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くらぬきです。中山です。ザッソウラジオは、くらぬきと学長こと中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、雑談と相談の雑草をしながら、ゆるくおしゃべりしていくポッドキャストです。
今回は、くらしくもの、青木さん、最終回ですね。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回は苔の話で盛り上がって、苔食ってるんじゃないねみたいな話から、キャリブレーションっていうくらしこもの人事制度というか、
しくみ布の記事を学長に紹介してもらって、そこの話をもうちょっと深掘りして話せたらという感じですね。
学長どこが一番面白いと思った感じでした?
いや本当に、評価するほうとされるほうの居心地の悪さって何なんだろうっていうところからスタートしてますよね。
そうですね。
結局そこって、ちゃんと居心地悪いところと良いところのラインをすり合わせて、お互いですり合わせて共有をして進めていきましょうねっていう、優しいやり方だなって思いました。
なんか評価制度とかっていうものを、仕事人生の中でいっぱい見たり聞いたり、自分も触ったりっていうことを長くしてくる中で、ずっとやっぱり居心地が悪いのは何かって言えば、
宿命的な嘘がそこに含まれてるからだと思うんですよね。
宿命的な嘘。
それは例えば、生活主義にしても能力主義にしても、正確に評価することは可能であるっていう、もう壮絶な嘘がそこに含まれてて、でもそれを嘘だって言っちゃうと、裸の王様の子供みたいになっちゃうんだよね。
それは嘘じゃないっていう前提でこの社会に成り立っているのに、嘘だとかって言うんじゃねえよみたいな感じになっちゃうんじゃない。その前提が崩壊しちゃうから。
だけどさ、これってみんなでも分かってるんだよね。王様が裸だっていうことがみんなが分かってるのと一緒で。
反的評価とか言ってるけど主観ですよねってみんなも。
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客観的な正確な評価なんていうことは、やっぱり少なくとも現在のテクノロジーとか、もちろん会社にいる人の中の一部の人を正確に評価することはできるかもしれないけど、少なくとも全員を正確に評価することができるっていうのは、やっぱり嘘っちゃ嘘だよね。
だから可能な限り頑張りますっていうのが多分、一番本当の言い方になった時に、すごい根拠として評価。この評価だからこういう給料だよっていうのがすごい苦しい。
言われる方もよくわかんないのか。言われる方はそうでもないのかもしれないよね。そういうもんか。
そういうもんかってなる。
一応客観評価みたいな。だから騙してるんだよね、すごい。非評価者を難しいこと言って煙巻いてるみたいな感じがずっと自分の中にあって。どんなに精緻な評価制度を使ってもその感触が抜けないのが。
精緻にすればするほど塗り固められてる感じがあるっていうか。
それがまず宿命的な課題感で自分であったのと、もう一つはやっぱり、その待遇の制度とか、職員の制度みたいなもので、みんなが一番上を目指したところで、絶対みんなそこには到達しないじゃない。
だけど会社としては上目指して頑張れよって言わないと成立しないっていうかさ。
そんな全員一番上まで行かせられるわけもないし、とか考えると、階段を登るようなイメージでそれを目指させる、モチベートしていくようなことを目的とした評価制度とか待遇の制度は、
頑張れ頑張れって言ってるくせに、実はみんなの席じゃないんだよなっていうこともある。これもみんなわかってることなんですよ。評価側も非評価側も、みんなわかってるんだけど、なんかみんな上がれ上がれっていう気持ち悪さがすごいあって。
これが気持ち悪いから、
マネージャーとか経営者とか、そういうマネジメントに就く人たちがこじらしちゃうんだよね。
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例えばこじらせ方の一つの例としては、
マネージャーが例えば評価をスタッフに伝えるみたいなシーンで、これは自分の責任じゃないってタイトル取っちゃうマネージャーとかがよくいるじゃん。これ会社の決定なんだよ。
