2025-10-11 1:14:28

Vol.370 竹部茂教(フォトグラファー)2/4

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朝晩だんだんと冷え込んできて夏が恋しい今日この頃。美味しい秋刀魚と鰻食べたい。その後モンブランのケーキをたらふく食べたい。日本一時帰国を検討して(やっぱ今回はパスしました)そんなことばかりを想像してしまう金曜の板倉です、こんにちは。

「1%の情熱ものがたり」前回に引き続き、93人目のインタビュー。
奈良県橿原市出身。明るく活発な子供時代を経て、思春期と呼ばれる時期には80年代のアメリカ文化に強い憧れを抱くように。マドンナやマイケル・ジャクソンに熱狂した日々が、結果的に彼の人生のコンパスになっていたのかもしれません。一度は銀行に就職するも、アメリカへの夢を諦めきれず、回り道をしながらも31歳で渡米を決意。当初目指していた道とは違う「写真」の世界で、その魅力にハマっていくことに。人生とは面白いもので、時に回り道ややむを得ずした選択がその人を本当に輝ける場所へと導いてくれるんですね。そして、趣味は仕事となり、憧れの地ロサンゼルスでウェディングフォトグラファーとして活躍。ただ写真を撮るだけでなくお客さんとの繋がりを何よりも大切に、手触り感のある「紙のフォトブック」を贈ることにこだわる姿勢から、彼の純粋で温かい人柄が伝わってきます。「いつか故郷の奈良で、外国人観光客のガイドをしたい」という夢もきっと叶えて楽しそうにしている姿が目に浮かびます。そんな手抜きのない仕事人・竹部さんの、夢を“思い続ける”ことの大切さを教えてくれる情熱ものがたり。

いやー人生って思うように進まない方がきっと多いとは思いますが、繋がってないようでいて後から何かしら繋がってくる面白さがありますね。やっぱり無駄なものなんて無いのかもしてないって前向きに思えたりします。そんなお話。

投稿 Vol.370 竹部茂教(フォトグラファー)2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

サマリー

竹部茂雄氏が奈良県出身であり、アメリカに移住した理由、そしてカメラに対する意識の変化についてインタビューが行われています。彼の子供時代やテニスへの関心、英語への興味が語られ、特にアメリカ文化への憧れが深く掘り下げられます。このエピソードでは、竹部茂教氏がアメリカや英語への興味を持つ背景や、日本の大学での学びについて話しており、大学選びや留学について考える様子、銀行から映画配給会社への転職といったキャリアの変遷が描かれています。竹部茂教氏が大学時代に演劇に熱中し、映画配給会社で働いた後、アメリカへの挑戦を続ける様子が示されています。ビザの問題に直面しながらも、音楽産業との新しい出会いを通じて自己成長を遂げる過程が語られています。竹部茂教氏は、アメリカ留学を経てフォトグラファーとしてのキャリアを確立し、その道のりについて話しています。彼の経験や成長、海外生活の影響について述べられ、特にアメリカの環境が彼にとってどのようにプラスに作用したのかが中心テーマです。竹部茂教氏は、フォトグラファーとしての経歴やアメリカ留学の決断について語り、80年代のアメリカ文化に対する憧れや鈴木良平氏との関係についても触れています。彼のエピソードでは、写真学科での経験やアメリカでの生活について語られ、特に法学部から英文科に変更したことがアメリカでの留学やキャリアにつながった重要なポイントとなっています。竹部茂教氏は、自身の経験を通じて、予期しなかった道が良い結果をもたらす可能性について語っています。

00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
1%の情熱物語370回目です。皆さんお元気でしょうか?
ネタを用意しつつ、この収録に挑んではいるんですが、なんかしょうもないネタしか今日はないんですけども。
俺さっきさ、昼にランチに、エマさんもしょうもない話が1個あるということなので、後で順番にしたいと思うんですけど。
俺、うどんを食べたんですよ、ランチに。
エビを入れて2つ、冷凍のね。
卵を溶いてというか、半熟卵みたいなのにして、ネギを乗せ、ちょっと天かすを乗せ、
あとなんかお味噌汁の具みたいなわかめとか入ってるやつ、乗せ、おいしそうなうどんができたぞと。
それで最後にゴマをちょろちょろっと振ろうかなと思ってですね。
急いでたわけなんですけど、この収録の前に早くランチ食べなきゃと思って。
それが裏目に出てですね、ゴマのこの蓋に、左と右というかこっちとこっち側に2つ蓋がついてて、上にねゴマが入ってる瓶というかプラスチックのやつに、
上に蓋が2つついてて、1つは穴がちっちゃい穴がいっぱい開いてて、パラパラパラってゴマが出る方のやつ。
はいはいはい。
そしてもう1つは全開開いてるやつで。
はい、わかります。ドマッと出る方。
もうオチがわかったと思うんですけど。
ドマッと出ましてですね、全部ゴマうどんの皿が全部ゴマ。
ゴマうどんみたいな。
はいと思ってゴマうどんを食ったっていう話なんですけどね。
スプーンでちょっとどけましたけど大部分。
ゴマまみれに。
ゴマの味しかせんわと思って。
ゴマおいしいですけどね。
うまいけど。
全部が台無しになっちゃった。
気をつけないと。
やだな確かに。
スープもさ、ほとんどスープ感がなくなっちゃってさ、ドロドロとした。
あの穴なんであるんだろうあのでかい穴っていうか全開モードの蓋。
でも料理とかで使うときは大さじとかで入れるときははい。
そしたらもう蓋全部取ればいいじゃんと思うんだけど。
でもねそれこそちょっと食べてるときにちょっと足したいときはちっちゃいのがいいしって感じですよね。
でも普通ちっちゃい方しか使わなくない?あのパラパラパラってやる方しか。
全開モードの方使うときある?
全開モード料理のとき使いますよ。
あ、そう。
じゃあ俺の料理あんましないからね。
あ、そうか。
あ、そうか。
あ、そうか。
あ、そうか。
あ、そうか。
あ、そうか。
あ、そうか。
あ、そうか。
あ、そうか。
これいらんわと思ってセロテープで貼ったもんそっち側。
確かに使わない場合はね、間違い防止のために封鎖しといた方がいいかもしれないですね。
うんあれは封鎖すべきです皆さん。
うんうん。
まあ忠告しておきます。
はいすみませんしょうもない話じゃあ、絵馬さんのしょうもない話。
私はですね、先週、ファミリーストーリータイムっていうイベントを見つけて行ってみました。
ファミリーストーリータイム。
はい。パブリック図書館、公共図書館でやってるイベントで、赤ちゃんと親子で参加できる絵本を読んでくれるっていうイベントで、
みんなで絵本を読み聞かせを聞いて、それだけかなと思ってたんですけど、
絵本読んで、その後にみんなでダンスとかして、でまた絵本読んで、ちょっと歌って、みたいな感じで、絵本歌、絵本歌、みたいな感じで、
3回くらいやって終わるっていうイベントで、予想より面白かったです。
15組くらい親子も来てて、盛り上がってました。
みんな絵本の読み聞かせより、ダンスとかのほうが盛り上がってて。
それは何?両親ともに行くの?お母さんと子供のパターンが多い?
両親とも、土曜日の朝にやってるので、我々は両親で行ったんですけど、両親で来てる人のほうが多いかな。
で、ママと赤ちゃんで2人で来てる人もいました。
ちょっと俺、野暮っていうか下世話な質問したいんだけど、それ何のためにっていうか、どういうビジネスなんだろうね、それは。
ビジネスじゃないのかな。図書館の人がやるの?
