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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また、各協会のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
【河村】振り返って、僕、本を読んでみたものがあって、そこに出てきた話なんですけど、
【河村】東急ハンズってあるじゃない?
【河村】あれのハンズってさ、なんだと思う?
【河村】あれ、やっぱ知ってた?
【河村】いや、それが、あ、そうなんだ。
【河村】むしろなんだと思ってたんですか?
【河村】何の意味もないのかなと思ってて、よくわかってない。そんなこと考えたこともなかった。
【河村】東急ハンズのハンズってハンドかって、この間。
【河村】ひらめきじゃなくて、本に書いてあったんですけど。
【河村】そこそこ、ひらめきじゃないわ。なんだっけ?
【河村】それ当たり前のことなのか?俺ちょっと今、自分のアホさをここでさらしてますけど。
【河村】まあ、それはいいんですけど。
【河村】東急グループの中で、事業として立ち上がるときの企画書に書いてあった文章を読みますね。
【河村】このプロジェクトが始まるとき。
【河村】手を通じて新しい生活のありようを提案し、文化の本質的な復元を願って企画されたと説明されてると。ここからですよ。
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【河村】なぜ手なのか。それは彼が、彼がっていうのは浜野さんっていう人のことなんですけど。浜野さんが。
【河村】あらゆる文化は手によって作られる。真の創造は、創造ってあのクリエイティブの方ね。最終的には手によってなされる。
【河村】手を忘れることは文化の原点を忘れ、人間性を見失うことと考えたからである。
【河村】だから手は大事だっていうことで東急ハンズ。
おーそう言われたらめちゃ面白い。
【河村】でしょ。ほんでさ、日本の文化っていうのはもう職人技とかをいろいろ考えたりとか。
先週話したお茶の話じゃないけど、茶摘みの手とかさ。
手、別に日本じゃなくてもそうかもしれないけど、手ってあらゆるものの創造の原点って言われるとさ、すげー納得じゃね。
【河村】ほんとそうですね。
とか思って、すげーこんな深い意味があったんだと思って、それでハンズかっていうのがめちゃくちゃ刺さったんだけどさ。
【河村】そうね、食べ物は私たちは欠かせないものですけど、食べ物を作るのも手で作ってるんですね。
そう、物を書くでもそうだし、楽器を弾くでもそうだしさ、手ってすげーぞと思って。
面白い、面白い。
面白いでしょ、でも東急ハンズの名前でそんな深いものがあったって知らなかったでしょ。
やっぱりコーコレートの大事な名前っていうのは、そういうストーリー性があるのがいいですね。
ね、これ俺もう一生忘れないと思う、東急ハンズのこと。
ちゃんとロゴ見てください。
そりゃ40、今俺何歳だっけ、43歳にして初めて知ったんですけど。
そんな話でしたが。
いいですね。はいはい。さあではでは本編に入っていきたいと思いますが。
一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしておりますこの1%の情熱の物語。今回はUXデザイナーをされていらっしゃいます宮沢愛さんのインタビューの第2回目となりますがどんなお話ですかね。
はいえーっとですね前回まではそのUXデザイナーってどんなお仕事とかまあ愛さんの趣味とかね。
雑談を大事にしているとかってそういう話をしてたんですけど、今回がですねもうキャリアアップを考えている方必聴のですね。
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キャリアディベロップメントの鬼みたいな話です。
まあまあちょっとあのあんまりこれ言いすぎるとあれなんでまあそう本編を聞いていただいた方が。
早速聞いていただきましょう。
はいじゃあちょっと今から過去のお話をね伺っていきたいんですけども愛さんのお生まれがまず東京と伺っておりますが、
はいちょっと東京都の外れで生まれ育ちました下町の方の隣の隣は埼玉っていう感じのエリアなんですけど。
はい。どんな幼少期を過ごされたんですか。過ごされたんですかっていうかまあどんな子供だったか聞いてもいいですか。
私はおとなしい子だったと自分では思ってるんですけど。
おとなしいって言うとこうあんまり外に出てキャーキャーやる感じではなく。
そうですねちょっと冷めたところがある子だったんじゃないかなと思ってます。
それはどういうこと?教室の中で本を読んでみんなとは一緒に遊ばないみたいなそんな?
いやいやいやそこまでは行かないですけどそんなに運動も得意っていうわけではなかったのでどちらかというと室内遊びの方が好きだったのかなっていう感じですね。
なんか好きだったこととか。
私は中学時代ずっと吹奏楽部をやっていて打楽器をやってたんですけど。
打楽器ってドラムっていうかこのボーンって。
ドラムもありますし。
アカションか。
木琴とかね。
その部活が結構厳しい部活で大会で賞を取るぞみたいなところに振っていっていたところだったんで。
夏休みなんかは部活の思い出しかないみたいな感じでしたね。
そうなんですね。実際それはでっかいホールで賞をしたりとか。
はいコンクールに毎年行っていて後はマーチングバンド的なこともやってる格好だったんで。
楽器を背負って打楽器重いんですよね。
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重たそう。
自分の動きを覚えて演奏しながら歩くみたいな。
歩きながらねテケテケテケテケテケってやってますもんね。
それは何野球部とかの応援とかそういう。
いやじゃないんですよ。
マーチングだけのコンペみたいなのがありまして、それに毎年向けて出てたっていう感じでした。
楽器一番重たそうだな。
そうですね。でもその時の感じからなのかな。チームで何かを一緒にするっていうことがすごく好きなのはそこから来てるのかなって思いました。
なるほどなるほど。
じゃあ何かこう達成感とか、やったぞみたいなのはその辺で体験をされたんですかね。
そうですね。毎年のコンクールの後とか、昭和どうであれ今年も終わったみたいなところが。
でもねほんとみんなで一つのものを作るってことですもんね。
ただその反面私高校と大学は何も部活に所属してなかったので、そこで燃え尽きちゃった感があるんですけど。
そうなんですか。
帰宅部です。
その頃でも好きだったものとかなんかあるんですか、中学高校の時。
帰宅して何をしてたんですか。
帰宅して何をしてたんですか。
吹奏楽部のおかげでというか、吹奏楽部の演奏を入学試とかそういう時にやるんですけど、それを見て僕たちのバンドを一緒にやらないかって言われたことがあって。
高校の2年生ぐらいまでですかね、入ってちょこっとの時期はそれを続けてました。
