サマリー
このエピソードでは、保坂和志の代表作の一つである「カンバセーション・ピース」について、コーノとポーが感想を語り合っています。作品は2003年に単行本として出版され、2015年に文庫化された長編小説です。語り手たちは、この小説が非常に難解で、読み終えても完全に理解するには至らなかったと率直に述べています。物語は、小説家である主人公が妻と猫と共に暮らす世田谷の家を舞台に、家の記憶、生と死、過去と現在が溶け合った壮大なシンフォニーを描き出していると紹介されていますが、その内容は抽象的で、登場人物たちの会話もすぐに話題が移り変わるため、読解には苦労したようです。 特に、主人公の猫「チャーチャン」の死をどのように受け止め、乗り越えていくかが、作品の重要なテーマの一つとして挙げられています。また、プルーストの「失われた時を求めて」のように、家という媒介を通して過去と現在が一体化するような記憶の描写や、時間の曖昧さ、収縮する感覚が描かれている点も指摘されています。さらに、野球や植物、幽霊の話など、一見無関係に見えるエピソードが最終的に全て繋がっていく構成についても触れられています。作品全体を通して、語り手たちは保坂和志の独特な文体や、日常の些細な出来事や抽象的な思考を深く掘り下げる作風について、その魅力と難解さの両面を語っています。
「カンバセーション・ピース」の概要と難解さ
今日は、保坂和志の「カンバセイション・ピース」を読んだ感想を喋っていきましょう。
あらすじですけど、この川出文庫版が出たんが2015年ですね。
で、もともとは単行本で2003年に出てる本です。
はい、じゃああらすじですけど、きっとそれは私の心の中だけの出来事ではなくて、
世界の中で起こったことだと考えていいはずじゃないかと思うのだ。
小説家の私が妻と3匹の猫と住み始めた地区50年の世田谷の家。
そこに暮らす人々の音や工作する視線に誘われるように立ち上がる家の記憶は、
やがて生と死、過去と現在を溶かした壮大なシンフォニーとなり、今私たちは世界の真相を体験する。
日本文学の傑作にして著者の代表作っていう解説でした。
解説というか、紹介文です。
これ川出文庫の裏側、裏拍子かな、に載ってます。
長坂和志はこれで3冊目ですね。
そうですね。
アレルヤとプレーンソング。
今まで読んだ感想を喋ってます。
多分どうなのかな、カンバセーションピースが割と有名なんですかね、この人の中では。
代表作。
プレーンソングも結構あれか。
デビュー作はプレーンソングだし、でもカンバセーションピースが私の中ではやっぱりこの人有名かなと思いますね。
なんか2年半かけて書いた作品だってネットに書いてましたね。
結構本人も納得してるというか、手応えあった作品みたいですよ。
じゃあ内容に入っていきます。
この紹介の文章を読んでも、舞台がちょっと分かるだけで、中身についてはそんなに分からないと思うんですけど、
もう結構これは難しかったですね、読んでて内容が。
理解が難しい。
未だにちょっと分かってないです、読み終えて。
なんかその作中でも、他の登場人物全然よく分かってないみたいな感じの書き方もされたし。
それはその主人公の話してる内容を他の人物が何言ってんのかよく分かんないってよく言ってますもんね。
全然、だから中身がちょっとまだ負に落ちてないというか、
はっきり落とし込めてないですね、僕は。
何を書こうとしてたのかみたいなとことか、何が言いたかったのかみたいなとこが、
あんまり自分の中に入ってきてないって感じですね。
だからそれぐらい結構難しいなと思いましたね。
結構その抽象特大の話とか、そういう話が大きかったと思うんで。
それは最初読んでるときは特に意識してなかったというか、この本何の本なのか何の話なのかなっていうのは、
あんまり気にならずに普通に日常の話として、結構半分以上かな、そういう感じで読んでたんですけど、
なんか言いたいことがあるんやなみたいなのがだんだん出てきて、
この主人公、内田先生、内田先生って言ったら内田達郎みたいですけど、
たかしって呼ばれたりとかしてるけど、主人公小説家ですね、内田達郎、43か、4歳。
で、昔住んでた王子の家に今住んでると。
で、家族で、家族というか奥さんと後の後輩と、なんかその会社の同僚。
会社の同僚は住んではないですけど。
間借りして日中働きに来てるっていう感じですね。
家に帰ったりはしてますね、たまに泊まったりしてるっていう。
感じですね。
だから、なんかその日常を描いてるっていう感じがずっと続くんですけど、
だから、そん中で浮かび上がってくることというか、この主人公がこういうことを感じてるんやなみたいな、
