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2025-08-06 31:02

松崎良太さんとザッソウ第1回|松崎さんのワクワクを聞く(#182)

ザッソウラジオは、ソニックガーデンの代表・倉貫義人と仲山考材の仲山進也(がくちょ)が、2人の友だちをゲストにお招きし、ゆるーくおしゃべりするポッドキャストです。

ザッソウとは「雑な相談」のこと。毎月、さまざまなゲストとザッソウしています。

2025年8月のゲストは、きびだんご株式会社の代表取締役・松崎良太さんです。

大手銀行に勤めていた松崎さんは、創業期の楽天へ転職。そして、独立後に自分自身でも起業し、クラウドファンディングとECを組み合わせた新しい事業エンパワーメントの仕組みを提供する、きびだんご株式会社を経営しています。松崎さんの原動力についておしゃべりしました。

★今回のザッソウ★

楽天、始まりの物語/事業をエンパワメントする/Kickstarterとの出会い/クラウドファンディング的/等価交換の価値/世代にドンピシャ

★ゲスト・松崎良太さんのこと★

大学卒業後、現在のみずほフィナンシャルグループである、日本興業銀行に入行。その後、2000年に楽天へ入社し、社長室長や経営企画室長などを担当。2011年に独立。ベンチャーの育成やエンジェル投資なども行いながら、2013年に起業。クラウドファンディング型ECを展開する、きびだんご株式会社の代表取締役に。

Kibidango(きびだんご)

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サマリー

このエピソードでは、松崎良太さんがきび団子株式会社の設立や楽天での経験を語ります。また、三木谷浩史さんとの出会いや、銀行からの転職を経て新しいビジネスモデルを模索している様子にも触れています。松崎さんはアメリカにおけるベンチャーキャピタルの経験を通して、小規模企業をエンパワーすることの重要性について話します。また、クラウドファンディングの可能性についての考えを述べ、キックスターターを日本に持ってくるアイデアを思いついた経緯についても触れます。さらに、松崎さんはクラウドファンディングのプラットフォーム「きび団子」を通じて、海外のガジェットやプロダクトを日本に紹介する取り組みについて語ります。特にKickstarterとの関係や、成功するプロジェクトの秘訣について詳しく掘り下げています。

