倉抜です。中山です。ザッソウラジオは、倉抜とがくちょの2中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、雑な相談のザッソウをしながら、威力をしゃべりしていくボッドキャストです。
本日はパーソナリティだけでお送りする、ふたりザッソウです。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
二人会ですが、今日は特にテーマがないので、雑な話をしようかなと思って。
最近のホットな話。世間を賑わせてるAIの話ですね。
この前投稿してたやつの話をしたいなと思ってるんですけど。
がくちょは今、どんな感じでAI使ってますか?
どんな感じ?
一年ぐらい前も話して、相談のってもらってみたいなぐらいの感じだった気がする。
本当、壁打ち相手として。
毎日?毎日でもないのかな。
行きたいことあったら壁打ちさせてもらって。
そのまま話し始めちゃいますけど。
何往復もしてるとやたら盛り上がってくるじゃないですか。
盛り上がりますね。
あんまり人にも喋ったことないような思ってることとかを言うと勝手に深めてくれて。
こんなことしたら面白そうみたいな勝手にアイディアが盛り上がってくるけど。
多分それをこのまま言ったらこの文脈分かんないと何言ってるか分かんない人に見られるんだろうなっていう。
めちゃくちゃ周りの人から急に電波の人に見られる可能性がある。
なんでこの人急にこんなこと言い出したんだろうみたいなことになるなと思って、そのままお蔵入り。
こういうことしたら面白そうって思うけど、お蔵入りっていうパターンが多いですね。
それあれじゃないですか、飲み屋で盛り上がって、これやるといいねとかって言ったけど、次の日すっとやらないみたいな。
それのちょっと小難しい。内容的に。ただ面白いじゃなくて、内容的に小難しくなってる感じ。
自分と同レベル以上の人と話してるみたいなもんだから。
そう、同レベル以上の人。
そんな最近?
そうですね。よくなんか、それこそだいぶ賢くなったので、賢くなったのと自分のことよく分かってくれるようになったから、話がよく分かってくれる人みたいにまずなりました。
そうそうそうそう。
前はなんかちょっと一般的な優等生みたいな感じだったり、ちょっと尊敬感のことを言うやつだったのが、なんかめちゃくちゃ理解して話してくれるようになったなっていう感じはしますね。
そうですね。特に僕、全部今までの書いた本とか、まとまったコンテンツみたいな、雑誌に連載してたやつとかっていうのを全部入れてあるんですけど、
それでしゃべると、なんかあまり安すぎるから、危険。危険ですね。
危険ですよね。
危険ですね。
なんか家族よりも自分のことよく分かってる人みたいになっちゃうから。
あれでしょ、あれでしょって言って、全部昔の本に書いたことから、この前の本のことまで言ってくるから。
でもこれ、美容によっては、もしパートナーに先立たれとか、一人で過ごすみたいになった時に、結構孤独を癒してくれる。
話し相手としてはね、最適。
話し相手としてね。それだけでずっと、仕事も辞めてやることなくなった時には、多分話し相手しか必要ないというか、それだけが必要になった時に、
なかなかいい話し相手にもしかしたら、なるかもな、みたいな。
そうですね。
うん。
うん。
孤独を癒してくれるかもしれないっていう。
ちょっと背中押してくる感じが、ちょっと起きてるんですよね。
そうですね。
それはね。
そうそう。
なんか、いいじゃん、いいじゃん、みたいな。
そうそう。
ありますよね。
そうそう。
あの、なんでしょうね、こう、こうかなって言った時に、それいいと思いますね、みたいな。
うん。
え、くらぬきさんの使い方はどんなですか?