どんな系のバンドなんですか。
当時は年齢がバレますけど、ラルクアンセルとかの、グレイとかが前世紀だったので、コピーの曲をやってました。
楽しそうじゃないですか。
なかなか面白かったですね。
そっかそっか。それはでも辞めちゃったんですか、高校2年の時に。
メンバーがもうちょっと音楽にやりたいみたいな感じになったので、ちょっと私はそこまで真剣には考えられないって言って。
なるほど。そっかそっか、まあでもじゃあ打楽器やってたし、ドラムでってことですね。
何気にやってたんですね。
えーそうなんだ。そっから、ちょっとアメリカに来るの、僕ねちょっと皆さんに聞きたかったのは、何かその衝撃を受けた出来事とか、青春期じゃないけど、なんかその多感な時期とかに何かありました、そういうエピソードみたいなものって。
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人生の転換期になったなみたいな。
もちろん留学をしようとしたのが一番展開もあったと思うんですけど、私は高校の時に一回ニュージーランドじゃない、オーストラリアにステイに行ったんですね、初めて。
高校何年生の時ですか。
2年生だと思います。3年生ってことはないと思う。
あーえー。どれくらいの期間。
夏のキャンプみたいな感じだったと思うので、2週間とかですかね、初めてホストファミリーとそこで話して、一緒に生活するとか、違った文化の人たちと触れ合うのが初めてだったので、そこからですかね、海外生活に興味を持ち始めたのが。
なんかそれは衝撃を受けたというかなんか。
いやこんな世界もあるんだなっていうのが、今までの自分の世界とは全然違う面白いっていうので、次に大学に入った1年目ですかね、私ICUに行ってたんですけど、ICUの1年目って大体みんな学校のプログラムで海外に語学学校に行くんですね、休み。
はい。
なんですけれども、私は何を持ったのかちょっと覚えてないんですが、自分で行こうと思って、そのタイムを取る代わりに自分で自分の行き先を考えてもいいんですね。
で、フィラデルフィアの語学学校に行った。
フィラデルフィア。
ちょっとマイナーのところを選んだんですけど。
フィラデルフィアってどこだっけ。
テンシルバニア州です。
東海岸ね、ニューヨークの近くですね。
なるほど。
それもすごく面白かった経験と、私はそこで台湾系の方々とすごく仲良くなって、今でも繋がってるような友人がそこでできたっていうのがすごく大きかったんですね。
その方たちも語学留学に来てた方たち。
はい。大学の2年生になると、これもICUの学校としてやってるプログラムがあったんですけど、学校のサマースクールに行くんです、2年生は。
もう語学留学ではなくて、海外の学校のサマースクールの授業を受けに行くんですね。
私も2年生の時もその学校のプログラムには乗らず、UCSDに行きましたと。
サンディエゴ。
はい、UCサンディエゴに行きました。
なんか偉い、いろんなとこ行ってるな。
そうなんですよね、なんか思い立ったら、行かせてくれた母が本当にありがとうっていう感じなんですけど、いたので。
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それはなんかでも、いろんな場所を見てみたいっていう好奇心なんですか?
そうですね、大学の時に限って言えば、1年目に面白かった語学留学から、そこで結構大学に進学する子たちも一緒に、日本人の子たちが何人かいて、
その子たちがもう本当にしっかりしてて、アメリカの大学に行くんだっていう信念を持って、
英語の学習もすごく真剣にやっていたっていうのを見たので、
アメリカの大学面白そうだなと思って、次の年につながったっていう感じですね。
その時はでも、
まだ2年目でサマースクールにいた時は、本当にきつかったんです。
本当にきつくて、もう2日後に5枚レポート上げてこいみたいなのって、それまでの生活ではなかったみたいな。
そうなんだ。
じゃあ結構そこで、挫折じゃないけど苦しかった思い出がある。
はい、挫折のナンバーワンみたいな感じですね。
ただもうちょっと大きい挫折は大学院の時に来るんですけど。
そうなんだ。最初の挫折ってやつね。
3つみたいな。
なんかでもその時は、自分の興味のある、その時デザインをすでにされてたんですか?
全くやってないんですよ。大学に入った当時は日本語教師になりたかったんですよ。
全然違いますね。
なんですけど、その2年目のサマースクールにいた時にマスコミ学を受けたんですね。
マスコミ学っていうのがあるんですか?
マスコミュニケーション、イントロダクションというマスコミュニケーションみたいな授業を受けて、
マスコミって面白いなと思い出したんです。
当時は日本の大学でマスコミ学とかは専攻としてなかったんですね。
少なくともICUではその当時はなかったんです。
なのでこれは留学しようかってなって、コミュニケーション学科に3年次から編入して
留学生活が始まりました。
その場所は?
ペンシルバニアですね。
それがそうなんだ、ペンシルバニア。
でも、マスコミ広告代理店がすごい花型業種みたいな時代ですかね。
そうでもない?
そうですね、憧れの業界のランキングとかには入ってたのかなと思うんですけど。
そうですよね、キムタクがそんな役でドラマやってましたよね。
歳がバレるな、僕もたぶん同じくらいのような気がするんだけど。
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ラルクですか?
その辺りなんで。
それでマスコミって繋がってるってことですか?
そういうことなんですね。
その時に考えたのは、日本語の先生ってもしかしたらリタイアしてからとかでも目指すことができる気がすると思ったんです。
ただマスコミは今しかできないなって思ったので、マスコミに舵を取った感じで。
流行とかトレンドとかを扱うシーンは?
何かをコミュニケーションするっていうところがやっぱり一番好きだったのかな。
なるほどね。そこはでも今の仕事にも繋がりますね。
そうですね、そこからだんだん夢が出てきたんですけど、ちょっとそれまでの人生で夢ってあんまり考えたこと私なかったんですよ。
幼稚園の時にみんなケーキ屋さんになりたいみたいなのもあるじゃないですか。
私今は何にも思い浮かばないんですよね。
何か言ってたのかな。
まあ適当に書いたとは思うんですけど、そこまで思い入れがあったものじゃないんですよ。
まあね、でも漠然としてはいましたよねみんなね、花屋とかケーキ屋とか。
普通にだからそんな時にカチッと夢がある方が珍しいんで。
まあでもだんだん固まってきたっていうか、こっちの方向だな、こっちの方向だなみたいな感じで進んできたっていう。
そうですね、そこからマスコミに軸足を変えようかなと思った時に、
もう絶対に広告業界に行きたいって思ったのは、大学を卒業してニューヨークでインターンをしたんですね。
その経験が本当に大きいです。
それはちなみに広告代理店なんですか?
