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2025-12-31 31:00

(185) 小説『イン・ザ・メガチャーチ』を読んだ

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『イン・ザ・メガチャーチ』朝井リョウ|日本経済新聞出版
https://info.nikkeibp.co.jp/books/campaign/121045/

 

 

#声活

 

サマリー

小説『イン・ザ・メガチャーチ』の感想が主に述べられ、作中のキャラクターや描写が現実とどのようにリンクしているかが掘り下げられています。特に、推し活とファンの在り方についての考察や、作者の朝井リョウの視点にも触れられています。ポッドキャストエピソード『イン・ザ・メガチャーチ』では、登場人物の吉彦と隅川が抱える複雑な人間関係や救いのない状況について語られています。特に、隅川の大学生としての苦悩や家族とのコミュニケーションの重要性が強調されています。このエピソードでは、浅井亮の小説『イン・ザ・メガチャーチ』を読んだ感想が述べられ、この作品を通じて、自分のアイデンティティやコミュニティに対する思いを深く考えるきっかけを得たことが語られています。

小説の紹介とリスナーへの注意
あ、どうも。お世話になっております。私、純朴生活というポッドキャスト番組を営んでおります。
純朴と申すものです。あ、はい、あ、お世話になっております。ありがとうございます。
あ、本日お時間いただきまして、はい、ありがとうございます。今日はですね、小説『イン・ザ・メガチャーチ』朝井リョウさんの最新作ですかね、今年9月に出た小説を読み終わりましたので、はい、その感想を取っていきたいと思っております。
はい、早速いきましょう。
あ、あの、ネタバレもネタバレなのでね、これから読むつもりだよとかね、今読んでる途中だよとか言う人にはですね、全くお勧めできない内容となっておりますので、
もう読み終わってる人、あるいはこれから読むかもしれないけどネタバレ平気だよって人とかね、ちょっと皆さん判断した上で続きをね、聞くかここで止めるかしてほしいなと思っております。
うーんと、今回エピソード185ですね。あ、今月ね、これ13本目のエピソードだな。先月ね、11月は2本とか、先月もそうかな、月に2本みたいなペースでやってたのに、この12月になって急にね、撮ることがいっぱいあってね、13本目。2日に1回ぐらいに近いペースでね、更新してますね。
なんか、あれなんだろうな、ちょっとリラックスモードで過ごしてるな、12月な。うーん、なんか、そうね、あんまり生産的なことしてなくて、喋りたいから喋りますって感じになってるかな。まあいいでしょ、そういう時があってもね。
はい、そんな2025年12月31日のじゅんぼくがおしゃべりしてます。さあ、ネタバレしたくない人が逃げる時間は十分に稼げたかなと思うので、話していきますね。はい。
これ、Kindle 版をね、11月には買っていて、なんかいろんなきっかけがあり、これはまあ読むことになるだろうなと思ったので、11月に買って、4日、結局12月の下旬に読み終わったんだけど、妻がね、それより先に読み終わっていて、妻はかなりインパクトを受けてましたね。
僕とは全然違う受け止め方をしていて、まあその家庭内でね、同じ小説を読んだ人が2人いるっていうのはとってもありがたいことで、感想を交換したりね、ここはどう思ったとか質問してくれたりするからさ、朝お散歩しながらin the megachurchの話をするっていうね、すごく贅沢な豊かな時間を過ごさせてもらってますよ。
僕はね、今年2025年は、1月1日にはThe Firstというね、BMSGのオーディション番組を見進めていたところで、去年の年末からね、見始めて、1月1日には2エピソードぐらい見てたね。
