GOOD VIBES ミッドナイトラクザ by クラザムケイザ
こんばんは。ただいま4月26日水曜日の3時12分です。
この番組でですね、ちょこちょことお伝えしてたと思うんですけど、
私の新刊ですね、新しい本、これは年初に、確かお正月の番組ぐらいだったと思うんですけどね、
今年は書くぞ!みたいな宣言をね、宣言ではないですかね、願望ですかね、お伝えして、
それで途中2月3月あたりにもポツポツとなかなかちょっと進んでいませんみたいな報告をね、してましたけども、
これがなんとようやくですね、今日が4月26日なんで、もうほぼほぼ5ヶ月をね、5ヶ月弱を要して、
ようやく先日ですね、1章は完成しまして、今2章の半分ぐらいを書いてるところなんですよ。
だからなんとなくようやくね、軌道に乗ったというか、この1章が長かったですね、ほんとね。
2、3ヶ月はかかってる感じ。
途中そのブランクもあったんですけどね、書いては没にし、書いては没にし、みたいなことを何度か繰り返しながらね、
ようやく先週かな、やっとこれだったらいけるなっていう完成版がね、出来上がったというそんな感じなんですよ。
で、私がその書いてきたね、グッドバイブスご機嫌な仕事とか、それから攻撃のないコミュニケーションっていうのは、
もうまさにこの番組をそのまま文字にしたような感じでね、グッドバイブスという考えをそのままお伝えするというフォーマットだったんですけども、
ちょっとそれとは違うことをやりたいなと思いましてね、今回は全く全く異なるアプローチをしています。
まあちょっとそれはね、ここで先に言ってしまうのもつまらないので、楽しめるかどうかわかりませんが、見てはお楽しみみたいなそんな感じにしておきたいんですけども、
なのでそうですね、2章が完成したら、またここで1ヶ月とかかかる可能性はなくもないんですけどもね、
でももうだいたい2章はもう僕の頭の中にすっかり出来上がっているので、たぶん書くのはそんなに苦労しないと思うんですよね。
だから2章が出来上がったら公開しようかなと思って、もう今ノートに下書きで入ってるんですよ、画像付きでね、
もう一発ボタンをポンと押せばいつでも公開できるような感じで、ただちょっと1章と2章と合わせて読んでいただかないと、
もし仮にね、この1章を公開した後にここでちょっと間が空いてしまうと何のことやらわからなくなるんで、
だから一応2章までは書いて、そこから公開しようかなと思っています。
でもまあ軌道に乗ったということでね、
例の書き上げ塾、私の執筆講座の、これが第8期がね、もう今始まってますんで、
ここにいらっしゃる皆さんと一緒にね、今年というか今期はね、私もまさにこの受講生になった気分で、
それから私のやってるジャジンワークとかをね、活用しながらガンガン書いていこうかなと思っています。
そんな感じです。まあこれがザ・ギフト、軌道に乗りましたよという、そういうご報告ですね。
自分をどう見るか、私とは何かっていうね、この答えですね。
これによってやっぱり行動や考えが歌だけじゃなくて、
僕らのあらゆる行動、それから考え方、捉え方みたいなものが決まっていくっていうね。
これはなぜかというと、
これは当然自分で言うと自分のスケールっていうことに反映されるので、
例えば歌で言うならばそれと同じような大きさになると。
でもこの自分をどう見るか、私とは何かっていうこの視点はですね、
必ず他の人をどう見るか、私以外のですね、
それと私が生きているこの世界をどう見るかの視点に反映されるってことなんですね。
これがいつも言っている鏡の法則で。
例えば私はあまり寛容ではないってね、サイズが小さくて寛容さがないんだみたいなことを自分だと思うと、
それを必ず他の人にも見てしまうんですね。
私が小さくて寛容でないんであれば、他の人も当然だけども小さくて寛容じゃないはずだと。
そうすると、例えば歌を歌うときにね、人が誰か見ていると、
この私の歌をその人が笑うんじゃないかと、大したことないなと、
バカにするんじゃないかみたいなことを想像してしまうわけね。
それで緊張するみたいなことが起こるんだけども、
これはまずは自分をどう見るか、あまり寛容ではないな、小さいような器みたいな感じ。
これがそのまま他の人に反映されて、