っていうこじらせ方をしてる。これは組織的には絶対良くないことじゃない。普通の評価じゃないレポートラインのことで、例えばこういう仕事をしてくださいみたいなときに、これやっても意味ないやつなんで会社がやれって言うんだよっていうのはマネージャーなんか絶対良くないじゃない。
結構評価っていうところでは割とそういうものよく、いろんな会社とか見ると全然ない話じゃないなって。
小学校の成績の時からごめんなし相対評価って決まってるからさ。本当はAあげたいんだけどさ。
そうそうそうそう。なんかそういうふうにこじらせちゃうケースもあれば、
ツッコミどころがありすぎるってことがわかってるからこそ、すごく強く高圧的に、裸の王様の子供みたいなことを相手に言わせないような。
強く断定するしかない。
断定的なコミュニケーションするような雰囲気になっちゃうっていうこじらせ方もあって。
ずっと思ってたのが、偉くなった人で可愛げのある人ってあんまりいないなーみたいなのって。
なんでそうなっちゃうんだろうなとかっていうのはまた別にすごい課題感としてあって。
可愛いまま偉くっていうかさ、その大きい責任を可愛いまま担えるようなやり方ってないのかなって。
僕は妹と一緒に始めちゃったから、妹と二人で始めてキャッキャリってやってたのに、だんだん二人とも創業者で経営者だから、その大きな責任になる中で、
横でさ、俺はともかくとして妹がどんどんどんどん変ないかつさっていうかさ、こじらして、変ないかつさとか出してきたら、
いやー俺こいつ仕事に誘ったの本当に良かったのかなとかって思っちゃうじゃん。
そういう、可愛くって言うとちょっと変だけど、力みなくね。
人としての柔らかさみたいな。
柔らかさとか。
歪みなく健やかな感じで経営とかマネジメントをやれるっていう大きい課題感があって。
そのためのオペレーションの仕組みだったり、財務の仕組みだったり、ビジネスモデルだったりって一貫してそうなんだけど、人事とか評価ってとこもそこが主眼にあって。
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中山さんがさっき2回目の終わりの時に、マネージャーの居心地を考えてるんじゃないかって言ってくれて。
いや本当それなんすよみたいな。
経営者がお父さんだとしたら、マネージャーがお母さんでさ。
スタッフ別に子供扱いしてるわけじゃないんだけど、この例の中で言ったら子供だったりして。
スタッフを幸せにするにはさ、つまり子供が幸せになるにはお母さんを幸せにしないといけないじゃん。
だからスタッフがブーブー言ってた時に、スタッフの前でマネージャーをめちゃくちゃなんか、俺は子供たちが困ってるじゃないか!みたいな感じでお父さん怒ってさ。
お母さんなんかシュンってなっちゃうみたいなのって、一番子供の不幸になっちゃうじゃない?
だけどなんかごちゃってした時に、お父さんが、いやいやでもお母さんの言ってること間違ってないよみたいな。
ちゃんともう一回聞いてみようっていうふうに言ってあげられるとかだと、これその時に子供が反抗期だったら、なんだよ!
親父なんか、母ちゃんの見方ばっかしてよ!みたいになるかもしれないけど、家庭絶対うまくいく、そっちの方が。
子供も多分、そっちの方が幸せになるみたいなことを考えると、組織全体の幸せを考えると、
ミドルマネジメントをいかに幸せにするのかっていうことの課題と向き合わなきゃいけない。
ミドルマネジメントを最も不幸にする一つの要因がこの評価なんですよ。
いやー、わかる。
しわ寄せがね、マネージャーに幸せが行かないようにっていうのは、自分たちも含めてだけど、
しわ寄せを受け取ってるっていう感じの仕事の仕方にしちゃうと、自分たちが嫌なことやってるってなっちゃうと、みんな嫌な感じになっちゃうっていうか。
できるだけ嘘がない仕組み。
ゼロには絶対できないんだと思うけど、少ない仕組みにしたいと思っていて。
それで僕らは、成果を評価するとか、能力を評価するっていう考え方から、
直近の、次の半年間、この人に何をマネジメントは期待してるかで、
そのロール、一般の会社で言えばグレードっていう言い方をしてるかもしれないけど、
要は責任の大きさ、役割の責任の大きさを定義して、それに紐づいた報酬が決まる。
これのいいところって、期待は主観じゃない?
