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2024-12-19 14:13

日々の小さな選択は、大きな選択に繋がっている

今日の声日記

『日々の小さな選択は、大きな選択に繋がっている』

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12月19日木曜日、ビビリな私が自分にエールをのゆうのです。
えっとですね、今日何について話そうかなと思ったときに、
あのー、とあるね出来事でね、すっごい考えたこと、
あ、これめっちゃ大事やったんやなー、みたいなことを思ったんで、
そのことについてちょっと話したいなと思います。
で、そのとあることって何なんていうところなんですけど、
それは息子のことなんですけど、
発達の支援をしてほしいっていうのを、
幼稚園の入園前に申請を出してたんですよ。
で、結構言葉数も増えてきたし、
意思疎通は私は測れているなと思ってし、
すごく成長を感じていたので、
その支援を継続されるかどうかっていうことを、
どうされますか、みたいな、を先生にね、
聞かれたときに、あ、もうええかな、みたいな感じのことを言ったんですよ。
支援も大丈夫そうな気するんですけど、みたいな。
そしたら、そのときにね、
先生はどう思われますか、みたいな、を聞いたんですよ。
私たちはこうなんですけど、先生から見たら息子はどんな風に映ってるのかなと思って。
そしたら、継続をお勧めしたいです、みたいな。
で、あ、そうなん?ってなったんですよ、そこで。
え、嘘?みたいな。あ、そうなんよって思って、
そっからちょっと本当に、どういうことなんかなっていうのと、聞きたいのと、
園での様子を知りたかったのと、
自分と先生の認識のずれがないのか、みたいなことを、
きっきりに懇談をね、お願いしたんですよね。
で、実際その園での様子だったりとか、
いろんなことを、息子の様子をね、聞かせていただいて、
保育をね、いつもしていただいている先生からの視点っていうので、
どういう風に見えているのかっていうのと、
そういうのを聞かせてもらえて、
で、私の方でもお伝えさせていただくことは、
お伝えさせていただいた結果、
そうなのであれば、ちょっと支援というものを継続していく必要性を、
私自身が感じたんですよね。
で、その息子の発達に関する出来事に関して、
選択していくことの大切さ、みたいなのをすごく感じたんですよ。
まあ大きな選択だったんですよね。
選んでいくことだったんですよ、私の中では。
久々に日常そんな大した選択肢って並べられて、
どうしますか、みたいなことはないので、
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ああっていう感じで、
本来であれば本人の意思とかもあると思うんですけど、
本人の意思というものよりも、
こちらの保護者としての意思というか、
こうしていきたいという意向を選んでいくことの方がまだ多いので、
本人よりも。
なので、年齢的にね。
なので、こちらが選択肢を、
いろいろな中から選ばせてもらう息子のことだけれど。
その時に、あんまり悩まなかったんですよね。
もうすぐ決めて、
あ、そうなんや、それだったらお願いしてもいいですか、
みたいな形を取ったんですよ。
なんですけど、何とかやったらどうやったらいいの、
みたいなことを思ったんですよね。
多分めっちゃアタフタしてたやろうし、悩むし、
選ばれへんな、みたいな。
どうしたらいいんだろう、みたいなんで、
選んでいくこと、選択していくことを、
ちょっと困るから、
旦那さんに委ねたりとか、
先生に委ねてたかもしれへんなと思って、
今も、委ねてないわけじゃないんですよ。
意見は絶対に聞きたいし、
たくさんの意見の中から、
自分もどういうふうに考えているのかなって見る時に、
人の意見を聞いて聞き入れるってすごく大事だなと思ったんですけど、
今回こうしたいなっていう自分の意向もあって、
たくさんの方の意見を、
本当に多くの方にお話聞かせていただくことが、
状況的に可能だったので、
本当に感謝なんですけど、
その中でも自分としてはっていうのを、
選んでいけたのは何やったんかなと思ったら、
大きな選択だけが大切っていうことじゃなく、
日々の本当に生活の中にあふれている、
小さな小さな選択、選んでいくことを、
めっちゃめんどくさいけどやってきたんですよね。
本当に選ぶことから逃げへんというか、
選ぶことをずっとしていくってめんどくさいけど、
やること大事やなって気づいてから、
ずっと本当に小さな選択を、
その都度その都度して、
その時にちょっとこっちじゃなかったとか、
結果自分が選んだのにすごく嫌やったなとか、
そういった不快感だったりとか、
これにしてよかったやっぱりっていうような、
本当によかったなと思える感覚とかの感情を、
日々取りこぼすことなく感じてきたからこそ、
大きな選択が目の前に来た時に、
あたふたしたりとか迷ったりとか、
どうしていいかわからへんみたいなよりかは、
客観的に物事を見るたりとか、
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どうしていくことが私としても、
息子にとって、本人にとって、
何が一番今の現時点での選択としては、
何がベストなのかなとか、
本当に狭い視野だけじゃなく考えられた、
選べたっていうことが大きかったんじゃないかなと思ったんですよね。
本当に日々の選択って何なんて言ったら、
本当にめっちゃしょうもないことばっかりなんですよ。
私の選択って本当に、
今日朝起きて、朝起きるのも、
別に6時でもいいんやけど、
15分早く起きるかとか、
朝の15分を本読むことに使うのか、
お弁当作ることに使うのか、
ヨガとかそういうことに使うのかとか、
いろんな選択肢が朝の15分でもすごくあるんですよ。
その中で、どれが一番、
今日の自分にとってベストなんやろうみたいな、