そういうのはどんどん見えてくるけど、はっきりしないまま終わったって感じでしたね、僕の中では。
かなり固まってはいってるんですけど、
それがちょっと難しくて、僕にはわからなかったですね。
その主人公もそんな言葉尽くして説明しないじゃないですか、
納得うまくできない部分があるのは当然だと思いますよ。
すぐに話もずれてくし、その一つのテーマを腰据えて対話するわけでもないじゃないですか。
でもなんかこれ全部繋がってる話やなと思いましたけどね。
だから一つの話なんかなっていう感じ。
まあまあ連想で話してくから、引いてみると繋がってるように、繋がってると言う。
そうですね、なんか僕の中ではそれはだから全部関係ある話やったんやなとか、
というかそれは結構最後にまとめていかれる感じがあったんで。
基本これ、家の話、その家族というか、おじさんの家やったじゃないですか、もともと。
で、そのおじさんの世帯がもともと住んでて、その家に2年ぐらい住んだんでしたね。
子供の頃に主人公も住んでた時期があったんですよ。
そうですね、なんかそっから毎年通うみたいながあって、
この家の昔の記憶と今の生活とっていう、なんかその2つが結構メインになってて、
なんかそれ以外に野球とか植物とか猫とか、いろんな話が詳しく語られるじゃないですか。
けどなんかそれ全部実は繋がってたみたいな、そういう話やったのかなと。
なんかそれぞれ全然関係ない話のように語るんですけど、
なんか最終全部結びついてたなみたいなのが思いました。
あとその幽霊の話とかもね。
幽霊の話、結構擦りますもんね。何回すんねんというか。
これも関係あったんやなっていうのが最後に全部繋げていくんで、
でもそれが自分の中でまとまってないっていうだけで。
なんかこの作品はなかなかこう感想言いにくい、私は感想言いにくいな作品だなと思ってて。
作品のテーマ:猫の死と記憶、時間の曖昧さ
あー。
なんというか、まあどの本もある程度そうなんですけど、作品のここが良かったとか、
この人物のキャラクター性が面白かったとか、セリフが良かったとか、
まあいろいろ言うんですけど、それってなんかこう、
作品の自分がこう思った全体的な印象ではないというか、
あくまで部分的なところを喋ってるだけで、
自分が本当に良いと思ったものをちゃんと言えてない感覚っていうのは常に感想を言ってる時はあるんですけど、
この作品はよりそれを感じる気がして、
このここが良かった、あそこが良かったって言えば言うほど、
なんかこう作品から遠ざかっていくような、そういう感覚を感じますね。
そうですね。
今日これ話すの難しいなってすごい思いました。
なんか本質的なところがいまいち自分は捉えられてないんで。
本質を捉えるみたいなことを拒否しているような気もする。
で、どっちがですか?作者?
作品全体として本質とか中心があるみたいな、
そういう世界観じゃなくて、
曖昧に流れていくような、そういうものを大切にしている世界観なんじゃないですか。
これこれこういうものだとか、この作品のここがコアの部分だとか、
作者、人物が言いたかったな、こういうのはっていうのを明らかにすることを拒むような、
そういう姿勢がいいのかなみたいな。
どうなんですかね。
僕はでも、一つは確実にあると思ってて、
猫の死をどう消化していくか。
チャーチャンですね。
それは一つの確信だと思ってますね。
はいはいはい。
この作品の中で。
でもそれに付随することがいっぱいあるんで、
それだけじゃないっていうのはわかるんですけど、
なんか大きな筋としてそれはあるかなと思って。
そっか、それは考えもしなかったですね。
あ、そうですか。
なんかもう最初からずっと割とそんなことずっと言ってたし、
最後そこで締めたなっていう感じだったんで。
特に僕はその一番それ思ったのが、もうこれ終盤なんですけど、404ページにとこでしたね。
チャーチャンはただ私や妻の記憶の中に生き続けているということではなくて、
もっと強く実在する感じがなければなくて。
だからそういうのをずっと書いてて、
これをずっと念頭に置いてたのかなみたいな。
いろんな話をする中で。
なんかこのこのカンバーセーションピースの話の中で、
割と最初の方に出てくるんですけど、
そのチャーチャンという猫がこの家に引っ越し来る前に亡くなってて、
4年経ってるんですよね、もう。
4年経ってるけど、まだその悲しみをずっと抱えてる。
だからそこから遠ざかれないみたいな。
まだ身近なものとしてずっとその悲しみが残ってるっていう話をしてて。
