スピーカー 1
くらぬきです。
スピーカー 3
中山です。
スピーカー 1
ザッソウラジオは、くらぬきと学長こと中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、雑な相談の雑草をしながら威力をしゃべりしていくボーツキャストです。
2025年5月のゲストは、落書きライフコーチやデザイナーとして活躍するタムラカイさんです。よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
ということで、初めにタムラさんをご紹介してスタートしたいと思いますが、タムラさんは京都のご出身ということで、僕と一緒ですね。
スピーカー 3
一緒ですね。
スピーカー 1
大学卒業後、富士通株式会社に入社されて、UI UX デザイナーとしてウェブ制作やスマートフォン事業の立ち上げなどを担当されました。
その後、個人活動として落書き講座、カタカナですね。落書き講座をスタート。
2020年からは、富士通の全社変革フジトラというプロジェクトに関わり、個人のパーパスを言語化する対話のプログラム、パーパスカービングを全社10万人に展開するなど、人と組織に寄り添って変革の仕掛けと仕組みをデザインされていると。
タムラさんのマイパーパスとしては、世界の創造性のレベルを一つ上げるということを掲げていらっしゃいます。ということで、よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
僕とは今日は初めましてということで、先ほど楽屋で挨拶をしたばかりというのと、僕はちょっと今日ネット環境が悪くて本当に申し訳ない感じになっちゃって、バタバタとした感じで進めておりますが、楽長とはお付き合いは長いんですかね?
スピーカー 3
さっき調べてたんですけど。
スピーカー 2
2018年ですね。
スピーカー 3
そうですね、2018年の軽井沢ラーニングフェスティバル。
スピーカー 1
ラーフェスで。
スピーカー 3
ラーフェスで。
スピーカー 2
お互い別々に登壇者というかバディーという名前で呼ばれて、インターネットで見たことのある人がいるなってずっと中山さんのことを目で追ってたっていう。
スピーカー 1
フェイスブックの共通の友達の向こう側になんかこの人よく見かけんだみたいな、お互いに思ってて。
スピーカー 3
それで行きの軽井沢の駅から会場までの行きのバスのところに乗ったときに、あの人田村海さんっぽいな。
スピーカー 1
見たことあるなみたいな。
スピーカー 3
お互い思ってるけど声はかけられず。
スピーカー 2
かけにくいですね。
で、当年ネタにしてるんですけど、僕は勝手にこうビジュアルだけ学長のことを見ていたので、もうなんかヒゲのイケオジで、もう組織のネタ、会社のトラとか言ってるから。
そのときも言われた。
なんじゃないかなと思って、ちょっとクッて一歩引いてるっていうのがあって。
スピーカー 3
それで現地着いてから、なんか泊まるところのテントのあたりをうろうろしてたら、誰もいないところですれ違っちゃったからしょうがないから挨拶したんすよね。
スピーカー 2
お互いに。
スピーカー 3
ですよねとか言いながら。
スピーカー 2
存じ上げてますみたいな。
スピーカー 3
本当ですか知っててくれたんですかみたいなお互いに。
スピーカー 1
こちらこそです。
よく見るなそのシーンいろんなところで。
スピーカー 3
それでずっとビール飲んでたんですよね。
スピーカー 2
もうその後の記憶は全部ビールと寒さに耐えながらテントで寝るっていう。なんか視線をくぐる人たちがそんなにいなかったんですよね。
バディとして呼ばれてる人たちってちゃんとしてる人なんで、みんな近隣にホテルをとったりとか、ちゃんとした宿泊場所をとるんですけど、僕ら冬、秋、気温で言うと冬の地面に立ってる三角テントの中で寝袋で寝るっていう。
11月ね。
スピーカー 1
しかも11月の軽いザワ、まあまあ寒いですよね。
まあまあどころじゃない。
スピーカー 3
1回目のラフェス11月で寒すぎて、それからは10月ぐらいに変わったりとかするんですけど。
スピーカー 2
寒かったから団結。
テントに泊まってる数少ない2人だったので、もう何ていうの、チームビルディングと言うと変なんですけど。
スピーカー 3
巻き抜くアクティビティみたいなね。
スピーカー 1
