働くと遊ぶの境界
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。今回は、遊びと働く、学ぶということを何回か話しています。
フィットネス、マッチョ、いわゆる筋肉がリュウリュウとした、ここでは男性になるんですか、女性の場合もあり得ると思いますが、
マッチョですね、そういったマッチョ集団介護士みたいな会社というか事業がありまして、そこからですね、いろいろと見ていこうかなと思います。
そんなに膨らまないかもしれないですけど、働くとか、学ぶ、遊ぶに入るかわかりませんが、その辺り少し深掘りできればいいかなと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマとしては働く、遊ぶ、学ぶ。遊ぶ、働く、学ぶでも、学ぶ、働く、遊ぶでも、学ぶ、遊ぶ、働くでも、何でもいいんですけど、
仕事をしたりするのと遊ぶのが正反対なものではなくて、分けない方がいいんじゃないか、むしろ気水域とか僕は好きですが、気水と淡水、え?気水淡水?一緒?
いや、一緒じゃない。気水域の淡水と、気水が確かそうですよね。海水とかだと思うんですが、間違えたらすみません。
いわゆる様々な生態系エコシステムみたいなところで混ざり合うところが気水域ですかね、というふうになってまして、その辺りって結構豊かなことになる、いろんなものがある感じです。
なので、遊ぶと働くって、もしかしたら反対なものっていうふうに考え方もあると思いますが、仕事理的にも混ぜていこうと多い。
混ぜていって、むしろほかっておくと勝手に働くことは苦役で、苦労しなきゃいけないというふうになりがちなので、そうじゃないよねと。
楽っていうのは、ここではポジティブな意味で使っていますが、楽して、手を抜いて適当に、人が困ったことをやろうとか、出し抜いて儲けようという意味ではないですよ。
それが強すぎて、なかなか言葉が使いづらいのは申し訳ないなと思うんですが、僕の中でですが、そうじゃなくて遊ぶと。自分がやりたいことを楽しんだり自己表現するみたいなところを遊ぶという感じです。
そこで学びもどちらにせよ入ってくる。僕にとっては学びというのはすごく重要だと思っていまして、知らないことを知るのでもいいし、知っていることとかを新しく再発見する。
もしくはアイデアを形にするのも学びになるから、体験とかですよねっていう感じがしています。
冒頭で話したマッチョ介護士みたいなのは、リンクを貼っておきますが、別にマッチョじゃなくてもいいんですが、介護士とか介護業界のところにおいて、筋肉流々な人たちが手伝う。
これって別にそれだけではない。細かいところまで調べていないんですが、求人作用とかメディアに出るとか、目新しいから面白いよねってことだけじゃなくて、それもあると思います。
キャッチーとして入りやすくて、なんだろうって思ったので僕も見たんですが、フィットネスでいわゆるボディビルではないんだけど、筋肉ってそこまでいりますかって言われたら怒られるんでしょうけど、筋肉をたくさんつけている。筋肉ってそんなにいらないわけですよね、日常生活で。
それって結構プロなわけじゃないですか。筋肉でご飯を食べるというか、それにより競技であったり、賞金はちょっと分からないですけど、今だったらYouTubeとかもありますし、さまざまなブランドであったり、自分の芸能活動とかになるし、
例えばフィットネスジムでもいいし、パーソナルトレーナーとか指導をしたりとか、今よくあるのがプロテインとかをね、自分専用のプロテインみたいなのを作って売るみたいなのを見かけたりしますが、
そういう事業とかビジネスとしてやっていくとなると、ということでご飯を食べるというか、提携を立てていくみたいになっていくと、筋肉でご飯を食べているわけですね。シンプルです。
それがサッカーであったり野球とかであっても変わらないと思ってまして、そういう中で、筋肉、介護という介護事業、介護職ということで、非介護ですね。
要はお客さんというか、介護される側の人がいて、介護をするわけですが、介護職からするとね。そういう例での仕事もあるけど、フィットネスとして、要はそれでプロとしてね、スポンサードをしたりして、もしくはそういう、いわゆるある種実業団体という、実業団体って結構変わっているっぽいんですけど、確かね。
日本独特なのかわかりませんが、要は勤めながら働く、スポーツをするみたいなのがありますよね。例えばサッカーであっても実業団ということで、大手メーカーという企業にね、例えば勤めながら営業とか仕事はするんだけど、
一方で毎日のようにサッカーをやったり、スポーツを励むというのがありますよね。だからお給料もらっているので、安定しながらサッカーもできるというところです。
で、プロとの違いって、それは実業団でもプロだと僕は思いますし、別に違和感はないんですが、実際にはサッカー競技というところにおいての競技性が高いところでお金をもらって、プロサッカー選手と言われる人は基本的にサッカーしかしていないはずなんですよ。
でもこの考え方もだいぶ古いというか、やり方次第なんで、一本にしなきゃいけないとか、バラバラでやらなきゃいけないとか、何とかしなきゃいけないということは僕の中ではないんですが、そのあたりから話が入ってくるんですが、
要はマッチョなり筋肉を活かしているんだけど、単に介護というところだけじゃなくて、介護だけで使うには多分パワーがあり余るか、もしくは筋肉だけあっても結局部位が違うんで、筋肉流々のしか格闘技が強いとかそういうわけでもないでしょうし、使い方ですよね。
自己表現と評価
だから筋肉が全て解決するということは多分ない。そう思うのは全然自由ですけどね。
さっきのフィットネスというか、見せるですよね。大会に出たりとか、筋肉自体を見せていくというところです。筋肉とかそういうところに興味ないとか全然わからない人だったら、へーぐらいしか思わない話だと思うんですし、僕も別にそれへーというレベルは多分思われた方と変わらないです。
この話をしていて思い出したのが、鉄道のメンテナンスですよね。要は高いところのインフラですね、整備で、飛び木じゃないんだけど上に上がって行って工場作業するという仕事がありますし、非常に大事な仕事です。
そういうところで確かクライミングですね。要は壁を登る、もしくは登山、あ、ごめんなさい、壁を登るですね。どんどん岩を登るみたいなところのロッククライミングとかもありますが、崖ですよね。
というところの競技もあると。これはなかなか認知度が上がっているのでクライミングで通じるかなと思いますが、よくあるのが都会というかところでは斜めの壁に何か石みたいな色、あれ何でできているかわからないですけど、カラフルな石があってそれを使うので、石じゃないのかなあれは。
登っていくと。決められたスタート地点からゴール地点にその石を自分の手と足で掴んでいくと。そんなことはやったことはないですけど、本当に1回2回やったときに腕というか手を使うので箸が持てなくなるというかね。本当に手を使いまくるので。
そういうのを思い出しましたけど、それがあると。
その会社は東山かわかりませんが、またリンクを貼っておきますが、鉄道のメンテナンスですよね。その作業をする仕事がありながらクライミングというところが高いところのものが好きということを活かして、クライミングも普段やっていて、ジムというかトレーニングというか。
