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どうも皆さんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、高派な文学作品を楽しもうコンセプトに、文学と猫が好きな二人が、ゆるーく文学作品を紹介するラジオ番組です。
お相手は、私、小説が好きなおかげのダイチと出場めぐるカフェのミエの二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、東京と京都をつないで、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
お互いの紹介に関しては、第0回で話しているので、そちらをお聞きください。
はい、今回なんですけど、本当は一本にまとめたかった、村上春樹さんの最新短編集、一人称単数をお届けします。
で、これは後半になるので、もしちょっとこれ最新エピソードだと思って聞いてらっしゃる方いらっしゃったら、前半からちょっと聞いていただけたらなと思います。
前半後半合わせると結構長いアレになっちゃうんですけど。
思いのほか長くなっちゃいましたね。
うーん、じゃあちょっと私話しすぎましたね。
そうですよね。だから今回ね、8作あるんですけど、8作全部紹介するのは無理だなーって言って絞ったんですけど、一個一個がめっちゃちょっと喋っちゃいましたね。
そうですね。あのー、その絞った3つの作品、前半では2つ話せるんですけど、話しすぎてしまって、編集どうしようか悩んだ結果、まあもう配信しちゃいということで、本日はこの配信で後半部分に触れますので、よろしくお願いします。
じゃあ、その後半をお届けしたいと思いますので、お聞きいただけたらなと思います。
じゃあそんな感じでちょっと次行きますか。一人称単数行きましょうか。
これあの、一人称単数っていう、まあ表題作、タイトルになっている作品が一番最後、書き下ろしで入ってるんですけど、これまた不思議な話ですよね、これね。
うーん、なんか一番短い、16ページぐらいですかね。
短い話なんですけど、これはなんていうか、あの、筋だけ話すと本当なんだって感じなんですけど、
この主人公、私は普段スーツを身にまとう機会なんかないんですけど、必要もないのに着てしまう時があるみたいな話をしてて、まあ家で。
で、着たからにはちょっとそのまま外出しようかみたいな気持ちで、外出、まあちょっとこれが一種の儀式みたいな感じになってて、
まあバーに入って、その時に本が読めるような、あの照明がちゃんと当たってる席を選んで読むんですけど、
その時に、なんか女性が50歳前後ぐらいか、の女性が入ってきて、一人で飲んでるんですけど、
で、まあそれをなんとなく主人公は見てた、見て、まああの読書をしたんですけど、突然その女性が話しかけてくるんですよね。
失礼ですがって言って。で、ずいぶん熱心に本を読んでらっしゃるみたいだけど、ちょっと伺ってもよろしいでしょうかっていう。
で、そこにはなぜか冷ややかな態度っていうか、冷たい感じの印象を主人公は思うんですけど、
そんなことをしていて何が楽しいのって、その彼女に言われて、え、なんで聞かないこんなことを言われるんだろうみたいな感じになるんですけど。
おっとつな感じがありますよね。
で、シャレた格好をして一人でバーのカウンターに座ってギブレットを脱げながら、
寡黙に読書にふけっていること、そういうのが素敵だと思っているわけ、都会的でスマートだと思っているわけって急に言われて、
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まあめちゃくちゃ嫌な気持ちになるんですけど、これ何だろうとなるんですけど、で、主人公がこんなこと急に言われるから、
あれ、私ってあなたと知り合いでしたっけみたいな、なんかあの話になって、人違いなんじゃないかっていうこと言うんですけど、
どうやらなんかこの女性は、まあ勘違いなのかもしれないけど、私もあなたの友達の友達なのっていう話をして、
