言葉の重要性
おはようございます、ゆみです。今日もラジオ撮っていきたいなと思います。このラジオは、人間関係だったりとか、キャリアに悩みの方にマンスを支援しているコーチの私が、普段の気づき、あれやこれを発信しているラジオになっています。
はい、今日はですね、どんな話をしようかといいますと、
そうだね、伝えたい言葉だったりとか、思いという表現の仕方は何でもいいよっていう話をしたいなと思っていて、
先日ですね、セッション中にクライアントさんから一つフィードバックをもらったことがあって、
あの、ゆみさんってなんかこう、話をするとき、言葉に直感でもの言葉を伝えてくれるのがすごい上手ですよね、みたいなことを言ってもらって、「おう!」みたいな気持ちになりました。
本当になんか、「おう!」ってなってですね、確かに言われてみればそうかも、みたいな感じで、
言うのもそうだし、私自身も結構そこは意識しているところだと思っているし、自分自身の強みだとも思っているっていうところなんですね。
で、それが伝わったのが嬉しいな、みたいな感じに思っているんですけど、
なんかその強みっていうのが、今言ってたようにセッションの中ですよね。
セッションの中で発揮されることもあれば、例えばチームで働いているときとか、他の人と働いているときとかにもすごく生かされているなっていうのも感じるし、
もう一つでいくと、そうだね、なんか、こういう発信ですかね、
私は普段ノートというものに文章を書いて発信していて、そこでクライアントさんと出会っているっていうのがあったりして、
こうやってラジオも撮らせていただいて、両方の側面で人と出会うためのツールとしても、言葉で自分の思いを伝えるっていうことをやってるなっていうふうに思っています。
相手に届かない理由
で、何だろうね、
なぜそれをやれるようになったかっていうことと、なんかやりている、そうだね、やれ、なんかこう、
何だろう、やって、その手段を選んだかみたいな話の2つの側面があると思ってて、
なんか、できるようになったって今もあまり思ってないけど、
思ってないわけじゃないんだけど、やっぱり発信についてはまだまだだなってすごい思うというか、難しいなって思ってる。
なんか今でも完璧ではないし、なんかうまく伝わらないというか、言葉が気持ちが乗らないときとかはやっぱり割と分かれやすく反応に出たりするんで、
結構難しいなぁみたいなことを思っている。
けれども、まあできる、比較的やるようにできるようになったなと思うのは、やっぱり数をこなしたことっていうのが一番大きいと思っていて、
えっと、なんか、
何だろう、言葉を伝えるって、あの、むずいなってやっぱ思うんですよね。
なんか、こう、言葉というか思いを伝える。
なんかこう、言葉としては、あの、同じ頭で理解できるような言葉を伝えていたとしても、なんか心に届かないとあんまり意味ないじゃないですか。
こう、意味ないことないんだけど、なんか心に届かないとやっぱ帰ってこないと言いますか。
うん、なんかそれって、なんか普段の人間関係とか、その発信とかでも両方一緒で、
あの、普段の人間関係も、あの、何だろう、例えばさ、あの、
この、なんかおそ、部屋の一緒に住んでる人がいたとしてさ、なんかこう、
お掃除してよ、みたいな言葉を言われると、なんか届く言葉は批判的な思い、
何だろう、届く、何だろう、思いというのは批判的に一緒に何か、何だろう、暮らしてるんだから、やって当たり前でしょ、みたいな、こう、何だろう、言葉になってない思いが届くんですよね。
で、あの、部屋をきれいにしてほしい以外にも、なんか届く言葉、
なんか出してる言葉以外のものが届いてるって意識をやっぱりしないといけないっていうのはすごく私は思っているんですよね。
なんかこう、そういう、
なんか、何だろうね、あの、そこまで気使わないといけないんですかっていう質問があると思うんですけど、気を使うっていうよりは、
あの、届けたい思いを届けようと意識しているかどうかみたいな感じだなと思ってて、あの、相手は、