選手でもあったのかな。わかりませんか。要は学んでいるし、遊んでいるし、働いているという感じですかね。
マッチョ介護士も鉄道クライミングも雑にまとめちゃってますが、結局働くと遊ぶと学ぶって、かなり規制器ということで冒頭にお話した通りで、混ざっているんじゃないのかなという話ですね。
混ぜてっていいんじゃないか。
一つここで注意したいのは、一本にした方がいいとか、混ぜなきゃいけないということはないんですが、僕の感覚としては混ぜてっていいんじゃないかというところです。
いくつかあるんですけど、一本でやると集中できそうで、実は一つにやってそれがうまくいかないケースというのが多いにあります。
ちょっと違うんですけど、イラストを描いている人がいたときに、イラストを一本やるぞと言って、そのイラストを描くという行為が飽きることもありますよね。
絶対飽きないという自信は単純に僕にはないだけです。
描いたイラストって、イラストが描けるだけでは結局仕事みたいなものを作りづらくて、それを仕事にせずに趣味でもいいんですが、
趣味であってもそれを描いて出していくということは何かしらの評価を受けたりことになると。
評価を受けずに自分の完全趣味でやり続けてというエゴシステムというか、自分の中でのやり方とかルーティンなのか捉え方というのができていて、
それができて関係しているのは全然いいんですけど、多くの場合は何か描いたら出したり、誰かで見てもらったりしてというところになっていくわけですよね。
もしくはもっと言ってしまえば他者の評価とか抜いておいて自分がどう思うかということなんですよね。
イラストを描いて自分がどう思うか、その時に何か違うのとかしっくりこないなというのと、
あともう一回戻っちゃうんですけど、社会に生きている限り誰かに見せたり誰かの評価というのはコミュニケーションとして出てくるわけですよね。
例えばイラストを描いている人は秘密で誰にも言わないと。自分は描いているんだけど言わないと。全然いいんですけど。
でも仲親しい人とかにはポロッと言うとかね。社会生活というところに行くと誰かにそういうのを言うんじゃないかなと。
だからどんどん行っていくのと全然別なんですが、言わざるを得ないという状況もあるんじゃないかなというのがあります。
つまり二つあると。要は自分自身がどう思うか。イラストを描き続けること、もしくは描いていることにどう思うか。
うまく描けている。何を表現したいかという。自己表現でアートだとしてもそこの満足度が絶対出てくるわけですね。
かつ秘密でやってても他社に見せたりとかポロッと漏れるということがあるんじゃないかなというところがあるわけですね。
そういう自分自身の評価、自分がやっていることに対する自分自身の評価みたいなのが必ずあると思うので、嘘はつけないんじゃないかなというのが僕の感覚です。
僕はちょっとごちゃごちゃになっていますが、僕にとっては一つのことをやってそれでいいですよ、これで満足しますよというのは
正直あんまりないというだけです。だから好奇心が旺盛な人で、一つのことをやり続けられるという人はそんなにパターンないと思っていて。
例えばサッカーをやっているんだけど、周りからするともうとっくに飽きているんだけど、サッカーってもう一回やったら毎回発見があるみたいな人はいるわけじゃないですか。
ゲームでもそうで毎回発見がある。つまり端的に言うと周りから見たら周りは飽きているんだけど、その人は飽きていないという状況です。
つまり新しい何かをサッカーというカテゴリーとか枠組みの中で見つけることができる。イラストも一緒ですね。
イラストっていろいろあって奥深いよねっていう人は多分その道にかなりやっている人。別に無名とか有名とか関係なくて、
その道で何かやっていたり、ずっとそれをやっている人だと思います。という人じゃないと奥深いとは言えないし、奥深さを感じていないので言えないんじゃないかなということです。
働くことと自己紹介の難しさ
本当にやっているかどうかだけです。やっているかどうかというと何かになるみたいですけど、やっている人はそういうことがわかるし言えるし感じているしということです。
という一つやってますというふうにも言うことはいいかもしれないですね。
これって主語繰りでも言ったかわかりませんが、結局僕の解釈としてはなんで一本の方に行きやすいのかなという話なんですよね。
だから今回のテーマとは逆なんですが、一本でサッカー選手ですプロでやってますというのがわかりやすい。
これは単に自己紹介の認知の問題だと思います。
つまり初めて会った人に僕が自己紹介は苦手としているんですが、なんでかというと、それをわかりやすく伝えなきゃいけないみたいな圧があると。
わかりにくい自己紹介って嫌じゃないですか。
初めての人に。
でも最初に認知してもらうんだけど、でもそれなんか違うよねみたいな、もぞもぞしたムズがゆさがあるわけです。
それだけです。
初めての人に何か紹介するときにムズがゆさがあるから、それゆえに簡単にわかりやすいことを相手にとって言うんだけど、
実際に複数何かやってたり色々やってる人ってわかりづらいんですよ。
だからわかりづらいものを言語化するから色々失われていくと。
一方で自己紹介する側はそうなんだけど、される側はわかりやすい方がいいに決まっている。
分からないっていう。
何やってるか分からないって嫌じゃないですか。
これは僕も分かる。
でも色々やってる人に対して分からないからダメだとか、分からないからどれか一本にしてくれとか、分からないからこれにしてくれなんてことは全く思ったことなくて、
その分からない状態ぐらいが割と普通かなって僕は思ってるってことなんですよ。
ここでリスナーのあなたも感じたかもしれませんが、分からない人同士は分からないよねぐらいの度合い。
分からない人同士はちょっと良くないですね。
複数何か色々やっていて、一つ一本これですよっていう風に言わない、もしくは言おうとしても別に分からなくてもいいよねぐらいの人。
分からない程度がそれぐらいある人はそういう人が分かるんですよね。
お互い同じような感じで。
一方でここがややこしいんですが、一本にした方が分かりやすいから一本分かりやすいものを掲げることで、
理解してもらいやすいいわゆる入り口としてとか認知を上げるっていうのも作戦としてはありだと思います。
ごめんなさい脱線しましたけど正解はないです。
だけど一本でこれ分かりやすいですよねっていう方が受けるというか伝わりやすいのはすごく分かります。
なんだけど結局それは入り口でしかないから、そこからこの人はそれやって言うんだけど色々やってるんだなっていうことにはなるかなと思います。
隠す必要ないですからね色々やってることであわえてね。
ここら辺から難しくなってくるというか分からなくなってくる。
働く・遊ぶ・学ぶのバランス
話を戻すとマッチョフィットレス介護士とか飛び職テッドメンテナンスクライミングというところの例を挙げましたが、
それってじゃあ働くと遊ぶとバランスとかどうなんですかみたいなことを聞きたがる人もいると思うんですよ。
リスナーの方はどうですかね。人がどうというよりも自分のバランスとかって分かります?