フリーですよ、フリー。図書館の人でやって、参加費もフリー。
図書館にいっぱい来てほしいから、やるってことか。
そうですね。終わった後に、そのキッズエリアも、ちょっとそのおもちゃ、絵本だけじゃなくておもちゃもあって、遊べるみたいなスペースもあったので、
そうですね。こんなところあるんだっていう発見にもなったので、それが狙いかもしれないです。
なるほどね。じゃあそれは本当に社会のためのあれか、師がやってたりするのかね。
はい。
ファミリーストーリータイムっていうタイトルから聞くと、みんなで自分たちのファミリーのことをしゃべるのかなと思った。
しゃべらないです。
しゃべらない。
絵本の読み聞かせイベントでした。
そうですね。
親子ふれあいタイムみたいな感じですかね。
でも、愛馬さんのね、子供もバイリンガルに育っていくんだろうね。もちろん英語でやるわけでしょ、それは。
そうですそうです。
あと最後に、バブルタイムとか言って、シャボン玉を職員の方が子供たちに向かって飛ばして、
みんなわーって、シャボン玉に向かって喜んでて、平和な土曜日の朝でした。
平和と思って、癒されました。
それは癒されるわ。
他の子供たちにも癒される。
それは癒されそうだ。
いや、俺そういうとこ行かねーなー。
行くあれがないんだけどさ。
いいね、そういうのもいいですね。
いつかね、そこでママ友もできたらいいなと。
外国人のママ友。
日本人のママ友は結構増えたんですけど。
あ、そうなんだ。
はい、結構いて。
まあまあ、またじゃあ、そのママ友話はまた聞かせてくださいよ。
全然しょうもなくない話だと思いますよ、それは。
いい話ですね。
いい話でした。ありがとうございます。
また行きたいと思います。
はい。
はい。
ということで、じゃあ本編に入ってまいりましょうか。
毎回1人の方のインタビューを4回に分けてお届けしています。
1%の情熱物語。
竹部茂雄の紹介
今回はフォトグラファーの竹部茂雄さんにお話を伺いました。
はい、前回がね、竹部さんの活動内容とか、
えーっと、
まああと奈良県に戻ってガイドしてみたいみたいなちょっと話もあったりして、
面白かったんですけど、カメラ歴30年以上と。
あのアマチュア時代も入れるとね。
はい、そんな竹部さんが、
まあ奈良県の生まれなんですけど、
えー、なんでアメリカにいるんですかと。
そしていつからカメラの方に、こう意識が向いていったのか。
これもなかなか本当にね、面白い話ですよ。
最初っからそこめがけてないっていうのがね、あるんですけどね。
まあ本編聞いていただけたらと思います。
はい、早速お聞きください。
はい。
子供時代の思い出
まずあの、お生まれが奈良県?
はい、そうです。
えーっと、何市?
柏原市です。
柏原市ですね。
で、えー、どんな子供でしたか?
子供はやっぱりまあお調子見あったですね。
明るい子でした。
スポーツ?
スポーツはあまり好きじゃなかったですけど、
中学校入ってからはテニスずっとやってましたけど、
そこまでは、小学校の時までは別に特に。
でも明るくて、
活発でしたね。
友達いっぱいいるみたいな。
友達もそこそこおった気がしますね。
あまり覚えてない。
暗い方ではなかったですね。
そっか、テニスは中学校から。
なんか夢みたいなのはありましたか?
その当時ですか?将来の?
はい。
その頃っていうのは、
例えば小学校ぐらいやったらあんまりなかった気がするんですよね。
あまり覚えてないというか。
何が好きだったんですか?
運動、勉強、漫画、ゲームとか。
でもそうね、そう言われるとどれも当てはまらない。
昆虫とか。
昆虫は好きだった。
昆虫とか動物とか好きでしたね。
ノッパラを駆け回ってる感じ。
ノッパラもたまに駆けたりはしましたと思いますけどね。
今思い出したけど言われて、
宇宙がすごく好きだったんですよ。
小学校の時に。
宇宙が好きで、3、4年生ぐらいの時に宇宙の本ばっかり読んでて。
宇宙の秘密みたいな子供向けの本ですけどね。
それを何十冊も読んでて。
将来は宇宙を研究する人とか、
子供っぽくていいですね。
宇宙飛行士になりたいとかそういう夢は持ってましたね。
じゃあ天体望遠鏡とか欲しいなって。
欲しいなと思ってた。
結局は手に入らなかったですけど。
そうですわ。
そういうのが好きで、
生物とか生き物が好きだったって思い出したけど、
早い時期に顕微鏡を買ってもらったりしましたね。
それまた逆の方だね。
創眼鏡とかと。
ミクロの世界に入っていくわけですよ。
でもああいうので、
楽しいですよね。
大きくしてみたりとか、
ああいうのやってましたね。
それ考えると活発じゃないかな。
あんなことないですよ。
面白いですよね。
面白かった。
そうなんだ。
そうでしたね。
どっちかというと田舎の方ですよね。
田舎の方です。
おそらくね。
中学校、高校、
なんかハマってたものとか。
中学校からハマった。
テニスやりだしたっていうのが。
そうですね。
運動としてはテニス部、
軟式テニスですけど、
やって、
それもハマったというか、
3年間それでもやり切って、
高校もやったんですけど、
ハマったという言い方だと、
確かにハマってる感じですね。
ただ、
アメリカ文化への憧れ
その時にテニスとかも好きだったけど、
一番好きだったのが英語だったんですよ。
これ今も繋がってるんですけど。
なんでですか?
分からないです。
アーティストが。
多分アメリカ文化になんとなく憧れが生まれたんやと思うんですよね。
テレビとかの映画とか何か分からないんやけども、
結局日本におったらアメリカ文化はすごい生き生きする。
憧れみたいな。
そうですね。
僕がちょうど、
キンエイジアンの時、
10歳から19歳とか、
ちょうど1980年代、
モロなんですね。
僕70年生まれやから。
そうすると今ね、
レジェンドと言われてるマドンナとかね、
死んだけども、
マイケル・ジャクソンとか、
ポイトニーとか、
シンリー・ローパーとか、
死んでるとか今おるけど、
まあああいうレジェンド的な人がまだ若くてガーンと出てきた頃に、
僕はちょうどタカンナ・キンエイジアンの時を過ごして、
アメリカへの憧れ
もうそれでどんどんアメリカが大好きになったんですよね。
ああいう人たちを見て。
多分映画とかも影響を受けたと思うんですけどね。
まあでも絶好調ですよね。
アメリカの勢いは。
だからエイティーズって今でもね、
みんな好きやけども、
あれがあまり見れてた時代ですから、
あれに憧れたのはやっぱり覚えてますね。
かっこいい国はいつか行きたいな。
ただそれが先で英語が好きになったのか、
なんとなく英語に興味があってそっちに芽吹いたのか、
ちょっと今は覚えてないんですけどね。
でもそれはもう並行でしたね。
だから英語の勉強すごいしましたもんね。
じゃあもう留学とかを考えてた?
考えてたと思います。
親には言ってなかったけど、
行けたらいいなぐらい程度ね。
で、中高は地元で?
そうです。
公立の中高行って。
大学ですか?
そうです。大学は東京行ったんですけど、
僕はやっぱり英語が好きだったんで、
もう外国語大学行ったと思ってたんですよ。
その外国語大学っていうのは、
もう中学校から思ってたんですよね。
なんか珍しくないですか?そんな。
珍しいと思いますね。
普通から僕は全く考えてなかったけど、
将来のことが多分。
そうなんだ。
でもその時には中学校の時から
僕はもう外国語大学行くっていうのも周りにも言うとって。
そういう存在を知ってたんだ。
大学生活と留学
多分なんかで知ったんでしょうね。
お兄ちゃんお姉ちゃんがいるとか?
