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おはようございます、ゆみです。今日もラジオを撮っていきたいなと思います。
このラジオは、人間関係だったりとかキャリア支援に伴奏支援しているコーチの私が、
普段の気づき、あれやこれやを発信しているラジオになっています。
今日は、ですね、なんかどんな話をしようかなと思っているんですけど、
えっと、そうですね、最近、ちょっと今日、そうだな、
実は今度、インタビュー記事をあげることになってるんですけど、
クライアントさんにある言われたことが、すごい響いていてですね、私に。
なんか、私もそうだな、みたいなこと、私も言われて、なるほどなって思ったことでもあるし、
私自身、それはすごいクライアントとしてすごく良い体験だな、みたいなのは、
自慢じゃないです、自慢じゃないけど、ちょっとそういう思いがあったなっていうのをちょっと考えたので、
今日その話をしたいなと思うんですけど、
えっと、そうですね、なんか、自分の悩みを真剣に聞いてくれると嬉しい時と、そうじゃない時ってありません、あるなって思ってて、
えっと、私も、あの、ある、私もコーチを今もつけてるんですけど、
あの、結構そのコーチ、私と似てるというよりは、どっちかっていうとパッと見えてる感じ、真反対な人を今回は選んでるんですね。
で、なんか、すごいなんでその人選んだかっていうと、
あの、なんか、自分の悩みを割と笑い飛ばしてくれるレベルの明るさ、底抜けの明るさを持ってる人みたいな感じでして、
で、なんて言うんですかね、自分の気持ちが元気ない時に、それでなんか、あの、あると、ちょっと確かに辛い時もあるんだけど、
でもそういうのもちゃんと合わせてくれる人なので、あの、今すごい助かってるなと思うんですけど、
なんか、あの、なんか深い悩みとかってあるじゃないですか、結構気持ちが暗くなるような悩み。
なんかこういう人に嫉妬してて、こういう自分が嫌で、みたいな話って、あの、最初はすごい良いんですよ。
最初は、あの、ちゃんと深くやっぱり聞いていくとか、あの、深く、あの、理解していくプロセスっていうのがすごく大事だと思ってるので、
しっかり泣けるぐらいまで、こう、感覚的に、なんだろう、受け取れるような状態っていうのになってくるのはすごくいいなと、私は個人的に思うんですけど、
で、あの、でもどっかで人って飽きてくるんですよね、だんだんその状態に、あの、これ伝わりますかね、よく、はい、そうなんです。
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なんだろう、そう、飽きてきた時、他にもそうですね、なんか、あの、なんだろう、こう、すごい寝不足で、なんか死ぬほど寝るとかあるじゃないですか、
あの、すごい寝不足で死ぬほど休んで、あの、家で寝てた時に、体が回復してきたら、なんかもう寝てるのが逆にしんどくなってきたみたいな時ってあるじゃないですか、
あの、その感覚にすごい近いと思ってるんですよ、あの、悲しい感情で居続けるのに疲れてくるっていう時あるんですよね、
一回飽きちゃうみたいな、飽きるまでずっとやってんな、みたいな、で、浮上しない自分に対して、なんか、なんでいつまでこれやってんだろう、みたいな感じの状態になってると、
なんか、それを、なんか、誰かに言ってほしくなる瞬間ってあるんですよね、いや、いつまでそんな泣いてるの、みたいな、
で、あの、それを本当に悲しい時にされるとすごい辛いんですよ、あの、前提ね、いつでもやっていいというわけじゃないけど、
でも、飽きてきたタイミングで言ってもらえるのはすごくいいなって私は思うんですね、
自分がもうその疲れてるとか、あの、なんか悲しい状態に飽きてきているタイミングで、
あの、客観的に第三者のすごい信用している人からね、いつまでそんな泣いてるのとか、もう、いつまでそんなに悲しんでるなーって言ってもらえるのって、
いや、本当そうだよね、私もそう思うわ、みたいな感じで、ちょっと笑える瞬間っていうのがあるんですよね、
で、結構それを言ってもらうことによって私もすごく今のコーチに感謝しているのが、
あの、すごい楽になったなと思ってて、いや、本当そうだわ、いい加減前に向こうみたいな、
言われてみれば私そんな、なんかいい加減ちょっとウジウジするのやめようみたいな感じで、
