なるほど。冒頭はね、奥地さんとバデーニさんが協力者が必要だということで、
街の掲示板に天道説、地道説とかに関わるような天文の問題を貼ってきましたと。
そしたら夕方見に行ってみたら、小さな女の子がなんかいますよというところでね。
スタートしていって、ちょっとヨレンタさんというキャラクターがそこから出てくる感じ。
私はヨレンタさん結構好きですね。
ここはリリーが語りたいみたいですよ。
ヨレンタキャラから何を感じますか?
私はいろいろね、ジェンダーの部分に関心がもともとあるのもあって、
研究をね、女性だから公表できないとかね、その勉強会に参加できないっていう。
当時としてはね、なんか当たり前みたいな文化だったんでしょうけど、
そういう中でも、彼女の中ではこの学びたい心理とかね、天文を学びたいっていう思いで、
一生懸命学ぼう学ぼうとする姿っていうのがね、なんか私は胸熱なところがありますね。
やっぱこういう人たちのいろいろな積み重ねで、今のジェンダーの、
ジェンダーフリーと言ったらいいのかな、男女平等みたいなところ。
女性が大学に行くのとかも当たり前だからだったりするけど、
確かね、私たちのおばあちゃん世代は、大学に行った女性って逆に就職できなかったんですよね。
それは会社側が、大学に行った女性なんて、化け物みたいな感じだから、
どう扱っていいかわかんないみたいなね。
極端だね。
ジェンダー関係の本に書いてあって、そういう表現が。
逆に大卒ってなっちゃうと、ものすごい高学歴過ぎちゃって、
え、うちの会社でそんな女性どうやって雇っていいかわかりませんみたいな感じで、
逆に就職ができないっていう流れがあったっていう話を聞いて、
すごい面食らったんですけど、
でもそれでもね、今になっちゃ、大学、女性だからどうってあんまりないから、
こういうヨレンタさんみたいな人たちがやっぱり、
学びたいですとかね、女性でもやりたいんですっていうのをやってきてくれたからの、
今なのかなっていう部分で、すごくヨレンタさんを取り巻くいろいろなところ、
研究会参加できなくて、あえて井戸の中に降りて、一生懸命聞いたりとか、
自分で論文書いたけど自分の名前では公表してもらえなかったり、
デニーさんと大口さんが張った問題の答えもあえて男性名で自ら書いたりとかね、
自分のやったことがね、もちろん名前が大事じゃないってヨレンタさんもね、
言ってるんですけど、
でもこう自分の努力が正当に認められないもどかしさみたいなものがね、
すごい感じられてね、いいなーっていう、
それをこう本当に描いてくださってありがとうございます!
作者さん!みたいな気持ちになりますね。
確かにね、この時代で生まれてたらどんなに肩身が狭く生きなきゃいけないのかって思っちゃいますよね。
いやー絶対そうだと思う。
特にもし優秀だった場合はね、特にそういう葛藤が生じてしまいますよね。
この後の展開的にもバディーニさんがね、
今後バレそうになったら魔女にそそのかされたって言えばいいみたいな話もありましたけど、
私、魔女ってなんてその男、まあ男はないけど、魔男とかね、
なんで魔女だけあるんだろうなって思った時に、
女性でちょっとおかしな人っていうともう魔女っていう、
そういう単語ができちゃうぐらいやっぱり女性のちょっとこう、
え?って当時思うような女性のジェンダーとしてずれてることをしている人っていうのは、
そういう扱われ方を当時からしてたんだろうなと思って、
そっかここから魔女とか火あぶりとかね、なんかそういうのが出てくるのかって思って、
どれだけ女性はやっぱ肩身狭かったんだろうなーっていうのはね、
改めてね、そのバディーニさんのセリフを聞いてても、
ちょっと感じるところがねあるなーって思いましたね。
ねー、ちょっとひどいなと思っちゃったもんね、あのセリフも。
いやー、ほんとだよねー。
当時の常識感っていうものはね、やっぱりそうやって女性っていうものがね、
ネックになってね、女性はそうやって辛い思いをするし、
男性はそれを持って女性にいろいろこう言ってたわけだからね。
常識化されちゃってるからこういうことを軽々と言えちゃうんでしょうけど。
やっぱりね、そこはね、ちゃんと描いてもらえていて嬉しいところでしたねー。
描いてもらって嬉しいっていう感じなんだね。
そうですね。
現代においてね、結構男女平等っていうのが増えてきてるから、
いろいろな法律とか制度とかが変わってっていうのもあるわ。
あるけど、当時はこれぐらい大変だったっていうのが、
時代は違うんだけど、やっぱりでも女性だからっていうところで苦しく思ってるよっていうのは、
今は昔に比べればそれは当然良くなってきてると思うけど、
やっぱりなんとなく男性よりも女性の方が結婚すべきみたいな感じとかね、
結婚したら子供産むべきとか、
母親ってすごい父親よりも良い父親になるとイクメンとか言われるじゃないですか、
すごいねみたいに言われるんだけど、
母親って別にイケメンみたいな言葉で呼ばれないし、
両妻献母が当然みたいな感じで扱われてる雰囲気があったりとかするから、
そういう意味での今のやっぱり、
まだ女性のちょっと苦しいなって思うところはあるんじゃないかなって思うんですけど、
種類は違うけど今も昔も、
女性の女性らしさゆえの苦しさみたいなものが認めてもらえてるような感じが私はして、
それがたぶん嬉しかったんだろうなって思うところはありますね。
うおとさんねきっと男性の作家さんだと思うんですけど、
そういう方がこうやって女性の大変さみたいなものを取り上げてくれてましたね。
ねえさんもね最後の方はもう、
途中まではね魔女で何か罪なすりつけようとか言ってたくせにね、
最後の方ではね全く無関係だと言えっていう風に、
つまりちゃんとヨレンダさんも女性だからどうとかじゃなくて、
一人の研究者として尊敬する思いがちゃんとあったからこそ、
そういう言葉が出てきたんだろうなって思うから、
それもまた嬉しかったですね。
一人の人としてちゃんと見てる感じが。
女だからどうとかっていうのがね、ないのがねいいなあっていう。
そうだね。
どう?胸熱ヨレンダさん。
ヨレンダさんいいですね。
やっぱりこの数少ない女性キャラというところもねあるかなと思いますけど、
応援したくなる。
とてもいい子って感じですしね。
こんなことやってたらもう奪われるに違いないみたいなね。
真面目ないい子って感じですよね。
本能社会を生きるために頑張ってきたんだろうなっていう感じがあるし、
ヨレンダさんのお父さんが農学さんというのはまさかのまさかでしたけど。
麦わらさんはそれはどこで知ったんですか?漫画?アニメ?
アニメが先だったから完全に声でわかっちゃう。
この声でわかってる。
あの声でえ?ってもう完全に勘づくしかないよね。
そうだよね。私もマジかと思ったけど、
確かに髪色とかね、なんか遺伝してる感あるから。
確かにみたいな感じには思ったけどね。
そして今更気づいちゃったけど、この井戸に入る前に手袋を取ってるじゃない?