アクティビティになりましたね。
スピーカー 2
というのがきっかけで、まあそこからずっと仲良くさせてもらって。
スピーカー 3
それで何か一緒にやりたいですねみたいな話になり、でイベントをやったんですよね。
スピーカー 2
やりましたね。大阪で一緒に登壇させてもらったのもありましたし、僕が作ったワークショップツールみたいなものを使った会話のイベントをやりたいねといったときに一緒に登壇してもらったりもありますし。
スピーカー 3
あと何もしない合宿を僕がやったときに大阪で、そのときに参加してくれて。
スピーカー 3
サウナ堂を広めてましたよね。
スピーカー 2
ちょうど僕がサウナにすごくガッとはまった時期だったんで、何人かを引き連れてセントを行って。
スピーカー 3
結構久しぶり。
めっちゃ久しぶりです。
スピーカー 2
そうですね、やっぱりちょっとコロナの間にオンラインではちょっと話したりはするもののっていうのがちょっとあったりとかもしたので。
それ以前はちょっと飲みに行こうよとか、サウナ行きましょうよとかってもあったんですけれど。
それでちょっと減ってる感じですね。
スピーカー 1
なるほど。じゃあ久しぶりということで。
タブさんはあれなんですね、プロフィールを先ほど読ませていただきましたけど、まだ富士通にいらっしゃる感じ。
スピーカー 2
そうです。
スピーカー 1
なんか雰囲気と、ノートは拝見してたんですけど、富士通感があんましないって言ったらちょっと。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
そのイメージなんですけど、どういう立ち位置というか。
スピーカー 2
富士通のメインストリームのお仕事されている雰囲気は、少なくとも今日の雰囲気からも感じられないんですけど。
そうですね。そういう意味で言うと、最初僕2003年に富士通に入社してますと。
その時点で大学卒業するときにやりたいことが全然なくて、やりたいことがないんで大学院に行きたいですってゼミの先生に言ったら、それは嬉しいと。
大学院生が増えるから。
だけど勉強も兼ねて、どっか1個企業のデザインの入社試験でちょっと違う。
デザイナー候補が集められて、アイディアソンみたいなのをして、拝見して、面接して英語を受けてみたいな。
やるとなったら本気でやるタイプなんで。
ちょうどその時に、カーデザイナーとかっていうのを目指してるわけでもないし、色物家電を作りたいとかもないし。
ちょうどこの年代なので、いわゆる携帯電話が我々の手に入った頃、メールとかが生まれて、
一つ一つのコミュニケーションがめっちゃ変わったなっていう時代の富士通だったので、
これはコミュニケーションっていうテーマで何かできるかもっていうので、とりあえず応募したら、
試験というか受けに行けて、やったら本気でやったら合格ですって言われたんで、
しゃーない社会人始めるかっていうのがスタート。
なので、別にまず富士通らしさを纏おうとしたことがまず一度もない。
会社入ったら入ったで、社会人デザイナーとしては、
学生として好きなことやってればよかった時代から変わるので、
仕事が全然できない人間っていうのを1年目にすごい自分で痛感して、
次、社内コンペを通してお客さんに提案する時もチームの中で2、3案作って、
先輩の案とトレーナーの勉強の僕の案があって、毎回僕がいる。
1年目の冬ぐらいに、次の社内コンペで案が通らなかったらデザイナー辞めよって思って、
でも、やんないで終わるのはすごい悔しかったんで、
毎回おさえの案になる先輩のいわゆるPhotoshopのファイルを社内の共有サーバーにあるので、
3200%とかまで、32倍ぐらいまでやって、
もうピクセル一個一個全部、なるほど、グラデーションはこの割合でとか、
ここに1本線が入ってるとか、かっこよく見えるとかっていうのを、
1回勘コピして、自分の要素を載せたら、パンって自分の中で1個跳ねて。
スピーカー 1
おもしろい。
スピーカー 2
その後はいわゆる先におさえる案を作れるようにはなっていって、
5年ぐらい会社にアジャストしてどんどんできるようになっていったんですけど、
5年目にいわゆる大企業などでジョブローテーションという形で、
隣のチームにみたいなのがあって、
自分でも楽しくなってきた頃だったのと、子供生まれてすぐだったので、
ジョブローテーションに対して嫌ですって当時の部長に言ったら、