あの、前に向けた瞬間があったんですね、
で、それを結構、あの、個人的にはいい体験だったなというふうに思っていて、
あの、例えば悩んでいるとか、あの、それこそ人との関係とかですかね、
私は人との関係だったりとか、あの、少しキャリアのこととかに、
あの、挑戦する時とかね、もう常に人と比べるとか、人に比較してしまうみたいなところがすごい強かったりとか、
なんかどっかで、あの、自分の中で自分で拗ねてるみたいな人格がいるんですよ。
ずっと、どうせ私はさぁみたいなイジイジしてる人格がいるわけなんですよ。
どうせ私はって言ってなかなか前に進めなかったりとか、同じことぐるぐる回って、
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あの、なかなか前に進まないなぁみたいなことがあった時に、
いい加減、なんか前に進めばいいのになってすごい思うんですよね。
で、なんか、それを一回コーチに拗ねてるよね、ユミさんって言われた時に、
あっ、そうだわ、みたいな。なんかもう中二病みたいじゃん、ユミさんって言われて。
おお、みたいな。おお、みたいな。確かに、みたいな。
それは恥ずかしいなってだんだん自分で思ってきて、愛おしいんですけどね、そういうのを。
でもなんか、なんだろ、前に進まなくなって、こう、うじゅうじゅしている時というのは、
なんかこう、いい加減どっかでやっぱ前に進まないとって、前に言ってもらう体験ってすごく大切だなっていうか、
ちょっと笑いながら、まあもういい加減にしないよって言ってもらえるのって、
割と大事だなって個人的に思ったんですね。
で、なぜかというと、やっぱり一人で考えていると、すごく一人で深刻に考え込みすぎちゃう。
それこそさっき言ってたように、メンタルダウンするまで一人で抱え込んじゃうみたいなことってやっぱあると思っていて、
でも人にやっぱりこう、ある程度でも自分の中で考えきって、いつまでもここの中からいい加減抜けていきたいなって思った時に、
人に、いやもう大丈夫なんだから前に進んじゃえいいじゃんみたいな、でも行けるよみたいな感じでファーって言ってもらえると、
あ、そっか行けんのかみたいな軽い気持ちで前に進めたりするっていうのがすごいあるなっていうのはあるなと思っていて、
すごいパワフルなんですよね、このコーチングの関わりこういうのって。
パッと聞いて、え、厳しくない?みたいなふうに思われた方いらっしゃるかもしれないんですけど、
これはね優しさ、すごい優しさだなって私は個人的にめちゃくちゃ思うところであって、優しさというか、
言うことの勇気って必要なんですね、この一言をやっぱり。
何て言うんですか、無鉄砲に言ってるわけじゃないんですよ、これ本当に。
相手のことの状態を見極めて言ってくれてるっていうのはすごい感じるところで、
もうこの人には言った方がいいとか言っても大丈夫だっていうところをすごい見極めて言ってくれるんだと思うんですよ。
何だろうな、人を勇気づけたい時とかって、
今の一般的な考え方でいくと、すごい寄り添わなきゃとか、
そうだよね、辛いよねってやっぱり言い続けなくちゃっていうことって結構あるかもしれないなって思うんですけど、
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私はそこ誤解だと思っていて、言い続けなくていいと思うんですよね。
何かいい加減やめなって言ってあげることもすごい優しさだなと思ってるというか、
そこに留まり続けなくてももう歩けるよあなたって言ってもらえるっていうのは、
多分すごいパワフルな関わりだなってすごい思うんですよ。
そこの留まり続けてもいいよっていうのは、今は確かに見ていると、
歩くのが難しいのかなっていうのを甘んじて受け入れてくれるっていう感じだと思うんですよ。
でも立ち上がれないっていうことを許容するっていうのは、
あなたそうだね、できないよねっていうふうにどこかでなっているところもあるわけなんですよね。
すべてじゃないにしても。
そうだよね、あなたやっぱり前に進めないもんねみたいな感じになっちゃうことがあると思うので、
ある種できると思っているからこそ言うみたいな、
できるとか、あなたは前に進められると思うからこそ前に、
もう今大丈夫だから進んでみなって、
いつまでそんなうじうじしてるのって、