で、私の、あ、あなたのその親しいお友達は、というかかつて親しかったお友達は、今ではあなたのことをとても不愉快に思っているし、
私も彼女と同じくらいあなたのことを不愉快に思っている。思い当たることがあるはずよ。よくよく考えてごらんなさい。
3年前にどこかの水辺で会ったことを言われて、え、なんだ?みたいになって、身に覚えがあるのかどうかみたいなところになるんですけど、
それで、あの主人公は聞き返さなかったんですよね。そのまま、あの、その場をとにかく去って、その3年前のことを考えるんですけど、
3年前、水辺で会ったことっていうのを思い出そうとするんですけど、まあ、なんとなくこう、うまく思い出さなくて、焦点を描いていってっていう感じになってて、
あの、そんなモヤモヤした感じで、この小説終わるんですよね。
なんか、あ、当時悪いですよね。
そうですね。この一番最後で。
で、一応ここで、一人称単数のことが書いてあるんですよね。
私のこれまでの人生には大抵の人の人生はおそらくそうであったように、いくつかの大事な分岐点があった。
右と左どちらに行くこともできた。そして私はその度に右を選んだり左を選んだりした。
そして私は今ここにいる。ここにこうして一人称単数の私として実在する。
もし一つでも違う方向を選んでいたら、この私はたぶんここにいなかったはずだ。っていう、なんかこの一人称単数に対して説明もあるんですけど、
これもちょっとよく抽象的でわかりづらいし、まあ、いろんなことがあるけど、一人称単数っていうか、まあ、私としてここにいる。
けれども、そのことがなんかこの女性によってグラグラさせられている感じがありますよね。
うん、そうですよね。で、確かにその話の前に、私はどこかで人生の回路を取り違えてしまったのかもしれないって言って、
結構、そうですね、なんか自分を見直そうという、そういう思考をしているなっていうのがなんか読み取れるんですよね。
これ最初やっぱりこのスーツを着て出てくっていうことで、やっぱり自分じゃなくなっているってことですよね、きっと。
いつもの自分じゃなくなっていて、まあ、もう何だろう、偽ってるっていう。
まあ、そうです。なんか自分にちょっと言い訳を与えるための儀式みたいなことです。
結果、まあ、女性からこういろいろ言われて、ちょっとよくわかんなくなっている。なんかこれでも思い当たるとこがあるのかどうかっていう。
そうです。でもこれ確かに文脈からすると、スーツを着るという儀式をして、結構ね、自分の人生を振り返るというか、
一人称単数という言葉を出して、いや私っていうのは、今の私が私なのかみたいなことを考えたりして、しかも本を読みたいな、結構本が読めないんですよね。
集中できないんですよね。
だからそんなちょっと不安定な中で、突然女性、結構敵対的な感じで来る女性が来るっていう。
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だからこの女性もあんまり実在感というのを感じないんですよね。
確かに、そうか、幻観もありますね。
なんかそうなんですよ、主人公のちょっと不安定な心というか、なんかそれが形となって現れたかのような。
確かに。
この小説を読んで思ったのは、僕最初のスーツを着るシーンとかって、なんかすごいエッセイっぽく書かれていて、
なんかこれは小説ではなくて、もしかしてエッセイなのかなって一瞬ちょっと思った。
ノリのいい感じで文章が書かれていて、なんかそれを、なんか軽快なところだけを抜き出しても、
面白い何かものが書けるんじゃないかなって思うんですけど、
でもあえて後味の悪いような、指定される自分っていうのを書くっていうところがやっぱり、
何かそれが小説家なのか作家なのかなっていうのもね、ちょっと思ったりして。
いろんな意味がすごく読めちゃう小説で、ほんと16ページだけど。
なかなか解釈難しい小説ですよね。
そうですね。これ書き下ろしなんで、いつ書かれたかってわかんないですけど、
結構ね、比較的最近というか、近いと思うんですけど、
世の中的にはコロナとかで、世の中全体が状況が変わってきているっていう、