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例えば、倉抜さんがうちの会社の社員だとしたときに、倉抜さんにはこういうことが期待できそうって僕は思ってて、
次の半年、多分これまでの諸々を考えると、僕はあなたにこういうことを期待しようと思うから、この報酬でこの役割でやってくださいっていうことを言うと、
これって正確に評価できてるかどうか問題ではないんだよね。論理的に言えば。
主観を伝えてるだけだから。
で、期待してるっていうことは本当のことなんで。
ただ、能力は本当はあるんだけど、マネジメントがそれを理解できてなかったり、
あるいはそもそも能力を発揮するポジションが用意できなかったり、いろんな理由で期待をそこまでできないってこともあったとしても、
嘘をつかなくていいんだよね。
例えばポジションないだけなのに、もうちょっとこういうの頑張ってみようかとかって言うとかって、一番卑怯なマネジメントだなって思うんだよね。
会社に対しても、
そのロールっていうのはただただ上がろうっていう目標にする必要全然ないんだよと。
そのロールの期待値を超えてさえくれれば、
会社側はもう満足だからって、そこにあるロールにステーしてても最高にありがとうっていう。
だから基本的には理想はマネージャーが期待外れでしたっていうフィードバックをしなくていいように調整したいですよね。
全ての社員に理想を言えば、あなたはあなたのロールで最高でしたねと。
だからこそ、こういう期待値であるロールを設定しても、その期待値にある程度の期間を超えられないっていうことが結構明らかになったら、
一回ロールをスモールダウンして、今のあなたのパフォーマンスでありがとうって言えるロールにスモールダウンしましょうっていう風にオファーするケースも時々はあるんですよね。
もちろん当人にとってはその時はショックだったり嫌だったりするかもしれないけど、
でもあるロールで期待値だって言ってる以上、いや期待に応えてないですよねって何年も言い続けるとかって誰のためにもならないから、
一回その人のパフォーマンスに合ったロールに調整させてもらって、期待値超えてるねって大幅に超えたらまた元のロールに戻ればいい。
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いいねしか言わなくていいっていう風が理想。
その期待値のコントロールというか、期待値の擦り合わせがすごく難易度の高いところな感じもするし、
スタンスとして今話聞いて思ったのは、毎回評価ではなくて毎回ありがとうと言うために期待を言ってるっていうか。
本当そうですよね。ありがとうって言えるところに調整するっていうことだし、
あとはもう一つは評価って言ってしまうと、成果にせよ能力にせよ評価の定義って変えづらいじゃないですか。
あるレベルになってることの対価としてこういうポジションになってるのに、次回になったらまた要求事項変わりますみたいな感じ。
でもう一回ゼロから評価とかってやりづらいと思うんですよね。
これがやっぱり環境が変わり続けて変化し続ける比較的若い企業、こういう変化が大きい世界の中でやってる企業にとって、
宿命的な問題点だと思うんですよ。だから僕らとかだと期待値って言ってるんで、
次の半年の期待値っていう言い方をしてたら、前半年その期待値書き換えてるんですよ。
ちょっとずつ。だからすごくアジャイルに運用できるんですよね。
確かに会社に対しての期待値、ユーザーとか社会からの会社への期待値って事業生徒とともに高まっていくし、
それによって平均給与も上がっていく、テーブルがアップデートしていく、
要求事項が前よりは上がるって事。自然だと思うので、
同じ例えばロールでも、2年前の要求事項と今の要求事項は中身が随分変わってるよね。
より複雑なことが求められるようになるよねとか。
でもやっぱりそこに社会からの期待と事業成長と報酬のアップっていうのは、
ちゃんと紐づいていればその中身って入り替えていける。
でもそれ評価じゃなくて期待だからこそ結構柔軟にそこはやれるっていう。
なるほど。そうか。
やっぱりアジャイルにできるっていうこと。それも居心地なんですよね。