松崎さんのバックグラウンド
スピーカー 2
倉抜です。中山です。ザッソウラジオは、倉抜と学長こと中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、ザスな相談の雑草をしながらイルコをしゃべりしていくポッドキャストです。
2025年8月のゲストは、きび団子株式会社の代表取締役、松崎良太さんです。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
最初に松崎さんを紹介してから始めたいなと思いますが、
松崎さんは大学の卒業後に、現在のMizu Financial Groupである日本工業銀行に入校されました。
その後、2000年に楽天に入社されて、社長室長や経営企画室長などを担当されました。この頃に学長と一緒だったのかな?
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
2011年には独立をされて、ベンチャーの育成やエンジェル投資なども行いながら、2013年に起業されて、
クラウドファンディングとECを組み合わせた新しい事業エンパワーメントの仕組みを提供するきび団子株式会社を経営されているということで、改めてよろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
僕らは、この間の雑草ラジオ雑食にお参加いただいて、その時が初対面だったんですけど、
さっき楽屋で話してたら、学長とは25年ぐらい前に出会っているという、過去最長の、ゲスト内最長の付き合いのある人じゃないですか。
スピーカー 3
かもしんないですね。
スピーカー 1
ちょっとお互いに重ねすぎましたね、年齢と。
スピーカー 3
松崎さん、2000年の何月?
スピーカー 1
2000年の2月ですね。
スピーカー 3
僕99年6月入社なんで。
スピーカー 1
あれですよね、12人とか20人とかそれぐらいの時。
スピーカー 3
僕20人ぐらい。
スピーカー 1
20人ぐらいですよね。僕も入ろうとしたら20人ぐらいの時だったんですけど、気づいたら90人になってましたね。
スピーカー 3
そうですよね。
スピーカー 1
いつまで経っても、僕ニューヨークにいたんですけれども、いつまで経っても帰ってこないからって言って、ある時そのCFOの高山さんという方から連絡が来て、
まっちゃんさ、いつまで経っても帰ってこないから、もういい加減クビにしようかって話をしてるんだけどって話を聞いて、
入る前にクビにされるのだけは勘弁してくださいって、あわてて帰ってきた覚えがあります。
スピーカー 3
おもろ。
スピーカー 2
すごい時代ですね。
スピーカー 1
すごい時代でした。
本当に毎月10人以上入ってましたよね。
すごいペースで。
スピーカー 2
そりゃああれですね、学長が何週も螺旋見たっていうのはわかるぐらい。
だって半年ぐらいでそんな50人60人増えてるってことですもんね。
スピーカー 3
半年もかからずに。
スピーカー 1
たぶん99年の年末に60ちょいぐらいだったと思う。
スピーカー 2
じゃあ学長入ってすぐ大きくなって。
スピーカー 1
だから1ヶ月10人単位ってのはそんな感じかもしれないですね。
スピーカー 3
2000年に入ったらたぶん20人とかペースになるみたいな。
スピーカー 2
しかも学長も結構大きいところからじゃないですか、メーカーから。
松崎さん僕らはまっちゃんって呼んでますけど、まっちゃんも銀行から楽天に?
スピーカー 3
松崎さんは三木谷さんと同じ島で仕事をされていたんです。
スピーカー 2
銀行の時に?
スピーカー 1
そうなんですよ。
そうなんだ。
新卒で入った時にバブル採用だったので、すごい人数入っちゃったんですね。
普通だったらちゃんと営業職とかを通じて叩き上げでだんだん経験を重ねていくんですけど、
飛び道具系の部署、M&Aのアドバイスをする部署みたいな新人が入っちゃいけない部署に配属されたんですよ。
そこで右も左も分からずに仕事してたら、留学を終えたMBAの三木谷さんという方がですね、
島の隣の席に戻ってこられて、そこでしばらく仕事をご一緒にさせていただいたっていうことがありました。
スピーカー 2
その当時、言っても三木谷さんもまだ若い?
スピーカー 1
そうですね。
30代。
スピーカー 3
30前後。
スピーカー 1
そうですよね。30前後くらいですかね。
スピーカー 3
今の僕らからすると若造に見える。
スピーカー 1
ただ当時のお客さんが、これ言っていいのかな、ソフトバンクの孫さんだったんですね。
孫さんがまだ30代前半、それこそそれくらいの時に公開をされて、これからアメリカにどんどん出てくるんだって言って、