この手袋ってそうか。
あの手袋が今更だけど、手袋は汚れないようにってわざわざ外してるのはそうだよね。
逆にしたいよね、あんな摩擦ですごいからさ。
本当はしたいだろうけど、それぐらい大事にしてる手袋ってことだよね。
こんなところに勤めてるから貧しくはないんだろうなとか思っちゃってたけど、
でもお父さんからいただいたこの手袋にはそんなにもやっぱ思いがあったんだなぁと思わせるんですけどね。
研究者の誇りみたいなものがね、きっとあるんだろうなぁと思うんですけど。
このヨレンタさんのね、ちゃんとお願いすることはタメ元でもちゃんとお願いしてとかね、
あとそのお父ちゃんとね、野爆さんといろいろ喋ってる時にね、野爆からも女だからね、何もするなってこう言われてね、
おとなしくしてろって言うようなことを言われるところがあると思うんですけど、
そりゃ周りも不安になるみたいな風に言われちゃったりとかねして、
でも、私は神と真理のためなら引きたくないっていうね、
そのセリフが私はすごいやっぱ自分も神様を信じてるっていうのもあって、
神と真理のためなら引きたくないっていうのがすごいね、腐ってきましたね。
かっこいいと思って、やっぱ彼女のこの強さはやっぱそこから来るんだろうなぁと思って。
すごい力だよね、力強い言葉だよね。
すごいかっこいいね、押せますね、やはり。
だいぶね、ヨレンタさんこの後も長くお付き合いしていくキャラクターなので、
嬉しい限りです、とても。
ヨレンタさんはこの地の漫画の中のランキング上では1位ですか?
難しいね、それぞれのキャラのメッセージ性がみんないいから、
1番を決めるのがとても難しいんだけど、
1番、2番、3番とかつけるのは難しいんだけど、
でもそのキャラクターが伝えていることとして、
どのキャラがより響きますか?みたいな風に聞かれたとしたら、
オクジ、ヨレンタ、ノバクあたりが結構争うかもしれない。
ノバクさんはキャラとしては押せないんだけど、
メッセージ性だったりとか、最後のところとかすごい押せるなって思うところがあるから、
割とね、上位。
ペアストラクも多いんだけどね、ペアストラクも多いんだけどね。
でもヨレンタさんとオクジは結構上位を争っている印象ですね、私の中ではね。
うーん、なるほどね。
みんないいキャラクターですよね、本当にメッセージ性がそれぞれあってね。
いやもう本当にね、オシたちがソロ第3週は最高ですよ。
麦わらさんのね、オシペアストラクがいるからね。
オシペアストラクさんはね、本当にね、
みんな何がいいのかって、心理を追求しようとするその姿勢がね、すごいいいんですよね。
そうだね、ヨレンタさんもそうだった。
でもね、バデーニさんが、ですが真理かもしれません。
それを求めて人生を捧げたのでしょうっていう。
一言に反応するあたりがやはり本物だなって思うわけですよ。
ピアストハクが反応する。
ただの自分のプライドだけだったらさ、ただ突っ跳ねればよかったのに、
やっぱり真理を人生を捧げて求めてたからこそ、
この真理がね、もしかしたらわかるかもしれないっていう。
そこに対してはピアストハクの心が動いたわけですよね。
でまたピアストハクの過去の回想がいいんですよね。
お父さんからそもそも天文を学ぶから、
この下等な天文など学ぶ気かーなんて言われて、
ピアスト家っていうのは勇者正しい貴族なのかな。
なのに下等な天文なんて学ぶのかって言って、
夜空を眺めて歴史を変えられるとでも、
お前は一族の恥だとまで言われながらも天文を志したわけじゃないですか。
つらいよね、お父さんに。もう帰ってこなくていいとか言われてたもんね。
そうそうそうそう。
それでね、天文の世界に入られて、
教授のもとでね、いっぱい勉強したり観測したりとかしていくわけですよね。
でもそのピアストハクの教授も宇宙の完成をね、目指していらっしゃって。
まあ、より太れ舞い押すモデルって言うんですかね。
現状の宇宙を太れ舞い押すモデルっていう。
伝道説の方だね。
だから、でもそれには誤差がある。
でもその誤差について神が作った宇宙にだぞって言ってるから。
いやーわかる。そこめっちゃ響いた私も。
やっぱり信仰があって、やっぱり神様が作った宇宙に誤差があるっていうことに、
やっぱそこにあかなく研究したいっていう思いが湧いてくるあたりがね、
そこにもうやっぱ信仰者としては、そっかーって思うんですけど。
大前提、神様が作ったものだから美しく完璧であるっていうね、
やっぱそこを求めていく感じがね。
そうなんだよね。
だから修正して正しく完成させるって言ってる。
この時私が一人でだと言ってね。
そうなんだよ。
この当時やっぱ。
キャスト博の教授ね。
教授ね、そう。
そっかーって言ってんだけどね。
いやーだからね、その後がまた響いてくんだよね。
そうなんだよね。
結局キャスト博の教授はさ、自分の能力よりも
キャスト博の方がさ、ある程度優秀だってだんだん見極めてくるわけで。
人生は短い。そろそろ行ってもいいだろう。
君に私の宇宙を譲ろうって言ってね、鍵を渡すんですよね。
この鍵の描写がまた今後にね、入ってきますけれども。
この資料室をね、キャスト博に見せて、
膨大な天文の資料がね、見れる場所についに入れるようになりました。
私はあらゆる可能性、選択肢、未来を捨てて、この修正宇宙に一生を懸けてきた。
まさにこれは私の欠肉、かけがえのない宝だ。
ここまでね、本当に思いを抱きながら頑張ってきたけれども、
でも真理にたどり着けるのは選べるし、ただ一人だけと言って、
そしてその一人とは私ではなく君かもしれんからだと言ってね、
すごい決心のある言葉をね、言いましたけれども、
自分では難しいかもしれないっていうね、
分かってくるってやっぱりちょっと儚さというか、
自分としてはできるって思ってたんだろうけど、
なんかね、それを手放し始めるあたりがね、
なかなかこう、なんて言うんですかね、その心情ったら、
それもすごいなと思うんですけれども、
苦しいところはありますよね、絶対軽々しくできることじゃないでしょうからね。
ちゃんと俯瞰して自分自身を見てらっしゃるなというか、
長年研究しているといろいろ見えてくる能力の優劣などは得意だって言って、
だから能力的にはピアストアークの方が上だって認めたわけですよね。
ここでこう自分じゃない周りの人を認めるってすごいことだよなと、
そう思いますよね。
やっぱり人間自分の力でやり遂げたいとか、
何か結果を出したいって思うじゃないですか。
すごい分かります。
けどそれは自分には無理かもしれないって結構、
自分の無力を感じるわけじゃないですか。
それはやはり、
それを受け止めるまで、自分自身がそれを認めるまでには、
やっぱり葛藤があったんじゃないかなと思うんですよ。
本当そうですね。
そういう意味でこの教授はやっぱり真理を求めてるんだろうなっていう感じがしますよね。
自分の名誉のためだったらきっとしがみついて終わるでしょうけど、
完成させるためには、
やっぱり自分の足りなさを受け入れて、
後世に次いで、
それを何とか完成させてもらおう、
真理をっていうね、その誤差を。
神様がいるんだったらそんな誤差はあるはずがないから、
それをきちんと研究して突き詰められる人に託そうって思えるんでしょうか。
やっぱり信仰者って思いますよね。
そしてここでも託してるんですよね。
そしてピャストアークに鍵を託すわけですよね。
でもピャストアークとしてはもう身に思えるわけですよね。
教授が一人で独占してた資料室の鍵をもらっちゃって、
宇宙の完成には、なんて私にはとても、なんて言って。
それはそうだ。恩師が一生懸けてやってきたものを丸ごと引き継ぐわけだから、
岩重いですよね。
それでまた空を眺めるわけですよ。
何を恐れている重要なのは無謀さではないか、
って自分で言った言葉ですよね。