もしくは人のバランス聞きたいですか。
そのあたりで結局ですね働くも学ぶも遊ぶもバランスってじゃあ働いたから遊ぼうとか遊んだから働こうっていう程度はあるかもしれないんだけど、
じゃあ学んだから学ぶのやめようとか、学んだから遊ぼうとかってちょっとあんまないですよね。
学生さんのほうが学んだから遊ぼうっていうのはあると思うんですが、
結局その働くっていう社会人前提でいくと働くもしなきゃいけないだろうし、
学んでなきゃつまんないし成長ないし、遊んでなきゃなんで働いてんだろうってね、
なんで残業してんだろうとかね、辛いわってその人は絶対休んでほしいんですが、
結局そのバランスになるんですよね。
ラテラルシンキングもロッキーも水平思考もそうですがロジカルとのバランス。
このバランス論の話ってされる方いっぱいいると思うし、
別に僕だけが言ってるわけじゃないと思いますが、正解ないんですよね。
だからここっていう点がないから移動するような感じです。
つまり食べ物って言えば今日は唐揚げが食べたかったりすれば脂っこいもの食べたから、
あっさりしたものを食べたいということで、
だいぶ暑くなってきたら冷やし中華食べてる方いらっしゃるかもしれませんが、
さっぱりしたものを食べたいとかね。
なんかですね、気分によって変わるよねっていうのがあると。
その時に気分によって変えたい。
だからやっぱり自己裁量的な話になってくるんですが、
自分で選べるかどうかみたいなところが非常にポイントなのかなと思ったりします。
つまり働くってことをやりすぎてたら遊びたい学びたいみたいなところがあるから、
仕事を完全に辞めて大学に行きますとかっていう方がいてもいいし、
遊びたいってことで世界一周の旅行のために出るのもありだと思います。
それを否定するわけでもないし、全然いいなと思いますが、
それはその人のやり方ですよねということで、
働きながら毎日遊ぶこともいいでしょうし、
遊びながら働くという感覚でもいいでしょうし、
自由なんですよね。自由というか設計自体は、デザインはやり方は、
妄想でもいいし構想でもいいですが、
割と自由なんじゃないかなと思っています。
もしくは自由というのはアイディアとしては理想はどうかというのがあると思います。
ここで理想としての計画を立ててそれを実現するというのは全然いいと思うんですけど、
計画だけ立ててやらなかったり、
考えるんだけど、頭の中で妄想するんだけどそれやらなかったら、
妄想自体は否定しないんですよ。
本当にやりたかった、この人が心からどうかということだけなんですけど、
本当にそういうのをやりたいならやってくださいということだけになるわけですよね。
バランスも別に、働くとか学ぶとか遊ぶとバランスって正直分からないです。
僕は別に答えを持っていないです。
だからそれをどういうふうに組み立てていくかということになるんですが、
視点を広げる重要性
直感的に言うと、自分を信じてもらって、
自分を信じて僕のことを信じているということではなくて、
ご自身のことということですが、
例えば働きすぎたら疲れるじゃないですか。
本能的に休みたいはずなんですね。
だから遊ぶ。
僕は新卒プログラマーの時によく思ったのが、
働いているんだけど、言われたことをやっているんだけど、
全然学びになっていないなというか、
学びたいことは何だったっけみたいな。
これ、会社員の人にはあるんじゃないかなと思います。
学んでいないと言われて、5割学んでいないと言われて、
ハッパーかけられているかプレッシャーかけられても、
別に学びたいことはないですよ。
業界のことをどう学ぶんですか。
知ってますよとか、別に仕事は回しているじゃないですか。
全然仕事で学んでいない人はいないと思うんですが、
秋とか、よくあるキャリアアップという概念が、
僕の中ではすごく新鮮なんですが、
キャリアのアップもダウンもないわっていう。
怒られて思いますけどね、そのことを言ったらね。
アップって何だろうなっていう。
年収を上げるとかそういうことなんですか。
転職で知名度の高いところに行くってことなんでしょうか。
それとも自分がやりたい仕事に就くというか、
自分がやりたい仕事に就くってことなんでしょうか。
すごく曖昧だと思いますが、その定義は置いておいて。
そういうふうに少なくとも自分の仕事なり、
自分の仕事の質ですか、そういうのって。
高めたいという時にかなり突っ込んでいかないと、
フワフワするわけですよね。
で、ここで多分今回の話をしてて、
創発というか何か新しいものが見えてくるかなんですけど、
今話してて思ったのが、やっぱり冒頭に戻るんですが、
働くだけで、その会社の中だけで、
会社員として今の仕事をどうするかというだけだと、
正直ものすごく狭いわけですね、ロジカルに見てるっていう。
わかります?すごく目線が下がり、顔が下を向いて、
目線が落ちてるわけですね。
そうすると本当に下に落ちてるものしか見えなくて、
周りに何があるかわかんなくて、しかもかつ地面ならまだしも、
0メーターというかね、まあ0メーターじゃないですけど、
地面ではなくてさらに下に穴を見てて、深掘りしたものを見てて、
それこそ10センチくらいの穴を見てるだけっていう。
で、それが例えばIT業界とかウェブ業界にいる人がいて、
ウェブデザイナーの人がいたとして、
ウェブデザイナーの人は別に責めてるわけじゃないですよ。
ウェブデザインのトレンドとかを追ってて、別に知ることはいいと思いますし、
見てくるんだけど、その10センチの穴を見てるから、
じゃあこのキャリアアップって何だろうみたいな、
最新のウェブの技術を知ることだって言って、
調べたら出てくるし、知ることはできるけど、
それで何なのみたいな話ですよね。
そういうのはあるんじゃないかな。
ウェブ業界で新しい取り組みをしてるところがあるんだけど、
じゃあそういうセミナーに行ってみたりとか、
本を読んでみたりとか、話題になってたから動画を見てみたと。
でもそれだけだよね。
そういう話ってありそうじゃないですか。
もしくはリスナーのあなたがもしかしたら感じてるかもしれないですね。
それは別にウェブ業界でどうこうの話だけじゃなくて、
どんな仕事をしてても業界に携わるというか、
もっともそこにいるのであれば、
もしくはまとめられる業界にいるのであれば言えそうです。
ただ業界で切るというのも見方としては狭くなるということでもあります。
その時にまさに視点というか狭くなっているので、
広げる必要性があるわけですよね。
要は一旦穴じゃなくて地面を見る。
もしくは地面を見るんじゃなくて顔を上げて目線を上げて周りを見る。
周りを見てみようということなんです。
周りを見てみるのがまさに水平思考とかに近いかもしれなくて、
他って何があるのかということです。
その時に働くというところでの観点だけというか視点だけだと、
働くということでしか見ることができない。
それこそ転職の求人案件しか見ていないとかね。
何回も言っていますが、ここにボールペンがあるんですけど、
じゃあこのボールペンって誰が作ったの?
