ザッソウラジオは、ソニックガーデンの代表・倉貫義人と仲山考材の仲山進也(がくちょ)が、2人の友だちをゲストにお招きし、ゆるーくおしゃべりするポッドキャストです。
ザッソウとは「雑な相談」のこと。毎月、さまざまなゲストとザッソウしています。
★
今回は、倉貫さんとがくちょの2人ザッソウ。倉貫さんの雑考「技芸的世界観」について、おしゃべりしました。
★今回のザッソウ★
仕事の世界観が異なる/技芸的世界観とは/「遊ぶように働く」/オタクと探究心/プログラミングを遊ぶ/目的は広くても多くても良し/MTMとTMT
★おたよりフォーム★
ザッソウラジオでは、リスナーの皆さまからのメッセージをお待ちしています。ポッドキャストの感想や倉貫&がくちょへ聞いてみたいこと、下記リンクのフォームからお気軽にどうぞ。
[おたよりはこちらから↓]
https://forms.gle/vry2F9eaL3BMDqfo9
感想ツイートのハッシュタグは、#ザッソウラジオ でお願いします。
---
ザッソウラジオは、毎週水曜日のAMに更新しています。
次回の更新を、どうぞお楽しみに☺
◈ザッソウラジオ公式Twitter
https://twitter.com/zassou_radio
◈ザッソウラジオ公式サイト
サマリー
このエピソードでは、倉貫さんとがくちょさんが技芸的世界観と労働的世界観の違いについて議論し、仕事を技芸として捉える重要性を強調しています。また、遊びを通じた学びや成長が仕事においてどのように価値を生むかについても触れています。技芸的世界観と労働的世界観が対比され、参加者はウェルビーングのために働く意味や仕事に対する目的の多様性について考察し、自分の趣味や技芸を通じて新たな価値を見出す方法について語っています。
技芸的世界観の理解
倉抜です。
中山です。
ザッソウラジオは、倉抜とがくちょこと中山さんで、僕たちの知り合いのゲストに応用して、
ザッソウラの雑草をしながら、威力を借りしていくポッドキャストです。
今回は、がくちょと二人会ということで、よろしくお願いします。
お願いします。
はい、ということで、10月の二人会。
はい。
5週あるということで、あと大島さんが来る会も控えてますが、
ちょっと二人会話したいなと思ってますが、
話題はありますか?
今日僕ね、ちょっと雑な相談じゃなくて、雑に考えたことを話す会で、
雑行?
雑行ですね。最近ちょっと、僕自身が、
それこそホーリーフォックの西村さんに来ていただいて、
僕らの会社が仕事を技芸だと思ってるっていう話。
技術芸術の技芸だという話に、そこも共感したと言っていただいて、
そこが揃ったので話がしやすくなったって思ったんですね。
仕事なのに技芸だっていう話を他のところでもすると、
やっぱりそこに共感してくれる人が結構いるんですよね。
でも仕事なんだから別に技芸的である必要はなくて、
労働的であっていいって思ってる人もいるじゃん。
仕事って別に耐えて何かするもんでもなく、
そこで極めていくもんでもなく、キャリアアップの手段だったり、
報酬を得る手段だったりっていう風なパターンがいるんだけど、
でもどっちかというと僕らは仕事だからやってます。
生活のためにやってますっていうだけではなくて、
もちろんその側面もあるけど、
何で一生懸命ソフトウェア開発、プログラミングとかマネジメントとか、
ライティングとかデザインとかっていうものに対して、
一個一個積み上げて訓練して上手になる、
上達していくことを望んでまでやってるのかみたいなことを考えたら、
やっぱり仕事が技芸であるっていう風な世界観に基づいて仕事してるからだなっていう風に。
これは仕事を労働だと捉えていく世界観だと、
多分なんでそんな頑張るんですかってなっちゃう。
もしくは数字のKPIが用意されて、
KPI達成したらいいですよねって話になるのに、
いやいや達成さえしたらいいわけじゃなくて、
やり方にこだわらなきゃいけないよみたいな。
その他のことがあるよとか、
正社必中だよみたいなことをわざわざ言って、
売上立ったらもういいじゃないですかとか、
採用人数クリアしたらいいじゃないですかとかってあまり言わないで、
むしろ数字とか目標立てずに、
やれることをしっかりやっていくのを増やしていきましょうっていうのは、
