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2025-12-25 29:03

#42“文学フリマで買った本の感想その3”物語ることを考える

「雨の日には本をさして。」この番組は、読書と創作について語るポッドキャストです。



エピソード42


年内最後の配信回。

この1年を振り返りながら、文学フリマ東京41で出会った一冊、

糸川乃衣さんの短編集『握りしめるための石ころを探す』について取り上げます。

創作と向き合うこと、語ること、言葉の偏りや距離、

そして「何のために書くのか」という問いに向き合い続けた1年のまとめのような回です。 


<こんなこと話してます>

・年末ぎりぎりまで迷いながら、年内最後の配信を収録した話

・表題作に描かれる「書くことをやめてしまった人」と「それを支えようとする人」

・創作を続ける中で感じる評価の不在、感想をもらうことの難しさ

・「何のために書くのか」「どう言葉を尽くすのか」という問い

・短編『またたきの聞き方』──夢を追うこと、語ること、プラネタリウムの物語

・物語の“語られ方”と受け取り方の偏りについて考えたこと

・難民や地域の記憶、語られる物語の変化を自分の経験から振り返る

・「語る言葉がない」状態から、語ろうとすることの意味

・『はやにえ日記』と、モズや鳥への関心の話

・年内最後に“語れた”ことへの実感と、来年への小さな決意


<紹介した本>

・『握りしめるための石ころを探す』/糸川乃衣

(表題作・またたきの聞き方)

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サマリー

ポッドキャスト第42回では、文学フリマで出会った糸川ノエの短編集『握りしめるためのしころを探す』や『瞬きの聞き方』に関して、物語のテーマやキャラクターの成長について考察しています。また、創作がもたらす葛藤や評価についても深めています。このエピソードでは、徳川さんの短編集『早苗日記』とその内容について話しています。特に、鳥に対する関心や年齢と共に変わる視点について考察し、創作の影響を受ける姿勢にも触れています。