わかります?
発明者じゃないですね。
発明者でもいいですよ。
ボールペンを誰が発明しましたか?
もしくは誰が産み出しましたか?
ボールペンの製造過程
これに今ボールペンはJETとして使っています。
JETスリムってすごい名前じゃないですか。
他のブランドというかボールペンの商品名、
サービス群ということのブランドですが、ありますよね。
いっぱいシリーズが。
それいっぱいありますけど、何が違うんですか?
実際にボールペンはどこで作られるんですか?
実際にボールペンはどこで作られるんですか?
実際にボールペンはどこで作られるんですか?
何が違うんですか?
実際にボールペンはどこで作られるんですか?
それこそ中国ですか?
工場はどこですか?
価格はいくらですか?
メーカーものづくりというのも、
それこそ興味ある方はわかりませんが、
原価はいくらで、どれくらい人件費がかかって、
どれくらいの価格で何があるか。
実際にメーカーで働いている方もいらっしゃるかもしれませんが、
メーカーといってもB2Bでやるのかとか、
全然違ってくるわけじゃないですか。
仕事もやり方もあり方も。
ものづくりだからサービス向けのものとは違うよねとかね。
そこらへんはいろいろある。
その中で、
じゃあそのボールペンってどうやって作られるんだよね?
というような疑問とかもしくは不処したものが
ボールペンって確かインクがどういう風に転がっているはずなんで、
ボールの先に尖っている先端の小さな丸っていうか、
球が転がっているはずなんですが、
その仕組み面白くないですか?
ノックするだけで出てきて書き続けるので面白いなと思いますが、
そういうのに対して興味持ちます?ということなんですよ。
働くという意義
全然興味持ちません。
そういうのに対して興味持ちます?ということなんですよ。
全然興味ないわっていう人もいていいですし、
僕の説明があまり面白くなかったかもしれませんが、
そういえばそうだよね。興味あるよね。
別にボールペンだけじゃなくていいんですよね。
目の前にワイヤレスイヤホンがあるんですが、
ワイヤレスイヤホンなんか流行り始めたよなとか、
その瞬間はいつだったんだろうかとか気になる。
僕は気になるんですけど、
いつ頃流行り始めたんだろうとかね。
前から持っている人は、そんなの前からありますよという人がいれば、
ワイヤレスイヤホンは便利なものがあるんだねというのは、
イヤホンというのが線があるものだと思っている方もまだまだいるのかな?
分かりませんが、結局有線なものが無線化されるってすごいですよね。
面白くないですか?
そういうところから見てみるってことですよね。
伝わってます?
つまり、働くっていうのもずらせば、
誰かの仕事がものになったりサービスしているわけだから、
ウェブ業界で最新のトレンドを追ってますみたいな人とか、
ウェブデザイナーの人だけだから、
ウェブ業界の話しかしていなかったり見なかったら、
そこしか入ってこないじゃないですか。
でも世の中には働くとか仕事をするってことでいったときに、
めちゃくちゃいろんな働きがあるし、
仕事があるし、ものがあるし、サービスがあるっていう。
日本だけでもですし、
同じ地域とかだけでもそうです。
業界だけでもそうなんだけど、海外に向けたらまた違いますよね。
っていうところまで広げられるかはありますよね、正直なところ。
それは関心もあると思います。
働くってことっていうののどういうレベルでの関心があるか。
正直なところ、お金が得られるのは何でもいいですっていう人が
いたとするじゃないですか。
このラジオを聞いてる人はそんな方が少ないかなと思ってますが、
そういう場合って別に意識が低いなんてことは全く思ってなくて、
そういう意識で働くだけじゃないですか。
これは別に働く意識が低いなんて言ってなくて、
そのレベルに応じてるってわけですよね、そのものに対して。
例えば僕が食べるものってそこそこ関心はあるんですけど、
じゃあそのために食材を取りに行ったり、
そのためにわざわざそこに行って食べなきゃいけないっていうところが
そこまであるのかって言ったらちょっと分からなくて、
そこまでないのかもしれないです。
ただ誘われて面白いなら行くかもしれないみたいな、
そういう温度感というか感覚があるときに、
じゃあ食べることを仕事にするかって言ったらちょっとしんどいですよね、
そのレベルだと僕は、僕の中では。
そういうのありませんか?