あなたの、あの、思いを勝手に汲み取ってはくれないんですよね。なんか絶対違う、あの、自分が意識しない限りは、
やっぱり、あの、
間違ったというかね、なんかずれた形でやっぱり届いてしまうので、ここだけ絶対伝えるっていう気持ちで伝えないと、
あの、伝わらないっていう感じがあると思うんですよ。今言ってたようにやっぱり、
なんか批判的なところを届けたい、届けてしまうみたいな感じ。
心に届く言葉
で、別に批判的な思いを届けたいなら届けてもいいんだけれども、なんかあの、
それをやって相手が、じゃあ変わってくれるかって言うと変わらない気がするんですよね。
なんかすごい厳しい話だけれども、あの変わらない、なんだろうね、なんだ、なんだろ、批判的な思いに対して大体人は防御するじゃないですか。
うん。なんか批判的な思いと、もう届けていいけれども、それと一緒に、
やっぱりなんか本当はこうしてほしいんだよねとか、こう、相手に対する思いやりを両方届けないと相手はキャッチできないんだよね。
うん。例えばこうボールとかを、キャッチボール、もう本当に人間関係とかコミュニケーションってキャッチボールに例えるのが一番だなってすごく私は思うけど、
なんかキャッチボールしてたらさ、例えばゴースト球でさ150キロ投げて、相手が初心者のキャッチャーだったら、そんなの受け取れないんじゃないですか。
うん。なんか相手を見て届かない、なんか言葉、あれなんだろうな、
あの、コミュニケーションもやっぱりこう投げて受け止めて投げて受け止めてを繰り返ししないとやっぱり届いて、なんかあんまり意味がなくなっちゃうから、
あの、やっぱり相手が受け取れるかどうかみたいなことを意識して言葉を投げかけないとすごいこれは難しいんだろうなって思うんですよね。
うん。
だから相手に届くための言葉っていうのは、私はこう裏表も全部一致させた言葉だと思ってるんですよ。
さっき言ってたみたいに、あの、
あーなんだろう、さっき言ってた、なんか掃除してほしい、なんか掃除して当たり前じゃないみたいな、
あの、部屋の、一緒に住んでるんだから部屋くらい掃除してよ、みたいなのって、
こう、批判している気持ちが前面に出てるけど、なんかこう、
うーん、そうだね、こう批判している気持ち以外にも多分伝えたいことって本当はあって、
あの、部屋を、なんか一緒に綺麗にしてもらえなくて悲しかったとか辛かったとか、
あの、私が大事にしているものを一緒に大事にされていないことは悲しかったみたいな、
なんかその相手を攻撃する以外の言葉も確実に隠れてるはずなんですよね、うん。
なんか私が、あの、すごく言葉を相手に届ける時にやっぱり意識しているのは、
あの、なんか批判的な言葉だけを伝えるっていうことはしていなくて、
批判的な言葉だけ投げるとやっぱり相手は受け止められないんですよね、さっき言ってたキャッチボールのキャッチができなくって、
あの、ボールがトゲトゲしてて痛すぎて、なんかこう、なんか持ってないんですよね、ボールを多分。
で、返しちゃうじゃないですか、その跳ね返しちゃうじゃないですか、トゲトゲしたボール来たりとか、ファイヤーボール来たら。
だから、なんだろう、批判とちょっとトゲトゲしててもいいんだけれども、なんか受け取れるレベル感に変えていかないといけないし、
なんかそのためには、こう、なんだろう、トゲだけじゃないものもやっぱり届けた方がいいって感じだなと思うんですよ。
なんか部屋を本当に一緒にきれいにしてほしかったし、それが出来してもらえなかったことは、すごく私にとって、なんか私を大事にしてもらえないみたいですごく悲しかったとかね。
コミュニケーションの重要性
だから、これからは一緒に部屋を綺麗にしてほしいなって思うんだよ、みたいなことを言うと、多分全然違うと思うんですよね。
なんかこう、最初の伝え方だと、なんで部屋来てないの?なんかこう、当たり前じゃないの?こんなの綺麗にするの、みたいな言い方。
と、今ちょっとさ、すごく悲しいよ、今この部屋の状態はと。
