2023-05-20 56:44

Vol.255: 武舎博子(エグゼクティブアドバイザー)3/4

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最近、エリアや業界も跨いで年齢を問わず幅広い人とお話しできることがとっても楽しいなって思うのです。ミドルエイジという年代だからなのか、考え方が柔軟になったからなののだろうか・・そんな金曜日の板倉です、こんにちは。

「1%の情熱ものがたり」前回に引き続き、64人目のインタビュー。
トヨタ自動車の北米デザインセンター:CALTY Design Research にて約20年、当時のレクサス・トヨタのほとんどの車種のカラーデザインに携わったという実力派プロフェッショナル!日本でのキャリアを捨てる覚悟で飛び込んだアメリカ、その行動力で掴んだ仕事や憧れの生活。そして今、還暦を迎える時期に考え始めた日本への永住帰国。そんな博子さんのリアルな海外生活ものがたりです。

人生を後押ししてくれた素敵なお父さんとのエピソード。「有言実行」の言葉に込められた想いは家族に対しての誠実さでもあるのかなと感じました。「後悔しない人生、健康で明るく過ごす人生」言うは易く行うは難しですがやっぱりそれに尽きるなぁって素直に思いました。

投稿 Vol.255: 武舎博子(エグゼクティブアドバイザー)3/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。
1%の情熱物語255回です。皆さんお元気でしょうか。
元気ですか。ゴールデンウィークも終わって、5月病の時期でしょうか。
そうね、あるある4月はね、新学期、新年度だったりしてますからね。
長い休みが明けた時って、みんなだらけるっていうアレがあるのかもしれないけど、
もうその頃のことはあんま覚えてないですが、
先週ね、ちょっと悔しい思いをして頑張ったことありますか、みたいな話をしてたんですけど、
今回ね、4月日本に帰って、最終日、フライトの直前、ギリ、
ギリ、なんとか間に合うっしょと思って無理矢理見た映画がありまして、ずっと見たかった。
タイトルがブルージャイアントって言うんですけど、
ジャズバンドの話なんですが、これね、2,3人の方に直接、
曲説もあるし、なんかポッドキャストか何だったかな、
ソーシャルメディアか忘れたけど、推薦があって面白いって言われて、
俺も見たいと思ってたのね、ずっと。
っていう映画っていうか、そのジャズバンドの話ですね。
サックスとピアノとドラムの3人のジャズバンドの話で、
まあ熱いやつでですね、これをさおりちゃんもぜひ見てほしいっていうことで、
多分あんまり興味ないかもしれないけど。
日本じゃないです?
日本でしか見れない。
そうなんだ。
それもね、もともとは漫画だったみたいで、
漫画ってさ音出せないじゃん。
03:02
だけど音楽の話をするっていうさ。
でも音が聞こえてくるような漫画っていうふうな評価をされていたようで。
で、実際今度劇場版というかアニメになって、
映画になってた時はもちろん音が入ってくるんですけど、リアルな。
それはやっぱり劇場で見たほうが、
ゾクゾクするっていうかね、音がちゃんと聞こえてくるから、
めっちゃ良いですっていうだけの話なんですけど。
なんか泣ける映画。
泣けます。
後半ほとんど泣いてたね。
うちさん結構涙も流れてた。
俺泣くんだよ。
絶対泣くだろうなと思いながら行ったんですけど、泣いてまして。
この旅の日本にいる間に、
今年の2月にこのポッドキャストでインタビューさせてもらった山本亜紀君っていうね、
ニューヨークのウッドベースプレイヤーの話もあるんですけど、
彼のバンドのレコードを、彼がLAに来ててちょうど、
僕ちょうどそのタイミングで日本にいたんですけど、
そのレコードを持ってきてくれてて、
それも聞くのが楽しみすぎて、楽しみで早く帰って聞きたいと思ってたんだけど、
それもあってジャズの映画も見て早く聞きたいと思ったりしてたんですけど、
さわりちゃんも多分どっかで泣くんじゃないかと思うけど、もし見たら。
そうなんだ。
映画館で見てほしいから、今回もし間に合って時間があって、
タイミングがあればぜひおすすめですっていう。
もう一回タイトルを。
ブルージャイアント。
このブルーっていう意味もね、ニューヨークではブルーノートっていうジャズのクラブが有名ですけども、
日本にもあります。世界にあるブルーノート。
映画の中ではソーブルーっていうジャズクラブが出てくるんですけどね。
いいですね。
赤よりも暑い青っていう意味ですね。
聞いてる方の中の人に見たっていう人いるか?