そうだね。
勇気を持って挑ぶんだ。教授の宇宙を完成させ。
なんだあれは?ってなるんですけど、
いやここがですね、なかなかこの衝撃言ったらね、後半に響いてきますけれども、
こんな見間違いするなんて私も疲れてるな、大丈夫だ。
満ちてないって言うんですけどね。
これが何かというと、近世を見たわけなんですけど、
満ちた近世をね、見ちゃったっていうシーンですよね。
こんなこれから教授の意志を継いで頑張ろうなんて思ってたけれども、
満ちた近世は天動説においてはあり得ない。
満ちることがあり得ない。
太陽と近世と地球の配置的にはあり得ないけど、
ついここで見てしまったんですよね。
だけど隠しちゃったんですよね、この人ね。
まあでも結果、やっぱりこう私には不相当ですっていうのか。
宇宙の感性など扱いきれないって言って、結局返しちゃうんですけど、
鍵なのかなこれ。なんか箱を返してますけど。
で結局ここで何で返しちゃったのか、やっぱり満ちた近世があったから、
本当にこれが正しいんだろうかって疑問が出てきちゃったんでしょうね。
引き継ぐ天動説っていうものが本物かっていうのがあったことですね。
でもまあね、これを認めるのもやっぱり心苦しいですよね。
ずっと教授とともに宇宙の感性を求めて研究してきたであろうから、
やっぱりそこで満ちた現実性を認めるっていうのは、かなり厳しいものがあったんだと思うんですよ。
神様としてはそこである意味一つの真理を見せてたんだと思うけれども、
気づいてくれっていうね。
なのに結局人間側のいろんな感情で、それは見間違いだったんだろうって言って、
都合のいい方に捉えちゃった。
でこの5年後ですよね。この5年後でこんなに多いのかってくらい教授がね、もう死にそうになっちゃうんですけれども。
ここの1個1個のセリフがね、もう本当に胸に響くんですけれども。
5年前あの話を断ったのは私の研究を疑っていたからだろうって言って。
ピュアストアーカー、そんなあれは素晴らしい、あんなに正確な宇宙見たことない。
その通りだ、あれは美しいって言ってね、このやりとりする。
で、精密で理想的で聖書にもアリストテレスにものっとってる。
それを疑ったことは一度もない。
だが、だが、だが、完成しないのだ。いくらやってもって。
泣くんですよね、この教授がね。
でもそりゃそうだよなって、完成するはずがないわけじゃないですか。
これが真理じゃないわけだから。
伝道説だからね。
そうなんですよ、あんなに正確な宇宙、人間的には聖書にもアリストテレスにも当てはまるし、
やっぱり正確さ、人間的には正確さっていうものが語れるんだと思うんですけど、
でもやっぱり真理はそれじゃないから、どうやっても完成しないって言うね。
いくらやっても。
でね、その後に私の能力では誤差が出てしまうと。
結局私は一生かかってもたどり着けなかった。
いや、それならまだいいんだと。
そんなんだよね、それならまだいいんだなんだよね。
本当に恐ろしいのは、そもそもこの仮説が前提からすべて間違いだった場合だっていう。
これがね。
いや、だとしたら私は、私はなんて無駄な人生をって言って泣くんですよ。
もうなんかもう泣いちゃいます、私が見てると。
私が泣いちゃいますね。
こんな人生の最後に自分を自己否定するなんてあまりにつらすぎると思って。
麦わらさんはもう本当にもうこのシーンでね、
本当に今も泣けてしまいそうになりますね。
こんな悲しみがあるかっていうね。
完成しないっていうのが一つの点からの答えだとは思うんですけどね。
真理じゃないっていうことがね。
だけど生きる限りは研究するわけじゃないですか。
たどり着けないですよね、なかなかね。
だから前提からすべて間違いだった場合をもうちょっと前から疑ってたらよかったのかもしれないんだけど、
この死に際にさ、それ言っちゃったらさ、もう本当に悲しいよって。
すごいね、心に響くんですよね。
でもその言葉を聞いたピアス・ダークがそんなのありえないって。
宇宙が完成しなかったのは教授の能力が他に足りなかっただけだって。
だからあの研究は間違いじゃない。
ピアス・ダークもおじいちゃんになって完成させねばって言って、もう目も上手く見えなくてね。
観測も上手くできない中で観測しようとするけど、
もうずっと前からボケてて何も見えんと言ってね。
だが死ぬ前に見なければならんものがあるって言って。
ここでね、心理というものに改めて定めようっていうのかな。
するわけですよね。
もう覚悟を決めますよね。
ある意味このまま死んじゃったら、
教授と一緒なわけだから完成しなかったって言って泣いていた教授とある意味一緒になっちゃうわけだからさ。
まだこの時にはプライドがあったわけだからさ、
デーニーさんたちにはさ、
貴様らのあのよた話を私は寛大な心で検討してやった。
結果記録を見せてやってもいい。
かなり超絶上から見せて言ってますけど。
でもさらに正しい条件がある。
貴様らの間違いを証明することだとか言って。
まだね、自分の非を認めないですよ。
否定の非というか。
やってきたものに対して間違いだなんて言わせないぞぐらいな気持ちなわけですよね。
昔私はあるものを見た。
いや、見間違えたって言ってるんですけど。
いや、見間違えたわけじゃないはずですよね。
多分もう分かってるよね、ペアスタークも。
見間違えたと自分で思い込もうとしてる部分があったからずっとここまで引っかかってたわけでしょうからね。
今何を見たというのですかって言ったら、
満ちた金星だってここでわかるんですけれども。
さっき言った感じで、
天道説だったら満ちた金星に入れるはずないというところで、
我々がいろいろ話を進めていくうちに、
結局奥二さんがとてつもなく目が良いということなので、
奥二さんがその満ちた金星が実際に見えるかどうか見るという話になってきますね。
そのくだりでいろいろな名言が出てくるんですけど、
一旦ちょっと置いておいて。
ペアスタークのところでね、まずはね。
ヨレンタさんの名言とか出たり、いろいろあるんですけれども、
とりあえずペアスタークさんに焦点を当てて、
でね、奥二さんが突然覚醒し始めてね、
俺は満ちた金星が見たいという、期待してくださいということになりますね。
その前のページでこんなにもんもんとすごい悩んでても、
すごいもんもんとしたものをすごい自分でずっと喋って、
ずっと喋っても最終的に自分で自己関係として、
俺は今満ちた金星が見たいということですということで。
最初のナヨナヨ奥二はいずこえてだいぶ成長してくる感じですよね。
金星見る前の奥二さんがだいぶツヨツヨになってきましたね。
そうですね。もしよければ期待してくださいということでね。
そしてこの漫画のね、このコマの感じがすごい好きでですね、
この金星を見るまでの、
見えろ、満ちてろって奥二さんが、見えろ、満ちてろっていろいろ。
ヨレンタさんが映ったりペアスタークが映ったり、
デニーさんが映ったり、いろいろな皆さんの思いがあるわけですよ。
真理に向かうこの、真理にみんな人生を捧げている人たち。
この思いがね、みんなここで回想シーンがパーってちょっとあって、
見えろ、つって光がパーっと地球に差し込んで、
この天動説のこの図がありますけど、
それをね、かち割ってですね、金星の光が差し込み、
奥二さんにパーっとこう見える。
そして満ちてるって言うんですよね。
いやー、ここはもう読者もみんなはーってさせられるシーンだよなーって。
ヨレンタさんがもう口をこんな抑えちゃって。
ヨレンタさん口を抑えがちだからね。
でまたここでもいいセリフが出ますけれども、
不思議だ。ずっと前と同じものを見てるのに、
まあ空をね、見てるのに、少し前からまるで遠く見える。
奥二さんが言った後、バデニさんが、だろうな。
遠くじゃない?近くじゃない?
ん?まるで?