はい、アサツーDKさんのニューヨークのオフィスでインターンを3ヶ月させてもらったんですけれども、
その出会いがすごく大きかったんですよ。
アサツーDKさんのニューヨークのオフィスでインターンを3ヶ月させてもらったんですけれども、
その出会いも結構面白くて、電話帳なんです。
就職活動をしに、友人とニューヨークに何回か行ったんですけど、
その合間に木の国やか何かに行ったんですね、ニューヨーク。
で、なんか日本企業の電話帳みたいなのがあって、パラパラめくってたんです。
そしたらADKのところでインターン募集って書いてあるんですよ。
なんでまた電話帳に書くことにしたかちょっとわかんないんですけど、そこに書いてあって、
担当の方のEメールも書いてあったので、そこでメモって、
Eメールをして、インターンを獲得したっていう感じでした。
すげー、しかもADKっていうね、めちゃめちゃストライクじゃないですか。
いろいろなところにチャンスが転がってると学びます。
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はい、学びます。いや、その当時はまだ広告業界って狭めてはいなかったので、
ああ、そっか。でも面白そうだなみたいな。
インターン経験が本当に広告しか行くもんかっていう感じ。
え、でもその時のインターンってどんなことをしたんですか?
リサーチのサポートだとかそういうことだったと思うんですけど、
その時に本当に面倒見てくださった方はめちゃくちゃメンターもしてくださって、
そこから私はその方の勧めで、日本の新卒の教育ってすごく貴重だから、
ニューヨークにそこまで思い入れがないなら、まず日本で経験を積むといいと思うって言われたんですね。
特に広告をやりたかったら。
新卒として日本で就職して勉強したほうがいいと。
で、そこからそうかそうだよなと思い始めて、エントリーシートとかを書いてたんですけれども、
それももう全部その方が見てくださって、添削とかしてくださって。
めちゃめちゃいい人ですね。
もう頭が上がりません。
ちなみにアサツDKさんの日本試乗は受けられなかったんですか?
受けました。最終で落ちました。
あ、そうなんですか。ごめんなさい、なんか変なこと聞きたくなって。
いえいえ、大丈夫です。
そうなんだ。その方のパワーを持ってしてもそこはダメだったんですね。
インターンの時にもう一つちょっときっかけというのが、ビジネスへの興味っていうのがそこから出たんですね。
ビジネス。
今までは私はコミュニケーションコミュニケーションと思っていたんですけれども、広告でビジネス面に触れるっていうところがあったのと、
インターンの初日にいきなりタイムズスクエアに行こうってそのメンターの方がおっしゃって、
社会科見学みたいな感じでタイムズスクエアに行ったんですね。
ニューヨークの人通りが多いところね。
タイムズスクエアの一番の人通りが多いところを見下ろせるようなところに連れて行っていただいて、
そこでちょっとその下のタクシーを見てごらんって言われて、
このタクシーが1日にどれだけの売上を上げるかちょっと計算してみてくれっていうちょっとコンサルの。
なんかドラマに出てきそうな。
お話をしたのをすごく覚えてるんですけど、そこでもう全然そういうビジネス感覚ってなかったので当時。
じゃあ1区間はだいたいこのぐらいの金額だから休憩も考えてこのぐらい何億できるかなみたいなところを話し合いながらちょっと深めてくださって、
で計算をしていくうちにこういうことねって思ってビジネスも面白そうだなってそこから。
こうなんか社会の仕組みみたいなものをこう、なるほどね。
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その方今何やってんだろうなんか気になるな。
ニューヨークにいらせると思います。
そうなんですか。
じゃあ本当に結構素敵な出会いだったんですね、それが。
そうですね。
人生の転機というか。
インターン中にまた会った、日本側で働いていて会った方がいたんですけれども、その同じくらいの年齢の女の子で、
彼女もそこからずっとアメリカに来たのかな、どこかのタイミングでアメリカに来て今もアメリカにいるので、
その時の縁から未だにつながってよく話したりしてるんですね、この頃。
そうなんですね。面白いですね、そういうの。
いろいろなご縁が。
ね、でもコミュニケーションだもんな。
それでじゃあ日本に帰って、新卒で就職された場所がどんな業種になるんですかね。
外資系の広告代理店でした。
電通グループの中の外資の会社だったんですけど、そこで1年半、2年ぐらいですかね、
働いてました。
それは何か自分の求める仕事だったんですか。
はい。広告の企画から実際の広告に落とすところだとか、
広告といってもイベントのプロジェクトとかもよくやりましたし、
あとはPRの部分、編集にやったりとかしていて。
ちょっと今ね、ちょっとね。
雑誌広告をやることが私は一番、ファッションのクライアントさんを担当してたので多かったんですけど、
新聞広告をやったりだとか、屋外広告、あとはイベントのプロジェクトとかもやりましたし、
あとはPRの部分、編集にやったりとかしていて。
ちょっと今ね、ちょっと今電波が悪かったんですけど、広告といってもかなりお願いします。
はい、広告、イベントですとか屋外広告ですとか。
はいはいはい。
あとは屋外広告、あとはイベントの裏方だとかっていうのも広告代理店の仕事なので、
はい。
プロジェクトマネジメントみたいなところをそこで学んだと思ってます。
なるほどね。いやでも本当にそれみんなが憧れる仕事っすね。
しかも屋外広告とかなんて金額もめちゃくちゃでかいですよね。
いや面白いですね。
屋外広告は検出するときに、今はもうデジタルなのでそんなことはしないと思うんですけれども、
当時は大きいものをプリントしてそれを貼り替える作業みたいなのがあったんですね。
それが深夜にやるんですよ。
私たちそれに立ち会いをしなくてはならなくて、結構寒かったのが覚えてます。
面白かったですね。
そのキムタクのドラマでそういうシーンがあったような気がするわ。
夜中に貼り替えて朝日が昇ってきた時にパーンと広告が出るみたいな。
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写真を撮ってクライアントさんに送るみたいな仕事だったんですけど。
それはそれで楽しそうだけど、大変ではありますよね。
その後は転職をされたってことですか?