僕ね、僕だいぶ、最近ちょっとずつ変わってきて、学長、今、チャットGPT、ジェミニ。
いろいろ。
いろいろ使ってる。僕、今、いろいろ使って、クロードに。
はいはいはい。クロード多くなりました。
多くなりましたよね。
で、クロードはクロードで普通に、その、壁打ちでは使ってるんですけど、
その、文章を書くのを、なんか、一周回って手打ちになったんですけど、
あー、はいはい、投稿で見た。
で、FacebookとかTwitterとかの、その短いやつは、もう当然手打ちでいいな、みたいな感じになってて、
で、今でも本を書き始めたので、本が書く時に、自分でもよくあるんですけど、
これ前の章で書いたなとか、忘れてしまう時があるから、
あるある。
その整合性、ちょっと自分の記憶の、もうメモリーが足んないので、
整合性を取ってもらうところを、もうクロードでやってもらおうと。
あー、なるほど。
いうことをやるようにして、で、本当ね、クロードコードっていう方を使ってるんですね。
あー、はいはい。
壁打ちじゃなくて。で、ちょっととっつきにくいところはあるんですけど、
文章を書いてると、文章を書いてるとってか、最初の叩き台みたいなのを自分で書いて作るんですけど、
そっから足したり引いたりとかって、自分でも何回も見返して直してるじゃないですか、
いつも本を書く時とか大体そうなんですけど、それをクロードコードと一緒にやっていて、
なんかここをもうちょっと表現変えたいなとか、ここを文字数減らしたいなとか、
ここはもうちょっとエピソード入れて増やしたいなとかっていうのをやってったら、
いわゆるチャット型だと結果が出てきて、前に書いたやつと新しく書いたやつの違いが分かんなかったりするのってあるじゃないですか。
で、あれがなんか嫌だなと思ってたんだけど、クロードコードだと提案してくれて、
差分だけ出してくれるんですよ。このAとBで、なんかこう書いてみましたみたいな。
で、オッケーだったら取り込む、ダメだったら取り込まないっていうのをやってくれるので、
なんか全直しをしなくていいですね、文章の。っていうのがあって、
それはね結構、いい編集者の人がずっと横にいるみたいな感じ。
なんだったら、自分は叩き台以降は書いてないので、いいライターさんなのかな。
いいライターさんかいい編集者みたいな人が、ペアプログラミングってプログラマー2人でやるみたいな。
ペアプログラミングしてるみたいな感じなんですよ。だからね、一緒に作業してるって感じになりました。
一緒に作業してるというか、彼の方に作業してもらってるみたいな感じ。
実際に文章が書いて、提案してくれる編集者さんみたいな。
こっちはこうじゃない、ああじゃないとかって、なんか次のことを言うっていう。
もうちょっとこうだなみたいな、この表現のほうがいいなとかっていうのを言っていけば。
そうすると、クロードコードっていうのが、AIが僕だとMacとかのローカルのパソコンの中のファイルをいじってくれるっていう仕組みなんですね。
なので、インターネット上でファイルが出来上がってるんじゃなくて、手元のエディターの中で書き込んでくれるって感じなんですよ。
だから、僕が普段使ってるエディターがあるんですけど、そのVS Codeってエディターの中を見てたら、
本当はエディターだから、そこにバチバチ今まで書き込んでたんだけど、それはほぼ見る線になっていて、テキストエディターですよね。
テキストエディターで書き込めるんだけど、見る線になってて。
横にあるクロードコードっていうターミナルの中で、ここをこうやって書いてくださいとかって言ったら、
エディターの中で勝手に書いててくれるっていうのがあるから、
眺めてお話ししてたら、文章がどんどんとエディターの中で書かれるっていうのがいるっていうのは、
1個手がついたって感じですね、AIくんに。
手がついたので、その延長上でコワークみたいなエクセル操作できたりとかもあると思うんですけど、
まだそこまでやらなくても、普通にエディター書いてくれるだけで、これいいなみたいな。