仮にそういう状況の時に書いているものとしたら、なんかすごい意外すぎるというか、
世の中がすごい順調だった時に、なんかちょっと鼻先を折るような小説として提示されているんだったら、
それはちょっと納得できるところはあるかなってちょっと思うところはあるんですけど、
もしそうじゃないと、世の中の状況が変わってきているっていう時に、
この書き下ろしを書いたっていうのは、そこにどういう意味とかね、
そんな考えてもしょうがないかもしれないんですけど。
でも、一人称単数っていう名前で文学界で発表が始まっているので、
一番最初に発表されたのは2018年の7月号なんで、2年ぐらい前なんですよ、多分。
多分2年前ぐらいからこの一人称単数っていうシリーズが始まっているんで、
ここに集約するつもりで書いてたとしたら、
この他の7編も記憶違いとか、自分のこの潜入感なのかなとかの話が結構多いような気がするんで、
何かそういう意味合いも含めているんじゃないかなって思うけど、
最後なんかこの、さっきみえさんが言ってた後味の悪い感じっていうのは、
何を狙ったんだろうなっていうのはすごくもやっとしますよね。
楽しく終わることができそうな、そういうのも絶対書けたと思うんですけど、
でもそうではないと、結構否定的な終わり方を持ってきたっていうところが。
これなんか読んだ人の話聞きたいですよね。
結構いろんな話が出そうな、ラストの、まあ全体含めてですけどね。
そうですね。その最後も、主人公というか村上春樹個人に投げかけられた、
その否定の言葉なのか、社会全体に対して投影できるようなものなのか、
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結構ね、そこを考えると、なんかちょっといろいろ考えてしまうような作品だなって。
なんかちょっと村上春樹個人に寄っているように私はすごく感じているんですけど、
村上春樹さんがちょっと自分の中で、そこで自分がどんなひどいこと、
おぞましいことをなさったかを恥を知りなさいって女に言われるところ。
なんか、まあ生きてれば何かしらあるだろうから。
そうですね。
たぶん村上春樹が自分が書いてきたことの中で何か、
あのこと書かなきゃよかったなとか思っているのか、ちょっとその辺はわかんないですけどね。
確かに。見方によってはなんか、自分が書いたものっていうのが思わぬところでね、
他人にちょっとリンクしてしまって。
傷をつけてたことを知ってしまってとか、
っていうこともなんかありそうだなってちょっと思いました。私は。
確かに。確かに。
なんかこの、もうちょっとポップな感じだと、ヤクルト・スワローズ刺繍の最後にも黒ビール、
あ、これなんか最後野球観戦してるところで終わるんですけど、
これ黒ビール飲みたくて、黒ビール配っているアルバイトの高校生を呼んで、
あ、黒ビールがあんまり売れなくて、黒ビール持ってきて、
あ、黒ビールならいいやって言われちゃうらしくて、
なんか提携で、すいません、これ黒ビールなんですけどって謝るのがもう当たり前になってきちゃってて、
主人公の僕は謝ることないよ全然みたいな。
僕は黒ビールが飲みたかったんだからみたいな感じになって、
彼はすごいありがとうございますって言って、
嬉しそうにニッコリして去っていくんですけど、
でもたくさんの子は、すいませんこれ黒ビールなんですけどって謝るんだろうなみたいな描写があって、
そこでこの主人公の僕が、僕も小説を書いていて、
彼と同じような気持ちを味わうことがしばしばある。
そして世界中の人々に向かって片っ端から謝りたくなってしまうっていう
あの文章が出てきてて、
これとちょっとリンクするとこがあるなと思って、
この一人称ダンス。
何か謝りたいのかなみたいなことをちょっと感じちゃったりしましたね。
すいません、あの黒ビールなんですかと謝りたいと。
ヤクルト・スワルドの施術ってなんかちょっと楽しい。
うん、すごいポップな話だから、
ちょっとまた対比的なんですけど、
でもちょっとなんかそこが似てて、
明るい謝りと暗い反省みたいな感じはちょっとしましたね。
他の5編も軽く触れて終わりにしましょうか。
そうですね。