賠償したいんですって言って、相談をいただいて、その賠償のお手伝いみたいなのを三木谷さんと私のチームでやらせていただいたっていう。
今考えたら、え?みたいな時代がありました。
スピーカー 2
すごいところに立ち会いましたね。
スピーカー 1
そうなんですよ。あまり歴史の証人とか言いたくないですけど、確かにそういう瞬間でしたね。
夜中の2時までプレゼンの資料、製本とか三木谷さんと二人でやってましたね。
スピーカー 2
すごい。
スピーカー 1
製本って時代は感じますね、それだけで。
スピーカー 2
でもそれで30前後の人たち、30代の三木谷さん、孫さんだったのか。
今の自分とこの会社の30代の若者見てて、まだまだ若いなって思ってみたら、そうか。
でも時代、時代感じますね。
スピーカー 1
時代感じますね。
スピーカー 3
松崎さんは三木谷さんといくつ違いでしたっけ?
スピーカー 1
僕は3つ。本当に正しい?
たぶん3つ違いのはずです。
スピーカー 2
やっぱなんか、社会人の最初にそんな強烈な場所にいると、影響を受けそうですね。
スピーカー 1
そうですね。たぶんいい意味でいろんな影響を受けたんじゃないかなと思います。
それこそ、ちょうど仕事が下京に入っている時に阪神淡路大震災があって、
三木谷さんのおじさんおばさんがそちらに被災されたということで、
すごい大事なプレゼンを控えたんですけど、
ちょっと行ってくるわって言って戻られて、
戻って来られた時に非常に打ちしがれていらっしゃって、
やっぱり俺気づいたんだよなと。
人生やっぱり1回しかないから、やりたいことやらないとダメだと思うんだよっていうふうにおっしゃってたのが、
すごく昨日のことのように感じますね。
それからの歴史は皆さんよくご存じの通りですけれど。
仕事の展望と転職
スピーカー 3
で、銀行辞めてっていう。
スピーカー 1
そうですそうです。
スピーカー 2
それで突き抜けたわけですね。
突き抜けろみたいな本書かれてましたけど。
スピーカー 1
そうですよね。
なるほど。
スピーカー 3
で、その時の三木谷さんにとっての銀行の動機とか、
引っ越上の先輩とかが、
ワワワって、
そうですね。
スピーカー 2
参加して。
スピーカー 1
そうか。
スピーカー 2
今の楽天だけを見てると全然わからない、
本当に始まった当時の楽天、
なかなか聞ける機会がない話ですね。
スピーカー 1
そうですね。
本当に三木谷さん、そんなご一緒させていただいたので、
私はその後アメリカに留学しに行っちゃったんですけれども、
その後も連絡をいただいていて、
銀行辞めて、
コンサルとかをやられたんですけれども、
その後にインターネットショッピングモールをやろうと思うんだよね、
それこそポンチ絵じゃないですけれども、
真っ白い紙に丸を書いて、
中にインターネットショッピングモールみたいな絵を見せていただいたような気がします。
そこから2人で始められた会社が6人になって、
20人になって、
時々日本に帰ってきてやりもしてたので、
帰るたびに遊びに行くとどんどん大きくなってきて、
一方で私はニューヨークで銀行に行ったんですけれども、
割と大きい仕事をしてたんですね、
何千億円のファイナンスみたいな感じで、
なんですけどすごい遅いんですよ、仕事の進み方が。
ブラジルの海底に眠っている油田から石油を採掘するリグムを作るみたいな、
バカでかいプロジェクトなんですけれども、
そこにお金を貸すのに、
ものすごい、段々と契約書の厚みだけがどんどん増えていくみたいな感じで、
2年くらいやってたんですけど、本当に最初の貸し出しも始まらないみたいな感じで、
その間に三木谷さんの会社がどんどん大きくなって、
何回か入らないみたいな話をいただいて、
一回入ろうかなと思って、
親父にそうなったことがあったんですね。
先輩の三木谷さんの作った楽天という会社に入ろうと思った。
その頃は本当にまだまだ6人くらいだったかもしれないですね。
その時の何人いたか覚えてないんですけど。
今でも覚えてるのは、その日の晩にファックス機があったんですけど、
自宅に。そこがカタカタカタカタっていって、
見ると親父からの長いファックスが届いていて、
見ると結局反対してるんですね。
お前は大学卒業して立派な銀行に入って、
先輩にも恵まれて仕事もして、
なのにそのよくわからない先輩のところに飛び込むなっていうのは、
ちょっと違うんじゃないかみたいな。
名前直したらどうだみたいなことを言われて、
結構親父には世話になっていたので、
確かに親父の言う通りかもしれないなって言って、
一回諦めたことがあったんですね。
でもやっぱりその後に銀行が参考合併して、
水穂銀行になりますみたいな話。
やっぱりその後どうなるかっていうのもなかなか見えない中で、
三木ちゃんさんから最後にするけどさ、
楽に入らないっていうふうにお誘いいただいて、
その時はまた決めて、