なんかいつも着心地、最初は良かったんだけど窮屈になっちゃった。
シャツいつまでも着てなきゃいけない気持ちあるかみたいなのがなくていいようにするにはどうしたらいいんだろうっていうのを考えて。
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ロールを下げるとかは、自分のプライベートの事情とかに合わせてのチューニングとして上げたり下げたりっていうこともできるわけですよね。
そうですね。だからいろんな時あるじゃないですか。どのぐらい仕事に大きく真珠を持てるかっていうのは。
子育てが一段落ついた。
そうそうそうそう。だから実際そのロール小さくしてまた元に戻ってとかっていう人も絶対いるし。
結果的に良かったと振り返ってくれてるんじゃないかなと思うんですよね。
思い悩まなくてもいいですよね。
賛否あると思うんですけど、僕はそこに変に張り付くことをこだわらないほうが長い仕事人生なんで。
言い心地よくやれることをとっていれば結果的にその人にとって一番良くなるんじゃないかなとは思ってやってるんですね。
ただ本当に6年ぐらい前から今の仕組みをやり始めたんですけど。
本当前半年ごとにちょっとずつ手直しして。
もう秘伝のタレみたいな感じですよね。
むかどことかね。
なんかその辺で、それこそよく淡木さんとも話すけど、普通の会社が評価入れるとか階段入れるとかグレード入れるとかだったらあんまりそこまで考えてないっていうか。
はいはいはい。
いわゆるよくある会社の仕組みにのっとってまずやるっていう風にするけど、よくよくそこまで考えて導入しますよねっていう。
そうですね。
なんかこれって何なのかっていうのが自分なりに分かっていかないと何もできないっていうところがあるんですよね。
とりあえずこういうのあるからやろうよとかっていうよりは、そもそも評価って何のためにあるのかとか。
なんていうか職位って何だろうとかさ。
かといってすごい歴史的な経緯に対するリスペクトがあるので、きっと何かの意味があるはずだっていう感覚で見てるんですよね。
こんなの意味ないよみたいな感じというよりは、みんながそれだけ運用してきたことには何か意味がある、その本質を捉えて自分たちに合った調整をしたいなみたいな感じ。
そうですね。
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過去ある世の中でよくやってる仕組みは、多分もうみんなが考え尽くした結果そうなってるっていうのはあるけど、でもそれがなぜそうなってるのかっていうのを考えずに入れてしまうと、もう本当に形だけになっちゃう。
よくくらぬきさんとかと喋っててさ、自分たちが避けてきたやつとかでもある程度のフェーズになった時に、いやこれってやっぱ機能するやつだったってことにやっと気づいたよねみたいな話になる時あるじゃん。
いやよくありますね。歴史を再発明してるみたいな。
死ぬほど考えた結果、世の中によくあるやつだったって。
そういうのすごくよくあるけど。経営とか事業やるモチベーションの、クランキさんとかもそうかもしれないし、赤山さんも近いかもしれないけど、心理に近づきたいというかさ。
分かる。
いろいろやったり考えたり失敗したりっていうことの中で、ちょっとずつ心理に近づいてる。ここちょっと見えたなとか分かったなっていうのが積み上がっていく感じだけはあるじゃない。
ありますね。
あれはすごいモチベーション、それしかモチベーションが逆にないかなって思うぐらいモチベーションなので、わけ分かんないけどとりあえずやる。やっても特に振り返らないとか、もう本当に耐えられないというか、何のためにやってるのみたいな感じになっちゃうけど。
いや本当、だからずっと実験してる感じなんですよね。
仮説立ててやってみて仕組み作って、当たったら当たってたってなるし、違ったらやっぱ違ったけど、これでも仮説のここが違うんで次チューニングしようみたいな感じでずっとやってるから、その実験をずっとやってると思ったら経営って結構楽しくなってくるっていうか。
そうですね。
だからうちはその人事に関して半年サイクルでやってるんですけど、半年に1回何も変えないってことは絶対ないですね。