自分はそこまで夢中になれないかなっていう。
だけど、そこまで熱量がなくても別に飲食という業界に入って、
新卒で働いたからそれが5円でずっとやってるっていう方がいたり、
何かそこまで興味なかったんだけど面白いからノリを作ることを始めて、
今ではそういうECで売ってますみたいな人がいたりね、
分かんないですよ。
だからそういう偶発性じゃないんだけど、
変わっていくなんてことはめちゃくちゃあるわけですよ。
実際に多分。
僕はそんなめちゃくちゃ経験してないですけど、
でもそういうのもあるし、そんな例なんかいくらでもあるような気がするんですよね。
というときに、狭めないってやっぱり大事かなっていうのが思いますよね。
そういう意識っていうか、意識の状況とか、もしくは期待値興味の感覚で決まってくるだけであって、
意識が高くなきゃいけないとかっていうのも堅苦しいですし、
そういうことは別に求めてないんですよね。
で、働くとかってことに対して、今は僕が考えてるから、
そういう意識が高いふうに思われるかもしれないんですが、
そこは正直どうでもよくて、別に意識が高いから、
その働くと学ぶと遊ぶのバランスがいいとかっていうのも正直よく分かんなくて、
それをセンスというか感覚っていう意味ですけど、今回このセンスは。
こんな感じがいいかなみたいな、わりとすごい適当にやっててもバランス取れてることもあれば、
ロジカルですごい綿密にされてても全然うまくいかないこともありますし、
結局そのあたりはもう正解はないっていうことで、
適当でいいって言ったら怒られると思いますが、適当でいいんじゃないかなって思います。
働く、学ぶ、遊ぶのバランス
改めて、いいさじ加減ってことでの適当がいいんじゃないかなっていうふうに思ってしまうという話になります。
だから働くだけじゃなくて、働くだけの話じゃなくて、
それを学べるのかどうかとか、遊ぶ要素があるのか遊びの要素があるのかっていう、
その見方はしつつ参考にはなりますよね。
ウェブ業界で働いてて学びとか遊びがあるのかってことですよね。
全くないとしんどいのかなとか思いますけど、
このバランスも10の割合で、100%割合で話しても、
働くが6で、学びは3で、遊びは1ですみたいな、6対3対1ですって言ってる人がいたとしても、
その3って何で6で何で1が何でピタッとなるわけじゃないじゃないですか。
もしかしたら遊びが9で、学びが1で、働くっていう要素がなくて、
作業をしている時もあるじゃないですかっていうね。
例えばですよ。だからもう何も言えないっていうね。
定義はできないです。定義もできない。
そうですそうです。だから後付けになっちゃうんですね。結果論みたいになっちゃう。
その人はこういう働き方をしてて、こういう風にして、こういう風になって、
充実してますよねって言った時に、全部結果論じゃないですか最終的に。
だからどういう意識でやってきて、どういう風に考えて、
どういう風にやってきたかってことは言えるんだけど、
でもそれはその人だからですよねっていうのが、
別にビジネス賞でもなんでもいいですし、成功者ってのもちょっと違いますが、
なんかイケてる人の記事みたいなのを見た時にそうなってしまうんでしょうね。きっと。
なのでここからですね、脱却ってことはないんですが、
視点をずらしていただくと、結局その人をね、
それこそ本能もそうですけど、その人の考え方じゃないですか。
僕が言ってるのは僕の考え方なんで、大いに嘘かもしれないですよね。
3つ働く、学ぶ、遊ぶって言ってて、その中でバランスの話をしてるんですが、
そんなのバランスなんかないって言ってるけど、いや実は黄金比があるかもしれません。
7対2対1だとか、6対3対1?6対2対2か。
実は働くことの量が多くても、働く意識を薄めてるっていうのも本能的にあるんじゃないかなと思ってて、
要は8時間働いてるんだけど、実際にやってるのは2時間で、
あと遊んでるとか学んでるっていうようなことがあって、それでバランスを取るみたいなこと?
実際にですね、8時間拘束しても8時間働いてるかっていうのは怪しいわけじゃないですか。
残業しまくってめちゃくちゃ働いてる人にとっては、何を言ってんだって思うかもしれないし、
そんな人このラジオ聞いてないんじゃないかなと思うんで、分かんないですけど。
だからその辺り分かんないです。今回やっぱり分からない。
だから別に答えはないんですけど、そういうバランスを取るっていうのも、
リスナーのあなたがですね、あなたなりに取るしかなくて、僕は僕なりに取るしかなくて、
だから不安になるのも分かるんですよ。だから人がこういうことやってて、
だから自分もやろうっていうのと、それは人の真似になるし、その人がやってたからってことになるし、
みんながやってる。副業みんなやってないですよねってことで、アンケートをいろいろ見てるんですけど、
会社の人でやってる人1割だっていうデータがあって、全然やってないじゃんっていう。
だからなんかいろいろやってる人が周りにいますっていう人いるじゃないですか。
僕も周りにいるんですけど、めちゃくちゃレアなんじゃないかなってことを結構最近思います。
で、そういう人が結局発信するんですよね。だから僕も発信してますが、
そうなるんだなーっていうことが面白くなってるんですよね。特に最近。面白くないですか。
だから副業とかパラレルキャラなんでもいいんですけど、どういうことを言おうがいいんですけど、
その人が結局定義としてどういう感覚で働いてて、どういう感覚で遊んでて、
どういう感覚で学んでるかみたいなところが結局似通ってくるわけですよね。
みんながみんなそれが標準でスタンダードでやってるとするじゃないですか。仮にね。
そうすると僕は天の邪悪かもしれませんが、みんながやってることってなんかちょっと嫌になるんで、
それこそサラリーマンじゃないけど一本化してそれでやっていくぞみたいな風に、もしかしたらそういうかもしれないですね。
働くことの本質
ここは僕の個性なのかわかりませんが、僕はそんな風に思っちゃうんで、みんながあんまりやらない方がなんか面白いのかなって逆に思ってて、
もちろんやらないから何か理由があるのかもしれないんですが、やらない理由って何だろうなっていうので、
それはやっぱり考えたいし見たいですよね。
で、それを体験したらなるほどなっていう風に確認していく作業を僕はやっぱり大事にしたいというか、
それはね、レザーのあなたも大事にされている人もいると思うんですが、自分で確認するのね。
そこはやっぱり改めて大事にしたいというところがあるわけですね。