親父に話をしたら何も言いませんでしたね。
ターニングポイントですね。
スピーカー 3
そうですね。
スピーカー 2
親世代からすると銀行に入れたのに、
よくわからないインターネット、
しかもインターネットの会社っていう時点で、
もうちょっと当時はまだ怪しい感じしたんでしょうね。
そうですね。
スピーカー 1
当時はまだ雄天寺駅の商店街の先っぽにある雑居ビューに入っていて、
今でも覚えてますけど、町の商店街の人たちが、
あんたらの会社絶対新興集計だと思ってたんだよね。
世の中の若い男女が出たり入ったりして、
おまけに名前が楽天だろうって言ってました。
確かに。
スピーカー 2
今でこそ楽天って聞いたら石のモルを思いつきますけど、
ただの楽天って言われたらちょっと怖い感じしますね。
その二文字だけで言うとまあまあ怖いかもしれないですよね。
スピーカー 1
ロゴも日の丸に筆文字で楽天一番って書いてある。
スピーカー 2
そうでした、そうでした。
スピーカー 1
その頃は楽天時代は学長と絡み合ったんですか?
スピーカー 2
ほぼないですよね。
スピーカー 3
学長は楽天大学を立ち上げられていて、
スピーカー 1
僕はどっちかというと飛び道具屋さんだったんですよ。
さっきも言ったように、
社長室長とか経営企画長とか、
いわゆる新しいことをやってこいと言われました。
鉄砲玉のようにいっていろいろやるみたいな。
M&A案件?
そうです。
スピーカー 3
M&Aの話とかを進めたりとか、
スピーカー 1
そういう会社を探してきたりとか。
買収した後そこに入っていく?
そうですね。
銀行だけはM&Aのアドバイスをやってて、
こうしたらいいんじゃないですかとか言ってるんですけど、
自分たちで買収するとその後ずっと面倒見ないといけないので、
たまたま買収した会社の一つが
アメリカの会社だったんですけど、
買収した直後に経営人がみんないなくなるというサービスがありました。
ちょっとまっちゃん行って何とかしてきてみたいな話で、
そうですねみたいな感じで、
いろいろ言ってるうちにみんな行って、
アメリカに3年ほどいたりしますね。
その時の展望室自体は、
アメリカでの経験
スピーカー 1
ミドルマネージメントが非常に優秀な人たちが揃ってて、
むしろ非常に良かったんですけど、
ただそこに行って、
そうすると、
楽天って何?楽天何やるとしてるの?みたいな形で、
現地のいろんな人たちと話をする機会があって、
例えばM&Aの話とか、
投資をしてほしいんだけど、みたいな話とかがいっぱい来るようになって、
やってるうちにベンチャーキャピタルとか、
企業家の人たちと仲良くなって、
これやっぱ面白いなと改めて思ったんですね。
日本にいる時からそうだったんですけど、
スタートアップの人たちと一緒に仕事をして、
どうやったら大きくできるかねみたいな、
そういう話をしてたんですけど、
そういう話をして、
どうやったら大きくできるかねみたいな話をするのが一番好きだったので、
アメリカに行って水を得た魚のようにですね、
いろいろといろんな話をしてるうちに、
これは日本で楽天の中にベンチャーキャピタルを作ったらすごく面白いんじゃないかなという話で提案をして、
それはその時はあんまりうまくいかずにみたいな感じだったんですけど、
やっぱり小さい会社をエンパワーして、
大きくできるかねみたいな話をするのが一番好きだったので、
アメリカに行って水を得た魚のようにですね、
いろいろといろんな話をしてるうちに、
やっぱり小さい会社をエンパワーして、
どうやったら大きくできるかねみたいな話をするのが一番好きだったので、
自分の中にはいますね。
クラウドファンディングの提案
スピーカー 1
自分の中にはいますね。
スピーカー 2
わりかしその辺での経験とか、
その感覚みたいなのを大事にしていった結果、
今されてるキビ団子みたいな、
クラウドファンディングしながら、
スタートアップ応援していくみたいなことに繋がってる感じなんですか?
スピーカー 1
そうですね、銀行も楽天も行ってしまえば
事業をエンパワーするっていうのがあって、
やっぱりそれがすごいコンセプトだなあというのは、
一か所から思ってました。
楽天は2011年の末から11年に辞めるんですけども、
楽天は2011年の末から11年に辞めるんですけども、
その後もどうやったら今の時代に、
事業をエンパワーすることができるかな、
みたいなことをずっと萌 Sadhguru はい。
っていうアメリカのクラウドファンディング の会社を知りまして 立ち回り
ながらファンになって 自分でも いろんなプロジェクトを支援をして
るんですね このキットスターター っていうのがクラウドファンディング
を始めたわけじゃないんですけど 非常に有名にした会社なんですけ
れども これは日本でやったらすごく 面白いんじゃないかなと 当時から