なんかそれが良いとか悪いとかっていうわけじゃないんですけど、
ずっと苦しんでるみたいな、乗車があって。
で、そこからのそれとどう向き合えばいいのかみたいなことを、
結構何度もここで、この本の中で語ってて。
なんかそれを書きたかったんかなみたいなのも、
僕はちょっと思いましたね。
通して。
で、この解説文でもそれはちょっと言ってはって、
470ページの映画の人、タネダヨウヘイっていう人が、
美術館って書いてあるな、この4年前、
この家に引っ越してくる前に死んでしまった愛猫、愛嬢、チャーチャンのことを、
土屋さんが考え、ついに死が生へ逆転する描写には鳥肌が立ったって書いてあるんですけど、
これが405ページなんですね、この描写が。
だからここの470ページある小説の中の、
ほんま終盤にこれができてるんで、
これ一つのテーマやったんやなっていうのは、僕はすごい感じましたね。
この作品の中での。
あとは僕は、これ小説読んでて思ったことの一つがですね、
失われた時を求めてと、ちょっと重なるところがあったなと思って、
失われた時を求めての中で、無意識記憶っていう、
何かをきっかけに、過去に自分が戻れるみたいな、
そういう、一番有名なやつが、マドレームのやつですけど、
その何かをきっかけに、
時間が過去と現在が一体化するというか、
過去に戻ったような感じになるっていうのが、
このカンバーセーションピースの家ってまさにそれじゃないですか。
その家っていうものを媒介にして、
過去のおばの姿だったりとか、
現在の今住んでる家の状態が、
一致してしまうような描写っていうのがいっぱいあったんで、
これすごい重なるなと思って。
なんかそういう、まあそれは意識は多分してないことなんですけど、
なんかそういうのも描きたかったんやなってすごい思いましたね。
だからそういう、なんか無意識、無意識的記憶的なものがテーマになってんのかなっていうのを。
なんか時間の間隔で言うと、割と最初の方ですけど11ページのあたりで、
子供の頃にその家で育った記憶を思い返すシーンがあるんですけど、
いとこと一緒に住んでたじゃないですか。
で、その自分の年齢だったら、
そのいとこたちは何歳だっていうのがまあ普通に計算したらわかるけど、
なんか思い返したときのそのいとこの姿が、
その正確に自分が例えば10歳だから、
何歳年上の男の子で15歳のいとこっていう形じゃなくて、
思い返すいとこの姿が、年齢が曖昧というか。
でもそれはまあそういうもんだみたいな形で、
時間の曖昧さとか収縮する雰囲気を結構いろんなとこで描いてるなとは思いましたね。
なんか一致するときもあるし、
なんか全然もうぐにゃぐちゃぐちゃになって伸び縮みするような、
時間の間隔は描いてるなと思いました。
だいたいそうですもんね。
特に定期的に会う親族とか、友達とかもそうですけど、
あんまり年取ったって思わないじゃないですか。
ずっとその過程を見てるから。
だからなんか若いときのその人のママみたいに思えてくるとかね。
あのときのイメージでもう記憶してなくて。
そうそう、それがずっと続いてるっていう。
なんか見比べたり、写真とかを見ると、
なんかあんまり老けたとか思わへんかったりとか。
結構だからこれは壮大やなと思いましたからね、飲んでて。
テーマ的に描いてたわけじゃないかもしれんけど、
なんか浮かび上がってくるものが、
それこそ、なんかそんだけの分量を描かれて、
描いた、失われたときを求めてぐらいのテーマのことを描いてるのかなって思いました。
なんかその時間と記憶みたいなことを。
作品の構成と登場人物、野球描写
確かに、チャーちゃん、猫の失くしたことをどう扱うかっていうのは、
確かにこの本でいろんなとこに出てくるから、
これが確かに一本の筋と言えることもできますけど、
なんかこう私が最初に言ったように、常に会話があって、
その連想でいろんな話があって、
オチがないまま次に進んでみたいな形だったり、
野球に行ってる日々とか、
岩を掃除してる日々とか思い出す日々みたいな、
その時々の生活をざーっと描いてるじゃないですか。
その中で、主人公だったり、多分かなり作者と近い主人公ですけど、
その生活の中で、その時に一番関心があったのが、
チャーちゃんのこと。
だから、チャーちゃんの話がいっぱい書かれてるのであって、
なんかこれが一個の筋っていうよりかは、
やっぱりこの作品は、その時々の日々を、流れていくような日々を描くことが、
私は結構念頭に作者はあるんじゃないかと思ってて、
その中であくまで出てきたのが、チャーちゃんの話なんじゃないかなと思います。