それで、このin the megachurchを読んで、2025年が終わっていくって感じなんで、結構ね、推し活というものの世界を観測していろいろ考えた年だったから、なんかそういう年になるかと思ってますね。
今日公開された気まぐれFMのエピソード304もね、今年の振り返りみたいなのを高橋さんとやってるんですけども、そこでも僕は今年、トピックの1つに推し活みたいなことをあげているので、
そうそう、それとも同じだね。推し活について考える機会がすごいたくさんあったので、なんかおもしろかったですね。観察対象として、自分自身のことも観察してるところがあると思うし、世の中いろんな推し活の過虫にいる人たちのことを数百人はね、何となく眺めてたと思うので、
そこから今こんな感じなんだって、全然知らなかったことをね、知れたりもしたので、それはすごいおもしろかった。そして、in the mega churchでは結構、アーティストを追いかけるとか、俳優さんを追いかけるとか、何でしょう、芸能の仕事をやってる人を熱烈に支持するファンの姿っていうのが、これでもかというぐらいね、細かく描かれていて、
グループの比較とデモグラフィックの反映
それは僕が今年、2025年に自分の目で見て自分の肌で感じたものとかなり近い描写があったの。そうそう、こういうことをSNSに書いてる人本当にいるんだよなーとかね、そういうことを思いながら読んだので、かなりリアリティを感じながら読めましたね。
なんかこう、自分が実際に現実の方で見ているものと、あまりにもかけ離れた描かれ方してたら、結構乗り切れない、冷めちゃう、読んでて冷めちゃうみたいなこともあると思うんですけども、そういうのなかったですね。
そうそうそう、みたいな。だから結構ファンをいくつかに分類して、このタイプはこう、このタイプはこう、みたいな分類みたいなのが出てきたりもするんだけども、作中で。それもね、そうなんだけど、実際僕もそう思うんだけど、そんなことを言ってやるなよっていうぐらい描写していて、すごいですね。
作中では、国見っていうマーケティング担当の人が、そういうアーティストを広めるために、数字を伸ばすために、そういう観点でいろいろ言うんだけども、これを描いている朝井リョウさんもそういうふうに世の中を見てるっていうことだからさ、なんか普段どの界隈見てるんだろうな。
朝井リョウさんってあれかね、ハロープロジェクト、モーニング娘。とかお好きな方ですよね。なんで、そういう界隈をご自身で観測されているのか、あるいは何かしらの界隈のお仕事に詳しい友人、知人がいて、そこからヒアリングしたのか、どうやってこういう描写に至ったのかわかりませんけれども。
2020年代、2020年代のお仕事の歴史的記録としてもすごいおもしろいんじゃないかなと僕は思いました。だから、例えば2035年にこの小説を読み返すと、2025年ってこんな感じだったよねってなるんじゃないかなと思っています。
ちょっとね、読み終わった後に、いろんな感想、記事とか、作者インタビューとか、そういうのを漁っていくのも掘っていくのも楽しみなんですけど、まだそれやってない、やる前に自分が読み終わって自分はこう感じましたっていう状態で、
これ喋ってるんで、これ喋り終わった後に、ちょっと世の中の人はインザメガチャ帳をどう読んだのかなとかね、その周辺情報もこの後に漁っていこうと思っています。
いくつか気になったとこ言っとくか。まず、ブルーミーっていうね、男性9人からなるダンス&ボーカルグループが出てくると、コンセプトはブルームマイセルフということで、ここにはBMSGっぽさを僕は感じ取ったりしてました。
あとはブルームっていうね、花咲かせようみたいな、ファンネームが花道って読むんですかね、そういうところは直接的に花っぽいなみたいな、花モチーフがふんだんにあったんで、花っぽい雰囲気もあるなと思いましたし、
あとはこの世界のブルーミーの前にデビューしたグループがいて、ブルーミーは2番目のグループということで、そこには自分はマージェルっぽさも感じたんですよね。