すごい言ってもらうことってパワフルだなって私は思うんですよね。
ツッコミ?いいツッコミですよね。
ある種、何やってんねん、どないしてんねん、みたいなね。
そんな感じのいいツッコミをもらうっていうのは、
今後の自分の成功だったり成長につながっていく話でもあるし、
前にもう進められるし成長をわかっているからこそ、
ちょっとね、強めのツッコミを入れてくれたりとかしているのかなって思った。
すごいなんか久しぶりに、今めっちゃ関西弁出た。
私実は関西出身なんですけど、急にめちゃめちゃ関西弁出ましたね。
そんなことを思ったりします。
全てが全て、悪いとか不正解とかそういうわけではないし、
今言ってたように、全てが全て、ちゃんと寄り添わなきゃいけないというわけでもないし、
全て今言ってたような、そんな悩んで前に進めないよっていうことが正解とも言わないんですよ。
ただその視点もあった方がいいよねってすごい思うって感じ。
うじうじする自分もいて、かわいいなって思って、
でもいい加減にした方がいいな私みたいな風に思ったら、
誰かにツッコミ入れて終わるっていうのもすごく大事だなって
私は個人的に、私の体験値で思ったりもするし、
さっき一番最初に言っていた、これはもうすぐ公開するので言って大丈夫な話なんですけど、
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クライアントさんにも言ってもらったのが、
由美さんと話していると、
テーマとしてはすごい重たいんだけど、明るく話せるっていう話があって、
自分も話としてはちゃんと聞いて欲しいと思っているし、
聞いてもらっている感覚もすごいあるけど、
でもそれを聞いてもらいながらも明るく扱えると、
そんなに重くなく扱えるようになって楽しいんですっていう風に言ってもらえて、
なるほどなって思ったというか、
実はその方ね、継続になったっていう感じなんですけど、
継続してもらった理由を聞いたところその話が出たっていう感じだったので、
私の個人的にすごく大切にしているところではあるんですけど、
思い出、私コーチング受けた後苦しいって思うこともあると思うんですよ。
コーチングとか、例えば自分自身に向き合っていくとか、
人間関係にやっぱりぶつかった時に自分の中にこういう課題があるんじゃないか、
ああいう課題があるんじゃないかとか、
キャリアのこととかもそうですし、
自分の生き方、在り方に悩んだ時って、
すごい重たい苦しいものっていう風に思う人もいるかもしれないなって思ったりするんですよ。
よく言われるのが自分を変えられるとかね、
そんなことを思う方も怪しい自分になっちゃったりするんじゃないかみたいなことを心配される方もいらっしゃるわけなんですけど、
私は自分を分かるって楽しいなって思ってもらえるのが一番ベストだなと思ってて、
なんでかって言うと、
これは私自身の話になっちゃって大変恐縮なんですけど、
自分のことが分からなかった時が一番苦しかったんですよ、私は。
自分が何が得意で何がやれるのかとか、
自分が苦手なこととか、
なんでこんなに自分自身が人との関係に悩むのかとかが、
原因が分からなかった時が一番苦しかった。
自分という人間がただただ血管菌として生まれてるという風な勝手な認識をしていたので、
そういう風に理解していた時が一番苦しかったけど、
ちゃんと自分を知って自分を理解して扱い方を理解できるようになると、
すっごい楽しかったんですよね。
自分を楽しめるというか、
これは言い方あれなんですけど、
自分が一番の研究材料だと思ってるんですよ、私はもう。
これはもう、もしかしたら他のコーツとか、
そう思ってる人もいるかもなっていうのは裸で感じてるんですけど、
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探究が好きな方とかは。
人生とか自分自身の体、心っていうのはある種だから、
実験材料ですよね。
これをやったらどんな反応が起きるんだろうみたいなことを、
分かっていくプロセスが面白いみたいなのは間違いなくあるので、
自分を理解することって面白いって思ってほしいんですよ。
だからこそ、今言ってたようにクライアントさんが、
すごいご本人的には暗い悩みだったりとか、
一人で扱うには苦しい悩みだなって思っているものも、
一緒に扱うことで少し軽くしていけるといいなって思うし、