文学フリマでの作品紹介
どうも、yoyoです。この番組は、読書と創作について語るポッドキャストです。
第42回目です。今回は、1年間の振り返り含めつつ、文学フリマで買った本を紹介していきたいと思います。
これからちょっと紹介する本について、どう話していこうかなとか、いろいろ考えてたら、あっという間に
そう、水曜日になっちゃって、なんかなかなか先週は話せなくて、1時、深夜1時ぐらいまで粘ってたと思うんですけど、
結局、そう話すの難しいなと思って、やめて、お休みしてました。
文学フリマで、先月ですね、11月23日に行われた文学フリマ東京41で買った小説ですね、そちらを紹介していきたいと思います。
握りしめるためのしころを探す、糸川ノエさんの短編集、個人短編集になります。
はい、私もその、糸川ノエさんの作品っていうのは、何度か読んだことがありまして、
それっていうのも、結構そのアンソロジーでご一緒していることが多かったりとか、今回この出てるその短編集は、星々っていう、
星真衣さんが主催というか、その講師としてやられている、
その、何て言ったらいいんだろうな、文学講座、創作講座みたいなのがあって、そこからこの短編集も出てるんですけど、私も一時期そちらで、
その小説を書いていたりとかもして、その縁で、こないだその文学フリマでご挨拶もできたんですけど、
短編集のテーマとキャラクター
そう、この握りしめるための石ころを探すっていう表題作は、その星々の小説のコンテストのその第1回目ですね、それの
正章を受賞されていて、改めて読み返して、そう、なんかだいぶ印象が違うなっていう感じを受けて、
2022年のコンテストなんですけど、2022年だと私がまだ、私自身がまだ、小説を書き始めて2年ぐらいって時なんですけど、
その頃は、なんかどんな風に書いたらいいんだろうなぁとか、結構悩んでいた時期ではあったんで、そう、今も悩んでいるんですけど、
そう、だいぶね、なんていうか、なんか創作菌、創作の筋肉がついてきたなっていうのは最近思うんですけど、
特にその、この短編集の中のこの表題作っていうのは、糸川さん自身のその、なんだろうな、こういう読み方がいいかだっていうのはちょっとわからないんですけど、
小説と向き合ったからこその、書きぶりなのかなーっていう風に。
そのあらすじっていうのが、その年の後この2人があって、琴葉ちゃんと沢ちゃんっていうんですけど、
その2人は幼い頃から読書が好きで、琴葉ちゃんは物語を書くことがすごい好きな女の子だったんですけど、
その2人がまあ年を経て、琴葉ちゃんが19歳、大学生、沢ちゃんが28歳っていう大人になった頃に、
琴葉ちゃんが読書とかその小説を書くことっていうのを諦めてしまった、まあそういうきっかけがあって、
それを、そのきっかけを境になんとか琴葉ちゃんを助けたいっていう思いで、
沢ちゃんっていう人物がこう古本をやってて、
あるそのきっかけで琴葉ちゃんがその、書けなくなってしまった、読書ができなくなってしまったっていう体験を語るんですけど、
それを見たときに、なんか積み上げてきたものの感じをすごく感じて、
私自身も結構なんていうか、
小説とかを書いてるわけですけど、そんな、なんで書くのかとか、何のためにやるのかとか、
そういうことを考えたりとかする中で、正しい評価っていうのはなかなか得られなかったらしいというか、
評価をもらうことすら難しいというか、文学不利までもあるあるですけど、感想が上がることすら珍しいというか、
確かに変われていったけど、その後それがどんな風に読まれたとか、反応とかそういうものって、なかなか、
もちろんその、あげるべきものだ、あげるべきものというか、語る、
語りたいぐらいの何かが残せなかったっていうことかもしれないんですけど、なかなかそういうものはもらえなかったりとか、
もちろんその創作仲間から良かったよとか言われるんですけど、その、もちろんその一緒にやってて関係性だったり、
そういう中での感想でもあって、もちろんその、言ってもらえるのはすごく嬉しいし、
モチベーションにもなるんですけど、全くこう関係のない人に読んでもらった時に、
果たして本当に良かったって言ってもらえるかなとか思ったりとかもして、そんなことをね考えながら自分のその、
そう向き合い方とか、例えば感想を求められた時に、
うん、なんていうか、真摯に応えるべきなのかとか、そういうことをそう、もちろん常にね、考えてるんですけど、
何のためにどうやって言葉を尽くすのかっていうのはすごくそう、自分の中でもすごく考えた作品でした。
まあその小説を書いたりする人はすごく好きな作品じゃないかなっていうふうに思います。