そこでクリエイターさんと仕事をすることがありまして、
私は営業として働いてたんですけれども、
クリエイティブのところは全く知らなかったんですね。
なので、私ができたことといえば、
クリエイターさんの言っていることをそのままクライアントさんに伝えることしかできなかったんです。
その間に挟まって、まあ伝言ゲームじゃないけど。
ちょっと考えて、これって私の何もバリーは加えられてないなと思うようになって、
さらにクリエイティブのところがもうちょっと分かる営業になりたいなって最初は思ってたんです。
なるほど。
で、ちょっとアメリカに未練もあったので、グラフィックデザインの専門学校に行くことにして、
自分でやるのが一番理解するには早いだろうみたいなところから、
グラフィックの道に行きました。
そこからデザインに入っていくんですね、じゃあ。
はい。
じゃあ本当にそれまでは、今はUXデザイナーという肩書きですけどね、最初に話しましたけど、
そこまではデザイン畑ではなかったってことですもんね。
そうですね。もうちょっとビジネス面から行きました。
これからもビジネスの方にまた振り返るっていうのを。
戻したいな。あ、そうなんだ。
そうなんだ。
じゃあそれをデンツグループさんの会社から、
そこからまた、あれなんですか、学校に行かれたってことですか。
はい。グラフィックの専門学校に。
それがアメリカ?
はい。ロサンゼルスにそこからは来ました。
で、どれぐらいいらっしゃったんでしょうか。
学校自体は2年だったんですけれども、
その後に日系企業の米国進出支援の会社に就職をしまして、
4年ぐらいですかね。合計6年ぐらいいたと思います。
なるほど。結構長かったっすね。長かったっつーか。
その次はちなみに。
そこからまた日本に戻りました。
ほう。行ったり来たり。
アメリカで就職試験を受けて、幸運なことにある会社のオファーをいただいたので、
日本に戻ることに決めて、働き始めたんですけど、
そこからなぜかコンサル業界に行きましたと。
これも有名なデロイトさんですけども、デロイトデジタル。
デロイトデジタルっていうと何が違うんですかね。
どの辺が主な業務になるんですかね。
はい。私がジョインした時期にできたのがデロイトデジタルっていう部隊だったんですけれども、
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もともとコンサルの会社なので、デジタル分野に強い人間は、
コンサル担当としていたんですね。
そのコンサル担当たちと、デザイナーさんと、エンジニアさんの採用を始めて、
その組織の中で物を作れる組織っていうのを作り始めた時期だったんです。
なるほど。開発チームをそこで作ったってことですね。
それはでも、企業さんが使えるようなソフトウェアだったり、そういうものを開発していくぞみたいな感じなんですかね。
今はちょっとデロイトデジタルって名前はなくなってしまってると思うんですけども、
やっていることを受け継いだ組織は、今は。
それは何年ぐらいの話なんですか。
2014年ですね。
なるほど。
広告の方に、コンサル業界と広告代理店の垣根がだんだんそこらへんから、
曖昧にというか、
そういう形になってきています。
今となってはほぼ全てのコンサル会社が持っていると思うんですね。
まあね、そっちの方に今でこそDXとか言われてますけど、
今のところは、
デジタルの組織みたいなものを持つ会社がほぼ全てのコンサル会社が持っていると思うんですね。
まあね、そっちの方に今でこそDXとか言われてますけど、
ならないと何にでもかかってきますもんね。
はい。
でも本当になんか、
キャリアディベロップメントっていうか、
ホップステップっていう、
なんていうんですかね。
こっち行って次こっち行ってみたいな、
ふうに見えるんですけど、経歴を見ていると。
それってなんか自分から、
部分はあるんですかね。
いやー、ちょっとその時の興味みたいな形です。
分野も場所も結構いろいろね、あらゆるところに飛んでいるというか。
そうですね、一気通貫という感じではないですね。
そうですよね。
核として私があるかなと思うのは、やっぱりデザインとビジネスというか、
両方が関わる領域にずっと来たなとは思ってます。
なるほど。
いやー、でもそれをなんかね、狙ってまんべんなくやってたのか、
そのまま興味の赴くままにやってたのかみたいなのは気になると思うんですけど。
後者でございます。
そうなんですね。
そもそもね、今関わっているプロダクト組織というか、
結構新しいものだと思うんですね。
おそらく私が大学の時なんかに、プロダクトマネジメントですとか、
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プロダクトデザインだとかっていう分野は存在しなかったというか、
確立はされてなかったと思うんです。
なのでその時にこれをやろうと思って、
どんどん業界も変わっていくうちに、
自分の行く道もだんだん変わってきて、
それが何かうまいことを浄化してくれて、
今のところに至るような感じです。
なるほど。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
そうですね、そのデロイトさんに何年くらいだろう、デジタルさんに。
2年半くらいですね。
で、その後に現在の仕事になると。
大学院が挟みます。
その後にそうか、大学院がまた。
結構本当にいろいろあるしね。
いろいろあるんですよね。
仕事して学校行って、仕事して学校行ってみたいな。
はい。人生100年って言われている本があるじゃないですか。
はい。
人生これから長いから、勉強しながら新しいスキルをつけて、
またキャリアチェンジをしていっていいんだみたいなことが書かれていて、
もう本当に救われました。
地で言ってる感じですね、もう先に。
まあでも本当そうだよな。
別にね、いつが遅いとかっていうことは本当にないですからね。
だといいんですけど。
でもそのメンタル的にもね、やっぱり体力的にもパワーがいりますよね。
違うことをまた始めるっていう。
また場所も違うし、分野も違うしみたいなことを。
決断は、それはだからデザインの学校に行くわけですよね。
大学院ですか?