いると思いますね。
火の温度ってさ、赤色だけどさ、もっと暑くなると青色になるっていう。
あ、なるほどね。
その時点でもう泣けそうだけどね。
はいいのよ。涙が脆いのよ。
おじさんですからね。これぐらいしときますか。
みつさんのおすすめ映画でした。
あ、で、あともう一個スラムダンクも見たかったけど。
あー、これね。
で、どっちかしかもう見る時間がなくて、ブルージャイアントを俺は選びました。
さおりちゃんはスラムダンクの方が面白いかもね。もう分かんないけど。
06:02
スラムダンクはね、読んだことないから分かんないですけど。
あ、じゃあブルージャイアント見てください。
もうすごいスラムダンクの方が面白いかもね。
はい、すいません。
本編入りますね。
一人の方のインタビューを4回にわたってお届けしているこの1%の情熱物語ですが、
今回はですね、きょうはレザーでエグゼクティブアドバイザーをされていらっしゃる武者ひろこさんのインタビューの3回目です。
はい、先月、
先週か、なんでアメリカに来たのかみたいな話をしてましたけど、今回がちょっとその仕事の姿勢だったり、
モチベーション、ルーツは何ですかみたいな感じのちょっと内面を深掘ったお話になっております。
では聞いていただきましょう。
はい、今からちょっと仕事の深掘りをしていきたいんですけど、
まずは仕事をしてて誇りに思う瞬間、嬉しい瞬間、ちょっと今はねスローダウンしていらっしゃるってことだったんですけど、
ちょっとその辺を聞いてもいいですか。
えっとね、
そうですね、今言われたように、今やってるエグゼクティブアドバイザーの仕事はなかなかこういうものを作りましたっていう目に見えるものではないので言いにくいんですけど、
そのちょっと前にキャルティデザインで長年働いてて、たくさんの車のカラーデザインに関わったので、一番嬉しい瞬間はアメリカで自動車を運転してて、自分の前とか周りとかに自分がやった車の、
あ、この車体色すごい苦労して開発して、この人買って乗ってくれたんやみたいなの思い、プラスまさかこの色を作った人があなたの車の後ろにいると思ったことないやろうねっていう時が一番嬉しい瞬間かな。
確かに、それがね、本当に嬉しいですね。
あの、はっきり言って、特にね、サダンカリフォルニアはすごいトヨタ車売れてるんで、自分の周りにもやった車がボカスカ走ってて、古い車も含めてね、だからすごい嬉しいですね。
そういう時が一番嬉しい瞬間かな。
それめっちゃ嬉しいし、日々ありますね。僕もチッタンドラ乗ってたし、多分それもそうなのかな。
そうなんや。
あの、泊まってる車とかも、こう、覗いてね、内装とか見て、これ苦労して作ったあのグレードや、みたいな、そういうのも全部わかっちゃうっていう感じ。
09:05
タンドラの内装もすげえ僕、気に入ってましたよ。好きでしたね。木目のやつだったりね。
そうそう、木目のそういうのも私たちがやってて。
それは、でも毎日嬉しいですね。
走るたびにね、結構、車体色なんかも、なんだろう、苦労した色とか。
その時のことを思い出して。
で、色とかもね、みんなから見たら白は普通のただの白い色かもしれないけど、やっぱり青っぽい白とか、ちょっと木なりの白とか、
で、そのペンキみたいにペタッとした白とか、あと真珠みたいなパールの色とか、
いろいろあって、赤もそのただの、なんだろう、赤って言ってもオレンジっぽい赤からワインレッドっぽい赤から、ものすごいビビッドな赤とか、
あの深い濃い赤とか、
売れて喜びがあったり、ロングセラーになったものもあれば、短命で終わったようなものもあって、
だから、そういうの全部、道を走ってたら見るわけね、道路で。
だから、その時の苦労だったり、買ってもらってる喜びであったり、
だから、そういうのはすごい、日常、アメリカにいると道路走ってて、すごい嬉しいことはいっぱいあるかな。
ですよね。人気者種とそうでないのもあるからね。
なるほどね。
じゃあちょっと繋がってきますけど、ひろこさんにとっての仕事哲学。
これはね、ポリシーだったり、これだけは譲れんみたいな、あります?そういうもの。
なんかね、いい言葉ないかなと思って考えてたんやけど、
ぱっと思いつくので言うと、有言実行。
で、有言実行って言っても、当然できない、不可能なこともあるんだけど、
やっぱり、やろうと思ったり、やりたいと思ったことはやる。
っていうのが基本にあるのかな。
12:00
私が一番嫌なのは、酔っ払って会社の愚痴とかをいつまでもぐちぐち言ってるような、
そういうのがすごい嫌なのね。
そんなぐちぐち言われてやめて、自分で転職するなりなんかやるなりすればいいやんって思ってしまう人なので、
だから、そういうのに対してアンチというか、そういうので有言実行なのかな。
多分、このインタビュー終わってからもっといい言葉、たくさん思いつきそうな気がするけど。
それでも、具体的に言うと、例えばこういう質感とか、
ひろこさんの中で思いついて、これがベストだって思うものがあったときに、
それを手に入れる素材が難しかったりとか、予算とかもあるかもしれないしとか、
そこらへんをどうやって戦っていくかみたいな、そういうとこなんですか。
有言実行っていうのはどの辺の。
たぶん有言実行の私の中の意味は、絶対にこれが欲しいとか、絶対にこれを使わなきゃとかやらなきゃとかいうのが、
