選手とのコミュニケーション
こんにちは、上水優輝です。
永里優輝です。
さて、今日は、言葉がけの重要性についてお話ししたいと思います。
はい、ということで、なんか最近、言葉がけの重要性について考える機会があったということで、何があったんでしょうか?
いやいや、よく、なんかある選手っていうか、ほとんどの選手なんですけど、練習中とかに、その、優季グッジョブとかって言ってくるんですよ。
はいはいはい。
で、私、そんないい仕事したかっていうふうに考えることが多くて。
で、それがずっと引っかかって、で、とある日、その選手に対して、あなたにとってのグッジョブの定義は?っていうふうに聞いたんですよ。
何だろう?っていうのを聞いたら、まあ、大した答えは返ってこなくて、まあ、軽く流された感じになっちゃったんですけど。
結構その、仕事をしていて、いい仕事をしたって自分で思えることと、他人が思うそのグッジョブ、いい仕事をしたっていうその概念が合わない時が結構あるんですね。
なるほど。
で、その選手がどういう意図でそのグッジョブを使ってたのかわからないですけど、本当に私がいい仕事をしたからグッジョブって言ったのか、まあ単になんかコミュニケーションを取りたかったからグッジョブって言ってきたのか。
その真意はわからないんですけど、結構この言葉がけって重要だと思うんですね。
なぜなら、このグッジョブをどのタイミングで、どのプレイに対して言うかで、基準が決まるわけですよ。
そうですね、確かに。
この基準の選定を私はすごく注意を払っていて、その当たり前にできなきゃいけないことに対してはなるべくグッジョブは言わない。
で、その基準値をちょっと上回ってきた仕事をした時に、そうグッジョブっていうのを使うようにしてるんですよ。
グッジョブの基準値
はいはいはい。
これについてどう思いますか。
今の観点はね、無意識レベルでやってたなと思って、すごい面白かった。
それで基準が決まるっていうのを、確かになってすごい納得しました。
そうだよねって。
さっき途中二股に分かれたんですけど、この仕事に対してこういう評価だっていう意味でのグッジョブと、コミュニケーションを取りたいだけみたいな言い方をされたんですけど、
それマジであるなと思ってて、僕どっちも使うんですよ。
グッジョブ的なもの、いいねっていうのを言うんですよ。
後押ししたい時に、別にいいとかじゃなくて、そのこと自体がいいというよりは、
あなたが今前向きに何かしようとしていること、いいねぐらいのノリで、後押すためにいいねっていうことがあるんですよ。
あるっていうか結構言うんですよ。
これは仕事の評価というよりは、何かやろうとしていることそのもののエネルギーに対して、いいねって言ってると。
でも一方で企画書がどうだとか、商談がどうだったとかっていうことに対しては、いいねとは言えないから、
その仕事の評価として判断基準って確かに基準になっちゃうから、今ので良かったんだと思われると困るみたいなことがあるから、
安易に言わないんですよ。
だから、同じグッジョブ的なものでも、本当に仕事の評価をするときは、めっちゃ具体的に言ってるかも。
こと細かく何が良かったかっていうところですか。
そうそう、例えば何だろうな、顧客のちゃんと困り事を聞けているよねっていうところが良かったよねっていう具体的な部分を褒めるみたいな。
ただ、この書き方だと伝わらないよねとかっていうダメなところもいますね。
どっちも言うって感じ、いいとこも悪いとこも。本当に評価しているときは、評価とか判断しているときは。
ただ、安易にいいねっていうときは、もうコミュニケーションっていう感じに近い、流れを加速させるみたいな。
もちろんね、そっちのパターンで突っ込まれてる人の方が多い気がしますね、今の話を聞くと。
なんかプレイを評価されてるっていうよりは、もういいねみたいな。
いいんじゃね?みたいな。
すごい元気やっていいやんみたいな。
これ多分アメリカの国民性でもあると思うんですよね。
とりあえずいい雰囲気を作るためにグッジョブって言うみたいな。
コミュニケーションを積極的に取るような国民性があるから、表面的にでも。
でもこれ、ドイツにいたとき、すっごいこれに対して考えてたんですよ。
評価とコミュニケーション
最初移籍してって、当然試合に出なきゃいけないじゃないですか。
試合に出るために、監督が何に基準を置いてるのかっていうのをまず知る必要があったので、
どういうプレイに対して褒めて、どういうプレイに対して、どういうミスに対して指摘しているかっていうのをずっと観察してたんですよ。
それを観察してると、ある程度その基準っていうのはわかってくるんですよ。
ある一定のプレイに対しては褒めてて、ある一定のミスに対しては指摘してるっていうのが。
これを知るために監督っていうのは、褒めるときとミスしたときの指摘の基準っていうのを絶対に決めとかないといけないと思うんですね。
じゃないと、何がスタンダードなのかがわからないじゃないですか。こっちからしてみたら何が求められているのかもわからないし。
けどそれができる監督って意外と少ないんですよ。
そうなんだ。みんなバラバラなの?