はい、他にもですね、「瞬きの聞き方」という短編もすごい好きで、
創作と評価についての考察
これは、40代ほどの男性がプラネタリウムに通うようになってっていう話なんですけど、
そのきっかけっていうのは、その不眠症の男性で、たまたまあるきっかけでプラネタリウムに行ったことで、
すごく爆睡できるっていうことが分かって、それ以来ずっと寝るためにプラネタリウムに行くっていう習慣をしてたんですけど、
その解説員の方がプラネタリウムで星について語るわけなんですけど、
はずれの解説員の方がいると。
そういう中で、なかなか寝るために来てるんですけど、寝られない解説員の人にあたった時に、
たまたま眠れた日があったんですよね。
その日に、その解説員の方から声をかけられて、
なんで今回だけ寝たんですか?みたいな感じで詰め寄られるんですよね。
その解説員っていうのが、ふゆきくんっていう男の子で、男性で、
そのふゆきくんは、そのよく来るお客さん、男性のお客さん、一人で来る男性のお客さんが、
自分の回だけ唯一寝ないってことを誇りに思っていて、
ただその、リベンジだみたいな感じで、寝させないぞっていうセリフがあるんですけど、
ちょっとそのセリフが好きで、
今夜7時、もう一度来てください。今度は絶対寝させません。
っていうふうに言うんですけど、面白いなぁと思って。
そう。
で、その回を、その40代の男性は聞きに行って、
プラレタリウムで、なんでふゆきくんが情熱を持って語るのかとか、
そういうことに触れるうちに、自分のその夢っていうのも思い出していくんですよね。
それがすごく、このプラレタリウムの語りとすごく、
そう、並行して進んでいく感じがあって、最後のその、
このプラネタリウムでの出会いを通して、
この40代男性の見え方っていうのが少しこう、変わってるっていうのがわかっていいなぁっていうふうに思うんですよね。
その名前も途中から明らかになるので、ぜひ読んでみてほしいなと思うんですけど、
そう、な感じで、結構そう、なんかこう、
夢を追うとか、
どうやって表現するとか語るとか、そういうことをすごく考えられている。
この語ることと、夢を追うことの、
テーマ性とか、そういう関心っていうのは、
糸川さん自身がすごくその、小説を書くことに真摯に向き合ってきて、
まあこう、続けていっている中で、
こうやって一つ単点集が出たりとか、コンテストに勝ったりとか、そういうことのような活動をされてきている方なんですけど、
特にその、語ることっていうことと、夢を追うことの、その、
うーん、なんて言うんだろう。
それがすごく大事だから、この活動をしてるんだなっていうのが、あとがきを読んでさらに伝わってきて、
もともと糸川さんのその、ノートでの活動であったり、そういうのは私もフォローしていたので知ってたんですけど、
うーん、なんというか、私自身は自分のことで精いっぱいで、逆にそういう話題というか、
そういうものに、逆にあまり触れたくないというか、
積極的にアクセスしていくっていう人間ではなかったんですけど、
うーん、そうなんですよね。なかなかどういうきっかけで繋がればいいとか、どういう支援をしていけばいいんだとか、
そういうことを考えていて、どっちかというと私はそういうものに触れるとすごく鬱となってしまって、
なかなかこう動けずにいて、遠くから支援をするにしても、
全部を救うことはできなくて、なんでそこだけとか、その一点にだけとか、
そうなってしまって、なかなかそうすることができないというか、
する方の応援を、活動とかを見てて支援するというか、そういうことはできるけど、
結局は自分の生活に手一杯で、語ることとか、そういう語ることの偏りであったりとか、
こちらの受け取り方の需要の仕方にも、すごく偏りがあるなっていうのはすごく思っていて、
結局私自身もその、アンネの日記とかすごい好きだったし、
その向こう側の物語っていうのをほぼ読んだことがなくて、
そう、特集で組まれている物語を読んだ時に、
そう、その向こう側の物語をどうやってこう受け継いでいくかっていう話があって、
こうやって語られているんだなって見た時に、
やっぱりその偏りっていうのをすごく感じていて、
なんというか、一つの言葉を言う時にも、なんか定まってしまう感じもあるなっていうのはすごく感じてて、
実際その、この話題以外のところでも、自分は、私はその、結構その、なんていうのかな、
いわゆる難民の方が住んでいる地域に住んでいて、
けどその、日本だとどうしてもそれは難民としては受け入れられなくて、
違法移民って風になっちゃうんですけど、
ただその、私が幼い頃からそんな風に語られてたかなっていうことは全然なくて、