まあ大学院というか、デザインというかMBAか。
デザインMBAと言われる。
その頃からだんだんデザイン志向が、
こう裸に叫ばれるようになってきたところで、
私はその考え方にあった時に、これだなって思ったんですね。
なるほど。
なんか自分が今まで歩いてきたものが、ようやくつながるような気がして。
これだと思ったんですけれども、
やりたいとは言えるものの、
ここら辺強いとは言えない状態だったので、
もともとMBAって前から憧れはあったので、
それが取れる。
ただし、デザイン志向を軸とした学校っていうので、
前からそこら辺はちょっと計画的でしたね。
アメリカを離れてデロイトに入る頃から、
やりたいなとは思っていて、
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受験いつかしたいなとは思っていたんです。
へー。
そっか。
タイミングを見計らってたというか。
はい。
そういうものもありますし、
その当時はいつかみたいな感じだったんですけど、
だんだん、
もうこれって仕事の中でも使えそうだしって思い始めて、
でも今だっていう決断をして。
はい。
さすがにここから何年か待って、
キャリアチェンジっていうのが難しいだろうって思ったのが大きかったです。
うーん。
それでサンフランシスコに行かれると。
はい。
で、そのデザインMBAを、
そうです。
これはサンフランシスコのオフィス勤務、
に就職されたっていうことなんですかね。
はい。
なるほどー。
いや本当にね、この、
多種多様な、
いろんな、
いろんな、
いろんな、
いろんな、
いろんな、
いろんな、
いろんな、
多種多様な、
生き方というかね。
いや行ったり来たりしすぎてると思います、自分でも。
いやいや、別にでもそれはしすぎるに、
こうしたことはないっていうか、いろんな、
場所のいろんな分野のことを知ってる方が、
やっぱりね、知見も多いだろうし、
ネットワークも広いだろうし、
いいことしかないような気がしますけど。
そこで先ほど話した、
人とのつながりみたいな、
雑談をしたいんだよみたいな話につながってくる気がするんですけど、
いろいろなコミュニティにいたからこそ、
そのコミュニティコミュニティで仲良くなるグループがいるんですね。
で、私は人とのコミュニケーションって、
何かをやらないと忘れてきてしまうものだと思ってるので、
たまに話しかけたりするのが比較的得意な方だと思うんです。
意識的にもしてるし、
やる方なんです。
だいたいどこのグループにも仲良い友達がいるので、
その方たちからの刺激っていうのがすごく多いんですよね。
確かにね。
そういうのになっちゃうともったいないしね。
今はSNSとかでも、
一言コメントちょっと書くとかね、
本当にちょっかいは出しやすいというか、
そういう環境でもありますもんね。
はい、板倉さんとお会いしたのも一つのミートアップだったじゃないですか。
そう、そうですよね。
そうなんですよね。
僕ね、まだ直でお会いしたことないんですけど。
そうですよね。
そうですよね。
でも本当にそういうのはね、
39:00
やるとやっぱり情報、新しいものが入ってきますもんね。
はい。
僕もちょっとやろうと思いました。
いっぱいやられてるじゃないですか。
そうですね。
ありがとうございます。
今から仕事の深掘りをしていきたいと思います。
はい。
いろんな業界を経験されてるんですね。
その業界もそうだけどさ、場所も。
確かに。
さあ、フィラデルフィア。
あ、じゃあその前のオーストラリア。
うんうん。
で、フィラデルフィア、サンディエゴ、ニューヨーク、サンフランシスコ、LA。
おー、面白い。
で、仕事も学校も結構いろいろ。
本当にこれ一言では語れないぐらいの幅広さを持ってますよね。
なんかアメリカに来てから思ったのは、やっぱりアメリカって州ごとに別の国みたいに文化も人種も違うじゃないですか。
そうなんだよね。
そうそうそう。だから受け入れられるデザインとかっていうのもやっぱりその人種とか部類ごとに違ってくるから、やっぱり知ってるっていうのは強いでしょうね。
それを体感してるっていうのは強いと思う。
その知識で知ってても絶対にこうね、体で覚えるみたいなさ、あるもんね。
感覚。
実感というか。
体感すること、実際に感じることっていうのに勝ることはないでしょうからね。
本当すごいわ、このキャリアディベロップメント。
ご自身はね、最後の方にちょっと言ってたけど、特に意識してたというよりは興味の赴くままにっていう感じで言ってたけど、結果的に今の仕事にすごい役に立ってるだろうし、そこ繋がってるなって思うよね。
スティーブ・ジョブスの話じゃないけどさ。
うんうんうん。
なんかアイさんみたいに勉強して仕事してまた学校に戻ってっていうスタイルってアメリカでは結構普通じゃないですか。
でもやっぱり日本にいるとそういう感覚ってすごく稀だから、特殊に見られるけど、やっぱりそれってすごく、仕事をしてから学校に行くっていうと何を実際に学んだらいいかっていうのが分かってるから。
そうだね、確かに。
うん、強いと思う。いいと思う、その形っていうのは。
42:05
だから選択肢は本当にいろいろあるよっていう。
うんうんうん。
ちなみに僕がね、言わんとしてた、キムタクが出ていた広告代理店のドラマは、ラブジェネレーションっていうやつでした。
それ知らないかな、坂口さん。
ラブジェネ、懐かしい。すっごい前ですよね。
1997年。
あれ、美容師の話?キムタクが。
それは多分ロングバケーション、あ、違うわ。
その時、そっか。
ロングバケーションとそのラブジェネレーションは、ラブジェネレーションの方が後でやってて、ロングバケーションもすごい流行ったんだよね、多分。
ですよね、きっとね。
まあまあその時にだから、主人公が広告代理店に勤めてて、なんかそういうね、シーンを覚えてるんだよね。
雪の山の上の看板、広告看板がそのキムタクが手掛けた仕事のやつで、朝起きたらバーンって変わってるみたいなのがシーンがあってさ、なんか感動、俺もなんか感動した記憶がある。
別にそれで広告代理店とか広告の仕事したいとか全然思わなかったけど。
結局、結果僕は広告営業してましたけどね。
いや、花形ですよね、やっぱり広告は。特に当時ね。
まあね。今は本当にでもコンサル業界とは垣根がなくなってきたって言ってたけど、
そう、すべて。
これほんとね、ソーシャルメディアもそうだし、もうほんとすべてにおいてぐちゃぐちゃになってきてる感はあるよね。
いやー面白い時代だなって思いますよね。
それをだから面白いと捉えられるか、もう訳わかんねーってなっちゃうか。
そうね、それこそちょっと話はずれますけど、結構私YouTubeを見ることが多くて最近。
っていうのも日本の芸能人の方にYouTubeを見ることが多くて、
でもみんなYouTubeで自分のものを解説してるから日本の芸能事務所っていう概念が今なくなってきてるじゃないですか。
あ、そこの事務所に所属しているという概念が。
そうそうそうそう、吉本とかジャニーズとか大手からみんな退所して事務所を辞めて自分で独立したりっていうのもすごく多くなってきてるから、
そういう垣根とかテレビ局とかなくなってるし、全部がぐちゃぐちゃになってる。
ぐちゃぐちゃ万歳。
そういう時こそね、例えばUXデザイナーとかもそうだけど、
必ず何のアプリケーションを取っても何のサービスを取ってもインターフェースって絶対に必要だしUXって絶対に必要だから。
45:10
そうだよね。
間違いない需要がすごく常に高いお仕事ですよね。
デザインかけるビジネスが関わる領域っておっしゃってましたけど。
本当面白い。
でも本当はUXデザイナーとかになりたいっていう人とかがね、俺最近ちょうどそういう方がいたんだよね。
で、どうしたらいいんですかみたいな相談みたいなのを受けて。
ちょうどインタビューしたからこれ聞いてって言って終わっちゃった。
本当にこういう道もあるよっていう風に教えてくれるような。
結論じゃないけど、なんとなくやっぱり自分の興味があることに邁進すればいいんだなって素直に思うよね。
そこがポイントですね。
だってもう将来なんか絶対予想できないしさ、むちゃくちゃすごいスピードで変わってるからさ。
本当よ。
狙ってたって全然違う世界になっちゃってたりするもんね。
そうよ。銀行に勤めておけばOKだった時代じゃないですからね。
だからもうやりたいことはやるという結論に。
結論じゃないけど、安心してそうすればいいんだと思えるよね。
本当そうだと思う。
時代の流れをちゃんと見るっていうことですね。
もちろんそうだね。
面白い。
では次は?