予算だったり、期間だったり、もっと大きな力でできなかったりもあると思うんだけど、
要は、有言実行の勢いを持ってやると。
なるほど。
ちょっと逃げかもしれないけど、でも、有言実行で全部できちゃうばっかりじゃないけど、やっぱりそういう強い思いを持って、
本当にやりたいことはそのぐらい強い思いを持って、
勢いだけでやるのでもないし、有言実行のためにはちゃんと準備しておくことも必要だろうし。
プレゼンをするにも裏付けが必要だし、
たぶん言い悪いって、美的センスって人それぞれだから、
これが正解っていうものは、誰にとっても正解っていうのはなくて、
でもそれを多分、ひのこさんが信じたものをどうやって形にしていくかっていうのは、たぶん戦いがありますよね。
いやもう戦いだらけなんで、有言実行とか言ってもできてないこともたくさんあるんだけど、
でもどうしてもこれはっていうものはやっぱり、そのぐらいの気概を持って、というか勢いを持って、
なるほど。
やっていかなきゃいけないかなって。
ありがとうございます。
有言実行、日本の四字熟語はいい言葉が多いですね。
みなさんどんないいこと今まで言ってこられたのかわかんないけど、なかなかいい言葉多いんだけどね。
選ぶの難しいね。
確かにね、背景にあるものがそれぞれ違うからね。
でも今まで少なくとも伝わった部分はあると思います。ありがとうございます。
15:02
じゃあ次の質問なんですけど、今のあなたを作ったルーツは何だと思いますか。
難しい。
これでもさっきの阪神大震災も一つなのかな。
今の私を作ったもの、何だろう。
影響されたものとかもそうかもしれないし。
今の私を作ったものか。
一個今思いついたのは、私の父はもう亡くなったんだけど、
私の父はすごい寡黙で大人しくて、穏やかだけど頭のいい人で、
やっぱり常々、そんな時代でもないのに、女の子もやっぱり教育が必要で、
美術を学びたいんだったら、ちゃんと4年生の大学に行って専門の仕事、
そんなのイラストレーターとか漫画家ぐらいしか言葉がないような時代に、
ちゃんとそういうとこに行きなさいって言ってくれたり、
そういう父にやりたいことをやれって後押しされてきたような部分は、
今までずっとあったような気がするので、
ルーツが何かと言われるとわからないけど、そういうのが結構大きかったのかな。
これを聞いている方とかはどのぐらい年代の方かわからないけど、
私ぐらいの年の人が10歳ぐらいの時って言うと、女の子はかわいく優しくみたいな。
お嫁さんに行くんだからみたいなね。
ことぶき大社で幸せに専業主婦になって、家を支えていきましょうっていうようなのが時代だったので、
そういう頃にしてはすごい進んだ考え方を持っていた父なのかな。
確かにね。お父さんはちなみに何をされていたか聞いてもいいですか。
父は普通のサラリーマンで、関西電力っていう電力会社の経営理科。
だから頭いい人だったんで、そういう数字を扱うものすごい貴重面で、朝のルーティンなんか1分刻みで同じようなことを毎日何十年もやって無事定年退職してくれた人ですけど。
だから取り立てて父が特別、
世界に出てたらそういうわけでもなく。
そういうわけではなく。
すごいですね。
18:00
なんでそういう考えに至ったんだろうか。気になるところもあるが。
素敵ですね。
頭いい人だったし、将来の日本の社会について。
専権性があったのかな。
あったのかな。そういう話は残念ながらほとんどしたことがなく。
そっか。でも、えろこさんが美大を卒業して、その美術系の仕事の職に就いたときは、やっぱり喜んでくれたんですかね。
そうやね。喜んでくれた。喜んでくれたし、ずっと応援してくれてたかなっていう。
素敵なお父さんですね。
じゃあちょっと次の質問。今のあなたを引っ張っているモチベーションは何ですか。
私を引っ張っているモチベーションか。
やっぱりね、一番はあれかな、家族の健康。
だから、うちの旦那と他家族のみんなの健康、そのために日々大切に生きて、仕事も頑張って、生活を支えるのに、すべてのことに気を抜かないで頑張っているという、
そんな感じ。でも、とにかく明るい毎日って、やっぱり健康でないとなかなか、健康ってほんと失って初めてわかるような、なんか普通にあるんだけど、なくなったら大変なものなので、だからそこかな。
やっぱりね、この辺のコメントって、今30代40代ぐらいでバリバリやってる人だって、デザインのなんとかでこうで、もっとこういうものを作りたいとか、それこそいつか独立して自分でとかっていうお話が聞けるんだろうけど、申し訳ないんですけども、
感力にもなってきて、もう自分のエネルギッシュなものづくりの時代、それをもう越えてくると、やっぱ最後はね、多分みなさん絶対そうだと思うんだけど、やっぱその年取ってくると、家族の健康だったり、幸せな毎日だったり、最後はそういうところに終始するのかなと思って、
私自身も若いときそんなこと一切思わなかったけど、これは非常に不思議な感じですけど、そうなのかなと言っておきます。
21:03
なるほど。いや、よくわかりますよ、僕も。健康はあってですからね、すべて。まじで。
じゃあね、もう一個質問があるんで、これは人生振り返ってもらって、仕事や人生の中で今までにした最良の意思決定って何だと思いますか?