結構バラバラなことが多いなっていう感じる監督が多くて。
唯一一貫してそうやってやってたのが、2人か3人ぐらいですね、今までで。
少ないんだ。
選手の立場からしてみたら軽い感じでグッチョクっていうのを使ってほしくないっていうのがあるんですよ。
なんか褒めるときそれだけなんですか。いろんなパターンがあって、さっき僕のパターンだといいねとかいうのはすごい軽く言うけど、
ちゃんと言うときは具体的にみたいなことをしてると、多分さっきの観察するみたいな感覚でいると、
今のは判断されたなとか、今のは応援してもらったなってなんとなく動物的にわかるみたいなのがあるかなと思ったんですけど、
褒められるときとかにグッチョクしか言われないんだったら、本当に判断されてるのか、それってなんで言われてるのかがマジでわからないみたいになるじゃないですか。
それって本人に対する影響だけじゃなくて、他人に対する影響も出てくるんですよ。
はいはい。
わかりますか。言われてる人だけじゃなくて、それを見てる周りの人たちが、これくらいのプレイをしなきゃいけないんだとか、この程度でいいんだとか。
なりますね。
っていう風になるじゃないですか。だから褒めるときって、その人のために褒めるというよりは、他の人に対して何かを知らせるために褒めるみたいな。
手段に使うべきなんじゃないかって思う時があるんですよね。
チームですしね。全体の基準が揃うってことの方が重要ですよね。よほど個人の問題じゃない限りは、呼び出して言うことでもないというか、全体として知っといてねっていう感じはしますよね。
あと作家なんで、いちいち何が良かったかって説明してる時間ないじゃないですか。プレイが流れてるんで。
確かにそうだ。そこ違うとこだ。全然。
そうなんですよ。だからグッチョブって言うしかないんですよ。良かったら。何が良かったかを伝えるために。
分かってきたぞ。確かに。超重要っすね。たった一言は。
たった一言がすごい重要なんですよ。
なるほど。ちょっと想定してなかったな。そうだな。
説明できる時間があればいいですけど。
ないっすね。
ないんで。で、後から説明したところで、そのシーンとかっていうのがやっぱり忘れてしまってる場合が多いんですよね。
何のことってありますよね。
はい。その時に言わないと、タイム理性がないんで。ないといけないんで。
体の動きだったりとかするし、それはその時に言われないと。後から思い出しても分かんないですもんね。
そうなんですよ。そうなんですよ。
確かに全然事情が違うな。それはいいね。グッチョブはかなりタイミングっていうか、何に対して言って何に対して言わないかみたいなことを一貫しないとダメだと思うし、基準として。
もっと言うと事前にうちのチームはというか、私としてはこういうところを大事にしてるんだっていう方針というか、自分の評価基準というかね、ここをすごい重要視してるんだみたいなものを明示しておくっていうのはリーダーとして重要な気がしますけどね。
ですよね。そうですよね。
だって、人をどこに配置するかとか、使う使わないとかも決めてるわけだから、そこを不明確にしちゃうと変な政治が起こるじゃないですか。気に入られようとするとかさ。
そうそうそう。
起こるんですよ、それが。
マジどうでもいいですよね。もちろん嫌われるのは問題だと思うんだけど、気に入られようとして反り入るみたいな、それちょっとサッカーっていうか仕事と関係ないよねみたいな。
こう、ありますよね。
スポーツにおける声かけの重要性
前も言ってましたよね、なんか気に入られようとして、そしたら次の日スタメンになってたみたいなやつが。
いや、そうなんですよ。だからサッカーにおけるその言葉がけってすごい重要だよなっていうか、何の言葉を使うか、どのタイミングで。
っていうのをすごく思ったんですよね、っていう話なんですけど。
いやでもこれって、子供とかもそうかもしれないですね。小さい子供とかも、あんまり複雑な論理構造で説明してもわかんないじゃないですか。
後から言っても覚えてないとかあるから、違う意味で、スポーツとは違った意味で、体で生きてると思うんですよ、ちっちゃい子っていうのは。
だから、なんかその時にいいねっていうか、ちょっと待ってっていうか、さすがにそれはねえぞっていうかの判断。
別にそれが世界、決して世界ではないけど、価値基準として、その家庭の価値基準としてちゃんと判断がされている一定の基準で、みたいなのは精神衛生上いい気がするけどね。
