろうけども、やっぱりそこでこの野郎と思ってやるのはね、
自分を利用するっていうか、自分のこの客観的に見て、
そこでもういいやって諦めるより、ちょっと頑張ってやるかって、
仕向けた方がね、結果良くなるなっていうのはね、なんか思いましたね。
ありますね、そういう経験はね。
なんか真面目な話しちゃったね。
そうですね、珍しく。
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57:08
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じゃあね。