マージェル好きで応援してると、結構一つ目のグループである、Bファーストの時はこうだったけど、マージェルはこうとかね、直接数値を比較して、Bファーストの時ほど数字伸びてないとかって言われ方をするときもあるし、そういうの言ってるのは何度も見たことがあるし、逆にマージェルはこうしてもらってんのに、Bファーストはなんかしてもらってないとかっていう。
なんかこの1番目のグループと2番目のグループを比較して、どうこういうっていうのはどっちにもいるんだなっていうのは見てて思ったところなんで、その感じもね、ああなるほどみたいな、読んでいて、あるんだよな実際にこれっていうところはね、自分はちょうどそういうの今年見てたんで、はーんと思って読みました。
一方で、ここまで言うとね、自分はそのBMSG方面をよく見てるから、そのBMSGの方で感じた成分と通ずるところから、この作中のグループのことを理解しようとしたんだけど、一方で僕が普段見てる中だとCDを積むみたいな、CDもなんか1人で10枚20枚買って、それでランキングの上位狙うとか、
そういうのはね、僕が見てる範囲ではあんまり今年、そういうのはあんまり見かけなかったので、そこはね、なんかちょっと違う文化だなとは思いましたね。
それでもね、お金めっちゃ使うみたいなのは僕が普段見てるところではないんだけども、MVを回すとかはちょいちょい見かけるので、そこは同じだなって思いましたね、作中の人たちも。
なんでそうそう実際あるんだよなーっていうね、でもなんかやっぱここに、お金、時間、手間、お金みたいな、注げるもの、資源としてはそういうのがあるんだけど、お金使いすぎちゃってのは直接的に怖いですね。
グロテスクというか、見ててもめちゃくちゃ心配になるんだなーっていうのは、自分に関してはそう、そこが心配になるんだなーっていうのは思いました。
こんな感じで、なので、そうそう、自分がこの1年たまたま、その、なんかね、中野のドマン中にはあんまり行けてない感じがするんだけど、近しいところから見ていたものがこの作中でも存在していて、なるほどなと思いました。
一番僕がグッときたのは、一番なんか印象に強く残ったのは、久保田芳彦、47歳、会社員が道家に誘われて、コンシーラー買いに行こうって言って、最初はなんでだよとか思いつつも行くことにしたっていう、あそこがなんか一番グッときたかなー。
それは僕が、デモグラフィックには久保田芳彦さんが、僕はこの作中人物で言うと、一番自分のデモグラフィックには一番近い立場ってことになると思うんですよね。
中年男性ですよね、物語の中ではね。ちょっとうざつの上がらない中年男性というのかな、寂しい中年男性みたいな人物として久保田芳彦が導入されるわけですけども、相対的には一番近いのは久保田芳彦ですよね。
吉彦の変化
で、僕今年、自分の爪に色を塗るっていうね、ネイルをやってみるっていうのをやって、なんかやったことないことをやるってそうだよ、いいよなと思ってるところがあってね、今も左手の爪はちょっとラメ入りのね、最初買った黒だったんだけど、その後ラメが入ったシルバーのやつ買ったんで、今僕の左手の爪はキラキラしてるわけですけれども、
なんかそこと重なったのかな、美容とか、僕の場合美容ってわけじゃないんだけど、もうちょっと僕の場合はおもしろさでやってるんだけど、それでもね、初めて今までこんなの選んだこともないから、買おうと思ったこともないから選び方がわからんなーみたいなところに踏み出していった吉彦に、
なんかあのシーンが一番印象に残っていて、そこからね、吉彦が変わっていった、なんとなく変わりたさがあって、そこから変わっていったっていうね、描き方だったと思いますけれども、あのシーンはすごく強く印象に残りました。
はい、続いて救いを感じたシーンですね。全体としてはすごく救いがないなと思って、なんかあららと思ってね、読み終わったんだけど、吉彦、久保田吉彦に関しても救いがないし、その娘の無刀隅間についても、