一番最初のこの石の枕にっていうのは、
これでもすごい私結構好きなんですけど、
アルバイトの先の先輩の女性かなと、
その女性がアルバイト辞める時の飲み会みたいなところで、
帰りにその子が主人公で泊まりに来るんですよね。
そこで関係を持ってしまった時に、
一晩明けた時に自分は短歌を作ってるのって言い出して、
その短歌をちょっと聴かせてよっていうか、
どんな感じなのみたいになるんだけど、
自分で読み上げるのちょっと恥ずかしいってなって、
後日歌集が送られてくるんですけど、
主人公の中にそのいくつかの歌がずっと残ってくっていう不思議な、
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時間が経った後も全然大人になってしまった後もみたいな。
結構その出てくる実際歌が、短歌が何個か紹介されてるんですけど、
それも確かにちょっと印象的な短歌がポツポツあったりして。
ね、面白いですよね。
これは関わり方がちょっとあれだったんですけど、
自分が何かしらで関わった人の何かが自分の中にずっと残ってるってこと結構あると思うんで、
そういうことをすごく描かれてて、私は結構好きでした。
なんかちょっとこの話をするべきかどうかあれなんですけど、
一部の村上春樹さん、アンチって言い方知っていいのかあれなんですけど、
アンチ村上春樹さんの中には、
なんかすぐ主人公の男の子が出てくる女性と性的な関係をすぐ持ってしまうみたいなことで、
なんかこう批判をされてるというか、嫌われてしまってるところがあると思うんですけど、
まあ言っちゃうとこの石の枕ってちょっとそういう話ではあるかなと思うんですね。
付き合ってるわけでもないし、なんとなくこの関係を割りかしライトに持ってしまうとこなんですけど、
そういうのを嫌ってしまう気持ちっていうのはわかります。理解はできます。
でもちょっとなんか個人的に思ってて、
なんか結構最近やっぱSNSが発達しているので、
村上春樹さんこういうの嫌いだみたいなことを言ってるアカウントとかをフォローしたりとかしてると、
それに結構同調しちゃって、なんかそういうもんだと思って、
村上春樹さんを見てる人もいるんじゃないかなと私は個人的に思ってます。
そういう情報が入ってきちゃってるからそういうもんだって思ってるみたいな。
でも実際この石の枕にっていう小説もそうなんですけど、
まあそういう性的な表現、村上作品多いですけど、
別にそれが表現したいわけではないし、
ホイホイそういう関係になるのどうなんだってのはもちろんあるんですけど、
それを描かなければ描けないのかっていうわけでもないのかもしれないで、
まあその辺の感情っていうのは理解はできるんですけど、
だからといって全部村上春樹さんダメみたいな感じで切っちゃうのはもったいないなと個人的には思ってます。
伝わるかどうかあれですけど、
例えばこの石の枕にとか本当最初そういう感じで始まっちゃうから、
ちょっとそれであれなんかやっぱり村上春樹ってこうじゃんって思って切っちゃうのはもったいないな。
しかもこれ短編集の一番最初に入ってるんで。
少し関わった人が持ってたものが自分の中に深く残ってて、
その人とはもう会うこともないし、話すこともない、関わることもないけれども、
その人何かが自分の中に残っててるっていうこと。
これってなんか自分の人生、私の人生の中にもあるし、
多分いろんな人の人生の中にこういうことってあると思うんですね。
そういうのを描いてるからなんかあるところを切り出して、
それだけで全否定するのはまあもったいないなって自分は思ってます。
ということをちょっと伝えたきたいなって思いました。
自分が言いたいことが伝わればいいなって、誤解なく伝わればいいなって思ってます。
村上春樹の作品って本当にいろんなエッセンスが、
しかも意図的にそのエッセンスを出しているんじゃないかなと思うので、
どうしても受け入れられないものは仕方ないと思うんですけど、
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他のエッセンスもあるので、そういったところではまずは色々読んで、
