1. 現役リフォームプランナーの業界裏話
  2. 誰にでも似合う制服を着るのか..
2024-07-26 18:11

誰にでも似合う制服を着るのか、野宮真貴を目指すのか‥という話 #144

価値観のアップデートについての前回の続きです。自分の頭で考えるためには、ますばアイデンティティの確立が必要だなというお話をします。

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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日はですね、もう一個前にあげた配信の、ちょっと続きのような内容になるんですけれども、
結局、なかなかこの世の中の流れがどんどん変わっていくのに、自分がそこについていけなくなってくると、
やっぱり、だんだんずれてきて困るよね、という話をしました。
例えて言うならば、20歳の頃に似合っていた髪型を、50歳になってもずっと変えない人がたまにいますよね、メイクとか髪型とか。
体型が、例えば体重が20代の時から変わってないんだということを自慢する人がいるんですけれども、
体重は変わってないかもしれないですけれど、微妙にですね、肌の張りとかね、くぼみ、体の凹凸も微妙に重力で下がってきたりして、
必ずしも体重だけではわからない変化がありますよね。
そういったことに、ちゃんと適応していくようにファッションとか、似合う色とか、すべてがどんどん年齢とともに変わってくるんですけれども、
そういったことにも目をつぶっている人って実は結構いますよね。
そういうのは、やっぱり別に、何を着ようと、どんな髪型にしようと、相変わらず前髪をクルンとカールさせる、
プードルヘアっていうのが昔流行ったんですけれど、ああいった髪型にしてようとかね。
あと男性でも、奥田英二が、奥田英二って今、安藤さくらさんのお父さんですけれども、あの人がかつてすごくイケてる俳優だった時代があってですね、
この人が前髪をちょっと長めにして、それをさっとかき上げるこの仕草が流行った時代があったんですよね。
それとか石田純一が肩にカーディガンをかけて、もかしんって革靴を素足で履くのが流行ったり、いろんなちょっとおかしな時代があったんですけれども、
これを未だにやってる人ってたまーに見ますよね。
この違和感っていうか、でも別に何を着ても個人の自由なので、それ自体をとにかく言う権利は誰にもないんで、
もうちょっとでも深い話をすると、やっぱりでもそういう時代にちゃんとマッチしてない状態でいることが何が良くないかっていうと、
別に周りの人から白い目で見られるとか、そういうことは大した問題じゃないんですよね。
そんなことよりも、やっぱり自分自身が幸せ度が低くなるっていうことの方が問題だなと思って、
だからそれであれば、やっぱりある程度その時代時代に合わせて自分もアップデートしていく必要があるのかなっていう話を前回はさせていただきました。
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とは言ってもですね、じゃあ全てアップデートして、今流行っているものを全部自分がそこに乗っかるといいかというと、そうでもないところがすごく難しいなと思うんですよね。
例えば今流行っている髪型とか服を全部50代の自分が着てみて合うのかっていう問題もありますよね。
だからその20歳の頃に流行ってた服を着てるのもおかしいですし、かといって今流行っているものが、
今の自分の実年齢とか自分自身の今の状態に合うものであればいいんですよ。
例えば今ピンクが流行ってて、ちょうど自分によく似合うピンクと出会えれば全然問題ないんですよ。
でもそうじゃなくて、今だいたい流行っていうのは基本的には若い人たちの間で流行らせているものが多いと思うんでね。
若い人の間で流行っている、例えばメイクとかファッションとかね、今例えばへそ出しの短めの丈のシャツが流行ってますよね。
ちょっと腹筋を見せるみたいな、あれをたとえどんなにボディラインが崩れてなかったとしてもですね、
50過ぎの人がやって果たしていいものなのかとかね、いろいろ思うことあるじゃないですか。
でもね、これはちょっと前にはなかったことなんですけれど、今って20歳ぐらいの娘さんと私の年前後のお母さんが2人連れで一緒にいる姿をよく見ます。
これはもちろん私の時にも、私が私の母とよく一緒に出かけたりっていうのは、どの世代でも母と娘は仲良いケースがよくあるのでね。
2人で仲良くデートしてるっていうのはあるんですけれど、最近の特徴として娘とお母さんが同じ格好をしている人ってすごい多いんですよね。
これは私の若かった頃にはあんまりなかったことで、やっぱりお母さんはちょっとやっぱりおばちゃんっていうかね、
年相応というか、年よりちょっと老けた格好をしている場合が多かったですかね。