次がちょっと仕事の掘り下げですね。
UXデザイナーでその仕事の哲学って何ですかとかね。
あとメンターさんの話も出たけど、その仕事へのモチベーションとかね、そういう意識的なところとかをちょっと掘り下げて伺っております。
はい、ということで楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報。
いいよ。
このコーナーはですね、ロサンゼルスより最新のビジネス生活情報をお届けしてまいります。
今回はインタビューということでですね、プレミアムスポンサースカイヤス様のご提供という形で、短期でインターンをされていらっしゃる方にインタビューをさせていただきたいと思います。
今日のゲストスピーカーは渡部さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
48:00
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
短期ということで、12月に来た短期のインターン生ということですけど、まず最初に簡単に自己紹介をお願いできますか。
はい。大学4年生で、今年の11月からニューヨークに来て、今2月なんですけど、3ヶ月間ニューヨークでインターンをしている森下あたりです。
2020年の11月からか。
そうですね、2020年の11月の後半ですね、20日にこっちに来て、そこから今までいるって感じです。
3ヶ月ぐらいいるんですかね、そしたら。
そうですね、3ヶ月ちょうど。でも来週、今週末か、今週末に帰国予定なんですけど。
あら。
ちょうどもう最後のインターンの週ってことで。
なるほどなるほど、じゃあもうまさに総括を頭の中でしている状況ってことですね。
そうですね。
そうですね、実際にされているお仕事ってどういうお仕事なんですか。
そうですね、コンサルタントの仕事をしているんですけど、具体的には日本企業がアメリカの市場に入ってくる上でそのお手伝いをする仕事っていうのをしていて、
例えばそのためにアメリカ市場の調査だったりとか、日本企業が持っている製品をもう一度アメリカ市場にフィットするような形に変えるお手伝いをするとか、そういった仕事をしています。
なるほどなるほど。
具体的な業務内容っていうのはどういう感じなんですか。
そうですね、具体的に自分がやっていることとしては、個人からのお客、例えばネットとかでアメリカの国内に住んでいる方々からネット注文とかが入るんですけど、
その注文を受けて、在庫がその会社にあるので在庫から物を引っ張ってきて、ちゃんとパッキングして、そこまで行って配達するとか、そういうパッキングとかそういう仕事をしたりとか、あとは日本の企業とやり取りすることもあるので、
その際のメールの翻訳作業だったりとか、そういうことをいろいろ他県にわたってやっているんですけど、主にはそういうことをしています。
じゃあ日本のものをアメリカで販売していらっしゃるECサイトで注文が入った時にそれを準備すると。
そうですね。企業としてはいろんな形で物を売っているんですけど、自分が担当しているのはそのECサイトでのB2Cのお客様への対応という感じですかね。
51:11
コロナが始まってから特にECの需要は大きくなったから忙しいんじゃないんです?
そうです。今は少し落ち着いたんですけど、年末のホリデーシーズンはもうすごい大分忙しかったです。
そうですよね。でも忙しい方がいろんな経験ができるというか、ギュッと詰まったインターンができるからいいですよね。
そうですね。たくさん。オフィスもこのコロナ期間なんですけど、行けてたくさん。
なるほど、なるほど。ではでは、もともとまず海外に興味を持たれたきっかけって何なんですか?
海外に興味を持ったきっかけは、中学3年生の時に初めて、短期なんですけど3週間オーストラリアに留学をして、
その際に、それまで全く海外に興味なかったんですけど、それがきっかけでだんだん海外に興味を持つようになって、
その後も何回か海外に行かせてもらう機会があって、その中でどんどん海外への興味が湧いてきた。
そっか、オーストラリアに最初に行かれて、でも今回はアメリカを選んだ、そしてニューヨークっていう理由があるんですか?
そうですね。高校と大学でも一応留学したんですけど、その時はアメリカを選んで、
アメリカのカルチャーをすごい好きになったっていうのもありますけど、
特にニューヨークを選んだ理由としては、自分のやりたい仕事をやりたいインターン先を決める中で、
ニューヨークが一番自分のやりたい仕事ができる環境が募っていたので、ニューヨークを選びました。
ちなみに今の大学の学部って伺ってもいいです?
学部は経済学部、経営学部です。
経営とかそっちの方が興味があるってことですかね?
そうですね。どっちかというとビジネス系に興味があります。
実際に今までの中で一番長い海外生活です?
一番ではないです。
前にも他に留学したりとかされてたんですか?
高校と大学で留学してたんで、はい。
なるほど、なるほど。
多分実際に留学とお仕事をするっていうのは結構違うと思うんですけど、
実際にニューヨークでお仕事をされてみて、
54:00
どういうふうに違うなとか、日本の生活とか仕事をする中で違うなっていうのは感じます?