それを読んでみるっていうのも大事かなと思うんですよね。
なんていうかな、ちょっと今ので伝わったかどうかですけど、
誰かがこう言ってるからこうなんだっていう目で見ちゃうと、
そうでしか見えなくなっちゃうことがあるんで、
ちょっとフラットに読んでみるのもいいんじゃないかなっていう提案でございます。
今回の短編集では、
ウィズ・ザ・ビートルズっていう短編もあるんですけど、
これもすごい印象的な作品で結構始まりが面白いんですよね。
1964年のビートルズセンプだった時代に、
主人公が同じ高校でLPレコードを抱えて歩いている女の子とすれ違うんですね。
これがとんでもなく美人な人で、こんな人高校にいたんだって。
すごい驚くほどの。
でもその女の子っていうのが本当にいたかどうか分からないんですが、
これがその後、見つけられないんですね、その女の子。
そんなことがあった中で全然違う人と、
その人も高校一緒だったのかな確か。
初めての彼女ができて、
その初めての彼女と付き合っていた時の話があったりするんですけど、
話としてはそこから彼女のお兄さんとの印象的な会話があって、
最初の作品の石の枕に重なるところとしては、
主人公はあんまり深くそこまで考えていなかったようなこと、
彼女と付き合うとか、
そんな出来事って人生の中のあくまで1ページに過ぎないと。
ただそれが本当に年取って後々になって、
ガツンと自分に問いかけてくるものがあるというか、
自分の心の中で残っているものがあるというか、
そんなのを思わせてくれて。
そういったところで、このミス・ザ・ビートルスっていうのも、
最初は高校生とかの恋愛話みたいな、
決してそうではなくて、
人生に残るものって何なんだろうって。
そうですよね。
そんなちょっと問いかけをされるような話で、
しかも話自体すごい面白い。
面白いですよね。
お兄さんがめっちゃ面白いですね。
クリームにするか、ミス・ザ・ビートルスにするか、私迷いますね。
そうですね。
でも印象に残る感じで言うと、
このミス・ザ・ビートルスは相当今回の作品の中では。
表紙も多分ミス・ザ・ビートルスを意識した表紙ですよね。
表紙を本屋さんとか、ネットとかで見てもらえば分かるんですけど、
右の上の方に、
さりげなくビートルスが。
ビートルスのレコードが刺さっているという感じで。
いいですよね。
ヤクルト・スワローズ史書ちょっと触れましょうか。
そうですね。
これなんか村上春樹の名前出てくるんですけど、
これ面白いのは、ヤクルト・スワローズ史書っていうのを
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羊を巡る冒険を書いたぐらいに、
自分で500部くらい出したみたいな話があるんですけど、
これ嘘なんですよね。
ちょっと調べれば分かるんですけど。
それね、知らない人に見たら結構騙されてますよね。
騙されると思います。
僕は騙されてたんですよ。
私もあれこれあんのかなと思って、
パパッとちょっと調べたらなかったから、
ああそういうことかと思って。
ああなるほど。
すごく面白い虚構を使った小説だなと思って。
自分の名前出してるし、村上春樹っていう名前出して。
僕は一応村上春樹っていう設定の小説で。
このヤクルト・スワローズ史書って結構親子の話というか、
お父さんとお母さんの話が出てくる家族なんですけど、
そうですね。
それって4月に出た猫を捨てるっていう。
私それ読んないんだよな。
これも小説というかエッセージ集というかそれがあって、
それは父親とか家族の話を書いてる本なんで、
それを読むとさらに理解がしやすいかなと思います。
シャニクサイですね。
シャニクサイもこれ面白かったけど。
設定がすごい変化球なんですよね。
主人公が今まででも最も醜い女性ということで、
Fなんとかさんっていう人を書いていて、
この人がとにかく普通ではないと。
ただそのFなんとかさんが紹介されるんですけど、
作中ではすごい魅力的な人なんですよね。
魅力的に書かれてますよね。
出会いはクラシックの演奏会で、