そうっすね。まあまあ、僕はそれが繋がってるようには思えたんで。
その、ローズの引退とかも含めて。
なるほど。
これ全部、僕は関連してるなって思ったんで。
なるほどね。
で、そのピースやけど、変化があるじゃないですか。
同じものが変わっていくっていうのもあるじゃないですか。
なんかそうやって受け入れていくっていうことの延長にあるのかなみたいなのをすごい感じたんですよ。
うーん、なるほどな、確かに。
ローズの引退が確かに繋がってると言えば繋がってるか。
これだから、主人公がほぼ穂坂和志じゃないですか。
小説家でね。
多分、実際のとこは知らんけど、これやっぱだから、僕もそんな読んでないけど、
大江健三郎的な小説なんかなって思いましたもんね、読んでたら。
ちょっとエッセイっぽい詩小説で、実在感がすごいあるっていうか、
実際のこういう家に住んでたのかなとか、こういう生活形態だったのかなって。
実際にこの家のモデルも、生まれ育った、山梨で生まれたんですよね。
モデルもあるし、鎌倉で実際、穂坂和志も育ってるって言ってるから、かなり自分の体験が書かれてますよね。
なんかそういう感じ、どこまで本間なんかなとか、どこから創作なんかなみたいな曖昧な話やなと思いましたね。
本流の話はそれぐらいですね、僕は。
あとはやっぱ細かい話になってくるんで。
私はもうそもそもそうやって本流がない作品なんだなと思ってたから、
だから語るの難しいなと思って。
なんかもう一個僕思ってたとこがあって、これも383ページなんですけど、これも終盤なんですかね。
その猫の話をする直前のとこで、このローズがいきなり引退したっていうとこに繋がる流れがすごいまとまってて、
自分の目で見たり耳で聞いたりすることを元にして、感じたり考えたりするのが人間としての前提となる条件であることは間違いないけれど、
それを束ねる私というものは、だからそれしかないとか、だからそれが信用できるというものではなくて、
自分が存在していない場所を理解しようとするための媒介のようなものなんだということと、
音楽や絵や文学には良いとダメを図る尺度が完全としてあるということの二つが同じ基盤に立つことなんだということを、
今のゆっかりに教えるのが不可能なんだろうと思って腹いっぱいに出てお湯をかぶると、
この辺の、この直前って確かゆっかりにずっと説明してるんですよね。
人生のことみたいな経験と、音楽とか文学とか絶対的な価値みたいなのがあるようないよみたいな話とかもしてたところですよね。
その辺のこととかもだいぶ終盤になって、だんだんシリアスになっていくじゃないですか。
シリアスになっていくじゃないですか、シリアスですか。
これってちょっとヒリヒリしてくる話が結構あったと思うんですけどね。
なんか真に迫ってきてる感じがあって。
まあここは確かに真に迫ってますよね。確かにここは目印つけましたけど。
なんかね、それに近い、これに似たタイプの真に迫ったセリフが50ページの結構最初の方にあって、
森中っていう20代半ばぐらいの主人公の家で仕事している社長の部下かと喋ってるんですけど、
主人公がいろいろ説明してて、でもそれに対してピンとこなくて、
今この時が乗り切れないっていうことを主人公が話すと、それってどういうことって聞き返すセリフがあって、
主人公が森中に聞き返されて私は困った、そういう気分を説明する言葉がここに思いつかなかったし、
この言い方でわからなければ他にどういう言い方もしてもわからないはずだっていうふうに書いてて、
これも結構私、真に迫ってるというか、これも私の中ではゆかりとの会話となんかこう繋がってる気がして、
つまり大事なものっていうのはちゃんとあって、でもそれをうまく主観とか客観とかじゃなくて、
あるものはあるし、これでわかるやつにはわかるみたいな、そういう世界とか価値観みたいなのがあるんだよっていうことを、
こことこの少なくとも2カ所でこの本は書いてるなって思いましたね。
いい音楽はあるし、この言い方でわかるやつにはわかるからっていう別の話ですけど、そういうトーンをこの2つに共通のものとして受け取りました。
うーん、そうですね、まあこれはそうですね。
日常で生きててもなんかやっぱあるじゃないですか、なんかうまく説明できないし、なんかこれを普遍的な一般的な話としてできないけど、
とにかくこれはこうだし、もうそれでわかんなかったらまあわかんないんじゃないっていうのはあると思いますよ。
まあこの森中の話は多分知らないから伝わらないみたいな、そういう感じだと思うんで。
いやこれは知らない、この状況を体験したことがないとかそういうことですか?