そうですね。今までは語学留学だったりとか、あとは交換学部留学で
自分のやりたいことだったり、やりたい勉強をただ取って勉強すればよかったんですけど、
今回はそれにすごい責任が伴うというか、
そうしたらもう本当に会社全体の損につながるっていうのをすごい実感したなっていうのがあって、
例えばミスしたら、今まではミスしたなって自己完結で終わりにしたんですけど、
そのミスをしたときに上司に報告して、
じゃああなたはそれをどうやってミスを改善するの?みたいな結構、
褒められるっていうことはないんですけど、ただ聞かれるっていうので、
そういうので結構責任がすごい伴うなっていうのをすごいインターステップで感じました。
実際そういうことあったんですか?
そうですね。発想でミスをしてしまったりとかしたときに、
ミスをしましたって言ったんですけど、
そのミスをして、自分はすごい経験がないし、
インターン生としてまだまだ日本でも仕事もしたことなかったんですけど、
それでも相手が分かってても自分なりに考えて、
解決案も一緒に持ってこいって言われて、
日本の職場もまだよく分かってないんですけど、
すごく難しいかなってちょっと思いました。
確かに確かに。
そうですよね。日本の場合は結構ごめんなさいっていう謝罪みたいなことが一番求められたりするけれども、
こっちはそれよりも先の改善策をどうするかみたいなところはね。
自分なりにとにかく考えて何か持ってこいっていうのが言われます。
すごい納得ですよね。
すごい良い経験ですね、それは。
本当に良い経験させてもらったなって思います。
なんかこう生活している中で日本との違いって感じます?
生活している中で日本との違いって感じます?
生活している中で、
そうですね、やっぱりニューヨークっていうこの土地柄からか、
ニューヨーク生まれニューヨーク育ちっていう人よりもむしろ、
違う地域からだったりとか、もしくは違う国からっていう人が多くて、
そういった原子の劣等とかいたりすると思うんですけど、
そういうのが面白いなって思う。
すごい浅いんですけど。
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なんかお友達とかできました?
そうですね、こっち来て、教会とか行く機会があったんで、最初の。
ここで友達で来て、
ここ生まれじゃなくて、違う地域だったりとか、
違う国からの友達とかもできたりして、
そういった点で違うカルチャーを知れるっていうのが面白いなって思います。
そうですよね。東京もね、東京も日本のいろんな地方から人が集まってくるけど、
やっぱり日本人ばっかりだからね。
ニューヨークはそれの世界版って感じで、世界中からいろんな人が集まってきますもんね。
あとは、
そうですね、あとなんか、
駅ごとに、
チャイナタウンとかコリアンタウンとかね、
すごいなんか、駅一つ変わるだけで街の雰囲気がガラッと変わるっていうか、
いろんなコミュニティがあって、そういうのが面白いなっていう。
それもまた一つ問題であるみたいに言われたりしてるらしいんですけど、
コミュニティが固まって、人種の絶望のように見えて、実際は、
バラバラに分かれちゃってるってことですか?
バラバラに分かれているみたいに言われたりもしてるらしいんですけど、
そういう中でも一つの街にいろんなカルチャーが、面白いなって思いました。
確かに確かに、それは両縁が一緒かも。
私たちは、みつさんと私はロサンゼルスにいるんですけど、
多分ニューヨークと同じようにこっちにも大きなチャイナタウンがあって、
コリアタウンがあって、ここはエルサルバドルの人たちが多いとか、
ここはジューイッシュの人たちが多いとかって結構固まってますもんね。
そうね。
結構似てると思いますね、そういったテンデラさんで。
年、大きい年あるあるって感じかもですね。
はい。
海外のインターンを始める前、
渡航の準備とか、お仕事先を選択するのってどういう流れだったんですか?
流れとしては、一回も塚吉さんのオフィスに行くってことはなくて、
全部オンライン、Zoomだったりとか電話だったりメールでやり取りさせてもらって、
自分のやりたい仕事だったりとか、将来の夢とかを話して、
こういう感じの企業があるんじゃないかっていうのをいくつか提案してくれて、
その中から選んだって感じです。
なるほど、なるほど。
そっか、それでコロナ禍においてだから結構あれだったんですか、
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直接会わなくても進んでいったっていう。
普段はオフィスで行く機会があるらしいんですけど、
コロナ禍はオンラインで全部できたって感じです。
なるほど。
塚吉さんを利用してよかったなと思うとこってどんなとこですか?
そうですね。
まず、いろんな企業との連携があるので、
自分がこういう仕事がしたいって言ったときに、将来こういう仕事がしたいので、
こういうインターシップをしたいって希望したときに、
いくつもいろんな企業を提案してくれたりとか、
それがニューヨークだけじゃなくて、
例えばロサンゼルスの企業だったりとか、
シンガポールの企業だったりとか、そういうのいろいろあったんです。
今コロナ禍だっていうのもあって、
そういういろんな状況を踏まえてこういう企業がいいよみたいなアドバイスをたくさんしてくれたっていうのが
スカイツさんを選んでよかったなと思ってます。
実際にこの今行っている企業もすごい学びも多くて、
スタッフも全員アメリカ人で、
本当に自分がやりたかったようなことがやれているので、
そういった点でスカイツさんをエージェントとして利用してよかったなって思ってます。
スタッフの方みんな外国人というかみんなアメリカ人だったら、
もう英語しか使えないですもんね。
そうですね。
3ヶ月しかいれないんで、そういう環境がいいなって思ったんで、
そういう点ですごいよかったです。
SOSも鍛えられたんじゃないですか?
そうですね。まだまだコミュニケーションに困ることはあるんですけど、
かなり北東宗に比べたらだいぶ伸びたと思ってます。
素晴らしい。
ありがとうございます。
では、今大学生ということで、これから就職ですよね?
そうですね。はい。
この経験を通して将来に向けてどんな展望を持っているのか、
どんな将来の夢があるのかっていうのは聞いてもいいですか?
そうですね。漠然としてるんですけど、
この中学から大学にかけて海外に行く機会が何回かあったので、
その経験を生かして将来グローバルに仕事がしたいなって思ってます。
ちなみに就職先ってもう決まってたりするんですか?
そうですね。就職先は決まってて、今年の2月から、もう2ヶ月後なんですけど、
から日本の。
どんな感じのお仕事なんですか?
業種としてはメーカーですかね。日本のメーカーで、
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グローバルに展開してる会社なので、
グローバルで仕事ができるっていうのを就活の軸にしたんですけど、
そういったテメージを希望した会社に入れたかなって思ってます。
4月から楽しみです。
まさに今までの経験が活かせるお仕事ですね。
そうですね。
では最後に、今からインターンをしてみたいとか、
興味があると思ってらっしゃる方に対してメッセージをいただけますか?