それに新聞でなんか、そう、地域版でお祭りが行われて、
この問題をみんなで考えましょうみたいな、そんな記事を読んだこともあって、
そう、そういう風になったのに、今こうなってみると、全然違う語られ方をしていて、
なんか変だな、まあその、いわゆるその、難民の方たちは、
まあ地域のそういう、産経的な労働ですよね、そういうことをずっとしてて、
まあよく見るし、それを担ってもらってるんだなっていうのを感じるし、
そう、ただやっぱり見られたくないから、すごいこう、肌とかそういうのを隠して仕事、
夏場でも隠して仕事されてるのを見たときに、何なんだろうなっていうのをすごく感じて、
ただ私自身そういう、ネットの空間の書き方とか、そういうものに疎いところもあって、
そう、だから知ってる人とか、そういう話題にすごく触れてる人のヘイトに一回触れちゃったときがあって、
何なんだろうってすごく思ったんですよね。
うーん、結局その、日本にいるとどうしても違法に移民、違法移民だから、
立場、その当事者の人たちをその語られ方に対して、反論することができないんですよね。
物申すことができなくて、でもどこに行くこともできないから、
ここにいるわけだけど、そう、
1回そういう、1回じゃないな、2回ぐらい、
そう親しい人との間でそういうことがあったときに、すごく、なんでこんなに表現して人は語るんだろうっていうのをすごく思って、
そのときに、何か自分でもできないだろうかっていうのをすごく考えていて、
うーん、ただ何をしたらいいのか、やっぱりそのきっかけがないなっていうのをすごく感じて、
きっかけがなくたっていいじゃないかとか思うんですけど、なんでそこにコミットするのかとか、
何かそういう、うーん、
自分のその、
問題意識の中で、なんでそこに私は関わるのかとか、
偽善じゃない、偽善、これは偽善じゃないと思うんですけど、
なんかそういうのをすごく求められている気がして、
そう、何かしたいなと思うんですけど、
気軽にそういうことができる環境でもなくて、
ただその、まあそういう支援している、
そういう発信してくれている人のところの方を買ったりとか、
そう、最近はちょっと、何か自分でも少しは語れるようになってきていると思うので、
この何か今まで自分が積み上げてきたもので、何か買おう、
徳川さんの短編集の影響
できることがあったらやりたいなっていうのを思っている中で、
すごくその、今回のこの、徳川さんの短編集を読んでて、
感じることが結構、
うーん、ありましたね。
その音についての短編もあって、
そう、ハロウィンルーティーンっていう短編なんですけど、
その短編を出すことを、徳川さん自身は一時ためらって、
ただ今回この短編集で出されてるんですけど、
こういう姿勢っていうのも、自分の中にあったかなっていうのをすごく感じて、
そういう時代にどういうものを書くのかっていうのをやっぱり、
真摯に考えてる方なんだなっていうのをすごく、うん、感じました。
あまりね、こう、短編の話にそういうことを話すってことが、
果たしていいのだろうかとかもね、すごく思ってしまって、
ただその現状がそうだから、
徳川さん自身もなかなかこう、創作がうまくいかなくてってことは書かれてるんですけど、
そういうことをやられてる方に対して、
自分でも自分なりに影響を受けて、何か別の自分の中で一つ行動を起こせたらいいなと思って、
今回ちょっと頑張って取り上げてみました。
ちゃんとうまく、ちゃんとというか、うまくどう話したらいいのかとか、
そう、語るための言葉がないんだっていうのをすごく自分の中で感じていて、
もうそれって多分、喋らないと、語らないと出てこないことだと思う。
早苗日記の魅力
この、この年内最後に喋ることができたのも、
なんかこれまで喋ってきたからなのかなとか思ったりするんですけど、話しててよかったなと思います。
はい、他にもですね、徳川さんはその、
来年の春にその早苗日記の新しいバージョンを出されるってことで、
すごく楽しみにしてるんですけど、
その、2022年から、X上の当時はツイッターかな?
その、SNS上で早苗を探す投稿をされていて、
それでその早苗日記っていう、あ、モズの早苗ですね、鳥の。
モズはその、自分の餌を、自分のその縄張りを示したり、
自分のその餌を保存するために、
獲った獲物を枝に刺したりとかする習性はあるんですけど、
その早苗を見つけるための日記を、2022年からずっと書かれてて、
それを巡る日々のその、生活の感じとか、
あとは創作とか、もちろんその当時の世界の情勢だったりとか、
コロナだったっていうこともあって、
そういう話は書かれてるんですけど、
その日記が2023年に出ていて、
