プロジェクトデザインルームを引き続き、クリスタルロードの加藤瑛さんと対話を深めていきます。
ということで、加藤くん、改めてよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このパートではですね、加藤くんの人生のストーリーにまず追いついていきたいなというふうに思っていて、
まずはそのクリスタルロードを創業してから、今日に至るまでの軌跡みたいな観点でお話し聞いていこうかなと思っています。
ちょっとそもそもなんですけど、12、3歳ぐらいの頃起業したということで、何で起業したんですか?
はい、私自身よく感覚過敏の課題解決のために起業した人っていうふうに思われているんですけど、
感覚過敏研究所を立ち上げたのは起業して1年後ぐらいなんですね。
もともと何かすごい意思を持っていたわけではなくてですね、最初の動機は社長やってみたい、働いてみたいっていうところからですね。
いや、それ面白いよね。働いてみたい、稼いでみたい、社長になりたいって、
いわゆる一般的な今スタートアップの企業からしてみると、本当に社会課題の現体験があって、うんうんかいうんってなっていくんだけど、
確かに加藤くんに最初お会いして、雑談してた時に感覚過敏って言葉はなかったし、
いや、稼いでみたいんだよねってめちゃくちゃピュアな目で言ってたから、すごいグッときたというか、ありだよね、それ実際。
そうですね、私自身やっぱり企業って一つの選択肢だと思っていて、今は課題解決のために会社を使ってやってはいますけれども、
やっぱり働くこと自体にすごい憧れを持っていて、それは会社だけじゃなくて、サラリーマンとして働いてみたいっていう気持ちもありましたし、
あと高校生の時にちょっとやりましたけど、バイトしてみたいっていう憧れとかもあって、その一つのその憧れを叶える方法が社長だったっていう。
確かに、その年齢だと雇えないからね、まずね、自分でやっちゃうっていうのは一個あると思うんだけど、でも何かを見て憧れてたんですか?
この人かっこいいなとかがあったわけではなくて。
そうですね、今思うと働くことに憧れていた原因というか要因ですね。原因って言うとなんかちょっと悪そうなので要因なんですけど、
まず一つが私のお父さんは普通にサラリーマンなんですけど、スーツ姿は普通にすごいかっこいいなっていうふうに思っていたこと。
あとは私の祖父母が民宿をやっておりまして、そこのお手伝いをした時にお小遣いをもらった経験だったりとか、
あとは母がよく子連れ出社OKなところで働いていたんですけれども、そこで横で働く姿とかを見てパソコンをいじってるのがかっこいいなっていうふうに思ったりしていたっていうのがあるかなというふうに思います。
だから何をやるかっていうか働くみたいなところに結構いい印象があったんですね。
そうですね。
でもなんかそれで言うと、同じような環境の人ってなんか割りかしいそうだなっていう気もするし、
なんか起業、そっかそっか13歳その時に家族で一回相談した感じですか、最初は。
そうですね。一番最初は、まず起業したのが中学1年生の時なんですけど、子供の頃から私自身理科が好きで、
小学校5年生ぐらいから理科の実験を実況するYouTuberになりたいなみたいなことをずっと思っていたんです。
中学受験も終わって理科の勉強とかもそろそろし始めようかなっていうふうに思った時に、
一番最初私がやりたいって思ったのが、毒物劇物の取り扱い資格みたいなのを取りたいっていうふうに思って、
その資格用の書類とか色々買ってきたんですけど、基礎がまだなってなかったので、
親、私の母がこのゲームで勉強しなさいっていうことで、元祖の組み合わせカードゲームのケミストリクエストっていうのを買ってきてくれたんですね。
ただそのカードゲームの帯にデカデカと小学生で起業したスーパー高校生社長が作ったものだよみたいなものが書かれてて、
あれ、小学生から働いてる人いるっていうことを知って、私もやってみたいっていうふうに思ったのがスタートだったので、
そこから親に社長やってみたいみたいなことを話したら、まあいいんじゃないのみたいな感じで、
肯定ではあるんですけど、悪く言うとスルーされたっていうような形で、