昔はね、やっぱり中年の人が着ておしゃれに見えるような服ってあんまりなかったので、そういった事情もあって、ちょっと地味な服を着ていたりするケースがありました。
だから別に地味な格好を中年になったらした方がいいという意味では決してなくて、ピチカートファイブの野宮真紀みたいにめっちゃおしゃれな寒暦の女性みたいなね、あんなんだったらもう完璧ですよね。
だから全然年齢とかは関係ないんですよ。ただ大人の女性に似合うものと若い人に似合うものって絶対に違うと思うんでね。
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なんですけれど、なんか最近はね、若い20歳ぐらいの娘さんと同じ髪型、メイク、でなんかね、柄入りのTシャツにフレアスカート着てるみたいなお母さんがよくいるんですよね。
で、後ろから見ると仲いい女友達が二人で歩いているように見えて、くるっと振り返るともう一方はおばちゃんで、もう一人が若い娘っていうね、すごく多くて、だからね、ファッションがどんどんボーダーレスになってですね、
私ぐらいの年齢の女でも気楽に着れるカジュアル服が増えたっていうのはすごく嬉しいことで、20年前だったらもうちょっと着る服があまりなかったように思うのでね、それ自体は喜ばしいことではあるんですけれど、ここもめちゃくちゃ気をつけないとですね、
やっぱり何でも着ていいかっていうとそういうもんでもないので、これは中村さんがよく言う、中年の男性がパーカー着るのが良くないよって言ってるのと同じことですよね。
カジュアルはやっぱり相当気をつけて着ないと、中年の人が着るとちょっとやばいことになることが多いというね、だからちょっと長々とファッションで例えてますけれど、
私たちって結局、自分を客観視する訓練って全然受けてきてないような気がするんですよね。常に他人と比較することでしか自分の立ち位置を判断できないような教育をずっと家でも学校でもされてきたように感じます。
誰よりも勉強ができる、できない。誰よりも身長が高い、低い。誰よりも運動が、例えば走るのが速い、遅い。全部他人との比較、集団の中で自分が何番目なのかっていうことでしか、おそらく自分を測れないっていうようなことを長らくしてきてるんですよね。
そういう管理教育を特に酷く受けてきた世代だったのでね、私が。でも私が今見てる限りは40代の、どうだろう、42,3ぐらいぐらいの人よりもぐらいあたりまではね、割と似た感じがしますね。
私が受けてきたような、環境とよく似た感じで、やらされてきた人が多いように感じますね。
40代よりも若い人たちはガラッと多分教育のあり方とかが変わってきて、よりもっとゆとりとかね、そういうこうを問じるとか、それぞれがそれぞれのペースでやっていいんだよみたいな、行き過ぎた詰め込み教育みたいなのが良くないっていう反省があって、
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今度は極度に緩いというかね、あまり競争させないような教育になってきてっていうふうになったんだと思うんですよね。だからちょっとそこら辺で若干、世代によって感じ方は違うと思うんですけれど。
非常に競争が激しかった我々世代、そこまで競争は激しくなかった今の30代から40代前半の世代っていう差はあるんですけれど、でもね、相変わらず変わらないなって思うのは、あんまり自分を客観的に見る能力がすごい低いなっていうことはあんまり変わってないなっていうふうに思うんですよね。
常に身近にいる他人との比較でしか自分を査定できない人がめちゃくちゃ多くて、集団の中での自分の順位付けみたいなことでしか自分を正しく評価できないっていうんですかね。
とりあえず10位以内に入っていればちょっと安心かなみたいなね。ちょっとベッダーにはなるべくなりたくないみたいな、そういうことでしかちょっと自分を判断できてないような気がするんですよね。
それがなんでそんなにヤバいんだっていうね。ちょっと今やや関西弁っぽかったですね。
これはね、欧米人と違って全く個人主義の訓練も教育も受けてきてない我々がね、つまりいつも集団の中で自分の立ち位置を決めるというかね、判断するしか手立てがない。
自分を客観視、冷静にできない。個人として、集団、いつも集団を重んじてくる日本人ね。
ちなみに個人主義がすごくいいかというと決してそうではなくて、常に他人よりも自分を重んじるっていうね。
言葉は悪いですけれど非常に身勝手な主義になりますのでね。これが別に特にすごく優れてるってわけでももちろんないんですけれど、
でもまあ日本人の子よりも集団を重んじるっていうね。この幸せよりも集団がうまくいくことをより重んじるというこの価値観がじゃあすごくいいかというとね。
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どうなんだっていうね。どっちもどっちなわけですよね。でも私がすごい怖いなと思っているのは、その望むと望まざるとに関わらず、日本もですね、もうすでに個人主義の国になってきてるんですよね。