それの新しいバージョンというか、そう、出るそうなので、
来年の春、とても楽しみにしています。
最近そう、すごく私自身も、なんていうか、モズはちょっと探して、
何回か探そうと思ったのに、結局探せなくて、
そう、ただやっぱり、
なんだろう、年齢を重ねてくると、
鳥に関心が入ってくるというか、
あずみしんいちろうさん、TBSアナウンサーのあずみしんいちろうの
日曜天国、私は好きよく聞いてるんですけど、
なんかそこであずみさんが、なんかこう、
ある年代になると、まあそういう花とか、
鳥についても言ってたと思うんだよね。
気になってくると。
で、どんどん歳をとってくると、次は、
盆栽とか、そういう、
なんだろう、生物になって、最初はこう、動いてるものから、
どんどんゆっくりになって、
どんどんどんどん、こう、止まっているものに、人はこう、
なんか、気になってくるみたいな話をしてた時に、
確かそう、鳥の話もあったと思うんですけど、
ああ、だんだん年をとってるなっていうのは、
自分自身はね、感じるんですけど。
最近やっと鳥の名前を覚え始めてきて、
そう、白石霊がね、最近いるなぁとか、
そう感じて、かわいいですよね、白石霊、ちょっとあの、素早い足取りで、
住宅街とかに、人間がね、住んでるところに、
渡り鳥なんで、冬の間に出しかくるはずなんですけど、
田舎に、この間、田舎というか、南伊豆か、伊豆に旅行に行った時に、
白石霊がいないなってなって、ああ、そっかって、
人が、なんか自然のその保養地とかに行ってたんですけど、
人がそんなにいないところだから、そう、
白石霊がいないんだって気づいて、
逆にね、トンビとか、そういう、やっぱ猛禽がいるんで、
そういう、ちっちゃい鳥は、たぶんいないんだと思うんですけど、
そう、そんなことに気づいたりとかして、
鳥ってね、奥深いなぁと思って、
もともと結構好きで、ハトとか、
あと、
ほうせい若毛インコっていう、あの緑のインコが、
結構その、近場に、前住んでたところとか、
いて、
ああいう、その外来の鳥って、
ある地域にすごく繁殖してて、
そのところに行かないと会えなかったりとか、
あとはその、人間が見る、見れる位置のところにいないと全然会えないんで、逆に、
すごく高い木の上に住んでると、全然こう触れ合えなかった、見えなかったりとかして、
そう、
自分のその、住んでる領域に住んでる鳥とか、
に、最近は興味があって、
この、ハヤニエ日記っていうのはまさしくその、
モズと他の鳥も出てくるんですけど、
その、
鳥とのその距離感と生活っていうのが描かれてて、
すごく素敵な作品なんで、
もし気になっている方は、
手に取って見てください。
年内最後の配信
はい、な感じですかね。
年来最後に、
喋りたいことが、語りたいことが、
はられてよかったなって思うんですけど、
そうですね、本日は握りしめるための虫コロを探す糸川ノエさんの短編集を紹介しました。
えーっと、確かこの本は、
オンラインショップで買えたりとかするはずなのに、
気になった方は手に取ってみてください。
まあ年来最後ということで、
今回はまあめんどくさかった、単純にめんどくさいっていうのもあったんですけど、
久しぶりにiPhoneの純正の備え付きでついているイヤフォンで撮ってみたんですけど、
第1巻には確かこのイヤフォンと、
自分の手持ちのAppleでボイスメモを撮ってて、
それをそのままあげたんですね。
編集の仕方もわからなかったから。
それが今ではね、
最近はずっとオーダーシティで撮ってて、
今日はちょっと悩みながらどうしよう、
今日も休むかな?とか思いながら撮ってたんですけど、
いややろうって思って、
頑張ってそう撮ってるんですけど、
いろいろね、マイクを買ったりとか、
そう、アドビーポッドキャストを試してみたりとか、
いろんな方法でやってますけど、
まだそう正解は見出せてないなとか思って、
また来年も頑張って音質とか、
こだわっていけたらなと思います。
はい。
では、年内最後の配信を聞いていただきありがとうございました。
雨の日に本をさしては、毎週木曜日に更新しています。
時々休みながらも、
来年も頑張って続けたいと思いますので、よろしくお願いします。
えー、ハッシュタグは雨本です。
Xやインスタグラムありますので、フォローよろかったらください。
えー、メッセージ方法もありますので、そちらに
ご感想なり、質問なり、いただけると嬉しいです。
それでは、ここで今回は終わりにしていきたいと思います。
ばいばーい。
29:03

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