私自身色々やりたいっていうことが多くてですね、これまでもやりたいって言ったものをやらせてもらったものも多くて、
乗馬だったりとかスケボーだったりとか色々やらせてもらっていたんですけど、
とにかく色んなものに興味を持ってやりたいっていうふうに言っていたので、その一つだろうなということで、
ふーんって家族には言われました。
でも実際そこで株式会社を作ろうっていうような選択になった時には、やっぱり13歳だと代表になれない。
そうですね。起業したのがまだ12歳の時でして、その12歳の時はですね、会社を作るため、
統計するために必要な印鑑証明っていうのが15歳未満取れないので、一人だと起業できないんですね。
なので、キミストリークエストを作った人も起業してたんですけど、その人も同じ、その人と同じ方法を取って私は起業して、
その方法を親子起業っていうふうに名付けました。
なるほど。じゃあまずは代表取締役に家族がいて、お母さんかな多分。
はい。
お母さんがいて、肩書き的には何だったの最初。
最初は取締役社長ですね。
そういうことか。取締役で社長。
はい。代表権は取れないんですけど、取締役会を設置することによって、印鑑証明が代表者以外必要じゃなくなるので、子供でも起業できるというやり方ですね。
逆に言うとそれ別に10歳未満でもできるぞっていうことですよね。
そうですね。文章だけ見れば赤ちゃんでもできなくはないんですけど、やっぱり判断能力とかないよねっていうのは流石に客観されると思うんですけど、
10歳とかでもできなくはないと思います。
なるほどなるほど。株の概念とか理解して、自分で株式に入れたりとかもしたんですか。
本当に一から調べてやってまして、私も母も一緒に共同代表をやっていて、今の母も企業の知識なんて1ミリもなかったものですから、
一から全部一緒に調べて、株式っていうものがあるんだなっていうこととかも調べながらでしたね。
素晴らしい。ということで、やれるぞっていうことが僕の目の前で今すごく実証されているわけなんですけども、
20歳を前にしてすでに経営歴が7年ぐらいあるっていう状態だと思うんですけど、何かターニングポイントありました?
そうですね、ターニングポイントは、
企業したこと自体が人生のターニングポイントであったなっていうふうに思ってるんですけど、企業の観点で言うと感覚花瓶研究所を立ち上げたところからですかね。
そこに至るまでに、だから1年ちょっとぐらいいろんなことをやってみて、
まあ儲かるのかとか楽しいのかとかいろいろやってみた感じなのかな。
そうですね、いろいろやっていまして、企業した当初、感覚花瓶研究所を立ち上げるまでっていうのは、
子どもを理由に今を諦めない社会を作るっていうビジョンのもと、子どもの企業支援とか親子企業支援とかやりたいことを支援したいっていうような形で事業をしてまして、
一番最初にチャレンジしたのが、小中高生だけで運営するメディアを立ち上げて、探究ジョブっていう名前なんですけど、
いろんな人にインタビュー、いろんな職業の人にインタビューをしていって、子どもの選択肢とか知識っていうところを広げていこうみたいな感じで活動をしていました。
そうか、メディア運営から始まったんですね。それはどうでした?ビジネスとしては。
メディア収入が月5万ぐらいで。
でもすごい。
そうですね。中学生の個人で見れば大金だなって思うんですけど、会社として見ればやっぱり運営できるほどではなかった。
そうですね。何か世界を変えるとか、それだけで食っていくみたいなところで言うと、なかなかすごい時間はたくさんかかったと思うんで。
で、そこから感覚花瓶で行こうってなるところに何かきっかけはあったんですか?
そうですね。その後もいろいろと事業をやって、小中、18歳以下だけが使えるクラウドファンディングのプラットフォームを作ろうっていうふうに動いたりですとか、
あとは小中高生だけが販売権を持つ雑誌を作ろうとか、いろいろと企画をして動いたりとかもして、実際にプロジェクトとして動かしたものとかもあったんですけど、やっぱりなかなかうまくいかないことが多くてですね。
いろいろと事業を試行錯誤している最中に、私の父からですね、せっかく自分の会社を持ってるんだったら、自分の困りごとを解決したらっていうふうに言われたんですね。