この悩みも面白いものになり得るんだって思ってほしいところもあるんですね。
思わなくてもいいんですよ。
思わなくてもいいけれども、
ただ、向き合うんだったらせっかくだから面白く扱いたい時もあるじゃないですか。
ただ苦しいだけじゃなくて楽しく扱えるといいなみたいな感じで、
思ったりもするので。
だから私は、個人的にはね、
苦しいコーチングよりは楽しいコーチング、
になっていってほしい。
私がやっているものに対しては、
苦しいタイミングは確実に来ると思うんですけど、
自分の嫌なところに向き合ったりする瞬間もありますしね。
今と違うことをやっていこうとか、
変わっていこうと思った時に、
何かを変える必要があるというか、
見えてくるものがあった時に、
これが問題かもって思った時ってやっぱり、
それに向き合う時って苦しいこともあるかもしれないなと思うんですけど、
ただ、その時に一緒にいる私は、
こうやっぱり光でありたいってすごく思っていて、
光だし、
鈍く光る。
ピカーっていう光じゃなくて、
なんか鈍く、
鈍めのなんか、
ピカーっていう光じゃなくて、
なんか鈍く、
鈍めのなんか超光じゃないですけど、
暗めの、
あるじゃないですか、電気の、
マメ球みたいのあるじゃないですか。
寝る時に光る。
あれっぽさでいきたいなみたいな。
そうですね。
ちょっと目、見やすい光みたいなのでいて、
ちょっと途中、たまに光るねみたいな。
なんかこう、自分が見やすい光、
その人自身が見やすい光でありたいって思ってる。
眩しすぎない光でありたいから、
暗い中でも一緒に、
少しでも明るい気持ちで生きていけるような、
そんなプロセスを握っていけるといいなみたいなことを、
そんなことを思っていました。
なので、
ちょっと今日はね、
すごい本当に自分語りみたいな、
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お役立ちっていうよりは、
私はこういうふうにありたいなみたいな話になっちゃったんですけど、
結論から言うと、さっき言ってたように、
悩みっていうのも、
扱ってくれる相手を選べば、
一緒に暗く沈む必要はないと思ってて、
クライアントとコーチが。
そうじゃなくて、
少し相手が一歩だけ先に、
少しだけ光を照らしていく。
足元だけでもいいし、見やすい光でもいいけど、
そういうレベル感じゃないけど、
その温度差とかじゃないけどね、
明るさでいけると、
本当は扱いたい悩みっていうのは、
本当は扱いやすくなってくるんじゃないかなと思います。
普段の扱いたい悩みってすごい重くて、
人に開示するのも大変な時にあるけれども、
この人に扱ってもらうと、
すごい軽やかになるなみたいな感覚って、
誰しもあると思うんですよね。
そういったところをですね、
そのあたりはやっぱり、
コーチとクライアントの相性もあるので、
そこはぜひ見ていただけるといいかなっていうのは、
コーチングを今後受けることを検討されている方は、
参考にしてもらえると嬉しいなって思ったりします。
そう、そんなことをふと思いました。
えへへ、えへへ、えへへ。
よくでも私、クライアントさんによく言われるのは、
あれなんですよ。
面白いですねって言ってもらえるんですよね。
楽しいって言ってもらえる。
自分を理解するの楽しいって言ってもらえるから、
やっぱり自分というものが苦しい存在だって思っていたところから、
面白い存在だと思えると、
すごい楽だなって私は思ってて、
楽に生きたいじゃん。
楽に生きちゃいけないとか言われますが、
私は楽に生きたいよ。
こんだけ自分というものを抱えているんだから、
せめて自分というものを軽く扱っていきたいじゃないですか。
重く扱いたい人は扱っても大丈夫なんですけど、
私は個人的には軽やかに自分を扱っていけるといいなっていうのは
すごく嬉しいです。
軽やかに扱っていけるといいなっていうのはすごく思うので、
私も自分のことが思いた気はありますよ、もちろん。
思うけど、ただ、
たまにそうやって第三者をつけて、
自分自身の扱い方じゃないけど、
ふわっと軽やかに扱っていけるといいなっていう風に思えるとか、
そういうのが一番いいんじゃないかなって個人的には思ってます。
はい、ではそんな感じで今日は終わろうかと思います。
ではありがとうございました。
由美でした。