いや、そういう気分をまるっきり知らないんじゃないかって言ってるじゃないですか。
だから森中はそういう気分にならないから、わからないって意味ですよね、多分。
なんかこの人めっちゃ、森中はめっちゃやばい人じゃないですか、あの収支。
で、その性格的にこうっていう気持ちにならへん人なんやなっていう意味かなって僕は思ったんですよね。
だからわかりようがないっていう、言葉で説明できないとかっていうよりは、
単純にこの人はそういう気持ちにならへんから、ちょっとわかりようがないっていうかなって僕は思ったんですよ。
すごい、なるほどね。
なんかほんまに、この森中っていう人のヤバさが割と序盤から終盤にかけてずっとあるんで、
ひどい扱いされてるんで、そのせいで。
結構ね、なんか面白いんですけどね、キャラクターとして。
まあね、こいつがいるから話が進むことはありますよ。
すごいアホなこと言うねん。
この53ページの野球見るだけで金になるのかと思っちゃいましたよっていうのが、
あーびっくりしたって言ってて。
この発想とかもね、面白いんですけどね。
そんなわけないやんって。
私はなんかそういう、こういう状況にならない性格の森中っていう人がいたんですって話じゃなくて、
もっと普遍的な、言ってもわからない人にはわからない、確実に何かが存在するみたいなものとして受け取りましたね。
で、確かにこのさんみたいにこういうやつがいたんですよっていうことで終わってもいいかもしれない。
私はね、なんかこういう気持ちになることがないことはないんで、
もうちょっとこう自分に引きつけて深く感じてしまいましたね。
あーそうですね。
僕は結構言葉を尽くして説明するほうなんで。
そうだ、コマンさんの。
確かにそういう。
あんまりなんかよっぽどなんですよね。
言ってもわからんっていうのと、やっぱ相手がそういう人なんやなっていう前提。
なんか、でもそれは自分にもあるんで、多分人のよく言う寂しさとかがあんまりよくわからないんで、
その寂しさのことをどんだけ説明されてもね、いまいちピンとこないっていうのがあるんですよね。
でもなんかそういうもんかなとか思ってましたね。
だから感じないことはやっぱり知識としてしか知りようがないんで。
なんかでもほんまこれ、このこの文章を読んでるのが好きな人が結構好きなんやろうなっていう、そういう本でしたね。
こんなテーマ掘り下げんの?っていうようなことを結構掘り下げるじゃないですか。
庭の植物とか、あと木登りしてた話とか、なんかそれも最後まで読んだらなんか繋がったんだなって思うんですけど。
でも読んでるとき、最初出てきたときに、この植物の話長いなって思いながら、この花がいつ植えてとか、で、なんか昔はこの花の名前も知らんかったけど、
自分が子供のときにあったかどうかは覚えてるとか、長いんですよね、あの話が。
なんかそういうのがやっぱ野球のとことかでもあったりとか。
でもこういうのを、まあダラダラ流れてくる文章を読むのが好きな人は、結構大阪和志の本好きって言ってる人かなって思いましたね。
すごく一般的に言うと、なかなか読み切るの難しいと思いますよ、これ。
ああ、そうですか。
好きな人はすごい好きだと思うけど。
日記みたいに読めるっちゃ読めるんで。
日記に、もうやっぱりなんていうかこれ、一章というか、塊が大きくないですか。
そうですね。
私もなんかこれもう少し章がもっと細かくて、日記みたいにもう少し一個一個が短いと、ダラダラ読むのにいいなと思ったんですけど、
なかなかこれ吐息つくのにそれなりの文量があったから、ちょっと読むのに苦労したところもありましたね。
まあ、でもそれは僕は結構途中で途切れてますね、普通に。
短く区切って読んだりはしてましたけど、その区切りがないとこで。
なんかほんまこの話掘り下げんよって思うのすごいなって思いながら読んでましたね。
これどうでもいいやんっていうことが結構多かったんで、読んでるときは。
なんか盛り上がる話でもないし、一個一個すごい地味なことが多いんで、生活の話でなんか説明っぽいのも多いんで。
でもなんか横浜ベースターズの話を結構するじゃないですか、それとかも僕は野球興味ないし、野球のファンでもないし、
仲いいなと思いつつ、野球ファンこんなかって知らんかったから、それが面白かった部分は結構ありましたね。
結構本気じゃないですか、1週間に何日も。
ちゃんと球場に行ってますからね。
そうそう、通ってユニフォーム着て、メガホン持って、観戦仲間がいて、で終わった後に飲みに行くみたいなのをして、試合終わった後とかに。
で結構自分の人生の一部になってる感じがすごいしっかりあったんで、なんか今のアイドルファンの人とか、そういう人とかも多分こういうとこあんねるなとか、
あとヨーロッパサッカーで地元のチームを応援してる人とかも多分ほぼ一緒やろうし、なんかちょっとヤジひどすぎやろうなと思いながら、
一人だけですけど、大峰、なんかその審判の個人的なことをヤジ言ったりとか、相手チームの選手のこととかをすごい言うとかね。
フーリガンとかって昔話題になったじゃないですか。ワールドカップの時とかかな。でそのフーリガンっていうのがどういうシーンの上で成り立ってんのかみたいなのが、
でもそれの一つでもあるんやろうなって、こんだけたぶんチームと一体になってる、自分の生活とか人生が。