毎回なんかちっちゃいことでも、前のこういう課題あったら今度ちょっとこういうふうにチューニングしてみようとか、
前ここのところ、うまくパキッと説明する武器をマネージャーにあげられてなかったから、その半年間考え続けて、次はマネージャーにこの新しい道具を、それはだいたい言葉とか定義とかそういうことなんだけど、
すごくすっきり説明できる新しい道具を用意したんで、これちょっと使ってみてよとか。
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例えばあれですよね、この前の記事に書いてあって、僕印象に残ってるのは、パフォーマンスが高くてもコストが高ければダメだよねっていう。
コストっていうのはコミュニケーションのコストとか、周りに不機嫌巻き散らして、あなたを面倒を見るために周りの人にコストかかってるよねみたいなものが含まれますよっていうのが言語化されてるとすごく。
そうなんですよ。あれマネジメントコストって3つっていうふうに定義してて、いわゆる代わりに決める、決めてあげるコストを何か教えなきゃいけないっていうコスト。
あとは心配する、その人に関わって心配しなきゃいけない。これは3大コストだよねというところまでブレイクダウンしてると、やっぱりロールの調整の時に一番やっぱりすっきりいかないのって、本人はパフォーマンスだけを見てるんで。
こんなにパフォーマンスしてるのにってなっちゃう。でもマネジメントが言うと、それパフォーマンス低くコストで見てる。
安売りして売り上げ作りましたっていうのと同じ。
トップラインだけ上げてもダメだぞって。
だから逆に言ったらパフォーマンスほどほどでもコストゼロだったら、その人ってめちゃくちゃいいパフォーマンスの人なんだよっていうのがマネジメントからの見方なんで。
なんかこの視点を揃えなきゃいけないっていう課題感が何年間前にきっとあったんだと思うんですけど、その時にコスパっていう概念とコストの定義っていう道具が生まれたり。
分かりやすいな。代わりに決めると教えると心配する。
心配する。
確かにもうその3つめっちゃコストかかるもんな。
僕は概念の概念晴らしみたいなの得意なんですよね。
コストとかっていうザクッとしたのが自分でしっくりこないから、コストってなんだ?みたいな。
どこまでも分解したくなるタイプなんで。
分解して原稿化すると捕まえられるようになるから。
そうなんですよね。扱えるようになっていくんで。
よく定量的じゃないと扱えないみたいなことを言われたり、フェアにならないっていう人いるんだけど、それは100%間違ってると思わないんだけど、実はいわゆる文系的な能力を極限まで磨き上げていくと、かなり訂正的なまま扱えるようになるんだよね。真実を。
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本当そうですね。解像度上げたりチューニングできるものが見えるようにすれば、数字で白黒つけないほうがよりコントロールしやすくなることはあるし、数字にプログラマーのくせに数字で管理するの嫌いだから、数字にしても誰も得しないってずっと思ってるんですよね。
やっぱり数字にするっていうことってどういうことかというと、非常に複雑でリッチな世界の方法を、一旦数字という形で圧縮する。
受け取られた後、向こう側で勝手に回答して戻すという作業をするみたいなやり取りだと思うんですよね。
減衰しちゃうんだよね。だから圧縮する時点で、結構大事なものをだいぶ抜けちゃうというか。
そうですね。デジタルにしちゃってるから、どうしても刻んでしまうのはまさしくそうですね。
僕は文系的な能力の復元って結構重要な課題だなと思ってるのは、文系的な能力って、定性のまま扱って真理にたどり着く方法だっていうふうに僕は思ってる。
要は理系的な能力って定性を定量に変換して、圧縮して意思決定して、またそれを回答して現実の世界の中で実行していくっていうことなんで、
定性を定性のまま扱えるよう、でも適当にではなくて厳密に扱えるようになりたいっていうのが、個人的な流派な気がする。