帰ってきたのが無理って言われて、もう決まったから無理って言われて、
仲いい上司だったのはあるんですけれど、
いやもう別にお前いなくても会社って回るしって言われたときに、
悲しいというよりは確かにって思ったんですよね。
風邪を引いても転職しても会社って回るから、確かになって思って、
その異動は受けて次行ったんですけど、
それと同時にあれ、俺この5年間富士通さんと呼ばれながら仕事をしてたし、
それがないと何もないんじゃないかっていう強烈な焦りを感じて、
個人としても何かをやれないといけないなというのと、
あとはまだ自信がなかったんで、社外にめっちゃ友達が増えてたら、
会社がもし潰れたときに、うちに来るって言ってもらったらいいんじゃないかって思って、
ブログを始めました。
スピーカー 1
それが30前後ぐらいってことですかね。
そうです、29とか。
スピーカー 2
ブログ、会社の仕事もしながらブロガーのコミュニティっていうのにだんだん入っていくと、
今まで大企業のデザイナーなんで、これまでもデザイン畑とか、
いわゆる芸術畑の人たちが周りに多かったのが全然違う人と会うと、
それすごい面白いねとか言われることもありますし、
僕自身も人に会ってブログも頑張ってたんですけど、
2014年ぐらいに、俺でもブロガーになりたかったわけじゃないしなっていう時期がきて、
手を変え、品を変え、新しいことをやって、
例えば、世の中に出たばっかりのガジェットを最初に買ってレビューしたら有名になれるんじゃないかとか、
これで知られるんじゃないかってなったんですが、
最後にポロッと僕のブロガーコミュニティの友達が、
田村階さん、いつも絵描いてるから絵を教えてよって言われて、
僕自身は、いわゆる美大というか芸術系の大学を出てるので、
受験のためにデッサンをずっと描いてましたと。
あれはもう本当に訓練なので、しんどいんですよね。
で、絵を上手くなるって、そういうことって思ってたんですけど、
よくよく話を聞くと、
小一の時に担任の先生にお前下手だなって一言言われたせいで、
その後ずっと絵を描くのが楽しくない。
で、今この歳であなたに会ったんでって言われたんで、
で、ちょうどその頃ブロガー界隈でも、
なんか自分のタスク管理を教える講座をするとか、
いろんな流行りがあった頃だったんで、
僕もじゃあ落書きの講座っていうのをやろうと。
で、近所というか近くのコワーキングスペースを
絵を描くことができるようになったんですよ。
で、その後、
その後、
その後、
その後、
その後、
その後、
その後、
その後、
近くのコワーキングスペースを時間借りして、
Facebookでイベント立てて、
それこそ、いろんな友達にこういうことやりますって言ったら、
10人ぐらいかな、初対来てくれて。
めっちゃ僕も楽しかったし、
相手もすっごい良かったって言ってくれたんで、
そこから落書き講座、落書きコーチっていうように。
ちょっとまだ続けてしまうんです けれど
スピーカー 1
おだしょー どうぞ
スピーカー 2
おだしょー CMしたいなって思うわけ じゃないですか もっと人来てほしい
から
スピーカー 1
おだしょー 落書き講座にね
スピーカー 2
おだしょー なんで やってたブログ 書いてたブログで その当時もいろんな
ガジェットとかレビューのお仕事 いただいたりとか 発表会とか行くん
ですけど 大体 みんな最速で記事 を書く人 写真がすごい人 あと
いろんな知識持ってる人っていう 中で 何だったら俺 勝てるかな
と思ったら 手元で書いてるノート があるなってなって それを上げる
ようにしたんです ブログに そしたら 最近 それってグラレコっていう
らしいねって言われて じゃあ はい グラレコで っつって それの
依頼もくるようになって書いて いたんですけれど なんで グラレコ
という言葉は 僕 後からついて きたタイプで 一人でいろんなところ
で書いてたら これもまたいろんな つながりの友達の一人が いや 今度
私がカンファレンスを主催するん だけど そこにはどうしてもグラレコ
を入れたいんだと それもすごく 早くて 元Googleの方だったので
アメリカのオフィスで見て感動 して 日本でもできる人だと思ったら
いたって言われて いいよ やるよ っつって どんな感じなのってたら
登壇者が50人いて 通して同時で 1日やりますって言われて 一人じゃ
無理じゃねえかってなって 当時 富士通の社員のグループの中に