近く見える。
あ、近くかごめんね。
少し前からまるで近く見えるって言って、だろうなって。
きっとそれが何かを知るということだって言うんですけれども、
いやー、これ名言でしょ?もう名言でしょ?っていう感じですよね。
そう、同じ空を見ててもね、
まるで違く見えるっていうぐらい、違って見えることってありますよね。
やっぱり物事の、なんだろうね、認識が変わる時って、
やっぱり何かを学んだ後とか、
何かを学んだ後にそれを見た時に、
それに関連する何かを見た時に、
あ、こんな風だったんだって、
なんか目が開かれたような感覚に、
誰しもね、なったことあると思うんですけど、
それが何かを知るということだとね、
バデニさんの名言が飛び出ますけど、
いや、知るっていうことの偉大さを感じさせますよね、
このシーン一つ一つね。
自分が変われば世界が変わるとかね、
言ったりしますけどね、
知ることで変わると、見え方が変わるっていうのはね、
昔はなんか世界が白黒に見えてたなーって、
白黒に見えてたそうですね。
ぐーちゃんさんじゃないけどね、
そういう感じでちょっとこう、
この世界なんてさ、変みたいに思ってた時は、
結構ね、そういう気持ちがありましたけど、
でもやっぱりいろんなことを学んで、
特にやっぱり私は信仰を持つようになってからだなと思うけど、
あそこから見える景色が同じ世界かって思うぐらい、
やっぱり今色づいて見えるなっていうのは、
やっぱり自分が知ったからだろうなって思いますからね。
そうだよね。
本当に不思議ですけども、
人はもう脳みそ一つでね、
ずいぶん変わるなって感じですよね。
まあちょっとその名言はね、
奥二さんの人生そのものがそれだから、
だから奥二さんそのキャラランキング上に来ちゃうのよ。
いやわかるよ。
私もね、1位か2位なのよ。
ピャスト博、ピャスト教授はマジで上なんですよ。
1位か2位なんだけど、奥二さんも1位か2位でね、
争ってくるからね。
争うんですよね、彼らはね。
それだけ確信に近づいてる人たちだから、
すごく胸に響く言葉と発見をたくさんくれる人たちなんですよね。
もうその後のシーンですよね、
金星見ちゃった後のこのショックなね、
ピャスト博としてはもう大ショックですよね。
認めんぞそんなことって言ってね、
もうとんでもないお顔してますけど。
漫画ではとんでもないお顔してます。
漫画だととんでもない怒ってますけどね。
これは貴様らの嘘だ、私を騙してるなってね、
言い始めるのは敵役、悪役によくあるような言い返し方だなって感じですけど。
よく考えれば、万に一つもし本当に金星が本当に満ちているとしても、
それは金星が太陽を回っている証拠であって、
地球が動いている証拠にはならないとか言い始めちゃうんですよね。
だから地球など動かん、いずれも私の説の方が正しいのだって言って、
おじいちゃんみたいな感じになるわけです。
で、そこからのバデーニさんの切り返しが恐ろしいですよね、この切り返しはね。
でもそうやって成立したうちは、
神が作った自然か、人間が作ったこじつけか、
あなたはそのどちらに見えますかって言うんですよね。
なかなかこのセリフはどぎついですよね。
だって神が作った自然の中の法則を彼らは賛成していたわけですからね。
真理ってそういうものなわけだからね。
それに対してね、つまりこの質問をしているってことは、
あなたが言っているのは真理ではなくこじつけだって言ってるわけですからね。
ジュクシンって感じですよね。
ツッてなるわけですよ、キャストのコメント。
巻き込みツッて書いてあります。
ねえ、いろんな思いがありますからね。
貴様らのような若造物どもにはわからんのだ。
私の歴史も人類の歴史も。
積み上げられた研究はこんな一瞬で否定して良いものではない。
そうだよね。
いや気持ちはわかりますよ。
だってそんだけね、ピャストワークさんだけでなく、
先代からずっと受け継げられてきた研究の賜物なわけだからね。
ただ誤差が出るっていうので修正しようとしてね、
完璧を求めてたけれども。
いやこんな一瞬で否定して良いものではないっていうね。
いやー、そりゃもうそう言っても当然ですよっていう感じはしますが、
またここでバディにその恐ろしい切り返し。
もうここのね、名言だと思います。
心理というものをね、的確に表現してるなと思うんですけれども。
ではもし積み重ねた研究を一瞬で否定する力があって、
個人の都合や信念を軽く超えて、
究極に無慈悲で、それゆえに平等なそんなものがあるとしたら、
それを何と言うと思いますか?
って言ってね、いや心理ってでも本当そうなんですよね。
個人の都合とか信念関係ないんですよね。
もう心理が俺がAだって言ったらもう全部Aみたいな。
どんなにBBBって言って地球上のどんな人たちが反論しても、
心理がAと言ったらAみたいな。
そういう感じですよね、心理の絶対的な。
法律みたいなもんだからさ、
心理ってある意味神様の節理の法則なわけだからさ。
もうそう作られちゃってるんだからしょうがないんだよ。
人間には目と鼻と口があるでしょ?みたいな。
でしょ?みたいな。
ほっぺたに何?なんかここにもう一個口が空きますか?みたいな。
そんな感じでさ。
本当そうだよ。
人間はね、生まれたら必ず死ぬっていうのもね、
みんながね、絶対に人間は死なないみたいな。
人間は死なないって言っといても、
どう頑張ったって死ぬからね。
100年言い続けたらもうほとんどその半分以上死んでますよみたいな。
そういう状況にもね、
なってしまうぐらい、
心理のその、ある意味では無慈悲ですよね。
人間がどんなに感情的に訴えたとしても、
変えられないものだからね。
変えられないからね。
そうだね、確かにそうだね。
だけれども彼らはね、
心理を求めてこれまで研究してきたわけじゃないですか。
その究極に無慈悲だけれどもね。
それ故にこんなにピアストアークも、
もうこんなにもう心情を荒らされて、
もうこれまでの積み重ねが全て否定されて、
こんな大ショックを受けてるけど、
何によってこんな大ショックを受けてるのかって言ったら、
心理によって受けてるわけですよね。
だからね、ピアストアークの教授が最後にね、
私に聞かせてくれ、心理をって言ったね。
そのことをね、もうピアストアークも認めて、
それは心理だって言うんですよ。
よくぞ言ったみたいなね。
本当そうだね、本当そうだね。
苦しいけど認めるセリフですよね、彼がね。
天道説ではなく地道説が心理だと、
自分が本当に求めたものはそれだったっていうのをね、
認め始める一言って感じですよね。
それでさ、これまでも積み重ねた研究室の資料の鍵を取り出してさ、
もう全てはここにあるって言ってさ、
学校のバデミさんとオクジーさんに手渡す、
このシーンももう本当にいいですよね。
もうでは頂きま、って言ったらもう、
鍵の取り合いみたいになっちゃって、
すごいよね、このもうなんか亡くなりそうなね、
なんか死期が近い方の、しかしこの悪力だから、
そう育たる悪力だったんだろうなと、
本当に渡したくなかったんだろうなって。
渡したくないですよね。
この描写が好きなんですけどね、
グググってまたグググって上にやったり下にやったりしてさ、
アンノーって。
バデミさんもアンノーって。
でこのピアスターくんの泣いてる大顔がですね、
もう本当に切ないというかなんというかもう、
漫画のね、この表情も素晴らしいんですよ。
アニメでもね良かったなと、
私多分こう泣きそうになったシーンだと思うんですけれども、
本当にこの涙がね、
もう意味があまりにも深すぎてですね、
泣けてきますね、この涙と一緒にね。
本当だよね。
苦しいよね、すごくね。
いやー、このカギの先に何年分の人生が積み重ねられていると思うって、
50年ですか?って。
2000年だって。
2000年かい?みたいな。
恐ろしいですよね。
今から2000年前って言ったらね。
紀元前2500年とかだもんね。
イエス様がね、こう生まれてその後ぐらいですかね、2000年前なんて言ったらね。
それは多分2000年から逆算した場合だから当時1500年だから、
紀元前500年じゃない?