これ結構その技芸的な考え方だな。
結構まずそこに世界観違いがあるよってことを認識してなかったんですよね。
話が合わんなみたいな人って、
労働的世界観と技芸的世界観だと、それは話が合わない。
なんでそんな給料ガンガン上げないのに人辞めないんですかみたいな。
遊びと熟達論
もちろん別に上げてはいるし、
低い働きがい搾取とかしてないんだけど、
でも内発的動機だけで働くってどういうことですかみたいなことを言われがちなのは、
これ多分労働的世界観の人からすると不思議でしょうがないみたいな感じが。
実はその世界観、別にこれもいい悪いじゃなくて、
世界観が違うっていうことに今まで気づけてなかったなみたいな。
技芸だとしたら、
始まりの前に遊びから始まるみたいなのがあって、
熟達論の話。
遊びから、結局技芸ってどんなものも最初遊びみたいなものなんですよね。
スポーツもそうだし、アートもそうだし、
最初は遊びでやってるところを研ぎ澄ませていったら、
職業としてなり価値が生まれっていう。
最後遊びに帰ってくるじゃないですか。
結局遊びからスタートしたものを鍛錬やっていくことで価値を生み出してるんだけど、
最初から最後まで結局遊びであったみたいな。
遊びの側面なくならない。
なので僕らはずっと前から遊ぶように働くって言ってたんですよ。
遊ぶように働くっていうのは結構誤解されがちで、
新卒採用の募集とかやってると、学生さんとか面接すると、
いや、ソニックワーデンに入ると旅行しながら働けて、
僕好きなこといっぱいあるんで、やりたいこといっぱいあるんですよ、とかっていうのも明らかにしてきて、
もちろんそれもいいし、それもできるけど、
だけどその仕事すること自体が遊びにしたいんだよって話だし、
一生懸命仕事してる様子が遊んでるように見えるから遊ぶように働くなので、
遊ぶように働くは強力なワードだけど、誤解されがちなんだけど、
僕らは仕事を義芸と捉えてますよっていうふうに表現したのが正確だなっていうふうに。
これでも一周回って遊ぶように働くと、
よくいつも学長が言ってる、仕事で遊ぶ人を増やすって、
これも結局同じことに至ってるって話なのに、
実は学長も仕事を義芸的に捉えてる世界観だったんじゃないっていうのに、
雑に考えたっていう。
そういうことですよね。
それこそタメセさんの熟達論。
最初遊びから入らないと、要はやらされ感?
労働的に義芸をするみたいなことになるから、
最初は遊びから入らないといけないっていうやつじゃないですか。
今の話聞きながらそれを思いました。
結局遊ぶように働くを誤解する人って労働的世界観なので、
そこで遊びは仕事とは関係ないもの。
プライベートで。
それはOS違うから、誤解しか生じないよなっていう。
そうなんですよ。最初に、僕らも育成で失敗したのは、
新入社員に入ってすぐ仕事としてプログラミングやらせちゃった時には、
仕事でやってるので、仕事したらプログラミングやらなくなっちゃうんですよ。
休みの日にね。
もう仕事だから。
労働的世界観でプログラミング始めちゃったので、
それはやっぱりうまくいかなかったなっていうのがあって、
遊び的な要素でやっていった先にしか、
仕事の価値観の変化
その技芸的な世界観にはなんかいかないんだなみたいな感じがして。
結局その遊びも、それも多分あれですね。
ヒロ、好奇心って2種類あるなと思ってて、
大体一般的に言われる好奇心旺盛みたいなやつって、
何に対しても興味を持てるみたいな感じじゃないですか。
僕、全然そんな好奇心ないけど、
好奇心ありますよねって言われることたまにあるなと思って、
僕の好奇心は深掘りしていく方の好奇心はあるなって思ったので。
はい、それあれですね。
好奇心と探求心の違いみたいなところ。
探求する方は深掘りたいですね。
探求、探求心的好奇心は確かにある。
なので、それこそ遊んでる時って、
いろんな広く、幅広く遊びたい人と、
ずっとサッカーやってたいみたいな、
上手くなりたいみたいなのあるじゃないですか。
それの違いだろうなみたいな。
遊ぶから入るっていう時も、
遊びの遊びが好きなタイプなのかによって、
技芸的道にすって入っていけるタイプと、
ちょっと壁がある感じになるタイプという、