これやってよかったって思える感覚ってどれなんかなみたいな、
をいちいち寝る前に、本当にちょっとの時間ですよ。
どれが一番ベストかな、朝何がしたいかなとかを、
きちきち書き出しまではしないけど、
やんわり考えてから寝るんですよ。
そういう朝起きたその15分をどうするかとか、
今何食べたいかなとか、
今日はコーヒーと思っとったけど、
はちびつ紅茶の方がええなとか、
どうでもええやみたいなことなんですけど、
ほんまにそんな些細な小さな選択を日々していって、
自分はこれしかないから、
これしか食べるもんないからこれ食べるとか、
選ぶことをしないで、
もういいやこれで、みたいな感じじゃなくって、
いちいち今あるものの中で、
最大限に自分を満たすことができるものって何なんやろうみたいなことを、
今まで大げさには考えてへんけど、
自分気分良くなるやつどれなんやろうみたいなので、
食べるものだったり飲み物だったりとか、
限られた午前中の時間の使い方とかをして、
自分なりに選んでいくことをしていっている、
すべての行動や動作とか、
それによって、
こういう嫌なこともあるんですよね日常に、
あったけど、自分でこうやって選んだし、
次からはこういう風にしたらよかったか、みたいなとか、
選ぶことでこういうこともあったけど、
っていう風に、
受け身で選ぶことに対して、
受け身じゃないというか、
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もうこれしかないから、私には選ぶ権利ないからじゃなくって、
もうないと思っているところで、
本当にそうなのかなと思って、
一生懸命いくつかの選択肢を自分で探し出す、
受け身じゃなくて主体的っていうんですか、
自分から選択肢をいくつか見つけてきて、
自分にとって一番いいものはなんやねん、
みたいなのを、
都度と選んでいくことを、
本当にそういう小さな生活の暮らしの中から、
やっていってきたんですよね。
それがこの1年ぐらい、結構一生懸命じゃないですけど、
割としっかりとそこの部分をスポットを当てて、
選択をするということを重きを置いてやってきたので、
自分にとっては大きな選択だったんですよ、息子のことは。
だけどそこに関しては、
こう言われたし、じゃあしようかな、じゃなくて、
息子にとってベストなんであれば、
それを選択しようかっていう視点で、
自分から情報を取りに行きますし、
分からないことは分からないと言うし、
助けてほしいとも言いましたし、
教えていただけることがあればお願いしたいです、
っていうふうにお声もかけさせていただいて、
いろんな方の経験や知識っていうのを、
本当に心よく伝えてくださった方が多かったので、
そういう情報を自分で取りに行くこと、
選んでいくことっていうのをしていったので、
夫婦でのやりとり、どうしていくかっていうね、
2人の子供なのでどうしていこうかみたいなことを決めるときも、
割とスムーズだったんですよね。
意見は分かれたんですけど、
その意見に対しても、なんで一緒じゃないとかもなく、
そっかそっか、あなたはそういうふうに思ったよね、みたいな感じで、
でも自分としては、
これはもしかしたらエゴになるかもしれないけど、
すごいベストを尽くしたいの、みたいなことを
夫の方にも伝えさせてもらって、
そういう意見がどちらか片方にあるんであれば、
やって別に悪いことはないんやから、
そういう支援をしていただけるっていうのは、
全く同じ感情、全く同じ方向性を向いて、
これからの支援をお願いして、
追求っていうか別の幼稚園の方で、
息子にあったカリクラムを組んでいただいたものを
受けに行くっていうのを、
どうするかっていうのはね、
本当に同じ気持ちで、
同じでっていうわけじゃなかったんですけど、
夫婦としては。
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けれど、争うとかそういうことはなく、
こういうのが今のベストであれば選んでいこうか、
っていう形で選択ができたんですよね。
なんかそれって、すごく
そういうふうに選んでいけたことがあってるかどうか、
これが息子にとってほんまにベストでよかったのかとかは、
わからないんですよ、正直。
わかんないけど、
なんか息子をさらに知っていけるというか、
わかってあげれる機会が増えるのは、
すごい知りたいから、
いい支援やなって思ったんですね、私は。
だから、選択をするって大きな選択やから、
大きく捉えて、どうしようとか、
これはすごい大事やからじゃなくって、
毎日の日常の中の、
その些細なことも大切な選択のうちの一つやなっていうことを
すごく伝えたいなと思ったんですよ。
日々のことを取りこぼすことなく、
自分の感情とかも、
なんかこう、めんどくさいんですけどね。
なんか一個ずつ拾っていく。
これいうふうな選択肢の中で、
これを選んだら不甲斐ないなとか、
これしたら私喜ぶんやなとか、
そういうことを積み重ねた結果、
大きなことが来た時に、
慌てふためくみたいなことはなかったんじゃないかなと思って、
日々の選択をいちいち考えろってことを言いたいんじゃないんですけど、
ちょっとふとした時にね、
これしかないから食べてる、
お腹いっぱいになったらそれでいいじゃんって、
本当にこれが食べたかったんかなとか、
本当に今コーヒーが飲みたかったんかなとか、
本当に私は今日こういうふうに過ごしたかったんかなみたいな、
どうしたかったんだろうみたいな、
考えるきっかけになって、
何かこれを聞いてくださってる皆さんの中で、
大きな選択がね、
現れた時に、
自分の選択を信じるきっかけになったらいいなって思って、
今日はその選択、
選ぶ方の選択のことについて、
私の経験と、
最近あったね、ことと、
考え方をシェアさせていただきました。
では今日はこんなところで終わりにしたいと思います。
ではまた。
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