いやなんか、あの後どうなったんだろう、物語はね、終わりがあってね、文章の終わりっていうのがあって、本、書籍としては、作品としてはもうそこで終わりなんだけども、あの後大丈夫だったかなーってすごい心配になったのは大学生、女性の大学生の無刀隅間で、
大学生という立場なので、作中では一番持っているものが少ない立場だったなと思っていて、なので、例えばお金を1万円使うにしても、
すでに働いて労働して稼いでる人が出す1万円と、大学生の無刀隅間が出す1万円であれば、無刀隅間が出す1万円の方が重さがあったと思うので、そういう意味でいろいろこう、一番無理しちゃったものとして描かれていたと思う、登場人物の中では。
ただ、だけれども、一番若者として出てきてるので、全然やり直せる立場だと思うんですよね。だからちゃんと家族と話をして、自分はどういう状況だったのかとかってことと、
これは悪かったなと自分が思うことがあるんだったら、ちゃんと謝る相手には謝ったほうがいいし、その上で今後どうしていきたいかどうしていくのかっていうのをちゃんと話して、健全に再出発してもらいたいなと。
フィクション上の人物に対して僕はそういうことを思ったんだな。本当に心配しちゃった。なんとか心が健康でいられるように、別に押し勝つをやめろとかってことを言いたいわけじゃなくて、
隅川さんは別に頭の悪い人ではない、そういう描かれ方されてたと思うので、自分が今何をしてるかっていうのを客観的にはずっとわかってますよね、あの人はね。その上で見たくないから見ないようにしてるって感じだけれども、
お父さんとかお母さんから心配されてるとか、結構バレてるなっていうのもわかってるわけですよね、武藤隅川ね。だから渋谷の日、帰ったらきっと本人的にも、いやちょっと考えなきゃなっていうのはあると思うので、大学辞めるんだったら辞めるでいいと思うし、
なんかちゃんと吉彦もいるし、ちゃんと話した上で、家族3人話した上で、そうだねっていう、武藤隅川本人がそうだわ、こうだわっていうのをね、もう一回決めて、また新しい一歩を踏み出してもらえたらいいなと思ってます。
救いを見出したシーンはどこだったかっていう話で、全体的に救いがないよね。救いがない、一人一人なかなか救いがない状態だったよね、中で、隅川の話しちゃったけども、僕が一番、嬉しい。
この物語の中でいう、本質っていう言葉が特徴的な使われ方してると思うんだけど、本質を感じたのは、隅川彩子が泉さんとずっと一緒にいて、泉さんがわーってなっちゃったけど、渋谷のデモの日に、隅川彩子は完全にスイッチが切れちゃったというか、スンってなっちゃったわけですよね。
でも、泉さんはまだヒートアップしてバチバチやり合ってると。その時に僕が思ったのは、彩子が冷めちゃって、もう終わりにしようってなって、この人たちとも一緒にいれないわ、縁切ろうみたいになるのかなって思ったら、
スンって冷めた彩子が、泉さんがそうなるまで待とうって、待っていようって思ったシーン。あそこに、そうなると、このおしかつとか、一時の熱狂みたいなのとか、視野が狭くなって、きゅーっと信じたいものを信じるモードになるとして、
それが終わっても、彩子が泉さんのことを友達だと思ってるっていうのは、残るんだなって思って、これはいいものを見たなと思いましたね。そこに救いがあるなと思いました。
逆にそれ以外の人間関係は大丈夫かみたいな、ちゃんとやっていけるか、スミカとヨシヒコはね、ちゃんと話してほしいな、この作品でいうとこの本質的な、ちゃんと会話コミュニケーションやりとりを、あの後、全然できると思うので、
ぜひそういうふうになっていってほしいなと思いました。そんな感じです。
作品の映像化
インザメガチャーチね、これはまあ、アサイリョー作品という、ネームバリュー的なところもありますし、映像化の話いかにも動いてそうだなと思いますね。映像化したくなる魅力のある作品だと思うんですよね。
一番わかりやすいのは、僕はもう、映画だったらここのシーン、こうだろうな、なんとなく自分の頭の中で浮かんでるシーンは、スミカが大学のパソコンルームで、50代だっけ、パソコン全部電源入れて、ブルーミーの動画をね、全部の端末で動画を再生して、再生数を増やそうとするシーン。