やっぱアメリカに来たことかな。ものすごい会社も辞めて、単身でアメリカに渡って、そのとき30ちょいぐらいやったと思うけど、普通にアメリカに渡られる方と比べたら結構年いってる方かなと。
学生で来られたり、社会人になって来られて、20代とか10代とかで来られる方が多いのかなという中で、後八代ですけど、人生思い立ってそんなことできるチャンスもなかなかないんで、思い切ってやって。
そういう中で、アメリカに長く住んでるといろんな方を見るんだけど、やっぱ皆さん同じようないろんな思いがあって来られて、アメリカにもっといたいと思われても、健康だったり、日本の家族だったり、ステータスだったり、仕事だったり、いろんな事情があって帰って行かれる方はすごい多いんですよ。
いや、ほんとそうですね。
たくさん帰って行かれる中で、私はラッキーにもいろんな人に助けられて、いろんな会社に開いてもらって、きちんとキャリアを作って、無事トヨタのキャリティデザインも早期退職、きちんと花道で辞めさせてもらって。
だから、非常にラッキーな生活を送れてて、これがすべての人にあるわけじゃなくて、やっぱり運とかね、縁とかね、そういうものも多分にあったと思うんで、そういうのが残念ながらつかめなかって、志半ばで帰って行かれた方もたくさんいるので、
そういう意味では非常に、今振り返ったら大変ありがたくて、いい運と縁に恵まれたのかなと。
だから、人生最大にね、やっぱり天気になったとか、自分を変えて、今になってやっぱりよかったなって思うのは、アメリカに行ったことで、行ってなかったら、今日本でどうなってたのかなとか、どんな自分かなとか、どんな生活してたのかなとか思うけど、
24:09
やっぱり行ってなかったら、たとえ失敗に終わって2,3年とか、もっと短い期間でアメリカから日本に帰ってたとしても、やっぱりやらなかったら後悔してたんじゃないかなって思うんで、
それは思い切って、それなりにね、思い切ってやることに対して皆さんに、その時の関係者だったり、家族だったり、不安だったり、心配だったり、いろいろご迷惑かけたんだけど、でも、おかげさまでやってよかったのかなと思ってます。
いやー、ほんとでもこれ何パーセントの人がね、残ってられるんだろうって、今は僕もちょっと話を聞きながら、さっきのね、アメリカにいたいけど、いろんな状況でやっぱり帰らざるを得ないっていうね。
最近でこそ来られる方少ないけど、私がアメリカ渡った頃はまだその、それこそね、バックパッカーだったり、若い人が海外に行きたいとか住みたいとか、そういう時代やったから、すごいたくさんの人が来てはやっぱり帰っていかれるっていう。
だから、友達になっても、友達は日本に帰っちゃうみたいなのすごいたくさんあって。
だから、ほんとに、残れる人、残れた人はもう一握りの人たちが残ってて、そういう人たちはね、やっぱりそれぞれの方の努力とかいろいろあるんでしょうけど、もう一言で言うと、ほんと運とか人の縁とか、そういういいものを、いいタイミングにつかめ、たまたまつかめた人たちなのかなっていう感じがします。
ありがとうございます。
まあこれでも、ちょっと日本永住帰国の話に戻していくと、年金とかもね、ちゃんとアメリカで働いて年金を払ってたやつは、日本に帰ってももらえるっていう、何年でしたっけ?25年。合算して25年でしたっけ?
やったっけ?
違うかな?20年か。
まだ私やってたんやから、詳しくは知らないんだけど、日本からもアメリカで働いてたときの年金はちゃんと請求してもらえるようになってる。
そうですよね。これもだからね、ラッキー、アメリカと日本で良かったなっていうかね、僕も思いますけど、他の国だったらそれがもしないとこもあるとは思うんですけど、じゃあ日本で帰るって言ったって老後じゃどうすんだとかね、帰るっていう選択肢がもうそこでなくなっちゃうのかとか、そういうのもアメリカで良かったわ。
27:10
アメリカの医療費が高いのはあれですけど、は思いますよね、なんか。
日本もね、永住帰国するとなるとそれなりに、長いこと海外に行って、突然やっぱ日本にボンって帰ると、外国人と同じようにいろいろ苦労するところもあるので。
逆カルチャーショックじゃないけど、またアジャストしないといけない部分もありますよね、もちろん。
日本はやっぱ紙書く文化なんで、市役所を一つにしてもね、住所と名前書いて出して、これ書いてください、また書くの?みたいなのが3回ぐらいあったりとかね。