広く、鬼ごっこ飽きたらカンケリやりたい、
みたいなタイプの人は広いじゃないですか。
広めですね。趣味が多い。
鬼ごっこ、普通の鬼ごっこ飽きたから今度手繋げようにやろうみたいなのは、
違う鬼ごっこというかね。
探求していく感じなので。
なんかこれは、むしろ今だと、
別に卑下する言葉でもなくなったけど、
オタク的ってことだと思うんですよね。
探求心が強いって。
僕らが若い頃はオタクって言われると、
今は普通にオタクですって当たり前に自分から言うくらい。
オタクですみたいなこと言うのって、
探求心が強いですって言ってるのに、なんか近い気がしますよね。
オタクもでも2種類あるかもしれないですけどね。
どうなんだろう、分かんない。
そんなに僕オタクに造形は深くないので。
でもオタク、昔のオタクと今の近い言葉は、
おしかつとかじゃないですか。
え、そうなのかな。
違います。違うのかな。
そこ深掘りしてもお互い何も出てこない。
アイドルオタクと呼ばれてた活動が、
今はおしかつって呼ばれてるみたいなのは側面としてはある。
本質的にどうなのかは分からない。
でも、技芸的な世界観だとしたら、
仕事で遊ぶっていう世界になるし、
遊ぶように働くっていうこともできるし、
何より仕事を技芸として捉える世界観だったら、
僕らの会社もずっと働きたいと思ってるんですよね。
働くこと自体が面白くなってるから、
別に早く稼いでやめたいって思ってないっていうか。
でなると、働くこと自体のワークライフバランスって言葉も、
それこそ総裁選で出てましたけど、
別にワークが多くてもライフが多くても、
バランスを取るのは大事だとしても、
ワーク自体が楽しいものになったら、
それ一番いいじゃんっていうのは僕は思ってることなので、
バランスを取るのことが良い悪いとかじゃなくて、
ワーク自体を楽しくしたいって思ってはいる。
正直に仕事が技芸になったら、
多分ワークが楽しくなる可能性は大いに秘めてる。
もし近未来なのか未来なのか何十年か先に、
AIがもっと進化して、
人間が働かなくても良い時代が来るみたいなことになって、
僕らは仕事はやってる気がするっていうか、
これ仕事が技芸になったとしたらやるよなみたいな。
本的世界観だとしたら仕事がなくなったらしないけど、
でも趣味がない人は寂しい老後になるみたいなことも、
40代後半僕も色々趣味を探そうと思ったけど、
何もハマらず今は仕事してるんだけど、
これでも仕事は僕にとって趣味みたいなもんだと思ったら、
仕事が技芸なんだとしたら、
別に年取って手が動かなくなるまで、
頭が動かなくなるまで続けてもいいねみたいな気がするので、
その世界観増えたら、
もっと希望を持てる人が増えるんじゃないみたいな、
別にこれで全部こういう風になった方がいいっていうわけじゃなくて、
こういう世界観も広まれば、
もっと生きやすくなる人も、
僕自身は多分そうだし、
そうなるんじゃないっていう風に思ってる。
仕事は趣味じゃないとか遊びじゃないっていう人って、
労働的世界観の人って、
仕事はコスト最小にして済ませたいものっていう位置づけですよね。
特に同じ給料もらえるんだったら最小コストで済ませたい。
仕事が趣味とか仕事を遊びたいみたいな人って、
趣味ってそもそも、
コスト最小化しようと思ったら何もしないで家で寝てるのが、
一番の趣味っていうことになるわけですけど、
みんなわざわざ、
特にサッカーやってる人なんて、
炎天下とかで2時間走り回るという、
罰ゲームみたいなことを。
労働的になってますね。
多大なコストをかけた上で、
それ以上のメリット、ベネフィットがお金以外で、
精神的メリット、ベネフィットみたいなものを味わえるから、
その活動をしてるっていうのが趣味で、
この前も話したかもしれないですけど、
仕事の定義も、
お金もらうものが仕事っていうのが、
労働的な世界観なので、
労働観なので、
趣味と一体化してる人にとっては、
別にお金発生しようがしまいが、
この活動は、
自分にとっては甲斐をもたらす活動であるみたいな、
コスト以上のメリットをもたらす活動であるって思ったら、
別に働かなくてよくなったからといって、
辞める必要もなく続ければいいだけだよね。
そこで食っていく必要がなくなりましたっていうだけであって、