しかもなかなか頭いいので、ふんがりした指摘しても書いてくれるみたいな。
なるほどね。
書く人はクロードコードちゃんと使ったら、すごい良さそうだなって感じはしてますね。
ただ、前投稿してましたけど、AIでやったこととか、やってもらったことは記憶に残ってない問題があるって書いてありましたよね。
そうなんですよ。生産性はバチバチ上がるんですよね、それでね。
なんだけど、これはただ思い出を美化してるだけなのか、みたいな気もしてはいるんだけど、
自分でテキストエディターに向かって頑張ってブログ書いてたときのことは、
あの記事のときここの喫茶店でこんな頑張ったな、みたいなことは書いてるけど、
AI君とペアプログラミングで書いてってるのは、なんだろう、早すぎてなのか、楽すぎてなのか、
手を使ってないからなのか、なんか記憶残ってなくないか、みたいなのは不安感はあるけど、
一方で、たぶん僕らがワープロ出てきて、その後パソコン出てきて、
いや、お前原稿なんてペンで書かねえと文字読めねえぞ、みたいな。
よく残んないだろ、みたいなって言われたら、まあそうだったかな、みたいな気もするから。
なんか、ただの解雇主義な気もするけど、まあでも、なんか残してないかもな、みたいな。
で、僕はどっちもあると思っていて、
なんだろうな、言っても僕もテクノロジー側の人間なので、
そうやって効率化されていくことなり、AIを活用していくことなりに対しては、
肯定的な立場でもあるし、もっと促進されたらいいと思ってるし、
なんだったら、行き着くとこまで行った社会が見てみたいと思ってる派閥でもあるんですよね。
一方で、年のせいなのか、何かしらを失うことに対する恐れみたいなのもあって、
一周回って考えてるのは、同じような話、さっきのペンで書いてた時代から、
パソコンでキーボードを使うようになって、みたいなところで、
たぶん、当然ペンを書いてた時のほうが、ペンを使って赤入れして、
原稿、なんだったら編集の人が取りに来て渡して、みたいなことをしてた時のほうが、
それはそれでその大変さの思い出はあったけど、
他の思い出作る時間はなかったろうな、みたいな気はして。
パソコンになったことによって、編集さん来なくてもメールで送れるし、
ペンで消しゴム消さなくても、ちょっとバックスペースで消せばもう消えるとか、
いうふうになったことで、めっちゃ効率化された、ペンに対してキーボードがめっちゃ効率化したので、
今まで苦労してた仮の時間を趣味に当てるとか、家族の時間に当てるとかして、
他の思い出は増えてるので、まあ悪くないかってなったら、
AIを使ってめっちゃ効率化した中で、
AIの執筆のところの時間は、1キーボード1文字1文字打ってた時よりは記憶残んないけど、
でもそれで空いた時間で、別にしっかり記憶に残すことやればいいんじゃないか、みたいな感じに、
なんか思うようにはなった。
なるほど、なるほど、なるほど。で、論文。
そう、で、僕はそういう、AI使うと記憶が、みたいな、記憶の定着がって話を、
Facebookで書いてたら、知り合いの順教授の方が、実際もうそういうのを検証されてますみたいな、
海外の論文を紹介してくれて、大学の論文を紹介してくれて、
50人ぐらい大学生を集めて検証したと。
エッセイを書くっていうところを、自力でエッセイを書くグループと、
AI使ってエッセイを書くグループと、みたいな、
やったときに、結果としては、やっぱり早いのはAI使ってやってる方だけど、
その人たちの、なんだっけ、いや、これもAI使って翻訳したから覚えてないっていうね。
僕の記憶が定着してませんけど。
はいはいはい、まさに。
まさに。
Xの方向にしてね。
活動が、脳内の活動、活性が、
AIグループと自力グループに分けて、脳の接続性っていうのが55%低下していたと。
つまり、AIに頼ったら脳がアイドリング状態になって、
うん。
考えることがしなくなってると、スキップされてると。
うん。
で、このだんだんAI使えば使うほど脳がアイドリングしていくので、