あのパソコンルーム、ずらーっと並んだパソコンのモニターに、同じ動画のyoutubeだと思うんですけど、youtubeの動画がずらーっと並んだパソコン全部で同じ動画を再生してるシーンを引きで映して、なんかちょっと重たいBGMとかって言っててね。
物語的にもどんどんそこから重たくなっていくところだと思うんで、そこでこう、なんか暗い部屋とかがいいかな、電気つけてたか、明るい部屋、明るい部屋か、明るい部屋で同じ映像が流れてるって、めっちゃディストピア感があると思うんでね。
なんかそういうシーンもそうだし、他にもね、たくさんこれ映像やってる人だと、いやーこの作品、私が映像化したいって言って手を挙げてて、誰がやるかっていうことになってんじゃないかなって、はい、想像してます。
そうなった時にね、その作中のブルーミー、ダンス&ボーカルの男の子たちのグループは誰がやるんだとかね、主題歌は誰やるとかね、結構考えることがおもしろそうですよね。
いろいろ見ましてですね。僕も一年、周りから見ると押し勝つと見えるようなことをやってきたわけですけども、自分は節度を守ろうとしちゃう。
だから作中で言うと、一番グロテスクに描かれていた国見っぽいポジションで見ちゃうところもあるから、なんかね、没頭しきれないっていうかね。
まあまあ楽しいんだけど、まあまあでもほどほどに、みたいな常にブレーキがかかって応援してる感じはね、ずっとあるので、ある種ブレーキぶっ壊れてるような人を見て楽しそうだなとは思うんですよね。
なんかそれも含めてね、そういうふうに思ってる自分も含めて、なんか冷めてる感じなんだろうなみたいなのは思うんだけど、まあでも節度を守れずに何かに没頭するっていうのはやっぱり怖いですね。
これはね、押し勝つが悪いっていう話ではなくて、節度を守れなくなると危ないっていう。
だからこれは別にお酒でもギャンブルでも同じで、別に馬券買ってね、競馬あるいは記念とか馬券買うのもお酒を飲むのも生活の中のちょっとした一振りのスパイスとして日々を彩るものとか、ちょっと味付けをするものとしてはいいわけじゃないですか。
ただそれもお酒も飲みすぎて体壊すとか、物壊しちゃうとか、ひどいことになっちゃうとかね、それは良くないし、ギャンブルも生活立ち行かなくなるほどお金使っちゃうのは良くないけど、別に生活にダメージない範囲でやる分にはいいじゃないですか。
なんて、この素敵な作品を上から下まで読んでおいてあれですけど、節度を守れないと怖いことになっていくなっていう、そういう総括でいいのか、まあいいのか、そんなことを当たり前のことを思いましたよ。とっても楽しかったですね。
後半にかけてみんなほんとどんどん救いがなくなって、これも全員ひどい目に遭うんじゃないかと思いながら読み進めていくのはね、最後はもう怖いもの見たさだったな、ずっとな、後半7割ぐらいのところから。
やめてーと思いながら、そんなこと描かないでーと思いながら読みました。おもしろかったです。
読み終わって、結構自分に跳ね返ってくるものがあって、登場人物の誰にもそんなに共感できない、久保田芳彦は近いっちゃ近いが、別に僕孤独を感じてないしなーとか思ったり。
そういう冷めた感じで言うと苦に見、負けた苦に見みたいな感じだけど、でも苦に見ほどね、苦に見はある意味で仕事にのめり込んでるっていう意味では別の意味でね、別の意味の信仰心というか、
夫を振り切った感じがあったと思うんだけど、そうでもないからね、金なんて引っ張れるだけ引っ張ったらええやんみたいな、仕事しても全然そうもなりきれないし、
家電量販店で売り場販売やってた時もね、結構ガツガツいけなかったからさ、買いたい人が質問してくれて、疑問が解消して、じゃあこれ買いますってなってくれるのはありがとうございますって感じだったけど、
まあいいからどんどん売れみたいなのは嫌だなと思ってやったんでね。苦に見にもなりきれない。ヨセヒコは違うし、苦に見にもなりきれないし、っていうのもあるし。