50歳の僕が10歳にしたのFなんとかさんと出会って、
すごい趣味も良くて、
着ているものとかも良いものを着ていて、
しゃべりもすごい上品というか、
強要のある人で、
ただちょっと様子が見にくいというのがあるみたいなんですけど。
読んでるとそれを感じないですけどね。
主人公とそのFなんとかさんが息統合して、
シューマンのシャニクサイという曲があるんですけど、
ピアノ音楽で、
それを2人でめっちゃ聴きまくるっていうか、
誰の演奏が一番良いとかって話なんですよね。
本当にいろんなCDとか集めたり、
演奏会やったら聴きに行ったりとかして、
これ読んでるとすごいシャニクサイ聴きたくなって、
チャーリーパーカーもそうですけど、
このシャニクサイも音楽を題材にして、
聴きたくなりますね確かに。
引き込まれるものがありますよね。
結構最後が意外な終わり方というか、
すごく良いっていうか、
この2人が、女性と主人公の僕が、
すごくニッチなクラシックの中でも、
このシューマンのシャニクサイの、
しかも中でもこのバージョンがとか、
この人の演奏がとかっていう、
細かくなっていて、
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そこですごく共感していくっていうか、
お互いの趣味を理解し合っていくっていう過程が
すごく良いなと思いました。
綺麗な話だなとは、その辺りは思ったんですけど、
最後ちょっと会ってというところで、
面白いですよね。
そうですね。
これも印象に残りますよね。
あと最後、品川太郎の告白なんですけど、
これは何て言ったらいいのかな。
名前を盗むことができる太郎で、
温泉に行くと小さな旅館で、
主人公が年老いた猿に、
急にお風呂入っていると現れるんですよね。
お湯かけにどうですかみたいな。
話しかけて。
背中流しましょうかみたいな。
その太郎の過去の話を通して、
こいつは名前を盗むことができるんだと、
ちょっと分かるんですけど、
で、この不思議な猿。
これは東京北端市に出てくる、
品川太郎ってやつの続編なんじゃないかな。
東京北端市の品川太郎では、
品川にいた猿が、
23区外から出てけって話になる話なんで、
不思議な寂しい猿が。
そうですね。
僕はこの品川太郎はすごいいいなって思ったのは、
このお猿さんって、
世の中では矛盾した存在なんですね。
そっか、そうですね。
人の社会にも属せないし、
猿の社会にも属せないし、
それで苦労していると。
あとすごい性格が素直で純粋というか、
そういう世の中に取り残されている存在に対しての、
主人公なのか村上春樹なのかあれなんですけど、
すごい愛情を感じるというか。
じゃあこんなところで、
ちょっと感想お互い最後にやりましょうか。
私結構村上春樹さんの短編好きなんですよ。
長編も好きなんですけど、
短編ってやっぱすごく、
結構感じるのが長編にもなり得る感じもするし、
長編の一部であるような短編って、
結構村上春樹さんの短編多いじゃないですか。
エッセンスを読んでいるような感じがして、
すごく好きです。
2、3年くらい前に、
ゾウの消滅とか、
あの辺のなんか、
短編集、作品集みたいのがあるじゃないですか、
村上春樹さん。
どこで言ったか忘れちゃったけど、
それを結構バーッと読み返す時期があって、
その時に思ったんですけど、
前もすごい何年も前にも読んでたし、
しばらく時間が経って読んだ時に、
なんか全然違うように感じた作品がいくつかあって、
自分の置かれた、
その時々の状況で感想が変わってくっていうか、
まああの捉え方が変わるのは、
村上春樹さんだなと思うので、
なんかまたこれもこの1日の短編集も、
時間が経って読むと、
全く違ったことを感じるんじゃないかなと思います。
だからその時々の気分にリンクしてくから、
多分私は今ちょっとクリームに今回
惹かれちゃってたと思うんですけど、
多分読んだら、
もしかしたらチャーリーパーカーブレイズ、
ボサノボとかすごい来るのかなとか、
多分すごく好きな小説だと思ったんで、
多分読んだ時の感情で
結構左右されそうだなと思ってます。
三枝さんどうでした?