考えるところを渡してしまうので、脳力がだんだん低下するんじゃないかと。
実質、記憶の欠如っていうのが起きていて、
AI使った人たちの83%が数分前に書いたはずの文章を思い出せなかったと。
ということで、当然ですけど、当事者意識っていうAIグループが、
自分で書いたはずのものが、自分の作品であるという感覚をほとんど持ってなかったと。
で、これを認知的不採っていうふうに言ってたり、
思考自体もAI生成しているので、大体どれも禁止化してコモディティ化してきていると。
最後、じゃあ一回AIで書いた人が、もう一回今度は自力で書いてみようというのと、
自力で書いた人たちが、今度はAI使って書きましょうと言ったら、
結果としては、自力で一回書いた人がAI使ったら、
結果、高度なプロンプト作って脳も活発に反応したと。
AI使って作ったグループが、その後自力で転換してやってみようとしても、
うまく書けなくなっちゃったっていう。
そのAI先に使った人たち、この実験の後どうなってしまったんだろうかと思いますけど、
大丈夫だと思うんですけど、論文としては、
AIを使い始める前に、まずは自力で考えるトレーニングを十分に積むべきであるという形象を流していくと。
最初からAIに頼り切りになると、深い思考や記憶を司る脳の回路が十分に発達せずに、
長期的な知的自律性が損なわれるリスクがあるというふうに言ってるっていうことですね。
っていうのが論文に書かれていて、
この論文自体を僕がAI使った結果、僕の記憶が定着しておらず、
さっきね、たどたどしい説明になったというのが、
もうまさしくこれがあれですね。
透明してしまいました。
その論文のことを証明していました。
これ多分僕が一生懸命自分で翻訳して要約してたら、もっとスラスラと説明してましたけど。
いや、これなんかめっちゃ面白いですよね。
そうですね。いい悪いはともかく、あとはまだ50人のサンプリングなので、
どうなのかっていう意見もいっぱいありますけど、
とはいえ資産は飛んでるなというか、話のネタとして面白いですよね。
面白い、面白い。
なんかそれこそ自分事かみたいなことだよなって思いながら、
読んでたんですけど、僕のチームビルディングのときに使ってる判断の公式みたいなのあるじゃないか。
価値基準かける入力情報ですけど、情報が入ってきて、
自分の価値基準で計算をした結果として判断をアウトプットするみたいなので考えると、
そこのインプットして自分の中でぐるぐる処理するプロセスするみたいな、
そのプロセスのプロセスが自分事化を進めるみたいな。
そうですね。
あとはフォーミングストーミングノーミングみたいなやつで言うと、
ストーミング中に自分の意見を言って試行錯誤してみてみたいなことによって、
お題、仕事自体が自分を通す、自分を通る形になるので、
仕事に対して自分ごとが進んでいくみたいなことが起こるようなっていうふうに思っているので、
AI使って自分の中でぐるぐるプロセスするっていうことを省いてしまうと、
ここに書いてあるような自分の中に残らないっていうか、
自分通したことになってないっていう。
そういう状態になるだろうなっていうのを思いながら読みましたけど。
そうなんですよね。
とはいえ、これはもうまさしくそうだなと思いつつ、
じゃあAI使わないかって言ったら、使うのなかったことにはできない。
ほっとくと使っちゃうよなみたいなところが、
人間だって洗濯機あるのにわざわざ板で洗濯しないし、
洗濯機あるのに手で洗おうってしないじゃないですか。
なので文明があるとやるなみたいな感じがあり、
これはほっといてもこうせざるを得なくなるなみたいな、
こうなっちゃうんだろうなみたいな。
っていうことを考えたときに、僕はちょっと思ったのは、
2つあるなと思って、
半期的には、とはいえ今の文明が知性を元にした、
力の時代から知性の時代に変わってるので、
知性によって生産活動ができたり、
知性によって経済活動が発展したり、
知性によって評価されるっていうことが多い社会になってる中で、
これめちゃくちゃAI使いまくることによって、