で、そろそろ締めていきたいんですが、そういうマッチョ介護士とか鉄道クライマーですね、面白い。
そういうものがまだまだメディアで取り上げられて面白がっている、僕も面白がっているんですけど、
それと結局サラリーマンとかって言ってもいいし、実業団って言ってもいいし、何と言ってもいいですよね。
何と言ってもいいんだけど携帯は。
別にフリーランスだろうが、企業家だろうが、経営者だろうが、ノマドって先に聞きませんが、ノマドワーカーだろうが何でもよくて、
肩書きも何でもよくて、結局あなたはってことですね。
だから僕に対してってことですか、自分はあなたはってことですが、自分に対して自分はあなたはどういう風なバランスで生きてますかと。
バランスっていうのも、均等に全部割り振ってくださいという3対3対3とか5対5とかそういうことを言っているんじゃなくて、
あなたなりにどうバランスをとりますか。
ここでバランスって言っているのは常に変化、範囲を込みで言っています。
つまり、振幅のように上下があり、景気のように波があり、1日の中での波もあれば、もしくは年単位とか半年とか1週間の中でのリズムがあり、
10年単位でのリズムもあり、そうですよね。
だから食談って当たり前ですけど、未成年はビールダメですよね、未成年20歳ダメですよね、変わってないですよね。
選挙権が18からなってますよね。だから世の中変わるじゃないですか。
10歳くらい経ってビールが美味しくなかったからビールが美味しいみたいなやつがあって、別にそこまで僕はビールが好きではないですけど、言っておきますけどね。
そういう味覚もしても変わるじゃないですか。
あと考え方も変わりませんちょっと。
前すごい嫌いだった人がそうでもなくなったりするとか、逆もあるかもしれないですけどね、好きだった人が嫌いになるとか。
そういうのを置いておいて変わるじゃないですか。
それを全部コントロールして予期してなんていうのが、それがロジカルですよね。
計画して備えてやる。それもありだと思います。
それもありだけど、そんな分かりませんよということで、やってみなきゃ分からないっていうのも感覚的にいいと思うんですよね。
だからそのバランスが変わるし、社会も変わるし、社会が変わるということは自分も変わってるし、自分も変わらざるを得ないしみたいなところで、
OSとは言わないんですが、感覚を磨いていってどうしていくかになるんですね。
正解がないっていうことを連呼してますが、正確には自分はこういう風にしていきたいよなっていうのが、もしかしたら正解だと思っている方がいらっしゃるかもしれません。
つまり言葉の意味合いなんですが、自分はこういきたいっていうのがないから分からないのがあると。
実際はそれは正解ではないです。自分はこうだというのは正解では全くなくて、もしかしたら正解は分からないから、
自分が今こうやって、じゃあ働く、遊ぶ、学ぶみたいなところがいいなと思うし、いろんなものをやっていくのがいいなと思うけど、
でも一方でそれは分からないですと、一本に決めて集中した方がいいんじゃないですかっていう人もいれば、
いろいろやると散らかってできないっていう人もいると思うんですよ、全然。
だからその人は別に否定はしていないんですよね。この辺りがうまく伝わりづらい。
否定していなくて、別に一本でやられるのは別に、それはそれで素晴らしいんじゃないですかって思う。
その素晴らしいって言ってるのは社交事例でも本当になくて、その人がやって満足していればってことですよ。
要はその人が一本で職人だーってやってるのに、いろんなやつやってるやつは羨ましいなーって言って、
集中できていなかったり、他人の芝は青く見えるじゃないけど、他の市町田のものだから羨ましがってるっていうとか、
自分の職人一本のところに後悔してるとかね、後悔しながらやってるんだとか言われたら、
嫌じゃないですか。嫌じゃないですかっていうのは、消費コンテンツとしてその人の職人一本を消費させろって意味じゃなくて、
その人が心からやってないものはやっぱり伝わらないし、届かないと思うんですよね。
だから要は前提としてその心からの納得っていうのの割合かなと思います。
いきなり全開でいけない、野球選手になりますよ、野球選手になりました、すぐできるわけじゃなくて、
葛藤はあるわけじゃないですか。これを選んでよかったのかなっていうのはもちろんわかるんですけど、
でもそこで自分の騙すわけじゃないんだけど、面白いところにかけてみようとか、面白いところでやってみようとか、
一本で自分はやっていこうと、これでやっていこうと決めるんだっていうのは、決めるだけなんですよね。
判断するだけなんですよ。そこでやってみるっていう。
だから複数でやるとかいろいろやるっていうのに振るのか、一本でやるのか、
もちろん中途半端に、一本にしながら三本にしながらそれをフラフラフラフラいきいきするのでも全然いいと思うんですね。
フラフラってよくないですね。一本にしたり三本にしたりとかそのバランスをとるとか、年ごとに変えるとか、
もうそこはアイディアだと思ってるんですけど、そのまさに生き方の戦略というか、まさに人生のプランニングと言いますか、
よくわかりませんけどそのあたり、言葉としてはね。キャリアプランとかキャリアマネジメントというのかわかりませんけど、
それがですね、正解がないんですよ。正解がないのでわかりませんという態度です、僕も。
わからないです、実際に。本当にわからない。だから、わからないからロジカルで考えるなとかは思わないし、
学ぶなとか人のやり方を参考にするなってことではなくて、正解がないということだから諦めるんじゃなくて、
そこで諦めていく。何もしないんじゃなくて、自分で探索して探求して、ここが自分に合ってるのかもしれないなと伝わってます。
物作りっていうよりもゲームみたいなものでサービスとして人を笑わせるとか楽しませる方が面白いんじゃないかなって自分には思ったから、
そうしてますっていう。そんな感じです。だからそのためには、笑わせる楽しませるということを得るには、
その手前の行動をしなきゃいけないじゃないですか、何か。話したり聞いたり。それだけです。
その積み重ねに結局なっていくんで、僕の主張としてあまり変わってないかなと思います。
さっきのマッチョ開放主とかクライマーみたいな人たちをもしかしたら羨ましいと思う人がいるかもしれません。
だから羨ましいと思った人はそこに会社行きたいとかそこで働きたいと思うと思うんです。