やはりどれも村上春樹さんらしい小説なんだな
っていうので思って読んでいて、
なんからしい部分っていうと、
これはやっぱフィクションなんだっていうのが
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わかるんですね。
すごいリアルな作品で、
実は夢の中だったとか、
自分の中ではあれは本当の出来事と思っていたけど、
でもなんか周りはそんなのなかったよと。
そういうフィクションとして書かれてはいると思うんですけど、
それはでもある意味、
その当事者である主人公にとっては
リアリティのある人生の一部で、
人生のその瞬間瞬間で出会う人とか直面する出来事って、
それが本当か嘘かは別にして、
でもやっぱり後に思い返した時に人生に残るものとして、
本当のリアリティを超えるような
フィクション的なものっていうのが人生に残った。
そういうのを味わえるっていうところでは、
すごい村上春樹さんらしい小説だと思いました。
そうですよね。
じゃあ最後ちょっとまあどんな人にっていうところなんですけど、
でもこれなんだろうな。
今回は村上春樹さんの一日の端数は、
正直これ村上春樹、読んだことない人には進みにくいですよね。
他の作品の方が確かに。
入りやすいですよね。
なんかちょっとやっぱなんかうまく言えないんですけど、
村上春樹さんのエッセンスの出方が、
ちょっとやっぱり独特な感じは今回するんで、
私は個人的にはさっき品川太郎が出てきたっていう、
東京鬼胆衆とかの方が入りやすいんじゃないかなってちょっと思いましたね。
僕もそう思いますよね。
まあこれはなんか村上春樹さん書いてるけど、
黒ビールと思ってもらえたら。
確かに。
黒ビールなんですけど確かに。
そうそうそう。
ちょっと異色ですよね。異色っていうか、
エッセンスの、村上春樹なんだけどみたいな、
もちろんあるんですけどね。
まあでもね、ちょっと気分的に普通のビールより黒ビール飲みたいなとか、
思う人はね、いやいいんじゃないかなと思う。
確かに。そうですね。
ちょっといつもとは違うテイストでっていう人はいいかもしれないですね。
そうですね。ちょっと苦手があるようなものとかがいいなとか。
はい、じゃあそんなとこで今日は村上春樹さん。
もうちょっとね、結構話しちゃったからですけど、
村上春樹についていろいろ、
これをこういうとこで話してみたかったんですけど、
またどっかの機会で。
そうですね。
話しましょう。
そうですね。次長編とかもね、一回話したいですね。
そうですね。
次長編出るのいつなんだろうな。
じゃあ今日はこんなところで、
村上春樹の最新短編集、一人称端数を今回ご紹介いたしました。
ではね、次回予告で、
次回はオーストリアの作家、ローベルト・ゼーターラーのキオスクになります。
7月に映画が公開されたばかりで、
放題は17歳のウィーン・フロイト教授人生のレッスンです。
このキオスクは、戦時中のノスタルジーがたまらない作品ですので、
こちらもお楽しみください。
ではね、番組の感想やリクエストに関しては、
TwitterやインスタのDMやリプライでお待ちしています。
積極的に拡散していただけると助かります。
拡散や共有していただくときは、
ハッシュタグ空飛猫たちを付けてもらえると助かります。
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感想やご意見をいただけると非常にありがたいです。
励みになりますので、よろしくお願いします。
それではね、今回の一人称単数の放送はここまでになります。
ありがとうございました。
ありがとうございました。