いわゆるグラフィックレコーディング をやってる人間が何人かいたので
それを全部束ねて そのイベント でグラレコをしたときに いや 働き
方を考えるっていうテーマだったん で 実は これってもう副業みたいな
もんでねって言ったら すげえ受けて また仕事が来るようになって 今度
チームというか組織というかコミュニティ が生まれてしまったので どんな
ふうにしたらいいかなって思った ときに 会社はもう上から言われて
ちゃんとやる 上から言われて ちゃんと やるの構造なんで そうじゃないの
って言ったら ちょうど今で言う ティールが ティールという言葉だけが
日本にやってきた頃で わからん けど こういう感じじゃねえかつって
手探りで組織を作り そうすると 最初 メンバーというか友達なのに
田向井さん これやっていいですか ねって承認を求められたんで それは
俺は決めるもんじゃないと あなたが やりたいと思って 世の中のために
良いのであれば やればいいと思う っていうようなことを言い始めて
いく中で 自立性ってどうやったら 高められるのかなみたいな話を
するようになっていき ちょうど その頃から さっきのパワーパス
今はパワーパスとやってるんですが 僕は世界の創造性のレベルを一つ
上げるために この世の中にいる から 仕事もそういうふうにつなが
ってるものはやるし 副業はやん ないし 本業でも断るみたいな
変な人になってて 2020年に富士通 の全社変革が始まったときに 富士
通社員ではあるので でも 大企業 に何年もいると 変革するぞ しない
変革するぞ なんか分かんない みたいなのが続く 変革するする
詐欺と僕が呼んでるんですけれど があって また今回は無理だろって
言いそうになったんですが 俺 まだ本気出した 自分でやってみて
できなかったわけじゃないという か 俺 やってないのに文句だけ
言ってんのもだせえなと思って いろん なきっかけがあったんで
その全社変革のプロジェクトに ボンと飛び込んで 会社中から集め
られた 次を担うリーダーたちの チームに潜り込んで 全社変革
っていうんですけど 全社変革なんか 誰もやったことがないので みんな
何からやればいいってなっている のと あとはちょうど富士通がパーパス
って言い始めたんですけど パーパス という言葉がまだ日本の中にあん
ないので パーパスって何や 社長 がパンパスって言い出したぞみたいな
空気感の中 じゃあ これは自分の ものをしっかり考えて 対話なので
相手のものも一緒に考えてて お互い にいいねっていったところに ここ
に会社のやつがスッと入ってくる と これだけバカにすることっていう
のはないよねっていうような その 対話のプログラムを作って 最初
チームビルディング的にやって たんですけど 途中で これ結構
いいよねっていう空気が出てきた ので 全社でやるといいんじゃない
でしょうかねっていうのを いろいろ なルートを使って 社長のところ
までじっかりパンパン入って持って いって やったので 10万人ぐらい
みんな個人のパーパスっていう ようになって そうするとパーパス
って言葉を誰もバカにはしなく なったので 希望制にすると手を
挙げられない人が出ちゃうので ほぼ強制で全員でちょっとやった
んだけど そうすると会社の空気 は割と変わるっていうことが見え
たっていう そんな感じの ずわって きて 今 始まって5年経って 次
何やっかなとかっていう そんな 時期です
スピーカー 1
おだしょー あれじゃないですか 学長 これもうトラリーマンって
スピーカー 2
ことですかね
スピーカー 3
おだしょー トラリーマンね トラリーマン
スピーカー 1
認定がありました
スピーカー 3
おだしょー 一緒にやったイベント も 組織にいながら自由に働くみたいな
テーマで
スピーカー 2
おだしょー なんで その頃から 学長とはお互いに似たところがある
よねっていう そのあれはあったん ですけれど ただ 1個だけ違った
のは学長が大きくなっていく途中 に名簿の位置を確立したので もう
それが触られることはないじゃない ですか 僕 大きい会社に入って
エアポケットを見つけて 1回入って て そこから急に出てきて バッって
知られると そのエアポケットが 閉じてて 戻る場所がねえってなって
スピーカー 1
おだしょー いや なんかお話聞いてる 時でも あれですね グラレコをやって