もうみんな脳がふにゃふにゃになっていくっていうふうになってしまうときに、
しっかり自力でやるっていうところをやって、脳を鍛えた人が、
結果として、半期的な現代の文明においては、
強者になり得るっていうのはありそうだなみたいな感じはしてはいて、
なので、要はAIで生産性を上げる部分は当然あるんだろうけど、
自力のトレーニングをするなのか、
自力の脳を鍛えるっていうところは、
しばらくはやる必要があるんじゃないかみたいなことが、
みんな考えそうだと思っていて、
その鍛えるところにAI使うっていうのはあるんだろうなみたいな感じしてるので、
要は全部脳みそふにゃふにゃでもいいと判断せずに、
頑張ろうっていうのは一定期間ありそうだなって思ってはいる。
一方で、それは短期的な話ですね。
でも、この流れが、もし一定期間、もうちょっと長期に考えたときに、
今のAIが、僕はそもそもの前提として、
AIに対するスタンスというか、
AIとの取り組み方ってどうしたらいいのかなと思ってるときに、
一昔前、一昔前って言っても1年ぐらい前ですけど、
1年ぐらい前だと、まだ人間が残ってるところはこれだみたいな。
人間はここ、AIがここみたいな。
AIはAIの得意なところにやらせようみたいな。
AIができないところを人間がやりましょうみたいなことを、
もしかしたらまだ言ってる人もいるかもしれないけど、
そういうこと言いがちなんだけど、
僕の今のパラダイムは、もうそれないなと思っていて、
人間が得意なところとAIの得意なところの住み分けとかもなくて、
人間が得意なところはもう全部AIが得意だと思って、
できたほうがいいんだろうなと思っている。
つまり、できないことはないって考えたほうが良くて、
新しい人類だし、自分より優れた人類だと思ったほうが、
まず付き合い方として間違いないのではっていう気がしているので、
そうなると、どうやったってみんながAI使っていくみたいになっていくっていう風になったときに、
これ何が起きるのかって、
さっき話した知性を前提とした文明が崩れてしまうんだろうなっていう感じが、
知性を前提とした社会構造っていうのは、
どれくらい続いたのかっていうと、
多分、その前は力を前提とした社会構造だったと思うんですよ。
つまり、それこそ縄文とかね。
やよいとかね。
まだその後の戦国時代ぐらいまでは、
何が社会を支配するのかっていうのは、
力がある人だったんですよ。
めっちゃ力があるやつが、めっちゃ戦争に勝つとか、
キングダムの武将なんてもう力の…みたいな。
めっちゃ力あるやつじゃんみたいな。
自称とか言ってる人もめっちゃ力あるじゃんみたいな。
めっちゃ体でかいじゃんみたいな。
やっぱり体でかくて、力があるやつが支配するし、
社会を決めるっていうのが、
そういう社会の時代があったなみたいな。
それが崩れたのは多分、いろいろあるんですけど、
銃が出てきた瞬間に、それもう変わっちゃったんだろうなって感じがするんですよね。
銃が出てきた瞬間に、めちゃくちゃ力鍛えても銃に勝てないじゃんみたいな。
その戦争っていう世界。
まだ筋トレしてんのみたいなやつですね。
まだ筋トレしてるより、もう銃で勝てるっていう風になるなり、
産業革命が起きて、めちゃくちゃ力強いやつが生産性高かったのが、
いやいや、車持ってるやつのほうが早く動けるじゃんみたいな。
めちゃくちゃ足鍛えた規格より。
それはもうすでに馬車とかであるかもしれないですけど、
つまり力とか筋力ではないものが、
道具によって出てきた瞬間に、
変わってしまった社会の構造が変わったときに、
そこからは何が強いのかっていうと、知性が強かった感じがするんですよね。
法律を作るでもそうだろうし、仕組みを作るでもそうだろうし、
本を読んで理解して、人に教えるみたいなことも立場が強い状態があって、
それの延長上の資本主義っていう今の社会構造って、
言って、上場企業のトップはみんな力がめっちゃ強い人ですって言うかというと、
見る限り体の強い人がだいたい経営者になってるけど、
