どうも皆さんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、高派な文学作品を楽しもうコンセプトに、文学と猫が好きな二人が、ゆるーく文学作品を紹介するラジオ番組です。
お相手は、私、小説が好きなおかげのダイチと出場めぐるカフェのミエの二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、東京と京都をつないで、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
お互いの紹介に関しては、第0回で話しているので、そちらをお聞きください。
はい、今回なんですけど、本当は一本にまとめたかった、村上春樹さんの最新短編集、一人称単数をお届けします。
で、これは後半になるので、もしちょっとこれ最新エピソードだと思って聞いてらっしゃる方いらっしゃったら、前半からちょっと聞いていただけたらなと思います。
前半後半合わせると結構長いアレになっちゃうんですけど。
思いのほか長くなっちゃいましたね。
うーん、じゃあちょっと私話しすぎましたね。
そうですよね。だから今回ね、8作あるんですけど、8作全部紹介するのは無理だなーって言って絞ったんですけど、一個一個がめっちゃちょっと喋っちゃいましたね。
そうですね。あのー、その絞った3つの作品、前半では2つ話せるんですけど、話しすぎてしまって、編集どうしようか悩んだ結果、まあもう配信しちゃいということで、本日はこの配信で後半部分に触れますので、よろしくお願いします。
じゃあ、その後半をお届けしたいと思いますので、お聞きいただけたらなと思います。
じゃあそんな感じでちょっと次行きますか。一人称単数行きましょうか。
これあの、一人称単数っていう、まあ表題作、タイトルになっている作品が一番最後、書き下ろしで入ってるんですけど、これまた不思議な話ですよね、これね。
うーん、なんか一番短い、16ページぐらいですかね。
短い話なんですけど、これはなんていうか、あの、筋だけ話すと本当なんだって感じなんですけど、
この主人公、私は普段スーツを身にまとう機会なんかないんですけど、必要もないのに着てしまう時があるみたいな話をしてて、まあ家で。
で、着たからにはちょっとそのまま外出しようかみたいな気持ちで、外出、まあちょっとこれが一種の儀式みたいな感じになってて、
まあバーに入って、その時に本が読めるような、あの照明がちゃんと当たってる席を選んで読むんですけど、
その時に、なんか女性が50歳前後ぐらいか、の女性が入ってきて、一人で飲んでるんですけど、
で、まあそれをなんとなく主人公は見てた、見て、まああの読書をしたんですけど、突然その女性が話しかけてくるんですよね。
失礼ですがって言って。で、ずいぶん熱心に本を読んでらっしゃるみたいだけど、ちょっと伺ってもよろしいでしょうかっていう。
で、そこにはなぜか冷ややかな態度っていうか、冷たい感じの印象を主人公は思うんですけど、
そんなことをしていて何が楽しいのって、その彼女に言われて、え、なんで聞かないこんなことを言われるんだろうみたいな感じになるんですけど。
おっとつな感じがありますよね。
で、シャレた格好をして一人でバーのカウンターに座ってギブレットを脱げながら、
寡黙に読書にふけっていること、そういうのが素敵だと思っているわけ、都会的でスマートだと思っているわけって急に言われて、
まあめちゃくちゃ嫌な気持ちになるんですけど、これ何だろうとなるんですけど、で、主人公がこんなこと急に言われるから、
あれ、私ってあなたと知り合いでしたっけみたいな、なんかあの話になって、人違いなんじゃないかっていうこと言うんですけど、
どうやらなんかこの女性は、まあ勘違いなのかもしれないけど、私もあなたの友達の友達なのっていう話をして、
で、私の、あ、あなたのその親しいお友達は、というかかつて親しかったお友達は、今ではあなたのことをとても不愉快に思っているし、
私も彼女と同じくらいあなたのことを不愉快に思っている。思い当たることがあるはずよ。よくよく考えてごらんなさい。
3年前にどこかの水辺で会ったことを言われて、え、なんだ?みたいになって、身に覚えがあるのかどうかみたいなところになるんですけど、