それでなんかちょっと怒りを抑えきれへんとか、なんか暴れるみたいなのが、なんかそれぐらい繋がってんじゃなみたいなのがちょっとわかる、この横浜ベイサーズ描写でもありましたね。
この描写は私は結構楽しかったな。面白いですね。
僕こんな熱狂したものはあるかなな。熱狂っていう漢字でも書かれてないですもんね。ほんまになんか人生の一部みたいな感じ。
そうそう、生活の一部だから、特別感はないっていうか、もう本当に日常になってますね。
でもここまでのもんって僕はないなって思いましたもんね、普通に。
私はやっぱり自分はサッカーは見てるから、なんとなくの共通感覚はありますよ。
うん。
私はまあ球場とかスタジアムには距離的にはいけないけど。
なんか僕の昔の働いた時の同僚とかでサッカー好きな人いたんですけど、なんかやっぱその非力のチームがあっても、やっぱサッカー全体が好きっていう人やって、
いろんなリーグのやつもいるし、自分もサッカーやってる人だし、この感じのちょっと違ったんですよね。
こういうなんかすごい狭い入り込んだファンではなかったんで。
野球が好き、サッカーが好きじゃなくても、主人公は横浜ベイスターズを応援するっていう。
なんか今の言う推しよりももっと重いじゃないですか。
うん、そうですね。
だからなんかそこまでのものっていうのは僕は知らなかったですね。
こういう世界なんやなっていうのは読んでて面白かったです。
さっき野球の話もそうだし、植物とかも固有名がすごいいっぱい出てきますよね。
抽象的な会話と普遍的なテーマ
うんうん。
野球選手とか監督とか植物の名前とか。
そうですね。
そういうすごい顕微鏡で見たような細かい話をする一方で、会話だと結構抽象的な話も多くて、なんかそのアンバランスさも面白かったかな。
会話の抽象度具合はね、やばいですからね。
もうめっちゃ突っ込まれますからね、同居人に。
なんかおかしなこと言ってるって言って。
死んでからが人生だとかね。
123ページですけど。
いいこと言ったとか言われるんですかね。
でも私はなんか、私どっちかっていうと結構脈絡のない話好きだから、なんかここまでではないけど、
なんかこう急に連想ゲームみたいな形で喋って、なんとなく抽象的なことを言っちゃってみたいなことは結構わかりますね。
うん。
で、なんかその奥さんにすごい怒られるじゃん。
なんでしたっけ。
なんかそんなぼんやりしてるから、ユカリもなんかぼんやりしてきたみたいな。
なんかありましたね。なんか私もなんかチェックつけた気がする。
なんかおばさんとおじさんの話に移っていく話とかじゃないですか。
おじさんも同じようにずっと怒られして、おばさんは押し花っていう逃げ道がある。
なんかね、この辺はね、非貯蓄型の人間。
対のない話なんですよね、ずっと。
なんかこの、このでも小説通してやっぱり主人公をメインで書かれてるから、妻のリエがちょっと嫌な人すぎるなと思って。
ユカリに対しての当たりが。
まあね、おばとメイだからっていうのもあるんじゃないですか。
でもなんか母親とはもっと仲悪かってここに住んでるんでしょう。
まあそうですね。
これはちょっとしたなんか風評被害感っていうぐらい、なんかリエ嫌な人に書かれすぎって思って。
確かにリエってそんなに、なんか出てくると大抵ユカリに対してお説教してる、そういう役回りで出てきますもんね。
大体ずっと文句言ってるんで、その猫だけ、なんか一番たぶん家にいない人だし働いてて、なんかシングタンクかなんか、
でも僕はでも、まあもうちょっとこの前の住人の話、もうちょっと見たかったなっていうのがありましたね。
なんか結構今の人がメインになったんで、前の人の話も結構面白かったなと思って、そのいとこの話。
いとこが1週間ぐらい泊まるんでしたっけ。
なんか何泊かするんですかね。
お墓参り行くんですよね。
身内との話は面白かったな。
ほんまの幽霊の下りだけはね、めっちゃ引きずりますからね。
めっちゃ引きずりますよね。
でもなんかすごい、知らず単純な感想ですけど、こういう家あったらいいなって思いますよ。
自分が譲り受けて、なんか東京とかに古い、古いながらもすごい広い日本家屋手に入ったらめっちゃいいなって思いましたね。
あ、そうですか。
なんかみんなで、なんかだらだらしてるじゃないですか。2階に集まって、あの感じとかいいなって思いますよ。
そうですね。僕ずっとやってます。住むのはちょっと、なんか。
でもあの、譲ってもらってるんですよ、これ。まあ一応曲がり、てかあの、しばらくの間ですけど。
はいはい。
なんか何のコストもなくこんな大きな家にのんびり暮らしたら、最高だなって思いますけど。
限られた期間やったら、結構いいかなと思いますね。
なんか僕はだから、割とシェアハウスの生活がこれに近かったんで、でももうちょっとその、年代が近い人ばっかりだから、友達とかのほうが楽ですけど、そのいろんな年代のとか、あとなんか奥さんも一緒とか、それは結構しんどいなと思いますし。
でも別にこれ、仕事仲間、働いてる人は日中来るだけで、別に夜はいないわけでしょ。
そうですね。
だから、いいじゃないですか。
そうっすか。もうちょっとこう、やっぱ独身のほうが気楽やなと思いますね、こういうのは。
プレーンソングの主人公はって独身でしたっけ?