一方でそこで働きたいんだけどそこでクライミングして遊びたいし学びたいし、その同じ意識レベルとか同じ感覚の人の方が
そんなクライミングなんかするなとか、テッドは遊びじゃねえぞとかね。そんなの分かっとるからって。
あと介護の方も、介護マッチョなんてそんな筋肉使わん、いらんわとかね。
自己バランスの探求
そういうこと言う人が多分いると思うんですよ。
そんな介護と、別に福祉の人、業界の人全部叩くわけじゃないんですが、筋肉なんていらないと。
献身的な心構えがいるんだと。
そういうボディビルじゃないけど、けしからんみたいな。
ちょっとよくローリングが分からないですけど、そういう方がいたときにうるさいとは言わなくてもいいと思うんですが、
自分は別に楽しんでやれるし学べるようになるし、いわゆるシナジーですね。
相乗効果として介護もやる気が出るし、気持ちがいいというかね。
もちろんマッチョの人が全員いい人であるというわけじゃないですよね。
マッチョでも詐欺師はいるわけでしょうし、弁護士でも医師でもね。
別に社会的に良さそうなっていうのでも悪い人はいくらでもいますから、そういうのは真理の話になるんで。
別にマッチョ介護士が悪いとかそういうことじゃないですかね。
そういうことはいろんなところあるんだけど、結局そこで問われるのは自分自身であり、環境づくりをしている自分になるんじゃないかなというふうに僕は見てしまうところがあります。
ごめんなさい。そういうところの働くというかやり方が面白いと思ったら是非飛び込んでもらえればいいと思いますし、
ヒントではないですけど、その時にどういう考え方とかどういう家庭、思考、アウトプットとしてそこに至るまでの何か、チームであれ雰囲気であれ仕事の仕方であれわかりませんけど、
そういうところで水面下で見えないところが非常に大事になってくるんじゃないかなと思います。
くどいですが、働き家学ぶのバランスはどうやって取ればいいですかとか、その割合はどうですかとか、そういうのが取れる仕事がありますかとか、そんなのは僕もわからないです。
なんで自分で探していただいて試していただいてやっていくしかないわけですよね。
別に厳しいということもなくて、そんなものなのかなって思って改めて話してて思いました。
解はないわけです。もしかしてここで解が僕が持っていると思われるという方がいらっしゃるかもしれませんが、それはないですし、僕もわからないです。むしろ教えてほしいです。
だけどわからないと思います。そこで答えはこれですっていう人が一番怪しいですよね。
自分の中ではこれがいいっていうのが結局他の人にとっては全然そんなのありえないわっていう。
だから僕の生き方を一つとってもそんなよくわからないアイデア出したり企画出したりとかリサーチとかって儲かるの?みたいな人ももちろんいると思いますし、
こちらからすると余計なお世話だなって思うんですが、口に出すか出さないか置いといて。でもいいんです。思われようがいいんです。
その時に何を言われようがどうしようが自分の中ではこういうふうにやっていきますっていうのがあって、それは恥じないというか、
自信はあるんでしょうけど自信の云々よりも自分が考えてここに至ったっていう、
多様な生き方の尊重
考える量とか考えた質って言ったら怒られるかな?考えた量とかにあるんですか?
何度も何度もそれを繰り返しループしてやっていって、同じところぐるぐる回ってるんじゃなくて、少しでも変えてこうだ、ああだってことをやってきた。
そこが多分自信になるんじゃないですかね。さすがにそれはレベル1とか初学者ではないっていう感覚はあります。
ただそれも錯覚かもしれなくて、批判とか否定しようと思えばできますから、そういうネガティブなやつは置いておいて、
ポジティブに言えば探求した結果、絶対に戻るとかレベルが下がるってことはないかなと思います。
キャリアダウンって多分ないのは、キャリアって基本的に上に上がっていくというかどんどん道ができていくだけなんで、
輪立ちですよね、キャリアってね。だから輪立ちがいっぱいあった人の方が僕は面白いなと思うんですよね。
いろいろやってる人の方がね。僕の中ではですよ。だから1本のことをやってしかやってない人がつまらないとかってことじゃないですよ。
1本の人の奥深さもありますからね。何度も言いますけどね。だからバランスになるし、1本だろうが、
集中してやろうが、パラレルでいろいろやろうが、結果的にですね。じゃああなたは自分はどういう感じが今いいのだろう。
もしくは今後どうしていったらいいんだろう、ときの適切な配置やバランスやそのリソースというかね。
ものってわからないんですよ。答えないっていうことですね。わからないので探りながらやっていくと。
僕も社会がどうとか、僕がどうとかって言ってて、もしかしたら偉そうに聞こえるかもしれませんが、全然そんな偉そうに言うことはなくて、
そういう一つの事例とかニュースとか切り口からどうなんだろうねって考えて生きてるだけ。
もしくはそこからヒントにしてアイデアを出しているだけ。もしくはそこから色々なものを探そうと調べていたり、知ろうとしているだけ。
だけって良くないですけどね。だけっていうのを取るとニュースや日々の生活や感じたことっていうのを大切にしてね。
身体性みたいなのがあるとしたらやっぱり行ってみて考えるというのが大事なんで、そこを大事にしながら、
とか言って全部見て聞いて考えてってことだったら、インターネットとかの情報だけでどうっていうのは決めすぎない方がいいですよね、当然ね。
それが事実だ、真実だっていうのは流行っていうのは常にあるっていうことを考えながら見て楽しんでいる。そんな感じですかね。
僕の中での働く学ぶ遊ぶのバランスってどうなんですかって言った時に、バランスとか割合っていうのはあんまりなくて、
感覚にしてますよね。つまり働いてて仕事してて、これ何か遊んでないなと思ったら遊ぶし、
もしくは学びがないなと思ったら学びを入れようとする。いわゆる調理とか食べ物、ご飯とか作るっていう方だったらわかりやすいかもしれませんが、
その料理の例でいくと、何か味濃いかなと思ったら薄くする。もしくは味薄いなと思ったら塩を入れるとか醤油を入れるとか、
足すみたいな調味料ですよね。調味料のスパイスというか刺激でバランスをとるみたいな。カレーだったらそれ調節するね。
辛さを調節するみたいな感覚で働く学ぶ遊ぶの3要素っていうね。食の3要素じゃないですけど、調整しているような気がします。
それは人間に備わっている何かっていうバランス本能みたいなのもあると思ってて、同じものを食べたら飽きませんか?