ある。
反抗忘れたとかね。
帰国した、この間帰ってた時もやっぱね、それは感じました。
ホテルに予約してチェックインする時に名前を書かされるのがね、なんでやねんと思います。
もう持っとるやろ、その情報って。
いちいちめんどくさい。あとマッサージを受ける時とかね。
予約してるから絶対もうこの名前もメールアドレスも全部持ってるのに、なんでまた書くのこれ?みたいな。
そんぐらいでええと思ってるんやったら、ほんとは、市役所とか行くとね、一つのことを成し得るのに3、4回書くから、また書くの。
あれなんですかね、あれ。
未だしたのにっていうか、そもそも私の住所と名前知ってるから封筒送ってきたんちゃう?みたいなのとか。
ですよね、なんなんすかね、あれ。
いやもうすごい大変よ。
あの紙をまた全部、結局申請する紙だったり、ホテルのチェックインの紙だったり、向こう側みんなファイルして置いとくのかどうかわかんないけど、膨大な数になるでしょ。
だからデジタルにすればいいのにとか思うんだけど。
どうやってそれを保存しとくだけでもお金かかりますよね。
ものすごいファイルの量になると思うんだけど。
おかしなことがありますけど。
そういうこともそうだし、人間関係というかね、この人とのコミュニケーションの仕方も多少なりとも違うところもあるしね。
いろいろなんか気をつけないと失礼にあたるときもあるじゃないですか。
そうやね、アメリカは結構ほら、初めてやってビジネスシーンだっても、特にサザンカリフォルニアとかそうなんだけど、すぐ握手してハグして。
私ずっとトヨタのキャリティデザインにいたときに、いろんなメーカーさんだとか来られたり、いろんな部署の人と仕事して、握手ハグ当たり前だったんで、日本でも結構すぐしそうになるよね。
30:03
ちょうどびっくりしちゃいますよね。
うわーみたいな感じになっちゃうかな。ちょっとそれ気をつけないとっていうのと、
あとアメリカの人って他人同士でも、例えばエレベーターで一緒になったりとか、ビーチですれ違ったりとか、どこでもはいとか、今日天気いいねとかいろいろ話する。
なんかシーンってなることあんまないと思うんだけど、日本のエレベーターとか乗って、上に着くまで5,6人が乗ってて、みんなシーンって、咳払いもしないみたいな、あの緊張感。
なんか耐えられなくて、一言言っちゃいそうな感じ。今日天気いいですねとか言いそうになって、グッてなったりするし。
ちょっとね、言っちゃうとなんか変な人みたいに見られたり。
そうそうそう。だから結構日本に帰ってくると、知らない人でもちょっとなんかきっかけがあると、すごくおしゃべりになってる自分がいたりします。
これもアメリカにいた、まさにアメリカ生活の習慣なんだと思うけど。
確かにね。なるほどね。
まあでも、ちょっとまた話聞かせくださいね。
ちょっと僕、そろそろなんかそういう日本のことが視野に入ってきたので。
また個人的にゆっくり話しましょう。
お願いします。じゃあちょっとね、最後のセクションに今から入っていきたいと思います。
管理器をもうそろそろお迎えになるってお話されてたじゃないですか。
30代前半の私からすると、その年齢のリアルな今の気持ちっていうのを聞けるっていうのはすごく貴重で、すごく参考になるんですよ。
ね。
おっしゃってたけど、20代30代ってガムシャラに前を向くっていう感じだから、あんまりこう、客観してみれたらゆっくり考えられないけど。
その年になったらそういうふうにリラックスできて考えられるようになるのかな。
じゃあもうちょっと頑張ろうみたいなね。
僕はね、たぶんちょうどその間で45なので。
そうですね。
真ん中だよね。
実際ね、俺今回日本に帰って、そういうやっぱり人と話す機会もあったし、親とも話す機会もあったし。
一旦60歳、もしくは65までに日本に戻るっていうことをやっぱり目処にして生活しなきゃなって、なんか結構リアルに思ったんだよね。
33:05
だから、次のリアルアメリカ情報は年金の話しようかなって、なんかちょっと目持ってたさっき。
アメリカと日本の年金の話って結構さ、深掘ってみたいなというか、もうちょっと知りたいしね。
なんか、そうですね、みつさんの20年、25年ぐらいあるでしょ、それまで。
あと15年だよ。
え?
だって45だよ、60まで。
あ、そうか、15年か。
65だったら20年か。
おー、まあでも結構長いですよ、15年って。
いやでも、まあまあすぐだぜよ。
そう?