なんですけれども全くこの子を重んじる、自分も一人の個人であって、集団の中の誰とも違う、私は私で何者でもない、誰とも比較できない、私は私なんだと、私自身がオリジナルなんだっていうようなね、そういうしっかりした個人主義の教育や訓練を何も受けてないのに、
気づいたら、ある日突然はしごが外されてね、集団でちゃんと集団を乱さずにやっていける人は一応面倒見てあげますよと、一応そういう人だったらちゃんと輪の中で共存していけますよっていうね、そういう教育をずっと受けてきたのに、もう今それが機能しなくなったので、
あなたはあなたで自分の身を守って、自分は自分で自分の面倒を見れるように生きていってくださいみたいな、そういう社会にどんどん今変わってきてるわけですよね。そうなった時に何も自分では判断できない、何も自分が隣のAさんやBさんと比べて自分がどう違うのかとかいうことが何も分かってないままのに放たれているんですよね。
それがすごい何よりも怖いことだなっていうふうに今思っています。
自分で自分の考えをちゃんと述べることができる、自分の頭で考える、こういったことはすべてとても大事なことなんですけれど、これをするためにはですね、アイデンティティの確立が必要だと思うんですよね。
まずはアイデンティティっていうのは自分が何者なのかっていう、哲学的な問いかけですよね。
でもこれは欧米人はね、本当に子供の頃からやってるんですよ。私は何者なのかっていうね。
私は人と人と誰とも比べることなく自分というのは何なのかということを冷徹に自分を見つめる訓練っていうのはずっとやってきてるんですよね。
それを全く受けずに集団の中でいかにうまく渡っていくか、集団の中でいかにみんなの迷惑にならないように、波風立てずに順応していくかみたいなことを最も大事にしてきた、濃厚民族の日本人がですよ。
急にもう個人主義のグローバルジャングルみたいなところにいきなりやっぱりもう実はもう放たれてしまってるんですよね。
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そうした時に急に自分で考えろとか自分で意思決定しなさいとかって言われてもやっぱりできないんですよね。
それがねやっぱり全部今のこのキラポエとかいろんなことにやっぱり結びついてるのかなと思ったりするんですよね。
だからあの実は非常にブラック企業とかね今は全部NGなんですけれど、こういったこともね日本人の立ちにはあってたんですよね。
すごく強いリーダーシップをとってもらって、言われた通りにとりあえずやっていれば評価されるっていうね、そういう上から何か命令されて動くことは得意なように訓練されてきてるので、
そういうあのうまくねこの集団が機能してた時にはすごくうまくいっていたのに、この集団が機能しなくなってそれぞれがそれぞれに何か成果を出していきましょうみたいなね。
今みたいな社会になった時に自分でね何も判断できない人がやっぱり多いので機能不全になってるっていう風に感じるんですよね。
全ての人にね、全ての人が幸せになれる何かこう決まった肩があればね、服で言うとそれこそ誰にでも似合う制服みたいなものがねあればこれほど楽なことはないんでしょうけれど、
もう好きに自由にねあの服を着ていいんだよとその代わりに似合ってなきゃダメだよっていう社会になってるんですよね今はね。
自分の自分自身のスタイルを自分で見つけなければいけないっていうね、そういう時代に気がつけば生きているので、
ここからねどうやってそういうアイデンティティをね、築いていくのかっていうところが大事なのかなっていうか、
時代の空気に敏感である、そしてそういった中で自分が自分らしく生きていくためにはどうしていけばいいのかなっていうことを自分自身で決めて判断して選んでいくっていうね、
ものすごく難しい、言われた通りにやってれば生きていけたのにね今までは、でも今からは全部自分で決めていかなければいけないというね、
だから自由を愛する人にとってはパラダイス、でも自由になった途端にどうしていいかわからない人にとってはかなり生きにくい社会になっていると、
今までだから優等生でやってきた人ほどすごく生きづらい社会になっているのかなというふうに思いますね。
なのでまあとにかくね、主体性を持って生きていくこと、アイデンティティをちゃんと確立させること、それが何より大事なんだけれども、
でも言うほど簡単なことじゃないよねというね、答えのない話をさせていただきました。
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今日はこれで終わります。ごきげんよう。
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