もう全然若いですね、プレーンソングとか。プレーンソングとかのほうが僕は、あの空気のほうが良かったですね、家に関しては。
結構河野さん年近くないですか?
近いです、近いです。もうちょっと落ち着きたいなって思うからね、この年代だったら。
すごい言われようですもんね、この主人公もほんまほとんど野球行って家にいるだけみたいな、ボケっとしてるみたいな。
だからその仕事、小説家やから家で仕事してるだけやし、でもなんかその仕事してる場面とか一切出てこないですから。
そうですね。
なんかあんまり本もなんかね、そんなしょっちゅうずっと書いてる人って感じじゃないですもんね、この作中でも。
実際はどうなのか知らないですけど。
恋愛小説書こうとしてるっていうのがちょっとだけ出てきますけど、全然書いてるシーンはないですね。編集者とかも全く出てこないし。
でも主人公って球場以外、まあお若参り以外、外行かないですもんね。家と庭ぐらいでしょ?
そうですね。なんか奥さんにはこの人猫のことしかやらへんって言われてるし。
家がね、メインですからね、この本は。家の記憶というか。
読んでたら面白いけど、この家にいたら疲れるなっていうのはすごいやりますけどね。
まあ、一番いいのはあれですよ、仕事仲間はいなくて、自分と家族だけでこの家を譲り受けるシチュエーションがいいですね。
人がそんなにいないってことですか?
別にいなくても。
ただ家が。
ただこういう大きい日本家屋に住みたい。
そういうことか。
はい。
もう話がすごい膨らんでいくのとかね、その場にいたらすごい嫌んだろうなって思いました。
あ、そうですか。
スプーンまげの話から、なんか科学から生命の神器とかがすごい膨らんでいって。
コロコロコロコロね、話しますけど。
そうですか、私、なんか結構私こういうタイプですよ、私。
割とどんどんどんどん脱線するの好きだし。
なんか、で、一番この主人公が一番わけわからんこと言い出す。
どんどん広げていくんでね。
あと結構、最初から最後まで通して、なんか一貫して書かれてたんですけど、
自分を見下ろす視点みたいな話。
うーん。
だから、そう、後姿とかを全部見えてるみたいなの言うじゃないですか。
お風呂とかね、体洗うシーンでなんか言ってましたね。
後ろから、自分がその天井の隅の方に自分の視点があるみたいなとか。
そんな思ったことないわ、ほんとに。
なんか言ってましたね。
なんかいろんな人の背中見て、それで、そのなんか経験で自分の背中を見てるんじゃなくて、
ちゃんと、なんかそういう見下ろす視点があって、ちゃんとわかってるみたいな。
見えてるみたいな。ずっと言ってるんですけど、それ、最初から最後まで。
それ思ったことないなと。
なんかその家中の隅々まで見えてるとか。
うーん、なんか言ってましたね。
猫を通してみて。
そうそうそう。
読書体験と印象的なキャラクター
これどれくらいで読みました?
これは、僕は1週間ぐらいですね。
おー、けっこう早いですね。
うーん、まあ、もう、しかも半分ぐらいは2日で読みましたね。
えー。
あの、最後。
あ、そうですか。
私ね、一応2週間時間とったんですけど、
これ、途中から、もっと前から読んでもよかったなと思って。
なんか、もっと長い時間かけて、ちびちび読んだほうがよかった。
まあ、それこそ日記みたいな読み方で、読んだほうがいいなと思いながら読んでましたね。
こう、普通の小説みたいにガッと読むよりかは、ちびちび読みたいなって思いました。
けっこうね、なんか、そうですね。
なんですかね、だらだらしたとこが多いんでね、文章ね。
それにこう、身を委ねて、一緒にだらだらして読むのが、けっこういい読み方だと思います。
なんか、ぼくは、おじさんがけっこう好きで、
おじさん、けっこう最低じゃないですか。
あの、浮気ばっかりしてた。
ああ、そうですね。浮気もしてたし。
ずっと働いてないみたいな。
早い段階で、お金をね、手に入れたから、もうだらっとしてた。
なんか、そんな。
なんか、庭すら見てなかったり、なんか。
なんか、今で寝てるとこしか記憶にない。
確かに。
で、なんか、深夜までずっと映画を見てるみたいな。
深夜映画を毎日見てた。
そうですね。
なんか、それが、家族の中では、まあまあおじさんみたいになるよ、みたいな、
なんか、悪口みたいに言われるけど、
主人公が全然、こう、肯定的におじさんを捉えてる感じとか、すごい良かったなと思って。
まあ、そうですね。
目的を持って、なんかやんなきゃみたいな、そういうセコセコしたところがなくて、
そうですね。