その流派ですね。その流派の奥が深いし、難しいですね。あるがままのまま伝わるし伝えるしみたいなところになってくるので。
数字で表すっていうのって、世の中一般的には具体的にするって思われてるっていうのを、さっき青木さんが言ってたみたいに、世の中複雑につながってるのに数字にすると、具体が抽象化されたものになる。
それで本当は具体なものがいっぱいあるやつを抽象化したやつを、そのまま受け取った人が回答すると、もう全然違うものになっちゃう。
今は定性的にしか扱わざるを得ないものも、そのテクノロジーの進化によって定量的に扱えるようになるかもしれないんだよね。
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信用スコアみたいな。
過去に地球がどうなってるかとかを観測する術がない頃って、宇宙はどうなってるかっていうことは、定性的な哲学的思継によってみんな考えてたから、いろいろ間違ったところがあったわけじゃん。
だけど観測できるようになって、稀に定量的にどうなってるかってことを真摯につかめるようになった。文系的な力って、それが及ばない領域を適切に扱う力だと思っていて、
定量で扱われるところは多分どんどん増えていくから、そうなったらそっちを使えばいいと思うんですよね。
最初に話した評価とかが嘘であるっていうので、数字に出せないっていうのは、数字化できないものっていうのが今のリアルというか事実。
今の面会って感じだよね。
これがめちゃくちゃ高性能AIとか脳を見るとかになって、できたらまた変わるかもしれないけど、それは無理なので、少なくとも定性的にうまく使えるようにしていきましょうっていう話。
だから今は定量を誤魔化しというか納得のためのめくらましとして使って、それだけで全然真実には近づいてないと僕は思ってるけど、
例えばこの先、量子コンピューターのすごいAIとかが出てきて、全然それでいけちゃうってなったら、それに頼ればいいと思うんだけど。
今はね、なんか方便になっちゃってる気がして、その評価とか定量が。
で、それ使うことも全然悪くない。
まあみんなが納得して幸せに働ければ何でもいいっていう世界なので。
だけどなんか自分として、その嘘っぽいことをやるのが得意じゃないから、真実に近づきたいんだよね。
この評価面談の時間だけ楽しくないな、仕事って。
この時間だけちょっと目つぶって、早く終わらそうみたいな感じというよりは。
結構ね、僕マネージャーの子たちにも、その難しいコミュニケーションの意義みたいなことをすごい話してるんですよ。
難しいコミュニケーションを率直にできる能力を身につけることは、自分の人生を豊かにしていく上で欠かせない能力だと。
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例えば28歳とか30歳くらいでマネージャーになったとして、
その時は別にいろんな責任を負ってなくても輝くかもしれないけど、
男性であれ女性であれどんな立場の人であれ、
難しい局面でちゃんとイニシアチブを持って、いろいろ擦り合わせて自分の人生をコントロールしていける力量を身につけることって絶対本人の充実につながるので。
いやーそうですね。
ということを繰り返し言ってます。
マネジメントする人が向き合うめちゃくちゃ難しい問題なので、
でもそれを向き合うほうが結局その人の人生にとってはプラスになってるっていう、
これも僕らの生存バイアスなのかもしれないですけど、
でもそのほうがきっと豊かになるなみたいな。
これはもう何かそうですね。
そういうのに向き合ったのが子供部屋おじさんから脱出したときっていう。
ああでもそうだね。
グーッと戻って、
すごい着地した。
いやでもほんとそうだと思いますね。
あの時には僕はそれを向き合うことから全部逃げていて、
だけどもやっぱり一個一個向き合っていく中で、
その世界と難しい交渉を平和的にやって、
自分の生きる場所を確保していくっていうね。
居心地を追求していくみたいな。
居心地を追求するっていうのと、
その向き合うことっていうのはもう切り離せないんですね。
なんかマネージャーやってくれてる子たちも本当に苦労も多い、
負担も多いだろうなとは思うけど、