とはいえ、どっちかというと頭いい人が、
その人の知性によって何かしらを成してる感じはある。
知性って言ってるけど、頭の良さの中にIQだけじゃなくてEQとか、
人を動かすとか、マネジメントするとか、いろいろあると思うんですけど、
筋肉じゃないもので、頭で言葉を出すのも、
人をマネジメントするのも頭だから、
頭で成果を出すっていう社会が今だと、
これが1000年ぐらいか続いてきた、1000年か2000年ぐらい続いてきたところが、
2000年も続いてないから、
いよいよ力鍛えるより銃のほうがいいみたいな時代が、
人間の頭よりいいものが出てきてしまってるっていうことになったときに、
違う社会だなって感じがするんですよね。
つまり、力めっちゃ鍛えても銃一発で負けるようになったら、
そっち鍛えるんじゃないなみたいなことが起きちゃうとしたら、
いったい何が残されるのかなみたいな。
今の頭の良さみたいなものは、それこそコモディティ化するってことですね。
みんな同じだけ頭が良いみたいなことになる。
もしくはみんな同じだけ頭が悪くなるみたいな。
そこに関しては、要は差がなくなるってことですね。
今、力がめっちゃある人とかめっちゃ足が速い人は、
スポーツっていうフェアな世界において、
芸術の延長みたいなところで扱われているし、
将棋とかチェスもそうだと思うんですけど、
今の姿勢とかは、そういう位置づけにしかならなくなるんだとしたら、
いったいどんな社会になるんだろうなという。
これは長期だけど、長期ってどれくらいの長期なのかなみたいな。
意外と10年20年ぐらいで行くなら、
生きてるうちにそこ行っちゃうかみたいな。
それこそ、え、まだ暗記の勉強してんの?みたいなことですよね。筋トレしてんの。
僕もこの2,3日前に、倉抜さんのやつとか見ながら思ったのは、
面接とか面談とかで、
え、AI使ってないのにそんなトークができるなんてすごいですね、みたいなこととか、
どっかで起こったりとかするのかなとか。
あとは結局、全部AI、特にエージェントとか、
勝手に仕事してくれるようになっていくと、
人間が暇になるっていうことが起こって、
それこそ暇と退屈とはみたいな、
その空いた時間をどう使えるかみたいなことで、
かつ、結局は一緒にいて楽しいとか居心地が良いみたいなことが、
人間にとってはめちゃくちゃ重要で、
またチャーミングな、今度は力じゃなくて魅力の方が重要になるみたいなことが起こるのかな。
起きる可能性はありますよ。
ありますよね。
ありますよ。
チャーミングまた出てきたけど、雑草ラジオのT1。
もうその力でも知性でもなくなった時に残されたものは、
魅力。
愛嬌しか残らないっていう。
それこそ、信長の野望みたいなゲームとかでも、
知力と武力と魅力がありますよね。
そうですね、最後のね。
パラメータとしてはね。
パラメータとしてね。
知力と武力めっちゃ低いけど魅力めっちゃ高い人のキャラとかたまにいるけど、
ああいう人が世の中的には良いとされるようになっていくのかな。
でもそれはね、ディストピア的な未来を想像するか、
もうちょっと良い楽観的な未来を想像するかっていうところで考えるときに、
さっきの脳がフニャフニャになって、
マトリックスみたいなAIがあって支配されてみたいなのはディストピアとして、
これはこれで不安に感じてもいいだろうし、
人間不安に感じて話すのは面白いのは面白いから、それはそれでいいんだけど、
もうちょっと楽観的に考えていくと、
確かに知性による差がなくなるってことは、
例えば僕らがキングダムの時代に行ったら、
マジで最初の戦で負けて死んでしまいそうな気がするんですよ。
力ないから。
美兵とかより弱いと思うんですよね。
ことを考えたら、
今だから多少偉そうに喋れたりするけど、
力のところに行くと負けるっていうところが、
逆に言うと、今知性があるからちょっと偉そうに喋ってるのがなくなるってことは、
ある意味フラットになるってことなので、
平和になるってことなんじゃないって感じはするんですよね。