そうですね。自分今までも何回も言っちゃってるんですけど、
語学留学とか交換留学とか、いろんな留学を経験させてもらったんですけど、
それは自分のやりたいこととか、学びたいこと、楽しいことを
集中してできるっていう点がいいと思うんですけど、
インターンシップは、自分でやりたくないこともやるかもしれないし、
いろんな責任が伴うとか、いろんな社会勉強が一番できるのがインターンシップだと思うんで、
そういった点で、社会の勉強をたくさんしたいっていう人は、
ぜひインターンシップを応募して、スカイツさんから自分に合った会社を選んでくれたらいいかなと思ってます。
大学の後輩とかにも進めたい感じですか?
そうですね。今こういう状況なんですけど、興味があるので進めたいなと思ってます。
そうですね。確かに今はこのパンデミックの状況で、なかなかビザの問題とかもあるかもしれないですけど、
スカイツさんの場合は、アメリカ、現地にいるOPT希望されている方とか、
あとは短期インターン興味があるという方のご相談にも乗ってくれるということなので、
日本にいてもアメリカにいても、どちらでもちょっと聞いてみて、
希望があるんですけどっていうふうに言ってみると、いい未来につながると思います。
本当に希望しかない感じだよね。明るい未来。
キラキラしてる。
ピチピチしてていいっすね。
ピチピチしててキラキラしてる、渡部さん。
名前もかっこいいし渡るということで、世界を渡り歩いてほしいなと思いますね。
うまいことにつもりながら出してますね。
ではちょっとこちら最後にですね、スカイアスさんは世界6カ国11都市に拠点を置くグローバルエディケーションブランドです。
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海外留学、スタディーツアー、海外のインターンシップ、ジュニアキャンプ、オンラインプログラムなどなど、
グローバルへのきっかけをつくる多彩な教育プログラムサービスを展開されています。
詳細はですね、www.skyas.global.com
もしくはwww.america-intern.comにてご覧いただけますので、ぜひそちらからお問い合わせをされてみてください。
今回はニューヨークで短期のインターンをされている渡辺さんにお話を伺いました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
以上リアルアメリカ情報でした。
では締めのコーナーです。質問。
質問。
未来の○○シリーズ。
10年後の就活ってどうなってると思いますか。
面白いですね。
10年後って言うと2030年ぐらい。
またこれも日本とアメリカでまた違うんだろうなと思いますよ。
今もすでに。
今ももう全然形が違いますからね。
そもそもアメリカの就活っていう概念がなくて、新卒っていう概念がないから、
アメリカはまず学校に行って、インターンをして、そのまま仕事につなげるとか、
キャリアを積んで、そこから転職するとか。
アイさんみたいにまた学校に戻る人もいればね。
そうそうそう。
そういうことは就活っていう、
就活っていう日本語で言うと、大学3年から始まるリクルートスーツを着て、
会社回りみたいな。
俺やったことないからよくわかってないんだけど、そういうイメージが。
そういうものがもうないってことだもんね。アメリカはね。
アメリカじゃないですからね。
でも日本も新卒採用が、いまだにあるのはあるのか。
いまだにあると思いますよ、全然。
どうなっていくと思いますかね。少子化もあるし、
1:09:06
先週の話、先週の話じゃないけど、世界中の仕事がネットで探したらわかるようになるからさ。
でも私、日本の就職に関しての10年後はちょっと予想がつくかなっていう部分があって、
っていうのも、移民がやっぱり増えると思うんですよね、日本は。
今アメリカでいろんな問題が起こっているのって、やっぱり移民の対立だったりとか、
いろんな国の住所の人がいるから問題が増えたりしてるじゃないですか。
やっぱり日本も同じようになると思う、アメリカみたいに。
今後より東南アジアの方々がもっと増えたりとかするから、
そういう完全に人種の対立みたいなことが出てくるけど、それも就職にも関わってきて、
やっぱり東南アジアの方々のハングリ精神だったりとか、一生懸命働くし何言語も話せるっていう方々が
仕事をどんどん取るようになって、それに対して日本の人たちが、
今の白人と移民の対立みたいなのが日本に来るかなって。
俺たちの仕事を取るんじゃねえみたいな。
そうそうそうそう。
そういう意味ではそこもフラットというか、ぐちゃぐちゃになってくるというか。
ないと思う。
そうだね。
うちさんはどう思いますか。
どう思えるのかな。
いやでも、もっと企業の方が待ってる感じじゃなくて、
人を探しに行かないといけなくなって。
今だって企業が選ぶような立場じゃない?
それは会社によるんか。
面接に行ってさ、落とされて落とされて、数パーセントだけが残りました。
それは大企業の話か。
でもどうなるんでしょうね。
だから就活そのものがもうなくなる。
そういう活動はもうなしで、
別に高校生だろうが働いてる人もいるし、
30歳だろうが、
生活保護みたいなので暮らしてる人もいるみたいな。
今とか思い切ってたかな。
よく分かりません。
想像力が乏しいな。
現実のことを考えちゃうとね、
100年後とかで考えればよかったね。
10年後って割と近いもん。
100年後って言われるともう。
1:12:02
誰も仕事してないみたいな。
誰も仕事しないみたいな。
そうね。
遊ぶだけ。
いるのかな、人類。
ちゃんといるから大丈夫かなと思うけど。
100年後はいるでしょ。
そうね、だってもうウイルスとかがやっぱりより強力なものが出てくる。
確かにね。
もうピラミッドの頂点はウイルスかもしれないね。
そう、そう、私たちはこういう防護服の中でずっと生活する。
気になるかもしれないです。
あー、しかもずっとバーチャルの世界で寝てるだけみたいな。
そうそうそうそう。
ちょっとつまんなそうだから。
これぐらいにしておきまして、今回のインタビューの内容またリアルアメリカ情報のインフォメーションはブログに掲載しております。
podcast.086.comまたは1%の情熱物語で検索してみてください。
はい、皆様からのレビューやコメント心待ちにしております。
そして番組で読ませていただいた方にはプレゼントでステッカーをお送りいたしますのでよろしくお願いします。
お待ちしております。ということで今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
また来週お会いしましょう。
ではね。