それを見たら、日本に帰るといつも20寸面でのパーソナルトレーニングコーチと練習をするんですね。
で、その時に本当同じことを何回も繰り返すっていう練習をするんですけど、その時にそのコーチが良かった時はいいねって言って、ダメだった時はダメって言うんですよ。
それをコンスタントに言ってくれると、良かった時の感覚っていうのを思い出しやすいんですよね。
この感覚でやった時に良いねって言われた。じゃあ次はここの感覚を意識してみようっていう風になっていって、どの感覚でやった時が正解とされる技術が発揮されるかっていうのがわかってくるんですよ、感覚的に。
だからそれを外から見極める良いねと、自分の中で思っている良いねが合致しないと、本当の意味での大得っていうかその技術の大得、プラスその価値みたいな基準っていうのが定まらないなっていうのを今思いました。
そうですよね。結局自分ができたって思ってても、現実との認知の歪みみたいなのがありますからね。できた気になってるけど全然パリカみたいにできてないってことがあるから、やっぱり外からのフィードバックみたいなのが重要なのに、それが良いねって言われても良いんだっていう風に学習しちゃうってことですよね。
そうです、はい。
歪んだまんまになっちゃうみたいな。
なんかアバウトに、その良いねがアバウトのままいってしまうみたいな。
だいたいこんな感じでいいんだ。
そうです、はい。だからだいたいこんな感じでいいんだみたいなプレーしか出てこないみたいになっちゃうんですよね。
それはあると思うな、確かに。結構重要なことに気づかれてるじゃないですか。でも言ってる人います?スポーツ界隈で。
いるんじゃないですか。
少なくとも私のパーソナルなトレーニングコーチはそれを分かってやってます。
感覚的にじゃなくてその、もう分かって。
論理的にロジックで分かって。
そうじゃないとダメだよねみたいな。
そういう、でも少ないんでしょ、そういう監督は。
あまり少ないと思いますね。
えー恐ろしいことですね。
アバウトな指導の影響
そうなんですよ。すごいだからアバウトな指導をする人が多いなって、特にその技術面に関しては。
うーん。
思うことがやっぱ多いですね。
なるほどね。そうか。
なんかこのスポーツじゃなくてビジネスとかだとあんまり技術面を細かく説明しない方がいいみたいなことがあったりとかするかなと思ってるんですよ。
なのであえて程よくアバウトに言うみたいなことをしないと結構マイクロマネジメントみたいになっちゃって。
うんうん。
なんかできないみたいな、なんかなんていうのかな、スポーツみたいにある種体の動かし方って結構そのなんていうのかな、セオリーがあると思うんですよね。
はい、あります。
パターンに分けれるというか、そういう体格でこういう運動能力をしたらこうだとかっていうパターンで多分分けれると思うんだけど。
なんかね、ビジネスとかだとね、それを体得するのが大変だから、体得するぐらいだったらアバウトにでもいいからやってみてみたいな方が。
レベルが低いんだけど言うたらそのアスリートのその今言った基準から言うと低いんだけど、やらないよりはやってくれた方がいいみたいな感じで。
とにかく下手かもしれないけど行かせるみたいな風になりがちだなっていう思っていますね。
あ、でもゲームの試合の中ではそういう場面が必要な時もあるんですよ。
全部を全部正確にやろうとするとどうしてもやっぱり慎重になってしまうので何かが起こしづらいんですね、ゲームの中で。
その、予期せぬことっていうの、相手がミスるようなことっていうの。
なのでそのシチュエーションっていうのはアバウトな感じでとにかくボールを放り込むとか。
そのドリブルで仕掛けていくみたいなシーンが必要な時もあるんですよ。
なので、あながちその、なんだろ、すべてをその論理的にする必要はなくて。
その正確性を重視する必要もなくて。
っていうところがバランスなんじゃないかな。
トレーニングの時にそういうトレーニングも必要だよねっていう感じってことですかね。
で言ったらあれだ、トレーニングされてないな、ビジネスマンの多くは。
何もトレーニングされてなくてずっと試合に行かされてるのかもしれない。
そうですね、確かに。全部アバウトに行けみたいな感じですもんね。
教育みたいなのがちゃんとやってる会社もあるけど。