日本にはレディー4とかキャンファイア っていうクラウドファンディング
どちらもどちらかというと 復興 支援とか あとは社会貢献とかそういう
テーマで ちょっとキックスターター とは雰囲気が違ったんですね キックスターター
と違っているとクリエイターとか 新しいものを作るみたいな人が
いて 見てるとすごく 自分として 個人的にワクワクして 俺 日本で
やったらいろんな新しい商品とか どんどんどんどん出てくんじゃない
かなみたいな感じで アメリカに 行って キックスターターの創業者
の人たちに ぜひキックスターター を日本に持ってきたいっていう
話をしたのが2012年ですかね 当時 楽天時代からたまたま付き合い
があるということでもなかったん ですけども 伊藤浄司さん ヘッディ
メディアラボの所長だった伊藤浄司 さんにお願いをして 紹介していただ
いて 刃の浮くような非常に素晴らしい レターを書いていただいている
ですけれども それで分かった じゃあ そこまで情勢が良いんだったら
45分だったら会えるけど ニューヨーク までわざわざ来るとか言われたん
で もちろん行きますっていう形で ニューヨークに行って その当時の
創業者の二人に会って 二つ 三つ ぐらい話をしたんですね 一つは
キックスタートを日本に持って きたい話 もう一つは 楽天にいた
ので キックスタートのページを 見てると プロジェクトが終わった
後に ページがちょっと寂しくな っちゃう 業卓みたいな感じにな
っちゃって 全然 せっかく人気が あったページが寂しくなっちゃう
と そこで引き続き いろんな買い物 ができるようになったりとか できれば
いいのにっていうのが二つ目の提案 で 三つ目は スタートアップだけ
じゃなくて 大企業とのコラボとか もできたらいいんじゃないみたいな
話をしたんですけども 三つとも 全てノーと言われまして 当時は
キックスタートのすごく小さい 会社で 18人ぐらいだったかな 社員
もすごい少なかったんですね 海外 展開してなくて もしするとしても
英語圏からかな カナダとか 香港 とか イギリスとか そういったところ
かなというのが一つと 日本はやる としても 多分 相当後だねみたいな
話から ECですね ECとのコラボみたいな 話は 自分たちはECのプロじゃない
ので そういうのが得意な人に任せ たいんだよねっていう しっけなく
言われて 三つ目が一番面白かった んですけれども 大企業のコラボ
っていうのは しょっちゅう話が 来るんだと それを全力でお断り
してるんだ すごくロックな会社 で とにかくクリエイター 特にアーティスト
とかそういう人たちをエンパワー して 彼らが 例えば 映画を作る
にしても スポンサーとかに頼ら ずに 自分が作りたいものを作る
っていうのをエンパワーするのが キックスタートかなと 大企業の
コラボなんてのはもってのほかだ ということで ただ 三つ断れたんですけ
れども 最後になんとなくエール を送られたように感じたんですね
それは何かっていうと そんなに お前が自分の考えがいいと思うん
だったら 自分でやってみたらいいん じゃないって言われたんですよ
本当にそう言ったかどうかは今でも 覚えてないんですけれども そう
感じたんで なるほど 自分でやる っていうのは考えたことなかった
なと思って 日本に帰って そこから 仲間を集めを始めた そんな感じ
ですね
キックスターターの挑戦
スピーカー 2
そう キックスタート自体はだって まだ2009年にローンチされたって
書いてますから
スピーカー 1
2012年はまだ3年目
スピーカー 2
まだ3年だから 本当 もうスタート アップもスタートアップっていう
スピーカー 1
時期でしょうね
そうですね 当時は 今はもう会社 本社はなくなっちゃったんですけ
れども 当時はニューヨークのマンハッタン の下のほうにあって 今でも置いて
ますけど 階段を3階ぐらい登った ところ 薄汚いドアを入って 階段
登った先にあるみたいな そんな 会社でしたね
スピーカー 2
そうか なるほど 創業3年のスタート アップだとしたら その大企業やん
ないとか 英国圏からスタートみたいな ところに関しては すごく真っ当な
戦略っちゃうね 真っ当すぎる
スピーカー 1
そうですよね すごくフォーカス してるし 当時の戦略としては すごい
良かったなと思うんです いわゆる シリコンバレーとかのスタート
アップと ちょっと違ってて 東海岸 のスタートアップなので 若干 スノブ
というか すごくこだわりが感じ られる社風だった気がしますね
当時から その後も結構大きくスタート あって Bコープで受けて 自分たち
は絶対に上場とか売却とかしないん だとか いうことを自分たちの定
感に変えたりとか 結構 他のスタート アップとは違う感じがしますね