なんか、例えば、一緒にこの場を綺麗にしてくれるっていうこと、汚くされちゃうってことは、私が大事にしてるものも大事にされない感じがして、少し正直悲しいし辛いなと思うし、
なんか、あの嫌な気持ちになったなって思うとかね。
だからこれからはもうちょっと一緒に部屋を綺麗にしてほしいなって思うんだけどどう思う?みたいな感じの、あのコミュニケーションだと、ちょっとやっぱり受け取りやすいじゃないですけど、
考えるようにはなると思うんですね。
一瞬抵抗間違いなくあるかもしれないんですけど、前者に比べたら全然抵抗はないはずなんですよ。
で、あのちょっとボール持とうかなぐらいの気持ちになるはず。跳ね返すよりは。
これはもう私も体感値ですごく感じてるんですけど、人ってこう、
相手を悲しませたくないっていう気持ちはどこかにやっぱりあるし、
あの悲しい気持ちにさせたくないっていう思いがあるので、それを知ってしまった、大切な相手にそれをさせてしまったみたいなところは確実に届くはずなんですよ。
だから、あの、
相手とこうコミュニケーションをとっていくときは、
なんだろう、思いをぶつけて相手を悲しめる気持ちにさせたいって、なんかこう、
たいと思っちゃうと、さっき言ってたみたいに抵抗に合うし、攻撃しようとすると、自分の思いなんて届くどころか跳ね返ってくるみたいな感じが起きるんだけども、
そうじゃなくて自分のこうなんだろうな、いろんな言葉になってない思いもセットにして届ける。
相手が受け取れるような形で届くような形で、言葉にしていくと割と届くんじゃないかなと思ってて、
だからこそ裏表のない、なんかすべての思いをしっかりとこう、相手が受け取れるような状態でお渡しするみたいな感じでやれるとすごくいいなと思う。
っていう感じですね。で、これはあくまでなんか手段の話だと思うんですけど、
結局はさ、その自分のそういう思いが大切だと思っているっていうことも、これをやるためにはね、自分のそういった悲しい感情だったりとか辛いっていう思いが大切なことだったっていうことを自分で認めないと伝えられないし、
で、かつそれを受け取る側の相手の気持ちですね、これを必ずしもこう、なんかすべてを受け入れてもらおうみたいな、自分の思いをすべて受け入れてもらおうって思うのではなくて、相手にもちゃんと感情があって、受け取らないっていう権利もあるっていうこととかも忘れないようにしたら、
ちゃんと届くところは届く。届けられない部分は、なんかこう届かなかった部分はお互いにちょっと考えて、どういう関係性築いていったらいいかなっていうのも考えればいいだけなんですけど、
なんか一回で全てを何かを解決しようとしすぎると、今言ってたみたいに、なんか崩壊しすぎちゃうのかなみたいなことを思っちゃうので、
言葉を届けるときは、なんだろうな、その表面的な思いだけじゃなくて、今感じている瞬間的な感情だけじゃなくて、なんか奥底にある思いとか、ベールに隠れているかもしれない感情も一緒に届けられると、よりいいかなって思います。
感情と伝え方
で、実際さ、今、当たり前のかのように言っておりますが、難しいです。正直難しいし、どうやっていったらいいんだろうって言われると、私もなんかめちゃくちゃ数をこなして、こうやれるようになったっていうふうに思っているので、
なんかこのあたりは、やり方みたいなところはご相談に乗れるかなって思ったりしますので、ぜひなんかこのあたりは今、
告知をさせていただきますと、公式LINEが私はありますので、そこの方からお問い合わせいただけますと、私はこういうところで特にコミュニケーションで悩んでますとか、自分の言葉をなんか相手に伝えるのが苦手なんですとか、
なんか相手に受け取ってもらえないと悲しい気持ちになってしまうとかね、あると思うので、まあそりゃそうだよねというところも含めて、今ご相談に乗らせていただいてますので、
ぜひ気になる方は公式LINEの方からご相談いただけると嬉しいなと思います。
今日もお話を聞いていただきましてありがとうございました。由美でした。