今からだよ、今から。
この時代の2000年前だから。
それは知ってるよ、それは知ってるけど、
今だったらそれぐらいだよねって。
あー、そういうことね、そういうことね。
それぐらい昔から積み重なってきたものだよねっていうところなんですけど。
そうだよね、山大国とかそういう、それよりもっと前ってことだね。
日本の歴史だとどうだろうね。
弥生とか縄文とかね。
あれもでも、西暦だともう何百何年な気がするから。
日本の歴史はちょっと遅いからね。
ヨーロッパとか向こうの方がずいぶん発展してたと思うんですけど。
もし過去の積み重ねの先に答えがないなら、真理にとって我々は無駄だったかもしれない。
もうこの言葉もね、非常に胸が痛いセリフなんですけれども。
しかしたとえ過ちでも何かを書き留めたことは歴史にとって無意味ではないと願ってる。
って言ってね、鍵を渡すんですけれども。
この、と願ってるっていうのがね、
むしろここで無意味ではないと断定してくれた方が、個人的にはすごい。
もうなんか思うんだけど、この、と願ってるって言って渡すのがね、
なんかまたこれもある意味信仰じゃないですか。
そうであってほしいっていうことだから。
無意味ではないといいなっていうことだからさ。
ほぼほぼ無意味だったんじゃないかっていうね、思いがあるからこそのセリフですよね。
そりゃそう葛藤しますよね。
ここで神様が現れてね、これは無意味ではないって言ってくれたらもう救われるでしょうけど、
もうそんな風にね、断定して言ってくれる人もいないわけだから、
と願ってるって言ってね。
そうであってほしいっていう思いがね、感じられて。
本当にね、心にきますね、このセリフたちはね。
まあどんな感じでまあビョストハークさんとしてはね、
最後のところではね、また屋上でね、
ノートに書き足して、これまでは天童説のことを書いてたのかわかんないですけどね、ノートにね。
最終的には地童説の図を書いて、
で最後こうもう式が迫って、石がいっぱい出てきて、
そして本が転がって真下に落ち、これはまた後々のお話につながりますが、
その後ね、ビョストハークが夜空を見上げてね、
やっとお話できます、真理を、って言って、亡くなるんですけど。
いやー、でも、でも、でもなんかここの描写にはすごく救いというか希望があるというかね、
まあもう亡くなっちゃうけれどもさ、でも最終的に真理が見つかったわけだからさ、
いろいろなプライドも捨てて、それでも真理と向き合ったからこそ、
いい意味でね、ビョストハークの教授とは別の道を歩んで、
最終的に真理に近づいたっていうことだからさ、
なんか希望がある夜空だなーって思って、
すごくいいシーンですよね。
なんかこの作品一貫してすごい優しいじゃないですか、なんか最後の最後に、
一人一人の登場人物の葛藤をさ、
真理を追い求めたり、真理に近づこうと頑張ったり向き合ったりした人にはさ、
必ずこう夜空を見せたりとかさ、朝日を見せたりとかさ、
なんかこう、愛を感じるシーンがね、すごいたくさん見せてくれるんですけれども、
なんか世の中的にはすごいこう、究極になんというか、
縛られた社会ですごいこう、拷問を受けたり、
今奈々がしながらね、真理に近づくマラファウ君とかね、
世の中のその汚いものとかね、いろいろ見た人たちだけれども、
なんかこう、最後の最後にはさ、なんかこの天のその美しさというかさ、
なんて言うんですかね、この全てを抱くその天のその愛みたいなものをですね、
毎回夜空とか朝日とか、なんか自然を通じてね、こうバーンと見せてくれる。
それが一貫して作品にあるわけで、すごいそこに愛を感じるなって思って、
そこを感じさせる描写が本当に上手だなっていうのもですよね。
私が描いてる親身とかに関しては、完全に神様出しちゃうから、
なんか違う意味でドストレートに描いちゃうんですけど、
この作品は出さないじゃないですか。むしろこれがまあ現実的なんですけどね。
非常に現実的な中、見えないという現実がある中で、感じさせるのが上手いっていうの。
それがまた真理を求めている人たちに対して、その描写を見せられるっていうのがね、
やっぱり描きたいものとしてそれがあるのかなとか思いますね。
直接神様は出てこないんだけど、神様が真理を求めている人たちに答えてくれてる感じがしますよね。
その描写として一貫してるなって思いますね。
そんなもんだでピュアストアークについて語りましたけど、
ピュアストアークさんからちょっとそれるけどいいなっていうところがまだまだあるんですよね。
ずっとしゃべっちゃいますよ。これ大丈夫ですか?
すでに1時間はまだ言ってないけどぐらいはしゃべってますね。
でも3巻語り切っちゃったほうがいいんじゃないでしょうか。
いやもうここから先の4巻はそんなにしゃべらないかもしれない。逆にこんなにこんなにしゃべらないかもしれない。
なるほど確かにね。確かに確かにそれはあるかも。それはあるかも。
ピュアストアーク絡んでくるぐらいまでが結構胸熱だからね。
胸熱ですね。
そうかじゃあちょっと残りは撮っておいたほうがいいかしらね。
私も語ろうと思えばむしろこのいろいろなヨレンタさんの名言とか。
めっちゃいろいろまたその辺はいろいろあるからちょっとまた別撮りでもありかもしれない。
いや一気に撮っても分割してアップしちゃえばいいんじゃないかな。
続きって言ってね。
これですよね。ちょっとけえと遡るというか戻りますけれども。
私もうちょっとも遡りたい。
いいですよね。
でもだからさめっちゃしゃべる。
ピュアストアークさんは語りきりたかったんですよ。
そうだね。
どこまで戻りますか。
えっとね。ヨレンタさんのことをピュアストアークが認めてくれるあたりのね。
見てくれますよね。ピュアストアークさんね。
ジェンダー的なところでも私はやっぱりそこが響く。
どこにあったかな。
なんかお前差別されてるだろうとか。
そうそう。女だからかって言ってね。
悪魔が取り付くのは女性が多いという論文も読んだことがあるとかね。
なんか聖書にもこう女性はそういう元来そういう議論をするべきではないみたいなね。
そういう内容もあるっていう話をしながらでも、でもねそう。
だが今の我々に正しい読み方が聖書がねできているかわからないって。
これね当時こんなことを言える人あんまりいないと思うんですよ。
なんかこう特に日本人ってあんまり宗教深くないから、
へーそうなの?みたいな感じはすると思うんですけど、
私もね教科書やって聖書読んでって勉強してみると、
その聖書で学んでることをこの土台にしてっていうその感覚って結構当時はもう法律みたいなね。
割と絶対的な力があったと思うんですよね。
それに対して読み方間違えてるんじゃない?みたいなのって結構ごはっとな多分発言だと思うんですけど、
でもやっぱりキャスト学は正しく、
なんかその正当派と言われるところの読み方ができてるかどうかじゃなくて、
真理が知りたいから、真理っていうものから見たときに聖書は正しく読めてるのかなって。
本当にその女性は勉学できないような感じなのかなとか、
そういうところをちゃんと客観的に考えてた方だと思うんですよね。
真理を求めるのゆえに、本当にその人間の読み方で今の合ってるのかっていう、
そういう部分でねキャスト学はすごいこう、
押せるなっていうかやっぱ真理を求めてる人なんだなって思うところもあったんですけど、
一番このシーンで私が胸熱だなって思ったのは、
ヨレンタさんがこのシーンを皮切りに変わるんですよね。
そこがやっぱすごい胸熱になると言ったらいいんですかね。
それまではむしろこう失望して、
コルベさんが自分の書いた論文をコルベの名前で出したっていうのも聞いてね、
上を空を見上げながら、私はこれ以上は上には上がっていけないって言って、
ここが最高地点だって言ってね。
なんで泣くって言って泣いたらなんかね、
負けたみたいじゃないかみたいなね、
一生懸命自分をこぶするようなことを言って、
でも理不尽だとかいろいろな思いもやっぱその中であったんだと思うんですけど、
一生懸命耐えながらその苦しみにっていうね。
泣いたらまるで敗者じゃないかってね。
泣いたらまるで大問題があるみたいじゃないかってね。
すごい切ないなって思うんだけどこの言葉がね。
でもそのピャストアークっていう一人の人が、
そうじゃないっていう価値観をくれたんだと思うんですよね。
それがなかったら多分ヨレンタさんは、
ピャストアークに協力を仰ごうっていうことは言えなかったと思うし、
かつヨレンタさんはその時に、
やっぱりその聖書の言葉をもう鵜呑みにそのままじゃなくて、
それを正しく読めてるかわからないっていうことを、
つまり真理をちゃんと見てるっていう。
ピャストアークは本当に真理を求めてるからこそ、
自分に対しても女性だからどうとかっていう、
そういう考え方の真理の目から見た時、
女性男性ってのはどうかっていうのを考えた観点で、
論文かけたら直接自分に見せに来いっていう言葉が出たんだと思うんですよね。
そういう意味で、
このシーンがあったからこそヨレンタさんは自信を持って、
あれを書いたのは私ですっていうふうにきちんと言ったし、
自分もどこで研究をしている人がっていう身分も、
ちゃんと明かすことができるようになったし、
かつピャストアークに頼もうっていう提案ができたんだろうなっていう、
すごい胸熱心なところだなと思ってね。
そうなんだよね。
なんか、聖書は真理だってちゃんとピャストアーク言うじゃないですか、
女は黙って学ぶべきとかね、
そこですね、そして?