それで、あの主人公は聞き返さなかったんですよね。そのまま、あの、その場をとにかく去って、その3年前のことを考えるんですけど、
3年前、水辺で会ったことっていうのを思い出そうとするんですけど、まあ、なんとなくこう、うまく思い出さなくて、焦点を描いていってっていう感じになってて、
あの、そんなモヤモヤした感じで、この小説終わるんですよね。
なんか、あ、当時悪いですよね。
そうですね。この一番最後で。
で、一応ここで、一人称単数のことが書いてあるんですよね。
私のこれまでの人生には大抵の人の人生はおそらくそうであったように、いくつかの大事な分岐点があった。
右と左どちらに行くこともできた。そして私はその度に右を選んだり左を選んだりした。
そして私は今ここにいる。ここにこうして一人称単数の私として実在する。
もし一つでも違う方向を選んでいたら、この私はたぶんここにいなかったはずだ。っていう、なんかこの一人称単数に対して説明もあるんですけど、
これもちょっとよく抽象的でわかりづらいし、まあ、いろんなことがあるけど、一人称単数っていうか、まあ、私としてここにいる。
けれども、そのことがなんかこの女性によってグラグラさせられている感じがありますよね。
うん、そうですよね。で、確かにその話の前に、私はどこかで人生の回路を取り違えてしまったのかもしれないって言って、
結構、そうですね、なんか自分を見直そうという、そういう思考をしているなっていうのがなんか読み取れるんですよね。
これ最初やっぱりこのスーツを着て出てくっていうことで、やっぱり自分じゃなくなっているってことですよね、きっと。
いつもの自分じゃなくなっていて、まあ、もう何だろう、偽ってるっていう。
まあ、そうです。なんか自分にちょっと言い訳を与えるための儀式みたいなことです。
結果、まあ、女性からこういろいろ言われて、ちょっとよくわかんなくなっている。なんかこれでも思い当たるとこがあるのかどうかっていう。
そうです。でもこれ確かに文脈からすると、スーツを着るという儀式をして、結構ね、自分の人生を振り返るというか、
一人称単数という言葉を出して、いや私っていうのは、今の私が私なのかみたいなことを考えたりして、しかも本を読みたいな、結構本が読めないんですよね。
集中できないんですよね。
だからそんなちょっと不安定な中で、突然女性、結構敵対的な感じで来る女性が来るっていう。
だからこの女性もあんまり実在感というのを感じないんですよね。
確かに、そうか、幻観もありますね。
なんかそうなんですよ、主人公のちょっと不安定な心というか、なんかそれが形となって現れたかのような。
確かに。
この小説を読んで思ったのは、僕最初のスーツを着るシーンとかって、なんかすごいエッセイっぽく書かれていて、
なんかこれは小説ではなくて、もしかしてエッセイなのかなって一瞬ちょっと思った。
ノリのいい感じで文章が書かれていて、なんかそれを、なんか軽快なところだけを抜き出しても、
面白い何かものが書けるんじゃないかなって思うんですけど、
でもあえて後味の悪いような、指定される自分っていうのを書くっていうところがやっぱり、
何かそれが小説家なのか作家なのかなっていうのもね、ちょっと思ったりして。
いろんな意味がすごく読めちゃう小説で、ほんと16ページだけど。
なかなか解釈難しい小説ですよね。
そうですね。これ書き下ろしなんで、いつ書かれたかってわかんないですけど、
結構ね、比較的最近というか、近いと思うんですけど、
世の中的にはコロナとかで、世の中全体が状況が変わってきているっていう、
仮にそういう状況の時に書いているものとしたら、なんかすごい意外すぎるというか、
世の中がすごい順調だった時に、なんかちょっと鼻先を折るような小説として提示されているんだったら、
それはちょっと納得できるところはあるかなってちょっと思うところはあるんですけど、
もしそうじゃないと、世の中の状況が変わってきているっていう時に、
この書き下ろしを書いたっていうのは、そこにどういう意味とかね、
そんな考えてもしょうがないかもしれないんですけど。
でも、一人称単数っていう名前で文学界で発表が始まっているので、