のは、のんびりしてるのはいいですよね。
なんか、別にそんななんか、嫌な人じゃなかったんで、
いつ浮気してたんやろ、みたいな、ずっとね、なんか。
そんな、なんか、外にも出てないのにって、それをすごいなんか探るんですよね。
そうですね。確かには、おじさんは。
おじさんっていうポジションがいいんでしょうね。
ああ、まあ、そうでしょうね。
なんか、お父さんのことがほとんど出てこないね、この話では。
遠慮際とか。
ね。普段いないから。
なんか、あの、発血病で動物がなくなるかもしれないみたいな話してるじゃないですか。
うん。
そんなの考えたこともなかったから、なんかちょっとドキッとしましたね。
森中のやつですよね。
うん。
まあ、そうっすよね。
うん。
脊椎動物やったら、全部そうでなるかもしれないみたいな。
うん。
私はそんなとこかな。
結構、ポイントポイントで面白かったところとかは。
まあ、名言みたいな。名言じゃないですけど、全然。
はい。
あるんですけど、なんか84ページで、鎌倉の花火しか知らんかったのにね、鎌倉の花火が日本一だとか言ってたみたいな。
はいはい。
で、なんか。
範囲のとこじゃないですか。
あ、そうそうそう。そうじゃなかったら、横浜ベイスターズなんか応援するわけないじゃんかって。
この人は何でもかんでも自分がたまたま知ってることが一番、みたいな。
でも、愛するっていうのはそういうことだみたいなことをいきなり言い出して。
これはね、超面白かったですよ。
比較権通して選び出すものじゃなくて偶然が絶対化することなんだろうね。
すごいなんか、なんかもっともらしいことをなんか言うけど、
なんかそれをすごいこじつけみたいにするね。
今思っただけやろって感じだよね。
で、愛なんかどうでもいいんですけどって言われるから、せっかくだから花火一つぐらいいきましょうとか言う。
なんかこういうのね、いっぱい挟んでくるんですよね。
うん。
めっちゃこう、哲学的な真理みたいなことをポッと言うみたいな。
うん。
でもそれこそ私も読んでたら、結構その愛のとこもそうでしたし、
なんか面白いセリフ結構いっぱいあったんですけど、
なんかそれをなんかこうピックアップしていくと、
だんだんこの小説の魅力を語ることから遠ざかっちゃうような気がして、
で、やっぱり今日どうやって話そうかなと思って、難しい気持ちになったんですよね。
うん。
セリフはね、ほんと面白い、いっぱいあるんですよ。
そうですね。
ほんとに小説の中でもこの作品は、ほんとにそれを強く感じましたね。
あんまり聞いたことない表現やなと思ったのが、
170ページで、階段の世代。
あ〜。
なんか階段の世代やから、そんなしょうもないことがすごいなんか盛り上がるみたいな。
あやこと森永とか、そんなへんかな。
うん。
で、なんか幼稚って言ったらそれまでなんだけどね、と。
もうちょっと言うと、感情と思考の結びつき方が違ってるってことだと思うんだよって。
それ面白いと思っちゃうと、嘘でもなんでもダイレクトに思考回路に流れ込んで、
逆に普通の思考回路に入るべきものでも面白いって感じはしないと、
そのままないと形だけしか覚えないっていうか、全然身につかないっていう。
現代の教育の映画みたいな。
なんか、これちょっと前の世代の人ってこういう風な考え方あんのかなみたいな、
なんか思ってしまいますね、これ。
坂和志が思ってるんじゃないですか、普段から。
でもなんかそれの感情と思考の結びつき方が違ってるってそれを表現するんやと思う。
なんかずっと、僕らの年代とか僕の年代とかでも、
もう割と普通のことになってたんで、語彙のって。
なんかその、学習をするために面白くしようみたいな、
が割と当たり前になってたじゃないですか。
でもなんかそれ自体が怠けてるというか、なんかそういう考え方じゃないですか。
で、それが幼稚みたいな。
でもなんかこれはすごいわかるなって僕は思うんで、
ゴシップとか陰謀論とかを信じる人ってだいたいそうかなみたいな思うんで。
面白いと思ったらそれが真実になってしまうみたいな。
はまってしまう。
真実になってるかどうかわからんけど、はまってしまうって感じでしょ。
で、大事なことは面白くないから入ってこないみたいな。
すごいそういうのをスッと入れてくるなと思って、この分厚い本の中に。
そういう細かいところで面白いところがいっぱいあった本でした。
それぐらいにしときましょう。
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