そして、そして、
でももう、あとはあそこのところに飛びますね、私は。
魅力的。
魅力的すぎですね。
ここもよかった。
どういう良さですか、これは。
ヨレンタさんのこの一連のね、
セリフのところで、
そもそもその魅力的すぎるというセリフが、
どういう流れで出てくるかっていうと、
奥地さんとヨレンタさんがね、
喋っているくだりのところになるんですけど、
奥地さんがね、
今は地動説を押すような気持ちになっていると、
本当に天動説が、
もし逆に正しかったらっていう話をするんですよね。
奥地さんもともとね、
地球っていうのは地にへばりついてて、
最低なところで天界は、
それを下げ進むような風に見ている、
そういう風に見られているように、
星を感じるっていう、
そういう感覚だったわけなんですけど、
ただそれがね、地動説になってくると、
地球は底辺なんじゃなくて、
その一部であって、
つまり美しい星々のうちの一つだっていう、
感覚になるから、
彼としてはそっちをなるべく願いたいと言ったらいいんですかね。
天界と一つになるみたいなね、
この世界を肯定したいっていう思いがあるっていう話を、
奥地さんがしてるんですよね。
それに対してね、
ヨレンタさんもね、
自分としてもここには希望はないと思うっていう話をしながらも、
でもずっと疑問だったね。
疑問だったんです。
この世は最低というには魅力的すぎる。
その後のヨレンタさんのセリフもすごい、
あ、そうだよなって思うんですけど、
やわれ狂う自然や、
異性のない獣、
罪深い人間、
そういった悲劇の類の者たちですら、
なぜかすべて美しさを備えてるっていう、
この一言に集約されてるんですけど、
私もこれ結構自分で思ってたところがあって、
よくね、死んだらあの世に行くとか、
天国に行くとか、
輪廻転生的に生まれ変わるとか、
いろいろこう言うじゃないですか。
それを聞いた時に、
いずれにせよ死ぬってことは共通してると思うんですけど、
死ぬっていう前提があるならやっぱり、
何のために生きるんだろうっていうのを考えた時が多かったんですよね。
で、仮に天国に行くためとか、
あの世に行くためとかね、
それが目的だったとしましょう。
じゃあ、なんで積極的に人は死ねるようなシステムになってないんですか?
っていうのがすごい私としては思っちゃうところがあって、
死ぬことが目的になるなら、
死んであの世に行くことが目的になるんだったら、
生まれて速攻さっさと死んで目的達成して行っちゃダメなのかな?
みたいな極端なことを言うと、
そういう思いがあって、
だけど、世界を見てみると、
特に私は看護系を勉強したっていうのもあって、
人間って怪我すると、
治りたくないって思ってても、
治るんですよ怪我が。
それってつまり無意識的に、
やっぱり人間だけじゃなくて、
どの生物もそうですけど、
無意識的に生きる方向にプログラミングされてるってことじゃないですか。
特に自殺、自死を図るって方もいらっしゃると思うんですけど、
解剖学的に言うと、
首が閉まったりとか、動機がしたりとかで、
やばい死にそうってなるとどうなるかっていうと、
心臓って心拍数を上げるんですよね。
そういうところにちゃんと血流が行くように心拍数が上がる。
一方で血圧はだんだん下がっていく。
血液の量が減っていくからとかがあるし、
それってより脳みそに血液を回そうとする。
生命維持が図れるように体が動こうとするんですよね。
だからどれだけ自死を図ろうとした人でも、
絶対に解剖学的には、
より活かそうとする方に体の中身って働いてるはずなんですよね。
そういうことも勉強したりとか、
人間の人体1個見てみても、
よく言うんですけど、
男性はって言うより女性側って言うんですけど、
女性って赤ちゃんの時点、
お腹の中にいる時点で一生に使う分の卵子を、
お腹でちゃんと作って出てくるんですよね。
男性の場合は精子は自分で作るから、
その場でちょっとそこが違ってくるんですけど、
女性の場合はだから私たちが生理が来てって言って、
排卵してる卵子って胎児の時から持ってるものなんですよね。
仮に私が妊娠しましたってなったら、
そのお腹にいる子も一生分の卵子蓄えて出てくるんですよ。
それはそうでしょって話なんですけど、
これって置き換えてみると、
人間がそういう生物作りましょう、ロボット作りましょうって言って、
じゃあ1個頑張ってロボット作りました。
だけどそのロボットがある一定の条件を満たすと、
体内に同じロボットができて、
かつそのロボットの体内にまた次のロボットを作り出せる部品を
携えて生まれてくるようなシステムにしなきゃいけないんですよね。
無理じゃねみたいな。
できすぎてるでしょみたいに思うことがやっぱり、
人体を勉強しててより思うところがすごいたくさんあったんですよね。
だから単純に人が死んであの世に行く天国に行く輪で転生するっていうのは、
ちょっと矛盾している感じがずっとあって、
じゃあなんで人は積極的に死ねるようにシステム上なってないのかっていうのが、
すごい謎だったんですよね。
天国に行くことが目的ならさっさと死ねればいいのに、
むしろ死ぬことがどちらかというとね、
悪いこととして受け取られる。
人生を全うして生きようっていうね。
全うして生きるよりも死ぬのが目的だったらおかしくないって感じなんだけど、
っていう思いが結構私はあったので、
このロレンタさんが言うね、最低という意味では魅力的っていうところが、
ちょっと私の感覚だともしかすると魅力からはちょっとずれるのかもしれないんだけど、
でもやっぱりその美しさとか法則性とか、
自然見ると美しいなあっていう感覚だったり、
人間の睡眠時間と夜の時間がすごくマッチしてるとかね、
地軸が回ってるせいで季節があるから、
季節が発生するおかげでいろいろな食べ物が出来上がるわけじゃないですか。
正直別にいろんな食べ物なくていいと思うんですよ、極論。
カロリーメイトみたいなのしか生えないみたいな世界でもいいわけじゃないですか、
ぶっちゃけ。生命維持のために必要なね。
それだけ食べてれば全ての栄養素が取れますみたいな。
でもなんか死んないんだけど、タンパク質とかね、糖質とかね、
無機質とかなんかいろんな要素があって、
またそれを組み合わせて調理して楽しむみたいな文化があるわけじゃないですか。
神様いてね、生まれて死んで天国行くことだけの目的だったら、
適当にカロリーメイトいっぱい作るだけのシステムにしときゃいいのに、
やけに魅力的になんかね、
ハチミツレモンとかね、ハチミツとレモン出会わせるってなんか、
そもそもなんでその2つ作っちゃったんだろうみたいなね。
でもそれがコラボレーションした時に素晴らしく美味しくなるわけじゃないですか。
それ魅力的だなっていうね、そういうのがいろいろあって。
最低というには魅力的っていうのはすごい私は思うところがあったので、
レンタさんのセリフはだよねみたいな。
私もそう思ってた。だからこそやっぱり私はそうは思ってたけど、
でもなんかこの世界ってでもやっぱり不審なこと多いしな。
って思ってたけど、やっぱり私は神様を知って信仰っていうものを持った時に、