今でも
スピーカー 2
そうなんだ でも 東海岸の東海岸 のスタートアップ文化の違いで
いくなら 東海岸のほうがやっぱり 金融に近いんで 金融世界をうまく
活用するイメージあるけど 何か 違うんですね
スピーカー 1
やっぱり もともと創業者の人たちは 金融出身でもテクノロジー出身
でも全然なくて 音楽のプロデューサー みたいなことをやってたりとか
ジャーナリストやっていたりとか っていう そういうチームなんですね
もともと ジャズのコンサートを やりたかったの 箱も押さえて アーティスト
も押さえて いよいよこれからチケット を売るだけみたいなところで 自信
がなくて 最終的に箱 会場をキャンセル しちゃったらしいんですね それが
すごくトラウマになっていて あん とき 絶対にアーティストはすごく
いいアーティストだったし 売れたら 絶対 みんな買ってくれたし 来てくれたら
喜んだだろうなと 何とか先にアイデア をみんなに公開して それに対して
シーンを募ることができないかな みたいなところからスタートしてるん
ですよね すごく ある意味純粋 ピュアなところからスタートしてる
なっていう感じがしますね
スピーカー 3
みたいな話を 僕 2012年に 松崎さんと久しぶりに再会をした
ときに聞いて っていう感じですよ ね
スピーカー 1
寺田 まさにそうです なので 学長 とは結構 創業したばかりの頃は
いろいろとアドバイスに乗って いただいたりとか 言ってました
スピーカー 2
学長と仲良くお付き合い しましたのは どちらかというと
楽天辞められて きび団子を作って 立ち上げて みたいなぐらいから
スピーカー 1
のほうが
寺田 そんな気がしますね
スピーカー 3
立ち上げ直前
スピーカー 2
今も何かやってるんですか 学長 エアシャイン的な そんなこと
スピーカー 1
ない
寺田 エアシャイン
スピーカー 3
エアシャインといえばエアシャイン
スピーカー 1
寺田 エアシャインといえばエアシャイン
寺田 名刺を作るの忘れてました 十何年間
寺田 ぜひ
スピーカー 3
それで僕がちょうど三宅さん と会ったときって 2011年が東日本
大震災があって そのときに僕 南三陸町のお手伝いで 花火大会
をやりたいっていう町の人のプロジェクト のサポートをすることになり 当時
クラウドファンディングとかもない 中で 楽天の共同購入っていう機能
を使って 2000万円分の花火玉の 手元に届かない花火を買ってもらう
っていうプロジェクトをやった ばっかだったんですよね それの話
スピーカー 1
したら松崎さんから それクラウド ファンディングだねって言われて
素晴らしかったですね あの話は
スピーカー 3
あれはいい仕事したなって
スピーカー 1
本当にクラウドファンディング って 今もずっと同じ疑問をもん
もんと抱えてるんですけど 一体 何なのかなみたいなことって思うん
ですよね インターネットが出て きたときに インターネットって
一体どういう概念だろうみたいな インターネット的とか 糸井茂さん
の本が出たりとかしましたけど クラウドファンディングに似た
ような感じで クラウドファンディング 的なものって世の中にいっぱい
ゴロゴロ転がってるなと思って て またそれをクラウドファンディング
クラウドファンディングの魅力
スピーカー 1
って名をつけたのがKickstarter だったりとかだったのかなと思
うんですけど 自分の一生のテーマ でもないですけれども クラウド
ファンディング的なものをどうやって 形にしていくかみたいなのが一番
ワクワクしてるとこですね
スピーカー 3
特にその頃なので震災後 だから 糸井茂さんとかで
スピーカー 1
そうそう
スピーカー 3
寄付
寄付を募るみたいな形のやつ が多かったんですけど 楽天市場
のガイドラインで寄付は募ってはいけない っていうのがあって 寄付は募
れないっていう制約条件が
スピーカー 1
面白い
スピーカー 3
それで何かを買ってもらわ なければいけないっていう じゃあ
手元に届かないけど花火玉を あの花火玉は自分が買ったんだ
ぐらいに思ってもらうことしか できないけども 一発いくらみたいな
そういう商品を作って なんとか 社内の審査をくぐり抜けました
スピーカー 1
すごいですね クリエイティブ ですね
スピーカー 3
やっぱりそのとき思ったし 松崎さんと話してた記憶が鮮明
なのは やっぱ投稿交換的なクラウド ファンディングがいいよねって
スピーカー 1
話ね
松崎 教えましたね
そうなんですよ やっぱり Kickstarterも結構大事にして うちも
大事にしてるんですけど やっぱり 投稿交換 払ったほうが払っただけ
あるいはそれ以上の価値が返って くるっていうふうに感じるって
すごく大事だなと思って それが できると長続きする 要は寄付