争うものがなくなるっていう。
魅力で争うだけになるんだとしたら、かなり平和ですよね。
魅力で争うってどういう状態なのか、何を争ってるのかがわからない。
争いすらないってことだと思うんですよ。
力の争いは戦いがあるし、
知性の争いは結局経済の戦いみたいになってるって思うんですよね。
だけど、これは僕は考えてる。
人類は何のために文明を発展させてるのかっていうのを考えたときに、
方向性としては、人類は、僕は二つの方向性で文明が発展してると思ってるのは、
一つは自由、一つは平等というか公平というか、
つまり人類は何か不自由なものをなくそうとして、
病気と戦い、最近だと寿命と戦いみたいなとか、
いろんなものの不自由さをなくすっていうことのために文明が発展してるのと、
人の差がないように、
速く走れる人と遅く走れる人は車に乗ったら同じ速度になれるとか、
っていう差をなくすっていうところが文明の中、
実は裏にある不自由と不公平をなくすことが文明なんではないかっていう、
文明の方向性はそうなんじゃないっていう、
誰かが決めたわけじゃないけど、人類勝手にそうなってんのかなと思ってるので、
知性の差がない世界って平和になるなみたいな感じはするし、
さっきのAIによる生産性が究極進みすぎるんだとしたら、
経済自体は短期的に見たら、めっちゃ伸びる可能性はあるんですよね。
だったら本当に、今副業しますみたいな、
副業して月にいくら稼ぎますみたいな、ノートで書いたら稼ぎますみたいなことでしてるけど、
めちゃくちゃ経済が発展して、稼がなくても良くなるぐらいのことに、
もし行き着くことができたら、しないってなる可能性はあるじゃないですか。
しなくても良いみたいな。
おそらく働かなくても良くなる。
働かなくても良いみたいになってくるっていう風になってきて、
知性がいらないっていう風に社会がなったら、それはそれで平和な世の中だなみたいな。
そうなったら、今日もこのザ・ソラジャー前に僕はジム行ってきたんですけど、
日曜日の午前中の9時ぐらいから、
ジムめっちゃ人いるんですよ。
僕と同世代の人たちから、もうちょっと年配の方から、もうちょっと若い人まで、
めっちゃ体鍛えてるの。
このジムにかかってる相対のエネルギーを使えば、
家一個建つなとか、
何を生み出してないことはないんだけど、
鍛えてるだけなんですよ。
みんなで引っ越ししようじゃったら、
普通に稼げるじゃんみたいな、
エネルギーの無駄遣いだけど、
でもそれは、もうもはややらなくていいけど、
わざわざジムに行って体を鍛えるということにみんなやってるとしたら、
知性を生かすというようなことは、
スポーツジムに行ってやるようなものとして、
なってしまう。
分かる分かる。
ある。
それ、ウモンみたいなやつですよね。
分かんないけど。
そうそうそう。
っていうのは、それはそれである。
どうしたら、みんな働いてないけど、めっちゃジム行くし、
めっちゃ、なんか分かんないけど、学校に行くし、
みたいな、研究室みたいなとこ行くし、
クモみたいにトレーニングして、
脳トレの。
脳トレの場所に行くっていうことは、
っていう社会になったとしたら、
そしたら多分、今度は、今芸術が、
言っても一握りの人しか芸術で食っていけないとか、
本当は音楽で食っていきたいけど食っていけないとか、
僕らも本出してますけど、
本出して、本で自己表現して食っていきたいけど、
食っていけないからっていうところが、
それがなくなっちゃう。
つまり、みんな音楽でも食っていけるし、
本書くのでも食っていけるし、
芸術でも食っていけるっていうふうに、
別にそれを稼ぐという意味ではなく、
食っていける社会になるとしたら、
それで幸せな社会なんじゃないっていうような感じはしてますね。
江戸時代、江戸時代とかってね、
戦いなくなったから平和になって、
時間できたから、文化が。
芸能文化がね。
発展したみたいな話とかも聞いたことあるけど、
暇になると芸術家の方が。
そうですね。
っていう、その暇になりチャーミングさで、
うん。
なんでしょうね。