あとこの前、
自己中心的リターガーみたいな話を、
夢中で働くとか、
フローフローとか、
自己中心的リターみたいな話をしたら、
終わった後に言われたのが、
それは、でも、
食べるために働かなくなって、
よくなったステージの人が言うことですよね、みたいな。
先まで言った人じゃないと、みたいな。
そうそう。
食べるために働いてる人は、
そんな寄り好みとかできないですよね、みたいな。
そういう感じのフィードバックをいただいたんですけど、
そんなこともないよなっていう。
そんなこともないですよね。
ないですよね。
その世界観の違いだけで。
なんか世界観の違いな気がしますね。
目的の多様性
あとは、
目的は1個でなければいけないみたいな、
思い込みとかもあんのかなと思って、
食べるために働いてる人は、
食べるために働いているっていう目的1個です、みたいな。
それ以外の目的はありません、みたいな感じ。
1個にしちゃいけないっていうね。
何個あってもいいですよね、別に。
そう、何個あってもいいし、
何だったら、
もうちょっと生きるため、
稼ぐために働くっていうところを、
目的をもう一段抽象化したらいいのかなと思っていて、
流行りの言葉になっちゃうけど、
例えばウェルビーング、
幸せなのかウェルビーングのために働いてますっていう風に
言ってもいいわけじゃないですか。
ウェルビーングのために働くんだとしたら、
当然、食えるだけのことも稼がなきゃいけないかもしれないけど、
でもウェルビーングのために働くんだとしたら、
それですり減らしちゃいけないってことですね、心。
働きすぎて体壊してもいけないし、
稼ぐこと、生きるために、
稼ぐために働くんだと、
稼ぐことだけで目的達成になるんだけど、
人間、何のためにそれを稼いでいたんですかって言ったら、
ウェルビーングのためなんで、
ウェルビーングのために働くんですよってなったら、
その中に技芸的に面白がるとか楽しむとか、
自己中心的リター的なところがあったほうが、
その人にとってはウェルビーングになるってことは、
当然あるんだろうなって。
その目的の置き方が狭くないみたいな、
仕事に対するその目的って、
技芸的な仕事観
っていうのがアップデートされる時代が来たんじゃないみたいな、
もしかしたら元々縄文時代からそういうところもあったのかもしれない。
むしろ縄文時代はそうだったのかみたいなのは、
ほんまに無理の話じゃないですか。
食っていくためにやるのは当然のこととして、
暮らすみたいな話ですよね。
遊び的要素を当然狩りをしてるって、
ちょっとその要素もあった可能性もありますしね。
それこそ問いが二択。
二択だと両方取ればいいじゃんみたいな。
両方できる方法を考えればいいだけでは。
なので労働的世界観の人にはお題として、
今まではお金を払ってやってきた趣味などの活動分野において、
副業をしてくださいっていう。
そうすると、それで1円でももらえたら、
多分ちょっと概念が変わるじゃないですか。
今までお金払ってたのに、
お金もらえるようになってしまったみたいな。
自分にとってはいつもの趣味活動をしてるだけなのにみたいな。
わかんないけど釣りをしてたら売れるようになったみたいな。
例えば教えたら、教えたらみたいなこととか。
なのでそういうお題出すといいのでは。
っていうのをWeb連載の猫トレの中で扱ったりして。
僕はこの仕事を技芸とするっていうコンセプトが、
なんとなくその仕事を技芸とする世界観があるということを広めていくっていうことは、
僕的には大きい自分のテーマ見つかったな。
遊ぶように働くを広めたいってちょっと思ってはいたんですよ。
それの解像度が上がったというか。
遊ぶように働くを広めるってどういうことかなみたいなのは、
仕事を技芸とする世界観を広めていくし、
別にこれで全部支配するというよりは、
仕事を技芸とする世界があっていいんだなって思う人がいたら、
今までちょっと苦しいなと思った人が幸せになったらいいなと思って、
この方を広めたいなと思いついちゃったっていう。
育成と技術の向上
11歳にしてなんとなく天命を知ったという。
死をしたくて今日持ってきました。
今まで既にやってきてますけどね。
そこに名前というか、