そのGoogleのイベントで呼ばれて みたいな中で その時に 自分じゃ
できねえ 一人じゃできねえなって なって そこで富士通のグラレコ
をやってる人たちは集めたのが 結構 そこがエポックメイキング
な それまでは会社の活動は会社 のお仕事されて 個人の活動は個人
の活動でされていたんだけど 個人 の活動で いや これ無理だって
なった時に 会社のケーパービリティー 使うって発想に みんなあんま
なんないっていうか めちゃくちゃ ビジネスチャンスじゃん これ
もうじゃあ起業しようってスッて なるかもしんないところを いや
富士通の仲間で集めようって そこの 発想って別物だとみんな考えて
るじゃないですか 会社の活動と 個人の活動は別物 でも 個人の活動
に会社を巻き込むって発想って あんましみんな持たないのにな
スピーカー 2
と思って
おだしょー 言われてみると 確かに 運がよく 会社にとてもいい人たち
がいるというのと出会っていたん ですよね その直前に でも 確かに
グラフィックレコーディングが できるというような人間は 会社
の社外にも友達はいたんですけど でも 明らかに戦略的で 全部富士
通で固まってるほうが このイベント で受けるなっていうのはありました
ね 全員そうなんですよっていう なんで 意外に 何て言うんでしょう
打算的っていうと言い方なんですけ れど 何をやるとどんなふうになる
かっていうのを考えるのは 大きい 意味でのデザインとしては好き
なので 割と自然だったけど その 驚きをしてもらったの 結構 初めて
かもしれない
スピーカー 1
おだしょー そうですね 戦略性 があるなっていう感じはあります
よね 打算という いい表現する と戦略性があるのかなという感じ
はするんですけど 僕もお話しして 伺ってて 僕のプロフィールもかなり
近い感じはしていて 僕の場合は デザインじゃなくてプログラミング
スキルずっとやって 大きい会社 だったんで 社内に仲間いなかった
んで 社外に出ていって 社外の仲間 と知り合って 本当におっしゃる
とおり 社内に閉じてると 会社 からすると 個人はいなくなっても
大丈夫って言われるけど 個人 からすると 会社がいなくなると
困るって状態になるので 要は アンフェアじゃないですか 会社
は自立してんのに 自分は会社が ないと自立できないって アンフェア
だなと思うし これが 社外の人と つながることができたら 僕も全く
同じで 外の人とつながると これ いつ辞めても大丈夫だなと思
えるんですよね いつ辞めても 大丈夫だなと思えたら めちゃ
くちゃ会社に対して強く出れるん ですよね 強く出るっていうのが
別に思い通りにしたいというよりは 自分自身が安全でいられるから
それこそ 対等に会社とお話ができる そうすると やりたいことはこれで
会社ではやれるし どうしても やれないことは自分でやるしって
いうふうになるし 僕は起業する ときに 前の大きい会社で社内ベンチャー
作らせてもらい それこそ社長に 直談判して社内ベンチャー作らせて
もらって
スピーカー 2
おだしょー ここも似てますね
スピーカー 1
今日の話聞いてて 今日の話という か 今までの話聞いてて 個人で活動
するってなったときに みんな会社 のことは切り離しそうとしすぎ
てるなっていうか うまく使える なら お互いにとっていいことなら
全然いいんじゃないかっていう のは いや 僕はそれに田村さんの
これまでのことを聞いて シンパシー を感じたという話をさせてもらった
わけなんですけど
スピーカー 2
田村さん なんで ポロッポロッと 出てくるインタビューとかを見
ながら 同じことを言っている すごく 近いって思いながら 今日が
初めてになったんですけど でも 今の話を聞いて 実は僕 二つ思った
ことがあって 一つ目は 僕 多分 社内の誰よりも人として人と合ってる
んだろうなと思うんですよね さ っきの社長に直談判って言った
ときに いろんな企業 いろんな 社員の人って 恐れ多いとか 怖い
とか そんな話せるなって みたいな 言うんですよ 人だから 人として
リスペクトを持っていれば 別に その人はそれだし 例えば その職員
知り沿いだとって 別に その人は その人なので 僕もそうだしって
なると どの人と話すときにも 対等 に話そうとするし パワーで来る