そして私が変な歌を歌ったら不快になるんじゃないかみたいなことを想像するってことですよね。
だから私がしつこく本来の自分と偽りの自分がいるというふうに、
いつもこの番組でもそうですけどもお話しているのは、
ここの自分をどのように見るかという視点が最も重要な部分だと思っているんですね。
私とは何よっていうこの答え、これを本来の自分、そのように取り戻したいというかね、
本来ですからね、もともと僕らはどうだったんだっていう、ここを取り戻したいという、そういう目的なんですよ。
これがさっき言った歌ですね。歌には直結しているんでわかりやすいんですね。
だからもともと本来の自分を思い出して、何がいいわけ?みたいなね。
私とはこういうもんだったんだな、そうかって思い出すだけではね、全く意味がないんで、
これを私は生活とか仕事とか人生そのもの、そこに反映させたいわけですね。
もちろん反映されるんですけども、これを少しずついろんなところに応用しながら、
やっぱこっちの方がいいねっていうことを、体験とか実際の実感というのかな、
こっちの自分すごいねっていうね、これをしっかりと生活とか人生の中で味わいながら、
より強化していくっていう、そういうやり方をしたいなと思ってるんですよね。
それで一つはそのボイトレっていうのがあるんだけども、これがなんとですね、
僕はその問題解決というのかな、なんかその人生のキロに立った時にどちらを選ぶんだ?みたいなね、
こういう迷う場面とかね、そこにものすごく効果を発揮してくれるっていう風に僕は自負していて、
だからこれを味わってしまうと、やっぱりこう問題が起こったり揉め事が起こったり、
ちょっと悩ましい出来事に遭遇した時に、もうこちらの自分でしか解決したくないなっていう、
この儚い体を守ろうとする時の、その名称というかな、
その役割を果たそうとした時に、僕はガーディアンという風に呼んでいるんですが、
もうちょっとでかいんですね。このもう一人の自分がやろうとしていることっていうのはね、
今言ったような、まさに本来の自分の宇宙の真羅万象から生まれたという、
ここを否定したいんですよ、どちらかというと。
そうではなくて、そして僕が言うように、その一つであるみたいなことね、
それを否定したいんですね。
要はだから、やっぱりこの自力で何か自分は特別なものになるみたいなことが、
私が言ったこの支配したいみたいなね、
この願望に、今、現代ではそのように変わっているんじゃないかなと思うわけです。
で、この自分というのはね、つまり他の人や世界から切り離されているわけですね。
だから当然だけども、問題とか困難に直面するとね、
まず先にこの未来を予想します、まずね。
そして困ったことになったらどうしようという風に考えるわけです。
そう考えざるを得ないですよね。
今言ったようなお話の中で、私は体、ちっぽけな体、
そして他の人とこれはこの利害が一致しない、生存、快楽みたいなことは一致しない、
そういう認識の中で問題困難に直面しますからね、
まずは困ったことになったらどうしようという風に考えるわけですね。
で、これがまあ要はもう一人のその偽りの自分が作り出す真相でもあり、
恐れや不安の正体でもあるわけです。
で、僕はまあ2013年頃にあのミドリの本、
グッドバイブスごきげんな仕事をね、書き始めたんですけども、
その辺りからこちらの自分に頼るのをやめたんですね。
なぜならばこの私というのは、この何ていうか偽りの自分の方ね、
自分を体とみなして、さっき言ったような願望を抱きながらね、
暮らしているこの私は、まず自分も他の人もこの世界も基本的には信頼してないんですね。
それはさっき言ったような理由でね。
それでその自分がこの問題を解決しようとして、
困ったことになったらどうしようって考えて出す答えが、
結果としてね、必ず僕を苦しめる、もしくは追い込んだりすると、
これを痛感したからなんですね。
だからまあ第一歩としてはね、この問題とか難しい場面に直面すると、
僕らはやっぱり悩んだりね、怖くなったり不安になったりしますよね。
これを何とかしようというので、その偽りの自分が作り出す真相に騙されないようにするという、
これが入り口になるんだけども、ここで終わりではなくてね、