コミュニティとアイデンティティ
あとまあちょっと作品からちょっと離れると、まずそもそもさ、結構こういうテーマの時って、男性グループにハマってる女性とか、女性グループにハマってる男性が結構題材としてピックアップされるなって感じてるんだけどね、僕はね。
僕ね、今年一番夢中になったのはMAZZELだから、まず男性のダンス&ボーカルグループを熱心に追いかけている男性っていう時点で、なんかね、自分が物語の中心にいない感じがしている。
あとさ、ミチアとヨシヒコの話の中で、中年女性には雑談できる女友達がいるとか、ミチアのお父さんとかヨシヒコに対して、あなたは雑談できる弱音を見せれる男友達いますか?みたいな話が出てきて、
そこもね、自分は、そうね、自分が友達って思い浮かぶとき、別に男性も女性もいるんだよな、みたいな。
これはさ、純朴生活を試しに見てみても、男性の友達を呼んで喋ることもあるし、女性の友達を呼んで喋ることもあるので、別にそこもな、みたいな。
物語のよくある形として設定されるシチュエーションが、なんかな、自分の生きてる感じとなんか違うんだよなっていうのはずっと思っていてですね。
だから、おしかつって結構、なんか熱狂を伴うようなトピックだと思うし、そこの過虫にいたら楽しいっていうのはあるんだけど、なんかね、自分はね、どこに行っても、なんかハマりきってない感じはしていてね。
別に、なんていうの、作中のね、武藤隅子とか隅川綾子みたいに、めちゃくちゃになるまでハマりたいとか、そういうわけじゃない。視野を狭くしたいっていうわけじゃないんだけど、なんかね、自分の人生ずっとね、なんかハマりきってなくて、なんかずっとうっすら寂しいっていう。
またその、吉彦とかとも違う、寂しいって言ったり、何なんだろうな、自分は何なんだろうなみたいな感じはずっとある。はい、それはこの本を読み終わっても、なんかその感触は残りましたね。
自分は何なんだろうっていう、なんかどのコミュニティの中心にも近づけてないっていう感じがあるんだよね。それはなんかめっちゃ思うな。どのコミュニティに行っても、なんか終焉部にいる、コアのとこにいないっていう感じがね、あるんですよね。何なんでしょう。よくわかりません、私にも。
そういうことを考えるきっかけをくれた、このIn The Mega Church、浅井亮さんの2025年9月の作品、とってもおもしろかったので、おすすめ。ここまで聞いてから読もうって人いるのか、こんな中身の話を聞かされてね。
これを聞いて読もうとはならないと思うんですけども、万が一ね、ちょっと興味持ったって人がいたら、おすすめできる作品だと思います。おもしろかったですよ。僕の周りも結構読んでる人多いんだよな。ヒット作ですから、そりゃそうですよね。
僕にとっては多分数年ぶりに読みをちゃんと最後まで読んだ小説になったと思います。浅井亮さんの描く現実社会、SNSが存在する現代社会みたいなところはかなり好きというか、リアリティを感じられるので、何者とかもずっと読んでみたい気持ちがしますし。
その辺やっていこうかな。そうだよな、桐島は見たんだよな、当時な。あれもおもしろいよね。部活辞めるってよ。ここに来てまた浅井亮さんの作品楽しませてもらいました。こんなところです。
最後の方は何言ってるか自分でもよくわからなかったですけど、30分も喋った。13分ぐらいになったらいいなと思ったけど、喋ることいっぱいありましたね。
エピソード185小説in the megachurchを読んだので、その感想を持ったこと、作品の感想ではない自分に跳ね返ってきたものなどを喋りました。
今年最後になるかもしれないエピソードですので、一応年末の挨拶をしておきましょうか。
今年も春木生活聞いていただいてありがとうございました。丸2年ぐらいになりますね。
皆さま、良い年越しをお過ごしください。
それではまたね。バイバイ。
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