僕の世界観、言葉として掴めたっていうか。
技芸的労働感みたいな。
労働感、仕事感。
これをなんとなく頑張って、
こういうのに共感してくれる人だったり、
やっぱり育ったって思う人が増やしていきたいなっていうか。
そう思う人を仲間になってほしいなと。
はいはいはいはいはい。
これ青木さんとも、クラシックの青木さんともちょっと話したけど、
青木さんもそういう感じ、技芸的な会員。
はいはいはいはい。
学長も同じ感じだなと思って。
まさにまさにまさに。
なので組織にいながら自由に働くとかって言ってると、
そんなんで仕事になるんですかって怒られること多数。
そうなんですよ。
仕事を技術と捉える世界観がもし広まれば、
別に組織にいようが組織にいまいが、
大きい会社だろうが小さい会社だろうが関係なくならない。
関係ないですね。
それこそ許容可能な範囲。
作っていけるラインみたいなのが一つの許容可能な損失の範囲だと思うんですけど、
その範囲で活動が続けられればOKっていう。
プレイが続けられればOKっていう感じですよね。
生きてる意味があるみたいな。
そう、生きてる意味に寄せられるみたいな。
っていうのはね、しばらくこの話を擦り続ける気が。
技芸だからね。
上手くできるようになればなるほど楽しくなっていくので。
そうなんですかね。
上手くなりたいよね、道極めたいよね、みたいな。
そうですね。技芸は、それこそ前回から話したけど、
研修的じゃなくて訓練的だと思うんですよね。
研修が入り口としてはいいのかもしれないけど、
なんかチェックリストでできるできないの世界観じゃなくて、
サッカーもピアノもバイオリンもプログラミングも、
多分グラフィックデザインも絵を描くことも、
できるに、最初はちょっとできるが、だいぶできるになってもすごくできる。
さらに即興にめちゃくちゃできるってあっても、
グラデーションなので、オンオフじゃなくて四角みたいに、
プログラミングできますみたいなチェックリストみたいな感じってんじゃないっていう。
奥行きがあるっていう感じ。
奥行きがあるから面白いですよね、ずっとやれるから。
この前MTMっていうのを教えてもらって、
サッカー指導者、それこそミトホーリーホックでコーチやってる友達から聞いたんですけど、
マッチ、トレーニング、マッチのMTMなんですけど、
まず先に試合をやる。
そして試合でこれできなかったなとか、うまくできるようになりたいなっていうことをトレーニングをして、
また次の試合で試すっていうのがMTMです。
日本人やりがちなのがTMT。
試合に出るためにはまずは練習をしなければいけません。
でもそのやった練習は試合で全然通用しないみたいなことも当然起こるわけで、
一回も試合したことないわけだから。
練習のための練習っていうのが生まれる理由はそこにあるみたいな。
遊ぶと、Mマッチは遊ぶじゃないですか。
試合。
ゲームって言いますからね。
ゲーム。
MTMだしな。
それを繰り返しまたしていったほうがいいですね。
マッチした後トレーニングして、マッチした後トレーニングしてっていう。
大事なのはMから始まる。熟達論的な感じですかね。
遊ぶから始まって腕を磨いて、肩を磨いていくみたいな。
10年トレーニングしてからマッチじゃないですかね。
そうそうそうそう。
メッシの動画を見ながらメッシと同じことができるようにひたすら一人でフェイントの練習とかをしてみたいな。
時代が変わっちゃうかもしれないし。
全部のプレイができるようになってから試合みたいな感じでやりがち。
やりがち。育成。それも育成の話だな。
みたいなことを聞いてもらう回でした。
ということで大体いいお時間になったので。
この後第5回目の収録が待ってます。
そうですね。
ということでザスラジオでは皆さんからのメッセージや質問・相談・ご感想をお待ちしております。
お聞きのPodcastでザスラジオのプロフィールアイに掲載されているフォームからお気軽にお寄せください。
ザスラジオは毎週水曜日午前中に更新しております。
SpotifyやApple Podcastなどで聞くことができます。
チャンネル登録よろしくお願いします。
それではまた来週。
ありがとうございました。
25:42
コメント
スクロール