いなかでもなく。
で、高校行ったら具体的に大学名っていうのがどんどん出てくるから、
そこでいろんな外語大っていうか、
外語大ってそんなにないんですけどね。
で、結局はやっぱり英語をしたいっていうのでずっと行って、
最終的にも外語大行きたいっていうので、
東京外語大行ったんですけど、
でも結局僕は英語は受験しなかったんですよ。
中国語学科に入ったんですけど。
あら。
なんで?
それはね、またあれでね、
僕浪人したんですけどね。
浪人の時に東京外語大受験賞って決めて、
それに向かって一生懸命勉強はしたんやけど、
何学科に出願しようかなっていうのはずっと悩んでたんだよね。
そうなんだ、英語じゃなくて。
そう、英語って最初思ってたんやけど。
思いにくいってことか。
いや、じゃなくてね、
日本におったら英語のためにだけに大学行くのもったいないなってそのとこ思ったんですよ。
あー。
日本におったら多分大学で英語わざわざせんでも英会話教室もあるし、
きっとなんかグループもあるやろうから、
自分でももしかしたらできるかもって思ったんですよね。
へー。
だったら他の語学、でも外国語っていうのはやっぱり全体的に興味あったんですよね、
外国にも。
へー。
なので、何語学科にしようかなってその時いろいろ思って、
で、ちょうど天安門事件が現役時代にあったので、
僕ローニシュタケのその前の都市にね、天安門事件が。
はい。
あれがね、何年かな、僕だから現役で大学受験する都市なんですよね。
結局落ちたんですけど、
あの時に天安門事件っていうのがあって、
何が行われてるのかいまいち自分の中ではピンとこんかったんやけども、
中国っていうところに目が向いたんですよ。
へー。
ちょっと興味あるかもと思って、
それで中国語学科に出願して受験した感じですね。
ねー、でもなんか中国が台頭してきたっていうか何だろう、
力を見せ始めたのってもうちょっと後の気がするんですけど。
後です。
その通り。
だからその時ね、でもね、から言われてましたよ。
これからは中国や、ってよく言われました。
だから選択としてはいいよってよく言われました。
あー。
どうですか。
うん。
なんかそれもなんかレアな選択肢っていうか、そっち行くんすね。
行きましたね。
で、何、大学でずっと中国語を勉強して、
じゃあ中国語も喋れるんですね。
もうダメですね。
あー。
だってもうね、現役の時、大学の時にはだいぶ徹底してやらされましたんでね。
へー。
すんごい厳しかったから、あれですけど、
まあでもやっぱり英語もやりましたよ。
僕ESSに結局入って、あの、ESSって分かります?
分かんない。
ESSって、なんちゅうの、英語クラブですね。
あーはーはー。
大体あの、まあ高校とかでもそうやけどもクラブとしてはあるんですけども。
あー。
大学にも。
大学的な?
そうです。英語研究会とかいうのってあるのかな。
なるほどね。
まあ英語クラブです。
うん。
そっからどうなるんですか?
そっから。
中国英語を勉強しつつ、学校を。
卒業?
そう、卒業。大学卒業して。
はい。
で、僕一番最初銀行マンでやったんですけど、銀行に入社しました。
留学はしなかった?
結局しなかったというかね、そうですね、しなかったですね。
在学中も?
在学中も。
在学中ね、たぶん留学となったら中国になったんですよね、きっと。
はいはいはい。
学科的に。
別に中国はね、興味はあったけど、住んでなんかしたいとかっていう気持ちはなかったので。
その頃から行くんやったアメリカと思ってた。
銀行から映画業界へ
はいはい。
その思いをずっと持ってたんで。
あー。
なので、まあ僕また結局留年したんですけどね。
5年大学行ったんですけど、5年間はもう日本に、東京におりましたね。
うーん。
じゃあそっから、まあ就職。
うん、そうです。
それはなんかこう、銀行で働きたいみたいなものはあったんですか?
その時はね、まあいろいろやっぱり調べて、周りとも情報交換しながら行くので、これっていうのは決めてなかったんですよね。
だから銀行である必要はなかったっちゃなかったんですよね。
ただ、海外に行きたいっていうのはあったんですよ、やっぱり。
あー。
なので、極力大きい会社で、極力いろんな国にあるところ。
いろいろあるってことね。
そうそう。っていうのはありましたね。
それで言うたら、たぶん商社とかメーカーでも、実際当たったけど、良かったっていう感じでしたね。
うーん。
まあじゃあ、希望通りに?
そうですね。
で、その後、転勤は?
結局その後、その時の大手、今でも集約されて3つとかになってますけども、当時やった都市銀行に入ったんですけど、
まあやっぱり忙しかったですよね。
忙しくて、やっぱり自分のスタイルじゃない働き方やったんで、
まあ今でこそブラックっていう言葉があって、なんぞやってみんな分かるけど、その当時はブラックって言葉ないじゃないですか。
でも今で当てはめるときっとブラックなんですよ。
でもそれは先輩もいらっしゃったから、これも言うていいと思うんですけど。
それはもう、寝る場も惜しんで働けみたいな感じなんですか?
やっぱり残業も多かったし、あとはやっぱり上司に付き合うっていうのはありましたよ。
常にあった。
そういうのはやっぱりだいぶしのかったんですよね。
今日竹部行くぞって言われたら、もうその仕事で入って行かざるを得ないというか。
お作戦は別に。
やめますけどね。
でもあくる日また仕事で考えると抑えたいじゃないですか。
でもやっぱり行かざるを得ないし、あとね、なんか大きい会社とかになるとね、今はどうか知らんけどね、野球大会とかあるんですよね。
野球大会?
とかソフトボール大会とか。
チームがあってってこと?
そう、多視点との対抗戦みたいな。
そういうのとか、練習とか。
休みの日もそういうので潰れちゃうね。
もうしんどくて、結局なんかそういうのがしんどいなと思って。
1年ほどで辞めたので、銀行もやってたうちに恥ずかしくて別に言ってないですけどね。
うーん、そうなんだ。
そうです。
で、その後は?
その後は映画の配給会社に入ったんです。
ここがね、全然違うでしょう。でも自分の中では繋がってるんですけどね。
話を戻すというか、そもそもその間、今大学まで話聞いちゃったけど、
カメラとか写真には触れてたんですか?
触れてないです。
まだ1本も出てこない?
そうです。触れたのは銀行の時です。
銀行の時?
新卒で入った年です。
興味はあったんですよ、カメラには。
それはね、一丸の絵本買ったんですか?
そうです。もらったんです。
で、その銀行に書務工員さんって分かります?
まだだってデジカメもない時代ですか?
ないですよ。
何年ぐらいですか?
あれだから平成7年に僕、入行してるんですよ。銀行に。
平成7年って何年?1900?
いやもう分かんないです、俺。
分かんないね。
90何年?
30年ほどはちゃいます?
じゃあ、95年ぐらいか。
かなぁ。
でもまだ、デジカメ出始めぐらい?
いや多分まだフィルムだったと思います。
ですよね、多分主流はね。
興味はね、ちょっと大学の時代の後半から湧いてきたんやけど、
下宿生やし、バイトでやってるような人やったから、
一丸の絵本なんて買えることもなく、
やりたいなぐらいは思ってたんですけどね。
で、銀行入って、諸務工員さんっていう、
分かります?諸務工員さんって。
分かんない。
一回もう多分銀行を辞めて張る方とかなんですよ。
が、もう一回雇用とかされて、
例えば銀行入ってきた人に対して、
いらっしゃいませって言うたりとか、
ATMの操作をちょっと説明したりとかっていう年配の人が結構たくさん。
そういう人ね。
入口の付近に立ってたりとか。
そうそうそうそう。
で、ああいう人、あの方で今でも覚えてる、
あるなんとかさんっていう方がいるんだけど、
その方、僕仕事中に、
おー疲れた、諸務工室に避難してたんですよ。
サボりに行ってた?