そこで本来の自分を思い出しながら、
この間違いの訂正とか問題の解決を本来の自分でやりたいんですよ。
これが今日のポイントなんですね。
この本来の自分ではない偽りの自分の側で問題とか困難に直面し、
そして悩みを抱えると、そうすると当然この真相を作り出してね、
実際にはないものを見たりとか、より現実を悪く見たりするので、
まずは入り口としてね、ここの真相を手放す。
そういうことによって平安を取り戻すんですね。
本来の自分にやらせたいんですね。
ここも私も何度も経験してますけども、
一旦、例えばね、私がすごく許せないなと思う出来事に遭遇しますね。
あまり複雑じゃなくてくだらないことにしておく方がいいんだけど例はね、
例えば私がワンオンワンのセッションをやっていて、
いつもどれぐらいがいいかな、30分くらい遅れてくる人がいると、
そんな人はいませんからね。いないんでこの例に出してるんで、
聞いてる方で俺かとか思う必要は全くありません。
誰も私、今頭の中に浮かべてませんから。
もしそういう人がいたとします。毎回30分遅れてくるとね、
これを平安な自分にクッとなりながらね、とりあえず許すということをする。
そうしないと、ここで相手の行動に罪を見て、僕は罰を与えたくなる。
それは私にとって全くいい問題の解決方法ではないので、
まずは彼のやったこと、彼、彼女のやったことを許すということをやるわけですね。
でも、何とかしないとまずいんですよ。
このままずっとそれが続いていくと、毎回毎回この30分が無駄になっていきますからね。
だから私はそこで間違いの訂正というか問題解決をしたいなと思うんですね。
でもここでそれを考え始めた瞬間に、
僕は本来の自分からさっきの偽りの自分にクッと戻っているんですよ。
ここが気がつかないんですね。なかなかね。
一旦平安になってますから、もう許せたとし、
大丈夫だよってね、もう許してくから大丈夫だよってさ、どうしようかなと、
この解決方法を考えた瞬間にまた元に戻っているということが多いんですね。
なぜかというとね、僕らがその訂正とか解決をしようとすると、
例えばね、今後遅刻しないようにね、この1回は何々さんちょっと悪いんだけどね、
今日はここで終わりにしますと、もう30分経っているので続けられませんみたいなことを言う方がいいのかなみたいなことを考えちゃうんですね。
今はちょっと痛い目に合わせないと分からないだろうみたいなことを思いついてしまうわけ。
これは罰ですからね、どう考えてもね、このままセッションはしませんと言って私が罰ってこのズームを切るみたいな、これは完全に罰なんですよ。
これはやりたくないんだけど、じゃあどうするかを考えても一向に良いアイデアが浮かんでこないんですよ。
この自分だとね、罰は与えたくない。
でもここが重要なんですね。このままだと困ってしまうんじゃないかっていうこの葛藤が生まれるんですね。
だからさっき言ったように、こちらの自分、偽りの自分で問題に遭遇すると必ず困ったことになったらどうしようっていうこの前提を持ってしまうからなんですね。
だから僕が例えば30分遅刻する受講生を相手にした時も、このままじゃまずいよな、このままだと困っちゃうよなっていう前提、ここから抜け出せないんですね。
ここでもうその罰は与えたくない、でもこのままだと困るというこの葛藤を持っているということは、もういつの間にか偽りの自分に私は戻っているっていうことなんですね。
こいつを出さずに本来の自分でこの間違いの訂正とか問題解決をしたいんですよ。
じゃあどうするかっていうね、ここで出てくるのが最初にお話した自分をどう見るか、私とは何かっていうね、これによって行動や考えが決まるという、
このある種の法則なんですよ。ここを本来の自分として問題解決に当たるっていうふうにすればいいわけですね。
まず自分はなんだっけ、なんだっけ、ここを思い出すわけですね。
その前に第一段階としてね、この平安な自分をそれを取り戻すために紳士を手放した。
ということは本来の自分に近づけているよね、と。
私とはなんだっけ、あ、そうか、宇宙の森羅万象が広がる想像によって作ってくれた。
形のない存在、決して傷つかない愛そのものなんだなっていう。
それから他の人やこの世界と一つだったよな、価値マックスだったよな、等しく。