あ、でも確かに時間の流れ方が変わるのかな、なんか10歳から15歳、15歳から25歳ってすごい変動あるけど、
確かにな。
25から35の10年間って、そこまで前ほど変化がなかったかなって気がするんで、ここからさっきのみつさんまでの年齢もそうなのかな。
だんだん早くなってくるよね、やっぱり。
時間の経過が。
そうなんですか。
年取りにつれて、あれもう1年終わっちゃったみたいな気はするけどね。
確かにね、コロナの時期も減ってね。
まあコロナの時期ちょっとバグったけど。
確かに。
いやでも子供の頃の夏休みとかさ、もう永遠に続くような気がしてたけどさ。
そうですね。
1ヶ月だって一瞬じゃんね、大人になったら。
一瞬一瞬、ほんと、確かにね。
まあね、家族との健康みたいな話もあったけど、旦那さんのお話出てたんだけど、
実はね、きろこさんにインタビューをさせてもらうっていうきっかけになったのが、
旦那さんともともと俺は2年前に1回出会っていて、
フェイスブックでつながってて、
旦那様の方もね、デザイン関係の仕事をされていらっしゃる、
ちょっとあんま深くは知らないんですけど。
で、ひょんなことというか、去年の末ぐらいだったかな。
俺、ヴィンテージギターを買ったんですよ、旦那様から。
中古ですけどもちろんヴィンテージなので。
で、家にギター取りに行って、
で、ひろこさんと話して、
面白いインタビューさせてくださいみたいな流れになったんだよね。
まあ偶然。
で、それもさっきの話にも出てた運と縁っていう話が出てたんですけど、
縁がそこからあったりして、
36:01
面白いなと思って今思い出しながら、運と縁の話を聞いてました。
すごいつながりですね。
年を取ったからなのかわからないけど、運と縁ってあったよなって。
アメリカにやっぱりね、残れたっていう話、
残りたいけど帰らなきゃしょうがない、
帰らざるを得ない人たちもいっぱい見てきたし。
で、さおりちゃんもね、やっぱ運と縁があって、
大きいよね。
ただその運と縁をどうやって手に入れるかはちょっとよくわかりませんが、
ラッキーでしかないのかもしれないですけど。
そうですね。
まあそれとあと、お父さんがね、
お父さんがね、
お父さんがね、
お父さんがね、
お父さんがね、
お父さんがね、
まあそれと、あとお父さんの話がよかったなあ。
うん、そうですね。
寡黙で穏やかで、とおっしゃってましたけども、
まあ世界に出ていくことは後押ししてくれたみたいなね。
先見の目があるかと思うんでしょうね。
そういうお父さんとのお話も。
また次回もね、そういった話に出てきますけども。
そうなんですね。
なかなかあったかいお話があるのと同時に、
まあちょっと未来を意識したね。
来週はなので、
幸せと成功とは何ですか?とかね。
思い出の曲とエピソード。
そして最後に抜き打ち質問をしたのが、
この世で一番美しいものは何ですか?っていう質問をね。
それをデザイナーさんにするんですね。
すごいなあ。
思い切って投げてみました。
ということで。
いい質問ですね。面白いですね。
でしょ?
はい。
ちょっと顔にこぼっている。
なんで?
とりあえず楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報を、
アメリカ・ロサンゼルスよりお届けしてまいります。
はい。ということでね。
39:01
今日は僕が担当させていただくということになりましたので、
今月の放送?配信?
で、ちょっと僕鼻声気味な気がするんですけど、どうでしょう?
そう。しますします。
だよね。
今回のリアルアメリカ情報はタイトルをつけてみましたけど、
なんだっけ?
えっとですね、ちょっと待って。
アメリカにもあった花粉症というタイトル。
アメリカなんですか?
日本に行ってたから日本で拾ってきた花粉かと思ってました。
いや、俺さ、
4月の頭から終盤まで2週間ちょい日本に行ったわけですけど、
その時って日本は例年の数倍の花粉が飛んでるみたいな。
結構ニュースになってて。
今年は本当にひどいみたいなね。
そんな中、
みんなもやっぱりコロナ禍もまだ日本はね、マスクしてる人が多い。
けどコロナだけじゃなくて花粉症だからっていうのもあって、
マスクしてる人が多い。
てかもうほぼしてたわ。電車の中とかは。
99割。
そんな中俺は調子こいて、マスクせずにいたんですよ。
で、花粉症ではないんですよ。なかったはずなんですよ、僕。
だからもう別になんもないよっていう顔してね、
余裕ぶっこいて暮らしてたんですけど。
日本からアメリカに帰ってきて、
来るまでは全く問題なしなんですよ。
そんなもう花粉症ってどういう感じなの?みたいな感じ。
で帰ってきた2日目ぐらいからなんか鼻がぐずぐずするなーって。
なんか目がシワシワするなーって。
なんか頭重いなーみたいな。
で、風邪?とか思ったんだけど、
別に熱もないし、そういう感じでもないし、
でもまさかの花粉症にアメリカに帰ってきてなっちゃったパターン?とか
思って色々調べてたらどうやらそんな感じで。
調べたらあるんだよね、アメリカにも。
なんか聞いたこともありますけど、みんななんかアレルギーでくくってる気がする。
で、主にだから飛んでいる花粉が違うんだけど、
日本は杉とか、
豚草とか。
そうそう、ヒノキとかね。
が、新葉樹が主な原因となっているそうですね。
42:04
だけどアメリカでは草とか木とか、
普通の花の花粉がなるようで。
ざっくり。
ざっくりですよ。
で、きっと俺もその草の花粉。雑草?なのかな。
により、くしゃみもやっぱたまに出るし、鼻水、鼻に詰まりがメインかな。
で、もう生まれて初めてですよ、45歳になって。
アレルギーの薬を買いました。
で、アメリカに売ってる薬をね、ちょっと紹介している方がいたので、ちょっと紹介すると。
さおいちゃんはでも過剰じゃないのか。
今のとこはね。
日本でもアメリカでも。
今のとこはね。
これってさ、ちょっと話しする前に。
だんだんたまってきて、リミットに達すると出ちゃう。急に出るみたいな話あるけど。
俺らは結構20歳ぐらいからアメリカにいるから、日本の花粉っていうのは多分あまり吸ってないんだよね。
で、生きてきたから、日本に行っても全く余裕なんだよね。
だけど、アメリカに戻ってきたらこうなっちゃって。
多いと思ってるんですけど。
さおいちゃんも、まだ日本のほうが長いか、でも人生的には。
うん、まだ日本のほうが長いです。
じゃあ、もしかしたら今回もちょっと気をつけといた方がいいかもね。
確かに。
たまっちゃうとなるかもしれないからね。
ということで、僕はアメリカに住んでるほうが人生長くなったんで、アメリカでなっちゃったんだと思うんですけど。
えっとですね。薬の名前がザイザルっていうやつとか。
初めて聞いた。
え?