だから魅力的にできてるんだなって言ったらいいの。
神様っていう存在があって、
神様が人間のためにいろんなものを作ってくれたっていうように私は解釈をしているから、
そう思ったらね、神様はね、蜂蜜とレモンをそれぞれ作って、
これを食べて美味しいっていうね、そういう人々の姿が見たいと思って作ったって思ったらすごい納得だから。
カロリーメイトにしなかった理由がすごいわかるみたいな気持ちになるんだけど。
共感する部分でしたね。最低というのは魅力的。
本当にそう思いますって気持ち。
なんでお前らわかんの、自分が心臓の大盲だってみたいな。
ほんとそれこそプログラミングされてるんじゃないかって思っちゃうよね、あれね。
どうしてわかんだろう、どうしてこの臓器はここにいようって思えるんだろうみたいな。
どうしてそこに留まろうと思ったのかとか、
一つ一つ聞いてみたくなっちゃうぐらいなんかインタビューしてなっちゃう。
こんな精密にさ、もう人間が作れないじゃん。
人間が作れないし、自然が自然にね、それを作ったって言うけど、
自然でそんな作れんだったら、もう世界中の研究者がね。
なんかそこら辺にいっぱいいるのかなみたいな。
野原の上で細胞分裂がブルブルって起こって自然にできちゃいました。
私親いませんみたいなさ。
そういう人がいたっておかしくないじゃん、自然にできるって言うんだったらね。
そうだね。
でもある程度の法則性があって、受精したっていうタイミングから細胞というものがさ、
こう増えてね、分裂してね、こうなるって。
自然っていうか、自然じゃ自動だから自然じゃ自然なのかもしんないけど、
何でもかんでも自然じゃないわけじゃん。
法則があった上での成り立ちになるわけだから。
これを単なる自然に出来上がったっていうには、あまりにも上手く出来すぎてるし、
やっぱりここには神様がやっぱりそのように想像したっていう根拠がないともはや不自然なレベルなのかなって思っちゃいますからね。
そう思いますよ。
地球が今のこの場所にちゃんとできるようになった確率を、
なんかプールの例えを使って聞いたことがあって、
そういう感じなんだって思ったんですけど、地球が今の状態になる、
それがこう、それこそ自然にね、何にもこう人為的に何にもこう意思みたいなものがなく、
あっ女の子できちゃいましたみたいなノリで、できちゃいましたっていうノリで作られる確率ってどれぐらいかっていうと、
小学校とか中学校にある25メートルプールの中にバラした時計をボチャーンって入れて、
それがこの水の流れで自然とこうカチカチカチカチってなって、
ちゃんと時計に組み立つレベルの確率だっていう話を聞いたことがあって、
すげーなー。
無理じゃねーって。絶対無理じゃねーって。
どんだけかかるんだろうねそれ。永遠にかかりそうだねそれね。
つまりもう、つまり全くゼロではないけど、ほぼゼロに近い確率でやっぱりこの地球ができてるっていうのは、
やっぱりそこが偶然でまぐれでね、できたのはちょっとやっぱり考えにくい。
何かしらの目的がやっぱりあってこそじゃないかなってやっぱりそこは考えますよ。
じゃないと上手くできすぎてるよ、はちみつレモンという。
いやー、だって教会のね、それこそ御言葉の中でもさ、
宇宙をもう一個作らないと、今の地球っていうのは作れないと。
もう一個そういう地球みたいなものを作るって、もう一個宇宙作らないとダメレベルってことだから、
そんだけなんだみたいな。宇宙があまりにも広大すぎるから、
もう一個ぐらい生命体のいる地球があってもって思っちゃうけれども、
でもそんだけの奇跡的なレベルってことなんだからね。
宇宙はもうね、科学的な世界だから私には何もわからないですけど、
そんだけ難しいことでありものすごい確率でこの生命体が存在する、地球もすごいですけど、
私たちのこの人間の持ってるもうすでに手と足とこの臓器たちを見ても、
これまた神秘的で、動植物の多さったらどんだけ作ってるよねみたいな。
あんなイラワぐらいね、いっぱいいますからね。
でも地球にね、生命が持続して存在できるような環境が作られてるわけじゃないですか。
それこそ虫の存在だって必要なわけで、
虫がそうやって鼻の花粉を運んでやってくれるから、
生体系のね、一部としてね。
そう、持続してね、いくわけじゃないですか。
これまたものすごいプログラミングされないのかなって思っちゃうぐらい。
そう思いますね。
やっぱりね、彼らもつまり天動説地動説っていうところは、
つまりその現実に起きてる事象を通して心理を求めてたっていう感じだと思うんですけど、
多分みんなそういうところあると思うんですよね。
私もそれで人体見ながら、
人が生きる目的って何だろうと思ったら、
体は少なくとも生かそうとしている。
ってことはやっぱり生きて何かする目的があるんだろうなって考えたところがあったので、
やっぱりその心理を求めるって、
やっぱり現実で起こってる現実的なことを客観的に見てみると言ったらいいかね。
その先に心理っていうものがあるんだろうなって。
彼らもだからこそ金星が満ちてるとか色々なものを通じて、
なんとなくそうじゃねって言われてるけど、
それって本当にそうなのかなっていうね。
ものを追い求めていったんだろうなっていう感じがね。
ニョレンタさんの最低というには魅力的すぎるっていうセリフは、
そういう意味でやっぱり、
心理の根本的に行き着く先ってやっぱり、
人間が心理って求めるでしょうからね。
だからやっぱり人はなぜ生きて、
目的はそこに何があるのかっていうところだろうなって思うので、
このセリフはやっぱり心理にもつながる言葉だなって思いますね。
そうですね。本当に深いセリフでございます。
大好きで大変共感します。
ハチミツレモンだと思った。
そんなにハチミツレモンなのね。
他にもいっぱいあるでしょ。
他にもいっぱいあるけどさ。
他にもめっちゃいっぱいあるよ。
明太チーズマヨとかね。
すごいと思う。
すごいけどね、そりゃすごい。
魚系のものと、
チーズとマヨですからね。
牛さんの牛乳と。
マヨは卵とね、いろいろなもの。
素晴らしい組み合わせですよね。
仕組んだとしか思えない、やっぱり。
仕組んだとしか思えないね。
人間がある意味、台に創造したわけではあるんですけども、
その材料となるものはね、
全て自然の中に眠ってて、
それだけの豊かな種類を神様が創造されたんだろうから、
そう思うとすごいですよね、今。
そこにはね、神様の意思っていうものがあると解釈しないと
辻褄が合わない感じがやっぱりしちゃいますよね。
そうだよね。
でもその方がすごく生きるのが魅力的ですよね。
ただ全てが自然にありました、ジャンジャンだった、
なんか面白くないじゃないか。
そしてだいたいそうやって興味持った人が現れて、
興味持ってその学問を追求していくと、
どうしてこんなものがあるんだろうとかね、
どうしてこんな風にできてるんだろうとか、
やっぱハテナがいっぱいあるわけじゃん。
作品においてハテナってすごい重要なんですけれども、
作品においてねちっていうね。
やっぱりそのハテナ追求していくと、
やっぱり目的が必ず見えてくるし、
でもその目的っていうのは、