そして宇宙の森羅万象から全てを受け継いでいるはずだよなという、こういう結論に至るわけですね。
そうするとどうなるかっていうと、さっきのね、偽りの自分、恐れや不安の自分の方は問題とか困難に直面した時にね、
すぐに未来を予想して困ったことになったらどうしようっていう風に考えましたよね。
本来の自分は今言ったような存在なんですよ。
決して傷つかない愛そのものでこの世界と一つで宇宙の森羅万象から全て受け継いでいるんだとしたら、
何があっても私が困ることはありえないという風に捉えていいはずなんですね。
これはとてもごくごく当たり前の結論だと思います。
ここでですね、この話をその偽りの自分が聞いたら、何言ってんだありえねえだろう、これは当たり前ですよね。
ここがこの話の難しいところなんですよね。
今言った私とは何かの定義はね、この本来の自分の定義だからその自分が困ることはありえないと言ってる。
これは偽りの自分からしたら絶対に受け入れられないという結論になりますね。
だから困ったらどうしようと考えることで、いろんな手を打ちながら自分を守ろうとするわけですね。
でも本来の自分は困ることがありえないとここから始められるということなんですよ。
これは一見で、ただただあんまり困ることはありえないからさって言われても、
二度と仕事がこないんじゃないかみたいなことをこれは予想するわけですね。
困ったことが起こるんじゃないかと、
断ってしまうと困ったことが起こるんじゃないかということで、
忙しいけど受けようかどうかみたいなことを迷うわけですね。
でも本来の自分は困ることはありえないと知ってますから、
今この仕事を受けるという選択はないよねっていうことを一瞬にして教えてくれるわけね。
もう一つの懸念ね、これによってもう仕事が来なくなるんじゃないかとかね、
人の関係をちょっと悪くしてしまうんじゃないかみたいなことも考えなくていいってことですよね。
そうするとそれは困ったことになりますから、
ここは今この状況で受けないというこの回答をしても何も困らないというふうに本来の自分は認識する。
非常にシンプルに答えが出ますよね。
今できることの中に答えがあるという2番ですね。
それから3番、これもすごいんですよ。
どちらを選んだとしても途中でうまくいく方に修正できるというね。
だから結局はこれを言ってしまうと選ぶ必要ないってことになるんだけども、
そうではないんですね。
やっぱりよりベターな方を選ぶ方がいいんですよ。
困らない方を選ぶ方がいいんだけども、
万が一ここで偽りの自分がポーンと出てきてね、さっきの仕事とか受けちゃったとしますよね。
でもどちらを選んだとしても本来の自分は困ることはありえませんから、
必ず途中でうまくいく方に修正できるというこの確信を持っているってことですね。
だから選択を間違えても気にする必要はないってことです。
その選択を間違えて困る前に必ず他の人とかこの世界から
そろそろ修正した方がいいんじゃない?みたいなメッセージが寄せられるということですね。
そのような背景の中に僕はいるということです。
だからさっきの話で言うと受けたらちょっとしばらくやってみて無理だったらね、
もう一度迷惑のかからないような範囲でやっぱりちょっと厳しかったですみたいなことを話すとか、
時期を変えてもらえませんかみたいなことを話す。
これが修正なんですよね。
これも私は困ることがありえないという前提であれば、
多分いろんなことを話し合えるはずですよね。
それからこれが3番目ね。
それから4番目。
もしこの有効と思えるような手立てが見つからなければ、
見つからないまでじっくり待っていいっていう、
これが大きな方針としてここに加わってくるわけですね。
今言ったその無理辞位はしない、ご了承しないっていうのが1でしょ。
2番は今できることの中に答えがある。
そして3番はどちらを選んだとしても必ず途中でうまくいく方に修正できる。
この3つが負に落ちていたら絶対焦らなくていいって分かりますよね。
だから見つからないんだったらこの解決策がね、見つかるまでじっくり待てばいいんですよ。
これだと思うものが見つかる前にもうしょうがないこれやっちまおうっていうんじゃなくて、