嘘っぽいことさえ強要しないでちゃんとした道具を与えて、
我々が全幅の後押しをすれば、
苦労がちゃんと身になるんじゃないかなっていう風には思ってるんですよね。
最初の話からようやく一周して戻ってこれるっていうのがね、
これが雑草ラジオの醍醐味。
醍醐味ですね。
前回の篠巻さんの時も同じ感じで、
最初に持ってきてくれた雑な相談が最後、
なんとなく光が見えて終わったっていう。
一周しましたよね。
一周しましたね。
なんかそんな感じの、
これ逆にハードル上げちゃうんで、
ちょっと次からそんな感じじゃない。
螺旋状の時間だね。
そうそう、螺旋になりましたっていう。
これまだまだちょっとこの話、
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やりだしたらこれ僕ら3時間ぐらいやれる人たちだから。
10分とかになっちゃうんで。
ゲストはまた定期的に呼びたいなと思うので、
青木さんまた出てもらうっていうことで、
今日はお探し喋りいただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
90分もあっという間ですね。
ちょっと話がいろいろ多方面に飛びつつ、
例えに例え重ね、
例え話が入ったらそれで盛り上がっちゃうから。
固形ですね。
固形の話とかね、
家族の話とかになっちゃう。
なので全然足りないけど、
また呼んでぜひ喋りたいですね。
今回も前回の篠巻さんの回に続いて、
最後にぐるっと一周して、話がね。
螺旋な感じがいいですね。
だからやっぱり入口に来た時より、
ちょっと一周回ったところに着地してるっていうか、
一周ちょっと上のところに着地できたなっていう。
学びの多い回だったなあ。
どの辺が、くらぬきさん的には。
僕やっぱり最後のあれでしたね。
実は嘘なんであるっていうか、
その中でどうやって居心地の良い状態に向き合うのは、
考えていかなきゃいけないところっていうところは、
僕らもこれから会社が大きくなっていく中で、
しっかり制度をしていかなきゃいけない中で、
すごい参考になるとこあったなっていう感じでしたね。
学長はどうですか?
僕は居心地っていう価値基準で、
一本筋が通ってるなっていうのが、
面白いというか共感が持てるというか、分かるっていうか。
居心地っていう軸で考えていくと、
それこそレッドオーシャンみたいなところ、
満員電車とかレッドオーシャンみたいな、
混んでるところって居心地悪いから。
居心地悪い、行かないんでね。
避けようとするじゃないですか。
それと他の人と違うことをやることになって、
コケ食べることになって、
変わった人って思われるようになって、
でも別にそれで全然居心地いいからいいじゃんって思えるようになっていくみたいなのが。
いろいろ状況が変化とかしていくけど、
居心地をベースにチューニングをずっと続けていくと、
逆に言うと飽きないと思うんですよね。
そうね。
居心地ってあんまし動いてないイメージがあるけど、
実は居心地の良さを保つには、
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結構動かないと保てないんですね。
そうな気がしますね。
そうか。
そうですね。フロー状態もそうだなっていう。
変化のチューニングしてる感じはある。
ずっと変化がしないと退屈になっていっちゃいますからね。
居心地悪くなっちゃいますもんね。
いやー、今回もなかなか面白い話ができたなということで、
次回のゲストまだ決まってないですけど、
おそらくまた面白い方に出ていただけるんじゃないかなと思いますので、
お楽しみにしていてください。
ポッドキャストは毎週水曜日の午前中ぐらいに配信されるという番組になってます。
AppleのポッドキャストとSpotifyとGoogleで配信されているので、
ぜひ良かったら皆さんチャンネル登録してください。
お便りなどもお待ちしておりますのでよろしくお願いします。
ということでザソラジオ第2セカンドシーズンの
青木さんの回はこれで終わりたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ザソラジオ