初めて聞いた。
ザーテック。
ザイザル。
ザイテック。
知らない。
クラリティン。
へー。
アレグラ。
アレグラは日本でもありますよね。
あ、そうなの?
うん。日本の花粉症の薬。
そうなんだ。アレグラっていうのは副作用があまりないみたいで、最初に言ったザイザルとかザーテックとかちょっと強そうなやつがよく聞くと。
副作用はでもあれっぽいから頭痛くなるとかね。
アメリカのよく聞く薬という言葉。
ちょっと怖いよね。
うん、もう本当に。
それをまで今さすがにちょっと手が伸びず、一番ゆるそうなアレグラを今買いまして。
お。
2、3日前から飲んでるんですけど。
効いてる?
ような気はするけど、ただね、これちょっとあんまりごめんなさいね。中身のないリアルアメリカですけど。
45:10
調べたらそんなぐらいの情報で、実体験をちょっと話したかったんですけど、これ多分ね、疲れてるからだっていう。
そうそうそうそう。
俺の最終的な認識に至りまして。
そう。
だよね。
それはあると思いますよね。アレルギーが持ってる子って疲れてる時に出やすくて、特に時産とか抗菌とかの前後でアレルギーが急に発症したことがいるから。
あ、まじか。
あるかも。
それだ。
でさ、薬飲め始めたからなのか、体力が戻ってきたからなのか、夜寝れないぐらいちょっとなんだこれと思ってたんだけど、
結構寝れるっていうか、夜はあんま気にならなくなってきたのね。寝れないんだけど、時差ボケで。
時差ボケで。
花粉症ではなく時差ボケで寝れないっていう認識になってきて、だからこれやっぱただ疲れてるだけっぽいぞとか思ったから、何が言いたいかっつうと、
働きすぎなんじゃねえかと思って、日本の人は。
あ、そういうこと?日本の人は実は花粉症じゃなくて。
みんな疲れてるんだよね。
あるかも。
ほんとにね、休んだほうがいいし、寝たほうがいいって。そしたら絶対花粉症のね、2,3割の人は亡くなるんじゃねえかっていう、ちょっと俺の見解、新しく発見した。
ほんとに、駐在院の方がアメリカに赴任されてきて、どんだけこの人たち働かれてるんだろうと思ったことありません?
そう、アメリカに来たら亡くなったって人も多いじゃん。
花粉症ね。
花粉症ね。あるある。
それもあんじゃねえかと思って。
まあやっぱちょっと大らかな働き方を。
そう。そこで出たね、大らか。そうなんですよ。
かな?
まあ、それがね、一応ちょっと結論見えたところなんですけど、アメリカの地域によっては、ハワイとかアラスカが花粉症の影響が少ないみたいで、やっぱ飛んでる量が少ないみたいで。
実際に俺もハワイに住んでた数ヶ月間の時に、アレルギーがひどい人がハワイに住んで日本からね、アトピーとかもね、亡くなったっていう人が結構いたから、花粉症もそうですけど。
そうなんだ。
エリアのあれもあるとは思うけど。
そうでしょうね、きっとね。
ただ、やっぱり寝もとは疲れてんだっていう結論に、この2、3日で至ったっていうね。
結局、基礎。
そうそうそう。
48:01
そこですね。
そこ。だからもうね、体を鍛えて、よく寝る。
はい、それが大事です。
という結論になりました。
そんなことでいいよろしいですかね。
はい、ということで、リアルアメリカ情報は体を鍛えてしっかり寝るということでまとめをしまして、以上となります。
はい、なので一応ね、さおりちゃんも気をつけてもらってね、日本に帰った時はね。
そうね、特に。
ただ、よく寝てれば多分大丈夫だと思いますから。
で、俺も多分ね、来週はもう鼻声終わってるはず。
この俺の観測が正しければ。
そしてアレルギーの薬はもう捨てる。
そうね、薬はできるだけ。
そういう覚悟でおります。
はい、ということでリアルアメリカ情報でした。
はい。
締めのコーナーで質問。
はい、質問。
ちょっとね、さっきリアルアメリカでちょっと言い忘れた、これ言っといても面白いかなっていうのが一つあって、
アレルギー、花粉症の薬の対策として花粉を食べるっていうのが一つあるみたいで。
はいはいはいはい。
知ってる?