うん、サボりに行ってた。
何々さんちょっと疲れたから、ここ置いていいですか?って言って、
ほらよって、置いていいよって。
そういう温かい人やったんですけど、
その人がカメラやって張って、
お風呂のカメラやけど、よかったら使え。
って言ってプレイ張ったんですよ。
いい話だな。
でもほんまにそこからですね。
でもそれでやりたいのに、
週末も野球とかで潰れちゃって。
そうね。
みたいな。
そんな中でも撮ろうとしてたと思いますけどね。
そうですか。
でもその時はでもあれですよね、
現像は?
それを出してたの?
出してました。
ああ。
大学時代の演劇と映画の夢
アマチュアやから。
そっかそっか。
うん。
まあ、そういうことね。
すいません今話を。
いいえいいえ言っちゃったけど。
うーん。
で、銀行辞めて、
配給会社?
映画の配給会社。
ああ。
これなぜかっていう話ですよね。
うん。
こうよね。
まあ、映画の配給会社っていうのは、
もうちょっと大学時代に戻ると、
僕芝居雇ったんですよ、演劇。
ああ、そうか。
そう。で、演劇雇って、
それは僕らの台で作った演劇団体だったんですね。
学校内で。
学校内で1年生になった時に、
なんかこう他の学科のやつとか知らん者同士が
なんかこう集まって、
芝居でもやりたいねいう話になって、
まあ経験者が多かったんですけどね。
まあでもそっちに興味はあったってことだね。
映画なのか演劇なのか。
あんまりなかったんですけどね。
たぶん集まった人たちとフィーリングがあって、
じゃあやってみようかなと思ったのよ。
ああ、へえ。
ほんでそこで立ち上げた劇団が、
結局今もまだあるんですけどね。
大学に。
そう、残ってるんです。
ちゃんと学校から公認ももらって、
そこから鈴木良平出てるんですよ。
おお、鈴木良平ってあんまりよくわかってない。
あの、セゴドンも。
なんか怖い顔した人?
え、怖いかな。
あの、俳優で人気。
経営入った感じの人?違うか。
ワクワクしてません。ごめんなさい。
あんまり知らないんですよ。
結構日本ではだいぶ知名度高い。
そうなんです。
芸人じゃない。
後輩なら誰ってことですか?
後輩っちゃ後輩ですけど、まあまあ共輩ですね。
おおたことないですよ、もちろん。
でも僕らが作った劇団に入ってやった。
大学やから。
そうなんだ。
あの時は英米語学会。
そういうので、芝居とか映画とか、
やっぱりそういう方には、ところにすごく大学時代、
傾倒してたというか、のめり込んだんですよ、だいぶ。
芝居にはだいぶのめり込みましたけど。
そうなんですね。
それもあって、広い意味で芸能の仕事っていうのもやりたいなと思ってたんですよ。
ほう。
でもその時はカメラじゃなくて、映画とか、
それを作りたいなと思った時期があったんですよ。
作ったり、英語もしたかったから字幕作る人になりたいなとか。
そういうのができるかなと思って、映画の俳優会社に行ったんです。
それはどれくらい勤めたんですか?
そこはね、ごめん、そこも1年。
早いな。
早いでしょ。
それも辞めた理由があるんですよ、もちろん。
何なんですか?
もういい。
あと何個あるんですか?
カメラマンになるまでに。
もうちょっとある。
軽く。
軽く。
結局その時に1年間でやめたんですけども、
アメリカに行きたいという気持ちはもう消えることなく。
アメリカへの挑戦とビザの問題
メラメラと静かに燃えていた。
そうです。
そこの会社は映画作りを学ぶ学校も持ってて、
そういう生徒さんも来てやったんです。
そういうのを見てると、やっぱり自分でも作ってみたいなとか、
やってみたいなと。
ここでやるんじゃなくて、アメリカに行きたい。
もうメラメラメラメラ。
ハリウッドですか、それは。
そうです。
でもその時にね、映画実際にアメリカで作りたいというよりは、
とにかくまだアメリカに行きたいという気持ちなんですよ。
なのでアメリカに行ける就職活動をまたしたんです。
隠れて。
働きつつ。
働きつつ。
その海外勤務、即海外に行ける。
そこである大手の旅行会社。
もう今言ったらすぐ分かる旅行会社です。
LAにもあるけど、そこで募集があったんです。
面接官がわざわざロサンゼルスからLA、
日本に気張って新宿で、今でも覚えてますけど、面接があって、
泣いてもうたんです。
いきなり海外。
でも僕はそれでよっしゃと思って、
ただその時にね、今も明らかに覚えてるんですけど、
面接官の人に、これからビザの申請しますと。
ただビザっていうのは、降りるかどうか分からないものやから、
こっちから降りましたっていう連絡が行ってから、
今の仕事やめてくださいって言われたんです。
これは正しい。
言われたら旅行なくなっちゃいます。
分かりました、ありがとうございますって言ったんやけどね、
僕ね、やっぱり知識ってすごいですね。
ビザの知識なかったんです。
ビザの知識がなくて、
パスポートとほぼ同じぐらいやろうなっていうような感覚やったから、
大手の旅行会社に泣いてもうたから、
行けるやろうって言うのは、僕早々にやめてしまったんですよ。
アメリカ行くことが決まりましたってそこの会社の人にも言うて。
で、今ビザ待ってますんで、
とりあえずこの後すぐにアメリカ行くのもあれなんで、
ちょっと実家でも過ごしたいので、
東京生活もそこそこ7,8年その時になってたんで、
なのでもうやめて実家で待ちますって。
そこまではっきり言ってやめて実家に帰って。
ほら待てど暮らせどビザが来ない。
で何度も電話したんですよね、こっちの会社に。
今から考えたら、
電話したところで会社の人もどうしようもないじゃないですか。
申請はしてるけど、いつなるかわからんとか。
いろいろ言われたんですよね、
弁護士を立ててもちろんやってますと、
音楽との出会い
ただ今こっちで行っているアメリカでの旅行業界の業務と、
竹部さんの学歴とか。
中国語学科っていうのが一番、
全くリンクがないっていうので、
僕もその時あんまりピンとこもんかって、
そういうものなん?っていう感じだった。
結局そうですよね。
よくよく知り始めると、
あ、そうやったんかと思うところあるんやけど、
でも結局それで終わりなかったんです。
あれ?どうしようと思う?
日本に帰ってきてしまったしっていうので。
だから1年間だけだと。
それがなかったらもうちょっとおったと思いますよ。
なんか知らんけど早まっちゃったんですね。
早まったんです。
気分的にバーっと。
だから知識って重要な思いますね。
律儀なところが出たとかそういうわけじゃないの?
どういうことですか?
正義感というか、
二股かけてたみたいなところが、
最後の最後までぶら下がってんのも悪いなと思ったわけではない。
じゃなくて、ほんまに行けるって信じたんですよね、その時。
そうそう。
それでダメだったんですね。
ビザが降りなくなって。
結局半年ぐらいを待ってましたね。
実家で。
周りの古い友達とかにも、
俺アメリカ行くから、待つために帰ってきてるからって言って。
みんなで送別会的な。
送別会というか、歓迎会なり、いつ行くかわからんから、
いろいろ遊んだりしてたけど、
まだおるん?っていう雰囲気になってきて。
恥ずかしいですね。
ほんまそうやねん。
まだおるん?
まだおるん?
面白いですね。
僕までもそうやねん。
畳まれない気分になってきますね。
ビザ降りなかったんです。
ここら辺でみなさんに聞いてるんですけど、
何か衝撃を受けた出来事や人生の転換期となったエピソードがあれば?