一番最初に発表されたのは2018年の7月号なんで、2年ぐらい前なんですよ、多分。
多分2年前ぐらいからこの一人称単数っていうシリーズが始まっているんで、
ここに集約するつもりで書いてたとしたら、
この他の7編も記憶違いとか、自分のこの潜入感なのかなとかの話が結構多いような気がするんで、
何かそういう意味合いも含めているんじゃないかなって思うけど、
最後なんかこの、さっきみえさんが言ってた後味の悪い感じっていうのは、
何を狙ったんだろうなっていうのはすごくもやっとしますよね。
楽しく終わることができそうな、そういうのも絶対書けたと思うんですけど、
でもそうではないと、結構否定的な終わり方を持ってきたっていうところが。
これなんか読んだ人の話聞きたいですよね。
結構いろんな話が出そうな、ラストの、まあ全体含めてですけどね。
そうですね。その最後も、主人公というか村上春樹個人に投げかけられた、
その否定の言葉なのか、社会全体に対して投影できるようなものなのか、
時間が経った後も全然大人になってしまった後もみたいな。
結構その出てくる実際歌が、短歌が何個か紹介されてるんですけど、
それも確かにちょっと印象的な短歌がポツポツあったりして。
ね、面白いですよね。
これは関わり方がちょっとあれだったんですけど、
自分が何かしらで関わった人の何かが自分の中にずっと残ってるってこと結構あると思うんで、
そういうことをすごく描かれてて、私は結構好きでした。
なんかちょっとこの話をするべきかどうかあれなんですけど、
一部の村上春樹さん、アンチって言い方知っていいのかあれなんですけど、
アンチ村上春樹さんの中には、
なんかすぐ主人公の男の子が出てくる女性と性的な関係をすぐ持ってしまうみたいなことで、
なんかこう批判をされてるというか、嫌われてしまってるところがあると思うんですけど、
まあ言っちゃうとこの石の枕ってちょっとそういう話ではあるかなと思うんですね。
付き合ってるわけでもないし、なんとなくこの関係を割りかしライトに持ってしまうとこなんですけど、
そういうのを嫌ってしまう気持ちっていうのはわかります。理解はできます。
でもちょっとなんか個人的に思ってて、
なんか結構最近やっぱSNSが発達しているので、
村上春樹さんこういうの嫌いだみたいなことを言ってるアカウントとかをフォローしたりとかしてると、
それに結構同調しちゃって、なんかそういうもんだと思って、
村上春樹さんを見てる人もいるんじゃないかなと私は個人的に思ってます。
そういう情報が入ってきちゃってるからそういうもんだって思ってるみたいな。
でも実際この石の枕にっていう小説もそうなんですけど、
まあそういう性的な表現、村上作品多いですけど、
別にそれが表現したいわけではないし、
ホイホイそういう関係になるのどうなんだってのはもちろんあるんですけど、
それを描かなければ描けないのかっていうわけでもないのかもしれないで、
まあその辺の感情っていうのは理解はできるんですけど、
だからといって全部村上春樹さんダメみたいな感じで切っちゃうのはもったいないなと個人的には思ってます。
伝わるかどうかあれですけど、
例えばこの石の枕にとか本当最初そういう感じで始まっちゃうから、
ちょっとそれであれなんかやっぱり村上春樹ってこうじゃんって思って切っちゃうのはもったいないな。
しかもこれ短編集の一番最初に入ってるんで。
少し関わった人が持ってたものが自分の中に深く残ってて、
その人とはもう会うこともないし、話すこともない、関わることもないけれども、
その人何かが自分の中に残っててるっていうこと。
これってなんか自分の人生、私の人生の中にもあるし、
多分いろんな人の人生の中にこういうことってあると思うんですね。
そういうのを描いてるからなんかあるところを切り出して、
それだけで全否定するのはまあもったいないなって自分は思ってます。
ということをちょっと伝えたきたいなって思いました。
自分が言いたいことが伝わればいいなって、誤解なく伝わればいいなって思ってます。
村上春樹の作品って本当にいろんなエッセンスが、
しかも意図的にそのエッセンスを出しているんじゃないかなと思うので、
どうしても受け入れられないものは仕方ないと思うんですけど、