人もいるんですけど パワーはパワー で返せばいいかってなればいい
だけなので っていう まず 会社 という組織にとらわれ始めると
だんだん 人の上下とかで何かを 考え始める人がいるので そこは
外に出て いろんな人と会って 得られたところだなと思います
し 外に出るからこそ あれ 俺 こんなでかい会社にやっぱいる
よなとか さっきのワークショップ を自分で作って 落書きコーチって
やって そのとき 7 8年で わりと いろいろやって 1万人ぐらいの方
に多分 参加したんですけど 今回 も作って 全社試作だって言ったら
3年ぐらいで10万人ぐらいまで行く わけで しかも 一つの閉じた中
今までは希望者に提供して1万人 と 両方の社会実験ができたので
すごい良かったなっていうのは 今も思ってるとこですね
スピーカー 1
おだしょー 面白いな
スピーカー 2
しばやん だから ビジネスっていう ところまで ビジネスにするかどうか
はもうちょいしてから考えよう というような領域だったので
スピーカー 1
大企業っていうのが 結構 日本の 文脈においたら スタートアップ
の世界に行くと 大企業の人たち レガシーでみたいなふうになるけど
そこの良さはめちゃくちゃある じゃないですか それこそ さっき
の10万人って 新企業やるときに マーケットを10万人集めるって
もうまず めちゃめちゃ大変な ことが 普通に全社の活動として
やれるって 可能性めちゃくちゃ あるなという感じはするし 逆に
それを大企業でやってることを 外に持ってくと そんなことを その
会社でフジツーでそれできるの みたいなふうに思われるのも面白い
スピーカー 2
ですよね
おだしょー だから フジツーという 会社の一番良かったところは みんな
スピーカー 2
が聞いて いわゆる一番固くて でかくて面白くなさそうなJTCだった
というところでもあって
スピーカー 1
ここでやってるっていう のが そこでまた希少性が出て
くるっていうか
スピーカー 2
おだしょー あんな会社にいて こんな動きしてんのってのも まず
ありましたし
スピーカー 3
いつも水玉の服着てます もんね
スピーカー 2
おだしょー そうなんですよ こっち だけはカメラオンなんですけど
10年 これも2011年から 15年前ぐらい から 毎日水玉の服を着ている人
になっていて
スピーカー 3
おだしょー 最初の頃だって 水玉のグラレコの人だったもんな
スピーカー 2
そうなんですよ これも でも 多分 戦略性 そう ストレングス
ファインダーに戦略性が入ってる タイプ
スピーカー 1
おだしょー 入ってるんですね
スピーカー 2
入ってる 戦略性と着想 と 行動するやつ 動いちゃうのと
あと 未来思考 最上思考っていう
スピーカー 1
おだしょー 戦略性と最上思考 僕 一緒ですね
僕も それと着想 被ってます
おだしょー 学長 もっと被ってます
スピーカー 2
被ってます なんか 何人か すごい似たような人がいるんですけど
ちょっと 会社員としてやろうとすると 常に着想して もっと良くしたいって思っちゃうんで
いや いいんじゃないのって言われる ことはよくあるんですけれど
そうそう その時も水玉着てたのは 社外で知り合いを作りたいし
何か自分はやっていきたいときに 覚えてもらうのに何かないかなと思ったら
たまたま水玉の服を着てた日があって たまたま それで2回目会った人が
水玉のって言ったんで じゃあって 言って それからずっと水玉っていう
スピーカー 1
おだしょー 戦略性だな 着想からの戦略 活かしてるな
今の話 聞くだけで 富士通さんの イメージがちょっと変わりますもんね
嬉しいですね
それを許容できる器があるというか それこそ僕も学長と知り合ってから
楽天のイメージ だいぶ変わりましたからね 楽天といえばみたいな感じの
三木谷さんのイメージが
スピーカー 2
そうですよね あそこで
スピーカー 1
学長のフィルター通して見たときの 楽天が全然違ってくるみたいなのは
あるので これ本当 ブランディングって 一見すると外側だけで見えると
見えてしまうものが 中の人と話すと 全然変わってくるなっていうのが
ありますね ということで 十分田村海さんの反省を聞いて
やっと倉木さんと同じリングに 立ちましたね
僕はようやく 田村さんのこと よくよくわかったので
第2回に続けて 話していけたらなと言います
今週はこの辺で また来週