それは今までの話にありましたか?
東京行ったことですね。
大学受験で東京行ったことが。
今までおった中で会えんかったような人。
同級生もそうやったんですけども。
がいっぱいいましたね。
違う人種みたいな。
そうですね。
そこそこ勉強が出来る校が多かったんですけども。
大学自体はね。
ただ勉強だけが出来る校じゃないっていうのは初めて知ったんですよね。
その校に行った時に。
芸能に詳しい人。
すんごい詳しい人もおれば。
文学にすっごい詳しい人もおれば。
音楽に詳しい人もおれば。
なんかすごくやっぱ。
なんかきっと他人に興味が渡ってるんでしょうね。
みんなオタク的な。
そうですね。そういう人もおったし。
だから勉強はもちろんできるんやろうけども。
それ以外の部分ですごく知識積んでたりとかする人とか。
好奇心旺盛の人がたくさんおって。
そういうのはすごい刺激受けましたね。
そっかそっか。
今まで地元の中華高校でおってきた人とは全然違う種類の人がいっぱいおったっていうのがやっぱり大きかったんですね。
僕の中では。
そういうことですね。
わかりました。
じゃあちょっともう一回話戻して。
ビザが取れなくて。
はい。
その後は?
その後はビザが取れへんからとりあえずバイトでもせんと。
家に転がり込んでるしっていうので。
大阪の。
マドンビって言われて。
マドンビって言われて。
ほんで結局僕奈良やったんで。
大阪に出ていって震災橋っていうところにタワーレコードがあんのかな。
昔あったんですよね。大きいタワーレコードがあって。
そこがいわゆる情報の発信基地みたいになってたんだよな。
電気じゃない?そこで。
あそこにバイトとして入る。フルタイムのバイト。
超楽しそうですね。
楽しかったですよ。そこでもまたいろんな人会いましたね。
ああいう音楽に好きな人がたまってるから。
僕も大阪住んでた頃があるんだけど。
ちょっとずれてるか。違うか。
三角公園の近くにあったんですよ。
あーめちゃくちゃ情報集まってきそうですね。
あそこの2階のマガジンコーナーに入る。
マガジンコーナーは音楽関係の雑誌とかばかりでしょ。
その同じフロアにジャズとかブルースとかレゲエとかっていう
ああいうミュージックも同じフロアにあって。
そっから僕はジャズが好きになりました。今でもよく聴いてるけど。
90年代ってのはまだCDが前世紀で
そのマガジンもめっちゃいっぱいありましたもんね。
ありました。
スコアとかもあったし。
音楽やりますもんね。
よく行ってましたよ。
そうなんや。
あの2階におったんですよ。
それでジャズに。
まあアメリカはもともと好きですしね。
そうですね。
ジャズとかかっこいいなとかはじめて。
全然知らないんですよ。もちろん。
音楽聴いて、ヘビーヒッターとかでよくかかってるのとかで
社員向けに安く買えたりするのでね。
そういうのでよく買ったりとか。
楽器はやらなかったですか?
楽器はやらなかった。もう聴く専門です。
ほう、ほんで?
で、結局1年間やっとて。
アメリカ留学の決意
フルタイムのバイトやからね、あそこ保険とかもあったんですよね。
扱いはアルバイトやんだけど、保険とかそういうのもあって
しっかりした会社というか。
1年間おったんですけども
自分がアメリカに行きたいという気持ちが消えてないもんやから
このまま終わってもお金貯まらんなと思ったんですよ。
とにかくお金貯めて自力で行くしかないと思った時に
思ったのが留学やったんですよ。
なるほど。
もう自力で行くとしたら留学で行くしかないなと思って
そこで本格子入れてお金貯めようって決めたんです。
ほんで辞めて地元の塾に就職しました。
それは講師ってこと?
そうです。英語を教えてたんです。
そこはもうフルタイムの講師というか
正社員として雇ってもらったんで
もちろん給料も出るし
休みもあってボーナスもあって
というならでは大きい塾やったんで
そこで本格子入れて
お金貯めつつ。
もちろん仕事も一生懸命しましたけど
どれくらいやられたんですか?
そこは4年半とか
結局アメリカに来る直前まではそこでした。
なるほどね。
じゃあその後アメリカなんですね。
お金ちゃんと貯まって
貯めましたね。
ビザで留学って感じですね。
それは何?カレッジ?
カレッジです。
だから4代よりは安くはつくし
今からもう23年前やから
もうちょっともしかしたら
いろいろな面で安かったかもしれない。
ちなみにその頃何歳だ?
31歳。
ほぼ32になる。手前の。
なかなかのムーブですよね。
そうですかね。
結婚して落ち着いてる人も周りには
結婚はしとったんですよ。
あ、そうか。
フォトグラフィーとの出会い
で、落ち着かず。
行きたい気持ちがあれで
だから僕だけ先に来たんですけどね。
あ、そうなんですね。
まあ学生ビザだしね。
学生ビザだとF4でしょ、奥さんも。
働きたい。
そうなんですよ。
だから留学自体は
僕が貯めてきたお金で行くから
一緒に来ても
たぶん友達になるから
必ず呼び寄せるから
しばらく別居で
行かせてくれって言ったら
そこはいいよって言ってくれたんで。
すごいですね、信頼感が。
何年くらいだったんですか、結婚して。
いやまだ2年ほどでしたよ、その時は。
なんかレアパターンだな。
大体みんな逆ですもんね。
留学で入ってきて
どうにかしてビザゲットしてって。
ヒカルさん最初に
就労ビザをゲットしようとしたけど
ダメだった。
留学からやり直し。
無事でもあれなんですか?
呼び寄せられた。
OPTの時。
OPTって分かりますかね。
大学卒業してから1年間働いていいよ
っていう期間がありますよね。
あの時に2年間
結局2年半行ったんですけど
大学35とかかな
手前かな
ひょっとしたら仕事見つからんかったら
もうOPTっていうビザが切れるので
日本に帰らなあかんかもしれへんけど
若い時に1年でも
海外に夫婦で住めるのも楽しいやろう
もしかしたら1年限定になるかも
彼女も働けるしね。
彼女もその時の仕事やめて
行くって言ってくれたので来て
僕はその後こっちで就職先見つけて
ビザ切り替えれたんで
そのOPTの間にですか?
OPTの間にこっちの日本の日経雑誌に
入って
正式なビザに切り替えれたんで
それ以降こっちにおるって感じですね。
そのようになると奥様も配偶者だから
そうです。
ちなみに何ビザをもらえたんですか?
H1です。
今ね話題のH1ですけどね
カンプ政権になった
H1取るのに
10万ドルかかるっていう
なんで?
みたいな話が今出てますけど知らないですか?
手数料じゃないな
人生料
10万?
10万ドル
誰も取らないですよね
その時はでも
その時は抽選はありましたっけ?
なかったです。
不利になってきて
1年目が
そうやわ。抽選はなかったけど
すぐに
クローズになった時でしたね
クローズ?
それまでは
人数制限があった
なんかいっぱいになりすぎて
すぐクローズになった
そうですよね
枠が決まってますから
でもギリ入れたと
抽選ではなくて
順当に
どうですか?その時は
念願のアメリカ在住
決まったってことですか?
