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2026-01-07 20:21

争いのない世界を作る方法

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サマリー

このエピソードでは、アイデンティティの確立とその後の解放を考察し、争いのない世界を作る方法を探求しています。自分の枠を超えることが他者との調和につながることについて論じています。また、アイデンティティからの解放が争いのない世界を築く鍵であるとされています。競争原理から脱却することで、他者と自らの存在が共存し、平和な社会の実現が期待されています。

アイデンティティの確立
今回は、抽象的な話で 具体的な何かを指したり
内容に言及する、というような ことではないです。
というわけで、今回のタイトルは 争いのない世界を作る方法です。
実はこのタイトルは後から思いついて 無理やりつけました。
もともとそんなことを考えていたわけではなくて でも行き着く先はそれなんかなぁと思い
このタイトルにしました。争いのない世界とは
なんでしょうか。 どうすれば
そんな世の中にあるのでしょうか。 具体的な方法っていうのは僕は全然
分からないんですけど、なんとなく こうなんじゃないかなと思うことを
今ちょっと話そうかなと思います。 まずあの
私個人の話をします。 私個人が長年摂取してきた
映画であったりとか小説とか アニメとかそういうテーマ
そういうアニメとかのテーマですね。
アイデンティティからの解放というテーマがありました。 間違ってはいけないのがアイデンティティの確立ではないです。
アイデンティティからの解放です。 アイデンティティとはつまり
自分が自分であるというような 自覚
そういうものだと思います。 僕は
若い頃に苦労して アイデンティティを確立した
気がします。 その前は
例えば 日本人であることとか
出身地とか 友達グループとか
家族とか まあそんどいう何かわからないですけどそういう
何か 自分以外のもの
集団への帰属であったり それとかあとは自分が成し遂げた成果だったりとか
そういう外部の ものごとに自分の拠り所
つまりアイデンティティを求めました。 でもそういう外部の
基準っていうのは 自分とは離れたところで変化していきます。
自分が絶対的に寄り添えるものではなくて ましてや基準の方が
絶対的に自分に寄り添ってくれるわけでもありません。 例えば仕事とかを自らのアイデンティティにしていた場合
仕事がなくなったり 評価されなくなったり
すると 自分自身のアイデンティティの
置き場所をなくしてしまいます。 それは仕事とかに限らず他のことでも一緒ですね。
だからそういう 外部にアイデンティティを預けてしまうということが
自分にとってはちょっと不完全だなと 考えました。
でその後 そういう
外部にアイデンティティを置くのではなく 自分が自分であることにアイデンティティを置くようになりました。
その基準ですね。 基準が外部ではなく自分になったということです。
それも他者からの評価に基づいた自分ではなく 自分の存在を自分で認めるということです。
それが自分にとっての 拠り所になります。
それによって 他者からの評価っていうのは
得られなくなったりするんですけど ただそのアイデンティティはすでに自分にあるので
他者からの評価が得られなかろうが アイデンティティが揺らいだりしないんですね。
喪失もしないんですね。 それは自分が自分であることから逃れられないということと等しいです。
そういうことがあって 私は自分が自分であるというアイデンティティを確立しました。
でその今から話すのはですね 自分が確立したアイデンティティからの解放の話です。
アイデンティティからの解放
これがその争いのない世界に 繋がるのではないかと思っています。
私はそのアイデンティティを確立してから 自分が自分であることが
ちょっとだんだん窮屈に感じ始めました。 自分が自分であること、自分が自分から逃れられないっていうふうに先ほど言いましたけど
その自分の枠組みというのがですね 非常に狭く窮屈に感じるようにあったのです。
例えばですね 私の好みというのがあります。
何だろう味とかの好みですね。 お酒とかでもいいんですけど
僕はビールとかウイスキーは好きで飲むんですけど 的焼酎とかも
好きで飲むんですけど ワインとか日本酒が
そんなに好きでもなくて 嫌いではないんですけど好んで飲まないんですね。
でそのワインや日本酒が好きな自分というのは 存在しないですね自分にとっては
これはすごい なんていうんですかね可能性というか明確な
壁があるというか 狭いんですね
これはあの じゃあワインを知って日本酒を知って好きになればいいやんっていうそういう好みを広げるとか
壁を拡張するとか そういうのはちょっと違うんですね
実際その知ったり経験することで視野が広がったりとか 自分の世界が広がるみたいなことは全然あるんですけど
そこで生まれるのは あの
よりはっきりした自分の好みなんですね 嫌いだったものが好きになったっていうのはただ無知であっただけっていうことが分かっただけなんで
それ自分の枠の外には出てないんですね 自分の枠がより明確になっただけ
むしろ このアイデンティティの壁っていうのがより強固になったと感じます
そういうですね 自分の窮屈さというのを感じ始めてから
私はなるべくその自分の枠 自分が自分であること
アイデンティティの壁みたいなものですね 取っ払うことができないだろうかと考えていました
自分の枠の外に出るということですね それはつまりあの自分が自分でなくなるということ