やっぱなかなか学問で学べるものではない。
そういう意味でやっぱ聖書の真理っていうものが、
私たちにとっては一つの答えにはなってくるんですけど、
本当にね、それを知ったのと知らないのとでは、
世界の見え方が違うし、
オクジーさんが空をね、
本当に恐ろしいって思うのと、
こんなに美しいって思うのとの違いぐらい違う。
分かります。
そうなんだよね。
私もだから生きる目的とかないのかなって思ってたから、
なんかね、もう早く死にてぇみたいな、
もう20代で死にてぇみたいに、
思ってたんですけど、
でもやっぱり人体の勉強をして、
やっぱりその人が生きる方に作られてるっていうのが分かったときに、
人によってはね、
例えばそうやって死にたいとか自死とか、
別にその人が納得してるんだったらいいじゃんって、
こういう考え方の方もいらっしゃると思うんですよね。
それは色々だと思うから人の考え方はね。
でもやっぱり私はそういう人体のこととか、
いろんな現実的なことを見たときに、
考えたって、
生きて何かをするために人は作られたときは思えなくて、
そういう意味でね、
別にいいじゃん適当に生きればっていうことに、
なかなかちょっとそちらに振り切れない部分もあった。
でも生きるのは分かるんだけど、
生きて何すりゃいいかが分かんないから苦しいって言ったらいいの。
どこに向かっていいから分かんないからね。
そういう部分で、
精神を勉強してみて、
これをやっていったらいいんだろうなっていうのが分かったし、
その一個一個を自分のそういう、
なんでじゃあ体は生きる方向に持っていくのかとかっていうところと、
照らし合ったときにやっぱり辻褄が合うなっていうところが、
いろんなところでいっぱいあった。
人体のこともそうだし、
私としては妊娠する過程も、
行動としては一般的に恥ずかしいってよく言われるんだけれど、
なぜか赤ちゃんできるとおめでとうって言われるっていう、
矛盾した行動もすごい疑問で、
なんでなんだろうなとか思ってたこととかも、
やっぱり聖書を勉強してみて、
だからなんだとか、
そういういろんなハテナだったことが、
やっぱり解けたところがたくさんあった。
ある意味この天道説の誤差っていうのを、
地道説を考えて照らし合ってみたときに、
辻褄が合うような感じ。
真理だから辻褄が合うっていう。
私はそういうふうに解釈をしてるんですけど、
やっぱりそういう部分で、
景色が変わって見えるっていう体験がやっぱりあったんだろうなと。
聖書を学んで真理が分かって、
景色が変わってっていうのはね。
ヨレンタさん大体ハーハーするとき口元に手が入っちゃう。
やばいやばいで。
魅力的すぎる。
みんな口元に手が入っちゃう。
あれが使えると時間と場所を超越できる。
表現がすごいよね。またこの時間と場所を超越。
そうそうそう。
でも言ってることはすごくそうだなって思うのが多いんですよね。
200年前の情報に涙が流れることも、
1000年前の噂話で笑うこともある。
そんなの信じられますか。
私たちの人生はどうしようもなくこの時代に閉じ込められている。
文字を読む時だけはかつていた偉人たちが私に向かって口を開いてくれる。
その一瞬そのこの世界から抜け出せる。
文字になった思考がこの世に残ってずっと未来の誰かを動かすことだってある。
そんなのまるで奇跡じゃないですか。
って言うんですよね。
いやーこの価値性はねやっぱり今当たり前ですから。
文字で残すにしても文字どころか映像で残しまくってる時代ですからね。
誰も彼もが映像と文字とすべてを使って残せる時代なので。
この価値性って正直もう失われちゃってるなって思うんですよ。
誰もが文字を読めるし、
もちろん日本においてですけどね。
もちろん読めない方もいらっしゃるからね。
けれども日本においてはもうこれだけ文化も栄えて、
技術も栄えて、文字どこかもしっかり学問を追求できるような社会になって本当に感謝ではあるんですけれども、
それがあまりに当たり前になりすぎてる時代でもあって、
もう周り情報だらけですよね。
文字の下りは多分この先の話でバネーニさんが文字っていうのはその一部のね、
ちゃんと扱える人が扱わないとゴミみたいな情報がいっぱい出るじゃないかみたいなニュアンスのことを言ってましたけどね。
まさにこの時代でそういうものもあるわけじゃないですか一部には。
事実とは全く関係のないことを朝話しとして誰流しても炎上したりとかなんかもうとにかくどうでもいいことの情報も中にはいっぱいあるから、
それもそうなんですけれども、とはいえやっぱり何かを残せるっていうこと?
そういう技術を持っているっていうことはすごい奇跡的なことなんだっていうのを改めて認識させられましたよね。
なんか、これから何年後の人にどういうふうに響くのかわからないにしますね。
でも確かに自分が死ぬってなった時に何かを残すって自分が子供を産んでね、
その子供にね、私の遺言はこれこれこうですって直接言葉で伝えるっていうことはね、昔からできたとは思うんですけれども、
でもそういう相手がもしいないんだとしても文字として何かしらで書き残していけばわからないけどね、
ただ確率はゼロではないんですね。伝わっていく可能性っていうのはこれもこの作品の一つのテーマではあると思うんですけれども、
結局文字として書き残してきたものがまあ今後のね、地においてのね、レンタさんにおいてもそうですけれども、
つながっていくわけなんですけど、でもそういう可能性を残せる技術が私たちにはある。
だったら何を残すっていう話にはなってくると思うんですけど、
なんかすごいその残すことができる価値性というものを非常に感じました。
当たり前みたいなこと、奇跡みたいなことをみんなやりまくりすぎてる時代ですよね。
でもなんか本当に残したいものって何をって言われると、多分あまりないんじゃないかなって思うんですよ。
その場の楽しさとか面白さとか、それで収入得てる人は何が受けるかとかね、
そういうふうにして文字にしたり映像にしたりして残してると思うんですけれども、
本当にこの構成にね、何を託したいのか何を残したいのかって、
すごいなんかちょっとレベルが上がった話にはなるんですけれども、
でもそういう視点ってすごい大事だよなって思うんですよね。
ただなんとなく文字にする、ただなんとなく自分が好きだからとか、
もちろんいいんですけど、でもなんかこの話を読んでると、
本当にいいもの残していきたいなっていうか、これから生きる人たちのために、
なんかちゃんと残していきたいなっていう気持ちになる。
そういう価値性をこの作品を通して思い出させてもらったし、
改めてじゃあ何残そうって考えられたし、
やっぱりこれをしっかりこの価値性をつかんだ上で残していくことが、
結局私たちの人生においてもすごく大事なことなのかなって思いますね。
もちろんどんな発信をしてもいいんですけれども、
じゃあ自分がペアストハクたちみたいに死ぬ時になった時に、
自分はこれを残せたなってあるのとないのとでは全然感覚が違うわけじゃないですか。
ペアストハクの教授に関してはちょっとね、
自分の人生が無駄だったんじゃないかっていうね、