たぶん嬉しかったんやろな
と思いますけど
その時でたぶん2年半
3年ぐらいおったんかな
アプライする時
なのでなんとなくアメリカ生活にも
慣れてたんで
たぶん嬉しかったと思うんですけど
日本にいた頃よりは
慣れてたな
全然意味がない
そういうもんか
グラデーション
だからといって帰りたかったかって言ったら
帰りたくはなかったんで
だから良かったとは思います
そっか
でも奥様も
2年間遠距離で
こうなんていうのかな
ちゃんと
ついてきてくれてというか
待っててくれたというか
高橋さんの夢ですもんね
そうですね
素晴らしいですね
ありがとうございます
恥ずかしい
でその出版社って
僕もよく知る会社ですけど
何年いらっしゃったっけ
7年っていらっしゃってましたっけ
トータルだからそれが何年だ
2005年やと思うんです
はい
2005年から
13年まで
もう一回変わってますよ
知ってる出版社
大きい時が
その時点に
片っぽから片っぽに
そうでしたね
そこで
カメラも写真も撮りつつ
記事を書きつつ編集部で
仕事をしてらっしゃった
記事がメインです
でも
どうでしたか実際に
奥様も海外生活
始めてみて
アメリカ生活ですか
アメリカ生活はやっぱり
自分には追うてるなとは常々
思いますね
だから来てよかったっていうのもすごい思うし
奥さんもそれは
追うてると思います
どこらへんが
環境もそうですやんか
天気とか
広々とした感じも
そうやし
人同士がギクシャクもせえへんし
すごくのびのびしてるし
学校
カレッジ通ってた時にも
思ったんですよね
発言も自由やし
みんな失礼なこと言わないんですよ
そこは万国共通やから
失礼な人は失礼って思うけど
質問することに対して
恥ずかしげもなく質問してくる
それに対して意見をちゃんと言える
環境とか
やっぱりいいなとは思いましたよね
友達アメリカ人の友達
できても別に遠慮することなく
同等にすぐ
なれたしそういう
日々の生活の環境が
日本よりも住みやすいというか
自分に合ってるなっていうのはやっぱり
うちに住んでる日本人は
みなさんだいたいそういう
お彼氏の中で思ってあるんちゃうかなと
そうですね
思いますけどね
何年か前
もう10年ほど前かな
古い友達がこっちに遊びに来て
時に言うてたんやけども
やっぱりお前はこっちの方が追ってるな
というのは言われたこと
やっぱり旗から見てもそうなんやろうなと思う
なるほど
ちなみに
ハリウッド
映画に興味があった
っていうのでアメリカ
憧れてたっていうのもあったと思うんですけど
その辺の熱っていうのは
冷めていった感じなんですか
留学で行こうって決めたって
言いましたでしょ
その時は実は映画学科を志望してた
だから僕は結局オレンジカウンティの
大学に行ったんですけども
そこをアプライした時には
フィルムデパートメントやってたんですよ
映画学科で入ると
レジストの時に
履修の時に
留学生やったんで
遅かったんですよね履修の順番が
先行取る
授業を取る順番が
遅かったの留学生やからかどうか
今はっきり覚えてないんですけど
なして僕行った時には
ほとんどの映画のクラスが
クローズやったんですよ
学校のカウンセラーに相談したら
フルタイムの留学生やから
必ず12単位以上取らない
違法になるから
今回のセメスターは
12単位何かしら
自分の好きなもので埋めなさいって言われたんです
で色々あるけど
あんた何がしたい?みたいなこと言われて
フォトグラフィーがあったんですよ
写真やったら
今までずっと趣味でもやってるし興味あるから
写真があったの授業取るって言って
ワンセメメで写真のクラス
ばっかり取ったんですよ
映画一切取れなかったんで
仕方なくフォト撮ったんやけども
これが面白かった
これが面白くてフォトグラフィー
じゃなくてフィルムで来たくせに
結局フィルム一回もクラス取らず
フォトグラフィーで卒業しました
そういうことか
そう
カメラのほうに
そこで勉強して
写真のほうにね
その時点で趣味歴は長かったんですけども
お勉強としてはアメリカで
ピッチリやった感じですね
キャリアの確立
それが今の仕事に繋がって
そうです
ちなみに
銀行時代にもらったカメラは
まだ持ってたりするんですか?
まだありますよ
もともとに
こっちにありますけど
でもやっぱりもう使ってないですけどね
動くんですか?
動くと思うけど
それすらもやっぱりちょっと分からないな
動作チェックしてないんで
まあでもなんかね
思い出の
品っていう感じはしますね
そこから始まってるってことですね
そうですね
素敵だ
お話
ありがとうございます
じゃあ
今から仕事の掘り下げですね
入っていきたいと思うんですけども
カメラマンになるまでにも
本当にさまざまな
経験をされてきたんですね
ねえ
割と
いろんな
会社もね
転職も何回かあって
っていう話でしたけどね
最初銀行マンで
銀行やって
映画の配給会社
そうですね
そんでなんだっけ
旅行会社の
面接に合格して
ビザが取れそうだった
ということで
留学とキャリアの始まり
やめちゃって
その話面白かったけどね
面白いって言うと
怒られちゃうけど
実家に帰って
早まってしまった
いつまでいるのっていう
みんなに言われるっていうね
塾の講師でしたっけ
その前のあれか
震災橋のタワーレコー
タワーレコー
これ俺よく
遊びに行ってたとこですけどね
俺大阪に住んでたころに
タワーレコーは楽しくてしょうがなかったよな
で塾の講師で4年間
お金を貯めて
留学をしてきた
31歳で
エマさん今
31だよね確か
そこから留学ですからね
でも割と周りで
まあそうですね
MBAとかは30代で
結構いっぱいいますけど
一回でもそうか
一回そこら辺でまた
人生考え直す時期といえばそうかもね
俺も
27、8で
このままだとちょっと
まずいかなって
ずっとフラフラしてたけど
結構
人生のことを考えた
時期もそのぐらいだったかもしれないな
まあでも結構大きな決断ですよね
はい
そうですよね
いろんなお仕事されてきたけど
常にアメリカに行きたいっていう
強い気持ちがあったっていうね
そうそうそうずっとずっと
めらめらとそれは
心の中に
突き動かして
その火種が消えないまま
してたっていうのもすごいけどね
一回ピザ
いけそうでいけないっていうのが
あったにも関わらず
それであれですよ
面白かったのはですね
映画学科に
入るつもりだったんだが
それが結構遅くて
仕方なく撮った
写真学科が結局
面白くて
で最終的にも
フォトグラフィーで
卒業まで至るっていうね
それが今の仕事になるっていうのが
人生どうなるか
分からんなーっていうね
確かにそうですね
鈴木良平とのつながり
まあ映画とね
写真は別にそんなに遠くない
ものではありますけど
演劇から始まって
ストレートにそこに
行ってるわけではないっていうのが面白かった
でもそれがまたね
面白いところですよね
もちろん経験値もねたぶん
役に立ってるだろうし
ちなみに
鈴木良平さんって知ってました?
知ってます?
知ってます
テレビCMとかにも出てましたよ
アメリカじゃなくて
日本で
そうだよね
俺もねインタビューした後に
ちょっとどういう人だっけって
見たらやっぱり俺はね
イメージしてた人でした
俺の中のイメージは
ヤクザの役をやってる
イメージしかなかったの
本当ですか?