だとやっぱり1回寄付して 毎年 寄付するとかって だんだんだん
気が重くなってくるみたいなところ があるとか なんだけど やっぱり
自分にとって価値が戻ってくる なと ずっと支援し続けられるっていう
ところが投稿交換の魅力だなという ふうに感じてました
海外プロダクトの紹介
スピーカー 2
面白い 今はもうあれですもん ね 結構 僕も君なんか登録してます
けど
スピーカー 1
松崎 ありがとうございます
スピーカー 2
ガジェット的なやつが結構 多くて楽しいですよね
スピーカー 1
もともと私がKickstarterとか で どんどんガジェットとかを支援
して 自分のきび団子でもいろんな ものを支援してるんですけど それ
を除いても 多分 500件ぐらい 支援 しているんですね
おだしょー すご
ちょっとよく言うんですけど 嫁には絶対に言えない金額支援
してますみたいなことをよく言 ってますね ガジェットが好きな
のと あとは 実はうちのきび団子 って 他のプラットフォームとちょっと
違っていて 半分ぐらいは実際に いろんな方がそこでプロジェクト
やっていただくので われわれは プラットフォームとしてお手伝い
してるんですけども もう半分は われわれが直接プロジェクトを
企画して開催してるんですね ほとんど全てが海外のメニューカー
さんで 海外のスタートアップの 会社が日本でプロダクトを出したい
んだけども 自分たちだけでは出せ ない なので それをお手伝いして
われわれがマーケティングとか 日本語のページを作ったりとか
いうかたちでサポートして 実際 うまくいったら その商品をわれわれ
が日本に輸入して 皆さんにお届け するところまでやるということ
でやってます なので 結構 海外 もののガジェットが結構多いように
見えるんじゃないかなと思います
しばやん
そう それも きびだんご始めて しばらくして その当時ってクラウド
ファンディングブームみたいな のがあって ウゴのたけのこみたい
にみんながクラウドファンディング を立ち上げたんですね 100個ぐらい
やったんじゃないかなと思うん ですけれども これだと何の差別
感もできないよねみたいな モンモン としてるときに 自分がKickstarter
のプロジェクトがすごい支援してて 好きだったので いろんな人たち
に話をしてたんですね この商品 すごくいいけど 何で日本に持って
こないのみたいな話をすると みんな 同じ答えをするんですね それは
何かっていうと 自分たちは もう 今 頑張ってるんだけど チームが
小さくて メインのマーケットは アメリカとかヨーロッパで 興味
はあるんだけれども 全然それやる 力っていうか 余裕もないんだよ
ねと 誰かいい人いないみたいな ことを言われて みんな同じこと
言うなと思って だったら ちょうど 自分たちはクラウドファンディング
のプラットフォームをやってる し いろいろ超えればうまくいく
とかっていうのもアドバイスしてる ので 自分たちでやればいいんじゃない
みたいな感じで手を挙げたんですね 最初にいくつかやったら 事ごとく
うまくいかなくて 自分たち偉そう に こうやればいいとかって言って
たのに 全然だめじゃねえみたいな 感じだったんですけれども ずっと
やってるうちにうまくいくプロジェクト も出てきて それで うまくいった
ねみたいな感じで じゃあ こうすれば もっとうまくいくんじゃないみたいな
感じでやって 今に至るっていう 感じなんですけど
スピーカー 2
今 僕 キビ団子をウェブサイト でもう一回見て 上のほうに出て
きてるパソコンX68000を復活させる というやつに もうすぐファンディング
しそうになる
おもろおもろ
おもろ世代
スピーカー 3
世代ですよね
スピーカー 2
世代ですね いや 多分 めちゃくちゃ 僕 このキビ団子のターゲット
しそうになってる
スピーカー 1
結構 クラウドファンディングって サイトを訪れる方って 本当に若い
方からたくさんいらっしゃるんです けれども 結構 支援される方は 僕
と同世代の方も多いですね さっき のX68000とかも 本当に これで育
ったんだみたいな ゲームクリエイター の方とか そういう方がたくさん
いて みんなが一緒になって応援 して 実現したみたいな そんな
感じだったので それは楽しかった ですね
スピーカー 2
いいですね ということで まっちゃん の紹介だけで 歴史の1ページだけ
で第1回が
スピーカー 1
早いですね
スピーカー 2
もうそれなんか十分になってしま ったので 続きは第2回で またお
話聞けたらなというふうに思います ということで また来週
31:02

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