を意味します 他人になるってことですね
でもその他人にはもちろんなれないですね 自分は自分なんで
ただどうにかして この自分の枠から逃れたい
取っ払っていきたい この窮屈なアイデンティティから解放されたりというふうに思うようになりました
私が昔から好きな小説で 夏目漱石の後人という小説があるんですけど
次のような文章があります ちょっと長いけど引用します
君は絶対絶対と言ってこの間難しい議論をしたが
何もそう面倒な無理をして絶対なんかに入る必要はないじゃないか ああいうふうにカニに見とれてさえいれば
少しも苦しくはあるまいがね まず絶対を意識してそれからその絶対が相対に変わる刹那を捉えて
そこに2つの統一を見出すなんて ずいぶん骨が折れるだろう
第一人間にできることかなんだかそれさえ反然しやしない 兄さんはまだ私を遮ろうとはしません
いつもよりだいぶ落ち着いているようでした 私は一歩先へ進みました
それより逆に行った方が便利じゃないか 逆とは
こう聞き返す兄さんの目には誠が輝いていました つまりカニに見とれて自分を忘れるのさ
自分と対象とがぴったりと合えば君の言う通りになるじゃないか そうかな
兄さんは心もとなさそうな返事をしました そうかなって君は現に実行しているじゃないか
なるほど ここまでが引用です
これ後陣という諸説のかなり後半の部分 で
私にとってはここが確信の部分の一つなんですけど ここで出てきた
このお兄さんとカニですね 自分と対象を一致させる
これが自分の壁 この自分とそれ以外の境界をなくすことに繋がるんじゃないだろうかと思いました
私はさっきあの 谷になるしかないって言いましたね
アイデンティティの解放
この文章の中でお兄さんはカニと一致してるんですね またこの前後にですね
ある言葉で あの松も君の所有だとか
あの山も谷も僕の所有だといった言葉が出てきます これはあのほんまに持ってるっていう意味の所有ではなくてですね
対象そのものが自らであるという 意味になります
私はの2年前にですね父を亡くしてまして その際3ヶ月ほど父のそばで
看病してました その3ヶ月短い期間だったんですけどこれまで以上に父の存在であったりとか
父が担っていた役割のようなもの この父の身近にいることで
それからあの死を通して より感じたことを覚えています
それで父が亡くなったことで 自分が父という存在の一部を取り込もうとしていることに気づきました
それは枠の中にいた自分とは別物で 自分の中に自分と父の存在が共存しているような感覚があります
小説の言葉を借りれば 父が死ぬことで父の存在を一部所有したような感覚になっていることに気づきました
これはあの私が意識的に行ったことではなくて ましてやその父をもともと
所有してたというわけでもなくて この遺伝的なものとかそういうものじゃないですね
例えば誰かに指示する 教わったりして
指示することで 自分は自分として確立したままで他者の存在を自らの内に取り込むようなことがあると思います
これは共感とはまた違います 僕はあの父の考えに
共感したり役割に共感してそれを真似ているというわけではないです 理解とも違います
まだその意味を私は理解しているとは言い難いからです ただ他者の存在を自らの内に感じ
時々自分が父であるかのように考え 振る舞うことがあります
その瞬間私は対象と一致しているのではないかと思うのです この対象と一致というモチーフは
先ほどの夏目漱石の小説から出てきましたけれど 他のいろんな作品に品質しています
私が今覚えているものだと 劇場版攻殻機動隊ゴーストイン・ザ・シェルです
この映画は自分の魂がネット上で生まれた意思と融合することで 体と自我から解き放たれネットの一部となる話です
また テレビアニメの新世紀エヴァンゲリオンにおける人類保管計画もそれに近いような気がします
アニメの最後で人類はLCLのスープとして混ざり 個人の境界というものがなくなります
これはあの生き方として他者の意思に乗っかる全体主義とか 他者の規範に沿う宗教ともまた違います
アイデンティティの解放について 今まで喋ってきましたけれど
ちょっとあまりまとまりませんでした ただもうそのまま続いて
ここからアイデンティティからの解放が どう争いのない世界につながるのかについて触れていきたいと思います
競争の本質
アイデンティティからの解放について 対象と自らが一致することにより可能となりました
あなたは私である 私はあなたである
他者に自らを見出し 同時に自らの中にも他者を見出すことです
これが一致でしたね その一方で争いとは
競争から生まれます 他者より優位に立つために努力をしたり相手を貶めたり
殺したり そこまでしなくても
自分より優位な他者を 疎んだり
妬んだり そういったものはすべて
競争原理から生まれています 生存競争という言葉があるように
争いとは個体とか集団の生存を求めるがゆえに起こる 自然発生的な現象です
これらがすなわちアイデンティティの問題です 自分が自分であることに固執するがゆえに起こるのが競争です
アイデンティティから解放されることで この問題がなくなるのではないかと思うのです
アイデンティティから解放されると 他者への施しとはすなわち自らへの施しとなり
争いの大元である貧困であったり食糧問題は 収縮していくでしょう
技術の進歩についてはアイデンティティから解放されることで 競争は共に作る方法の競争へと変化しないでしょうか
他者の成功は自らの成功であり また自らの成功が他者の成功につながる
これはむしろ今の競争社会よりもさらなる発展が見込めるかもしれません
20:21

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