爽やかなイメージでしたけど
いや俺はなんか結構ね
気合い入った演技してるヤクザの
やつしか見たことなかったんだよね
そんなにだから俺テレビ見ないんだけど
インスタかなんかで流れてきたの
なんかの
何の役なんだろうね
だから全部見たわけでもないのよ
その映画自体も全部
ただこの俳優の
まあいろんな役ねやられてますもんね
うん
鈴木良平ね
鈴木良平さん
ちなみに私の弟は鈴木良平に似てるって
人から言われるみたいです
めっちゃイケメンやん
めっちゃイケメン
あの激似ではないです
まあ雰囲気
雰囲気似てる
なんかなんとなく目は垂れてて
優しそうな顔してるね
だけど
俺が見たのは
文化の薬剤映画なんですよ
それ見たことなかったです
私はCMに出てるとか
広告に出てる鈴木良平さんを
よく見てました
それはめっちゃかっこいいなと思ったんだけど
劇団に入ってた経験
そうそうそうそうだから
竹部さんたちが立ち上げた劇団の
から出てるわけですからね
鈴木良平さんもね
すごいよね
後輩って言っていいのかな
そういうパターンって
もう同じ
組織に属してたのが後輩ですもんね
それ自慢になるよね
80年代アメリカの影響
面白いですね
あとはね
あれですね
80年代のアメリカに
憧れたっていうのは
結構そういう人多くて
こっちに来てる人だよね
俺はもうちょっと下の世代ですけど
俺もそういうところだもんね
80年代から
出た音楽とか
スケボーとか
西海岸のカルチャー
サーフィンとかもそうですけど
に憧れというか
かっこいいなとか楽しそうだな
めっちゃ影響受けてたんで
もう本当にアメリカがね
輝いてて
憧れだったっていうか
今はなんかちょっと
違うじゃんか
憧れではないよねアメリカはね
ジャイアンみたいな
大丈夫かなみたいな
心をたまにあり
うん
本当にそういう時期に
青春時代を生きてたんだなってこと
ちょっと羨ましかったりするしね
名前も出てたけど
友達が80年代の
服装?ファッション?
が好きで
アメリカン80年代
古着的な
そうですそうです古着
ハマってた友達もいます
うん
本当になんかね
面白かったっていうか
楽しいイメージしかないんだよね
その辺のやつって
その辺をね
知って今アメリカに来て
自分のやりたいことやって
生きてるって
素敵ですよね
以前からの思いをちゃんと果たして
そうそう
夢を叶えて
別にアメリカに憧れてない人から見れば
別にどうでもいいっていうかさ
なんとも思わないかもしれないけど
そうじゃなくて
アメリカの良さをたくさん
知っててさ
ああいう時代があった
こんなことやってたみたいなのを
思い出を抱えたまま
そこに生きてるっていうのはさ
やっぱ楽しいなと思うけどね
俺もそうですけど
そうですね
憧れですね
憧れの場所に
ずっといられるんですよね
住んで
寝ても覚めても
憧れの空間
マドンナに
実際会おうと思ってた
みたいな話もしましたけど
それを
できるじゃないけど
その時の気持ちを思い出しながら
多分思い出す時もあると思うしね
アメリカで生活してて
でも私もロサンゼルス行ったら
ハリウッドスターに
いつも会えちゃうんじゃないかしら
とか思いましたよ来る前は
会っちゃったらどうしようみたいな
会えた?実際に
どこにサインしてもらえばいいのかしらみたいな
いらない妄想をしたりして
実際に会えましたか?1年ぐらいいたんだよね
会ってたのかな?気づいてないのかな
道歩いてて会ったとかはないです
なかったです
そうか
あの人はねなんかありますよ
あります?
あれ名前なんだっけな
忘れちゃった
女優
焼肉食ってて女優さんに会った
めちゃくちゃ有名な
綺麗な女優さんに会ったの
とあとは
俺がバイトしててキャメロンディアス
にサーブした
っていう話は多分この番組でもしてますけど
とか
カリウッド女優とか
俳優つったら誰だろうな
まあでも結構そこら辺に
ふらふらしてますよね
まあそうですよね
生活されて住んでたら
そうそう
でも僕が日本にいた頃に憧れてた
バンドの人たちは
本当にそこら辺のバーで飲んでたりとか
神のように
崇めていたバンドがやっぱ
そこら辺にいるんで
それはそれですげえやっぱ
嬉しかったしね
楽しいなあと思いながら
生活してましたけどね
そうですね
そんな感じか
じゃあそうして
フォトグラフィ学科で卒業した
竹部さん
写真フォトグラファー
という仕事に対する
姿勢ですね
うん
まあでも本当に前もね
先週も言ってましたけど
なんていうのかな
誠実に仕事に向き合っている感が
多分ウェブサイトからも伝わると思うので
みなさんもちょっと見てもらいたい
と思いますけど
どういう思いで仕事をしているのか
みたいなところの掘り下げですかね
次は
仕事面の深掘り
はい
それでは次回も
お楽しみに
はい
リアルアメリカ情報
このコーナーでは
最新のビジネス生活情報を
アメリカからお届けしていきます
はい
今回は
トランプ大統領がシカゴに
州兵を派遣する意向を
明言という
話題をお届けしたいと思います
なぬ
州兵
州の
州が
持ってる兵隊さんを
シカゴに派遣しよう
と言ってるそうなんですよ
はい
ロサンゼルスで6月にデモが起きたときにも
州兵が派遣された
アイスの話ですね
アイスのはい
ですけど
シカゴも
シカゴイディノイシュのシカゴは
この地域が
民主党
反トランプの地域
というのもあって
治安対策のために
州兵派遣するんだ
と言っているそうです
いつ派遣されるか
っていうのはまだ
言われてないけど
その予定だ
ってこと
なるほど
アイスの活動のために
っていうのが
メインなのかね
不法移民を取り締まるためなのかね
そうですね
移民取り締まり
それに対する
そのことに対するデモも
起きてて
ダウンタウン
そうだよね
それがニュースで出てたやつか
エマさんが
引っ越して間もない頃に
そのニュース
でも9月6日に
デモが
あったんですけど
全然私
気づかないレベル
デモや政治の影響
感じなかったんですよ
何してたっけと思って見てたら
私はフリーブランドというところに
旅行に行ってました
ちょうどよかったです
だから気づかなかった
あれ?
なんかデモあるみたいだね
ミツさんからもメッセージもらった
大丈夫みたいな
あれ?みたいな
そんなあったのかしら
と思って見てみたら
ニュースではあった
しかもシカゴのダウンタウンで
行われましたみたいな感じで書いてあったんで
あれ?