っていうので飽きるってことは過剰摂取しているかもしれないし、他のものを欲しているってことかもしれないんで、
まずそれを一旦やめて他のものを食べてみたり、その量を減らすとかっていうね。
その作戦というかやり方があるんじゃないかと思います。それが割と本能だと思うので、そこを使っていけばいいかなと思います。
だから仕事にもしかしたら飽きてたり、今そのところに飽きてたら学びとか遊びが足りないっていうだけで、
可能ならその仕事の量を減らして他のことをやる。もしくは不可能なら他の遊びや学びの量を増やしてみる。
っていうだけでバランスが取れてハッピーみたいなのはめちゃくちゃあると思います。
そこで転職しようとかっていうのは割と悪臭になることが多いことがある気がします。
つまり要は自分のバランスですよね。働く学ぶ遊ぶみたいなことだけじゃないですけど、
っていう風に切った時にそこの考える量が少ないだけとか見つめるとか向き合うとかがめんどくさいから、
誰かがやってくれるだろうってことはないじゃないですか正直なところ。
僕は聞いたことないんで、誰かが自分の生き方を考えてくれてそれを提示してくれるってないですよね。
あったとしてもAIがよくわかんないものを出してくれるぐらいで、もしくは錯覚ですよね。
占いは占いを指定するわけじゃないですけど、あなたは導かれし者ですとか言われても全く説得力ないじゃないですか。
それを理屈つけてもダメですからね結局。考えてなかったら。
っていうところになりますよね。
バランスの重要性
だから考えてくださいみたいになっちゃってますけど、実際には考えるっていうのは行動するものを含んで、
実践ということも含んで頭の中だけじゃなくて考えてやって試して自分なりの答えですね。
自分なりのですねあくまでも。
絶対的には回とか人の何とか答えとか誰かが考えてくれるわけじゃなくて、
自分で考えてやってみてバランスを取っていくっていうことだと思います。
という意味で働く銃みたいな風で全然いいと思うんですよね。
でもその働く銃が成立するには周りの協力がいるとかって時に、
周りの人がいい人でしたねみたいな話だけでしかないこともいっぱいありますし、
遊ぶ銃で働いていなかったら、いわゆる紐みたいな風に言われるかもしれませんが、
でもそれはそれで良いというか、そういうものであるよねっていう風に、
どこまで納得して受け入れられるかだけだと思うんですよね。
ご自身というか自分がね。
あとはニートみたいな言葉がありますが、何もやってないみたいな人がいる時に、
いや別にそれで生活できているんだったら別にそれが否定できるのかなっていうかね、
余計なお世話だよって話で。
それこそお金持ちのところに生まれてきて働く必要がなかったら働く必要がないから、
別に羨ましいって思う人ももちろんいると思うんですが、
働きたい人もいるわけじゃないですか。学びるのもあるし。
僕は嫌だなっていうか、いろいろ学びたいなっていう。
自分でそれをやってお金でっていうことだったらいいと思いますが、
っていうところになりますよね。
もう難しいですよね。
お金が援助がなければできないようなことももちろんありますから、
別にお金持ちを否定するわけでも肯定するわけでもないし、
貧乏とか製品というのを肯定するわけでも否定するわけでもないというか、
結局その状況とか今あるものをどう使っていくかっていう、まさにブリコラージュですね。
ありものでどうにかするっていう感覚もあるし、
同時にありものの構成を変えていったり、気分とか状況とかで変わっていくっていう、
刻一刻と変わる、いわゆるリアルタイムストラテジーという戦略ゲームみたいに近い気がします。
なので、ご自身、実はあなたにとってですね、
働く、学ぶ、遊ぶっていう感覚っていうのを今一度通ってみるって感じですよね。
どんな状況でもどんな時でもいいんですが、
楽しめているとかね、僕は大事だと思う。楽しめているとかは募集があっているので、
いいなと思っていたらあまり不満が出てこないはずです。
今いいなと思ったら、いいねってなってたら、
別に特に不満も愚痴もなかったらいいんじゃないかなっていう証拠だと思います。
じゃなくて何か愚痴があったり、良くないなと思ったら、
それは何かやっぱり原因があると思っていて、
何も原因がなくてただ不満だとか愚痴があったり、
悪い愚痴だとか愚痴があるっていうのはあまり聞いたことがないので、
それを分析できたり、誰かに聞いてもらって考えることができるかっていうところであれば、
僕みたいな人もそうですし、いろんな人がそれをできたりする気がします。
そういうサービスってなかなかなさそうですけど、
コーチングとかキャリアコーチングとかキャリアコンサル、
そういうのはありますが、なんかキャリアって言ってるけど、
結局深く突っ込んで、いわゆる語るってやつですね。
自分の考えとか深い部分ってことですね。
浅くないところで自分の考え方を聞いてくれたり、
そういうのにいいですねとか言ってくれるっていう人が周りにいるかどうか、
友人だけじゃなくて家族とかパートナーとか教師でもいいし、
親でも先生とか職場の上司とかでもいいですし、
なかったらロールモデルとかいわゆる先生みたいなのを、
楽しむことの意義
本の中で師匠みたいなのを生成して見つけていくと。
でもどちらかというと探索と探求ですよね。
していって自分で問いかけてやっていくっていう風に、
人から見るとすごいストイックに見えるのかもしれません。
僕の感覚っていうか見方が。
でも全然そんなことなくて、
割と適当にいい感じで楽しんでやっていると思っています。
自分の中で追い込んでストレス溜めてもっとやらねばっていうのは、
正直そこまでないはずなんですよね。
僕の中ではね。
だからそこがずれて伝わっている可能性もありますよねっていうのは思いました。
だけどそれは別にずれててもいいんですよ結局。
発信したりなんかしたら誤解されるしずれるのが前提なんで。
そういうのも含めて、
ただ自分自身に対して、
リスナーのあなたが自分自身に対して自分をどう思うか、
ご自身がどう思うかは、
100%そのまま考えたとおりというか、
考えたまま受け取るとおりだと思うので、
いいなと思えばいいし、悪いなと思ったら悪いわけじゃないですか。
それをちょっと考えてみるっていうのは一つ、
手というかね、ありなのかなと思いました。
はい、長い話になりましたが今回は以上となります。
ぜひですね、自分の働く感覚含め、
働くってことは同時に遊ぶ感覚とかですね。
どうしてたら楽しいのか面白いのか、
どうしてたら学ぶ、成長したり気づいたり、
知識を得たりとかね、知らないことを知ったりということになっていくか、
この3つですよね。
全然欲張りじゃないと思います。
全部繋がっていくんで、そこを繋げてみるとか、
みたいなことをぜひやってみたら面白いかもしれません。
というわけで今回は以上となります。
中国グリラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。