アレルギーとなってるものに免疫をつけるためにちょっとずつちょっとずつならしていくって方法。
そう、だからワクチンみたいなもんだよね、コロナの。
だからミツワチが唾液で集めてきた唾液で固めた花粉を食べる。ヨーグルトとかに入れて食うみたいなね。
ものが売ってるみたいでさ。
売ってるんだ。
ハニービーポーレンって言ってポーレンが花粉のことだけど。
花粉食うんだと思ってちょっと面白かったなと思って。
ありそうありそう。
話をして。
で、質問ですけど全然関係ないんですけど。
関係ない。
今手元にはないけど、やっぱりまた欲しいなと言うか。
そういうものありますか。
古くなって捨てちゃったとか、もしくはもう消耗品でなくなっちゃったとかわかんないけど。
アレまた欲しいなーみたいな。
あのね、ないんです。
ああそう。
私そこに、物に関しては結構信念を持っていて。
はい。
物に対して。
執着がない。
そうそう、ひろこさんがおっしゃってたことすごくわかって、物はなくなっちゃうものだっていう感覚があるから。
51:03
阪神大震災の時にね、全てがぶっ壊れたっていう話をしてましたけども。
ね、おっしゃってましたけどね。
そうそうそう、そういう感覚があるので、物はもうないものだっていうか、物を持っていたくないタイプで、結構意外と物あるんですけど。
あとね、写真とかを飾りたくないんですよ。
あー、なんか言ってたね、それも。
この写真とかでも、何年も古いものとかも逆に持たないようにしてるとか、あんまり持ちたくないみたいな。
その心はなんだっけ。
その心が、なんかこれを持っててこれにしがみついてて、いいこともあるけど、それがなくなっちゃった時の失踪感とか寂しさの方が大きいかなと思うから。
でも、もう持ってなくて常に心の中で全てがあればいいんじゃないか的な。
あー、もう悟ってんじゃん、それも。
そういうこと。
それで持って引っ越してみたら、自分の物の多さに驚くという。
とは言いつつも、こんなに持ってたんだ。
こんなにあったんだみたいな。
なるほどな。
で、旦那にいろいろ言われるって、こんなに無駄ってどこに置くのみたいな。
で、みつさんは?
面白いね。
俺もね、物に執着する方ではないし、割とさおりちゃんの言ってることに近いっていうか、やっぱり物に依存じゃないけどね。
なんかなんてかね、しがみつくのは良くないなとは思うんだけども。
ただあの、俺18歳の頃だったかな、フリーマーケットで買ったベースギターがあって。
それがバンドで始めた最初の頃も10年間くらいかな、使ってたやつがあってさ。
それで曲もたくさん書いたって、ライブもたくさんやったし。
その思い出のベース8000円くらい、確かに1万円くらいで売ってて、フリーマで。
もうちょっとしたかな、でもかなり安くて。
ただ俺8000円くらいしか出なくて、金が足りなくて。
でその時俺バイトでいっぱいもらってたビール券、このビール券いっぱいあげるから、なんとかこれで譲ってくださいみたいな感じでもらったやつがあってさ。
フェンダージャパンのベースギターで結構、物は悪くないやつで。
それが使わなくなって、バンド後半になってくると新しいベースを買ったりして。
使わなくなって家に置いといたんだけど、ベースをやりたいっていう若い子が現れて、ちょっと貸してあげるわって言って。
貸したまま刈り返された。で行方不明みたいな。
54:05
それだけはどうしてももう一回ちょっと見たいっていうかね。
俺のベース今どこにあるんじゃみたいなのを知りたいんだよね。
それは儚いものだしもう唯一無二のものでしょ。
そうなんだよ、思い出がめちゃくちゃ詰まってて。
もうボロボロだけどね。
やっぱその時に撮ったCDも聞くとさ、あの時のベースの音だとかって思い出したりするし。
なんか番組とかでさ、このベース探してくださいみたいなやつあるじゃん。
あるある。
あれやりてーと今ふと思った。
もしくはこれを聞いてて俺のベースを持ってたら、黒いフェンダージャパンのですね。
多分アメリカにあるはずなんだけど。
アメリカにあるんだ。
ステッカーペタペタ貼ってあってね、なんて言えばいいんだろうな。
何回も落としてるから下の方が黒い黒のベースなんだけど塗装が割れちゃって取れてるみたいなね。
この手がかりじゃわかんないか、さすがに。
でももしそれがちっちゃいライブハウスとかで見つかったら。
誰か弾いてたりしたらね。
超感動する。
バビルよねそれは。
それ俺のだけ撮るつって。
バビル?何の詩だったらしい。
そういうしょうもない話でした。
ということで今回お届けしたインタビューとリアルアメリカ情報のインフォメーションはブログに掲載しております。
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お便りレビューもお待ちしています。
ちなみに話をちょっと変えると今思い出したんですけど、今回日本でお一子に会いまして、
お一子にこの番組のことを教えたら、今ボリュームなんとかまで聞いてるよってこの間LINEが入ってきて、
ちょっと嬉しかったのでお一子の話をここで出しておきます。
これを聞いてたらいいな。
ということで詳細はウェブサイトを見てね。
ということで今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
また来週お会いしましょう。
じゃあね。
56:44

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