私寝てたのかしら
ダウンタウンに住んでるんだもんね
違いました
車で5時間先の
フリーブランドというところにいたので
それはよかった
全然影響がなかったんですけど
少なからず
道路が封鎖されたり
いろいろ
あったとは思うけどね
LAもだって
フリーベイが封鎖されたりすると
LAはこっちだからね
渋滞もすごいし
外務省の
安全情報のところにも
シカゴのダウンタウンで
今後の抗議活動とか
行われるかもしれないから
近づかないでください
って書いてありました
そうだね
その場所
両次官からもメールが来たりしますけど
ここでいついつデモがあるから
近づかないようにしましょうとかね
そういうのは
割と気を張っといた方が
巻き込まれると
大変なことになる
なりかねないからね
特に
ベイビーなんて連れて
そののに巻き込まれたら
えらいこっちゃだからね
しかし
本当全米が揺れておりますな
揺れております
てかもう
2025年ずっとそんな
ニュースばっかりですけど
チャーリーカークさんの
事件も
事件もありましたしね
驚きましたね
今月か
いろいろありますよね
日本もいろいろ動いてるのか
そうですね
大統領ではなくて
自民党総裁が
そうですね
石破さんが辞めたっていうのが
先週とかだとしたけど
なんかでも
だんだん若い人も
政治に興味を
持ち出しているような
感じはありますよね
俺はそんなに
政治知らないんですけど
全然知らないんですけど
それでも
そういう感じは受けますね
どうですか石破さん的には
確かに
政治家の方が
SNS活動とか
も始めて
そこに
若い方と見られる方が
たくさんコメントしてるから
関心高まってるんだなっていう風に
感じますね実際
ソーシャルメディアで
発信する政治家が
発信を始めて
それがかなり
選挙とかの場合
そうですね
若い人の支持がかなり盛り上がったりするのも
あるから
そうね今朝のニュースだと
今日ちなみに
26日ですけど9月の
小泉慎二郎さんの
ちょっとあれやばいんじゃないか
みたいな話出てますよね
メディアに対して
俺を
称賛するようなことを言えみたいなことを
言ったみたいな
ソーシャルメディアでボロボロに書かれてるから
ボロボロに書かれてました
私見ましたコメント
風当たり強いなぁ
って思ってたんですけど
あれ見たら凹むよなぁと思うけど
いいコメントしてくださいって
メールで流しちゃったってやつですよね
そうそうそうそう
まあね
まあどっからどこまでが
本当でどっからどこまでが
作り話なのかようわからん
ところもありますけども
10代20代に
届けるってなると
SNS使ったほうが
そうですね
新聞とかに頑張って乗るよりかは
SNSのほうが
届きやすい感じはしますよね
若者に
ちなみに
でもアメリカの
去年の
大統領選は
ポッドキャストに出た
トランプがたくさんしゃべって
それに若者が結構影響された
みたいな話も
ポッドキャストの
意欲が
日本も増したらいいなと思いますけど
確かに音声メディアもね
そう
音声メディアってやっぱ声だけだと
嘘がつきにくい
っていうか
あの
その人の本性が伝わりやすいと思うんですよね
はい
だから温度感みたいなね
だからそういう良さをなんか
良さが伸びたらいいなって思いますけどね
確かに
だから本当にテレビ用の
コメントとかじゃなくて
5人でしたっけ今
総裁候補が
はい
一人一人が自分の言葉で本音で
しゃべっている
ものを聞けた方が
判断しやすいと思うしね
テレビ用のなんかね
テレビ用は周りの皆さんが
一生懸命
台本をね
半分以上
それを読んでいる
いらっしゃるとは
思いますからね
どこまで本音かって
ポッドキャストとか
ラジオはやっぱりその本音が聞ける部分が
俺はあると思うので
それが良さだと思うし
はい
まあいいやその話は
話を戻しますと
はい戻しますと
戻しますと
シカゴに
周兵が派遣される
チーハンの維持という名目で
そうですね
まあいろいろ
安全に気をつけて
とにかく安全に生活を
するのが一番ですので
していきます
竹部茂教の経歴
はいここまで
リアルアメリカ情報でした
はい
締めのコーナーです
質問ですが
竹部さんの
お話にもあやかってなんですけども
最後の方に出てましたけど
映画の
元々演劇部立ち上げて
映画の
制作とかに興味を持ち始めた
映画学科に入るつもりだった
アメリカに来てからね
だけどそこが
満席というか遅かったから
仕方なく
写真学科の方を取った
そして
思わぬ面白さがそこにあり
結果的に今
写真の仕事をしているという経緯があったんですけど
はい
なんか自分が望んでなかった
けども
やむを得ず進んだが
結果良かったみたいなこと
何かありますかっていうちょっと難しい
質問ですけど
パッと出るか分かんないけど
それで言うと
大学受験
がですね
希望は
法学部だったんですよ
っていうのも
別に
あんまり深く考えてなくて
文系で
一番難しいのって法学部だったから
入れたら
かっこいいなっていうだけで
入ったら法律をやらなきゃいけない
っていうのは当たり前なのに
それあんま考えてなくて
文系トップいけたらかっこいいなっていうので
なんとなく名前で
学科名でみたいな
目指したんですけど結局ダメで
文学部の英文科に行ったんですけど
でも
それのおかげで英文科
だったから
アメリカに
学生の時に留学して
気づいたら
今アメリカにいるんですけど
あーなるほどね
だから
そうしてアメリカに来ることになったけど
その時も
学生の時行ってすごい好きだったから
全然また行けんのラッキーみたいな感じだったし
あーそっかそっか
帯同するってなった時もね
そうそう帯同するってなった時も
だから結構よかったのかなみたいな
なるほどね
その
全然
入る時は
文学部になっちゃったよみたいな
一番文系で
技術悪いとか
あんま実用的じゃない
とか言われてるんですけど
経営学部とか
そうそうそう経済学部とか
に比べたら
なんか就職に弱い
みたいなことも言われることあるんですけど
そんなことはなく
全然みんな周りの人もちゃんと就職してるし
でも法学部行ってたらね
もっとまだ
勉強しなきゃいけなかったかもしれないし
そうそうそうそう
全然法律とか興味なかったから
考えたら全然
興味ないのに
なんで目指してたかなって感じなんですけど
まあただあの弁護士
将来弁護士になる
友達はいっぱいできたかもしれないけど
あーそうですね
まあでも旦那さんがもうなってるから
もう必要ないし
結果ね
人生わかんないなって
まじで結果
オーライな話でした
営業職の経験
まあでも今
俺もそれを聞きながら思い出したけど
俺もね
高校じゃねえや
高校の受験が
もう失敗してるんですよ
失敗っていうか
目指してた高校に
仲間4人ぐらいで
みんなでここの野球部に入ろうぜ
みたいな感じで
受けたのに俺だけ落ちて
違うところに行ったんだけど
まあ結果そこはでも楽しかったし
学力が一個下だから
上の方に行ってたらずっと
しんどかったんだろうとかも思ったり
あとその劣等感みたいな
のもあったんだろう
とか思うとやっぱ良かったなって思うし
今それ絵馬さんの話
聞いて思い出してたんですけど
あとね
もう一個あの営業職に俺
ついたんですよね
こちらでバンドやってて
このままじゃいかんと思って
メディアを作ろうと思った
ことがあって
でその時に
前職の会社の
社長と出会って
うちで営業やるかっていう風に
オファーをもらって
営業職なんて存在すらも
よく分かってなかった
まあその今絵馬さんの工学部の
話もそうだけど
なんすかそれみたいな感じ
始めたんだけど
結果色んな
社長さんにも会える機会を
もらったりね
色んな会社の人と話せるので
なんか結果色んなことが
勉強になってめちゃくちゃ良かったなー
って思ってる
望まぬ道の結果
しなんか向いてたんだろうなって
思うんで
なんか全然望んでなかったけど
結果良かったなーって思いますね
そういう
そういうものなのかね
そのさ
捉え方っちゃ捉え方の
話なわけでさ
なんつーの
絵馬さんもその後で振り返ったら
あそこで文学部に
行っといて良かったなって思ってるわけだけど
当時はね
滑り止めだった滑り止まった
唯一滑り止めだった
本望ではないわけだからね
はい
ちょっと引っかかっただけだったんですけど
そうそうでも留学の
機会はなかったと思うんで
うーん
なくはないけど
行ったからこそ恵まれたかなって思います
そういう風に
捉えるというか
考えるのも大事かもしんないね
はい
ネガティブにずっといないで
確かに
そうですね
はい
じゃあそういう感じで
今回の
お便りをメゲットに
募集しますが
今回のテーマは
自分が望んでなかったが
道だけど結果良かったこと
って何ですか
結果良かったこと
知りたい
ぜひぜひ皆さん
お寄せください待ってます
今ちょっとかわいそうだから送ってやろうかな
って思っているあなた
ぜひメールください
はいお待ちしております
はい
採用された方には
お便りの募集
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はいそうです
他の番組を聞いてると
ここでねメールアドレスを
言うんだよね
なんとかなんとか
そっちの方が送りやすいんかな
とかふと思ったりもする
といってまだ
メールフォーム
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ウェブサイトのフォームから
そうです
そっちの手間は変わんないと
思うんで
ぜひウェブサイトの
フォームから
今のところは
フォームからお待ちしております
お待ちしております
そしてインタビューと
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今週もお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございます
それではまた来週
じゃあね
01:14:28

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